羽生雅の雑多話

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関西寺社遠征 その1~泉涌寺、仁和寺

 今日も暑かったですね~。北海道、とんでもないことになっていましたね。

 
 ドイツ旅行記もタイトルをアップしたまま中途で終わっていますが、時間がかかるので、時間を見つけたときに追々記事を書くことにし、本日は木曜から土曜まで行っていた寺社遠征記を書きたいと思います。
 
 全国的に季節外れの猛暑の中、とりわけ暑いことで有名な京都に行ってきました。10連休に海外旅行をしてきたばかりですが、御代替わりにともなうイベントがあり、それが今月末までで、行けるのがこの週末だけだったので、仕方ありません。
 
 当初は、4月から5月まで皇室ゆかりの寺社が限定で授与する慶祝御朱印というものをいただきに行こうと思っていたのですが、これがJR東海のツアー企画で、よくよく調べると、同社のツアー参加者のみがいただけるというものでした。2枚は無料で、3枚目からは有料なのですが、専用の台紙があって、それを提示しないと、お金を払ってもいただけないそうで……。それに気づいたのが、寺社参りの順序を検討しはじめた出かける前々日。ドイツ行きでANAマイレージがたまっていたので、交通費を浮かせるために特典航空券を手配していた上に、JR東海のツアーの申し込みは三日前までで、エアーをキャンセルしても間に合わなかったので、こちらの御朱印はあきらめることにしました。そもそも縁がないといただけないのが御朱印なので……。遠くから訪れても授与所や社務所が開いていなかったり、普段は無人で祭礼の時にしかいただけなかったり、と……本当に御縁なので、いただけなかったときは、残念ではありますが、今回は御縁がなかったと思うだけです。なので、最近の御朱印ブームを通り越した御朱印問題は悲しいですね。
 
 ということで、直前に目的変更を余儀なくされたので、どうしようかと思い、他にこの時期しかやっていないことはないかと、大慌てでネットで調べまくりました。二つ三つの理由がないと動けない人間なので、特に目的もないのにわざわざ京都まで行くのは私の場合あり得ない行動なので……幸い、いくつか興味を引かれるイベントがあったので、予定どおり飛行機で行くことにしました。
 
 木曜の5時に仕事を終えて、19時20分発のANA便で伊丹へ飛び、9時発のリムジンバスで京都に出て、京都駅八条口近くのホテルにチェックイン。翌日はホテルでビュフェスタイルの朝食を食べたあと、駅ビルを抜けて市バス乗り場へ行き、208番のバスに乗車。泉涌寺道バス停で下車し、泉涌寺へと向かいました。
 
 泉涌寺には何度も来ていて、一昨年の今熊野観音寺の御本尊特別公開の時にも寄りましたが、大好きなお寺なので、何度訪れても飽きません。いつものように、まずは楊貴妃観音を拝み、隣の心照殿で「天皇の御尊影と皇室の御宝物」という展示していたので見学。

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大門より仏殿を見下ろす参道。現代的なものが一切目に入ってこない、昔のままと思われるこの風景が大好きです。
 
 仏殿を見たあと、御朱印授与所を兼ねた受付で拝観料を払って御座所と海会堂、庭園を見学し、出るときに今回当寺を訪れた目的である天皇陛下御即位記念の腕輪念珠を購入。ホームページによると、5月1日からの販売となっていたので、まだ残っているかとヒヤヒヤものでしたが、完売なら御朱印と同じで御縁がなかったのだと思えばよいと思い、とりあえず今回最初に行ってみたのですが、間に合ってよかったです。別の所に在庫があるのかもしれませんが、積んであったのはあと6個ぐらいでした。

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天皇陛下御即位記念の腕輪念珠。檜製で、親珠の表裏に「令和」の文字と菊の御紋が彫られています。
 
 受付で念珠の支払いをするときに、書き置きされた慶祝御朱印があったので、念のため「こちらの御朱印はツアー参加者のみですよね」と訊いてみたら、やはり「そうですね。旅行会社の限定企画ですから」との答え。限定であることが徹底されているのはよいことだと思いましたが、東京、名古屋、静岡からの往復新幹線込みのツアーにしかこの特典を付けないという企画をしたJR東海にはいささか腹が立っていたので、「――ということは、この近辺の人は欲しくてもいただけないってことですよね。新幹線には乗る必要ないし」というようなことを言ったら、「まあ、そうですね」と、やや失笑ぎみに答えてくれました。
 
