羽生雅の雑多話

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フランス旅行記 その1~ルノーのカジャーと「ラ・ピラミッド」inヴィエンヌ

 11日から一週間ほど海外に行ってきました。久しぶりにとんでもない珍道中になり、改めて世の中なんとかなるというか、相変わらず最悪を免れる悪運だけは強いと実感する旅でした。以下、珍道中記になります。

 
 今回も羽田発のエールフランス深夜便を利用。1月は11時55分発でしたが、サマータイムの関係か今回は10時55分発でした。シャンパーニュと白ワインを2杯ほど飲んでから搭乗し気分が悪くなった前回の教訓を生かし、今回は乗る前にはアルコールを摂取せず、機内でもシャンパーニュを1杯だけもらってミールサービス後に寝て起きたら、すでにヨーロッパ上空でした。ということで、あと2時間半ほどで着くので、以降は寝直さずに、機内エンターテインメントの上海ゲームをタラタラとやっていたら2回目のミールサービスとなり、30分後にはランディング。
 
 定刻どおり朝4時半にシャルル・ド・ゴール空港に着いて荷物を引き取り、5時過ぎに空港内のTGV駅に到着。そこからリヨンまで行き、ひと足早くフランス入りしている友人と合流することになっていたのですが、一番早い電車が6時56発のマルセイユ行きだったので、しばしのあいだ待つことに。空港の無料Wi-Fiが使えることは知っていたので時間を持て余すことはなかろうと思っていましたが、待合所には電源もあったので、スーツケースから変圧器と変換プラグを取り出し、充電しながらネットをすることにしました。
 
 まず溜まっていたメールをチェックしたら、リヨン・パールデュー駅で10時に落ち合うことになっている友人からメールが入っていて、11時到着になるとのこと。私の到着予定時刻は9時でしたが、仕方がないので「了解」と返信。合流後に遅れた理由を訊いたら、当初乗るつもりだった10時着のTGVは前日に窓口に行ったら満席で取れなかったとのことでした。
 
 リヨンからはレンタカーでヴィエンヌまで行くことになっていたので、駅構内のカフェかどこかで、機内であまり飲めなかったシャンパーニュでも飲んで待つつもりでしたが、パールデュー駅もフランス国鉄がサービス提供している無料Wi-Fiが入り、待合所には電源があったので、有料トイレ(80セント)に行ったあと、スタバでカプチーノを調達し、またまた2時間ほどネットでゲームなどをしていました。本当に便利な世の中になりました。
 
 友人のI氏はパリから乗車して11時2分着のTGVに乗ってくるので、10分になったら腰を上げてスタバの前に行き、無事合流。その足で有料トイレの前にあったレンタカーの営業所内にあるハーツの窓口へ行き、日本で予約した車のレンタル手続きをしてパーキングへ。
 
 私はペーパードライバーになって幾久しく、車のことはまったくわからないため、運転は自分の車を持っているI氏が担当するので、車選びから予約、窓口の手続きまですべてI氏がやってくれたのですが、車が置いてある立体駐車場に行ってみると、予想していなかったゴッツイ車が登場。ルノーのカジャーで、I氏いわく、オートマ車はベンツとプジョーしか選択肢がなく、ベンツはホームページでは値段がわからず営業所に問い合わせてくれとなっていたので、プジョーにしたのだが、来てみたらこれになっていた――とのこと。事前の話ではコンパクトカーだと聞いていたので「なんじゃこりゃ」という感じでした。I氏が日頃乗っているセダンタイプの日本車ではない上に、新しすぎて操作方法がわからないと言うので、ダッシュボードに入っていた車の取説(フランス語)と30分ほどにらめっこして、ライトやらハンドブレーキやらを確認しました。
 
 何だかんだやっていて、12時半ぐらいに出発したのですが、I氏が用意したのがローヌ・アルプ全体の地図で広域地図のため、細かすぎてリヨンの街から出る道が解らない……市街地周辺は道路が網の目のようになっていて、ヴィエンヌに行く高速や国道は判るけど、その道まで行く道が読めないという代物でした。なので、まずはリヨンから出ようということになり、恐る恐るパーキングから出て、南方面へ向かうことにしました。
 
