夕べから夜にかけて人々が休息をとるとき
私は理想宮を作り上げた。
私の苦労を、誰が知り得ようか。
延べ1万日、9万3000時間、33年間の苦難……
我よりも一徹な人がいたら、
この仕事を始めてみるがよい。
(by ジョセフ・フェルディナンド・シュヴァル)
明けて13日の朝は、8時半に席を予約してコンチネンタルの朝食をいただき、1時間かけて食べたあと、フロントに寄って10時20分にタクシーに来てもらうように頼みました。そして部屋に戻り、荷作りをしていたら電話があって、車が来るのが10分早くなるとのこと。慌てて準備をし部屋を出てフロントへ行くと、すでにタクシーが来ていて、ドライバーが降りてフロント前で待っていました。急いでチェックアウトし、ヴイッテルをもらって車に乗り込むと、5分ほどでヴィエンヌの駅に到着。
「ラ・ピラミッド」の朝食。これに卵料理が付きます。オムレツをオーダーしました。
卵料理を作っていた若きシェフ。写真を撮っていいか訊いたら、承諾してカメラ目線をくれました。
「ミシェル・シャブラン」正面玄関
「ラ・ピラミッド」の朝食。これに卵料理が付きます。オムレツをオーダーしました。
卵料理を作っていた若きシェフ。写真を撮っていいか訊いたら、承諾してカメラ目線をくれました。
駅前は昨日とは打って変わって活気があり、タクシー乗り場にも車が4、5台ほどいました。しかも、行きは25ユーロ取られた料金が帰りは15ユーロ。昨日は渋っていたのを無理くり手配してもらったから休日料金だったのだろうと、やや不本意ながらもI氏と納得し、窓口でヴァランスまでの切符を買って、10時41分発のアヴィニョン行きに乗車。11時29分にヴァランス・ヴィレ駅に着きました。
この日のホテルはヴァランスの北に位置するポン・ド・リゼール村のミシュラン一つ星レストランホテル「ミシェル・シャブラン」。ヴァランスが一番近い駅とはいえ歩いては行けないため、タクシーに乗らなければならなかったのですが、またしても駅前に乗り場はあれどもタクシーは見あたらず。ここでもバイタリティあふれるI氏が率先して周辺を見に行き、駅に客を乗せてきて降ろした車を見つけて、なんとかゲットできました。
「ミシェル・シャブラン」正面玄関
12時過ぎにホテルに着きましたが、まだチェックインできなかったので、スーツケースを預かってもらい、シュヴァル・パレスに行くことにしました。ここに関しては私の希望なので、事前にルートを調べたところ、最寄り駅はヴァランスからヴィエンヌ方面に二駅のサン・ヴァリエという駅で、そこから路線バスなのですが、バカンスシーズンは1日4本程度しかないので、この時間からそのルートで行くと、オートリーヴ村まで行けても村から駅へ行く最終バスに間に合わず、公共の交通機関だけでは日帰りで行って帰ってくることができないことがわかっていました。なので、フロントで手配してもらい、タクシーを使いました。車はヴァランス駅から来るので、駅からミシェル・シャブランまでの25ユーロが上乗せされて、オートリーヴまで91ユーロ、端数はまけてくれたので、90ユーロを支払いました。レンタカーをあきらめた時点で出費は覚悟していたのでかまわないのですが、オートリーヴからサン・ヴァリエ駅まで乗った帰りのバス運賃が一人2ユーロだったので、あまりの落差に、乗車後二人で乾いた高笑いをしてしまいました。
お金をかけたおかげで、1時過ぎにはシュヴァル・パレスのチケット売り場に到着。セキュリティーチェックのあと7.5ユーロでチケットを購入し、建物破損防止のため、背負っていたいつものエキスパンド機能付き3ウェイバッグを無料ロッカーに預けると、念願のシュヴァル・パレスとご対面。数十年前に島田荘司さんの『斜め屋敷の犯罪』を読んでその存在を知り、以来見たくて仕方がなかった建物を前にして、久しぶりに感動で身が震えました。本当に、凄い建物でした。
シュヴァル・パレス。何故か全体像は斜めっている写真しかありませんでした。残念!