 御座所を出たあとは、裏手の月輪陵へ。和宮の兄、孝明天皇の御陵なので、ずっと気にはなっていたのですが、昔御陵巡りをしていたときに訪れた、この近くにある藤原定子の鳥辺野陵に行ったときに、地図で見て想像したよりもずいぶん遠かった記憶があるので、時間に余裕がなくてずっと行けずにいました。今回の旅は二日で5か所をまわればよく、よってその日も仁和寺と、時間に余裕があれば城南宮に行けばよいというスケジュールだったので、足を運んでみることにしました。

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泉涌寺伽藍。土日休日平日問わず多くの観光客で溢れかえっている京都ですが、ここは別。いつ行っても期待を裏切らない静寂を保ってくれています。
 
 午前中すでに気温は30℃ぐらいで、なおかつ御陵への参道にはたいてい何もないことは経験上わかっていたので、御座所入口の無料休憩所に戻って、ペットボトルのお茶を自販機で購入。恐れていたほど遠くはなかったのですが、参道は自販機類だけでなく、陽射しを遮るものもないので、水分を調達しておいて正解でした。徒歩が基本の寺社巡りなので、天気予報は事前にチェックし、暑くなることは京都に来る前からわかっていて、遺跡巡りの時に愛用している、たためて洗える帽子も携帯していたので、なんとか炎天下を歩くという選択に踏み切れました。

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孝明天皇陵。陽を受けて光を透かして輝く青もみじがきれいでした。
 
 孝明天皇陵を参拝したあと、参道途中にある脇道から入っていく後堀河天皇陵にも寄って、泉涌寺参道の途中に合流する御陵参道の入口まで戻ってくると、「淑子内親王、山科宮、賀陽宮久邇宮、梨本宮御墓参道」と彫られた石碑があったのでビックリ。今まで御陵参道を通ったことがなかったので気が付かなかったのですが、近くに和宮の姉である淑子内親王の墓もあるのなら行くしかないと思い、キョロキョロとそれらしきものを探したのですが、見あたらず。スマホで調べると、泉涌寺参道を登り、大門がある左に曲がらず、直進したところにあるとのことでした。

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後堀河天皇観音寺陵

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御陵参道から見る泉涌寺の伽藍

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御陵参道入口の脇に立っていた石碑
 
 同じ道をまた登るのかと少々うんざりしましたが、今まで時間に余裕がなくて楊貴妃観音と伽藍の拝観だけで済ませ、御陵参拝までできず、淑子内親王の墓の存在にすら気づかなかったことを考えると、今後いつ機会があるかわからなかったので、気を奮い立たせて行くことに。
 
 墓地の前に着くと、三つの鳥居の後ろにそれぞれ円墳があって、中央が桂宮淑子内親王、向かって右が梨本宮守脩親王、左が久邇宮朝彦親王の墓とのことでした。梨本宮守脩親王の事績は知りませんが、久邇宮朝彦親王は、維新前、中川宮という宮号を名乗り、公武合体派の中心的人物として活躍した宮様。京都守護職松平容保と絡むことも多かったので、私には馴染み深い人物なのですが、淑子内親王の隣に眠っているとは知りませんでした。

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三宮の墓
 
 和宮と同じ時代を生きた、たった一人の兄である孝明天皇、たった一人の姉である淑子内親王、そして、和宮と同じく激動の時代の渦中にいた中川宮の墓参りをして、彼らが文献の中だけの存在ではなく、実在の人物であったことを改めて教えられ、拙作『武蔵野の露と消ゆとも』の世界がいっそう現実味を帯び、身近に感じられました。
 
 それと同時に、兄と姉が眠るこの地に和宮の墓がないのは不自然に思え、その不自然さをおぼえたことによって、彼女が江戸の徳川家の墓地に葬られたのは、まさしく異例のことであり、彼女自身が強く望んだから実現したのだという思いを強くしました。
 
 そんな感慨に浸っていたら、気が付くと12時を回っていたので、墓地を後にして泉涌寺道バス停へ行き、京都駅に戻ると、26番市バスに乗り換えて、仁和寺へと向かいました。当初はR'EXこと、らくなんエクスプレスに乗り換えて城南宮に行くつもりでしたが、泉涌寺で思わぬ時間を取られ、仁和寺での時間がなくなりそうだったので予定変更です。泉涌寺と城南宮はどちらも京都駅の南なので、直線距離的には近いのですが、泉涌寺道バス停から城南宮方面に行くバスがなく、またタクシーは泉涌寺大門前からだと2,000円以上かかることが判明したため断念し、翌日にまわすことにました。城南宮は土曜でもさほど混んではいませんが、世界遺産であり、観音堂が特別公開されている仁和寺は土日祝日は混むような気がして、なんとしても金曜日中に行っておきたかったので。
 
