羽生雅の雑多話

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フランス旅行記 その4~「クール・デ・ロジュ」&「ブラッスリー・レスト」inリヨン

 翌朝は目を覚ましたら日が昇る前だったので、急いで外に出て、裏庭で朝焼けを見ました。日中は暑いですが、朝夕は涼しくて、気温は22度ぐらい。長袖のカーディガンを羽織っていても少し寒いぐらいの心地よさです。


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ペルージュ城壁外に広がる朝焼けの風景

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朝焼けを見ていた裏庭のテラス

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テラスから城壁外とは反対側に見える、宿泊している石造りの建物。
 
 しばらく風景を眺めていましたが、どうにも日の出の位置が悪くて、ちょうど木に引っかかって見られそうになかったので、部屋に戻り、せっかく起きたので寝直すのももったいないので、荷物整理を始めました。いつもは極力連泊して移動時間を短縮し、なるべく身軽に行動できるようにしているのですが、今回は旅の性質上そういうわけにはいかないので、毎朝荷造りをしなければならないのが面倒でした。
 
 予定よりかなり早く起きたので時間が余り、建物は古くても無料Wi-Fiは入るので、ネットで調べ物をしたり写真の整理をしていたら、ノックが聞こえたので、扉を開けると、大きなトレーに載った朝食がやってきました。朝食会場は夕食と同じレストランか広場に面したテラスでしたが、8時以降なら部屋に運ぶこともできるというので、運んでもらったのです。バケットとバターと手作りジャム、そしてオレンジジュースとコーヒーというシンプルでクラシックなメニューはクラシックな部屋によく合い、テーブルに載った光景は、あたかもフェルメールの絵のようでした。その他に、朝からガレットも付いてきたのですが、さすがに食べられなかったので、非常食にしました。

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古い部屋の光の具合が、フェルメールの絵を思い出させました。

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部屋の雰囲気を保つため、こんな工夫も。

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アンティークの椅子を利用して、中に仕込まれている電話機。
 
 朝食後、まだ残っていたポットのコーヒーを飲みながらI氏ととりとめのない話をしていたら9時50分になったので外出し、10時に開館するペルージュ旧市街博物館へと向かいました。

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「オステルリー・デュ・ペルージュ」のレストランと、朝食会場になるテラスの朝の様子。

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レストランの前の広場のシンボルである、通称「自由の木」。1792年に植えられた菩提樹で、それゆえ「菩提樹広場」と呼ばれています。
 
 博物館は「オステルリー・デュ・ペルージュ」のレストランの前にあり、昔サヴォイア公国王子の館だった建物を利用しています。入場料は5ユーロ。ペルージュの歴史を辿る絵図等の史料の他、古い生活道具や調度品などを常設展示する民俗資料館で、かつ、部屋によっては期間限定の特別展などを開催する多目的ホールとして使われる博物館でした。特別展はちょうどサーカスをテーマにしたシャガール展が開催されていました。古い建物の部屋にシャガールの幻想的なテーマと色づかいがピッタリ合っていて、絵画や彫刻などの展示品と展示場所との調和を重視する私には居心地のよい空間で、朝から清々しい、得した気分になりました。というのも、シャガールも昔から好きな画家の一人なので。何年か前に行ったランスのノートルダム大聖堂のステンドグラスも、それはそれは見事でした。

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今回で展示で一番気に入ったシャガールの作品
 
 展示室が終わった館の奥には、ハーブを栽培している小さな庭と、塔の上に出る螺旋階段があったので、庭を一巡したあと塔に上ってみました。すると、屋外に出られて、周囲には地平線が360度見渡せる素晴らしい眺望が広がっていました。リヨンとは反対方向――東を見ると平野が広がっていて、彼方に山並みが見えました。方向からして、おそらくアルプスだろうと思います。

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塔の上より望むペルージュの屋根群
 
 美しい風景と気持ちのよい風と陽の光を堪能して塔を下ると、散策がてら少し遠回りをしてホテルに帰ることに。店が開いて観光客が増えはじめた街を土産物屋などに寄りながら歩き、下門から城壁外に出て、まだ歩いていなかった城壁伝いの道を上門方面へ行き、上門をくぐって城壁内に戻りました。
 
 部屋に戻るといい時間だったので、買ったお土産を詰めて荷物整理をしつつ荷造りをして出発準備を終えると、12時5分前にスーツケースを持ってラウンジを通り、狭い螺旋階段を降りて建物の外へ。私が荷物の番をして、I氏が鍵を持ってレストランにチェックアウトをしに行きました。I氏が戻ってくると、車で送ってくれることになっている12時半までまだ時間があるので絵葉書を買いたいと言うので、「ここで荷物を見ているから、目の前の通りの2、3軒先にあった土産物屋に行ってくるといい」と言いました。前日も寄った店で、私はそのときに店にあったもので気になった物はすでに買っていたし、建物から出ても敷地内なので、ホテルのWi-Fiが入るため、待っていても退屈することはなかったので。
 
