羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

石川寺院遠征~那谷寺

 11月最初の週は、火曜に仕事で金沢に行き、業者さんと夕飯を食べたので金沢に泊り、翌水曜に帰ってきました――文化の日で仕事も休みだったので。まん延防止等重点措置に続く緊急事態宣言で9月末まで県境をまたぐ移動が制限され、不特定多数に開かれている場所に一人で行くという行動は適当に判断して個人的にやっていましたが、仕事がらみで相手先を訪問するのは、その所在地の自治体の推奨状況や先方の都合もあり控えていたので、解除された10月以降は遠征続きで、とんでもなく忙しい日々を過ごしています。

 

 再びコロナウィルスが活性化すれば行きたくても行けなくなるので、今のうちに――と思い、体に鞭打って動いていますが、忙しい上に、多忙なせいで疲労が溜まり、記事を書いたり神社研究、明智研究を進めたりといったライフワーク的活動が思うようにできず、好きなことを好きなようにやるために働いて社会生活を維持している身としては、やりたいことに時間や労力が割けずイライラするため、努めてストレス解消に励んでいるのですが、ストレス解消のために何かをするにしても時間と体力が要り……ということで、結局体力がついていかず、免疫力低下で体調を崩し、半月ほど医者通いをする羽目と相成りました。

 

 そんな状態ですが、文化の日はまだ比較的元気で、朝も普通に起きられ、天気もよかったので、那谷寺に行ってきました。当初は、一度那谷寺には行ったことがあるため、まだ訪れたことのないところに行きたく、今年開創700年の總持寺祖院や越前二宮の剣神社行きを検討していたのですが、調べてみると双方ともアクセスが悪く、今の体力を考えると帰ってからの祝日明けにちゃんと仕事ができる自信がなかったので、特急停車駅で金沢からの本数も多い小松駅から40分ほど路線バスに乗れば門前近くまで行ける那谷寺を選びました。業者さんには紅葉を見るにはまだ早いと言われましたが、盛りには遠くても色づきはじめてはいるだろうと思ったので。それに、那谷寺の魅力は紅葉だけではありません。以前訪れたのは20年以上前で、今は新幹線を使えば東京から日帰りも可能になりましたが、北陸新幹線開通前の当時は、首都圏から見れば陸の孤島みたいな場所。けれども、どうしても仙人が遊ぶという遊仙境を見たくて訪れました。現在は拝観料に200円をプラスすると特別拝観エリアを見学できるのですが、前回はそのエリアを見たおぼえがなかったので、紅葉がまだまだであっても特別拝観をすれば満足はできるだろうと思い、足を運ぶことにしました。

 

 ホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらうと、金沢発8時55分の北陸本線普通列車に乗車。9時31分に小松駅に着き、30分ほど待って、10時発の那谷寺行きバスに乗ると、40分で那谷寺バス停に着き、そこから徒歩5分ぐらいで那谷寺に到着。山門前の拝観受付で特別拝観付きの拝観料を払うと、まずは特別拝観エリアから見たほうがいいと案内されたので、山門をくぐって左手にある金堂へと向かいました。

f:id:hanyu_ya:20211128015939j:plain那谷寺山門

f:id:hanyu_ya:20211128125952j:plain金堂前の参道入口にある石碑。後ろの建物は普門閣という建物で、休憩所や宝物館があるのですが、コロナ感染対策で閉まっていました。以前来たときに見ているので、それほどショックではありませんでしたが……残念です。

 

 那谷寺は養老元年(717)に泰澄が開いた高野山真言宗の別格本山で、御本尊は千手観音菩薩越前国出身で「越の大徳」と呼ばれた泰澄は白山信仰の開祖として知られ、明智光秀ゆかりの寺で新田義貞墓所がある称念寺の開山でもあります。初めは岩屋寺という名称でしたが、平安時代になって西国三十三所巡礼の始祖である65代花山天皇が参詣したときに、「自分が求めた観音霊場はすべてこの山に凝縮される」との思いを込めて、西国三十三所観音の1番札所である“那”智山(青岸渡寺)と33番札所である“谷”汲山(華厳寺)から一字を取って「那谷寺」と改名したとのこと。南北朝時代に戦禍で荒廃しましたが、江戸時代になると加賀藩前田利家の子で、異母兄利長の跡を継いだ前田家三代当主――二代加賀藩主前田利常が復興し、本堂、書院、三重塔、護摩堂、鐘楼を建立。それらは現在重要文化財に指定され、書院と、国の名勝に指定されている庫裏庭園、復元造園された新庭園「琉美園」が特別拝観エリアとなっています。

 

 ということで、泰澄が開山、花山法皇が中興、前田利常が復興した1300年の歴史がある古刹ですが、一番の見所は数ある文化財ではなく、「遊仙境」と呼ばれる奇岩群だと思っています。海底噴火の跡らしいですが、岩上に稲荷社が祀られていて、石の階段があったり洞穴に石仏があったりで、単なる奇岩群ではなく、まさに仙人が遊ぶ幽境といった趣。もちろん俳聖芭蕉翁も訪れていて句碑があり、庫裏庭園とは別に、こちらも「おくのほそ道の風景地」として国の名勝に指定されています。私は若い頃は仏像を見に寺へ行くような趣味はなかったので、好きな歴史人物のゆかりだとか、歌枕をはじめとする文学や能楽の舞台だとか、景勝地の寺を選んで赴いていたのですが、中でも『奥の細道』に導かれて訪れた那谷寺、山寺、毛越寺は仙境、幽境、浄土の世界を現世に見せてくれる素晴らしい寺だと思っています。

