羽生雅の雑多話

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兵庫寺社遠征 その1~生田神社

 記録的な台風19号の襲来で幕を開けた10月の3連休。3連休以上休みがないと泊りがけで出かける気になれないため、気温的にもようやく動きやすくなってきたこの季節、例年ならば何らかの予定を入れているところですが、先月宝塚に行き、来月、再来月には京都に行くつもりなので、たまたま何もなし。不要不急の外出はするなとのことですが、元から家に籠るつもりだったので、スケジュール変更を余儀なくされるような影響はありません。家が被害を受けないことを祈るだけです。

 

 さて、はや1か月前のことになりますが、みりお(明日海りおさん)のサヨナラ公演を観に宝塚まで行ったので、翌日は例によって寺社巡りをしてきました。

 

 急きょ決めた遠征だったので、梅田や三宮のホテルは高いところしか空きがなく、堺筋本町に泊まっていたのですが、その日はマラソンのオリンピック代表が内定するMGCがあったため、チェックアウトタイムギリギリの11時5分前までテレビ中継を見たあと、まずは新大阪駅へ。不要な手荷物を預けようと思ったのですが、予想どおり、やはりその時間ではロッカーの空きがなく、手荷物預かり所も長蛇の列だったので、あきらめて新快速に乗り、三ノ宮で下車。こちらの駅のロッカーも空きがなかったので、独走だった設楽選手も後半へばって、みるみるうちに失速するような暑さの中、重いバッグを持ったまま生田神社へと向かいました。

 

 生田神社は名神大社であり旧官幣中社、『日本書紀』でも縁起が語られるほど重要な神社なので、同じく名神大社であり旧官幣中社長田神社とともに、かなり昔に訪れたことがあるのですが、今年いっぱい御代替記念の限定御朱印を授与しているとのことだったので、久しぶりに足を運びました。

f:id:hanyu_ya:20191013153532j:plain生田神社拝殿。背後は生田の森。

 

 当社の祭神は稚日女尊。『日本書紀』によると、三韓征伐の帰途、神功皇后が乗る船が動かなくなったので神意を占わせたところ、この神が現れて「活田長峡国に居りたい」と言われたので、海上五十狭茅に祀らせたのが神社としての起源です。ちなみに、同じ時に事代主が現れて「長田国に祀るように」と言われて山城根子の娘である長媛に祀らせたのが長田神社です。

 

 稚日女=ワカヒルメ=とは、『ホツマツタヱ』によれば、アマテルの姉にあたるヒルコのこと。ヒルコはイサナギ・イサナミ夫妻の第一子でしたが、父イサナギの厄払いのため三歳になるかならないかという時に形式的に捨てられ、イサナギ左大臣であったカナサキに拾われて育てられました。その後、長男アマテル、次男ツキヨミが生まれたあとに親元に戻ったので、立場上は彼らの妹ということになり、ワカヒルメと呼ばれました。「ワカ」は稚いの意味で、「ヒルメ」は昼の女(娘)――つまり昼子姫ということです。また、ヒルコ=昼子は和歌の達人である養父カナサキに育てられて、長じて和歌の達人となり、和歌姫=ワカヒメとも呼ばれたので、それが転じてワカヒルメになったのかもしれません。和歌の守護神とされる和歌三神は、諸説ありますが、一般的には住吉明神、玉津島明神、柿本人麻呂のことをいい、住吉明神はカナサキ、玉津島明神はワカヒルメのことです。それゆえ当社には住吉神社と人丸神社があり、カナサキを祀る住吉神社は本殿の並びにあるのだと思います。主祭神の養父ですから。ところが、この住吉神社の現祭神は表筒男命中筒男命底筒男命とされています。けれども、本来住吉神といえば、「スミヨロシ」の神名を賜ったカナサキのこと。スミヨロシ=スミヨシ=住吉なので。想像するに、カナサキが三筒男を祀った筑前一宮の住吉神社は当然のことながら三筒男が祭神なので、そちらの影響を受けて、同じ社名ゆえに三筒男が祭神であると伝えられてきたのではないでしょうか。

 

 住吉神社は本殿の向かって右側にあるのですが、住吉神社と本殿のあいだに末社八幡神社があります。祭神は応神天皇。この地にワカヒルメを祀らせた神功皇后の息子なので、その縁で本殿隣に祀られているのだろうと思います。

