羽生雅の雑多話

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明智光秀探訪 番外編~展覧会「新・明智光秀論―細川と明智 信長を支えた武将たち」in永青文庫美術館

 2020年の大晦日です。大学4年の時に育った家を離れてから昨年までのウン十年間、年越しは親元か海外のいずれかだったので(といっても、海外で年をまたいだのは1度だけですが……)、今回初めて自宅で新年を迎えることになります。外出もせず、せっかく家にいて、大掃除とまではいきませんでしたが、とりあえず普通に掃除を終えたので、短めの記事をアップすることにしました。11月と12月の遠征記がまだ残っていますが、そちらを書き出すと確実に二年越しになってしまうので(笑)。

 

 世界的には未曾有の災禍に見舞われた一年でしたが、個人的には、もちろんコロナウィルスに振り回されはしましたが、たいそう充実した、それなりによい年でした。まさしく日本再発見、ディスカバー・ジャパンの一年という感じで、坂井、京北、沼田、福知山、舞鶴、可児、瑞浪、土岐、恵那、永平寺関ケ原――と、今まで行ったことがなかった地方の町にもたくさん行けて、記憶に残る素敵な経験が数多くできましたし。これも明智光秀のおかげです。

 

 クリスマスの25日は3時で仕事を終え、4時半閉館で入館が4時までの永青文庫美術館へ行ってきました。現在、春から延期されていた展覧会「新・明智光秀論―細川と明智 信長を支えた武将たち」が開催されていて、年内の開館は27日までだったからです。年明けは9日からで、会期は1月末まであるのですが、本展覧会が春から冬になったのは緊急事態宣言によって休館したせいであり、そのとき開催中の展覧会が会期を残して終了ということが実際にあったので、第1波よりも厳しくなっている今の感染状況だと年末年始が終わってどうなるかわからなかったので、見そびれることだけは避けたいという一念で、年内に強行しました。

f:id:hanyu_ya:20201231184327j:plain神田川沿い、芭蕉庵近くから見る水神社のイチョウ

 

 建物の規模を考えたら40分ぐらいあれば十分だろうと思っていたのですが、展示内容が史料も解説も素晴らしく充実していて、見たくて仕方がなかった2014年に熊本で発見された『針薬方』もあったので、全然足りず。まあ、旧熊本藩主細川家伝来の文化財を所蔵管理する永青文庫の展覧会なので、細川家家老筋の米田家に伝来した『針薬方』が出展されていても何ら不思議ではないのですが。その他、田辺城のパネル展示で見た、本能寺の変から七日後に光秀が藤孝・忠興父子に宛てて書いた手紙もありました。

 

 書面に光秀の名が現れる藤孝宛ての信長の書状も多く展示されていて、案件は様々ですが、ほとんどが「光秀からも報告を受けている」「光秀の報告は詳細で助かる」「光秀と相談しろ」とあり、まめにホウレンソウを行う光秀の律儀な為人が伝わってきました。安土城での接待と同じく、いささかやりすぎという気もしましたが……もっと端的に言えばクドイ(笑)。つまり明智光秀という人はそういう人だったのだと思います。よく言えば生真面目で、悪く言えばクソ真面目。完璧を期するあまり傍から見ればやりすぎではないかと思うほど万事に行き届いたところを見せ、目下の人間にしてみれば気が引けるというか恐れ多く、同等の人間にしてみれば優等生すぎて鼻につき、目上の人間にしてみればソツのなさや有能ぶりを見せつけられることでコンプレックスを刺激されて少々鬱陶しく感じる、あるいは脅威をおぼえる――そんな人間だったのではないでしょうか。使えるが、真面目ゆえに洒落が通じないというか融通がきかないので、扱いが面倒くさいと思ったかもしれません。悪い人ではないし嫌いではない、それどころか良い人で好きだけど直接関わるのは苦手で敬遠しがちとか、ついていけないという人は、今の世でも変わらずいるものです。

 

 そんな真面目人間の光秀は、戦で負傷した家臣に宛てた見舞いの文など、相手の怪我や病気を気遣う文の数が他の武将に比べてずば抜けて多いことでも知られます。今回も“気配り光秀”を感じさせる展示があり、光秀の端正な心ばえに改めて感動しました。けっして厭味ではありません(笑)。細川忠興の文で、光秀の娘・玉を母に持ち、家督を継いだ息子の忠利に宛てた文があったのですが、その中でこのようなことを言っています――「その方(忠利)から文が来ると何かあったのかと案じてしまうが、文箱の上の札の書付に「無事之状」とあったので安心した。こうしてくれると先に安心できる。文箱の上に書付の札を付けるのは明智日向守がいつもしていたことで、理に適った方法だ」と。要するに、現代風に置き換えると、予期せずして文が来ると何だろうと思いますが、光秀は封筒に「~~在中」と書いて送ってきたので、内容が判り、安心して封を開けられた、ということです。相手を思いやる光秀の配慮も、舅のやり方に感心したと息子に語る忠興も、父が認める祖父の習慣を引き継いでいる忠利も、なんかとてもいい感じに思え、心が温かくなりました。

