羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

コロナ感染記

 今までで一番大きなコロナウィルスの感染流行である第7波がやってきましたが、ついにこのビッグウェーブにのまれてしまいました。トホホホ……。

 

 発症日(0日目)……喉に違和感がありましたが、冷房をつけっぱなしで寝るとよくあることなので気にせず仕事に行ったところ、午後になって痛みだし咳も出はじめ、やたらと水分がほしくなり、5時間の会議&打合せで500mlペットボトル3本がカラに。その時は打合せで吠えすぎたせいかと思い、気にせず、8時過ぎまで仕事。帰宅すると、喉の痛みに加えて腰も痛くなり、悪寒もしはじめたので、おそらく熱が出るのだろうと予測し、早めに就寝。

 

 1日目……腰をはじめ体の節々が痛いので検温すると38.7度。インフルエンザ以来の高熱で、これはまずいと思ったので、発熱外来に行かなければと思いましたが、とても自力で行けそうになかったので、市の新型コロナウィルス感染症コールセンターに電話し、発熱外来まで行ってくれるタクシーなどがないか訊いたところ、「そういった案内はしていないので、ご自身で探してください」とのこと。探せないから連絡しているんだが……と腹が立ちましたが、仕方がないので、3回目のワクチン接種をしたクリニックに電話。しかし1時間以上経っても繋がらないので、市のホームページの発熱診療等医療機関のリストに載っていて、歩いていける医者3件ほどにかけましたが、どこも繋がらず。何分かおきに電話をかけるのもつらくなってきたので、またコールセンターに電話し、受診できる医療機関を探してもらおうと思いましたが、「こちらは受診可能な機関を案内するだけで、予約はご自身で連絡してお取りください」とのこと。「それって、ホームページのリストに載っているところを教えてくれるだけですよね。なら、見ればわかるのでけっこうです」と聞き取るのも話しつづけるのもつらいので断り、再び電話のくり返し。11時過ぎにようやく繋がったときには本日の予約はいっぱいで、予約は当日のみなので、翌日以降の受付はできないとのこと。もう疲れ果てて、起きていられなかったので寝ることにしました。

 

 2日目……熱は38.6度。前日から熱が高いだけで頭は痛くないけど唾を飲み込むのもつらいほど喉が痛かったので、飲むのも食べるのも困難な状態でしたが、食欲はあったので、生姜湯を飲んで少し痛みが和らいだところでスモークチーズやレトルトおでんなどを食べ、あとは牛乳と野菜ジュースを流し込み栄養補給。けれども、ただ水を飲むのもきついので、水分補給もまず生姜湯を飲んでから。この日は朝から雨で、発熱外来の予約が取れたとしても体力的に外出は無理そうだったので、電話もせず。前日と同じく風邪薬を飲むために食事をし、食事や水分を摂るために生姜湯を飲む――のくり返し。

 

 3日目……熱は37.6度。多少下がったせいか節々の痛みはなくなり、雨も降っていなかったので、今日なら行けると思い、予約が取れれば一番早く診てもらえそうな内科に9時に電話。2回で繋がって、1時間以内に折り返すという返事。折り返しの電話で来院前にカルテを作ると言われて問診を済ませ、30分後に時間を決めて訪院。一般患者がいる医院内には入れないため、指示されたとおり玄関に着いたら電話をすると、防護服を着た医師が出てきて、パルスオキシメーターで血中酸素濃度測定後、PCR検査キットと希望した喉の痛み止めを渡され、家に帰ってまた持ってくるのはしんどいので、その場で唾液をためることに。来る途中に雨が降ってきたので、雨が降る中、往来に面した医院の玄関先でひたすら試験管にツバをためました。早く帰りたい一心でなんとかためて、いったん院内に戻り再び現れた医師に試験管を渡し、家に帰るなり薬を飲むために生姜湯を飲んで食事をし、処方された薬――カロナール500を飲むと、しばらくして、つらかった喉の痛みが驚くほど和らいで、水も普通に飲めるようになり、午後には熱も平熱に。検査結果がわかるのは翌日の夜とのことでしたが、陽性だった場合の隔離生活に備えて二日前に注文した食材が、ちょうどその日に届いたので、長期戦に備えて久しぶりにガッツリ食事。

 

 4日目……朝から平熱で、喉も違和感は残るものの痛みはなかったので、薬を飲むのを中止し、普通に生活。17時過ぎに医院から電話があり、結果は陽性。なので、神奈川県療養サポートに登録したり質問票に答えたり、仕事関係に連絡したり、予約していた店をキャンセルしたり、歌舞伎座のチケットを売りに出したり等々……症状が改善していたのであれやこれやできましたが、熱があるままだったら、質問状に答えることすらしんどかったと思います。

 

 5日目以降は熱がぶり返すこともなく、たまに咳き込み、喉や耳が痛くなるぐらい。しかし、いかにも病み上がりといったようなだるさがあり、在宅ワークをする気力はなかったので、おとなしく自宅療養。仕事のことを考えるとストレスになるので潔く忘れて、どこにも行けない隔離生活の気晴らしを兼ねて、明智研究などをしていましたが、集中力が続かず、午後になると暑さからくる疲労もあって、夕方は疲れて遅い昼寝をしていました。

 

 ということで、12日間ほど予期せぬ巣ごもり生活をし、今週から仕事に復帰しましたが、依然として喉や耳の調子が悪く、喉は引っかかる感じがし、声を出すと耳に響き、歩いても耳に響き、飛行機がランディングするときのように聞こえにくいし、これが後遺症かと思っています。復帰後、容赦なくある会議や打合せ現場で「すいません、大きな声でしゃべってください」と、耳の遠いお年寄りのようなお願いをして仕事に戻っています。仕方がありません、働かなければ食べていけないので。いつ治るのか、治るのか治らないのかもわかりませんし。困ったことですが、これぐらいで済んで、重症化しなくてよかったと思うべきなのでしょう。隔離期間にあたってしまい、行けなくなった歌舞伎座の「風の谷のナウシカ」も、チケットは売れませんでしたが、結局出演者たちのあいだでクラスターが発生し、公演自体が中止になったので、全額払い戻しの対象になりましたし。まだ運がいいほうなのかもしれません。

 

京都寺院遠征~法金剛院

 本日のBGMは中森明菜スーパー・ベスト「Recollection」です。

 

 昨日仕事で大阪&京都に行き、今日の夕方4時前に帰ってきたのですが、蒸し暑さでヘロヘロだったので、とりあえず一服しようとコーヒーを淹れ、冷房が効きはじめた部屋で飲みながらニュースでも見ようかと思い、新聞のテレビ欄を見たら、4時半から「中森明菜スペシャルライブ1989」という番組をNHKでやっていたので、4時50分ごろ――「I MISSED “THE SHOCK”」から視聴。見はじめたら引き込まれて、コーヒーを飲み終わっても動けず、荷物の片付けもそっちのけで、最後まで見入ってしまいました。いやぁ、素晴らしかった。耳福、眼福。声と歌と曲調と見た目があれほどしっくりとハマり、リンクして相乗効果を上げ、独特の世界観を生み出している女性ヴォーカリストはちょっと他に思い当たらないですね。正真正銘の歌姫です。ちなみに、私が一番好きな明菜の歌は「水に挿した花」。あとは「二人静」「Dear Friend」「難破船」「ミ・アモーレ」、そして来生三部作といったところがお気に入りで、昔はよくカラオケで歌いました。「難破船」はかなり難儀していましたが(笑)。ライブではそのうちの半分ぐらいしかやりませんでしたが、十分堪能しました。「水に挿した花」とか「二人静」はライブで盛り上がる歌ではありませんし。

 

 閑話休題。明日日曜は日比谷で宝塚観劇なので、この週末は東京にいるはずでしたが、急きょ仕事の都合で大阪に行くことに。休みがないのはつらいので当初は日帰りで行こうと思っていたのですが、調べたら法金剛院の観蓮会が9日土曜からだったので、京都に泊ることにしました。大阪での用が済むと京都で別件をこなし、6時前に仕事を終えて、別の業者さんと合流。「知り合いがいい感じの店をやっているので、今度京都に来たときに行きましょう」と言われていた店で、冷酒を飲みながら鱧やら夏野菜やらを味わってきました。

中京区役所近くにある「炭火と酒 心月」の店内。築100年の町屋を改装した、落ち着いた雰囲気の店です。

 

 翌朝は10時過ぎにホテルをチェックアウトし、ロッカーに荷物を預けると、10時33分京都発の嵯峨野線に乗車。花園駅で下車し、駅から歩いて2分ほどの法金剛院へと向かいました。

 

 法金剛院は律宗の寺で、9世紀――平安時代初めの創建。53代淳和天皇の御代に右大臣だった清原夏野(782~837)の山荘が彼の死後に寺とされて双岡寺と称し、その後55代文徳天皇(827~858)が大きな伽藍を建てて天安寺とし、平安時代末期の12世紀に鳥羽天皇中宮の待賢門院(1101~1145)が法金剛院としたという古刹です。本尊は阿弥陀如来像で、2020年に国宝に指定され、庭園にある「青女の滝」は待賢門院が作らせた日本最古の人口の滝ともいわれ、特別名勝に指定されています。清原夏野文徳天皇、藤原璋子……歴史的にも興味深いので、いつか訪れようとは思っていましたが、蓮の名所なので、どうせなら蓮の季節がいいと思っていたら機会を逃しつづけ、今回ようやく訪れることができました。

