羽生雅の雑多話

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滋賀寺社遠征 その2~長命寺、桑実寺、観音正寺、奥石神社、沙沙貴神社

 前回記事の続きになります。

 
 二日目は、まず第31番札所の長命寺に。ゴールドライセンスホルダーと言えば聞こえはいいのですが、いわゆる車なしペーパードライバーなので、移動は公共の交通機関が頼りです。
 
 8時開門なので、8時前のバスで近江八幡駅から長命寺バス停まで行き、人っ子一人すれ違わない808の石段を黙々と登り、8時半過ぎにはお寺に到着しましたが、特別公開の内陣は10時からの表示が……。長命寺には7月に来たばかりで、その時に磐座をはじめ境内は隈なく見てまわっていて、御朱印もいただいているため、その日も朝から大ショック。他にやることはなく、時間をつぶせる店はおろか自動販売機もなし。かといって、石段を下りて再び上がってくるのは絶対にない選択なので、御守り売り場の前の椅子に座って1時間半も待つのかと途方に暮れていたら、9時には受付が開いて、内陣に入れてもらうことができました。これも観音様の御加護でしょう。
 
 ガイドの方も親切で、御本尊をはじめとする仏像や展示物について50分近くも説明してくれました。見るからに即席臨時のシルバーガイドで、要領がよくないせいもありましたが、ボランティアと思われる上に、熱心さは伝わってきたので、まったく問題なし。ありがたいことで、そういう方々の善意には本当に頭が下がり、感謝しかありません。展示物の中でも仏像に次いで興味深かった長命寺曼陀羅のハガキももらえたので、満足して下山しました。
 
 バスで近江八幡駅に戻ると、今度は第32番札所の観音正寺に行くため、電車で安土駅へ。観音正寺でも内陣が公開され、普段は奈良国立博物館にあるという曼荼羅が里帰りしていて、10月いっぱい見ることができます。聖徳太子開基のこのお寺は繖山の上にあり、最寄りのバス停まで行っても山道を40~50分歩かなければならないというアクセス難の場所なので、奮発してタクシーで駐車場まで行ってもらうつもりでしたが、その日の11時頃は安土駅前にタクシーが1台もいませんでした。
 
 とりあえずタクシーは電話で呼ぶつもりで、その前に駅前の観光案内所に行って地図をもらい、ちょうどお昼ぐらいの到着になるので、お寺の近辺に食事処はあるかと聞くと「ない」と言われたので、隣の蕎麦屋に入って早ランチ。
 
 しかし、蕎麦を待っているあいだに電話をかけたタクシー会社には、観光で車が全部出払っていて配車ができる時間が読めないとか言われたので、焦ってそばを掻っ込み、観光案内所に戻って事情を話し、別のタクシー会社に連絡を入れてもらいましたが、3社あたって総スカン。またもや途方に暮れました。特別公開は今月いっぱいで、月末までに滋賀まで改めて来られるあてはなく、月曜からの仕事にそなえて、翌日の日曜は早めに5時前の新幹線で帰るため、丸々一日使えるのは土曜のこの日だけだったので、仕方なく徒歩で繖山を目指すことに(涙)。
 
 駅からまずは桑実寺へ向かい、山門まで約30分、本堂まで登り約15分、入山料を払って本堂にお参り後、境内を出て観音寺城跡まで山登り約30分、観音正寺まで山下り約10分を歩き、足はすっかりガクガクに。しかも途中から、何の木のせいなのかわかりませんでしたが、アレルギー性鼻炎を発症。鼻水クシャミに見舞われながらの厳しい道行きでした。
 
 手持ちのティッシュも使い果たし、ヘロヘロになって観音正寺に到着。内陣では今度は打って変わって若いおにーサンが案内してくれました。お寺の跡取りのようですが、年齢ゆえか勉強不足なためか、こちらもたどたどしい説明。熱意は伝わってきたので、時折突っ込み質問を交えつつも、ありがたく拝聴しましたが。拝観のクライマックスは、内陣入口でいただける散華を介して御本尊に触れられること。観音様と御縁を結ぶ媒介となった散華はお守りとしていただけたので、ありがたく持ち帰りました。
 
 内陣を拝観後、「浄土の鳥」を購入。「浄土の鳥」は、西国三十三所のうち近江国にある六札所の特別企画で作られた限定の土鈴です。7月に長命寺に行ったときに迦陵頻伽と出合い、おもしろい企画なので集めることにしました。宝厳寺の鳥は舎利、観音正寺の鳥は共命之鳥でした。あと三つあって、石山寺は特別公開をしているので来月行くつもりですが、三井寺岩間寺は時間がとれず、今のところ訪問の予定はなし。果たして六つ集められるかどうか……竹生島で無理を言って収集に協力していただいたので、是非ともコンプリートしたいところですが。
 
 ひととおり境内をまわったあと、ハイキング目的でもないかぎり選ばないだろうイレギュラールートで本堂の横から入ったたため、出るときに入山料を払って表参道を下山という逆行で山を下りると(またしても一人もすれ違わず)、次は参道入口から徒歩約15分と言われた奥石神社に向かいました。
 