 I氏が戻ってきてしばらくして、夕食時にレストランの席に案内してくれたオーナーっぽいおじサンがやってきて、車でメクシミュー・ペルージュ駅まで送ってくれました。行きはメチャクチャ苦労しましたが、帰りは10分もかからず。しかも、行き先を確認してリヨン方面のホーム入口に行ってもらったので、本当に助かりました。前の記事でも書きましたが、この駅は上りと下りのホームが異なり、見えるところに連絡通路がなかったので。
 
 前日に切符を買ったときには14時16分発のリヨン・パールデュー行きに乗るつもりでしたが、城壁内を観光したあとに、博物館以外ほとんど観てしまったので、1本早い電車でもいいのではないかということになり、13時16分発に乗ることにして時間を設定し駅まで送ってもらったのですが、8月15日は聖母被昇天祭で祝日――つまり休日ダイヤのため平日より本数が減っていて、13時16分発の運行はなく、当初予定していた14時16分発がリヨンに向かう一番早い電車でした。I氏は「やられた~」と叫んでいましたが、このあと何かをする具体的な予定もなく、とりあえずリヨンに着ければいいだけだったので、私はそれほどショックではありませんでした。

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メクシミュー・ペルージュ駅のアンベリュー・アン・ビュジェイ方面ホームと駅舎。向こう側に渡る術はありません。
 
 ということで、1時間半ほど待つことになりましたが、ホームには屋根付きのベンチもあり、田舎町の小さい駅とはいえフランス国鉄の駅には変わりなく、無料Wi-Fiが使えるため、例によってネット三昧。非常食として包んできたガレットを食べながら、翌日から行くウィーンの情報収集に励み、私とは別行動でポンペイやら何やらの遺跡を見にナポリに行くことにしたI氏は現地のホテルの手配などをしていました。そうこうしているうちに、だんだんと人が集まってきて、定刻どおりに電車が来たので乗車。待っている時間より乗っている時間のほうが断然短く、30分ほどでリヨン・パールデュー駅に到着しました。
 
 表示に従って駅構内を地下鉄駅に向かって歩いていたら、ピアノの生演奏が聞こえてきて、ベートーヴェンの「月光」の第三楽章でした。大好きな曲で、長年ピアノをやっているI氏には、以前ハイリゲンシュタットの遺書の家に行ったときに買ったベートーヴェンの遺書の複製をお土産であげていたので、「こんなところでこの曲が聴けるなんて。『月光』は名曲だけど、この第三楽章があってこそだから」などと言ったら、「今の課題曲」という答えが返ってきました。毎年夏に発表会があり、年に一度の旅行も発表会を終えないと行けないというI氏の都合もあって、今回の旅もこの時期になっているのですが、なんという偶然かと思いました。
 
 それから地下鉄B線とD線を乗り継いでフルヴィエールの丘の麓にある旧市街のビュー・リヨン駅まで行き、下車後、ホテルまでの道がまたもや旧市街特有の石畳だったので、転がらないスーツケースを気合いで引っ張って歩き、その日宿泊予定のホテル「クール・デ・ロジュ」に到着。チェックイン中、選べるウエルカムドリンクとフィナンシェのサービスがありました。
 
 このホテルは14世紀に建てられた城館を改装したもので、それゆえ部屋が広くて居心地がいいとか、設備が新しくて快適というものではなく、ルネッサンス建築が漂わせるアンティークな雰囲気を楽しむところです。とはいえ、五つ星ホテルではあるので、レストランやカフェ、バーの他、スパなどもあり、ホスピタリティはちゃんとしています。今回の滞在で、それらを楽しむ余裕はありませんでしたが。

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部屋のトイレ。三方が壁画で覆われ、扉裏は鏡になっていました。最初に入ったときには、ドアを開けた瞬間、言葉を失いました。
 
 ということで、部屋にもウェルカムサービスのプティフルールがあったので、それをつまみながら、このあとどうするか相談。リヨンの街にはあまり興味がなく(だから今まで行かなかったのですが……)、なので私自身はとりあえずフルヴィエールの丘にあるノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂に行ければいいと思っていたのですが、その日は祝日で塔が開いていないことが判明したため、それすらどうでもよくなっていたので、行きたいところがあれば付き合うとI氏に言うと、「ベルナシオンに行きたい」と言いました。超有名なショコラトリーだそうですが、パリにも、もちろん日本にも支店がなくて買えず、年に一度開かれるサロン・デュ・ショコラに出ても別格で、行列に並ばないと買えないとのこと。そこに行ければいいと言うので、ならば行こうかということになり、出かける前にコンシェルジュで夕食の予約をしてもらったほうがいいから、レストランも選んでほしいと頼みました。「クール・デ・ロジュ」のレストランもミシュラン一つ星なので、外に行くのが面倒だったときにここでもいいように、このホテルを選んだのですが、今までの街と違って、リヨンにはミシュラン星付きのレストランなど腐るほどあるので、特別こだわりはありませんでした。
 
