羽生雅の雑多話

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ドデカニソス諸島旅行記 その3~コス島

「コスショック」による教訓
其之一 旅のあいだの食事は妥協するな。
其之二 ガイドブックは最新版を持参せよ。
 
 次の日の朝、窓から差し込むオレンジ系の朝焼けの光で目が覚めて、もしかしてちょうど日が昇るのかと思い、急いで起き出したら絶妙なタイミングだったので、スマホを手にしてバルコニーに出ました。日の出は島の北半分の島陰に引っかかるかどうかというギリギリのところでしたが、上手く外れてくれて、エーゲ海の水平線上に朝日が登場。ラッキー、まさしく早起きは三文の徳という気分でした。パトモス島では予期せず両方を拝めましたが、サンセット&サンライズが見られるのはめったにないことです。年とともに体調管理のほうが重要になって、朝日を見るためにわざわざ早起きなんかしなくなったので。

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パトモス島の朝は早いです。日が昇る前から船の姿が海にあります。

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久しぶりに朝日新聞ロゴマークのような光条を見ました。
 
 朝食後、ホテルをチェックアウトして、心残りがないようにメイン通り周辺をふらついたあと港へ行き、11時発の高速船「ドデカニソス・プライド」に乗船。リプシ島、レロス島、カリムノス島を経由して、やはり30分遅れで、2時過ぎにコス島に到着しました。各島停泊時間が510分で運航スケジュールが組まれているのですが、バカンスシーズンはほぼ満員で、乗り降りに時間がかかるため、必ず遅れます。

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素晴らしい日の出を見せてくれたパトモス島のホテル。朝日に面しているので、白壁がまぶしいです。
 
 コス島行きは私の希望で、ロードス島まで行ったら、絶対にコス島まで足を延ばしたいということで、短い日程の中で船のスケジュールとにらめっこし、私と友人両方の希望を叶える旅程を組みました。
 
 コス島は、オリンポス12神の一人であるアポロンの息子、アスクレピオスの遺跡で知られる島です。浮気を咎められて母が父に殺されたとき、アスクレピオスは母の胎内にいましたが、不憫に思った父に救われて、半人半馬のケイロンに預けられ、この賢者のもとで育ちました。ケイロンの下で医術を学び、長じて医者となったアスクレピオスは、アテナの加護を受けて死者まで蘇らせるようになったので、自分の国に下って来るはずの人間が来ないと、冥界の王ハデスが怒って大神ゼウスに抗議したため、兄の言い分を聞き入れたゼウスによって雷撃で撃ち殺されてしまいました。アスクレピオスの母親のコロニスはラピテス族の王の娘で人間だったので、アスクレピオスは神ではなく半神であり、それゆえ不死身ではなかったのです。アポロンの息子であるアスクレピオスにとってゼウスは祖父にあたるのですが、基本的にギリシャの神々は残酷なので、孫といえども容赦はないです。しかし死後は生前の功績が認められて、また、息子を父に殺されるという不幸に見舞われたアポロンへの同情もあり、神の一員に加えられて天上に迎えられ、蛇使い座となりました。その経歴から、古来より医療の神として絶大な信仰を集めてきた人物――もとい神様です。
 
 紀元前460年ごろ――いわゆる古代ギリシャ時代にコス島に生まれ、西洋医学において「医聖」と称えられるヒポクラテスは、生まれ故郷であるこの島の高台に、医療の神であるアスクレピオスの神殿と治療院兼医学校のような施設を作り、医学の研究と指導にあたっていました。その遺跡がアスクレピオンで、私がこの島を訪れた最大の目的です。
 
 遺跡巡りは神社巡りと同じで、作り話のように思える神話が実は歴史的事実を基にした伝承の変形であることを――教科書の中で見た人物名が知識として必要なただの固有名詞ではなく、過去に生きていた我々と同じ人間の名であることを再認識させてくれます。そして、遺されている物の時代が古ければ古いほど、それが後世の多くの人間に少なからぬ影響を及ぼし、その生き方を左右してきたことを実感します。過去の遺物はそれを守ろうと努力する者たちがいなければ、すぐに滅びますから。神や聖人を信仰することが人々の暮らしに溶け込み、実生活の一部だったからこそ、守るのが当然のこととして聖跡は残されてきたのです。現世の人間は皆、そんな前世の人間の子孫ですから、今でも神々や聖人たちの存在に影響を受けていると言っても過言ではありません。洋の東西を問わず。
 
 下船後、海沿いを歩いて78分のはずのホテルへ。しかし歩けども見あたらず、しびれを切らした友人が、ある飲食店の前の歩道を掃除していた人に英語表記の住所を見せて道を訊ねました。しかし英語がわからなかったようで、店内にいた店の主人らしき人を呼んでくれたので、改めて訊ねたところ、目の前の道をもう少し先まで歩くとのこと。教えられたとおりまっすぐ歩いていると、程なく到着。ロビーやラウンジがある四つ星の大きなホテルで、部屋も広くて、寝室とキッチン付きのリビングダイニングの部屋がある、海側の部屋でした。1階はスーパーマーケットと繋がっていたので、長期滞在用のホテルと思われます。久しぶりにバスタブがあり、感激しました。ギリシャは四つ星以上、しかもそこそこ新しいホテルでないと、シャワーブースのみでバスタブがないところが多いので。トイレはロードス島やパトモス島と同じく紙が流せずゴミ箱に捨てる方式でしたが、これは個々のホテルのせいではなく、ギリシャの離島に共通した排水事情の問題なので、仕方がありません。
 