法金剛院についての説明板。木嶋坐天照御魂神社に行ったときにこの説明板の前を通ったのですが、清原夏野の別荘の跡に建てられた寺院と知って、たいそう驚きました。天皇家と近く権力の中枢にいた時期がある藤橘源平の四氏のゆかりならともかく、夏野ぐらいしか大臣を出していない清原氏ゆかりの寺が千年以上も残っているなんて不思議だと思っていたら、文徳天皇と待賢門院のゆかりでもあると知って、納得がいきました。

法金剛院全景

蓮その1。後ろは礼堂。

蓮その2

蓮その3

蓮その4

蓮の葉にとまっていたトンボ。気持ち悪いくらい芸術的なつくりの体だと思いました。色も含めて。

「ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれて今朝は 物をこそ思へ」の歌碑。作者の堀河は待賢門院に仕えた女房なので、彼女も当院とゆかりがあるのかもしれません。

法金剛院の御朱印

 

 国宝の本尊や重要文化財の十一面観音も拝観して法金剛院を後にすると、帰りは5時過ぎの新幹線の切符を取っていましたが、午後は雷雨という天気予報だったので、東京に帰ることにしました。もともと暑い中を歩きまわる気はなく、気温が30度以下だったら寺社巡りでもしようかと思い夕方の切符にしていましたが、そうでなければ法金剛院だけで引き上げるつもりだったので。翌日の宝塚は11時開演のマチネでしたし。ということで、12時前には京都駅に戻り、窓口で特急券を変更し、昼食の鱧寿司とタカラ缶チューハイを調達して、ホテルのロッカーから荷物を取り出すと、12時24分発ののぞみに乗車。今回はこれで終了です。

 

 安倍晋三元首相の訃報を京都で知ったのですが、一緒に食事をしていた業者さんが「今日、ウチの社長は奈良ですワ。西大寺じゃありませんが」と言ったのを聞いて、自分も居合わせた可能性がある身近な事件だと改めて思い、背筋が寒くなるような気がしました。本当に、とんでもない世の中になってしまいました。「戦争」や「暗殺」――それがどういうことなのか内容と存在は知っていても本やテレビの中だけにあるものだった事柄が次から次へと実際に起こるようになりました。「大地震」も「大津波」もありました。行こうと思っていたドロミテ渓谷の氷河も溶けました。「原爆投下」「核ミサイル発射」「富士山噴火」「日本沈没」……過去のこと、フィクションの世界のこと、100年以上先の遠い未来のこととして言葉だけの存在と思っていたことがどんどん現実化する世界が、近い将来訪れるのかもしれません。「いつか」や「次」がますます空しい響きに感じられ、「やりたいことはやれるうちに、やれるときにやらないと」という思いを強くしました。ということで、来月は姫路に、再来月は岡山に行こうと目論んでいます。

京都寺院遠征~清水寺、高台寺、圓徳院、醍醐寺

 昨日に続き、本日も36度超えでした。熱中症から身を守るためにはマスクを着けなくてもいい冷房の効いた部屋にいるしかないので、明智研究にハマって途中で放り出していた遠征記を仕上げることにしました――今から3か月以上前のことですが。

 

 1月から始まった首都圏のまん延防止等重点措置は3月21日にようやく解除されましたが、当初は6日には解除される予定だったので、第7波が到来して動けなくなる前に――と思い、3月中に仕事で京都と出雲と金沢に行ってきました。

 

 で、仕事で3週連続遠征という無理をするからには仕事以外で自分が何か得るものがなければストレスになるので、京都と島根ではついでに寺社巡りをしてきました。金沢は日帰りだったので、仕事だけして帰ってきましたが。京都はちょうど東山花灯路の期間で、今回で最後の開催とのことだったので、東山に行ってきました。11日金曜5時過ぎに仕事を終えるとタクシーを拾い、まずはイベントに合わせてライトアップと夜間特別拝観をしている清水寺へ。烏丸二条付近にいたので、バスで行っても電車で行っても乗り換えが必要な上に、どちらで行っても清水道バス停か清水五条駅からは歩かなければならないので、清水坂の合流地点まで五条坂を登ってもらいました。

11日の朝、仕事先に向かう途中で寄った京都御苑の黒木の梅。まだ咲き初めでした。

 

 渋滞もなかったので6時前に到着すると、何故か仁王門前の人だかりは門ではなく清水坂の参道のほうを向いて写真を撮っているので、何かと思って振り向いて見ると、ちょうど陽が沈むところでした。

仁王門前から見る日没

仁王門の隣にいたこけし清水寺で開催されていたアートフェアの展示物。

夜になるとこんな感じ

西門と三重塔

清水の舞台からの夕焼け

音羽の滝に向かう途中から見える本堂、経堂、三重塔

下から見るライトアップされた清水の舞台

下から見るライトアップされた本堂と奥の院

下から見るライトアップされた三重塔

 

 清水寺を後にすると、産寧坂を下り、八坂の塔の前を通って、同じく夜間拝観を行っている高台寺に向かいました。

産寧坂から見る八坂の塔

正面から見るライトアップされた八坂の塔

 

 高台寺の境内に到着すると、時刻は6時45分過ぎで、拝観後だと店が混むと思ったので、先に境内にあるカフェ「茶筅」に寄り、スパークリングワインと、よもぎ生麩と生湯葉の京味噌風味という謎の味のピッツァを注文。7時半前に食事を終えると拝観受付に行き、夜間限定の御朱印を購入し、入山。

夜間特別拝観限定の「光る御朱印」。御朱印もここまで進化したかと驚きました。

「光る御朱印」の名のとおり、暗いところで見ると蓄光インクで印刷されたねね様のイラストと豊臣家の家紋の菊桐紋、高台寺の寺号が浮かび上がります。

高山寺の方丈から見る勅使門のプロジェクションマッピングその1

高山寺の方丈から見る勅使門のプロジェクションマッピングその2

高山寺の方丈から見る勅使門のプロジェクションマッピングその3

臥龍池の水鏡

臥龍池に映る臥龍廊と開山堂

臥龍池と霊屋

 

 高台寺を出ると、続いて塔頭の圓徳院へ。高台院ねねが夫秀吉の死後に移り住んだ屋敷の跡で、彼女はここで生涯を終えています。ねねの死後、彼女の甥である木下利房によって寺とされ、ねねの実家である木下家の菩提寺となりました。私は秀吉があまり好きではないため、今まで訪れたことがなかったのですが、こちらも夜間拝観をやっていて、まだ入れたので、寄ってきました。

受付でいただいた「疫病退散」の御朱印と三面大黒天像

ライトアップされた南庭

南庭から北庭へ行く途中にいる宗旦狐。千利休の孫、宗旦に化けてしばしば茶席に現れたという化け狐で、幕末には相国寺の雲水に化けていたとのこと。死後相国寺に祠が建てられ、宗旦稲荷として祀られています。

 

 圓徳院では秀吉の守り本尊といわれる三面大黒天も祀っているのですが、会わなかったなと思って建物を出たら、出たところに単独の立派なお堂があったので、参拝。その後、時間があれば円山公園まで足を伸ばそうと思っていたのですが、この時点で8時半になろうかという時刻だったので、帰り客で道や交通機関が混む前に切り上げることにし、東山安井バス停からバスで京都駅まで行き、駅構内のホテルに戻り、この日は終了です。

 

 翌日は、「京の冬の旅」の企画で「僧侶が案内する特別拝観 醍醐寺五重塔」の11時の回に申し込んでいたので、8時半過ぎにホテルをチェックアウトしてロッカーに荷物を預けると、京都駅八条口バス停を8時53分に出発するバスに乗り、醍醐寺へと向かいました。

 

 当初、五重塔の特別拝観は2月の最終週に予定していたのですが、仕事で3月第二週に京都に行かなければならなくなったので、遠征を1回にまとめることにしました。そのあと出雲や金沢に行く予定もありましたし。……なのですが、元々は関東にいるはずの週だったので、12日土曜は3時半から日比谷で友人と宝塚を観ることにしていました。その公演に遅刻しないためには3時には品川駅に着いていなければならず、五重塔の拝観が10~15時だったので、朝イチで行くつもりでいたのですが、数日前に「京の冬の旅」のホームページで拝観について確認すると、なんと30分おきに人数を決めての案内で、しかも事前予約制。慌てて申込みフォームのページを開きましたが、時すでに遅し。10時と10時半の回は満員でした。

 

 しかし、以前にも書きましたが、醍醐寺五重塔は私にとって特別な建造物で、この貴重な機会を逃すことはとてもできなかったので、まだ定員に空きがある回で1番早い11時の回に申し込み、宝塚は開演に間に合わなかったら後半のショーから観ることにしました。雪組時代から注目してきたレイコ(月城かなとさん)が月組のトップスターに就任したお披露目公演だったので、初めからちゃんと観たかったのですが。

 

