ロードス島二日目の朝は、数種類の手作りジャムと、ホテルの主人が作るオムレツがメインの朝食後、いったんチエックアウトして、スーツケースは預かってもらうことに。友人はリュック機能付きのキャリーを引いていましたが、私は必要な物だけをエキスパンド機能が付いた3ウェイバッグに詰めて背負い、港に行って8時半発の高速船「ドデカニソス・エクスプレス」に乗船。この旅で友人が一番行きたがっていたパトモス島へと向かいました。シミ島、コス島、カリムノス島、レロス島、リプシ島と、ドデカニソス諸島の各島を経由する、ロードス島から約5時間の船旅です。クルージングではなく、単なる移動にしては長い船旅ですが、パトモス島には空港がないため、船で行くしかありません。「ドデカニソス・エクスプレス」は高速船というだけあって、デッキに出ると向かい風と戦うことになり、写真撮影にも苦労するスピードなのですが。
シミ島。島に近づくとスピードが落ちるので、撮影もできます。
ということで、時間はたっぷりあったので、友人が前日に買って食べる機会がなかった生イチジクを食べることに。ナイフを忘れたと言うので、常日頃から持ち歩いているヴィクトリノックスのアーミーナイフを貸し、さらに、どこに入れたかわからないと言うので、ウェットティッシュを提供したら、全部剥いてくれたので、私はただひたすら食べるだけ。買ったときにすでに完熟の状態だったので、熟れすぎていて皮剥きも苦労するぐらいベチャベチャでしたが、それだけに甘みが強くて美味しかったです。
予定より30分ほど遅れて、午後2時ぐらいにパトモス島に到着。この日は日曜日で、パトモス島最大の目的である世界遺産――聖ヨハネ修道院と聖ヨハネが暮らした洞窟は、午前中と午後は4時から6時までの2時間しか開いていないので、まずは港に近い海沿いの一軒家のホテルにチェックインし、フロントに置いてあったパトモス島の英語版ガイドをもらってきて、この後の過ごし方を検討。このガイド、テイクフリーなのですが、厚い上にフルカラーで、無駄に立派。2017と書いてあったので、どうやら毎年作っているみたいです。『地球の歩き方』では、たった2ページしか紹介されていない島ですが。
検討した結果、修道院へ行くバスの本数が少ないので、時間や乗り場を確認しておいたほうがいいということになり、少し休憩したあとに外出。ツーリストインフォメーションはすでに閉まっていましたが、バス停で調べたら案の定2時間に1本で、次のバスまでしばらく時間があったので、翌日の高速船の切符を買ってから、港町スカラのメイン通りにあるお菓子屋に入り、パトモス島名物のローカルチーズを使ったチーズパイで腹ごなし。かなりボリュームがある食べごたえのあるパイを食べていたら時間になったので、残りは袋にしまって保存食とし、バス停に行って、修道院があるホラ村行きのバスに乗りました。
ホラ村に着いてバスを降りると、この村は丘の上にあるので、眼下にはスカラの町や港の美しい眺望が広がっていました。スカラはパトモス島の南北のほぼ中心に位置し、島のくびれ部分にあたるので、高台にあるホラ村からは島の北半分がよく見えます。
イエス・キリストの12人の使徒の一人であるヨハネは、ローマ人に追放されたあとパトモス島に幽閉され、島の洞窟で暮らしているときに天啓を受けて、聖書の黙示録を書いたと言われています。そんな場所ですから、もちろんキリスト教の聖地です。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラやフランスのルルドなどと並ぶ重要な巡礼地なので、11世紀には修道院が建てられて、以降多くの巡礼者が訪れ、伝承とそれに基づく歴史ゆえに、洞窟と修道院と、並びに修道院を取り巻く村が歴史地区として世界遺産に登録されています。
そのため、丘を下ったあとにまた上に戻ってくるのは大変なので、悔いのないようにと修道院の外側を一周し、村でお土産を物色。ハンドメイドのセラミックを扱う店に売っていた、ギリシャ文字で「パトモス」と入った焼き物が可愛かったので、デミタスのカップ&ソーサーと、揃いの柄のミニ鉢を購入しました。気に入ったから買ったので後悔はなかったのですが、修道院内のショップで、公式グッズらしき修道院のイラスト入りマグカップも購入していたので、陶器が四つに増えて、しかも次の日はコス島なので、この荷物ではもうパトモス島のワインは買えないなと、少々残念な思いを抱きつつ、ホラ村を後にして坂を下りました。
修道院の見学で一番おもしろかったのは、内装や展示物などの内部よりも建物自体でした。島という性質上、またトルコに近いという地理的な理由から、海賊やセルジューク・トルコ軍の侵攻に備えたということで、修道院というよりも要塞のようなごつい建造物だったことです。しかも丘の上にあるので、港に入る船からも見えるため、現在もパトモス島のランドマークになっています。
