羽生雅の雑多話

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フランス旅行記 その3~ル・マン、モン・サン・ミシェル

 二日目は、ホテルをとりあえずチェックアウトして、翌日に戻ってくるのでキャリーバッグを預かってもらい、いつものエキスパンド機能が付いた3ウェイバッグに1泊分の荷物を詰めて、モン・サン・ミッシェルへと向かいました。
 
 モン・サン・ミッシェルは絶対に行きたいと思っていた場所の一つで、昔からいずれ必ず行くと決めていたのですが、行くなら島内に泊まりたかったので、パリからだと最低二日は必要ということで、今まで行けずにいました。一週間の日程で旅行ができたらパリ周辺でウロウロしているのはもったいないので、地方や、一週間はないと行ってもおもしろくない別の国に行っていたので。
 
 パリ北駅からメトロ4号線でモンパルナス・ビヤンヴニュ駅に行き、モンパルナス駅8時14分発のTGVに乗車。
 
 今回の旅の主目的はモン・サン・ミッシェルではあったのですが、一泊二日の上、時間の制約があるツアーでもないので、もう一か所ぐらい行こうということになり、レンヌやサンマロなど近郊都市を検討した結果、モン・サン・ミッシェル下車駅のレンヌとパリの途中にあるル・マンに寄ることにしました。24時間耐久レースで知られる街ですが、この街の大聖堂の外観が独特で、メチャクチャ気になったので。調べてみると、ル・マンはフランス文化省から「歴史とアートの町」に指定されていて、旧市街は「シテ・プランタジュネ(プランタジネット朝の都市)」と呼ばれるプランタジネット朝時代の建物が残る街並みで、世界遺産にも立候補しているとのこと。俄然行きたくなり、早起きして、予定していた列車より1本早いTGVに乗って寄ることにしました。
 
 1時間弱でル・マン駅に到着し、ここでは不要な宿泊用の荷物をロッカーに預けたいと思い、駅構内のインフォメーションで訊いたのですが、ロッカーはないとのこと。仕方がないので、大聖堂までの行き方を説明してもらって地図をもらい、バッグはリュックの状態にして、背負って駅前のトラム乗り場へ。
 
 トラムの切符は、昔はキオスクなどの売店で買ったものですが、2007年に開業した新しいトラムの駅にはもうそんな前時代的なものはなく、クレジットカード対応の自動券売機があったので、そちらで切符を購入し、乗車。街の中心にあるリパブリック広場の駅で降りて、大聖堂がある方角に向かいました。駅のインフォメーションで教えてもらった下車駅は違いましたが、N氏がトラム乗り場で行き方を訊いた地元のおにーサンが一緒に乗ってくれて、ここで降りろと言うので。一つ二つ手前のような気がしましたが、方向が違うわけではないので、まあよしとしました。
 
 フランスの大聖堂は、パリのノートルダムをはじめ、世界遺産のシャルトル、アミアンストラスブール、ランス、ヴェズレーなども見に行きましたが、ル・マンのサン・ジュリアン大聖堂は今までに見たことがないタイプで、なんか妙な迫力と雰囲気がある建物でした。雨上がりの曇天だったこともあって、かなりゴシックホラーな感じ。ストラスブールの赤い大聖堂に匹敵する個性派大聖堂でした。

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サン・ジュリアン・デュ・マン大聖堂。天気のせいもあって、かなりおどろおどろしかったです。
 
 強烈な印象の外観に圧倒されながら建物の中に入り、内部を見学。年明け早々なので、まだキリスト誕生のオブジェがあり、周りには献灯されたキャンドルがたくさんありました。
 
 このサン・ジュリアン大聖堂は建て増し建て増しで造られた建造物で、明らかに途中から建築様式が変わっていることがわかる建物でした。正面玄関から祭壇まではヴェズレーのサント・マドレーヌ大聖堂に近い印象――つまりロマネスク様式で、入って右手に時代ごとの解説パネルと模型が展示されていたのですが、それを見ると、時の王が権威を誇るために、どんどん豪勢にしていったことが判ります。中央祭壇から奥はゴシック様式で、ゴシックホラーめいた特徴的な外観もこちらの外側になります。そして祭壇の奥に、壁や柱、天井の一部に絵が残っている礼拝堂があり、どうやらそこが一番古い部分みたいでした。ヨーロッパは基本的にキリスト教の国々ですから、宗教建築はフランス以外でもいくつも見ましたが、一つの建物内でこんなに様式の変化をはっきりと感じるカテドラルは初めてでした。
 
 祭壇に宙吊りされた十字架の救世主像は近年作られたもので、なんとも斬新な造形のキリスト。そのへんがなんか妙にフランスだなぁと思いました。古い物がその役目を終えたとき、代わりの物は必ずしも同じである必要はないと思いますし、王政時代の物よりコストダウンして質も技術も及ばない粗悪な模造品を作って代わりとするよりは数段いいと思いました。かなりモダンアートな作品ではありましたが。

