昨日は三日ぶりに外出して最寄りのコンビニに行って帰ってきたあと、箱根駅伝の4区と5区をテレビ観戦。夕方からは「麒麟がくる」の再放送を、7時からはニュース7を見て、そのまま「ライジング若冲」に突入。伊藤若冲が主役で、動植綵絵が取り上げられるとのことだったので、若冲スキーとしては見逃すわけにはいきません。若冲と、彼のパトロンで相国寺の禅僧であり漢詩人でもある大典顕常のダブル主役で、円山応挙、池大雅、売茶翁こと高遊外がメインで登場する、なんともマニアックな内容でしたが、独特の不思議な空気感を醸し出す出演者の演技をはじめ、脚本も演出も映像も秀逸で、画面は終始美しく、それでいてコメディ要素もあって笑える、なかなか衝撃的なドラマでした。動植綵絵の他、近年発見された「蕪に双鶏図」も登場しましたし。クリスマスに放送された「光秀のスマホ」に続くNHKの攻めっぷりが小気味よく、エールを送る気持ちで、昨年請求書が届いたあと放ったらかしにしていた受信料の支払い手続きをしてしまいました(笑)。話は飛びますが、本日の復路の駒澤大学の逆転劇は見事でした。アンカーの走りが凄かったですね。素人目で見ても創価大学のアンカーとは全然走りが違いましたし。箱根駅伝のあとは「麒麟がくる」まで見たいテレビ番組もないので、11月の福井遠征記を書きたいと思います。
朝倉氏の城下町があった一乗谷は、国の特別史跡であり特別名勝でもあるので、以前から行きたいと思っていたのですが、明智光秀とゆかりのある場所なので、どうせなら大河ドラマの年に行こうと思い、長らく保留にしていました。そして2020年になり、訪れるなら遺跡は野外なので桜の季節がいいのではないかと思い、周辺情報を調べたら、3月20日から5月6日まで福井市立郷土歴史博物館で「明智光秀と越前―雌伏のとき―」という特別展を開催するので、4月に行こうと思っていました。2月、3月は京都に行くことになっていたので。……なのですが、緊急事態宣言が発せられて出かけられず。特別展も会期途中の4月3日で終了してしまいました。
で、改めていつ行こうかと思い、桜がダメなら紅葉ということで、9月に入って一乗谷朝倉氏遺跡資料館のホームページを見たら、11月30日まで「麒麟がくる」展、11月14日から12月13日まで「本能寺の変と朝倉将棋~出土品に見る中世から近世への転換点~」という特別公開展を開催することが判明。ならば11月の3連休がベストかと思いましたが、さらに詳しいイベント情報を見て、15日に「医療人・明智光秀~セイソ散の発見~」という学芸員による講座があることを知ったので、11月13日から15日の二泊三日で日程を組みました。講座は往復ハガキによる事前申込制で、40人の定員を超えた場合は抽選とのこと。11月2日が申込締切日だったので当落がわかるのは一週間前ぐらいでしたが、それから日程を変更するとホテルのキャンセル料がかかるので、外れても中旬に行くことにしました。紅葉は下旬のほうがいいような気がしましたが、紅葉はあくまでもついでで、主目的ではないので。
当選したので、考えていたとおりの旅程で福井へ。13日の3時半で仕事を切り上げ、16時50分のかがやきに乗車。18時54分に金沢駅に到着し、19時8分発の特急サンダーバード46号に乗り換え。19時51分に福井駅に到着し、駅近くのホテルにチェックインして、初日は終わりです。
翌14日は、まず明智神社へと向かいました。明智光秀の坐像を祀り、「あけっつぁま」と呼ばれている小さな神社です。一乗谷から山を一つ越えた福井市の東大味町にあるのですが、公共交通機関ではアクセスが難しく、バスのように時間決めで1日5、6本運行されている予約制の乗合タクシー「文殊山号」ぐらいしか手段がありません。路線バス代わりで地域住民の足を兼ねているためか、区間均一で100円という破格の運賃設定なので、5、6本でもありがたいことこの上ないですが。
最終日の15日は14時から15時半まで一乗谷朝倉氏遺跡資料館の講座に参加し、終了後は金沢経由で神奈川まで帰らなければならないので、一乗谷は講座が始まる前に行こうと思い、であれば、永平寺に行くのなら14日でないと難しく、同じ日に明智神社と永平寺の両方に行く方法を考えたら、おのずと乗る時刻は決まったので、福井鉄道福武線の江端駅を9時47分に出発する「文殊山号」を予約。1便の予約は前日までだったので、新幹線に乗る前に予約専用ダイヤルに電話をかけて申し込みました。