 

 八幡神社住吉神社の反対側にあたる、本殿の向かって左側には武御名方命を祭神とする諏訪神社大山咋命を祭神とする日吉神社があるのですが、諏訪神=スワノカミことタケミナカタ、日吉神ことヤマクイと当社の関係性はわかりません。とはいえ、正確なところは不明ですが、ヤマクイに関していえば、鳥居を入った右横に同じく大山咋命を祭神とする松尾神社があり、松尾神もヤマクイのことなので、深い関係があるのかもしれません。想像をたくましくすれば、事代主を長田に祀った長媛が山背氏の出なので、稚日女を生田に祀った海上五十狭茅も山城国にゆかりのある人物で、山城国の神を祀った――とも考えられます。

 

 本殿の後ろには鎮守の森である生田の森があり、森の手前には蛭子神社があります。立札によると、祭神は蛭子尊――『ホツマ』によれば、ヒルコを生んだあと再び身籠ったイサナミが流産したヒヨルコのことで、『古事記』で「淡島」と呼ばれている神のことです。この不幸があったためにイサナギの厄落としが必要になり、父親の厄年に生まれたヒルコが捨て子とされました。ということで、ヒヨルコはヒルコの妹か弟なので、ヒルコこと稚日女尊を祭神とする生田神社に祀られていてもおかしくはないのですが、蛭子神社の祭神はヒヨルコではなく、本殿と同じくヒルコだろうと思います。

f:id:hanyu_ya:20191013154001j:plain末社蛭子神社。背後は生田の森。

 

 というのも、蛭子神社は本殿と生田の森のあいだに位置するので、本殿を拝むとおのずと蛭子神社を、さらにはその先にある生田の森を拝むことになります。このことは生田神社の要が生田の森であり、つまり生田の森こそが当社の御神体であることを示している気がします。また、蛭子神社の向かって左側には天手力男命を祭神とする戸隠神社があり、その本社は長野にある戸隠神社で、生田から遠く離れた信州戸隠山に鎮座する神ですが、手力男=タチカラヲで、戸隠=トガクシの神名を賜った彼は、『ホツマ』によれば、ワカヒルメの息子です。それゆえこの位置に祀られていると思われ、この事実が、蛭子神社の祭神がヒルコであることの何よりの証だと思います。

f:id:hanyu_ya:20191013154117j:plain末社戸隠神社とさざれ石。背後は生田の森。

 

 そして、生田の森には生田森坐社があり、祭神は息長足姫命神功皇后)とのこと。はじめに神を祀らせた祭主が神上がったのち、新たな神として元々の祭神と併せて祀られたということでしょう。当社は生田の森のやや東寄りにあり、生田神社本殿を拝むとおのずと蛭子神社を拝むことになるように、本殿右隣の八幡神社を拝むとおのずと生田森坐社を拝むことになります。意図されたことかどうかはわかりませんが。

f:id:hanyu_ya:20191013154223j:plain末社の生田森坐社

 

 境内末社は全部で14社あり、上記の他に、人丸神社と社殿を同じくする雷大臣神社と塞神社、松尾神社と対の位置に大海神社、生田の池に市杵島神社があります。

 

 雷大臣神社の祭神は中臣烏賊津連で、旧社家である後神家の始祖であり、市杵島神社の祭神は市杵島姫命で、池があれば必ず祀られている水の神なので、この二社は問題ないのですが、塞神社と大海神社の祭神は大いに気になりました。

f:id:hanyu_ya:20191013154344j:plain末社の人丸神社、雷大臣神社、塞神社

f:id:hanyu_ya:20191013154502j:plain末社の市杵島神社

 

 塞神社の現祭神は道返大神・八衢比古神・八衢比売神の三柱、そして大海神社の祭神は猿田彦命とされていますが、塞神といえば道祖神で、道祖神といえば猿田彦なので、猿田彦は塞神社の祭神であり、大海神社の祭神は、やはり神功皇后ゆかりの名神大社で、三韓帰りの皇后が暴風雨から助かるために祀って祈願したという起源を持つ海神社と同じ綿津見三神だろうと思います。大海神社の意味は「大海神の社」ですから。

 

 本殿お参り後、目的の限定御朱印をいただき、生田の森を含めて境内をひととおり見終わると、神戸三宮駅に行き、阪神線で西宮へと向かいました。