羽生雅の雑多話

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京都遠征~容保桜(+京都府庁旧本館)、出水の枝垂れ桜、近衛邸跡の糸桜

 1都2府などを対象とした三度目の緊急事態宣言がゴールデンウィーク前に発出されて以降、2か月以上遠出はまったくしていないのですが、なかなか記事を書く時間が取れず。月日が経ちすぎて旅先での行動もうろ覚えとなり、季節的にも今さらという感じになってしまったので、3月4月に行った遠征については、アルバム風に写真と軽い説明をアップしてすませたいと思います。

 

 3月下旬の春分の日の週末は、宝塚の大劇場公演のチケットが取れたので、ついでに京都へ行き、京都府庁旧本館を見学してきました。旧本館の中庭には「容保桜」という名の桜があり、今年は桜の開花が早かったため、もしかしたら咲いているかもしれないと思ったので。「容保桜」は京都府庁の敷地が京都守護職上屋敷跡――ということから、京都守護職だった松平容保にちなんで命名されました。ちゃんと松平家の了承を得ているそうです。残念ながら容保桜はぽつぽつとしか咲いていませんでしたが、円山公園の枝垂れ桜の孫にあたる桜がきれいに咲いていました。

f:id:hanyu_ya:20210626154957j:plain京都府庁旧本館正面

f:id:hanyu_ya:20210626155057j:plain中庭と旧本館の南棟

f:id:hanyu_ya:20210626155223j:plain中庭と旧本館の北棟

f:id:hanyu_ya:20210626155315j:plain中庭と旧本館の東棟

f:id:hanyu_ya:20210626155441j:plain円山公園の枝垂れ桜の孫桜の花

f:id:hanyu_ya:20210626160035j:plain旧本館を背景にした孫桜の花

f:id:hanyu_ya:20210626160140j:plain容保桜。満開には遠かったですが、よく見るとちらほら咲いていました。

f:id:hanyu_ya:20210626160246j:plain容保桜の説明板

f:id:hanyu_ya:20210626160331j:plain容保桜の花

f:id:hanyu_ya:20210626160409j:plain旧本館を背景にした容保桜の花

 

 明治37年に竣工した京都府庁旧本館は、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古のもので、重要文化財に指定されています。本館として機能したのは昭和46年までですが、現在も執務室や会議室として使われ、旧知事室や旧議場は一般公開されて、見学できるようになっています。

f:id:hanyu_ya:20210626160613j:plain旧知事室

f:id:hanyu_ya:20210626160809j:plain見学案内所から旧知事室に行く途中にある資料展示室にいた京都府広報監のまゆまろ。「広報監」……つまり京都府のPRキャラクターです。

f:id:hanyu_ya:20210626160906j:plain正庁

 

 旧議場は平成25年まで府政情報センターとして使われていましたが、竣工110周年を迎えるにあたり、明治当初の状態に修復され、平成28年に整備が終わりました。室内に在りし日の姿――情報センター時代の写真が展示されていたのですが、ほんの数年前まで図書館みたいだった部屋の様子を見ると、歴史的建造物の議場を元の姿形など見る影もない書庫に変えた人間と、苦労して限りなく元の姿形に戻した人間がいたという厳然たる事実を突きつけられ、奇妙な感覚をおぼえました。昔の物を残すことに価値を認める人もいれば、前時代の遺物など壊してしまって新しくすることに躊躇しない人もいる――そんな人間の多様性や、また時代によって変わる価値観を見せつけられ、けっして絶対的ではない人間の価値観、それどころか移ろいやすい人間の価値観というものを改めて思い知らされ、少々やるせなくなりました。人間の価値観がこれほど多様で変わりやすいものならば、これからも人は無駄な破壊と創造をくり返していくことでしょう。であるのなら、人とはなんと愚かな生き物なのか――とも思いました。

f:id:hanyu_ya:20210626161001j:plain旧議場その1。ガイドの方がいて、その説明によると、現在は講演会などで利用されているとのことでした。

f:id:hanyu_ya:20210626161223j:plain旧議場その2。窓の金具や換気システムなど、明治期の建築の工夫についても教えてくれました。

 

