羽生雅の雑多話

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京都寺社遠征 その1~今宮神社、上賀茂神社、二条城

 下鴨神社鈴虫寺に行くという仕事仲間の旅に便乗し、松尾大社の磐座登拝に付き合ってもらうために京都へ行ってきました。金曜の午前中にまわるという下鴨神社は時間的にしんどかったのと何度も行っているためパスさせてもらって、午後から合流し、まずは二条城に行きました。徳川家を取り上げた小説を書くにあたってこちらにも何度も行っているのですが、今月末まで東大手門と東南隅櫓の特別公開をやっているので行ってきました。それと、仕事の都合上、大政奉還150周年記念プロジェクトと狩野探幽の障壁画の情報が欲しかったので。


 城を見るのも好きなので昔から見てまわっているのですが、天守閣巡りはすでに落ち着いていまして、400年祭などの機会があったら見るようにしています。しかし櫓に関しては、特別公開があれば極力見に行くようにしています。昔、岡山城の月見櫓の特別公開を見たときにけっこうショックを受けまして、その後彦根城築城400年祭で、西の丸三重櫓、太鼓門櫓、天秤櫓を見て、見学を許可している天守閣とか御殿は手が入りすぎているため、往時の城郭建築を知るには、普段公開されていない建築物を見るのがいいと痛感し、以降見るようになりました。近年においては、明石城の巽櫓と坤櫓の特別公開、大坂の陣400年天下一祭の時に大阪城の大手口多門櫓と千貫櫓、乾櫓の特別公開などを見に行ったりしています。正直なところ、どの櫓も造りはほとんど同じですが、同じものを見ることによって、当時の建築常識がわかり、違うものがあれば、独自の工夫がわかります。また、そこから見える風景などで、想定された敵の侵入経路なども確認でき、その櫓の役割が実感できます。
 
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 特別公開を見てから、通常の見学コースとなっている二の丸御殿を見学。見学通路から各部屋が遠くなり、障壁画はほとんど模作で、杉戸は外されて展示物となり、ずいぶんとおもしろくない展示に変わっていました。外国人観光客も増えて仕方がないとは思いますが、かなりさびしいものを感じたので、しばらく行かないと思います。家茂ゆかりの二条城を残してくれたことと、これからも残ってくれることを願って、以前一口城主になったほど好きな城なのですが。
 
 二条城を見終わったあと、金曜は6月30日で夏越の大祓だったので、夜8時から人形流しが行われる上賀茂神社に行くことにしていたのですが、それまでまだ時間があったので、二条城前駅から地下鉄で北大路駅へ行き、市バスに乗って船岡山の停留所で降りて、今宮神社へ向かいました。二条城から上賀茂神社方面に向かう方向にあり、かつ、お寺は受付が終わる時間だったからです。

 当社は、『延喜式』以後――一条天皇の時代に創始された神社なので、縄文・弥生史研究とはあまり関係がないため行ったことがなかったのですが、大きな神社でした。学生時代は摂関政治が専門だったので、一条天皇とその時代はたいへん馴染みがあり、彼の皇后である藤原定子、彼の政治を支えた藤原公任藤原行成は特に思い入れのある人物で、ずいぶん研究したものです。

 余談になりますが、摂関時代で一番興味があり研究したのは、藤原時平でした。なので、菅原道真が好きではないため、彼を祭神とする天満宮には、長らく太宰府天満宮鶴岡八幡宮ぐらいにしか行ったことがありませんでした。しかし天満宮にも、選ばれてそこに建てられた理由があり、大抵の場合、それ以前からその場所が聖地で、道真より先に祀られていた神を祭神とする摂社や末社があったりするので、数年前から行くようにしています。応神天皇を祭神とする八幡宮もそういう傾向があるので、天満宮八幡宮は特に摂末社を重視しています。

 今宮神社では茅の輪をくぐり、参拝後に御朱印をいただき、摂末社を見たあと、門前の「かざりや」さんで、あぶり餅をいただきました。

 その後、神社前のバス停から市バスに乗って上賀茂神社へ。茅の輪をくぐり、流してもらう紙の人形に名前と年齢を書き、体を撫で息を吹きかけることによって穢れを移したものを預けたあと、式年遷宮で来年の3月まで工事中の楼門から本殿に向かって参拝。当社にも夜間特別拝観などで何度も来ていて、御朱印は以前頂戴しているので、今回はいただかず。摂末社もひととおり見ているので、境外摂社の大田神社だけ寄ってきました。こちらにも行ったことがあって、御朱印もいただいているのですが、8時まで時間があったので。

 当社の祭神は天鈿女命。鈿女=ウズメで、彼女はニニキネの国土開発の伴をした舞人なので、このことからも、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷神こと別雷神=ワケツチカミがニニキネであることがわかります。

 京都がある山城国の「山城」は、昔は「山背」と書きました。読みも元来は「ヤマシロ」ではなく、「ヤマウシロ」でした。というのも、かつて都は琵琶湖岸にあったからです。つまり「山背」の山とは比叡山のことで、したがって山背国とは“比叡山の背の国”という意味になります。『ホツマツタヱ』によれば、このヤマウシロの土地を開拓することをニニキネが命じて、ヤマクイが野を掘って土を積み上げ盆地を開きました。ゆえにニニキネはヤマウシロの国の開拓神――別雷神として祀られ、ヤマクイが土を積み上げてできた比叡山にはヤマクイが大山咋神として祀られました。それが上賀茂神社日吉大社の元々の起源だろうと思っています。

 大田神社から上賀茂神社に戻り、おふるまいの夏越豆腐などを食べつつ日暮れを迎え、8時10分前になったので、「ならの小川」の川べりへ。

 半年間の罪や穢れを清め払う夏越の大祓自体はどこの神社にもある神事ですが、上賀茂神社の人形流しは、「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」という、百人一首に採られている従二位家隆こと藤原家隆の歌にも詠まれている、特に有名な儀式です。その名のとおり、罪穢れを移した紙の人形を、境内に流れる「ならの小川」に流します。家隆の歌の朗詠のあと、佐久奈度神でおなじみの大祓詞が唱えられる中で、橋殿から宮司以下の神職が手裏剣を飛ばすようにして次々と人形を川に飛ばして流します。その後、「思ふこと みなつきねとて麻の葉を きりにきりても祓へつるかな」という和泉式部の歌を心の中で詠みながら、参列者はブロックごとにお祓いを受けます。

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 お祓いのあと、混む前にバス停に向かって市バスに乗り、二条駅で降りて同行者と別れ、地下鉄で京都市役所前駅へ。ホテルにチェックインして日程終了です。京都には着いたときには雨が降っている上に、西日本は大雨だったのでどうなることかと思いましたが、午後には上がって、夕方には晴れ間も見えました。その分、たいそう蒸し暑かったですが、寺社巡りで雨に降られるよりはまだましです。これも神の御加護だと思います。