 1時半過ぎに御室仁和寺バス停に着いたので、工事中の二王門を抜けて、まずは境内の御室会館の1階にある和食処「梵」に行き、昼食を摂ることにしました。ランチタイムが2時までだったことと、この寺は拝観に時間がかかるため、腹ごしらえをしておく必要があったので。今回の仁和寺訪問は観音堂修復落慶記念の特別内拝が目的だったのですが、それ以外にも御室御所の御殿や霊宝館など見どころが多く、個人的な思い入れも強いため、見るのに時間がかかります。平安貴族スキーの私にとって、醍醐寺仁和寺、法性寺、勧修寺など平安時代の皇族や貴族ゆかりの寺は泉涌寺以上に特別な存在で、それゆえ昔はよく訪れましたが、行けば時間がかかることがわかっているので、神社巡りに時間を費やしている最近は、時間が割けないから行っていないという状態でした。
 
 店に入ってメニューを見ると、観音堂落慶法要の特別メニューというのがあったので、その中の一つ「風雷弁当(天麩羅付)」というのを注文。

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和食処「梵」で食べた「風雷弁当(天麩羅付)」。普通の天ぷら弁当でしたが、麩饅頭とかが付いているのが「京都だな~」と思いました。麩饅頭、大好きです。

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メニューの写真。「風雷弁当(天麩羅付)」は風神雷神の紙を取ると、こんな感じです。
 
 食事後、最寄りの拝観受付で観音堂特別内拝&御殿&名宝展の共通券を購入し、まずは一番近かったので、霊宝館に行って春季名宝展「物語・うたの世界」を見ることにしました。“令和”にちなんで『万葉集』や『源氏物語』の写本が展示されていましたが、やはり国宝の阿弥陀三尊像が圧巻でした。特別展示の信長や秀吉の朱印状も、それはそれで興味深いものがありましたが。
 
 霊宝館を見たあと、金堂に向かって歩いていると、五重塔の方向に「令和」と書かれた立板を発見。改元直後ならではの光景でしたが、仁和寺天皇家ゆかりの寺で、開祖宇多天皇以来、明治維新まで代々皇子や皇孫が住職を務めた門跡寺院の筆頭なので、神社ではありませんが、新天皇の御代を讃えるのは当然のことなのだろうと思いました。

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青い空と鮮やかな緑に囲まれた重要文化財仁和寺五重塔。美しいです。

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五重塔と参道横に建てられていた「令和」の立板。観音堂で副住職から聞いた話によると、立板に彫られた「令和」の文字は、弘法大師の自筆であり、大師が残した文献から“令”と“和”の文字を探し出して拡大複写し、浅草の根付師が観音堂の古材に彫ったとのこと。副住職も言っていましたが、立板の近くに何の説明もないため、そんな意味のあるありがたいものだとは知ることもないまま、みな通り過ぎていきます。
 
 金堂に突き当たって右に曲がり経堂を越えると九所明神に至るのですが、以前来たときには興味がなくて立ち寄らなかったためか記憶になく、したがってこんな所にこんな社があることも知らなかったのですが、改めて縄文時代史研究をしている神社巡りオタクの目で見ると、大いに気になる祭神が祀られていました。石清水八幡を中心に、賀茂、松尾、日吉、八坂等々――いずれも京都を守る錚々たる神々です。賀茂は北、松尾は西、八坂は東、日吉は北東――いわゆる鬼門で、石清水八幡は南西の裏鬼門を守る神の社です。現在の京都五社巡りでは、南を守るのは城南宮とされていますが、当時は伏見稲荷だったのでしょう。それらに交じって平野大明神(平野神社祭神)と木野嶋天神(蚕の社祭神)が祀られているのも実に意味深で、おもしろかったです。

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九所明神 

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九所明神の祭神名
 
 九所明神にお参りしたあとは、五重塔の脇を通って金堂前を通り、鐘楼、御影堂を経て、水掛不動尊へ。ここに祀られている不動明王像が立っている岩は、太宰府に流されることになった菅原道真宇多法皇に挨拶をするため仁和寺を訪れたときに、法皇が勤行の最中だったため、この石に腰かけて終わるのを待ったという言い伝えがあるそうで、それゆえ「菅公腰掛石」と呼ばれているとのこと。ウソかホントかわかりませんが、道真と宇多天皇の親密な関係を思えば、あり得ないこととも言い切れず、信憑性はかなり高いような気がします。