 「せっかくリヨンまで来たので、できればブレス鶏が食べたい」と言ってI氏が熱心に調べはじめて、あっという間に20分ぐらいの時間が過ぎたので、「リヨンで食べるのも最後だから心ゆくまで調べてくれていいけど、ベルナシオン閉店時間は何時?」と訊くと、「ベルナシオンは大丈夫。開いていれば、まだやっている。問題は、休日で休みかもしれないということ」と言うので、「それは公式ホームページでちゃんと確認したほうがいい」と言うと、数分後に「3週間休み~」という叫び声が。私がノートルダムにしか興味がなかったのと同じように、I氏もベルナシオンにしか興味がなかったらしく、本人も「ダメージが半端ない」と言っていましたが、傍目にも気の毒なほどの気落ちぶりでした。「それじゃあ、せめて夕食は悔いのないように、なおさら吟味したほうがいい」と言ったら、さらに40分ほど検索に費やし、リヨンにあるポール・ボキューズの四つのセカンド店の一つ、「ブラッスリー・レスト」にブレス鶏のメニューがあることを突き止めたので、コンシェルジュで訊いて、このホテルのレストランになかったら、そこにするかということで、ようやく決まりました。
 
 出かける前にコンシェルジュに寄って確認したところ、「クール・デ・ロジュ」のレストランにはブレス鶏がなく、ホテルの近くでブレス鶏を食べさせるミシュラン星付きレストランも知らないと言うので、「ブラッスリー・レスト」を7時半に予約してもらいました。そしてホテルを出て、まだ時間もあったので、旧市街を歩いてベルナシオンに代わるショコラトリーを探しつつベルナシオンへと向かい、その最寄り駅から地下鉄に乗って、パールデュー駅の一つ手前のブロトー駅近くにある「ブラッスリー・レスト」に行くことにしました。
 
 ソーヌ川とローヌ川を越えて辿り着いたベルナシオンは、休みの上に改装工事中で、ショーウインドウの商品もすべて取り払われていて、ショコラトリーの面影もありませんでした。I氏もあきらめがついたらしく、予定どおり最寄りのマセナ駅から地下鉄A線に乗って隣のシャルペンヌ駅でB線に乗り換え、そこから隣のブロトー駅まで行って下車。地上に出たら、ほぼ目の前にパールデュー駅の開業によって廃駅となった、かつての国鉄駅――リヨン・ブロトー駅の豪奢な駅舎があり、その1階に「ブラッスリー・レスト」がありました。

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ソーヌ川かローヌ川

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ブラッスリー・レスト」の外観
 
 レストランの内装も駅を意識したもので、店内には主に特急列車の模型が飾られ、天井下にはレールが巡らされて、模型列車がぐるぐる走っていました。私はいつものようにグラスシャンパーニュとムニュを注文し、I氏はアラカルトでブレス鶏を注文。気取らないブラッスリーメニューで、地方料理によくある濃い味付けの、けれども濃すぎない、安定感のある美味しさでした。ポール・ボキューズのセカンド店4店舗はそれぞれ東西南北がテーマで、「ル・ノール(北)」はフランス北西部を中心とした伝統的な料理、「ル・スュド(南)」は南フランスを中心とした料理、「ルウェスト(西)」はフランスから西方への西インド諸島を中心としたエキゾチック料理、そして「レスト(東)」はフランスから東方への旅の料理とのこと(byウィキペディア)。ブレス鶏はリヨンの北“東”に位置するブールカン・ブレスが産地なので、「レスト」のメニューにあるのかもしれません。ちなみに、味のほうはと言うと、I氏いわく「例えるなら、名古屋コーチン」という感想でした。わかりやすいです。食べなくてもなんとなく想像がつく、実に的確な表現です。

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ヨーロッパの人たちはテラスを選ぶことが多いので、早い時間の店内はわりと空いています。天井下を模型が休むことなく走っていました。

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前菜のテリーヌ。オリジナルのプレートが可愛かったので売っていれば購入したかったのですが、グッズ販売はありませんでした。
 
 帰りはペルージュから来たときと同じコースを辿り、大量の観光客が引けたあとの静かな夜の旧市街をプラプラ歩いてホテルに帰着。これにて日程終了です。

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ホテルがあるブッフ通り。旧市街でも古い通りとのことで、石畳が続くため、昼間は真ん中(たぶん雨用の水路)を通ってスーツケースを引きました。