羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

京都寺院遠征~清水寺、高台寺、圓徳院、醍醐寺

 昨日に続き、本日も36度超えでした。熱中症から身を守るためにはマスクを着けなくてもいい冷房の効いた部屋にいるしかないので、明智研究にハマって途中で放り出していた遠征記を仕上げることにしました――今から3か月以上前のことですが。

 

 1月から始まった首都圏のまん延防止等重点措置は3月21日にようやく解除されましたが、当初は6日には解除される予定だったので、第7波が到来して動けなくなる前に――と思い、3月中に仕事で京都と出雲と金沢に行ってきました。

 

 で、仕事で3週連続遠征という無理をするからには仕事以外で自分が何か得るものがなければストレスになるので、京都と島根ではついでに寺社巡りをしてきました。金沢は日帰りだったので、仕事だけして帰ってきましたが。京都はちょうど東山花灯路の期間で、今回で最後の開催とのことだったので、東山に行ってきました。11日金曜5時過ぎに仕事を終えるとタクシーを拾い、まずはイベントに合わせてライトアップと夜間特別拝観をしている清水寺へ。烏丸二条付近にいたので、バスで行っても電車で行っても乗り換えが必要な上に、どちらで行っても清水道バス停か清水五条駅からは歩かなければならないので、清水坂の合流地点まで五条坂を登ってもらいました。

11日の朝、仕事先に向かう途中で寄った京都御苑の黒木の梅。まだ咲き初めでした。

 

 渋滞もなかったので6時前に到着すると、何故か仁王門前の人だかりは門ではなく清水坂の参道のほうを向いて写真を撮っているので、何かと思って振り向いて見ると、ちょうど陽が沈むところでした。

仁王門前から見る日没

仁王門の隣にいたこけし清水寺で開催されていたアートフェアの展示物。

夜になるとこんな感じ

西門と三重塔

清水の舞台からの夕焼け

音羽の滝に向かう途中から見える本堂、経堂、三重塔

下から見るライトアップされた清水の舞台

下から見るライトアップされた本堂と奥の院

下から見るライトアップされた三重塔

 

 清水寺を後にすると、産寧坂を下り、八坂の塔の前を通って、同じく夜間拝観を行っている高台寺に向かいました。

産寧坂から見る八坂の塔

正面から見るライトアップされた八坂の塔

 

 高台寺の境内に到着すると、時刻は6時45分過ぎで、拝観後だと店が混むと思ったので、先に境内にあるカフェ「茶筅」に寄り、スパークリングワインと、よもぎ生麩と生湯葉の京味噌風味という謎の味のピッツァを注文。7時半前に食事を終えると拝観受付に行き、夜間限定の御朱印を購入し、入山。

夜間特別拝観限定の「光る御朱印」。御朱印もここまで進化したかと驚きました。

「光る御朱印」の名のとおり、暗いところで見ると蓄光インクで印刷されたねね様のイラストと豊臣家の家紋の菊桐紋、高台寺の寺号が浮かび上がります。

高山寺の方丈から見る勅使門のプロジェクションマッピングその1

高山寺の方丈から見る勅使門のプロジェクションマッピングその2

高山寺の方丈から見る勅使門のプロジェクションマッピングその3

臥龍池の水鏡

臥龍池に映る臥龍廊と開山堂

臥龍池と霊屋

 

 高台寺を出ると、続いて塔頭の圓徳院へ。高台院ねねが夫秀吉の死後に移り住んだ屋敷の跡で、彼女はここで生涯を終えています。ねねの死後、彼女の甥である木下利房によって寺とされ、ねねの実家である木下家の菩提寺となりました。私は秀吉があまり好きではないため、今まで訪れたことがなかったのですが、こちらも夜間拝観をやっていて、まだ入れたので、寄ってきました。

受付でいただいた「疫病退散」の御朱印と三面大黒天像

ライトアップされた南庭

南庭から北庭へ行く途中にいる宗旦狐。千利休の孫、宗旦に化けてしばしば茶席に現れたという化け狐で、幕末には相国寺の雲水に化けていたとのこと。死後相国寺に祠が建てられ、宗旦稲荷として祀られています。

 