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水掛不動と菅公腰掛石
 
 水掛不動尊のあと、残るは観音堂と御殿だけだったので、まずは順路の手前にある観音堂へ。今回の特別内拝は、久々に身震いをおぼえた拝観でした。
 
 6年に及ぶ半解体修理が終わり、今回初めて一般に公開された観音堂ですが、現在の建物は江戸時代初期――徳川家光によって再建されたものとのこと。建立から370年以上経っていますが、厳粛な修行道場として非公開だったため、仏像、壁画などが今なお彩色も鮮やかに残っています。

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回向柱が立つ観音堂前から五重塔を望む。
 
 その質の高さも驚きでしたが、量がまた凄くて圧倒されました。仏像は、本尊の千手観音菩薩を中心に脇侍の不動・降三世両明王二十八部衆風神雷神の全33体、壁画は六観音と六道の世界や、観音の三十三変化の姿と、姿を変えて人間界に現れて行った救済などが描かれていますが、どれもこれも描き込みすぎと思うぐらい緻密な絵でした。あの絵と像に囲まれた密閉空間で修行をしていれば、この世ならぬものが見えるとか、何か感得するようなこともあるのではないかと思いました。
 
 それと同時に、三代江戸将軍徳川家光の権力の大きさと、江戸将軍にここまでさせることのできる仁和寺の力――格の高さを見せつけられたようにも思いました。仁和寺は都が戦場となった応仁の乱で壊滅的な損害を受け、寺宝も近くの寺に避難させてようやく守られたとのことですが、家光によって伽藍のほとんどが再建されたとのこと。
 
 しかしそれゆえにガタが来るのも同時期で、今度は二王門を修復しなければならず、資金を集めなければならないため、特別公開に踏み切ったというようなことを、観音堂の説明とともに副住職が話してくれました。率直な話に内心苦笑いでしたが、裏事情はどうであれ、こんな素晴らしいものが見られるのはよいことなので、自分にできる範囲内で資金集めに協力することにし、観音堂の通常御朱印の他、特別御朱印5種全部と、仁和寺学芸員が作ったというオールカラーパンフレット「仁和寺観音堂 三十三体のみほとけと幻の観音障壁画」、それと神護寺の本尊と同じぐらい私が好きな薬師如来像である仁和寺の国宝薬師如来坐像のクリアファイルを購入。御朱印・御守り授与所で4,000円ほど散財してきました。

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なんともカラフルな特別御朱印

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特別内拝の記念品
 
 観音堂のあと、二王門を入ってすぐ左手にある御殿を見学。観音堂にはあまりいなかったのですが、ここでは修学旅行生や外国人観光客がけっこう見受けられました。

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御殿に行く途中で見かけた新天皇の参拝記念樹。さすが天皇家ゆかりの寺です。浩宮時代に来ています。

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御殿の宸殿の板戸。桜の下で舞う蘭陵王です。

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庭園の池の鯉

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霊明殿

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観音堂で買ったクリアファイル。霊明殿の中央に座す、本尊薬師如来坐像。国宝です。

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裏はこんな感じ。須弥壇の四面に十二神将が彫られているという画期的な像で、ひと目見て惚れ込みました。
 
 御殿を出たときには、あと10分ほどで4時になろうかという時間で、これから他の所に行くとしても4時半の閉門に間に合いそうなのは近所の龍安寺ぐらいで、とはいえ龍安寺も短い時間で慌ただしく見るようなところではないので、切り上げて京都駅に戻ることにしました。
 
 15時54分発の京都駅行きバスに乗り、5時前には駅に到着。少し早かったのですが、冷えたアルコールが飲みたかったので、例によってJR京都伊勢丹に入っている「松山閣」で夕食を摂ることに。予約が入っているので7時までならと言われましたが、1時間以上あるので問題ないと言うと、窓際の席に案内してくれました。何回も行っている店ですが、眺望がよい窓際の席は人気が高く、予約で埋まっていたり複数人数の客が優先されることが多いため、初めてでした。いつものように、ゆば桶が付いているコースメニューと「玉乃光」を注文。皐月にあるまじき夏日の晴天で、まだ明るい時間帯だったので、京都を囲む三方の山並みがよく見えて、改めて盆地だなと実感しつつ、眺めを楽しみながら冷酒を味わいました。
 
 ちびちび飲みながらのんびり食べましたが、それでも1時間ほどだったので、6時過ぎにはホテルに帰着。これにて日程終了です。