城壁のような修道院の外観です。
沖からも丘の上の修道院はすぐにわかります。
修道院の外側を一周し、土産物屋で買い物などをしていたら、洞窟の閉門に間に合うかという時間になってしまったので、友人と会話もせず、他に誰も歩いていない道を30分ほど二人で黙々と歩き、今まさに閉館しようとして聖職者らしき人が片付けをしているところに飛び込むように入場しました。
洞窟の内部は、今は祭壇などがある、ちゃんとした祈りの場になっていますが、ヨハネが暮らしていたときは、当然のことながらそのような物はなく、ただの洞窟だったと思いますので、こんな暗くて狭い空間で暮らしていれば、本来は見えるはずのないものでも見えるのではないかという気がしました。いわゆる幻視というものです。それがのちに天啓といわれるものだったのではないでしょうか。
片付けを終えた聖職者が鍵を閉めるときに追い出されて、引き続きバスなどの公共交通手段はないため、再び徒歩でスカラの町まで戻ることに。
30分ほど歩くと、チーズパイを食べたお菓子屋がある町のメイン通りに出たので、夕食を摂る店を探しつつ、気になる店に寄り道。友人がピスタチオのペーストを探していて、立ち寄ったナチュラルショップでドライマンゴーを試食したら、去年買ったマデイラ産を思い出させるほど美味しかったので、ついつい購入。残念ながら、ピスタチオのペーストはありませんでしたが。
メイン通りには、ゆっくりと食事をしたくなるような店がなかったので、港の近くでシーフードの店を探したのですが、どこも通りに迫り出したテラス席で、落ち着けるようなところがなかったので、結局洞窟から歩いてくる途中で看板を見たイタリアンの店に行くことにしました。「パトモス島まで来てイタリアンというのはどうよ」と話していたのですが、まともな店でまともに食事をすれば2時間はかかるので、居心地が悪い店は嫌だということで意見が一致しました。ホテルでもらってきたガイドにも、サンセットが眺められるレストランと写真入りで大きく紹介もされていたので。
洞窟から歩いてきた道を看板のところまで戻って、看板が示す、港とは逆方向へ向かう道を歩いていると、しばらくして西側の海に出ました。歩いてきたのはパトモス島のくびれ部分で、東西の距離が一番短いところです(地図を見ると、正確にはスカラよりずっと南のほうに、東西の距離がもっと短い場所がありましたが)。
パトモス島のくびれ部分。港がある東側は建物が集まるスカラの町で、西側は人工物がない美しい海岸線が続きます。
道が終わる角に目指す店があり、入り口に出されていたメニューを見ると少し料金が高めだったのですが、それゆえにかお客も一組しかいなかったので、これなら落ち着けるということで店に入り、海側に設けられているテラス席へ向かうと、ちょうど陽が沈む直前でした。
アルファベットが見えるのが、ホテルの他、メイン通りの店にも置かれていた無料のパトモス島ガイド。詳しくは忘れましたが、A4ないしはB5ぐらいの大きさで、厚さも5ミリほどあり、立派すぎてバッグに入らなかったので、土産物の袋に入れて持ち歩いていました。このようなものを作っているということで、街全体が世界遺産となっているロードス島以外に、ドデカニソス諸島で世界遺産を有する唯一の島として、この島がいかに観光産業を重視しているかがわかります。『地球の歩き方』の情報はたったの2ページでしたが(クドイ)。
時間が早いこともあって、ほとんどの席が空いていたので、一番夕日がよく見えるテーブルに座り、エーゲ海に沈みゆく陽を見ながら、白ワインを飲み、味付けが独特のナス料理を味わっていたら、次第に人がわらわらとやって来て、数分で店も店の外の海辺も賑やかになりました。そのうえ、私たちと夕日を結ぶ直線上という絶好の位置にカップルが立ちはだかり、二人でいろいろやっていてその場所から全然動かなかったので、カメラを構えた隣のテーブルの御婦人と顔を見合わせて呆れつつ、カップルがフレームアウトできる位置を互いに譲り合って撮影しました。
陽が沈んだあとは、サンセット見物が目的だった人たちがさっさといなくなったので、とたんに静かになり、本日のお薦めメニューだというトリュフパスタも出てきて、これが我々キノコ好きにはたまらない美味しさで、ツボにはまったため、もうひと皿頼んで、デザートのミルフィーユまで食べて、夜のエーゲ海を眺めながら、のんびりと食事を楽しみました。普段は昼食を重視して、夕食は飲み会でもなければ軽く終わらせる人間なので、いささか食べ過ぎた感がありましたが、全体的に美味しかった上に、これから島を横断して、メイン通り経由で東側の海に出て、スカラの港を越えてホテルまで歩いて戻らなければならないので、とりあえずよしとすることにしました。
10時半過ぎにホテルに着いて、この日も無事に日程終了です。