 圓徳院では秀吉の守り本尊といわれる三面大黒天も祀っているのですが、会わなかったなと思って建物を出たら、出たところに単独の立派なお堂があったので、参拝。その後、時間があれば円山公園まで足を伸ばそうと思っていたのですが、この時点で8時半になろうかという時刻だったので、帰り客で道や交通機関が混む前に切り上げることにし、東山安井バス停からバスで京都駅まで行き、駅構内のホテルに戻り、この日は終了です。

 

 翌日は、「京の冬の旅」の企画で「僧侶が案内する特別拝観 醍醐寺五重塔」の11時の回に申し込んでいたので、8時半過ぎにホテルをチェックアウトしてロッカーに荷物を預けると、京都駅八条口バス停を8時53分に出発するバスに乗り、醍醐寺へと向かいました。

 

 当初、五重塔の特別拝観は2月の最終週に予定していたのですが、仕事で3月第二週に京都に行かなければならなくなったので、遠征を1回にまとめることにしました。そのあと出雲や金沢に行く予定もありましたし。……なのですが、元々は関東にいるはずの週だったので、12日土曜は3時半から日比谷で友人と宝塚を観ることにしていました。その公演に遅刻しないためには3時には品川駅に着いていなければならず、五重塔の拝観が10~15時だったので、朝イチで行くつもりでいたのですが、数日前に「京の冬の旅」のホームページで拝観について確認すると、なんと30分おきに人数を決めての案内で、しかも事前予約制。慌てて申込みフォームのページを開きましたが、時すでに遅し。10時と10時半の回は満員でした。

 

 しかし、以前にも書きましたが、醍醐寺五重塔は私にとって特別な建造物で、この貴重な機会を逃すことはとてもできなかったので、まだ定員に空きがある回で1番早い11時の回に申し込み、宝塚は開演に間に合わなかったら後半のショーから観ることにしました。雪組時代から注目してきたレイコ(月城かなとさん)が月組のトップスターに就任したお披露目公演だったので、初めからちゃんと観たかったのですが。

 

 ということで、五重塔の拝観が終わったらすぐに引き上げて東京に帰れるよう早めに醍醐寺に向かい、9時半には到着すると、まずは同じ「京の冬の旅」の企画で特別公開中の三宝院へ。2年前の特別拝観の時にも訪れましたが、三宝院の御本尊である快慶作の弥勒菩薩像が祀られている本堂は通常非公開エリアで、特別拝観の時にしか入れないので、拝めるときは拝むようにしています。続いて10時に開館する霊宝館の仏像棟へ行き、一番好きな不動明王像である、同じく快慶作の不動明王坐像と対面。

醍醐寺特別公開の看板

醍醐寺三宝院の表書院(国宝)から見る庭園。国の特別名勝特別史跡でもあります。

醍醐寺三宝院の本堂。重要文化財です。ここに快慶作の弥勒菩薩像が安置されています。

 

 霊宝館を後にすると、観音堂と金堂にお参りし、見るべきものは見たので、15分ほど早かったのですが、五重塔の特別拝観の受付に行ってみました。すると、コロナ感染対策でなるべく人が密集しないように主催者から指導されているらしく、僧侶によるガイドも30分に1回ではなく、10人ぐらい集まると順次行われていたので、予定より早く拝観することができました。

醍醐寺五重塔

 

 醍醐寺五重塔京都府下最古の木造建築物で、60代醍醐天皇の冥福を祈るために息子の61代朱雀天皇の時代に建築が始まり、朱雀天皇の弟である62代村上天皇の時代――天暦5年(951)に完成しました。建物と内部の初層壁画が別々に国宝に指定されていて、初層壁画には両界曼荼羅真言八祖像が描かれています。その八祖像の中に空海の肖像もあり、現存する空海の画像としては日本最古といわれているのですが、五重塔は非公開のため、一般人がこの貴重な壁画を見る機会はありませんでした。……なのですが、昨年は弘法大師号下賜1100年という空海のアニバーサリーイヤーだったので、初めて塔の内部が単に開扉という形ではなく中に入れる形で公開されました。けれども、11月27~29日のたった三日間だけだったので、この公開は気づいたときには終わっていました。この事実を知った私がひどく落胆したのは言うまでもありません。なので、今回は1月29日から3月13日の土日のうち6日間が公開日だったのですが、まん延防止等重点措置だろうが何だろうが、公開が中止にならないかぎり絶対に行こうと決めていました。