 しばらく一通などを避けつつ走っていたら、ブロンというリヨンの東にあたる地域の表示が見えたので、ブロンの中心地に向かって、いかにも郊外の住宅地というところを走っていたら、縁石で細くなっている道で助手席側に乗り上げ、数メートルほどで嫌な警告音が。I氏が「パンクだ」と言って停車し、車を降りて確認したら、見事に右前輪が潰れていて完全にアウトでした。
 
 走りはじめてわずか30分ぐらいでしたが、仕方がないので、どうすればいいか訊くためハーツに連絡するかということになり、窓口でもらったパーキングナンバーと立体駐車場までの地図が書いてある紙に書かれていた電話番号にかけたのですが、全然繋がらず。日曜日だからか昼休みだからなのか、I氏が何度かけてもダメだったので、ダメ元で大使館にかけてどうしたらいいか訊いてみたらと言って、I氏が電話をかけてみたら繋がり、日本語で状況を説明し対応方法を訊いたら、そういう車ならスペアタイヤがあるはずとのアドバイスを受けて、トランクの底をめくったら、ありました。
 
 で、タイヤがあったのはよかったのですが、I氏はかつて一度もパンクをしたことがないということで……したがってタイヤ交換をしたことがなく、チェーンを巻いたことすらないとのこと。もちろん今まで自分の車を持ったことがない私は言うまでもありません。
 
 とはいえ、やるしかないので、とりあえず一緒に入っていたジャッキで車体を上げようということになり、ネットや取説の図を参照しながら位置を決めてI氏が付属の工具でひたすら回すと車体が浮いたので、ホイールを取ってタイヤを外したのですが、スペアタイヤのほうが厚みがあって入らず。まだかなり上げなければ嵌まらない状態だったのですが、もうすでにジャッキの高さがけっこうギリギリな感じで、しかも坂道だからか、ジャッキを設置した位置が悪かったのか、ジャッキが斜めってきていて、これ以上は重さに耐えられなくて車体が落ちそうだったので、怖くてもう上げられませんでした。大丈夫なのかもしれませんが、経験値がない我々には判断がつかず、下手をすればタイヤだけでなく車を傷つけることになるので、できませんでした。
 
 辺りには強い陽射しを遮ぎるものがなく炎天下で、そのときスマホで確認した気温は32度。夏の太陽にじりじりと照らされながら、いよいよ進退極まって、二人とも無言でしばらく途方に暮れていたら、若い父子と思われる二人組が近寄ってきました。一見して事情を察したのか、持っていた水1リットルのペットボトルを私に預けると、抜いたタイヤを車の下に入れてクッションにし、工具を回してジャッキを上げはじめました。
 
 途中何度か高さを確認しつつスペアタイヤが入る位置まで車体を浮かせると、タイヤとホイールを嵌め、ボルトで締めて完了。明らかに手慣れた様子でスムーズでしたが、汗だくになって作業をしてくれました。作業中、我々は見ているだけだったのですが、同行の少年に「お父さん?」と訊くと「そうだ」と言うので、「素晴らしいお父さんだね」などと話していました。おとなしく黙って待っているその少年自身も天使に見えました。作業を終えたので感謝して水を返そうとすると、くれると言うので、ありがたく頂戴しました。もう本当に、涙が出るくらいありがたい、素晴らしい出来事でした。
 
 運よく助かったとはいえ、エラい目に遭ったので、レンタカーの旅はここでスパッとあきらめ、パールデュー駅に戻ることにしました。自分の車より大きい車の車幅感覚がつかめず、立体駐車場でもやたらと縁石に擦って警告されていたので、センターラインがないような細い道のすれ違いとか危険すぎて気が気じゃない、四日間気が抜けないそんな旅は御免だと言ったら、I氏も納得してくれました。
 
 3時半頃に駅前に着き、パーキングに車を戻してハーツの窓口へ行き、I氏が事情を説明してキャンセル。車体の確認やら何やらあるものと思いましたが、特になかったので、そのまま駅に行って切符を買い、16時20分発のアヴィニョン行きに乗って、41分に到着。急行電車ならリヨンからヴィエンヌまでたったひと駅で、20分ほどで着きます。今回巡るホテルが駅から遠いので、車を借りたのですが。

