羽生雅の雑多話

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ドデカニソス諸島旅行記 その6~ロードス島・中世都市ロードスタウン

 翌朝、ちょっと早く目が覚めたので、日の出の瞬間には間に合いませんでしたが、美しい朝日と朝焼けの街を見ることができました。


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屋上バルコニーより、エーゲ海上に昇った朝日。

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朝焼けに染まる騎士団長の宮殿と旧市街の街並み

 この日はロードス島に来て6日も経ちながら、ほとんど何も見ていない旧市街の市内観光へ。
 
 やはり1時間半以上かかった朝食のあと、まずは騎士団長の宮殿に行きました。第一次大戦後はムッソリーニが別荘として使っていたという建物で、1階の部屋は各遺跡から出土した発掘品が並ぶ展示室、2階が当時の部屋や装飾品など宮殿内部を見せる形でした。建物の装飾として床にはモザイク画がいくつかあり、中には、遺跡から持ってきたのでは?と思われるものもありました。

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騎士団長の宮殿入口

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騎士団長の宮殿中庭

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宮殿内モザイク画。ギリシャ神話のエウロペが牛の姿をしたゼウスにさらわれる場面かと思われます。

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宮殿内に飾られていた壺。甲冑を着た二人の武士と、右上はどう見ても天照大御神です。

 見学後、ミュージアムショップでアポロンとヘルメスの可愛いイラストのマグネットを見つけたので購入。宮殿を後にし、宮殿の他、考古学博物館、教会、工芸美術館などが見られるコンビチケットを買ったので、騎士たちが使用言語に分かれて住んだ宿舎が左右に立ち並ぶ、中世そのままの雰囲気を保っている騎士団通りを下って考古学博物館へと向かいました。

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アポロン(上)とヘルメス(下)のマグネット。独特のデフォルメが可愛いです。残念ながらアテナは売り切れでした。
 
 考古学博物館の隣、騎士団通りが終わる角にツーリストインフォメーションがあって、閉まるのが早いため、前を通りかかっても開いていたためしがなかったのですが、この時は珍しく開いていたので、宮殿のチケット売り場ではよくわからなかった城壁ツアーのことを訊ねてみるかということで入りました。『地球の歩き方』には火曜と土曜に催されると書かれていたのですが、前日の水曜に城壁の上を歩いている人がいたので、例によって我々の情報は古く、今は毎日やっているのでは?と思ったからです。案の定、12時から2時まで歩けるとのこと。時計を見ればちょうど12時前で、旧市街をぐるりと囲む城壁を歩くのに1時間以上はかかると思われたので、時間がかかりそうな考古学博物館は後に回し、下りてきたばかりの騎士団通りの坂を上って、再び宮殿に戻ることにしました。
 
 城壁ツアーは、現在はツアーではなくなっていて、宮殿の前庭に城壁上に出られる門があるのですが、そこが12時から2時までのオープニングタイムに限って開いています。そして、椅子に座っている門番からチケットを買って門内に入り、城壁の上に出て、自分たちのペースで勝手に歩くというものでした。
 
 ヨーロッパの他の街で、今までにも城壁を見たことはありますが、城壁というものは基本的には見上げるもので、城壁の上に上がるなんてことはできませんでしたし、そもそも歩けるほど残っていることもありませんでした。なので、そんなことが可能だとも思っていなかったのですが、ロードスタウンは町を囲む城壁が長い距離で連続して残っているので、歩けるのです。これは歩かなければ悔いが残ります。
 
 城壁の上ですから、常にはない目線の風景で、それが一か所ではなく、旧市街を半周するほど続きます。城壁内は街を見下ろす感じで、モスクと時計塔ぐらいしか自分たちより高い建物はありませんでした。

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左端に騎士団長の宮殿、右端にスレイマン・モスク、中央右は時計塔。

 陽射しを遮るものが一切ないため、途中から日干し煉瓦になったような気分を味わいましたが、上を歩いたことで、城壁は三重であることもわかりました。この石造りの街をつくった聖ヨハネ騎士団は、1300年代にイスラム軍に追われてエルサレムから移住してきてロードス島を支配、しかしながら1500年代にはトルコ軍に侵攻され、敗れてマルタ島に逃れました。三重の城壁は、そんな彼らの戦いの歴史を如実に物語る遺物でした。数年前にどうしても行きたくなってマルタ島にも行ったことがあるのですが、やはり世界遺産となっている石造りの街――首都ヴァレッタの旧市街は、この時のトルコ軍との戦いでかろうじて生き残り、わずか180人ほどになってしまった騎士団が放浪の末に辿り着いて、この島に落ち着いてつくった街です。そして、彼らの遺志を継ぐ者たちがマルタ騎士団となりました。
 