 ということで、五重塔の拝観が終わったらすぐに引き上げて東京に帰れるよう早めに醍醐寺に向かい、9時半には到着すると、まずは同じ「京の冬の旅」の企画で特別公開中の三宝院へ。2年前の特別拝観の時にも訪れましたが、三宝院の御本尊である快慶作の弥勒菩薩像が祀られている本堂は通常非公開エリアで、特別拝観の時にしか入れないので、拝めるときは拝むようにしています。続いて10時に開館する霊宝館の仏像棟へ行き、一番好きな不動明王像である、同じく快慶作の不動明王坐像と対面。

醍醐寺特別公開の看板

醍醐寺三宝院の表書院(国宝)から見る庭園。国の特別名勝特別史跡でもあります。

醍醐寺三宝院の本堂。重要文化財です。ここに快慶作の弥勒菩薩像が安置されています。

 

 霊宝館を後にすると、観音堂と金堂にお参りし、見るべきものは見たので、15分ほど早かったのですが、五重塔の特別拝観の受付に行ってみました。すると、コロナ感染対策でなるべく人が密集しないように主催者から指導されているらしく、僧侶によるガイドも30分に1回ではなく、10人ぐらい集まると順次行われていたので、予定より早く拝観することができました。

醍醐寺五重塔

 

 醍醐寺五重塔京都府下最古の木造建築物で、60代醍醐天皇の冥福を祈るために息子の61代朱雀天皇の時代に建築が始まり、朱雀天皇の弟である62代村上天皇の時代――天暦5年(951)に完成しました。建物と内部の初層壁画が別々に国宝に指定されていて、初層壁画には両界曼荼羅真言八祖像が描かれています。その八祖像の中に空海の肖像もあり、現存する空海の画像としては日本最古といわれているのですが、五重塔は非公開のため、一般人がこの貴重な壁画を見る機会はありませんでした。……なのですが、昨年は弘法大師号下賜1100年という空海のアニバーサリーイヤーだったので、初めて塔の内部が単に開扉という形ではなく中に入れる形で公開されました。けれども、11月27~29日のたった三日間だけだったので、この公開は気づいたときには終わっていました。この事実を知った私がひどく落胆したのは言うまでもありません。なので、今回は1月29日から3月13日の土日のうち6日間が公開日だったのですが、まん延防止等重点措置だろうが何だろうが、公開が中止にならないかぎり絶対に行こうと決めていました。

 

 ガイド役の僧侶の説明を聞きつつ、塔内に設けられた見学スペースで向かって右側にある空海の肖像を見てから塔の周囲をぐるりと回ると、四方に向けて醍醐天皇朱雀天皇村上天皇、そして朱雀・村上両天皇の生母である藤原穏子の位牌が祀られていました。それを見たとたん、目元が熱くなって涙があふれそうになりました。文字の上でだけ知っていた架空の人間に等しき歴史人物が、実在の人物になった瞬間です。

 

 私の好きな藤原時平の妹で、父基経亡き後、基経の跡継ぎである長兄の時平が親代わりとなって醍醐天皇に入内し、皇后となり、女人の栄華を極めた穏子。時平が39歳の若さで亡くなると、今度は自分が早世した兄の子供たちの庇護者となり、その血筋を藤原北家嫡流として守ろうと懸命に努めました。また、醍醐寺五重塔の発願者で、やはり34歳の若さで亡くなった朱雀・村上の異母兄である代明親王の子供たちも庇護しました。五重塔の完成が朱雀天皇の代では叶わず次代まで持ち越し醍醐天皇崩御から20年後となったのは、発願者である代明親王が亡くなったために工事が停滞したからだともいわれています。穏子が何故藤原北家の縁者ではない代明親王の子女たちを庇護したのか、卒論のテーマに選んだほど疑問で解き明かしたい謎でしたが、代明親王が彼女の夫である醍醐天皇冥福のための五重塔創建に力を尽くしたことが無関係ではないと思っています。穏子の実子である朱雀天皇に工事を推進する意志と力があればその在位中に完成したはずなので、できなかったということは、若くして帝位につき病弱だった朱雀天皇にはその器量がなく、亡き親王の遺志を継いで五重塔を完成させたのは穏子だったということでしょう。それゆえ彼女の位牌が三天皇の位牌とともに祀られているのだと思います――千年の長きにわたって。

醍醐寺五重塔その1。塔の内部は撮影禁止でしたが、建物は許可してくれました。

醍醐寺五重塔その2

醍醐寺五重塔その3

三宝院と五重塔の限定御朱印弘法大師諡号下賜1100年慶讃法要の印が押されています。

 

 村上天皇の位牌の前に置かれていた受け皿に一字一願写経を奉納し、一週目は僧侶の説明に従って、二週目は自分のペースで塔の周囲を2度巡り、五重塔を後にしました。そして醍醐寺前バス停に行ったのですが、時刻表を見ると京都駅行きのバスはしばらく来なかったので、歩いて12,3分のところにある醍醐駅に向かい、地下鉄で京都駅へ。東西線から烏丸線への乗り換えの接続もよく、予定より1本早い12時半過ぎの新幹線に乗れたので、3時前には有楽町駅に到着し、開演10分前には劇場に着けました。これにて遠征終了です。

井上芳雄、明日海りお、浦井健治、望海風斗の豪華すぎる競演~帝国劇場「ガイズ&ドールズ」感想

 暑いです・・・6月で36度とは。いやはや、今からこれでは夏本番が思いやられます。

 

 さて、二週連続で帝国劇場で上演中の「ガイズ&ドールズ」を観てきました。この作品は、みりおこと前宝塚花組トップスター明日海りおさんと、だいもんこと前雪組トップスター望海風斗さんが共演する二人の帝劇デビュー公演で、主演はミュージカル界のプリンス、井上芳雄クン。しかも、芳雄クンがもう一人のプリンス、浦井健治クンと「ニ都物語」以来9年ぶりにミュージカルで共演するという見逃しがたい公演でもあります。行かないという選択肢はなく、これは絶対に見そびれるわけにはいかないと思い、ぴあとイープラスでチケットを申し込んだら、どちらも当たったので2回行くことに。今後いつ実現するかわからない豪華キャストだったので、観ておこうと思いました。

 

 2回とも平日のソワレだったのですが、1回目は東急プラザでシャンパーニュを飲みつつ腹ごしらえをして行ったら2分ほど開演に遅れて、席に案内してもらえるまでモニターの前で待機、2回目は腹ごしらえをしていたら間に合わないので幕間に何か食べるつもりでいたら、売店は水分補給のためのペットボトルしか売っていなくて、仕方がないので劇場2階にあるカフェインペリアルへ行き、軽食を摂ることにしました。ところが、こちらも現在はメニューがチョコスコーン&ドリンクセットのみ。菓子みたいなものはあまり食べたくなかったのですが、空腹よりはマシと思い、案内待ちの列に並ぶと、運悪く私の前でちょうど満席となり、席が空くまで10分ほど待たされることに。コーヒーはなんとか飲み終わりましたが、スコーンは全部食べ切れず、コーヒースプーンとともに持ち帰りました。

「帝国劇場」の文字入りスプーン。コーヒーや紅茶などのホットドリンクを選ぶと付いてきて、持って帰ることができます。昔トロイで買ってきたスプーンが最近折れて使えなくなったので、代わりにちょうどよいと思いました。写真でスプーンの上に写っているのが、その残骸なのですが、見たくて見たくてトルコまで見に行ったトロイの木馬なので、捨てるに捨てられないでいます(笑)

 

 演目の「ガイズ&ドールズ」は1950年初演のブロードウェイミュージカルで、宝塚でも何度か上演されていますが、映像でしか観たことがなく、生で舞台を見るのは今回が初めて。で、1回目を観たときは、ストーリーがあまりにお粗末なので、「こんな内容だったっけ? 出演者の質は高いけど、作品としてはつまらん。みりおとだいもんの無駄遣い」と思いました。宝塚バージョンに対してはそれほど悪い印象がなかったので、何故なのか考えたら、宝塚はギャンブラーたちが総じてカッコよかったからだという結論に至りました。スーツ姿の男役のビジュアルが目で楽しめたので、作品の印象も悪くなかったのだろうと……。そう思い至ると、同時に、物語が薄っぺらい話だからこそ、余計に演者の高いパフォーマンスが必要で、それがないと成り立たない、役者の技量が求められる難しい作品だとも思いました。

 

 ということで、ストーリーがくだらない上にビジュアルが宝塚より劣ることを念頭に置いて観劇した2回目は、演技と歌、演出に集中できたので、それなりに楽しめました。内容がないストーリーではありますが、それゆえ単純でわかりやすくテンポよく進んでいくので、改めて誰もが小難しいことを考えず気楽に楽しめる作品だとわかりました。以前芳雄クンと浦井クンが共演したディケンズ原作の「二都物語」を私も観たのですが、あれはヒロインがすみれさんだったこともあり、ミュージカルとしての出来は正直微妙でした。それに比べれば、間違いなく「ガイズ&ドールズ」のほうが広く一般受けする完成度の高いミュージカル作品だと思いました。見せる側にとっては難しく、見る側は気楽に見られる、そんなある意味奥が深い作品だからこそ70年も残ってきたのでしょう。

 