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現在の祭壇のキリスト像。アーティスティックです。
 
 ここにも記念メダルの自販機があったので、2ユーロを入れて購入。
 
 10時半になったので大聖堂を後にし、シテ・プランタジュネの街を通って、インフォメーションで案内されたトラムの最寄り駅へ。

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旧市街シテ・プランタジュネの案内図。右下の大きな建物が大聖堂。

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大聖堂のすぐ隣にある石造りの古い建物。

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水道橋のような感じですが、何なのかわかりません。この上にシテ・プランタジュネの街があります。

 そこで切符を買うときに、券売機が途中でフリーズしたため、いったんすべてをキャンセルし、改めて動き出すまでしばし待たされるというトラブルがあり、1本トラムに乗りそびれたため、国鉄駅に着いたのがレンヌに向かうTGVの出発時間の8分ぐらい前。とはいえ、電車に乗る前にお手洗いには行っておきたかったので、立派な受付がある有料トイレ(料金0.5ユーロ)があったので寄り、日本でもおなじみの「ポール」で昼食用にクラッシックメニューだという調理パンとエスプレッソを買ってホームに行き、なんとかギリギリ間に合って、切符を買っていた11時33分発のTGVに乗車。
 
 で、列車内でパンを食べていたら、あっという間に時間が経って、12時17分にレンヌに到着。30分弱の乗り継ぎ時間で、バスの切符をまだ持っていなかったので、寄り道せずに駅横のバスターミナルへ。すぐに場所がわかったので、着いたら出発時間の12時45分まで少々時間があり、バスもまだ乗り場にいなかったので、運転手からではなく窓口に並んでモン・サン・ミッシェルまでの切符を買うことにしました。ちょっと年増の受付のおねーサンが「往復じゃなくていいのか」と訊くので、「戻りは明日になるけど使えるのか」と訊き返したら、「問題ない」と言うので、往復切符を購入。といっても、いわゆるただのレシートで、薄くて頼りないペラペラの紙だったので、乗車後すぐに財布のカード入れにしまいました。
 
 モン・サン・ミッシェル行きのバスは、我々以外に乗客が中国系と思われるカップルの二人しかいなくて、運転手も含めて計5人。この季節、1日4本ぐらいしかないのですが、本数が少ないわけだと納得しました。
 
 強い雨やら晴れ間やら、目まぐるしく変わる天気の中、1時間10分ほどで、2時前にモン・サン・ミッシェルのバス停に到着。まずはバス乗り場近くのビジターセンターへと向かいました。
 
 N氏がインフォメーションで何やら熱心に訊ねていて、けっこう時間がかかっているなと思ったら、満潮の時刻を確認していて、その夜は8時25分ぐらいから島内の入口が水没して9時ぐらいがマックス、翌朝は8時半から9時17分ぐらいとのことでした。
 
 そんな姿を見ていたので、孤島になる瞬間を見る気満々だなぁと思っていたのですが、シャトルバスに乗って終点の歩道橋で下り、島に渡って、島の入口である突出門近くの王の門の横にあるホテル、「ラ・メール・プラール」にチェックインしたら、ほどなくダウン。前月からひどい腰痛に悩まされていて、長時間同じ体勢でいると調子が悪くなってしまうN氏。TGVとバスでの座りっぱなしがこたえたらしく、例によって備え付けの紅茶を飲んだりして、しばらく休んでいましたが、今回は仮眠したぐらいでは復活できそうにないから気にせず出かけてくれと言うので、一人で島内観光に行きました。

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歩道橋から見るモン・サン・ミッシェル修道院。この時間は潮が引いていました。
 
 ホテルの部屋はエレベーターがない3階の端だったのですが、同じ階の階段の踊り場に外に通じる扉があって、1階まで下りてホテルの出入り口に行かなくても城壁に出られるようになっていたので、まずは城壁伝いに海沿いを歩くことにしました。最寄りの王の塔から始まって、アルカード塔、自由の塔、低塔、半月塔、ブクル塔、北塔を過ぎて、修道院の前に到着。修道院見学はパリからの日帰り客がいない時間帯にしようということで、翌日の午前中に予定していたので素通りし、来た道とは違う通っていない道を歩いていると、モン・サン・ミッシェル歴史博物館というのがあり、牢獄などが見学できるようだったので、チケットを買って入場。島流しにあった囚人が捕らわれていた独房や、服役の様子を表した蝋人形などが展示されていて、なかなか興味深かったです。

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モン・サン・ミッシェル歴史博物館の入口。どこかで一度チケットを買えば、地図にある四つの施設が見られます。確か9か10ユーロでした。
 