当日は8時45分にホテルを出て、まずは永平寺に行くバスの情報を得るために、JR福井駅西口(正面口)の前にある観光案内所へと向かいました。福井駅から永平寺や一乗谷方面に行くバスや電車がすべて1枚にまとめられていて、しかも上下線の時刻が載っている便利な時刻表をもらうと、帰りの福井駅行きバスの最終は15時35分と予想外に早い時間だったので、その後に公共交通機関で戻ってくる方法はないかと訊ねたら、永平寺口駅までバスで行って、そこから電車を使うとのこと。それで戻ってくる可能性が高かったため、行きのバスチケットだけを購入し、9時5分発の福武線に乗車。1時間に2本ぐらいのローカル線で、次の電車では間に合わないので乗りましたが、29分には江端駅に到着し、「文殊山号」の出発時刻まで20分弱待つことになるので、駅前にコンビニでもあればいいと思っていたのですが、着いたら何もなく、けれどもタクシーが1台すでに待っていました。
乗っている客は誰もおらず、江端駅から乗ったのも私一人で、途中のバス停に停まることもなく、江端駅バス停の発車時刻である9時47分には目的地の東大味集落生活改善センターのバス停に着いていました。斜向かいの駐車場に設置されていた案内板の地図に従って歩くと、3〜4分で明智神社に到着。
駐車場にあった東大味町旧跡マップ
明智神社正面
明智神社背面。後ろにある桔梗紋ののれんが掛かっている建物は資料館。
資料館と幟旗。建物に掛かっていた古い札は「東大味歴史文化資料館」でしたが、入口前の新しい立札は「東大味歴史文化明智光秀資料館」。確かに、明智光秀の資料館でした。
境内には称念寺でも見た「明智光秀 雌伏の地」の看板がありました。
資料館でもらったパンフレットによると、明智光秀は永禄5年(1562)から9年(1567)まで東大味の土居之内に住んでいて、のちに柴田勝家と弟の勝定が主君織田信長の命を受けて一向一揆掃討のため越前に侵攻したときに、東大味は集落内の西蓮寺宛てに安堵状が出されて戦禍を免れたが、勝家兄弟とは縁もゆかりもない土地なので、住人たちはきっと光秀がかつて住んでいた集落を気づかって依頼したのだろうと感謝し、光秀の死後も「今もこの地で生きていられるのは明智様のおかげ」と遺徳を偲んで坐像を作り祀ったそうです。しかし世間的には光秀は謀反人であるため、慈眼寺のくろみつ像同様、公にはできなかったので、光秀の邸跡の土居之内に住む3軒の農家によって密かに守られてきましたが、明治に至って坐像を御神体として祀る祠を作ったとのこと。ということで、それが明智神社の起源のようです。なお。光秀の三女の玉は永徳6年(1563)の生まれなので、東大味の土居之内が細川ガラシャの生誕地ともいわれています。
ガラシャのゆかりを示す石碑。まだ新しいです。
帰りの乗合タクシーは一番早いのが11時42分発なので時間は十分にありましたが、先にやることをやっておこうと思い、資料館の見学は後に回して、神社から歩いて10分ほどのところにある「山本食料品店」に行くことにしました。ここで明智神社の御朱印と御守りが手に入るので。回り道にはなりますが、方向的には同じなので、西蓮寺にも寄って行くことにしました。非公開みたいで、拝観はできませんでしたが。
西蓮寺山門。寺には今でも柴田勝家と勝定の安堵状が残っていて、勝家の坐像が安置されているそうです。
帰りは最短距離の朝倉街道を通って神社に戻ってくると、資料館の展示を見学。壁のパネルを読んだあと、自分で電源を入れて3本のタイトルを自由に再生できる映像モニターがあったので、設置されていたベンチに座り、「山本食料品店」の自販機で買ってきたペットボトルのコーヒーを飲みながら、「東大味に残る伝承」「明智神社法要」「光秀と一乗谷・東大味」を順に視聴。「あけっつぁま」を守ってきた3軒の農家の子孫の方の話なども聞けて、おもしろかったです。
資料館のパネルその1
資料館のパネルその2
資料館のパネルその3
資料館のパネルその4
資料館のパネルその5
御祭神「あけっつぁま」の写真。「あけっつぁま」は「明智様」が口語的に転化した呼び名で、加藤神社の祭神である加藤清正が親しみを込めて「せいしょこさん」と呼ばれているのと同じようなものです。
ズームするとこんなカンジの「あけっつぁま」。くろみつ像に似ている感じがします。単に黒いからかもしれませんが。