 役所なので5時には閉門するため、10分前には京都府庁を出ると、正門前の下立売通を東に向かって10分ほど歩けば京都御苑なので、行ってみることにしました。

f:id:hanyu_ya:20210626161438j:plain京都府庁を出るときに気が付いた、正門の近くにある京都守護職上屋敷跡の碑

 

 一番近い下立売御門から入ると、まずは満開の雪柳が出迎えてくれ、そのうち左手に人が集まる一本桜が見えてきました。出水の枝垂れ桜です。ラッキーなことに、ちょうど見頃でした。しかも青空の下、夕陽を受けた花はやや赤みがかった独特な色合いで、あまりに美しく、この出合いに心底感謝しました。花が満開で、晴れていて、夕刻で、しかも写真から外せるほど周囲に人がいないなんて好条件が揃うことは、この先あるかわからない――いや、ないだろうと思ったので。コロナ禍という非常時がもたらした偶然ですから……。まさしく、これこそ一期一会だと思いました。

f:id:hanyu_ya:20210626173344j:plain下立売御門近くの雪柳

f:id:hanyu_ya:20210626173433j:plain出水の枝垂れ桜その1

f:id:hanyu_ya:20210626173533j:plain出水の枝垂れ桜その2

f:id:hanyu_ya:20210626173634j:plain出水の枝垂れ桜その3

f:id:hanyu_ya:20210626173732j:plain出水の枝垂れ桜の花その1

f:id:hanyu_ya:20210626173807j:plain出水の枝垂れ桜の花その2

 

 出水の枝垂れ桜がとても素晴らしかったので、日が暮れて視界がきかなくなるまで時間が許すかぎり御苑内を散策することにし、糸桜を目指して、近衛邸跡へと向かいました。

f:id:hanyu_ya:20210626173959j:plain御所付近の桜の花その1。築地塀をバックにした桜の写真は、なかなか他では撮れません。

f:id:hanyu_ya:20210626174056j:plain御所付近の桜の花その2

f:id:hanyu_ya:20210626174206j:plain近衛邸跡近くの桜

f:id:hanyu_ya:20210626174246j:plain近衛邸跡の桜その1

f:id:hanyu_ya:20210626174327j:plain近衛邸跡の桜その2

f:id:hanyu_ya:20210626174420j:plain近衛邸跡の説明板

 

 近衛邸跡に続いて今出川御門、桂宮邸跡を見ると、行きは御所の西側を歩いたのですが、帰りは東側を通り、黒木の梅を経由して、丸太町通に出ました。

f:id:hanyu_ya:20210626174654j:plain御所の東側。橋本家跡付近から南を見る。御所沿いに人が一人もいない光景なんて、この先何度訪れてもないと思います。

f:id:hanyu_ya:20210626174812j:plain橋本家跡の説明板。橋本家は和宮の母親である橋本経子(勧行院)の実家で、和宮はここで生まれて育ちました。

f:id:hanyu_ya:20210626174946j:plain黒木の梅の花。ほとんど終わっていましたが、まだいくつか咲いていました。九条家にあった八重の梅です。

f:id:hanyu_ya:20210626175041j:plain黒木の梅の説明板

 

 6時半過ぎに御苑を出ると、だいぶ暗くなっていたので、切り上げてホテルに戻ることに。最寄りの丸太町駅から地下鉄に乗って京都駅に着くと、7時になるかという時刻だったので、夕飯を食べようと思い、JR京都伊勢丹の「松山閣」へ。時間が時間なのでダメもとで行きましたが、運よく店に入れたので、湯葉づくし膳を食べてホテルに戻り、日程終了です。