 同じチケットであと三つの博物館が見られるというので、続いて島のメイン通りのグランド・リュ沿いにある海洋博物館に行き、次のアルケオスコープは待たされることになったので、先にベルトラン・デュ・ゲクランの家という15世紀の家を見学。下から階段を上って各階の部屋を見て、階段を降りずに建物から出たら、ちょうど修道院の下で、入口のすぐ近く。時間も4時半で、修道院は5時までの入場なので、日帰り客もぼちぼち引けた頃かと思ったので、アルケオスコープには戻らず、修道院を見学することにしました。日暮れは日暮れで、午前中とは違う、また別の趣があるだろうと思ったからです。午前と同じく、島内に泊まっていないと見られない時間帯ですし。
 
 ということで、修道院に入り、チケットを買って見学。時折雨がぱらつく曇天で、足元が悪いせいか、はたまた季節と時間帯のせいなのか、人も少なく、けれども、かえって悪天候がこの神秘的な修道院の神秘性といったような魅力を増していて、とても浮世離れした雰囲気があってよかったです。

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西の回廊より、やや陽が差した西の空と海。午前中には見られない、この時間帯だけの美しい光景です。

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同じく西の回廊より。たまに窓にへばりついている人もいる人気スポットですが、しばらくウロウロしていたら人波が途絶えて、うまく人を避けて撮影できました。
 
 教会には、ル・マンの大聖堂と同じく、まだキリスト誕生のオブジェが飾られていました。

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修道院付属の教会に飾られていた、キリスト誕生のオブジェ。こちらもモダンアートです。
 
 見学ルートを終えて出たところに充実したミュージアムショップがあったので、記念にモン・サン・ミッシェルの絵柄のメラミン皿やらゴブラン織のクッションカバーを購入。ゴブラン織のクッションカバーは昔から行く先々で買っていて、以前ボーヌに行ったときに買った昔のワイン作りの織柄のものと、ブルージュで買った葛飾北斎の神奈川沖浪裏の織柄のものは、デスクチェア用の座布団と背当てクッションとして夏場以外は愛用しているのですが、それ以外はいよいよ使う場所がなくて、中材を入れずにカバーのまま死蔵しているといった状態です。かといって、欲しくないものを買っても仕方がないので、結局今回も購入。それと、ここにも記念メダルの自販機があり、修道院と聖ミカエル(サン・ミッシェル)のバージョンの2種類の絵柄があって選べなかったので、両方買いました。
 
 修道院見学を終えてホテルに戻ると、N氏は起きていましたが、まだ具合が悪そうで、夕食のためにレストランまで行く気力がなさそうだったので、グランド・リュのパン屋でクロックムッシュを調達してきて、部屋で食事。パン屋に行ったときに、財布が見あたらなかったのですが、パン二つ程度のテイクアウトでもクレジットカードが使えました。さすが世界遺産の観光地です。
 
 食後、満潮になるのが夜9時で、それまで時間があったので、日が暮れた後の城壁を軽く散歩することにしました。修道院をはじめ、あっちこっちライトアップされていて、夜景がきれいそうだったので。修道院に向かって登り階段になるブクル塔の手前で引き返すと、一人一人懐中電灯を手にしてガイドに率いられて歩いている日本人の団体とすれ違いました。きっと「ガイドと行くモン・サン・ミッシェルナイトツアー」とかなんだろうなと思いつつ歩きながらホテルに戻り、入浴。
 
 端っこの部屋はわりと広く、浴室にもバスタブがあったので、久しぶりにのんびりとお湯に浸かりました。パリ北駅近くのホテルは場所柄コンパクトで、部屋も狭く、バスタブがなかったので。ただし、この部屋は日中に窓の外を見ていると、修道院に向かって歩いている人と目が合います。隣にある階段の踊り場の扉の前が城壁伝いの通り道なので。

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夜に部屋の隣にあるホテルの階段の踊り場の扉を出て修道院の方向を見ると、こんな感じでした。階段を登って上に向かえば、修道院に辿り着きます。街灯などなく暗いので、灯りを持たなければとても歩けないですが。反対は海側で、王の塔に出ます。
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ライトアップされたモン・サン・ミッシェル修道院。正面が突出門で、満潮時にはここから水が入ってきます。
 
 その後、8時半過ぎに部屋着にコートを引っかけて踊り場の扉から出て、ようやくやや復活したN氏と共にすぐ近くの王の塔へ行き、上から突出門と歩道橋を見物。だんだんと潮が満ち、島が橋と隔てられていく様子をしばらく眺めました。その間、見上げればライトアップされた美しい修道院があり、見下ろせば迫りくる波に濡れるのもかまわず海岸でたむろしている人たちがいて……なんとも摩訶不思議な光景でしたね。

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王の塔より見下ろす。歩道橋と突出門のあいだで波が出合う直前。向かって右は、濡れるのもかまわず出合いの瞬間を見ようとしている気合いの入った人たち。
 
 満潮になり、しばらくして潮が引きはじめたところでホテルの部屋に戻り、日程終了です。