 スカイ・マスタースン役の芳雄クンとネイサン・デトロイド役の浦井クンはさすがで、安定のパフォーマンスでした。芳雄クンを生で観るのは「エリザベート」のトート役以来、浦井クンを生で観るのは「王家の紋章」のメンフィス役以来です。今回の浦井クンは歌だけでなく芝居もよかったです。婚約者のアデレイドやギャンブラー仲間を口先で言いくるめる役なので、かなり早口でセリフ量も断トツに多いのですが、滑舌の良さが絶品でした。芝居がかった口ぶりの「アーデレイド!」の呼びかけは、そのひと言に家庭に縛られたくない身軽でいたいチャラ男でありながらも彼なりに真剣に婚約者を愛しているネイサンという人物のキャラクターがとてもよく現れていました。しかし、なんといっても一番の見所は、主役の芳雄スカイが「幸運の女神よ」を歌う場面。抑揚のつけ方なんか鳥肌が立ちましたね。歌の強弱で場の緊張感を高めることができるなんて、井上芳雄ならではだと思います。芳雄クンと浦井クンは元男役トップスターのみりおやだいもんよりも背が高いので、それもよかったと思います。

 

 他には、ナイスリー・ナイスリー・ジョンソン役の田代万里生さんが出色でした。他のギャンブラー役は役名はあってもモブ感が大きいのですが、彼だけはどの場面でも輝いていて目を引き、歌と振付のノリというか、聴かせるところ見せるところのバランスがよくて、一番ブロードウェイミュージカルスターに近い雰囲気を漂わせていました。この人も浦井クンと同じく「エリザベート」のルドルフ役で初めて観て、その時から注目してきましたが、いいミュージカル俳優になりました。芳雄クンと同じ芸大出身の万里生クン。最初の頃はオペラ歌手がミュージカルに客演という感じでしたが。

 

 浦井ネイサンの婚約者であるアデレイド役のだいもんについては、宝塚の「ファントム」や「fff」で聴かせてくれた私の好きなだいもんの歌は聴けませんでしたが、男役の時には想像もしなかった新しい歌い方や芝居を見せてくれて、本当に芸達者だなと思いました。ショービジネス界で活躍するスター性のあるアクの強い女であり、それゆえいかにも学のなさそうな、親に見栄を張って現実とはかけ離れたウソの手紙を書いてしまう考えなしで憎めないコケティッシュな可愛い女であり、長い婚約期間にストレスをためる疲れ切った年増女でもあるアデレイド。アデレイドが持つこれらの一面をだいもんはきっちりと表現してくれました。上手すぎて、これが帝劇デビュー作品なのに、もはや常連出演者みたいで、新鮮味はないなと思うぐらいに……。もともと宝塚時代から芝居には定評があった人です。女優としてもいろいろな役への可能性が感じられ、これからもっともっと引出しを開けて見せてほしいと思いました。

 

 芳雄スカイの相手役で本作のヒロインにあたるサラ・ブラウン役のみりおは高音が苦しくて、井上、浦井、望海の歌のレベルが高いだけに、歌の弱さが目立ち、気になりました。特に、芳雄クンとのデュエットが苦しかったですね。だいもんとのデュエットはまだよかったので、苦手な高音を無理に出そうとしているのがよくないような気がしました。男性と女性の声は違うので、女性同士が歌う宝塚の男役と娘役のデュエットは明らかにキーの高さを変えなければきれいにハモれませんが、異性のデュエットではその必要はなく、みりおもアルトの声のままでいいのではないかと思いました。

 

 ただ、みりおの凄さは、やはり際立って華があることです。だいもん演じるアデレイドはショーガールなので、衣装をとっかえひっかえする上に、どれもこれもがキラキラコテコテの衣装ですが、みりおが演じるサラはシスターなので、芳雄スカイにハバナに連れていかれるとき以外は伝道師の制服。それでも、派手なだいもんの存在感に負けないところが、みりおの凄さだと思いました。舞台において華やかな存在感と清らかさを共存させる器量は、花ちゃん(花總まりさん)に通じるような気がします。宝塚のトップスターだった女優のすべてが持っているものでも、持てるものでもありません。それゆえいまだに花總まりは重宝されているのでしょう。

 

 歌の技量も、輝かしい実績から生まれる自信とその自信に支えられた舞台上の存在感も群を抜いている芳雄スカイと、ミュージカル界の第一人者である井上芳雄に近しい実力と実績を誇る浦井ネイサン、そして、宝塚トップスター時代は5組の中でも随一の存在でトップ・オブ・トップといって差し支えなかった望海アデレイドと向こうを張ることのできる、彼らに交ざって舞台で埋もれない、かつ魅力的だと思えるサラ・ブラウンを演じられるのはみりおか、ちゃぴ(愛希れいかさん)ぐらいではないでしょうか。力量的にはちゃぴがサラ役でも全然問題はないと思いますが、彼女は芳雄クンと「エリザベート」で組んでいるので、ちゃぴ&芳雄の主演コンビで他の作品を演じられたら混乱するとか、受け入れられないという人もいるかもしれません。なので、歌に多少難はありましたが、サラ役はみりおで正解だったと思います。

 

 今回は演出も変わっているらしく、全体を通して盆の使い方が巧みで、ハバナで乗った飛行機のタラップが、盆が回って一周すると、帰ってきたニューヨークの地下鉄の階段に変わっていたりするなど、場所だけでなく時間の経過を見せるのも上手いなと思いました。場面転換が流れるようでした。

 

 この公演は出演者にコロナ陽性者が出て、21日と22日の3公演が中止となりました。幸い私は該当しませんでしたが、私のヅカ友はちょうど当たってしまい、観られませんでした。本公演のチケットの売れ行きはチェックしていないので詳しくは知りませんが、公演期間が1か月と短く、私が観た日は見える範囲に空席はなく、補助席まで売り出されていたので、改めてチケットを取り直すのは難しいと思います。そんな人気作品を2回観られてラッキーでしたが、これで運を使い果たしたのか、花組月組の東京公演のチケットが取れず……観たい公演が1回ずつ観られるといいのですが、うまくいかないものです。

 

※6月28日追記

 「ガイズ&ドールズ」の帝劇公演は、再び関係者にコロナウィルス陽性反応者が確認され、21、22日に続いて、26日から6日までの休演も決まりました。公演は7月9日までなので、2回観られたのはかなりラッキーだったと思います。それと同時に、今の時期につつがなく公演を行うことは本当に難しいのだと思いました。

参戦! 30thラニバ~ラルク・アン・シエル30周年記念ライブ in東京ドーム感想

 本日のBGMはラルク・アン・シエルのアルバム――「KISS」です。このアルバムで一番好きな「SEVENTH HEAVEN」をライブで聴いたので、久しぶりに聴きたくなりました。他には「砂時計」「ALONE EN LA VIDA」「海辺」などは好きなのですが、あとはすっ飛ばすという、好きな曲の比率が低いアルバムなので、めったに聴きません。「REAL」とか「Tierra」とか「HEART」とか「ray」とか、個人的にもっと完成度が高いと思え、聴きたいアルバムはたくさんあるので。

 

 さて、先月30thラニバことL'Arc~en~Ciel 30th L'Anniversary LIVEのフィナーレである東京ドーム公演に行ってきました。ひと月前のことで今さら感はありますが、途中まで書きかけていた記事を長野遠征記のついでにようやく書き終えたので、アップしておきます。備忘録なので。

 

 30thラニバは去年常滑公演と幕張公演に参戦しましたが、ツアーに組み込まれている代々木公演とは別に東京公演をやるからにはセットリストが異なる気がしたので、例によって見そびれるのは嫌だと思い土日の両方を申し込んだら、またまた両日当選。1回観られれば十分だったのですが、電子チケットなので気軽に譲ることもできないし、初日と二日目ではとりあえず何曲かは違う曲を演奏してくれるので、二日連チャンで参戦してきました。次のライブは5年後かもしれませんし。

 

 思ったとおり、近年稀に見る神セトリの素晴らしいライブでした。前回のライブ記事で、

「もう一度「White Feathers」が聴きたい~、「All Dead」「ガラス玉」が聴きたい~。でも無理そうだから、せめて「Lies and Truth」「fate」「いばらの涙」「Pieces」「LOVE FLIES」「叙情詩」「星空」あたり、次は是非是非お願いします!」

 と書いたのですが、なんと「Lies and Truth」「fate」「いばらの涙」「叙情詩」「星空」をやってくれました。泣くまでには至りませんでしたが、さすがに涙ぐみました。「ray」収録のお気に入り曲「Sell my Soul」や、初日参戦だった25thラニバでは聴けなかった「瞳の住人」も今回は聴けました。その他、大好きな「HEART」からの曲が多く、「虹」を筆頭に「Lies and Truth」「fate」「Shout at the Devil」、そして「Singin'in the Rain」まで披露してくれました。初日はhydeの声の調子がイマイチだったのですが、選曲の良さで帳消し。二日目は初日よりも調子がよかったので、二日連続で来た甲斐があったと思いました。

 

 ということで、ライブ自体は常滑や幕張よりも満足度が高かったのですが、このライブは直前に座席変更があり、申し込み時はすべてアリーナだったSS席が1階スタンドまで広がり、アリーナが増えたせいで、当然のことながら1階スタンドだったS席は2階スタンドまで広がり、アリーナだからSS席を申し込んだのに1階スタンド、1階スタンドだからS席を申し込んだのに2階スタンドという観客が発生することになり、ネット上で炎上し、ヤフーニュースにも取り上げられました

 