東側ファサードの「3人の巨人」(シーザー、アルキメデス、ウェルキンゲトリクス)
テラスから見える東側ファサード上。背景の空がおどろおどろしくて、シュールさが増していました。
北側ファサード。テーマはガリアの海です。
テラスへ上がる階段の入口にいるガーゴイル。ラルクの「REAL」のジャケットに写っているのとは、かなり趣が違います。
動物らしいというだけで何なのか正体不明ですが、この不思議な造形感覚がたまりません。
理想宮を完成させたあと、シュヴァルが作った墓。
アンリ四世の手植えらしい木
第2駐車場にある、シュヴァルと彼が建設作業に使った手押し車の木彫像。手押し車は、本物が宮殿の中に残されていて、本当にこんな原始的な道具で作ったのかと驚かされます。
宮殿内に納められているシュヴァルが使った手押し車の実物
「南フランスのオートリーヴという村に、「シュヴァルの宮殿」と呼ばれる奇妙な建築物がある。貧しい一介の郵便配達人フェルディナン・シュヴァルという男が、一九二二年に、三十四年の時間をかけ、まったくの独力で完成した、彼自身の理想の宮殿である。
アラビア寺院ふうの一角があるかと思えばインドふうの神殿があり、中世ヨーロッパの城門的な入口の脇にはスイスふうの牧人小屋があるといった調子で、統一性には少々難があるけれども、誰しも子供時分に空想する夢の城はこういったものに違いない。様式だの経済性だの世間体だの、そういったつまらないおとなの雑念が、彼らの住居を結局東京にひしめくウサギ小屋にする。
シュヴァルはしかし無学な男であったことは間違いなく、彼の遺したメモには間違いだらけの文字で、いかにして自分が神の啓示を受け、この独創的な神殿を創りあげるにいたったかが、熱く語られている。
それによれば、この仕事は郵便配達のかたわら、道に落ちている変わった形の小石を拾って、ポケットにつめることから始まったという。この時シュヴァルはすでに四十三歳だった。やがて彼は郵便物の入ったバッグと一緒に、石を入れるための大きな籠を肩から提げるようになり、ついには手押し車を押して郵便配達をするようになった。
(中略)
七十六歳の時、見事に宮殿は完成した。彼は一番よく働いてくれた手押し車を宮殿内の一番良い場所に安置し、自分は入口のところに小さな家を建てて、郵便局を定年退職してからはその家で毎日宮殿を眺めながら暮らしたという。宮殿に住もうという発想はなかったらしい。」(『斜め屋敷の犯罪』by島田荘司)
物語のプロローグで、ボードレールの引用に続いて始まるこの文章で語られるシュヴァル・パレス。殺人劇の舞台となる斜め屋敷を説明するために、ルートヴィヒ二世のリンダーホーフ城とともに取り上げられているのですが、この一説を読んでどうしても見てみたくなり、まずはノイシュヴァンシュタイン城に行くついでにリンダーホーフ城と、ルートヴィヒ二世最後の未完の城であるヘレンキームゼー城を訪れ、それから20年の時を経て、ようやくシュヴァル・パレスに来ることができました。今でこそツーリストインフォメーションも無料駐車場も公共トイレも整備されていて、そのうち世界遺産になるのではないかと思うほど、ひっきりなしに観光客が訪れる立派な観光地ですが、バイエルンの古城に続いて行こうと思っていた頃は、ガイドブックにも載っていないし、日本で得られるフランスの観光情報にもないし、もちろんホームページもなく……どうやって行くのかサッパリわからないところだったので。
シュヴァル・パレス。何故か全体像は斜めっている写真しかありませんでした。残念!
