――といったのは中原中也ですが、彼の詩について記事を書く日がこんなに早くくるとは思いもしませんでした。初雪、早すぎです。
記事のタイトルは中也の「雪の賦」という詩の冒頭で、正確には「雪が降るとこの私には、人生が哀しくも美しいものに、憂愁に満ちたものに思へるのであった。」です。学生時代から中也が亡くなった年齢ぐらいまで、雪が降ると必ずこの詩を暗唱していました。年とともに全体がうろ覚えになって、今ではこの最初の一文を口にするだけですが。
この詩とは中学生の時に出合ったのですが、今でもこれだけは忘れていない冒頭の一文にショックを受けて、以来学校や仕事場のデスクの引出しに彼の詩集を置いていました。いわゆる座右の書というやつです。
小学生のころから文章を書くのが好きで、下手の横好きで詩なども作っていましたが、中也がいるから自分は詩人にはなれない、自分が衝撃を受けた彼の詩を超えるものは自分には作れないと本気で思っていましたし。(若いって怖ろしい)
だから、私が一番好きな赤穂浪士は大高源吾です。詩を読んだときには、正直知らない人物だったので、「大高源吾の頃」がいつなのかわかりませんでしたが。中也の詩で大高源吾を知り、赤穂浪士に興味を持ち、井沢元彦氏の「忠臣蔵――元禄十五年の反逆」などに刺激を受けて、いろいろ調べて考察したりもしました。誰が吉良悪人説を必要としたのか等々――彼は地元では良君なんですよね。
中也の「雪の賦」は、改めて岩波文庫で確認したら、冒頭は下記のようになっていました。翻訳ではないので、漢字や平仮名の使い方、行替えにも作者が込めた意味があると思うので、載せるなら正しい文章であるべしということで、転用して掲載しておきます。
雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに――、
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。
その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾の頃にも降つた……
数多々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。
ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方に見る雪は、
うんざりする程永遠で、
雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……
ついでに内蔵助の辞世の歌も載せておきます。字面だけ美しい内匠頭の「風さそう~」の歌より実に痛快な小気味よい歌を残しています。