 私も影響を受けた一人で、両日ともS席を申し込み、初日は1階スタンドの無人の最後列の手前、二日目は2階スタンドの最前列でした。2階の席は最前列かつ、ほぼほぼセンターだったので視界は悪くなく、ステージまでは遠かったのですが、距離的には1階の後列でも変わらないので、予期せず2階にはなりましたが、座ったときには悪くない気がしました。初日に参加し、バックステージに移動しての演奏があることも知っていましたし。ところが、なんと東京ドームの2階スタンドの最前列は立てない席でした。ラルクのライブで立ち上がれないなんて、「SEVENTH HEAVEN」を生で聴きながら踊れないなんて、なんの拷問かと思いました。観客がやるウェーブも座ったまま手を挙げるしかないので、まったく参加した形になっていなかったと思います。コロナ対策でマスク着用、声出しNGなので、約3時間座ったまま無言……感染対策は徹底していましたが、収容人数制限がなくなって左右の席にも人が座っているので体を揺らすこともできず、かろうじて足でリズムを取りながら、ひたすら手拍子と拍手をくり返し……それでも参戦できてよかったです。

 

 ラルクさん、今回も有意義な時間をありがとうございました。座席変更騒動のSNS炎上など、昔だったらあり得ない、考えられないことが起こる時代ですが、それも世代をまたいで長く第一線で活動をしているからこそ経験できることで、勲章みたいなものです。またライブ開催をお待ちしています。35th前にあるといいのですが。

東京ドーム公演初日の記念チケット画像

東京ドーム公演二日目の記念チケット画像

S席チケットに付いていたメモリアルグッズ。ツアーとは違うもので、また初日と二日目で色を変えているところに、ラルクさんの気遣いを感じまし。

 

 
2022.5.21 セットリスト
 
1. ミライ/2. READY STEADY GO/3. New World/4. SEVENTH HEAVEN/5. Lieds and Truth/6. 抒情詩/7. X X X/8. fate/9. finale/10.  MY HEART DRAWS A DREAM/11. Driver's High/12. Pretty girl/13. STAY AWAY/14. HONEY/15. いばらの涙/16. Shout at the Devil

アンコール
1. Sell my Soul/2. LOST HEAVEN/3. 星空/4. FOREVER/5.予感/6. Blurry Eyes/7. GOOD LUCK MY WAY/8. 虹
 
2021.10.22 セットリスト
 
1. ミライ/2. READY STEADY GO/3. New World/4. SEVENTH HEAVEN/5. Lieds and Truth/6. 瞳の住人/7. X X X/8. fate/9. finale/10.  MY HEART DRAWS A DREAM/11. Driver's High/12. Pretty girl/13. STAY AWAY/14. HONEY/15. いばらの涙/16. Shout at the Devil

アンコール
1. Singin'in the Rain/2. LOST HEAVEN/3. 星空/4. FOREVER/5.予感/6. Blurry Eyes/7. GOOD LUCK MY WAY/8. 虹


長野寺社遠征 その2~善光寺、健御名方富命彦神別神社、武井神社、湯福神社、妻科神社(付・浅草神社)

 先日仕事で浅草に行く用があったので、帰りに久しぶりに浅草神社にお参りし、授与所を覗いたら、見たことがない御守りがありました。今まで何度も来ているのですが。

浅草神社」の社名が入っている御守りの背中。その正体は……

 

 おみくじ付きの「はにわ御守り」というもので、浅草神社と埴輪の関係はわかりませんでしたが、埴輪スキーなので迷わず買いました。あとで調べたら、浅草神社の祭神である土師真中知命の祖先が、埴輪を考案し皇室の葬喪儀礼時に利用したとされていることから作られたみたいです。

浅草神社のはにわ御守り。だいたい善光寺の幸せ牛守と同じぐらいの背丈です。ちなみに、前回記事のアルクマだるまと一緒に移っている写真では大きさの差があって牛守が小さくてわかりにくかったのですが、耳に五色の紐でくっつけているのは御開帳の時に立てられる回向柱です。実物と違って木ではなく金属製ですが。

はにわ御守りのおみくじは中吉でした。

 

 さて、長野遠征の二日目は、朝9時までに善光寺に行ける時間に起きられたら御朱印をいただきに行こうと思い、起きたら6時半だったので、再び善光寺を訪れました。

 

 8時過ぎにホテルをチェックアウトし、フロントで荷物を預かってもらうと、駅前のバス乗り場へ。善光寺方面行きは駅ビルから一番遠い1番乗り場なのですが、すでにビルの出入り口付近まで列ができていたので、徒歩で行くことにしました。駅から歩いても30分はかからないため、9時前には余裕で着けそうだったので。行きは時間が惜しいので歩いたことはなかったのですが、時間に余裕がある帰りはよく駅まで歩きました。バスの時間が合わないと、所要時間は大して変わらないので。

 

 8時40分過ぎに大門に着きましたが、もうすでに門前からすごい人出で、「いったい何時起きで来ているんだ? みな長野泊なのか?」と不思議に思いました。内陣参拝は翌日でも参拝券が使えると券売所のスタッフに言われたので、まずは本堂に行ってみたのですが105分待ちで、記帳の御朱印授与所も105分待ちでした。当初土曜は武水別神社か上田城にでも行こうと思っていましたが、この日の長野の天気は午後から雨で、所によっては雷という予報だったので、千曲市上田市に行くのはあきらめ、天気が崩れる前に引き上げることに決定。御朱印をいただいたあと、時間が許すかぎり長野市内の神社巡りをすることにして列に並び、3時過ぎの新幹線をスマホで手配したり、善光寺周辺の神社の情報を調べたり、ルートを検討したりしていました。

御朱印待ちの列に並んでいるあいだに撮った本堂。今回地面を入れて撮った善光寺の写真で、唯一人が外せた一枚。

 

 1時間以上の御朱印待ちは醍醐寺観音堂興福寺の南円堂で経験し、待ち時間の過ごし方は心得ていたので、神社巡りの情報収集を終えると、次は前日撮った写真の整理と補正を始め、そんなことをしていたら順番が来たので、感覚的には覚悟していたより早く御朱印をいただくことができました。並ぶのに飽きなかったというだけで、時間は確実に経っていて、10時半を過ぎていましたが。100分以上立ちっぱなしだったことを自覚したとたん、足の疲れを感じたので、神社巡りを始める前にひと休みすることに。このあとは善光寺を後にして、県立美術館の先にある健御名方富命彦神別神社に行くことにしていたので、とりあえず山門を出て左に曲がり東に向かおうとしたところ、門前にある「門前そば ももとせ」が開店していることに気づきました。長野に来たからには蕎麦も食べたかったので、混む前に食べようと思い、立ち寄ると、朝食にも昼食にも中途半端な時間帯でしたが、もうすでに混んでいて、2階の小上がりなら空いているとのこと。小上がりでも座敷でもカウンターでも何でもよかったので案内してもらい、とろろ蕎麦を食べました。

「門前そば ももとせ」のとろろそば

 

 食事後、店を出て10分ほど歩くと、健御名方富命彦神別神社に到着。平安時代に編纂された『延喜式』に掲載されている健御名方富命彦神別神社は式内社の中でも社格が高い名神大社ですが、はっきりとした所在地や後継社が不明で、候補の論社が三つあり、そのうちの一つになります。他二つは信州新町飯山市にあります。名神大社ではありますが、今は無人の、鳥居と拝殿を繋ぐ参道以外は草ぼうぼうの境内で、由緒書きの説明板も見当たらなかったため、詳細は不明。……なのですが、社名から導けば、祭神は健御名方富命彦神別神のはずです。「健御名方富命」は健御名方=タケミナカタで、オホナムチの子でソサノヲの孫。出雲の国を譲るように高天原からやってきたタケミカヅチに抵抗して挑みましたが、負けてシナノに逃れ、シナノスワ=信濃諏訪に鎮座したので、ついた神名はスワノカミ=諏訪の神という、信濃一宮の諏訪大社の祭神です。「健御名方富命彦神別神」は、ネットで調べた情報によると、健御名方富命と八坂刀売命の子とあり、『諸系譜』では健志名乃命と妻科姫命の子である武水別神の別名とされているとのこと。神名にある「彦」は息子、「神別」は子孫を意味するので、健御名方富命ことタケミナカタの息子か子孫ではある可能性は高いと思います。

健御名方富命彦神別神社の社号標。草ぼうぼうで近寄れませんでした。

健御名方富命彦神別神社の鳥居。扁額が有栖川宮幟仁親王和宮の婚約者だった熾仁親王の父)の書だったので、境内を見るととても名神大社とは思えませんでしたが、社格が高いことは偲ばれました。

拝殿

本殿

境内社の木匠祖神社。鳥居の下にかすかに見えているのが本殿。本殿は流造でしたが、こちらは神明造。

木匠祖神社の社殿の後ろにあった石碑。文面によれば、祭神は手置帆負命と彦狭智命とのこと。

境内社の千幡社。祭神は不明。

千幡社と木匠祖神社の位置関係。木匠祖神社は本殿に向かって左にあり、本殿と同じく南向きでしたが、千幡社は東向きで、善光寺を背にしています。祭神はわかりませんが、参道に向かっているので、本殿祭神の見張り役だと思います。

 

