羽生雅の雑多話

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画家ムハと職人ミュシャ~ミュシャ展感想

 本日は開館時間が長い金曜なので、国立新美術館でやっているミュシャ展に行ってきました。

 アルフォンス・ミュシャアール・ヌーヴォーを代表する画家ですが、「ミュシャ」というのは英語読みで、彼はチェコ人なので、母国語での発音は「ムハ」となります。以前にも書いた、ミカエル=マイケル=ミッシェルや、クラナッハクラーナハなどと同じ発音の違いですね。多言語の欧米ではよくあることですが、今さら「ムハ」とか言われてもね、誰それという感じはあります。最初に聞いたときにはさっぱりわからなくて、ムハンマドの略かと思ったくらいですから。ちょっと違いますが、エベレストも一時期チョモランマと呼べとか言われていましたが、結局浸透せず、エベレストに戻っていますし。長年親しんだ名前はそう簡単には変えられません。たとえ発音の違いといえども、です。ジョージア(旧グルジア)だって全然馴染んでいませんし。

 それはさておき、今回のミュシャ展ですが、展示の目玉は、本国であるチェコ国外世界初公開となる「スラヴ叙事詩」でした。リーフレットによれば、大きなものは1枚が約縦6メートル、横8メートルとのこと。よく持ってきたし、よく貸し出したなと感心する、全20作に及ぶ大作です。しかしながら、私は昔からミュシャの絵が好きなので観に行きましたが、特にそれが目的というわけではありませんでした。実のところ、「スラヴ叙事詩」は、パリ時代の絵が好きな人間には微妙な作品なので。

 私は学生時代からオーストリア皇后エリザベートとミツコ・クーデンホーフ=カレルギーに興味があり、最近はのんびりとしたリゾートライフも楽しみたいのでエリザベートの逃避行先であるコルフ島やらマデイラ島などに行っていますが、二十代の頃はウィーンやミュンヘンブダペストなどに行っていました。なので、プラハにも行ったことがあります。プラハにはエリザベートもミツコも縁がないため、そういう意味では用がなかったので一度きりですが、当時はブダペストよりきれいな街と言われていたので(今はどうか知りませんが)、大好きなテニスプレーヤーだったナブラチロワの故国を訪ねることと、ミュシャの絵を見ることを目的に訪れました。けれども、「スラヴ叙事詩」は2012年までモラフスキー・クルムロフという町の城館に展示されていた、知る人ぞ知る作品だったので、その頃はプラハに行っても観ることはできませんでした。

 ということで、今回はじめてこの作品を観たわけですが、はっきり言って、ミュシャが描いた絵画の大作以外の何物でもありませんでした。

 私は絵を観るのが好きで、好きな絵を観に海外にも行く人間です。ミュシャについても、彼の絵が好きで、それを観るためにプラハに行きましたが、正直なところ、この絵を見るためにプラハに行くことはないだろうと思いました。プラハに行ったついでに見ることはあっても。

 「スラヴ叙事詩」は良くも悪くもミュシャらしい絵でした。よく言えばやわらかくて透明感があり、悪く言えば重厚さがないという。とはいえ、テンペラや油彩であっても、4メートル以上の大作になっても、あの独特なタッチを維持して、一目でミュシャとわかる表現力はすごいと思いました。描かれる人物が一貫してミュシャが描く顔だからでしょう。

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 しかし、装飾性の高い繊細な画風であってもグラフィックデザイン的な表現方法や版画技法ならある程度明確であった線がなくなった分、大作にあるべき迫力というか力強さがないような気がしました。パリ時代の作品からは抱かなかった印象です。基本、リトグラフなどは細い太いはあっても輪郭線がはっきりとしていましたから。印刷業界でよく言う、いわゆる「眠い」感じで、だからなのか、あれほどの大作でありながら、胸に迫ってくるものがありませんでした。あのくらいのサイズになると、本当にすごい絵(あくまで自分にとってですが……)は身震いしますから。ラファエロの「システィーナの聖母」とか、エル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」とか。ちなみに、今までで一番大きな衝撃を受けた絵は、システィーナ礼拝堂ミケランジェロの天井画で、食い入るように隅から隅まで見たあと、ふらふらしながら部屋を出ました。その後、サン・ピエトロ大聖堂ピエタを見たら、お腹いっぱい。これ以上は受け止められません、十分に堪能しましたので、本日はもう結構という気分になり、まだ陽が高かったのですが、予定を切り上げてエノテカに飲みに行ったほど疲れていました。

