2年ぶりにギリシャに行ってきました。今回の目的地はサモス島。ギリシャの東端、ロードス島の北にあるエーゲ海の島です。
エーゲ海には数多くの島があり、その一つ一つが奥深く、かつギリシャ神話スキーには数時間立ち寄るぐらいでは到底満足できないほど魅力的なので、一週間の旅なら1~2島に滞在することにしています。ということで、2年前にはロードス島、コス島、パトモス島を巡り、その何年か前には(思い出せず)コルフ島を訪れました。場所が違うとはいえ、1年に1~2回しか行かない海外旅行で2年続けて同じ国に行くのは面白味に欠けるので、ギリシャに行った次の年は別の国――と決めています。
サモス島までの所要時間は、ウィーン&アテネを経由して約22時間で、ほぼ丸一日かかりました。まずは17日深夜1時20分発の全日空便でウィーンへ。テイクオフ直後から「名探偵コナン 紺青の拳(フィスト)」を見て、ミールサービス後にちょうど見終わったので寝ることにし、起きたら例によって寝直すような時間ではなかったので、「ボヘミアン・ラプソディー」を見はじめたら程なくミールサービスとなり、映画が終わる前にランディング。早朝6時過ぎにウィーン・シュヴェヒャート空港に着いて、4時間半のトランジット後、10時45分発のエーゲ航空便でアテネへ。アテネ・エレフテリオス・ヴェニゼロス空港では2時間20分ほどのトランジットで、サモス島行きのオリンピック航空便は16時15分発の予定でしたが、40分遅れで出発。サモス空港に18時前に到着し、ミコノス島、デロス島を巡って前日から島に入っていた友人のI氏と合流しました。
その後、予約しているホテルへと向かうため、空港発18時20分のバスを停留所近くにあるベンチ付近で待っていましたが、来たバスは乗客を降ろすとすぐに出発してしまったため、先にチェックインしてホテルからバスで来たというI氏に、今のバスではなかったのかと訊くと、「うわぁ、やられた。シグナルを出さなきゃダメだったんだ~」と叫んでいました。ギリシャでは、バス停にいてもバスを停めるためにはバスに乗るという意思表示をしなければならないそうで、手の甲を見せて右手を横に出さないと停まってくれないと、ホテルのレセプションのおにーサンに教えられたとのこと。I氏は先年ロードス島のカミロス遺跡に行ったときもバス停でバス待ちをしていたのにバスに行かれた経験があったので、「それでか」と合点がいったとのことでしたが、すっかり忘れていたそうで……わかっていたのに同じ轍を踏み悔しがっていましたが、行ってしまったバスがその日の最終便だったので、学習代ということで納得し合い、タクシーを使うことにしました。18€ぐらいだったと思います。バスだと一人1.7€ぐらいでしたが。
ピタゴリオの町を通り過ぎ、バス通り沿いで、マリーナの高台にあるナフティロスホテルに到着後、部屋に落ち着くとすでに7時を回っていたので、その日の夕食はホテルのレストランで済ませることにしました。今日の魚料理と白ワインを頼んで、9時過ぎに夕食を終えたら、もうヘトヘトだったので、その日は終了です。
本日の魚料理
夕方、ホテルの部屋から
早朝、ホテルの部屋から
明けて翌日、7時半からの朝食を済ませると、9時前にチェックアウトをし、荷物を預かってもらって、パナイア・スピリアス修道院へ。バスルートから外れている上に、歩いていける距離でもなかったので、タクシーを呼んでもらいました。
修道院には痩せた猫がいるぐらいで、散歩に来ている人以外の気配がなく建物内には入れませんでしたが、建物が造られる以前の祈りの場と思われるケーブがあり、その中には入れたので見学。洞窟内は涼しくて、吐く息が白いほどでした。また、この修道院はピタゴリオの町の至る所から見える丘の上にあるので、建物の裏手から町や海を見下ろす眺望が最高でした。
パナイア・スピリアス修道院の鐘
修道院のケーブ
ケーブの奥にある祭壇
建物の裏手から眺めるピタゴリオの町とエーゲ海
修道院を後にすると、この日の最大の目的である世界遺産――エフパリノスのトンネルへと向かいました。ここもバスルートから外れていて行くのが困難な場所でしたが、I氏が前日現地購入した地図によれば、距離にして1.2㎞ほど。修道院からは下り坂なので、20分も歩けば着くのでは――ということで徒歩で行くことにし、途中に古代劇場があったので立ち寄り、10時過ぎに到着しました。
I氏が購入したピタゴリオ周辺地図(部分)
坂道から見下ろす古代アゴラの遺跡
坂道から見下ろすサモス空港の滑走路
古代劇場のステージ裏にある出演者控室らしきものの跡