 その後、人を刺し殺し、殺人犯として追われていたカラヴァッジョが、ローマからマルタ島に逃れてきて、「洗礼者聖ヨハネの斬首」を描き、この絵が教皇に認められて、罪を許されました。この絵と「聖ヒエロニムス」という2枚のカラヴァッジョ作品と、それを有するヨハネに捧げられた教会――騎士団の精神的拠り所であった聖ヨハネ司教座聖堂が、現在のマルタ島観光のハイライトです。それを思うと、実に感慨深いものがありました。パトモス島のヨハネからロードス島を経てマルタ島のカラヴァッジョまで、歴史は繋がっていて、それがそこにあるのはけっして偶然ではなく、理由があるからなのだと、改めて実感させられました。

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三重の城壁

 途中からエーゲ海が現れ、地理的にはマンドラキ港やピタゴラ通りの南にあたるセント・ジョン門が終点で、そこから階段を下りて、城壁ウォーキングは終了となります。ずいぶん遠くまで来てしまいましたが、考古学博物館その他を見なければならないので、街の中心街に戻ることに。

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城壁から見るエーゲ海
 
 さて、どうやって戻ろうかと話していたら、友人が、その日行こうと話していたレストランがある通りが近いみたいなので、そこを通って行きたいと言うので、そうすることにしました。エーゲ航空の機内誌で紹介されていた三大レストランのうちロードスタウンにある唯一の店で、住所だけ載っていたので、インフォメーションで地図上に示して教えてもらったとのこと。城壁ツアーの情報を聞いたあとに何か長々と話しているなと思ったら、そんなことを確認していたとは……コスショックがきいています。
 
 だったら時間も時間なので、そこで昼食を食べようということになり、一度城壁外に出て、その店があるという通りに一番近い城門の、セント・アタナシウス門から再び旧市街に入り、中世の面影が色濃く残ると『地球の歩き方』でも説明されているオミル通りを歩いていたら、見たことのないカラフルな毛皮のベストがディスプレイされている素敵な革屋に遭遇。気になって入ったら、ショップ兼工房だったので、作業をしていた店主に、ここで作っているのかと友人が質問したら、「この日本製のブラザーミシンで全部自分で作っているよ」と言って、使っていたレトロなミシンを見せてくれました。我々が日本人でミシンが日本製だったからでしょう。そして、「日本製のブラザーミシンなんてもう日本でも売っていないだろうけど、これは30年以上壊れずに頑張ってくれているよ」みたいなことを言っていました。リンドスのしょうゆ味カラマリに続いて、またもや「日本から遠く離れたこんなギリシャの島で……」という気分に。改めて、世界は狭いと思いました。自分が考えていたほどドデカニソス諸島は遠くないとも――。
 
 店内を見ると、私が気になったベストと同じマルチカラーのレッキスのマフラーがあったので、茶色をベースにしたオーソドックスな色合いのものと2本購入。ベストはちょっと値が張ったのですが、マフラーはなんと1本48ユーロでしたから。安っ! 店主によると、毛皮のシーズンオフの今は「観光客は多いけど、みんな飲んだり食べたりばかりで、こういう店には来やしないからね。オンタイムは58ユーロだけど、ディスカウントするよ」とのこと。58ユーロでも安いと思いましたが。ギリシャは革製品や毛皮の産地なので、普通に安いのです。ソクラテス通りにもたくさんの毛皮屋があり、デザインも友人いわく「攻めている」というカッコいいものが多くて、気になって気になってキョロキョロしていました。
 
 でも、「毛皮なんか着ていくところがないよね~、今の日本、暑いし」と話していて、いいなぁと言いながらもウィンドウを冷やかすだけだったのですが、ソクラテス通りのとある店で、その前を通るたびに気になっていたコートがその日ウィンドウから消えていて……毛皮以外にも貴金属や革サンダルなど興味のある物を他にも見て買う物がなかったら真面目に考えてもいいかと思っていたので、かなりショックで、ついその店に入ってしまったのも何かの縁。
 
