羽生雅の雑多話

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ジョン・ケアード演出、内野聖陽主演「ハムレット」に見る蜷川幸雄の影

 昨日は東京芸術劇場で「ハムレット」を観てきました。ストレートプレイは久しぶりで、ハムレットに至ってはターコさん(麻実れいさん)以来でした。

 私は中高生時代から欧米に留学がしたかったので、一番留学への早道のような気がした東京外語大を目指していたのですが、あえなく玉砕し、浪人が許されていませんでしたので、とりあえず受かった大学の人文学部英文科に入りました。そして、英文科で研究するならオスカー・ワイルドだと思い、一番近そうなのがシェイクスピア専門の教授だったので、1年間1か月に1冊シェイクスピアと平安古典文学、それと谷崎潤一郎を読むことを自分に課しました。谷崎はこの年齢ならおもしろく感じられるだろうと思い、また、平安文学は受験勉強の時に原文に触れて興味を持ちましたので、受験が終わって時間に余裕ができたら読もうと思っていたからです。

 その時に読んだものの中では、谷崎は『蓼食う虫』、シェイクスピアは『ハムレット』、平安文学は『落窪物語』が好きで、特に落窪のおもしろさは衝撃的でした。それ以前から田辺聖子さんの小説が好きだったので、『舞え舞え蝸牛』を読んでいて、こちらが大好きだったので、その元ネタである落窪はぜひ原文で読みたいと思い、図書館で借りて読んだのですが、あまりにおもしろすぎて、家族で親戚の家に遊びに行くときにも手放せず持っていきました。翌日が潮干狩りだったのですが、夜更かししても読み終わらず、朝が早いので渋々ながら途中でやめて、でも気になって海に向かう車の中でも読んでいたら酔って気持ちが悪くなり、とても炎天下で潮干狩りができるような状態ではなく、一人で休んでいて、わざわざこんなところまで来て何をしているのかと思ったのをおぼえています。

 平安文学は現代語訳はけっこう昔から読んでいて、『源氏物語』はもちろんのこと、『大鏡』や『大和物語』なども大好きでした。外大で英文科ではなく仏文科に行くことになったら、『The Tale of GENJI』の研究をしようと思っていたぐらいですので。オスカー・ワイルドは『サロメ』の世界観が好きで、ワイルドという人間自身にも興味がありましたので日本語訳を読んでいましたが、『真面目が肝心』を原文で読んでおもしろかったので、イギリス文学をやるなら彼を研究してみようと思いました。師事しようと思っていたシェイクスピア専門の教授が1年の終わりに大学からいなくなり、他のイギリス文学に興味はなかったので、結局史学科に転科し、平安時代の藤原摂関期を研究していましたが。

 で、ここからがようやく昨日の「ハムレット」の感想ですが、よかったです。間違いはないだろうと思ったから観に行ったのですが。内野聖陽さんは「エリザベート」のトート役は正直イマイチでしたが、それは歌のせいで、演技に関してはピカイチでしたから。演技が上手いから歌が残念なのが気になるというわけで……。それに比べて、山口祐一郎さんは、歌がいいから演技はどうでもいいという感じでした。細かくいえば、手の振りとかが微妙ではあるのですが……。そもそも内野さんに関しては、キャスティングの時から、芝居畑の彼に「なんでやらせるかなぁ」と思っていましたから。「エリザベート」はセリフがほとんどなく、全編歌で構成されたミュージカルなので、歌がよくなければダメだし、歌がよければもうそれで十分という演目ですから。

 そんな内野さんが主演ですから、本領発揮で、これでこそ内野聖陽期待どおりでした。彼のハムレットは、悩める貴公子という感じではなく、少々チャラ男ぽかったですが、それだけに身分が王子というだけの普通の青年という感じで、父親の亡霊に復讐を迫られて、でも中々できずにうじうじと悩む姿は身近な人物像で、現代人でも感情移入がしやすい人物造形だったと思います。ターコさんは本当に格好良くて、王家の伝統を背負う昔ながらの貴族の青年、理想の「悩める貴公子」でしたから。