 

 ガイド役の僧侶の説明を聞きつつ、塔内に設けられた見学スペースで向かって右側にある空海の肖像を見てから塔の周囲をぐるりと回ると、四方に向けて醍醐天皇朱雀天皇村上天皇、そして朱雀・村上両天皇の生母である藤原穏子の位牌が祀られていました。それを見たとたん、目元が熱くなって涙があふれそうになりました。文字の上でだけ知っていた架空の人間に等しき歴史人物が、実在の人物になった瞬間です。

 

 私の好きな藤原時平の妹で、父基経亡き後、基経の跡継ぎである長兄の時平が親代わりとなって醍醐天皇に入内し、皇后となり、女人の栄華を極めた穏子。時平が39歳の若さで亡くなると、今度は自分が早世した兄の子供たちの庇護者となり、その血筋を藤原北家嫡流として守ろうと懸命に努めました。また、醍醐寺五重塔の発願者で、やはり34歳の若さで亡くなった朱雀・村上の異母兄である代明親王の子供たちも庇護しました。五重塔の完成が朱雀天皇の代では叶わず次代まで持ち越し醍醐天皇崩御から20年後となったのは、発願者である代明親王が亡くなったために工事が停滞したからだともいわれています。穏子が何故藤原北家の縁者ではない代明親王の子女たちを庇護したのか、卒論のテーマに選んだほど疑問で解き明かしたい謎でしたが、代明親王が彼女の夫である醍醐天皇冥福のための五重塔創建に力を尽くしたことが無関係ではないと思っています。穏子の実子である朱雀天皇に工事を推進する意志と力があればその在位中に完成したはずなので、できなかったということは、若くして帝位につき病弱だった朱雀天皇にはその器量がなく、亡き親王の遺志を継いで五重塔を完成させたのは穏子だったということでしょう。それゆえ彼女の位牌が三天皇の位牌とともに祀られているのだと思います――千年の長きにわたって。

醍醐寺五重塔その1。塔の内部は撮影禁止でしたが、建物は許可してくれました。

醍醐寺五重塔その2

醍醐寺五重塔その3

三宝院と五重塔の限定御朱印弘法大師諡号下賜1100年慶讃法要の印が押されています。

 

 村上天皇の位牌の前に置かれていた受け皿に一字一願写経を奉納し、一週目は僧侶の説明に従って、二週目は自分のペースで塔の周囲を2度巡り、五重塔を後にしました。そして醍醐寺前バス停に行ったのですが、時刻表を見ると京都駅行きのバスはしばらく来なかったので、歩いて12,3分のところにある醍醐駅に向かい、地下鉄で京都駅へ。東西線から烏丸線への乗り換えの接続もよく、予定より1本早い12時半過ぎの新幹線に乗れたので、3時前には有楽町駅に到着し、開演10分前には劇場に着けました。これにて遠征終了です。

井上芳雄、明日海りお、浦井健治、望海風斗の豪華すぎる競演~帝国劇場「ガイズ&ドールズ」感想

 暑いです・・・6月で36度とは。いやはや、今からこれでは夏本番が思いやられます。

 

 さて、二週連続で帝国劇場で上演中の「ガイズ&ドールズ」を観てきました。この作品は、みりおこと前宝塚花組トップスター明日海りおさんと、だいもんこと前雪組トップスター望海風斗さんが共演する二人の帝劇デビュー公演で、主演はミュージカル界のプリンス、井上芳雄クン。しかも、芳雄クンがもう一人のプリンス、浦井健治クンと「ニ都物語」以来9年ぶりにミュージカルで共演するという見逃しがたい公演でもあります。行かないという選択肢はなく、これは絶対に見そびれるわけにはいかないと思い、ぴあとイープラスでチケットを申し込んだら、どちらも当たったので2回行くことに。今後いつ実現するかわからない豪華キャストだったので、観ておこうと思いました。

 