f:id:hanyu_ya:20211128130632j:plain書院から見る庫裏庭園の紅葉

f:id:hanyu_ya:20211128130759j:plain書院内に吊るされていた駕籠。今まで数多くの駕籠を見てきましたが、下から見たおぼえはなかったので、貴重な経験でした。梅鉢紋が付いているので、前田家の遺物だと思います。

f:id:hanyu_ya:20211128131838j:plain開山堂裏の庭園は寛永年間に作庭されましたが、荒廃していたため、昭和55年(1980)に復元造園され、「琉美園」と名付けられています。

f:id:hanyu_ya:20211128131926j:plain琉美園で見られる三尊石

f:id:hanyu_ya:20211128132001j:plain三尊石についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128132049j:plain三尊石遠景

 

 琉美園から普門閣隧道を経由して特別拝観エリアを出ると金堂に至り、おみくじが目に留まったので引いてみたら大吉でした。そして特別拝観エリア入口の脇にある御朱印授与所に寄って御朱印をいただくと、いよいよ遊仙境へ。琉美園の紅葉も適度に色づいていたので、期待大でした。

f:id:hanyu_ya:20211128131509j:plain三尊石と同じ岩山にある普門閣隧道

f:id:hanyu_ya:20211128131427j:plain普門閣隧道内

f:id:hanyu_ya:20211128131350j:plain今回のおみくじ。大吉ですが、内容は必ずしもいいとは言えず、悪くはないという程度。最近大吉とはそういうものだと思っています。

f:id:hanyu_ya:20211128152041j:plain今回いただいた御朱印。感染対策で書き置きのみだったので、いろいろな種類がある中で一番華やかなものをいただいてきました。当寺の管主が遊仙境を描いた絵のようです。日付が読みにくいからと気を遣ってくれ、裏面にも参拝日を書き入れてくれました。

f:id:hanyu_ya:20211128133212j:plain実際の遊仙境。期待どおりの景観でした。

f:id:hanyu_ya:20211128133103j:plain遊仙境遠景

f:id:hanyu_ya:20211128133322j:plain遊仙境についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128133833j:plain稲荷社の鳥居と大悲閣(中央)

f:id:hanyu_ya:20211128133440j:plain稲荷社の入口。上れないようになっていました。

f:id:hanyu_ya:20211128134041j:plain大悲閣と紅葉

f:id:hanyu_ya:20211128133950j:plain前田利常によって寛永19年(1642)に再建された大悲閣はいわば拝殿で、御本尊の観音菩薩が安置された本殿にあたる岩窟がある岩に沿って岩窟の高さに合わせて作られているため、舞台造りになっています。御本尊は三十三年に一度しか御開帳されない秘仏ですが、本殿の岩窟は胎内くぐりができるので、厨子の前まで行って拝むことはできます。同じ岩窟内に中興の祖である花山法皇像も安置されていました

f:id:hanyu_ya:20211128141809j:plain大悲閣の舞台から見た遊仙境の奇岩

 

 大悲閣を出ると、大池の前を通って三重塔、楓月橋を経由して展望台、鎮守堂、芭蕉句碑、庚申塚、白山神社護摩堂、鐘楼と巡り、山門前の参道に戻ってきて参拝終了。時刻は12時過ぎで、次の小松駅行きのバスが12時58分発で1時間弱余裕があったため、昼食を摂ることにしました。しかし山門の隣にある駐車場の前にある土産物屋兼食堂は混んでいて、待っているとバスの時間に間に合いそうになかったので、近くにあるもう一軒の店に入ったのですが、私のような客が次から次へとやってきて、これなら時間もかからないだろうと思って頼んだ山かけ山菜そばが出てくるのに15分ぐらいかかりました。おろした山芋をかけてウズラの卵を落とし水煮の山菜と葱が散らしてあるだけの普通の蕎麦でしたが……。なので、10分もかけずに食べてさっさと店を出ましたが、かなり物足りなかったので、駐車場に出ていた屋台でたこ焼1パックを買い、その場で全部を平らげてからバス停へと向かいました

f:id:hanyu_ya:20211128151535j:plain寛永19年(1642)に前田利常が建立した三重塔。重要文化財です。

f:id:hanyu_ya:20211128141445j:plain展望台から見た遊仙境

f:id:hanyu_ya:20211128141607j:plain松尾芭蕉の句碑。句は「石山の 石より白し 秋の風」。御朱印にも書かれていました。

f:id:hanyu_ya:20211128154831j:plain句碑についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128141357j:plain護摩堂付近から見る大悲閣

 

 那谷寺バス停から乗ったバスの小松駅到着予定は1時40分で、金沢行きの普通電車は小松駅発13時43分発。乗れるか微妙でしたが、バスが時間どおりに運行してくれたので、なんとかギリギリ間に合って、乗車。これを逃すと24分後の特急に乗るか、普通電車なら30分ほど待たなければなりません。切符を買っていたら確実に間に合わなかったので、自動改札になっていて助かりました。確か小松駅は5年ぐらい前はまだ有人改札だったので。金沢駅も導入が遅く、北陸新幹線が開通してもしばらくは有人改札で、何故新幹線の改札口を作るタイミングで自動改札にしなかったのか不思議に思ったものでした。(続きます)