全部見終わると11時20分になろうかという時刻だったので、資料館を出て、土居之内を半周してからバス停へ。すると、行きと同じタクシーがすでに待っていました。帰りも客は一人で、やはりどこにも停まらず。時刻表によると江端駅到着時刻は12時12分となっていましたが、11時50分には着いたので、予定より1本早い12時1分発の福武線に乗れ、26分には福井駅に到着。
……ところが、永平寺行きのバスは20分に出たばかりで、次の出発時刻は1時間後の13時20分。1時間近くあったので、ならば「これは行けそうだ」と思い、アクセス情報で駅から徒歩15分ほどとなっていた郷土歴史博物館に行くことにしました。展示を見るのが目的ではなく、春の特別展の図録を買うためだったので、往復の時間があれば十分でした。図録は通販対応もしているのですが、福井を訪れる予定があったので、時間があれば寄って購入し、なければ帰ってから通販で申し込めばいいと思っていました。
今は福井県庁がある福井城址の堀脇を通って10分ほど歩くと到着し、入口を入って左手にあるチケット売り場で購入。見本が並べてあるシェルフを見たら和宮に関する展覧会の図録もあったので、一緒に買いました。そして、博物館と駅のあいだにホテルがあり、寄る時間があったので、部屋に2冊の図録を置いてから、駅の反対側にある永平寺行きバスの乗り場へと向かいました。
郷土歴史博物館で購入した2冊の図録。左はどこかで見たようなタイトルだと思いました。
13時20分発のバスに乗り、14時に永平寺バス停に到着。着いたら寺に行く前に昼食を摂ろうと思い、永平寺といえば蕎麦と豆腐だろうと思ったので、バスの乗車中に蕎麦屋を調べて、アクセスの良さと電子クーポン使用可を基準に何軒かに絞り込みました。あとは店のメニューを見て決めようと思っていたら、バスから降りたとたん割引券をもらい、店名を見たら候補の一つ「一休」だったので、迷うことなくバス停前にあるその店に入ることに。割引券の効果か、けっこう混んでいて時間がかかりそうだったので、永平寺そばと、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを注文し、飲みながら参拝経路を検討しました。
永平寺そば亭「一休」の永平寺そば。胡麻豆腐付きです。盛り沢山で画面に入らず写真が切れていますが、左にあるのが蕎麦焼酎の蕎麦湯割り。
食事後、クーポン2,000円分を使って支払いをし、店を出ると、食事処を探す必要がなくなったので、永平寺参道を通って寺に向かいました。
永平寺参道の入口にある寺号標。狙いどおり、紅葉がきれいでした。
宗祖道元の歌碑と紅葉
道元の歌碑。歌は「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」。永平寺の冬は「すずし」というレベルではないと思いますが、詩的と語呂的に「さむし」ではまずかったのでしょう。
収蔵庫の瑠璃聖宝閣と紅葉。燃えるような赤です。
別の角度から。こちらから見るとオレンジ色。光の加減で紅葉はいろいろな表情を見せてくれます。
永平寺全景図
納経塔の報恩塔と一葉観音像とカエル(置物)
通用門の受付で拝観券を買い、検温後、拝観の玄関口になっている吉祥閣で御朱印をいただいたあと、順路に従って、まずは隣の傘松閣から拝観。昭和5年(1930)に建てられた、19棟の重要文化財建造物がある境内の中では比較的新しい建物でしたが、伊東深水や川合玉堂も参加したという天井画が圧巻でした。
傘松閣の天井画。現在の傘松閣は平成6年(1994)に改築された建物ですが、絵天井は昔の物をそのまま使ったそうです。部屋に入ってすぐに撮影したのですが、部屋の奥の上座から見るのが正位置なので、絵が逆さになってしまったことに、あとから気づきました。
日本三大禅宗の一つで、道元が開いた曹洞宗の大本山である永平寺は、日本を代表する禅寺なので、ずいぶん前からいずれ訪れるつもりでいたのですが、行くなら一乗谷とセットだと思っていたので、今回が初めての訪問。規模が大きいことは想像していましたが、禅宗の七堂伽藍が伝統的な形できちんと残っている、こんな寺は初めてだったので驚きました。都から離れた越前国の、さらに山深いところにあったので、数々の戦禍を免れることができたのでしょう。平地にある京都の妙心寺とは異なり、一直線に造られる山門、仏殿、法堂が山の斜面に建てられているため、禅宗において一番重要な法堂が一番上となり、修行の場である七つの建物はすべて回廊で繋がっています。いわく七堂伽藍とはこういうものかと思い、まるで見本のようでした。妙心寺は建物同士が離れていて、外を歩かなければならない配置だったので。その回廊を若い修行中と思われる雲水が頻繁に行き交い、仏殿や法堂の前を通るときには足を止めて相対し一礼をしていく……拝観券売り場から吉祥閣に入ったときには「なんか観光名所化しているなぁ」と思いましたが、次第に物見遊山で来ている自分の気が引けるような、確かに祈りの場でした。