 

 一応駆け足で全部見てきましたが、図録はなく、唯一の関連資料は本展覧会を特集した『季刊永青文庫』だけで、載っていない展示解説も多く、書き留める時間がなかったので、来月も問題なく開館していたら、もう一度時間に余裕を持って来ようと思いました。

 

 4時半になったので美術館を出ると、永青文庫の近くに椿山荘があるので、シャンパーニュを飲んで帰ることにしました。ロビーラウンジの「ル・ジャルダン」に入り、マムをグラスで注文。マムはランスに行ったときにも訪れたお気に入りの老舗メゾンなのですが、最近は飲食店で出合うことがなかったので、ちょっと嬉しくなりました。しかも口開けだったので、「これは2杯飲むでしょ」と思い、サンドウィッチも注文。サンドウィッチはキューカンバーサンドが一番好きで、肉はあまり得意ではなく(ハンバーガーは好きですが)、ハムサンドぐらいしか食べないのですが、単品メニューはパテやローストビーフ系しかなかったので、フルーツや野菜なども入った盛り合わせを頼み、チキンを抜いてもらって、野菜とフルーツでまとめてもらうことにしました。通された席は奥まった端の席だったので、『季刊永青文庫』の明智光秀特集を落ち着いて熟読することができました。

f:id:hanyu_ya:20201231185405j:plainホテル椿山荘東京のロビーラウンジ「ル・ジャルダン」のマムと『季刊永青文庫』。私が疲れて1杯飲みたいときや、やることを終えて後はのんびりというときに飲みたいのはシャンパーニュなので、シャンパーニュを置いてある確率が高く、落ち着いた雰囲気で飲める環境ということで、近くにホテルがあれば、迷わずホテルのラウンジかバーに行きます。

f:id:hanyu_ya:20201231185506j:plain帝国ホテルのロビーラウンジ「ランデブー」のアンリオ。今年は海外に行けず、ベートーヴェンのアニバーサリーイヤーということで何年も前から予定していたウィーン旅行ができなかったので、気分だけでも味わおうと思い、23日の夜にドイツ大使館やザクセン観光局が後援している日比谷公園の東京クリスマスマーケットに行ってみたのですが、あまりに人が多くてビックリ。入場待ちの行列がとんでもない長さで、会場内より密ではないかと思うほどだったので、早々に断念したのですが、忙しい中、仕事を無理やり切り上げてせっかく来たので、シャンパーニュを飲んで帰りました。

f:id:hanyu_ya:20201231185607j:plainホテルニューグランドのコーヒーハウス「ザ・カフェ」のスパークリングワイン(銘柄不明)。クリスマス前に友人と横浜中華街で食事をした日、中華料理屋では好みのアルコールが飲めそうになかったので、食前酒代わりのつもりで食事の前にシャンパーニュを飲みに行ったのですが、土曜だったためか混んでいて、ロビーラウンジは満席。ラウンジのスタッフにこちらの店を紹介されましたが、店内はやはり混んでいたので、密を避けてテラスで飲むことにしました。シャンパーニュはなくてスパークリングワインでしたが、メニューにはないオリーブの盛り合わせを希望したら快く受けてもらえ、美味しかったので、さすがクラシックホテルだと思いました。オリーブはお代わりしてしまいました。

 

 「ル・ジャルダン」に入店したときにはまだ5時前だったので、客層はアフタヌーンティを楽しむファミリーや女性二人連れが目立ったのですが、すっかり日が暮れて6時を過ぎると、ディナー予約客がやってきて、近くのテーブルの話し声が耳につくようになったので、6時半過ぎに店を出ました。

 

 8時過ぎには帰宅し、9時から「風の谷のナウシカ」のテレビ放映を見ようと思っていましたが、新聞を読んだついでにテレビ欄を見直すと、NHK総合の夜10時の欄に「光秀のスマホ 歳末の陣」という文字を発見。大いに気になったので、ナウシカはやめて、いつものようにニュースウォッチ9を見たあと引き続きNHKを視聴。結果、おもしろすぎて、50分間テレビ画面を覗き込んで、文字どおりガン見することになりました。ソファに座ったいつもの位置からではスマホの文字が読めなかったので(笑)。主人公光秀の顔が出ないという先進的な作りの玄人好みのドラマ自体にも感心しましたが、クリスマスの夜にこの、一般受けするかわからない、マニアックなドラマを総合で放送するNHKの姿勢にも感心しました。ナウシカを放映する日テレや全日本フィギュアを放映するフジテレビの、あからさまに視聴率を狙った番組編成は妥当で理解できるのですが……まったく意図不明。それらと同じ土壌で戦っても仕方がないということなのか、はたまた多様性を認める社会においては人の好みも千差万別なので少数派の受け皿になろうというのか……まあ、それは民放にはできませんし。ともあれ、前日のイブは年賀状書きに追われて終わりましたが、クリスマス当日はそれなりに楽しめた一日でした。

