羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

リヨン、のちウィーン旅行記~生誕150年記念クリムト・ブリッジ

 翌日は、旧市街の通りに面したホテル併設のカフェのテラスでビュフェスタイルの朝食を摂ったあと、タクシーが来る10時の出発時間まで余裕があったので散歩をし、丘の上のノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂を目指しました。


イメージ 1
「クール・デ・ロジュ」のカフェのテラスより

イメージ 2
朝、ホテル前のブッフ通り

イメージ 3
聖堂への近道にある階段上からリヨン旧市街を望む。
 
 ショートカットの階段を上ったところで、まだ先が長そうだったので、時間内に行って帰ってくるのは無理と判断して引き返し、ホテルに戻って出発の準備をし、10時5分前に部屋を出てチェックアウト。タクシーの依頼は朝食メニューと同じように、前夜の3時までに部屋の扉のノブに、時刻を記入した札をかけておくのですが、ちゃんと時間どおりにホテルの前に来ていました。

イメージ 4
部屋の窓から見える聖堂。ここからが一番きれいに見えました。
 
 15分弱でパールデュー駅に到着し、17ユーロを払ってタクシーを降りたあと、駅構内で40分ほど待って11時発のTGVに乗り、シャルル・ド・ゴール空港へ。TGVの切符は、私は日本で事前にフランス国鉄のオンラインでイーチケットを購入し、前売料金で2等と1等が10ユーロほどしか違わなかったので1等席を86ユーロで買ったのですが、フランスを出たあとの予定が直前まで立たなかったI氏は、ペルージュからリヨンに戻ってきたときに駅の窓口に寄り、前日料金で2等席を96ユーロで買ったので、車両は別々になりました。
 
 定刻より遅れて列車が動き出したあと、到着まで2時間ほどあるので、I氏を探しに2等席の車両へ行ったら、行けどもI氏の目立つ色のスーツケースがなく、最後の車両まで行っても見あたりませんでした。少々焦りましたが、焦ってもどうにもならないので席に戻り、途中で車掌に訊いて、この列車がシャルル・ド・ゴール空港駅に停まることは確認できたので、一人席でクレジット決済の明細をまとめつつ、くつろいでいました。
 
 リヨンからシャルル・ド・ゴールは二駅なのですが、リヨン出発が遅れたため、ほぼ到着予定時刻に停まることになった一つ手前の駅でみんな慌てだし、私に「シャルル・ド・ゴールか?」と訊いてくるご婦人も。どう見ても東洋人の私に訊くかと思いましたが、地上駅であることから、屋内のシャルル・ド・ゴール空港駅ではないことはわかったので、「next station」と答えました。
 
 駅に到着すると、10人ぐらいのイスラム系の大家族が乗り込んできて、大量の荷物――人数分のスーツケースやバギーを放り投げるように入れて、どうにか発車に間に合わせると、列車の入口付近を占領。通路を塞がれて、私がいる最後尾の1等車両は、隣の車両はおろか、入口隣にあるトイレにも行けない陸の孤島状態になり、次なのにどうやって降りるんだという困った事態になりました。私を含めてスーツケースを1等車両に持ち込んだ客は、降り遅れたら困るので、心得たようにそれぞれが早々に席を立ち、荷物を持って入口付近へ行って、彼らに無言のプレッシャーをかけました。その時点で1等車両に空いている座席はなく、つまり彼らは1等席の客ではないため、新幹線のグリーン車が立ち乗り禁止であるのと同様に、本来1等車両の通路に乗っていてもいけないと思うのですが、怒ったり文句を言う人は一人もいませんでした――みんな快適さを求めてプラスアルファの料金を支払っているのに。まあ、私が降りたあとのことは知りませんが、下手に関わりたくないということでしょう。昨今は何があるかわかりませんから。
 
 騒ぎの中、なんとか電車を降りて、ぐったりしつつもI氏を探したら、無事にホームにいてくれました。詳しい話を訊いたら、切符に書いてある車両がなくて困っていたら、パールデュー駅で連結する電車の車両だと教えられて、連結した車両は行き来ができないため、見つからなかったとのこと。福島駅における東北新幹線山形新幹線の連結のようなものです。I氏が乗ってきた車両の電車のリヨン到着が遅れたため、リヨンを出発するのが遅れたということでした。
 
 I氏とは空港で別れて、私は17時25分発のウィーン行き、I氏は17時ちょうど発のローマ行きの飛行機に乗る予定でしたが、同じエールフランス航空便でチェックインカウンターも出発ターミナルも一緒だったので、自動チェックイン機でチェックインを済ませ、スーツケースを預けて身軽になると、とりあえず出発ターミナルまで行って、遅い昼食を摂ることにしました。
 