東側ファサードの「3人の巨人」(シーザー、アルキメデス、ウェルキンゲトリクス)
テラスから見える東側ファサード上。背景の空がおどろおどろしくて、シュールさが増していました。
北側ファサード。テーマはガリアの海です。
テラスへ上がる階段の入口にいるガーゴイル。ラルクの「REAL」のジャケットに写っているのとは、かなり趣が違います。
動物らしいというだけで何なのか正体不明ですが、この不思議な造形感覚がたまりません。
建物それ自体もガウディに通じる独創的で芸術性の高い魅力ある建造物でしたが、それだけに、これを一人で創り上げた狂気にも似た凄まじい人間の執念と、その執念が成さしめる技の凄さ、そして人間の想像力の果てしなさといったような、建物から受ける感覚に心が震えました。同時に、人の一途な執念は不可能と思われることを可能にし、ついには限界を超えさせるというようなことも教えられているようで、何やら空恐ろしい気もしました。
しばらく四方八方から飽かずに眺めていましたが、予報どおり雨が降ってきたので、ショップに避難して、絵葉書を数枚購入。それと、集めている記念メダルの自販機があったので買いました。絵葉書は自分では写真が撮れない上空からの写真と昔の写真を利用したハガキで、現在の状態と比べると彫刻などが酸化して崩れてきていることがわかります。雨ざらしなので、どんどん劣化が進み、そのうち建築当時の面影は見る影もなくなるか、そうでなければ保護のため見学が制限されるのではないかと思います。今は建物内に入ったり上ったりできますが。
残念ながら待っても雨が止まなかったので、2時半前には見学を終えて、来たときには閉まっていたインフォメーションが2時から開いているはずなので、行ってバスの時刻を確認。やはり17時15分発の最終までないので、近くで何か見るものはないかと訊いたら周辺案内のガイドブックをくれたので、そこに載っていたティーサロンに行ってみることにしました。
地図をもらって道を示してもらい、歩いて10分ぐらいで着くと言われたのですが、教えられた場所に行ってもそれらしきものがなく、辺りを探しても見つからなかったので、近くにあるはずのシュヴァルの墓に行くことにしました。地図の場所とは違うけど、店があるのなら名所のそばではないかと話していたら、墓地の角にシュヴァル・パレスのような墓があり、案の定その前に目指す店がありました。が、日曜と月曜が休みとのことで、閉まっていました。インフォメーションのおねーサンは営業時間は知っていましたが定休日は知らなかったようで、おいおいと思いましたが、目の前のシュヴァルの墓はこちらも見事な建造物で一見の価値があり、歩いてきた甲斐があったので、まあよしとしました。
理想宮を完成させたあと、シュヴァルが作った墓。
村の中心部に戻ると、I氏がひと休みしたいというのでカフェに入ることに。 私は来たときにタクシーが止まった駐車場付近で気になるものがあったので、コーヒーを飲み終わると、歩き疲れているっぽいI氏を置いて店を出て、そこに向かいました。気になったのは催事の看板で、その案内にしたがって行くと、古い城館がありました。どうやらその館内で写真展をやっているようで、有料みたいだったので中には入らなかったのですが、城館の前庭には大きな木があり、近寄って見ると、アンリ四世が植えたと書かれていました。
アンリ四世の手植えらしい木
駐車場に戻ると、I氏もこちらに向かって歩いてきていたので合流し、公式ホームページで調べた情報に基づいて第3駐車場でバス乗り場を探したのですが、見あたらず。タクシーを降りた隣の第2駐車場にもそれらしきものがなかったので、これは闇雲に探すよりインフォメーションで訊くのが確実ということで、経験上5時になったら閉まると思われるツーリストインフォメーションに急いで戻って教えてもらったら、第1駐車場にあるとのことでした。乗り遅れなかったのでよかったけれど、あてにならない公式情報に翻弄されて疲れました。
第2駐車場にある、シュヴァルと彼が建設作業に使った手押し車の木彫像。手押し車は、本物が宮殿の中に残されていて、本当にこんな原始的な道具で作ったのかと驚かされます。
宮殿内に納められているシュヴァルが使った手押し車の実物