 2回とも平日のソワレだったのですが、1回目は東急プラザでシャンパーニュを飲みつつ腹ごしらえをして行ったら2分ほど開演に遅れて、席に案内してもらえるまでモニターの前で待機、2回目は腹ごしらえをしていたら間に合わないので幕間に何か食べるつもりでいたら、売店は水分補給のためのペットボトルしか売っていなくて、仕方がないので劇場2階にあるカフェインペリアルへ行き、軽食を摂ることにしました。ところが、こちらも現在はメニューがチョコスコーン&ドリンクセットのみ。菓子みたいなものはあまり食べたくなかったのですが、空腹よりはマシと思い、案内待ちの列に並ぶと、運悪く私の前でちょうど満席となり、席が空くまで10分ほど待たされることに。コーヒーはなんとか飲み終わりましたが、スコーンは全部食べ切れず、コーヒースプーンとともに持ち帰りました。

「帝国劇場」の文字入りスプーン。コーヒーや紅茶などのホットドリンクを選ぶと付いてきて、持って帰ることができます。昔トロイで買ってきたスプーンが最近折れて使えなくなったので、代わりにちょうどよいと思いました。写真でスプーンの上に写っているのが、その残骸なのですが、見たくて見たくてトルコまで見に行ったトロイの木馬なので、捨てるに捨てられないでいます(笑)

 

 演目の「ガイズ&ドールズ」は1950年初演のブロードウェイミュージカルで、宝塚でも何度か上演されていますが、映像でしか観たことがなく、生で舞台を見るのは今回が初めて。で、1回目を観たときは、ストーリーがあまりにお粗末なので、「こんな内容だったっけ? 出演者の質は高いけど、作品としてはつまらん。みりおとだいもんの無駄遣い」と思いました。宝塚バージョンに対してはそれほど悪い印象がなかったので、何故なのか考えたら、宝塚はギャンブラーたちが総じてカッコよかったからだという結論に至りました。スーツ姿の男役のビジュアルが目で楽しめたので、作品の印象も悪くなかったのだろうと……。そう思い至ると、同時に、物語が薄っぺらい話だからこそ、余計に演者の高いパフォーマンスが必要で、それがないと成り立たない、役者の技量が求められる難しい作品だとも思いました。

 

 ということで、ストーリーがくだらない上にビジュアルが宝塚より劣ることを念頭に置いて観劇した2回目は、演技と歌、演出に集中できたので、それなりに楽しめました。内容がないストーリーではありますが、それゆえ単純でわかりやすくテンポよく進んでいくので、改めて誰もが小難しいことを考えず気楽に楽しめる作品だとわかりました。以前芳雄クンと浦井クンが共演したディケンズ原作の「二都物語」を私も観たのですが、あれはヒロインがすみれさんだったこともあり、ミュージカルとしての出来は正直微妙でした。それに比べれば、間違いなく「ガイズ&ドールズ」のほうが広く一般受けする完成度の高いミュージカル作品だと思いました。見せる側にとっては難しく、見る側は気楽に見られる、そんなある意味奥が深い作品だからこそ70年も残ってきたのでしょう。

 

 スカイ・マスタースン役の芳雄クンとネイサン・デトロイド役の浦井クンはさすがで、安定のパフォーマンスでした。芳雄クンを生で観るのは「エリザベート」のトート役以来、浦井クンを生で観るのは「王家の紋章」のメンフィス役以来です。今回の浦井クンは歌だけでなく芝居もよかったです。婚約者のアデレイドやギャンブラー仲間を口先で言いくるめる役なので、かなり早口でセリフ量も断トツに多いのですが、滑舌の良さが絶品でした。芝居がかった口ぶりの「アーデレイド!」の呼びかけは、そのひと言に家庭に縛られたくない身軽でいたいチャラ男でありながらも彼なりに真剣に婚約者を愛しているネイサンという人物のキャラクターがとてもよく現れていました。しかし、なんといっても一番の見所は、主役の芳雄スカイが「幸運の女神よ」を歌う場面。抑揚のつけ方なんか鳥肌が立ちましたね。歌の強弱で場の緊張感を高めることができるなんて、井上芳雄ならではだと思います。芳雄クンと浦井クンは元男役トップスターのみりおやだいもんよりも背が高いので、それもよかったと思います。

 