 荷物を置いて、まずは港の近くにある「ヒポクラテスの木」を見に行きました。病に関しては迷信や呪術的な知識が中心で医学の概念がなかった人々に、ヒポクラテスが木の下で医学を説いたと伝わるプラタナスの巨木です。近くまで行ってみると、周囲にはいわゆる規制線のようなものが張られていて、隣にあるモスクと思われるドーム状の建物は無残に崩れていました。それを見たときに、前月にコス島で地震があったことを思い出しました。日本のNHKニュースでも報じられるぐらい大きな地震で、ニュースによると死者も出ていたので、大丈夫かなと心配していたのですが、その後の報道もなかったのですっかり忘れていて、到着してみると高速船の乗降客もロードス島に次いで多いぐらい島自体も賑わっていたので、それまで失念していたのですが、何百年も耐えて人々が守ってきた貴重な遺跡も一瞬で無にする自然の脅威をまざまざと見せつけられました。石造りの騎士団の城の外壁も崩れていて、西遺跡の中に復元されていた神殿の柱も倒れていました。人間が何もしなくても滅びるときには滅びてしまうのだから、故意に破壊するものではないと、改めて思いました。

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見事にひしゃげたモスク。

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かえって見苦しくなっている無骨な支えによって、なんとか立っている、樹齢500年といわれる「ヒポクラテスの木」。
 
 続いて古代アゴラに行きましたが、月曜は休みで閉まっていました。『地球の歩き方』には午前中は休みで、午後は開いていると書かれていたのですが……。仕方がないので、翌日の開門時間をチェックして、アスクレピオンへ行くことに。我々が持っていた『地球の歩き方』はコルフ島に行くときに買ったもので、古いこともあって情報があてにならないので、行くべきところには先に行っておいたほうがいいということになり、観光トレインの乗り場へと向かいました。次の出発時間まで30分ぐらいあったので、待つあいだにピスタチオのアイスを食べ、10分前に乗り場に行くと、アスクレピオンまで行くトレインは1時台出発までで今日はもう終わっているとのことでした。
 
 またまた仕方がないので、路線バスで行くことにし、バスのチケット売り場で訊いたら、目の前のバスがアスクレピオン行きで、すぐに出るとのこと。とりあえず乗って、チケットは運転手から買えばいいと思っていたら、運転手にチケットはオフィスで買えと言われたので、チケット売り場に舞い戻って往復分のチケットを買い、なんとか間に合って乗車。チケット売り場のおねーサンには「アスクレピオンに行きたいんだけど」と訊いたのですが、どうやらそれはイコール「アスクレピオンまでのチケットが欲しい」という意志表示にはならなかったようで、「なんだチケットが必要だったのね」という対応をされました。向こうは外国人に行き方を訊かれただけと思ったようです。言葉の使い方は難しいですね。特に、非日本人に非日本語で曖昧なことを言っても、なかなか通じるものではありません。それくらいならボディランゲージのほうがまだ通用するような気がします。
 
 バスに乗って15分ほどで終点に到着し、念願のアスクレピオンへ。
 
 アスクレピオスの神殿は、彼の誕生地と伝わるエピダウロスにもあるのですが、コス島の神殿は医療施設兼研究所でもあったため、規模が大きく、後世の研究者に「医学の父」とも呼ばれたヒポクラテスのおかげで、保存状態も良好。紀元前にこんな立派なものが建てられて、今なお残っているのは奇跡と言うより他ありません。アラブ世界で起こっている遺跡軽視の現実を思えば、この貴重な人類の財産を残そうとし、懸命に守ってきたギリシャの人々の、ヨーロッパの人々の努力が偲ばれます。

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アスクレピオン。とにかく広いです。大きいです。

 遺跡は三層からなり、アスクレピオスの神殿があった一番上の第一層まで上がると、彼方にエーゲ海が見えて、隣の島まで見渡せました。白い遺跡と碧い海のコントラストが美しく、これぞギリシャという感じでした。

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アスクレピオン想像図。かつてはこんな感じだったようです。

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第二層のアポロン神殿の跡。柱は復元品ですが。

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アスクレピオス神殿があった第一層からの眺望。コスタウンの奥にエーゲ海、さらに隣島が見えます。右下は第二層のアポロン神殿。
 
 景色を堪能して上から下りてくると、一番下の第三層には浴場の跡がありました。テルマエはローマでは大衆にも浸透していた文化ですが、ギリシャ時代はまだそれほど一般化していなかったと思うので、ヒポクラテスは医療施設として使っていたのだと思います。