チケット売り場でチケットを買うと、どのコースのガイドツアーに参加するのか訊かれたので、一番長い1時間コースを選択。10:20とチケットに書き込まれました。私が持参していた2014~15の『地球の歩き方』には書いていなかったので行くまで知らなかったのですが、トンネルの見学はガイドツアーのみで、20分、40分、1時間のコースがあり、それぞれ20人、15人、10人という人数制限があります。その他、14歳未満は入れないとか、パニック障害はダメだとか、説明書きには禁止事項がいろいろと書かれていました。
説明書き
トンネル地図
説明書きを読んだあと、集合場所であるトンネル入口に5分前に行くと、各自にヘルメットとヘルメットの下にかぶる使い捨ての不織布ヘアネットが渡されました。ヘルメットは着用が必須で、実際にトンネルの中では何度か頭をぶつける羽目になったので、大いに助かりました。ツアー参加者の中にはビーサンというツワモノもかなりいましたが、足元は滑りやすく、滑って尻もちをついている人もいたので、それなりの格好が必要だとも思いました。トンネル内は涼しいので、ビーチ仕様の袖なし短パンだと少々つらいと思います。短いコースなら気にならないかもしれませんが。
トンネル内と付添人。一番前にガイドがいる他、一番後ろにも付き添いがいます。
足元の鉄柵の下に見える水の通り道。パニック障害も高所恐怖症、暗所恐怖症もアウトだと思います。
このトンネルは、紀元前6世紀、サモスの僭主ポリュクラトスが、山を隔てたミティリニ村の泉から首都ピタゴリオの町に水を供給するため、メガラの建築家であるエフパリノスに造らせた、幅1.8メートル、高さ1.8メートル、全長1350メートルに及ぶ水道トンネル。山の両側から掘り進んで、約15年かかって繋がったときには誤差がわずか数十センチだったとのことで、その技術力は今でも謎であり、古代8不思議の一つともいわれているそうです。1時間コースは1036メートルを歩くのでこの段差も見られるのですが、2500年前にできたものだと考えると、とんでもなくエラいことです。大きさもさることながら、長い年月を経ても風化せず、人が問題なく通れるほどに残っているトンネルの強度に驚きでした。工具はあっても基本手動――すなわち、ここで目にしている物すべてが人力で造られたものですから……本当に大したものです。地上の巨大遺跡はいくつか見ていますが、地下における巨大遺跡に触れて、いっそうギリシャ文明――古代ギリシャ人の凄さを痛感しました。ローマ人もそうですが、彼ら古代人と我々現代人のあいだに頭脳の差――人間としての能力差はなく、むしろ進んだ文明の上に胡坐をかいて人間として退化しているのは我々のほうではないかと、改めて思いました。
入ったのは南口でしたが、北口に出ると、ガイドが一服をする小休憩があり、彼女がタバコを吸い終わると、同じルートを引き返し、南口に戻ってきてガイドツアーは終了。周囲には他に何もないので、徒歩でピタゴリオの町に出ることにしました。
トンネル南口
トンネル北口
地図によれば、古代劇場近くの分岐点から車道を逸れて、車が通れない細道を通っていけば、町まで1.5キロほど。途中ローマ人の家など廃墟と化した遺跡を見ながら未舗装の砂利道を町に向かって下っていると、観光客が通るような道ではなかったのですが、何組かとすれちがいました。トンネルに行くようでしたが、我々は修道院からずっと下りだったので、歩きといえどもそんなに苦ではなかったのですが、灼けつく陽射しの中、登りはさぞかし大変だと思います。海辺の町からですから。
ローマ人の家。廃墟です。
砂利道が終わり、住宅地を通って車道に突き当たると、ピタゴリオの公共駐車場のそばで、駐車場の隣にはリュクルゴス・ロゴテティスの要塞に至る道があったので、そちらを経由してから街のメイン通りに出ました。ここまで歩いてくると、さすがに足の疲れもハンパなく、午後になり暑さもピークに近づいてきたので、とりあえず休むことに。海沿いにたくさんレストランやカフェがあるので、そこまで行こうと海に向かって歩いていましたが、途中でピスタチオがあるジェラート屋を見つけたので、ジェラートを食べることにしました。店内の席が空いていたので、座ってひと息入れることにし、レジ脇にフリーWi-Fiのパスワードがあったので、繋いでメールを受信。メルマガなどが大量に来ていましたが、返信が必要なものはなかったので、一読し削除して終了。
リュクルゴス・ロゴテティスの要塞
要塞の隣にあるビザンティン教会横の遺跡。こんなのがピタゴリオの町中にはゴロゴロあります。
ピタゴラスといえば、なんといっても三平方の定理。直角三角形の斜辺の二乗はその他二辺の二乗同士を足したものであるという、数学を学べば誰もが習う等式の発見者です。実のところは、ピタゴラス個人ではなく、彼が創始したピタゴラス教団による研究の成果のようですが……。三角形の内角の和は180度というのもピタゴラスが最初に証明したといわれています。