 お寺は特別公開など何か理由がないかぎり近頃はわざわざ行きませんが、神社は別です。『延喜式神名帳』に掲載されている式内社を中心に、各地の神社を訪れることが、ここ数年の国内旅行の主な目的です。現場に行かないとわからないことがあるし、現場に行けば見えてくることもたくさんあるので。
 
 ということで、式内社の宝庫である近江まで来てお寺巡りだけでは不完全燃焼なので、行けそうな神社を神名帳から事前にピックアップし、奥石神社、沙沙貴神社を訪れることにしていました。移動距離があるので、観音正寺行きにタクシーが使えることが大前提だったのですが……。
 
 由緒によれば、奥石神社は繖山が御神体とのことなので、この山は神の鎮座地――すなわち神奈備山であり、地理から推測すれば、この神社が里宮で、山上の観音正寺が奥宮なのだと思います。奥宮での祭祀が不便なので山麓に里宮が営まれ、その結果奥宮は廃れることに。しかしのちに聖徳太子がお寺を建立。繖山の中でもあえてこの地を選んだのは、ここがもともと神が坐すとされ祭祀が行われてきた聖地だったからだと思います。
 
 参拝して、いつものように祭神、本殿の造り、神紋、摂末社等々を確認し、御朱印をいただいて奥石神社を後にし、まだ時間的に行けそうだったので、沙沙貴神社へ向かって出発。沙沙貴神社安土駅から徒歩圏内で、観光案内所でもらったマップによれば奥石神社から駅まで徒歩約50分とのこと。ホテルが近江八幡駅前なので、どうせ駅には行かなければならないため、道が平らなだけマシだと思い、国道8号線と平行する中山道をひたすら西へ。
 
 しばらくして県道にぶつかったところで右に曲がり、まっすぐ行けば駅に着くという道を歩いていたら、なんと配車を断られたタクシー会社の営業所を発見。覗いてみたら車がいたので、事務所に飛び込んで乗せてもらえるか聞いたら乗れると言うので、沙沙貴神社まで行ってもらいました。850円分の距離でしたが、生き返るようでした。
 
 沙沙貴神社は佐々木源氏の氏神として有名ですが、神名帳に掲載されている式内社なので、当然のことながら、その歴史は賜姓源氏の起源である平安時代よりも古く、少彦名命の磐境と呼ばれる石もあるので、こちらも奥石神社同様に神代の聖跡なのだと思います。少彦名は出雲の大己貴が出雲の外に領土を広げるのを手伝った神なので。この領土拡張については、神話では「国造り」などと呼ばれていますが。
 
 ただし、この石の祀られ方は最初からそこにあったような感じではなかったので、どこからか移されてきたのかもしれません。となると、沙沙貴神社も最初からこの場所にあったわけではないのかも……という気もします。殿が建てられる以前の磐境祭祀を行っていた神代は、石とともに別の場所にあったのかもしれません。
 
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沙沙貴神社境内にある干支の庭の丑像
 
 参拝して境内を一巡し、チェック項目を確認して、御朱印をいただき、日程終了。前日に増してハードでしたが、この日行くつもりだったところはとりあえずすべてまわれたので、最後の気力を振り絞って安土駅まで歩き、近江八幡駅に戻りました。
 
 夕食は、前日入れなかったしゃぶしゃぶのお店に再チャレンジしようと思い、夜の部の開店まで喫茶店でコーヒーを飲みながら待ち、開店時間と同時に出向きましたが、またもや満席の表示。近江牛の地元で二日続けてハンバーガーというのはショボすぎるので、ホテルニューオウミの鉄板焼屋にしようかと思い立って行ってみると、どうやらコスパの良いディナーコースは近江牛ではないような感じ。近江八幡でわざわざ近江牛以外の肉を安くもない料金を払って食べることもないだろうと思い、ダメもとで肉屋がやっているステーキ屋をあたってみようかと思い直してホテルを出たら、偶然道路の向こうに「焼肉亭近江」の看板を発見。道を渡って、少々勇気のいる細い路地を入ってドン詰まりにあるお店の前のメニューを見ると、近江牛の店のようだったので、入ってみることにしました。
 
 夜の開店時間を過ぎたばかりだったので、店にはまだ客がいませんでしたが、一人なのでカウンターの隅に陣取りました。カウンターではありましたが、炭焼きをする七輪が設置され、具は自分で焼くシステム。
 
 おいしいものは大好きなのですが、肉はしゃぶしゃぶ、すき焼き以外それほど好きというわけではないので、食べられたのはバラとヒレぐらいでしたが、ヒレなんか口の中で溶けるような肉で、これぞ近江牛と感動。赤ワインも頼んで、のんびり味わいました。さすがにだんだん客も増えてきたので、どて焼きと白御飯でしめて、ホテルに帰着。これにて日程終了です。