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テルマエ跡。「テルマエ・ロマエ」を読みましたので、もはやおなじみです。

 1時間後のバスでコスタウンに戻り、遺跡を巡り歩いて疲れたので、ヒポクラテスの木の隣にあるカフェで小休憩。プラタナスの木を眺めつつ、ゼクトを飲みました。世間でよく言う「とりあえずビール」の感覚です。私はビールが飲めないので、代わりに発砲ワインを飲みます。店の前の立て看板によると、このカフェでは夜にビートルズソングを演奏するジャズライブがあるらしく、そのせいかビートルズインストゥルメンタル曲ばかりがBGMで流れていました。やっぱりビートルズって全国区ならぬ全世界区なんだな、などと思いました。どうでもいいことですが。
 
 再び歩き出して、ローマ人の家と西遺跡に行きましたが、月曜は休みで入れず。我々が持っていた『地球の歩き方』には休みなしと書かれていたのですが……。やはりガイドブックは最新のものでなければいかんと、二人で身に沁みて実感しました。ロードス島はともかく、コス島の情報なんか4ページ、パトモス島に至っては2ページしか載っていなかったので、買い替える気にならなかったのですが。
 
 とりあえず古代劇場だけ門が開いていたので見学し、それから騎士団の城に行ったのですが、城壁伝いに歩いても入口が見あたらず、ついには港の立ち入り禁止区域になってしまったので、近くにいた現地の人に訊ねたら、ヒポクラテスの木の隣にある橋を渡ったところとのことでした。言われて、そういえば橋があったことを思い出しました。けれども赤白の規制線が張られていて渡れないようになっていたので、地震で崩れやすくなっていて立ち入り禁止か、あるいは今日は休みなんだろうと思い、切り上げてホテルに戻ることにしました。
 
 ホテルのフロントの人が久しぶりに若いおねーサンだったので、お薦めのシーフード店を訊いたら、教えられたのは、今行ってきたヒポクラテスの木よりもっと先の海沿いの店で、歩くと30分以上かかるところ。もはやそんな気力はなかったので、シーフードにこだわらないから近くでいい店はないかと訊いたら、トルコ料理店とインターナショナル――いわば無国籍料理店を薦められました。
 
 それほど大きなハズレはないイタリアンならまだしも、無国籍の創作料理なら東京にもあるし東京のほうが美味しいだろうし、トルコはお隣サンとはいえ、コス島で日本で言うところのエスニック系はないだろうということになり、古代アゴラのそばに魚が選べる店があったと友人が言うので、そこならシーフードもいけるのではないかと思い、その店に行きました。店の前のメニューを見ると、カラマリもタコもあり、この旅ではまだ一度も出合えていなかったタラモサラダもあったので、ここに決めました。
 
 なのですが……結論から言うと、これが大失敗でした。
 
 まずワインが不味い。日本の居酒屋の飲み放題メニューで飲むワインのようで、全然進まず、下手をすれば悪酔いしそうだったので、翌日に備えてやめておきました。海外で自分が注文したワインを残したのは初めてでした。基本的に、飲みたいものを選んで頼んでいますから。
 
 次に、カラマリが酷かった。スーパーの総菜のようなフライで、衣がベチャベチャ。付け合わせの野菜も茹でただけで工夫がなく、ガテン系ファミレスで出てくるもののようでした。こんなものを食べすぎてお腹が痛くなるわけにはいかなかったので、申し訳なかったのですが、カラマリだけなんとか食べて、あとは残し、タラモサラダを塗ったパンと水で食事を終えました。
 
 自分たちで好きに店を選んで食事をするようになってから、完食できないほど口に合わない料理は久しぶりだったので、この夕食はかなりショックで、また、ファミレス並みの普通のタベルナの料理だったのに、ほとんど残してしまうほど不満が残った自分にもショックを受けて、帰りの道すがら友人と嘆き合いました。旅行中はもはや普通の食事では満足できなくなってしまった、ちゃんと選ばないと今回のように悔いが残り、店の人にも申し訳ないと……。若い頃より食も細くなって、11回ぐらいしかまともな食事はしないのだから、しっかり調べて、よかったねと満足できる店で食べようと……。この衝撃を我々は「コス島ショック」、略して「コスショック」と名付け、今後旅のあいだに入るレストランは妥協しないことを肝に銘じたのでした。
 
 そもそも、この友人が大変なグルメで、食べ物が美味しくないからアメリカやドイツ、イギリスには行きたくないという人で、日本のガイドブックで紹介されている店に行って満足したことがないので、フランスやスペイン、ポルトガルなどではミシュランガイドで調べた店に行っていたのですが、ドデカニソス諸島は信頼できるレストラン情報がなく、かろうじて私が乗ったデュッセルドルフ~ロードス便の機内誌にロードス島のお薦めレストランが載っていたので、持ち帰ってきたのが、手元にある唯一のガイドブックでした。地元エーゲ航空の最新のお薦めなら大ハズレはないだろうということで、ロードス島に戻る次の日からはその中からピックアップすることに決めて、ホテルに帰着。これにて日程終了です。