 健御名方富命彦神別神社は無人でしたが、善光寺での長い御朱印待ちのあいだにスマホで情報収集し、御朱印は武井神社でいただけることがわかっていたので、次に武井神社へと向かいました。歩いて15分ほどで到着し、参拝後、御守り授与所で健御名方富命彦神別神社と武井神社の御朱印をいただきました。境内に立っていた説明板に書かれていた由緒によると、当社の祭神は健御名方神の和魂だそうです。

武井神社の鳥居

境内にあった由緒書きの説明板

 

 武井神社を後にすると、忠霊殿の先、善光寺の北西にある湯福神社へと向かいました。大門から仲見世を通ると、いっそう人が多くなっていて、もはや善光寺に用もないのに激混みの表参道を歩くのは苦痛だったので、駒返し橋の手前で左にそれて大勧進の裏手を通っていったのですが、そちらはそちらで、駐車場に入れず動けない車で大混雑でした。渋滞の中にはツアーバスはもちろん、チャーターして社員旅行で来たみたいな大型バスも交ざっていて、日帰りか泊りかは知るすべもありませんでしたが、スケジュールどおりに旅程をこなせるのだろうかと他人事ながら心配になり、幹事とか行き先を善光寺に決めた人はきっと文句を言われるだろうなと思いました。駐車場の入口横に土産物屋があり、自販機の脇にベンチが設置されていたのでひと休みし、御開帳特別デザインのリンゴの缶ジュースを買って飲み終わると再び歩きはじめて、武井神社から30分ほどで湯福神社に到着。

湯福神社の鳥居

境内にあった由緒書き

拝殿。手前にある2本のケヤキは、明らかに古い形の鳥居です。

 

 湯福神社の現祭神は健御名方命の荒魂。こちらも無人でしたが、拝殿の柱に御朱印や授与品希望の場合の連絡先が書かれた紙が貼ってあったので、お参りを終えると電話で連絡を入れ、電話番号と一緒にあった地図を記憶し、湯福神社の宮司を兼ねる弥栄神社宮司さん宅に取りに伺いました。御朱印待ちのあいだの調べで、湯福神社と妻科神社の宮司も一緒であることはわかっていたので、二社の御朱印をいただきました。妻科神社はまだお参りをしていなかったのですが、県庁の近くなので、そちらに行ったあとに、また大勧進の向かいにある弥栄神社まで戻ってくるのは効率が悪かったので。弥栄神社から大本願の裏手を通る道を南に進み、国道406号に突き当たって右に曲がり、若松町交差点で左に曲がり、ひまわり公園の前を通って、30分ほどで妻科神社に到着。

 

 妻科神社は式内社で、宮司さん宅でいただいた由緒書きによると、現祭神は八坂刀売命――健御名方富命の妻です。しかし「古くは御長女の妻科姫命も祀られていました」と書かれているので、八坂刀売命の前は妻科姫命が祭神だったのだと思います。

妻科神社と神奈備山っぽい山

妻科神社の鳥居。拝殿までの参道が直線ではなく微妙にずれていて、しかもそれがほんの僅かな角度であることが実に意味深でした。参道を直線に作らないのは祭神が鳥居の外に出られないようにするためで、つまりそこにある社が神を封じ込めるためのものであることが多く、ということは、この参道が作られたときに祀られた祭神は祟ると畏れられた神だったと考えてほぼ間違いありません。この地で非業の死を遂げた神、後から来た神に追いやられた神などです。

拝殿前のケヤキ。本殿に向かって左の木は折れていましたが、湯福神社と同じく昔の鳥居です。

本殿

拝殿の脇にある「右大臣」という名札が付いた御神木のケヤキ。この木を避けて拝殿が作られているように思えました。神籬かもしれません。

 

 長野県の旧国名である「信濃」は、諸国郡郷名著好字令が発せられた和銅6年(713)より前は「科野」と書いたので、科=シナの野という意味であることがわかります。シナとは、一説によれば段差のことで、高低差がある土地を表す言葉のようです。『ホツマツタヱ』には、ハニシナ=埴科、ハエシナ=波閉科、サラシナ=更科、ツマシナ=妻科というヨシナアガタノヌシ=四科県主が登場します。そして、ハニシナはアマテル=天照の胞衣を祀り、ハエシナ、サラシナ、ツマシナはアマテルの孫であるニニキネ=瓊々杵の三つ子の胞衣を祀ったと書かれています。

 

 式内社で、長野県と岐阜県にまたがる恵那山の山頂に奥宮がある恵奈神社は、『ホツマ』によれば、オオヤマスミ=大山住がアマテルの胞衣をエナガタケ=胞衣が嶽=恵那が嶽に納め、それをハニシナに祀らせたのが元々の起源です。なので、同じく式内社である波閉科神社も佐良志奈神社も妻科神社もハエシナ、サラシナ、ツマシナが三つ子の胞衣をそれぞれ祀ったのが元々の起源なのだと思います。コノハナサクヤヒメが生んだニニキネの三つ子はホノアカリ、ホノススミ、ヒコホオデミの順で生まれたので、ハエシナがホノアカリの胞衣を、サラシナがホノススミの胞衣を、ツマシナがヒコホオデミの胞衣を祀ったと思われます。タケミナカタの娘とされる妻科姫は、ツマシナが胞衣を祀った土地に関係が深かったため、「妻科」という名を与えられたのでしょう。その土地で生まれたか暮らしたか、あるいは亡くなったか葬られたのだと思います。そして死後ツマシナゆかりの妻科神社に祀られ、新たに祭神とされたのでしょう。つまり妻科神社の祭神は、ニニキネの息子(おそらくヒコホオデミ)の胞衣(御神体)→ツマシナ(最初に胞衣を祀った祭主)→妻科姫(タケミナカタの娘)→八坂刀売(タケミナカタの妻)という形で変遷したと考えられます。

 

 ところで、武井神社、湯福神社、妻科神社は善行寺三鎮守で、この三社と健御名方富命彦神別神社を合わせた四社が持ち回りで寅年と申年に御柱祭を執り行っているそうです。そして、この四社は、ほぼ善光寺の北東、南東、北西、南西に、つまり善光寺を囲むように位置しています。ということは、意図的にこの四社には善光寺を守護する役目が与えられたということでしょう。いずれの鳥居も神仏習合の神社に多い両部鳥居が建っていましたし。おそらくその時に、各社の元々の祭神がタケミナカタとその縁者に替えられたのだと思います――信濃で一番力のある国神の加護を得るために。

 

 善光寺が創建されると、その北西には当寺の開祖である本多善光の墳墓が築かれて聖地とされていましたが、そこに湯福神社を建ててタケミナカタの荒魂が祀られ、当社と善光寺を挟んで対角線上に位置する南東の地には武井神社を建てて和魂が祀られ、もともと善光寺の南西の地に存在し、神代からの聖地である妻科神社には、その社名からタケミナカタの妻である八坂刀売が祀られ、当社と善光寺を挟んで対角線上に位置する北東の地にはタケミナカタの長子である彦神別神が祀られたのだと思われます。したがって、健御名方富命彦神別神社の本社は信州新町か飯山のどちらかで、そこから善光寺如来を守らせるために勧請されたのではないかと思います。

 

 善光寺北東の健御名方富命彦神別神社は、ウィキペディアの情報などによると、明治11年(1878)までは善光寺境内にあって、「年神堂八幡宮」と称したとのこと。延文元年(1356)成立の『諏方大明神画詞』では「年神堂が諏訪大社の分座であり持統天皇5年(692)に記載のある水内神である」としていて、また、江戸時代末期の『芋井三宝記』には「年神堂八幡宮は、風祭等の存在からして御年神でなく健御名方富命彦神別神社であり、当地に善光寺如来が来たため仏式になって神名を失い、八幡宮とも誤り称されるようになった」と記しているそうです。ということは、おそらく善光寺が建てられた場所はもともと聖地であり、御名方富命か彦神別神、またはその子孫か、誰のゆかりかはわかりませんが、タケミナカタの末裔である諏訪氏の聖地を選んで建てられたのだと思います。高野山は高野御子神の聖地に立てられ、滋賀の長命寺武内宿禰の聖跡に建立された寺なので、寺院の建立にあたって神々ゆかりの聖地を選ぶことはよくあることだったのでしょう。善光寺如来がやってきたので、健御名方富命は如来の守護神として境内に祀られて年神堂八幡宮となり、彦神別神は北東の地に祀られて健御名方富命彦神別神社となり、明治の世になり年神堂八幡宮の祭神である健御名方富命が境内から北東の地に遷されると、健御名方富命彦神別神社は健御名方富命彦神別神の社でありながら、彦神別神ではなく健御名方富命が主祭神とされ、今に至っているのかもしれません。

善光寺と善行寺三鎮守および健御名方富命彦神別神社の位置関係。駅の観光案内所でもらった地図で、ピンクのマーカーで社名が囲まれているところが四社です。

 