 店内のハンガーに掛かっている商品を見ていたら似たようなものがあったので、「これ、昨日までウィンドウに出ていたのと同じもの?」と訊いたら、「イエス」の返事。着てみろと言われたので、恐る恐る着てみたら、やや着られている感が無きにしも非ずでしたが、自分の中では全然オーケーだったので、値段を訊いたら20%ディスカウントで650ユーロ。心は決まっていましたが、せっかくなので他にも試着させてもらってから買いました――どこに着ていくつもりなのか自分でもわからない、店主がミンクだと言った、赤いショート丈のコートを。何点か試させてもらっているときに、女性二人のお客が入ってきたのですが、去年も来たというロシア人でした。毛皮が必需品である国の人が買っていき、リピートするぐらいなのだから、悪くない店なのだろうと思い、安心して、ちょっと得した気分になりました。
 
 予定外の衝動買いで手荷物がいっぱいになったので、いったんホテルに戻って部屋に荷物を置いてから、まだ考古学博物館、教会、工芸美術館のチケットが残っているので、再びインフォメーション界隈へ。
 
 昼食を食べるつもりで行ったレストランが19時からだったので、その店には出直して夕食を食べに行くことにし、とりあえず何か軽く食べようということで、騎士団通りの脇道を入った歴史的建造物を利用したホテルに併設するカフェでひと休み。白ワインでリフレッシュし、パイで体力を回復したあと、その日のメインである考古学博物館に行きました。
 
 ロードスタウンの考古学博物館には古代都市などの遺跡から出土した発掘品が数々展示されていますが、最大の見どころは建物それ自体になります。1400年代に騎士団によって建てられた病院が、ほとんどそのままの形で博物館とされているのです。したがって、かつての病室が展示室で、石柱の一部などは整理しきれないのかゴロゴロと置かれていて、展示しているのか放置しているのかわからないような状態でした。トルコ人が占領していたときにイスラム式に改築されたらしい部屋なども残っていて、展示物とハコが調和した、私が大好きな展示空間でした。

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考古学博物館の目玉、「ロードスのアフロディーテ」。
 
 見ごたえがありすぎて、出てきたときには頭も体もヘロヘロでしたが、しかし閉館時間が押し迫っていたので、教会と工芸美術館を急ぎ足で回って見学。すっかりリフレッシュ効果も薄れて疲れたので、時計塔のカフェに行って休むことにしました。
 
 時計塔はカフェが一緒になっていて、少々高めの入場料を払うと自動的に1杯のドリンクが付いてくる仕組み。足もガクガクでしたが、こんな疲労した状態でワインを飲んでから高いところに上がるのは危険なので、まず時計塔に登りました。
 
 城壁より高い場所からの眺望を十分に堪能したあと、チケットでワンドリンクが飲めるカフェで休憩。これにて見たいと思っていたものはひととおり見終わり、あとはレストランに行くだけだったので、のんびりとワインを飲みました。

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時計塔より東。港に停泊しているエーゲ海クルーズの豪華客船が見えました。左下がカフェ。

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時計塔より東南。左は、騎士団がマルタに逃れたあと、トルコによって建てられたスレイマン・モスク。

 その後いったんホテルに戻り、7時になったので、レストラン「Marco Polo」へ。近かったので7時10分には到着し、席も空いていましたが、お店の人によると、9時半には予約客でいっぱいになるから、それまででよければという話。2時間あれば問題ないと思ったので着席。入ったときにはまだ明るくて、お客も二組ぐらいしかいなかったのですが、暗くなるとすぐに満席になりました。
 
 いつものカラマリと、メインは珍しく肉料理を選んで、イチジクソースのポークを頼んだのですが、スパイスも含めて、組み合わせというか、いわゆるマリアージュが絶妙でしたね。グルメの友人も、「ちゃんとしているお店はちゃんと料理しているんだよね。だから、ちゃんと調べて、ちゃんと選べば、こういうものが食べられるんだよ」とコメント。エーゲ航空お薦めの店は、味付けとかを含めて、ちゃんと考えて料理している店だという結論に達しました。
 
 デザートにピスタチオアイスを食べ、予定どおり9時過ぎには食事を終えて、日程終了です。
 
 明けて翌日は帰国日。増えすぎた荷物をなんとかスーツケースに押し込み、午後2時過ぎの便なので、のんびりとエフドキアホテル最後の朝食を味わってからチェックアウト。来たときより重くなったスーツケースを引いて石畳の上を歩くのは嫌だったので、ホテルの主人の息子さんに空港まで送ってもらって(有料サービス)、アテネに戻る友人と空港で別れ、フランクフルト経由で羽田へ。
 
 ということで、今回も有意義な良い旅でした。これだからやめられません。来年は別の国へ行くつもりですが、再来年あたりに、またギリシャを再訪しようと思っています。(ここまで旅行記を読んでくださった方々、長い記事にお付き合いいただきまして、ありがとうございました)