最終バスは、街から離れた田舎をよく走っているポストバスみたいなものだと思っていたら、村の規模に似つかわしくない新しくてきれいな、大型観光バスのような車両が来て驚きましたが、最後まで私たちしか客がいなくて、これでは1日4本でも仕方がないと思いました。そんなわけで、車中も道路も混んでいるときは1時間弱かかるみたいですが、どちらも空いていたので、30分ほどでサン・ヴァリエ駅前に到着。18時31分発の電車に乗るつもりでしたが、まだ6時前だったので、1本早い18時01発に乗れそうだったため、急いで切符を買おうとしたのですが、駅舎は何故か閉まっていて入れず、唯一の券売機も泡を食って操作していたらフリーズしてしまいました。またまた「どうすればいいんだ」と途方に暮れていたら、I氏が「とりあえず車掌に話して乗る」と言ってホームに行き、車掌がいなかったので先頭車両まで行って運転士に声をかけて「切符が買えなかったんだけど乗っていいか」と訊き、相手が何を言われたのかわからないというようにキョトンとしているので、横から「Thicket machine is out of order.」とか叫ぶと、「inside」と言われたので飛び乗りました。その電車の終点であるヴァランス・ヴィレ駅に着いたあと、運転士が出てくるのを待って運賃を払いたいがどうすればいいか訊きましたが、面倒くさいのか、首を振って去って行きました。結果的にはラッキーでしたが、偶々のことなので、よい子は絶対に真似しないでください(笑)。
例によって駅前にタクシーは1台もいませんでしたが、ちょうど空のタクシーがやってきてタクシー乗り場に向かったので、後を追うようにして走り、止まったところで窓をたたいて乗せてもらいました。わりと早くタクシーが捕まって、またまたラッキーと思っていたのですが、車窓から見える風景に見覚えがなかったので不安になり、回り道をされていて、ぼられるんじゃないかと話していたら、途中でドライバーが「ここがメゾン・ピック。ミシュラン三つ星だ」と自慢気に教えてくれました。私たちの行き先がミシュラン星付きのレストランだったので、わざわざ前を通ってくれたのかもしれません。だとしたら、疑って悪いことをしました。道は違いましたが、駅からの料金は25ユーロで前回と同じでしたし。
ムニュの前菜のテリーヌ。「ミシェル・シャブラン」の料理はブラッスリーメニューということもあり、芸術的な側面が強かった「ラ・ピラミッド」の料理と違って、見た目どおりの味と食感という感じでした。なので、驚かされることはなかったのですが、4種ほどセレクトされたチーズプレートが自分でワゴンから好きなものを選んだ「ラ・ピラミッド」よりも美味しかったのは、さすがだと思いました。
7時過ぎに到着し、夕食まで余裕がなかった前日の反省を踏まえて8時に予約をしていたので、チェックインをして荷解きを済ませ少し休んでから、着替えてレストランへ。二つお店があるとのことでしたが、ミシュランタイプのレストランは夏休み中とのことで、その日はブラッスリータイプしか選べませんでした。とはいえ、昨日は明らかに食べ過ぎだったので、個人的には軽めのブラッスリーメニューで十分でした。
ムニュが前菜1品、メイン1品、チーズプレートかデセールを選べる形式だったので、私はそれを注文し、負担が軽い魚料理を選びましたが、I氏はフォアグラが食べたいと言って、前菜もメインもフォアグラにしました。フランスにおけるフォアグラ料理は日本のように控えめなサイズではないため、ボリュームがありすぎて、ずしっと重く、「美味しいけど、もうけっこう」という気分になります。かつてサンテミリオンに行ったときに、フォアグラの本場ペリグーが近いということで、前菜もメインもフォアグラを選んで、胃がもたれるというか胸がやけるというか、たいそう苦しい目に遭ったので、「食べたい気持ちはわかるが、それはやめたほうがいい。食い倒れて明日がつらい」と言うと、I氏も私の言い分には頷いたのですが、さんざん悩んだ末に、「食べたいものを食べないで後悔するより、食べて後悔する」という名言を吐いて注文。フレッシュがどうとか言って興奮していましたが、詳しくないので私には前菜とメインのフォアグラがどう違うのかわかりませんでした。さすがにデセールまでは自信がないということで、アラカルトで頼んではいましたが。
ムニュの前菜のテリーヌ。「ミシェル・シャブラン」の料理はブラッスリーメニューということもあり、芸術的な側面が強かった「ラ・ピラミッド」の料理と違って、見た目どおりの味と食感という感じでした。なので、驚かされることはなかったのですが、4種ほどセレクトされたチーズプレートが自分でワゴンから好きなものを選んだ「ラ・ピラミッド」よりも美味しかったのは、さすがだと思いました。
で、思ったとおり食い倒れて、部屋に戻るなりベッドで仰向けになっていました。しばらく動けず、「とにかくじっとして消化するのを待つしかない」と言うので、消灯など後のことは任せて、さっさと先に寝ました。放っておいても朝には復活し、前夜にどれほど食べ過ぎで苦しんでも、そんなことはなかったかのようにケロッとして、しっかりと朝食を食べるのがI氏なので。毎度のことながら、そのタフさには驚かされます。