 ミュシャ作品のモデルとして知られる女優――サラ・ベルナールは「ジスモンダ」のポスターを見て衝撃を受け、以後彼に自分のポスター制作を依頼するようになったと言われています。私はサラではありませんが、やはり「四芸術」や「四つの星」を初めて観たときには衝撃を受け、以後漁るようにミュシャの絵を観ました。しかし残念ながら今回は、その時のような気持ちは湧きませんでした。

 その一方で、このやさしいタッチだからこそ、悲しい歴史も描けたのではないか、またこの絵だからこそ、目を覆いたくなるような残酷な場面も人々に見てもらえているのではないかとも思いました。変なたとえになりますが、マンガの『進撃の巨人』の絵が上手くないから巨人が人間を喰らうシーンもエグくなくて読めるというのと似たような感じです。ならば、この絵はミュシャにしか描けなかったので、大国や教会などから外圧を受けながらも民族の誇りを守ろうとして闘ってきたスラヴ民族の歴史を伝えるという役目を果たすものとしては申し分のない、素晴らしい作品だと思いました。

 それから、チェコ人画家ムハが本当に描きたかったのはこの絵だったのだ――とも思いました。力強さには欠けますが、様々な要素が描き込まれた絵からは、そこに込められた想いがひしひしと伝わってきました。そして、この絵を描くためにパリ時代の作品は生み出されたのだという気もしました。描きたい絵を描ける土壌を作るために――アーティストとしての地位を確立すべく制作されたパリ時代の作品は、彼が描きたいものではなく、彼の技術や才能ゆえにチャンスを与えられ、またそれを知らしめ、新たなチャンスを得るために描かれた絵――すなわち、仕事の結果として生まれたものでした。だからこそ私は惹かれるのだと思います。いうなれば、デザインやイラストの一流職人が、対価とさらなる評価を得るために、己の技を最大限に発揮して生み出したものなのですから。よって、あの時代の作品は、芸術家の美術作品というより、腕の良い職人による工芸作品といったほうがよいのかもしれません。そして私は、画家ムハが描きたいという衝動と感性で描く作品ではなく、職人ミュシャが緻密な計算の上に描く完成度の高い様式化された作品が好きなのでしょう。

 期待していたミュージアムグッズは、クリアファイルだけは充実していましたが、全体的にイマイチだったので、一筆箋2冊と「スラヴ叙事詩」の中で一番気に入った「スラヴ式典礼の導入」の絵葉書を1枚だけ買ってきました。スラヴ民族の団結を表しているという輪を持って踊る青年の表現が良かったので。帰ってきてチケットの半券を見たら同じ絵だったので、やはり20作の中でも秀作なのだろうと思いましたが。他は、人物表現にこそミュシャならではの特徴が表れていたのですが、あの大きさの絵を絵葉書にしても顔の表情はつぶれてしまい、もはや知らなければミュシャともわからない絵だったので、やめました。システィーナでも絵葉書の印刷の質が酷くて、印象が違いすぎて買うに買えませんでしたが。図録も、95年の文化村でのアルフォンス・ミュシャ「生涯と芸術」展と、05年の東京都美術館でのミュシャ展で買っているので、今回はパスしました。悲しい哉、「スラヴ叙事詩」はサイズ感に圧倒される絵で、コントラストなど絵自体のインパクトは弱いので、縮小すると何だかわからない、本当に大したことのない絵になってしまうのです(あくまでも個人の意見です)。実物を原寸で鑑賞してこそ、良さやら何やらが伝わってくる絵だと思います。そして、観れば、いろいろと考えさせられるので、そういう意味では、たいへん価値のある作品だと思います。

 ともあれ、会場も、人は多いですが、それほど混雑していたという印象もなかったので、展覧会自体はよかったです。やっと国立新美術館の企画展で満足することができました。