このピタゴラスの出生地がサモス島で、ゆえに彼は「サモスの賢人」と呼ばれていました。「ピタゴリオ」という町の名は、彼にちなんで1955年に改称されたもので、それまでこの町は「ティガニ」と呼ばれていたそうです。島民にとって、ピタゴリオの出身地であるということがどれだけ誇りであるかが知れます。
1時を過ぎると、日中でもいよいよ一番暑い時間帯となったので、レストランに入って昼食を摂ることにしました。前日夕食を食べたホテルのレストランにはカラマリがなかったので、カラマリが食べられるところがいいということで物色したのですが、料理の写真が載った看板を見るとどこも同じような感じだったので、1969年創業というところに惹かれ、その名も「ピタゴリオ」という店を選択。老舗でなければ付けられない店名であり、老舗ということは激しい競争の中で生き残ってきたということなので、大きく外すことはないだろうと思ったので。
クルーザーが乗りつける場所にレストランをはじめ飲食店が数多く並んでいます。
レストラン「ピタゴリオ」のテーブルに敷いてあったサモス島の地図入りペーパークロス
この旅初のカラマリ。なんの特徴もなく、メチャクチャ家庭料理風でした。
食事後、その日は18時発のフェリーでトルコのクシャダスに渡ることになっていたので、店の人にフェリーポートの場所を訊き、確認のため近くまで行くと、チケットボックスを発見。ネットで予約したときに出航40分前までに予約確認書とチケットを引き換えろということだったので、ホームプリントしてきた確認書を見せたら、1時間前から隣の建物で――とのこと。
なので、1時間前にまた来ることにし、ホテルで預かってもらっている荷物を引き取るため、ピタゴリオ発16時25分のバスに乗車。1.6€でホテル前のバス停まで行けます。ピタゴリオのバス停は発着点で、どのバスも必ず停まるので乗りそびれることはまずありませんが、途中で降りる場合は、停車ボタンなどはないので、意思表示がないと停まってもらえず、降りそびれることはままあります。よって乗るときに、降りる停留所に着いたら教えてもらいたいと運転手に言っておきます。切符は運転手から買うのではなく、料金回収の人が別にいて出発すると乗客一人一人のところに来るので、行き先を告げて支払います。回収人は前から順に回るので、我々のように終点まで行かずに降りる場合は、前のほうに座っていないと払いそびれることもあると思います。
ホテルに戻ると、二日後にはサモス島に戻ってきて、また同じホテルに泊まるので、スーツケースは引き続き置かせてもらい、二泊三日分の荷物を用意したエキスパンド機能付きの3ウェイバッグだけを引き取り、タクシーを呼んでもらって再びピタゴリオの町へ。
5時前に港に着くと、チケットの交換場所だと言われた建物の前にすでに行列ができていたので並ぶことにし、行列が倍ぐらいの長さになったところで建物がオープン。入口に立っていたおじサンがチケットを持っていて、手にしている乗客リストとパスポートを照合するのですが、AFerryという日本語表記のある海外の予約サイトで申し込んだ私は、購入手続きで特に要求もされなかったので、名前以外の登録をせず、生年月日はデタラメ、国籍もドイツ人になっていたので、こっぴどく怒られてしまいました。列の後ろに並び直せというようなことを言われましたが、ビクビクしながらも言葉がわからないふりをして無視し、パスポートコントロールを通って乗船。所要わずか1時間半という距離で、ロードス島~コス島より近いので失念しがちですが、ピタゴリオとクシャダスはあくまでも別の国であり、しかもクシャダスはトルコなのでEU圏でもなくヨーロッパですらありません。まあ、日本から韓国や台湾に行くようなものですから、国外に出るという意識が低すぎたと反省しました。
船は18時発の予定でしたが、15分ほど遅れて出航。波が荒く、遅れているからなのかスピードもかなり出ていたので、揺れもひどく、デッキは途中から水浸しに。デッキにいられないので外にいた人が船内に入ってきましたが、席が空いていなくて立っていました。ドデカニソス・エクスプレスの経験から混んでいるだろうとは思っていましたが、今回も満席のようでした。そんな気がしたので、現地購入は避けて、事前にネットで購入したのですが……。ということで、おじサンには怒られてしまいましたが、チケットは買っておいて正解でした。
ギリシャのサモス島とトルコのクシャダスを結ぶクシャダス・エクスプレス。トルコ船籍です。
クシャダスには予定どおり1時間半で着きましたが、下船も入国審査も思った以上に時間がかかり、そのあいだに陽も落ちて、終わったときには8時半でした。
クシャダスは世界遺産エフェソス遺跡の玄関口。もちろん我々の目的もコレです。
ギュウェルジン島と夕陽
入国審査の列に並んで待っているあいだに陽が落ちました。
豪華客船も入港してきました。