 妻科神社の参拝を終えて、最寄りの議員会館前バス停から中心市街地循環バスの「ぐるりん号」で長野駅に戻ると、時刻はちょうど1時で、次は長野電鉄で本郷駅まで行って式内社の美和神社に行くつもりでしたが、12時57分に電車が出たばかりで、次発は1時30分だったので、とりあえず駅構内にあるスタバでコーヒーを飲むことにしました。ここで30分のロスは大きく、コーヒーを飲みながらスマホアクセス時間を調べたところ、次の電車で行くとなると、帰りの電車も30分に1本なので、3時までに長野駅に戻ってくるのが難しいと判明。天気は変わらず2~3時には雨が降り出す予報だったので、美和神社は断念し、ランチを食べて帰ることにしました。駅や周辺の人の多さを見て、駅ビル内の店は混んでいる気がしたので、ホテルの1階にあった信州の食材を使った和食レストランに行くことにし、ネットでランチタイムを確認すると2時までで、ならばオーダーストップは1時半ではないかと思ったので、御朱印待ちのあいだに予約した3時41分発の新幹線のeチケットを変更して1時間ほど早めると、急いでコーヒーを飲み終えてホテルへと向かいました。

 

 着いたのが1時20分過ぎだったからか、店内の客も引いていく頃合いで、混んでいてもカウンターなら座れるだろうと思っていたのですが、ちょうど空いた四人席のテーブルに案内してもらえ、この分だとそれほど時間もかからず料理も出てきそうだったので、刺身と牛フィレミニステーキがメインの「志もだ定食」を注文。グラスの白ワインも頼んで飲みながら食事をし、閉店ギリギリまで粘って席を立ち会計を済ませると、ホテルのロビーに続いている出口から出て、フロントに寄って預けた荷物を引き取り、再び長野駅へ。2時25分発のはくたかに乗り、これにて今回の遠征は終了です。

「茶寮 志もだ」の「志もだ定食」。とにかく今回の旅は和牛が美味しかったです。

長野寺社遠征 その1~善光寺

 久しぶりの遠征記です。あまりに更新がないので、友人から「無事に生きているのか?」などというメールも来ましたが、相変わらず忙しく、特に変わりなく生きています。

 

 さて、先週末は善光寺に行ってきました。昔はよくお参りをしたお気に入りの寺なので、そろそろ光雲の仁王像が見たい、お戒壇巡りがしたいと思っていたのですが、思っているうちにあっという間にけっこうな年月が経ってしまいました。今年は7年ぶりの御開帳で、コロナ感染対策の外出制限もなくなったので、行くしかないだろうと思い、約9年ぶりに足を運びました。

 

 1月に彦根に行ったあと、2月は動けませんでしたが、3月は二週連続遠征で京都と出雲、4月は愛宕神社春日大社、5月は福岡&高千穂に行き、合間に花見や宝塚観劇、ラニバin東京ドーム参戦など、例のごとくバダバタしていたら、気が付けば6月。4月3日からの御開帳も今月29日までなので、参拝に向けて御開帳に関する情報収集を始めたら、善光寺のホームページに混雑情報があり、土日はとんでもない混み方をしていたので、なんとか平日に行けないかと仕事を調整し、休める金曜が10日ぐらいだったので、慌ててホテルを手配。善光寺なら日帰りで行けるのですが、せっかく長野まで出向くのなら穂高神社にも行きたいと思い、一泊二日にしました。……なのですが、土曜の天気は雨の予報で、二日前になっても変わらなかったので、松本まで足を延ばすのは断念。信濃四宮で名神大社の武水別神社か上田城、または曇りの予報の高崎で途中下車して上野一宮の貫前神社にでも行くことにしました。雨の日に上高地に行っても楽しくないので。

 

 ということで、木曜は翌日休みにするため9時ぐらいまで仕事をする羽目になり、金曜の朝はとても早起きできず、オンライン購入後Suicaに登録するeチケットで大宮発11時29分の北陸新幹線に乗車。eチケットは変更できる点は便利なのですが、乗車券が特急券と同区間しか購入できないため、乗車駅から下車駅まで通しで買えず、また気が変わっても途中下車とかできないところが不便といえば不便。なので、ウェブで予約しても、なるべく紙の切符を取ることにしているのですが、今回は窓口に行っている時間がありませんでした。長野駅に12時47分に到着し、昼食は車内でタカラ缶チューハイを飲みながら駅弁を食べたので、駅前のホテルに寄って荷物を預かってもらうと、すぐに善光寺方面行きバス乗り場へ。善光寺大門バス停で下車し、大門から表参道を歩いたのですが、仁王門を過ぎた仲見世から回向柱待ちの列が始まっていて、平日の昼間にもかかわらず大混雑でした。

善光寺本堂と回向柱。回向柱からの紐が前立御本尊に繋がっているので、柱に触れることで如来さまと御縁を結ぶことができます。

撮影スポットからの本堂

 

 まずは拝観券がないと何も見られないので、本堂脇東向拝近くに臨時設営されている券売所の列に20分ほど並び、内陣、山門、経蔵、忠霊殿が拝観できる参拝共通券を購入。券売所のスタッフに内陣は1時間半待ちと言われたので、券売所前の仮設授与品所で御開帳限定の幸せ牛守を買うと、とりあえず並ぶ必要のない、券がなくても入れる外陣から参拝しました。とはいえ、外陣からではお参りはできても、御開帳されている前立御本尊はまったく見えないので、お姿を見たければ内陣参拝をしなければならないのですが、参拝待ちの列の最後尾を目指して東向拝から本堂の後ろをぐるりとまわり、西向拝まで来てもさらにジグザグを作っている列を見たら、すっかり並ぶ気が失せました。気温27度で、日傘がないときつい陽射しの上に、湿度も高く蒸し暑かったので。

 

 夕方になれば日帰り客が減っていくらかマシになるかと思い、内陣参拝とお戒壇巡りは後回しにし、御朱印授与所に向かいましたが、こちらも1時間半待ちの行列。ため息をつきつつも、ここに至って、持ってきた朱印帳をホテルに預けたバッグに入れっぱなしだったことに気づき、そのときちょうど最後尾の札を持つ隣の列の係員に、書き置きならこちらの団体用授与所で20分ほどの待ち時間だと教えられたので、そちらの短い列に並び直し、もともと購入するつもりでいた紙札の御開帳限定特別御朱印をいただきました。

御開帳限定の特別御朱印

 

 その後「さて、どういう順で巡ろうか」と悩んでいると、15時からの法要についての案内アナウンスがあり、法要に参加すれば、並ばずに前立御本尊を近くから見られるとのこと。別途祈願料が必要ですが、この状況では渡りに船のような気がしたので、申し込むことにしました。受付は30分前までで、集合時間まで40分ほどあったため、申し込みを終えると、比較的待ち時間の少ない経蔵へと向かいました。こちらは三人ほどが待っていただけだったので、すぐに輪蔵を回すことができました。輪蔵を回すと、中に納められている一切経をすべて読んだのと同じ功徳が得られるといわれています。

経蔵の前にある輪廻塔。円盤状の石に六字名号が刻まれているので、回すと「南無阿弥陀仏」を唱えたことになります。

 

 経蔵を出ると、本堂横の指示された集合場所へ。集合時間の2時45分になると点呼があり、西向拝から内々陣へと案内されました。御本尊の瑠璃壇の前に座り、参加者全員の祈願が終わると瑠璃壇前の戸帳が一瞬上げられるので、最前列の中央付近など座る場所がよければ内側を見ることができます。残念ながら私は見えませんでしたが、善光寺の御本尊は絶対秘仏なので、見えたとしても御本尊の御厨子だと思います。その隣に、御開帳の期間は前立御本尊が祀られています。本当に目の前まで行けて、内陣参拝とは比較にならない近さで拝むことができました。内々陣を出るときに渡された封筒に入っていた御札は御開帳特別仕様で、諸難消除の御守と御開帳限定の五色の散華も一緒に入っていたので、参加してよかったです。

御札と御守と散華。祈願料は1件につき3,000円〜。1件5,000円というところもあるので、今回は奮発して二つ祈願してもらいました。

 

 法要に参加しても入れるのは内々陣だけなので、お戒壇巡りをするためには改めて行列に並ばなければならないのですが、お戒壇巡りは御開帳期間外も可能で、普段は並ばずにできるので、今回はあきらめることにしました。最近は冬に白馬や志賀高原に行くときに寄るぐらいですが、戸隠と東山魁夷の絵が好きなので、昔はよくストレス解消に長野市を訪れたものでした。日帰り圏内なので、思い立ったらすぐに出かけられたので。そして、戸隠五社や東山魁夷館の帰りに善光寺に寄るのが常でした。なので、お戒壇巡りも何度か経験したことがあるため、1時間半も並んですることもないだろうと思いました。それに、法要のスタッフも言っていましたが、お戒壇巡りは御本尊の下にある錠前に触れて如来さまと縁を結ぶことが目的なので、回向柱を通じて結縁できるときは巡る必要はありませんし。けれども、経験したことがない人は一度はやってみるといいと思います。初めてお戒壇巡りをしたとき、24時間明かりが絶えず暗闇というものが存在しない現代において真の闇が味わえるのは、ここぐらいだと思い、えらく感動しましたから。何故なら、明かりのない世界のこと、闇の怖さ、光の尊さといったものを否応なしに考えさせられたからです。出口の光の眩しさや、それを目にしたときにおぼえる安心感は、実際に体験してこそわかります。

 