 それと、ホレイショ役の北村有起哉さんがよかったですね。大河ドラマなどで巧い役者さんだと思って見ていましたが、舞台でも安定感が抜群でした。ハムレットを含め、デンマーク王家の者がみな死に絶えたあとホレイショだけが残るのですが、北村さんでなければこの間はもたないと思うほど、舞台の空間をうまく制していましたから。友の中でもハムレットがホレイショだけを最後まで信じて頼った人物の大きさも十分表現されていましたしね。

 ポローニアス役の壌晴彦さん、座長役の村井國夫さんは、セリフ回し、声質、声量、滑舌の明確さ、すべてがさすがだと思いました。村井さんは昔から好きなのですが、これだけ上手い役者さんたちの中で役者を演じてもおかしくならないためには、村井さんぐらいの役者でないとダメだろうなと思って観ていました。それに比べると、クローディアス役の国村隼さんは、上手いけれどテレビや映画の役者さんだなと思いました。一人で舞台に立つ祈りの場面は、もう少し聞きやすくしてほしかったです。クローディアスも根っからの悪人ではないのだと観客に知らしめる重要な場面ですから。全体的によかっただけに、観終わったあとの要求が高くなりました。

 何回か記事でも書きましたが、見たいと思ったものは基本的に見るようにしているのですが、舞台作品などは観たいものすべてを観ていたらきりがないので、三つ四つの理由がないと最近では行かないことにしています。今回は演目がハムレットで、内野聖陽主演という理由の他、ジョン・ケアードの演出だから行ってきました。「レ・ミゼラブル」の演出家です。

 「レミゼ」はいいミュージカルなのですが、個人的にはケアード作品では「ジェーン・エア」が一番好きで、初演も再演も観に行きました。私の三大ミュージカルは「エリザベート」、オペラ座の怪人」、「ロミオとジュリエット」ですが、それに次ぐぐらい好きな作品です。なので、リーヴァイ、ロイド・ウェバー、ケアード、ワイルドホーン、プレスギュルヴィックあたりは、役者と演目に問題がなければ、行くことにしています。

 今回の「ハムレット」はミュージカルではありませんが、舞台の作り方は「ジェーン・エア」に近いものがありました。大道具・小道具の類がほとんどない削ぎ落された感じで、舞台の上に観客席が設けられていた点も「ジェーン・エア」と同じでした。

 それと、随所に蜷川幸雄っぽさを感じました。衣装も演出も。上記のような理由で、シェイクスピアは読んでいましたし、ギリシャ神話好きなので、昔は蜷川作品もよく観ました。シアターコクーンの「グリークス」9時間公演にも行きましたし。「王女メディア」は、あれほど観終わったあと気分が悪くなった芝居もなかったので、いまだによくおぼえています。いい意味です。芝居であそこまで人間の欲というものをあからさまに表現し、観客に見せつけ、心を重くできるものかと思いましたから。

 今回の作務衣風の衣装や、藤原道山さんの笛の音を使った音楽など和風テイストは、蜷川を思い出させ、クライマックスの演出で、王家の人が死に絶え、後ろの壁が開いて舞台がライトの光で照らされ、そこに向かって死んだ人たちが立ち上がって去っていく場面の演出は、「え、身毒丸?」と思いました。そんな感じだったので、ケアードを観たという気はあまりしませんでした。ミュージカルでもありませんでしたし。

 ケアードが蜷川幸雄の演出作品を観ているかは知りませんが、観ていれば影響を受けても仕方がないと思います。蜷川作品はとにかく個性的で強烈で、いい悪いを超えて記憶に残るものがありましたから。影響力は大きいと思います。まさしく「世界のNINAGAWA」でした。

 昨年5月に、蜷川さんが亡くなられて、来月で一年になります。早いものです。舞台というものはおもしろいもので、楽しかったで終わるいい作品もありますが、楽しくなくても観てよかったと思える、いい作品があります。観終わった後やたら疲れたし、後味が悪くてすっきりしない、いろいろ考えさせられ、いつまでも尾を引くという作品もあります。蜷川さんの作品はまさしくそういう作品で、裏を返せば、真に人の心を動かす力のある作品だと思いましたので、そんなところが好きで、よく観に行きました。ある意味、自虐的だとも思いましたが。国内外問わず、そんな演出家に出てきてほしいですね。亡霊役の他に、蜷川の影が見え隠れするような形ではなく。