 

 次の日は全日本フィギュアの男子シングルフリーをテレビ観戦。羽生選手、凄まじい演技でした。優勝おめでとう。ついに真の頂に到達したように思えました。そしてそれは、コロナ禍という苦難があったからこそ、極められたもののような気がしました。勝利を渇望する思いやライバルへの思い、絶対王者としての矜持などが削ぎ落されて、純粋にスケートが好きで、スケートへの思いも含めたスケートをこよなく愛する自分の思いを、スケートを通して表現したい、伝えたいという心が透けて見えました。私は今までユヅの手先や足先の使い方に苦言を呈してきましたが、今回の演技は完璧なジャンプはもちろんですが、それ以上に、静止したときのポーズに見惚れました。高い技術と豊かな表現を融合させた、スポーツであり芸術でもある究極のパフォーマンス――かつて荒川静香や髙橋大輔が見せてくれた、頂点を極めた限られたスケーターにしか到達できない、頂のその先の世界を見せてくれました。今の現役選手では羽生結弦とネイサン・チェンしかできないと思います。ありがとう

 

 そんなこんなでクリスマスが終わり、日比谷のクリスマスマーケットで何か買おうと思っていたのに行けず結局何も買えなかったので、1年働いた褒美に何か欲しいと思ったら、思い出したのが古墳クッションでした。ふるさと納税のサイトで箸墓古墳のクッションを見てその存在を知り、納税金額が高かったので普通に買えないかと思い、ネットで検索したら作り手さんのホームページに辿り着いて、オンラインショップで他の古墳のクッションも売っていたので、どれにしようか迷っているうちにそのままになっていました。改めてホームページを訪れると、SOLD OUTになっているものも多かったので、慌てて注文。被葬者で選ぶか世界遺産にするか悩んでいたのですが、明智光秀の年の締めくくりということで、山崎の戦いにおける光秀の本陣跡ともいわれる恵解山古墳を選択。年内届けは難しいかと思いましたが、嬉しいことに昨日届きました。両手があるような形も可愛く、愛嬌があってとてもよい感じです。

f:id:hanyu_ya:20201231192744j:plain恵解山古墳のクッション。作り手さんは椅子職人なので、フニャフニャしたスポンジやポリわたのクッションではなく、硬めのソファクッションです。玄室がある後円部の真ん中はちゃんと盛り上がっていて、芸が細かいです。

 

 28日が仕事納めだったので、29日は今年ウィーンと富良野に一緒に行く予定だった友人と久しぶりに会って、フレンチを食べました。会うのは1月3連休の安比スキー以来で、行った恵比寿の店も1年に2~3回は行っていましたが、ほぼ1年ぶり。夜はおそらく時短営業中なので、初めてランチで行きました。感染拡大がなければ、翌30日までは富良野、31日からは親元の静岡に行く予定でしたが、深刻な現状を踏まえてどちらも中止したので、昨日から5日の仕事始めまでは巣ごもり生活です。遠征記でも書いて、おとなしく過ごそうと思っています。

 

 本日、東京の感染者が1000人を超えました。逼迫している医療現場に携わっている人たちは本当に困難な状況で、クリスマスはおろか、この一年は楽しむどころではなかったと思います。それでも、街はロックダウンしていないので、経済活動は行われていて、ホテルをはじめとする店は営業し、美術館も開館し、クリスマスマーケットも開催されました。開いている以上、人が行かなければ、その意味もなくなります。避けるべきは密で、つまるところ感染対策なしでの人との接触だと思います。なので、旅行も一人か二人、食事は四人まででやる分にはいいと思っています。営業施設の経営も大変ですから。

 

 緊急事態宣言終了後あっちこっちに行きましたが、コロナ禍の中で営業を続ける、あるいは再開する施設はみな対策をしっかりしていて、いずれもスタッフの苦労が偲ばれました。感染者を出せば即休業に追い込まれて死活問題なので、当然と言えば当然ですが。よって感染の場は、柔軟な対策が取れない学校、会社、病院、介護施設、そして、家族間でマスクを付けること、食事の皿を分けることなど感染対策を徹底できない家庭のように思えます。

 

 ともあれ、ここへきて変異種も日本に上陸し、ますますこの先どうなるかわからなくなりました。だからと言って、やりたいことができないのは嫌だし、できないのをコロナのせいにばかりするのも嫌なので、来年以降も状況を見極めつつ、可能なかぎり前向きに行動はしていきたいと思います。