 次に、本堂より閉まるのが早いので、大勧進へと向かいました。善光寺は御本尊が日本最古の阿弥陀如来像と伝わり、創建されたのが日本仏教の宗派が分かれる前なので無宗派の寺ですが、天台宗と浄土宗によって管理運営され、天台宗の本坊が大勧進で、浄土宗の本坊が大本願になります。大勧進でも御朱印授与所の前には列ができていたので、境内の出店で手作りのリンゴジュースを1杯買って一気飲みし、ひと息入れてから列に並びました。15~20分ほど待って、大勧進限定の「牛朱印」をいただき、祀られているとは知りませんでしたが、鬼大師の御朱印もあったので、そちらも頂戴しました。そのあとゆっくりと鬼大師こと元三大師良源が祀られている護摩堂に参拝し、お参りを終えて境内を出ようとしたら、赤門近くの授与品所で、今まで見たことがない、これまでおぼえのない強烈なインパクトのダルマを発見。とても素通りできず、無視したら後悔しそうだったので購入しました。ただの奇妙なお土産だったら買わなかったのですが、護摩堂の御本尊――智証大師円珍作と伝わる不動明王像に祈祷済みであることが書かれた紙が背中に貼付された、正真正銘大勧進の授与品だったので、ついつい衝動買いしてしまいました。

大勧進限定の「牛朱印」と鬼大師の御朱印。いずれも牛型の御開帳朱印入り。「牛朱印」は「ごしゅいん」と読みます。

大勧進の授与品所で購入したアルクマだるまと、本堂脇の授与品所で購入した幸せ牛守。「牛に引かれて善光寺参り」という言葉があるように、善光寺と牛は切っても切れない関係がありますが、アルクマは地元長野県のPRキャラクターです。熊本県くまモンみたいなものですね。アルクマはリンゴの被り物を着けた歩く熊なのですが、アルクマだるまは、上にヘタが描かれて赤いダルマがリンゴに見立てられていて、アルクマのリンゴの被り物の代わりになっています。

牛守に入っていたおみくじ。幸せに導く心がけは「剛毅朴訥」だそうで……内容は悪くない中吉でした。

 

 続いて向かった忠霊殿には史料館が併設されていて、そこに展示されている高村光雲作の仁王像が大好きで、久しぶりに見るのを楽しみにしていたのですが、どこにも見あたらなかったので、どうしたのか受付スタッフに訊ねたところ、出張中で、そのスペースが今は特別展示になっていて、御開帳が終われば戻ってくるとのこと。史料館所蔵の仁王像は善光寺仁王門の仁王像の原型として制作されたもので、個人的には運慶・快慶作の仁王像に匹敵する傑作だと思っています。近代の仏像も中世の名像に劣らないと思わせてくれた貴重な作品なので、ここまで来てお目にかかれないのはかなりショックでしたが、仕方がありません。文句を言ってどうにかなるものではありませんから。

光雲の仁王像の代わりに展示されていた作品の一つ、「仁王狛犬」。小松美羽さんという現代アーティストの作品です。

仁王門の阿形。1/4サイズではありますが、この像の全身が柵越しではなく見られるのが、史料館の像なのです。残念!

仁王門の吽形

 

 忠霊殿から本堂の近くに戻ってくると、内陣参拝の列はまだ長蛇でしたが、回向柱待ちの列は短くなっていたので、回向柱に触れて如来さまと結縁。あとは山門登楼が残っていて、こちらは8時まで開いているのでライトアップしてから登るのもいいかと思っていましたが、時計を見ると時刻は4時過ぎで、3時間ほど歩きまわって疲れもピークに達し、暗くなるまでブラブラするのもしんどかったので、日没を待たずに登ることにしました。以前は下から見上げるように鳩字の額を間近で見ることができたりしましたが、今回は通路が決められていて自由に動けなかったので、一周して、さっさと降りてきました。

山門から見る本堂と回向柱

 

 山門を出ると、共通券でできることはお戒壇巡り以外すべて終えたので、長野駅に戻ることにし、バス停を目指して表参道を歩いていたら、左手に、門を入るとギャラリーになっている宿坊を見つけました。どこか見覚えのある気がしたので入ってみると、自宅の玄関に飾っているほおずきの照明飾りを買った店でした。その時は宿坊という認識はなく、ギャラリー風の雑貨屋だと思っていたのですが、実は白蓮坊という宿坊の一角で、当坊の限定御朱印が目的で店に入ってくる人もいました。店内には天然石やトンボ玉のアクセサリーの他、作家作品の万華鏡などが置いてあって、以前もそれに興味を引かれて入店したことを思い出しました。今回も気になる万華鏡をいくつか覗いていると、店のスタッフが声をかけてくれ、ショーケースの中にあった明らかに量産品とは違う作品も出して見せてくれました

「ギャルリ蓮」がある白蓮坊

白蓮坊の限定御朱印。月替わりで、絵が毎月異なるそうです。こちらは6月バージョンで、5月バージョンは仁王像でした。

 

 次々と現れる素敵な映像に驚かされて、しかも万華鏡によってそれぞれ違う美しさを見せてくれるので感嘆の声をもらして喜んでいると、「これも見て、これも見て」と、店頭に出していない一点物の作品も次々と出してくれました。その中に、今まで見たことがないオイルタイプの万華鏡があって、その映像は、美しいのはもちろんですが、繊細で品があり、物語性まで感じられる、まさしく芸術の域に達した作品でした。これは高いだろうと思って値札を見たら、案の定いい値段でしたが、こんな作品には望んでもそうそう出合えるものではない、これぞ一期一会で、善光寺如来が結んだ御縁と思ったので、意を決して購入。万華鏡が好きで、機会があれば作品展を見て、アーティストが作る万華鏡がけっして安いものではないことは知っているので、作品の質からすれば妥当な価格だと納得できましたし、作品を購入することで、こういう素晴らしい物を生み出せる才能のあるクリエイターを微力ながらも応援できたらいいと思いました。

今回買った細井厚子さん作の万華鏡。「月とちょうちんあんこう」という作品名で、作家の手作りだという焼き物の本体に月とあんこうの絵が手描き絵付で施されています。隣は昔買ったほおずきの照明飾り。

ほおずきの照明飾りは、スイッチをを入れると、ライトが仕込まれた本物のほおずきが光ります。これを初めて見たときも驚きで、即買いでした。

 

 人混みと蒸し暑さで、ライトアップがどうでもよくなるぐらい疲れていましたが、アルクマだるまのように愉快な物や、万華鏡のように美しい物に出合えたのも、この日この地に導いてくれた善光寺如来のおかげなので、忙しいなか来た甲斐があったと、バスに乗るときには歩き疲れた足の痛みも軽くなり、すっかり楽しい気分に戻っていました。

 

 長野駅に戻ると、5時半になるところだったので、店が混みはじめる前にと思い、1月の白馬スキーの帰りに寄って気に入った、駅ビル内の食事処「長寿日本一長野県長寿食堂」で夕食を摂ることにしました。前に来たときにはなかったのですが、今回は大好きな和牛のメニューがあったので、そちらを注文。15分ほどかかると言われましたが、あとはもうホテルに行くだけで、出発時刻が決まった電車に乗るわけでもなかったので、のんびりと柚子サワーを飲みながら待つことに。食事後、ホテルにチェックインし、日程終了です。

「長野県長寿食堂」の「信州プレミアム牛ひつまぶし定食」。和牛ならではの美味しさで、肉の量も多く、食べた気になるボリュームだったので、大満足でした。

 

※6月14日追記

 昨日たまたま昔一緒に善光寺詣でをしたことのある友人からメールが来て、御開帳前に善光寺に行って、お戒壇巡りをしたが、以前のように真っ暗ではなく、照明がついていて、ガッカリしたとのこと。確かにそのほうが危なくはないですが……これも時代でしょうか。こんなところにまで配慮が行き届いて至れり尽くせりだと、人間の危機感や注意力もいっそう低下するばかりだと思うのですが。

 

※7月11日追記

 大勧進の限定品で「善光寺御開帳記念 ペヤングやきそば 蕎麦風」という物が売っていて、善光寺の本坊である大勧進がオリジナルペヤングやきそばを作ったことにも驚きましたが、それだけではなく、蕎麦風とか八幡屋礒五郎の七味唐辛子付きとか、信州名物を取り入れているのが実に巧妙で、メチャクチャ気になったのですが、かさばるので現地で買って持って帰るのは断念。ところが、帰ってきてから大勧進のオンラインショップでも購入できることがわかったので、御開帳が終わる直前に注文し、それが先週届いたので、本日食べてみました。蕎麦風だからか麺が黒いのですが、普通にペヤングソースやきそばのクオリティで、斬新なアイデアを実際に形にし、味までちゃんと追求して及第点をクリアした企画力と実行力に心底感服いたしました。お見事。

大勧進限定「善光寺御開帳記念 ペヤングやきそば 蕎麦風」の外観。「ペヤングやきそば」の商品名デザインは見慣れた従来品と同じスタイルを踏襲し、「七年に一度の盛儀」「令和4年4月3日(日)~6月29日(水)御開帳」「善光寺御開帳記念」「蕎麦風」「大勧進限定」の文字を書体を変えてあしらい、回向柱が立つ善光寺本堂の写真、牛の絵、八幡屋礒五郎の七味唐辛子のお馴染みの缶のイラストまで、これでもかとキャッチ―な情報を盛り込んでいます。大したものです。ペヤングが嫌いでなければ、これは買います。