仏殿
中雀門から見下ろす山門
法堂から見る大庫院。紅葉と伽藍の組み合わせが本当にきれいで、心が洗われ、何枚も写真を撮ってしまいました。
ちょっと引きで。
かなりズームで。
僧堂の門(多分)
15時35分発の福井駅行き最終バスに間に合わない場合、公共交通機関を利用して福井駅に戻る手段は、永平寺口駅まで出てローカル電車のえちぜん鉄道勝山永平寺線で帰る方法しかなく、次の永平寺口駅行きのバスは16時31分発だったので、4時前には永平寺を後にして、今度は門前通り経由でバス停へ。興味を引かれて立ち寄る店はなく、20分前にはバス停に戻ってきたので、バス停から道路を渡らずに行ける店で一番近く、昼食の候補にも挙げていた食事処兼土産物屋の「井の上」に行って、土産物を物色することにしました。けれども、そこでも特に欲しい物はなかったので、ごまとうふソフトを買って、寒かったので店内で食べることにし、食べ終わると、バスと電車の乗り換え時間が5分ほどしかなかったので、バス代の支払い時間を短縮するため、バスチケットを買ってバス停に戻りました。時間どおりに来たバスに乗り、45分に到着。あえて前の席に座っていたので一番先に降りて切符を買い、50分発の福井駅行き電車に無事乗車。バス停が駅からそれほど遠くなかったので、バスから乗り換えた人はみな間に合ったようですが。
5時12分に福井駅に到着し、郷土歴史博物館の受付で図録を買ったときに、隣の養浩館庭園のライトアップについての案内が掲示されていて、この日5時から夜間公開をすること知ったので、そのまま向かおうと思ったのですが、日が暮れてから一気に気温が下がり、寒いと思ってスマホで確認すると日中より5度以上低い12度だったので、ホテルに寄って1枚着込んでから行きました。養浩館庭園の入園料は220円なのですが、その日は無料開放されていました。
受付でもらったパンフレットによると、養浩館庭園は福井藩主松平家の別邸だった御泉水屋敷の跡で、明治になり福井城は政府の所有となりましたが、別邸は松平家に残されて、松平春嶽が「養浩館」と名付けたとのこと。孟子の言葉「浩然の気を養う」が由来だそうです。回遊式林泉庭園だそうですが、夜間のためか庭は立入禁止のところが多く、あまり見られなかったので、ライトアップされた庭の紅葉よりも、数寄屋造りの屋敷から眺めるライトアップされた庭園がよかったです。紅葉の色づき具合はよくわかりませんでしたが。
ライトアップされた庭園の紅葉
屋敷の窓越しに見るライトアップされた庭園その1
窓を避けるとこんなカンジ
屋敷の窓越しに見るライトアップされた庭園その2
窓を避けるとこんなカンジ
御月見ノ間から見る庭園
御月見ノ間の室内。螺鈿細工のコーナー棚なんて初めて見ました。
40分ほどで養浩館庭園を出て、行きと同じく福井城址を通り抜けて、7時前には福井駅に戻り、夕飯を食べようと思って店を探しました。この季節の福井といえば、なんといっても越前がに。最初は駅構内に回転寿司屋があったので入ったのですが、予想外に混んでいて待っている客も何組かいたのであきらめ、駅を出ました。そして駅前にあるパピリンという建物の店舗案内を見ていると、福井市観光物産館があることがわかり、物産店の他に「福福茶屋」という食事処もあるみたいだったので、行ってみることに。これが大正解で、越前がに1杯を使った冬季限定の「越前せいこがに丼」というメニューがあったので注文。それと、蕎麦焼酎があったのですが、越前そばのメニューがあるのに蕎麦湯割りはなかったので、オーダーを取りに来たスタッフに「できなければお湯割りでいいけど、できれば蕎麦湯割りにしてほしい」と言うと、「よろしければ、蕎麦湯を別にお持ちします」と言うので、蕎麦焼酎のストレートを注文。自分で割って飲むことにしました。
「福福茶屋」の越前せいこがに丼。「せいこがに」とは福井で水揚げされるメスのズワイガニで、いわゆる金沢の香箱がにのこと。オスと違って、11月の解禁日から12月いっぱいしか食べられません。越前がには超ブランド蟹なので、産地を証明する黄色のタグが付いていて、そちらが一緒に乗っかってきます。
大満足してホテルに戻り、この日はこれにて日程終了です。