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古代遺跡がある都市っぽいヴィエンヌ駅のホーム
 
 到着後、最寄りの出口から出ると、券売機があるだけで駅舎はなく、よって当然のことながらタクシー乗り場もなく、またまた途方に暮れることに。私が荷物の番をしてI氏が周辺を探してみると、ヴィエンヌの駅舎はトンネルを出てすぐ、ホームのリヨン方面の一番はずれにありました。行ってみると駅舎の前にはバス乗り場やタクシー乗り場もありましたが、タクシーは1台もなし。I氏が日向ぼっこをしていた現地の老人に訊いたところ、ホテルの近くまで行くバスが19時36分に出るとのことでした。
 
 しかし、宿泊予定のレストランホテル「ラ・ピラミッド」の夕食の予約が19時半だったので、バスでは間に合わないため、I氏がホテルに電話をかけて、タクシーを駅まで寄越してもらうように頼みました。日曜なので手配できないから歩いてこいとか言われたようですが、粘り強い交渉の末、確認して折り返し電話をもらうことになり、10分後に行くという連絡がきました。
 
 結局タクシーが来てホテルに着いたのは夜7時前で、チェックインし、くつろぐ暇もなく、ミシュラン二つ星のレストランなので、見苦しくなく着替えだけ済ませてレストランへ行きました。せっかくここまで来たので――なおかつ、ここに辿り着くまでかなり苦労したので、自分を労うつもりで144ユーロのムニュをオーダー。それでもコースとしては最安値でしたが。

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「ラ・ピラミッド」正面玄関
 
 料理は、ワサビなど随所に和食のエッセンスが取り入れられているのが印象的で、写真映えしないシンプルな見た目だけど、見た目を裏切る味と食感で驚かせるのが特徴という感じでした。スペリャリテだったので、2品の前菜、メインは魚と肉料理の両方、アミューズに続き、チーズプレートとデセールの両方が選べ、最後にプティフルールが来て、コーヒーで終了という内容。コースが終わったら11時を過ぎていて、初日から食い倒れました。

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 その後I氏は、ライトアップしたアウグストゥスとリヴィア神殿を見るのがヴィエンヌに来た目的だと言って、再びラフな格好に着替えて出かけていきました。神殿のある街の中心地まで歩いて20分、はや11時半になろうかという時間でしたが、泊まらないと見られないから、この店に決めたそうで……。私も遺跡スキーなので付き合いたかったのですが、胃が苦しい上に、早朝に日本から到着し、炎天下でタイヤ交換に付き合った疲労で、体力的に限界でした。なので、ローマ帝国ガリアの古都まで来ながら何も観光せずに寝ました。あとで、「夜中に出かけて、わざわざ行った甲斐はあったのか?」と訊いたら、「神殿はよかったけど、途中で大雨に降られて、よほど引き返そうかと思った」と言うので、「それは災難だった。無理して行かなくてよかった。もう降りはじめたのか。思っていたより早かった」などと応じて笑いました。13日はこの旅の期間中で唯一天気が悪く、晴れ時々曇り、所により雷雨であることは予報で知っていたので。茶化して笑いはしましたが、内心ではI氏のバイタリティに敬服していました。
 
 今回の旅は、私があとヨーロッパで長年行きたくて行けていないところはヴィエンヌの南に位置するオートリーヴという村にあるシュヴァルの理想宮だけだったのでローヌ・アルプに行き先が決まったのですが、私の目的はそれだけで、そこに行ければ他はどうでもよかったので、年とともにだんだん食が細くなっていることもあり、物が美味しく食べられるうちにミシュラン星付きレストランでも巡るかということになったので、グルメだけどお酒が飲めないI氏が車を運転し、自分が食べたいレストランをやっているホテルに泊まるということになりました。以前にもディジョンやボーヌを中心にブルゴーニュサンテミリオンボルドーを中心にアキテーヌを車で回ったことがあったので――もう10年以上昔になりますが。ということで、今回のレストランやホテルのセレクトおよび手配はI氏が担当し、最終日のリヨンだけ私が手配しました。そんな経緯だったせいか、トラブル発生にあたってはI氏がとにかく積極的に動いて対応してくれました。非常時における私の英語力がまったくダメダメだったからかもしれませんが……。ブロンの父子をはじめ、親切なフランス人たちにもとても助けられましたが、I氏の臆せぬ獅子奮迅の働きで、なんとか事なきを得たと思います。これもまた危機管理能力というものでしょう。あっぱれ!