 私は軽食でよかったので、シャンパーニュミモザを飲みながらパンとチーズを食べていたら、そろそろI氏の搭乗開始時刻になったので、ローマ便のゲートまで送っていき、見送ったあと、ウィーン便のゲートに向かい、定刻どおりに出発。約2時間のフライトで、7時半頃にシュヴェヒャート空港に到着し、空港内のドラッグストアで買い物をしてから、ホテルにチェックイン。今回のウィーン滞在は正味一日で二日後の朝にはパリ経由で日本に帰るため、空港直結のホテルを予約していました。ということで、8時過ぎには部屋に落ち着きましたが、必要なものは買い、周囲に出かけるようなところもないので、シャルル・ド・ゴール空港で4時過ぎまでダラダラと飲み食いしていたせいでフライト中には食べられなかった機内食のサンドイッチと、飲みきれなかったピッコロサイズの赤ワインがあったので、それを夜食代わりに食べて、その日はさっさと寝ました。
 
 翌朝は9時半にホテルを出て、9時48分発のS7線に乗るつもりでしたが、表示に従って連絡通路から駅のホームに下りたらシティ・エアポート・トレイン(CAT)専用のホームで、しかもホームを変えるときに見つけた階段上にあった券売機も二、三台しかなく、空港から来た大荷物の客で混んでいたため、乗りそびれてしまいました。ウィーン市中に行くS7線は在来線なのでCATより安くてよいのですが、30分に1本しかないのが痛いところです。かといって、邪魔なスーツケースもないのに11ユーロを払う気にはなれなかったので、次の10時18分発まで待ってウィーン・ミッテ駅へ行き、地下鉄3線に乗り換えてフォルクステアーター駅で下車し、ウィーン美術史美術館へと向かいました。そして、今回ウィーンに寄った一番の目的である「クリムト・ブリッジ」とご対面――シュヴァル・パレスに続いて、感動で身が震えました。
 
 ウィーン美術史美術館はヨーロッパでも一番好きな美術館で、ウィーンに来るたびに寄っているので何度も来ているのですが、クリムトの作品は遠くから眺めるだけでした。というのも、作品といっても、美術館の階段の吹き抜けに描かれた壁画なので、仕方がないのですが――。ところが今年は、クリムト生誕150年のメモリアルイヤーということで、それを記念して、没後100年にあたった2012年に架けられたクリムト・ブリッジが6年ぶりに復活し、2月13日から9月2日まで間近で鑑賞できるようになっていたのです。
 
 私はクリムトの作品が特に好きというわけではなく、「接吻」や「ユディト」もそれほどよいとは思わず、よってさほど興味がなかったため、ウィーンに何回か行きながらも、見たい行きたいの優先順位が低かったので、数年前にようやくベルヴェデーレ宮殿に足を運んだような人間ですが、この壁画の存在ゆえに、クリムトの描く女性は美しいと思い、彼を無視できない画家だと思っています。今回間近で観て、やはりクリムトの代表作はこれだと思いました。クリムトは表情――特に女性の表情の表現が秀逸ですが、壁画の人物たちの表情は、女性だけでなく、どれも柔らかさと端正さが同居していて、真に巧い絵だとため息が出るような素晴らしいものでした。この特性は、ラファエロに通じるものがあります。あくまでも主観ですが。

イメージ 5
正面玄関を入るとすぐに見えたクリムト・ブリッジ。建物の美観を損ねる無粋なものではあります。

イメージ 6
ブリッジ上より、壁画の中央

イメージ 7
中央右側の「古代エジプト

イメージ 8
中央左側の「古代ギリシャ

イメージ 9
古代ギリシャ」の右にいる女神。工芸の女神ということで、アテナだと思います。

イメージ 10
古代ギリシャ」の左にいる美人

イメージ 11
古代ローマ」の右にいる教皇らしき聖職者めいた人。女神と同じ位置なので、同様に芸術の庇護者ということでしょう。

イメージ 12
古代ローマ」の左にいる美人

イメージ 13
ルネッサンス」の右にいる天使。女神や教皇と同じように、芸術の庇護者ということなら、四大天使の一人であるラファエルだと思います。それにしても、本当に美しいです。この壁画の中でも一番好きな表情かもしれません。

イメージ 14
ルネッサンス」の左にいるラファエロ――というのは不確かですが、そんな気がしないでもありません。視線の先にいる天使がラファエルならば。だとすれば、クリムトのシャレですね。

イメージ 15