 他には、ナイスリー・ナイスリー・ジョンソン役の田代万里生さんが出色でした。他のギャンブラー役は役名はあってもモブ感が大きいのですが、彼だけはどの場面でも輝いていて目を引き、歌と振付のノリというか、聴かせるところ見せるところのバランスがよくて、一番ブロードウェイミュージカルスターに近い雰囲気を漂わせていました。この人も浦井クンと同じく「エリザベート」のルドルフ役で初めて観て、その時から注目してきましたが、いいミュージカル俳優になりました。芳雄クンと同じ芸大出身の万里生クン。最初の頃はオペラ歌手がミュージカルに客演という感じでしたが。

 

 浦井ネイサンの婚約者であるアデレイド役のだいもんについては、宝塚の「ファントム」や「fff」で聴かせてくれた私の好きなだいもんの歌は聴けませんでしたが、男役の時には想像もしなかった新しい歌い方や芝居を見せてくれて、本当に芸達者だなと思いました。ショービジネス界で活躍するスター性のあるアクの強い女であり、それゆえいかにも学のなさそうな、親に見栄を張って現実とはかけ離れたウソの手紙を書いてしまう考えなしで憎めないコケティッシュな可愛い女であり、長い婚約期間にストレスをためる疲れ切った年増女でもあるアデレイド。アデレイドが持つこれらの一面をだいもんはきっちりと表現してくれました。上手すぎて、これが帝劇デビュー作品なのに、もはや常連出演者みたいで、新鮮味はないなと思うぐらいに……。もともと宝塚時代から芝居には定評があった人です。女優としてもいろいろな役への可能性が感じられ、これからもっともっと引出しを開けて見せてほしいと思いました。

 

 芳雄スカイの相手役で本作のヒロインにあたるサラ・ブラウン役のみりおは高音が苦しくて、井上、浦井、望海の歌のレベルが高いだけに、歌の弱さが目立ち、気になりました。特に、芳雄クンとのデュエットが苦しかったですね。だいもんとのデュエットはまだよかったので、苦手な高音を無理に出そうとしているのがよくないような気がしました。男性と女性の声は違うので、女性同士が歌う宝塚の男役と娘役のデュエットは明らかにキーの高さを変えなければきれいにハモれませんが、異性のデュエットではその必要はなく、みりおもアルトの声のままでいいのではないかと思いました。

 

 ただ、みりおの凄さは、やはり際立って華があることです。だいもん演じるアデレイドはショーガールなので、衣装をとっかえひっかえする上に、どれもこれもがキラキラコテコテの衣装ですが、みりおが演じるサラはシスターなので、芳雄スカイにハバナに連れていかれるとき以外は伝道師の制服。それでも、派手なだいもんの存在感に負けないところが、みりおの凄さだと思いました。舞台において華やかな存在感と清らかさを共存させる器量は、花ちゃん(花總まりさん)に通じるような気がします。宝塚のトップスターだった女優のすべてが持っているものでも、持てるものでもありません。それゆえいまだに花總まりは重宝されているのでしょう。

 

 歌の技量も、輝かしい実績から生まれる自信とその自信に支えられた舞台上の存在感も群を抜いている芳雄スカイと、ミュージカル界の第一人者である井上芳雄に近しい実力と実績を誇る浦井ネイサン、そして、宝塚トップスター時代は5組の中でも随一の存在でトップ・オブ・トップといって差し支えなかった望海アデレイドと向こうを張ることのできる、彼らに交ざって舞台で埋もれない、かつ魅力的だと思えるサラ・ブラウンを演じられるのはみりおか、ちゃぴ(愛希れいかさん)ぐらいではないでしょうか。力量的にはちゃぴがサラ役でも全然問題はないと思いますが、彼女は芳雄クンと「エリザベート」で組んでいるので、ちゃぴ&芳雄の主演コンビで他の作品を演じられたら混乱するとか、受け入れられないという人もいるかもしれません。なので、歌に多少難はありましたが、サラ役はみりおで正解だったと思います。

 

 今回は演出も変わっているらしく、全体を通して盆の使い方が巧みで、ハバナで乗った飛行機のタラップが、盆が回って一周すると、帰ってきたニューヨークの地下鉄の階段に変わっていたりするなど、場所だけでなく時間の経過を見せるのも上手いなと思いました。場面転換が流れるようでした。

 

 この公演は出演者にコロナ陽性者が出て、21日と22日の3公演が中止となりました。幸い私は該当しませんでしたが、私のヅカ友はちょうど当たってしまい、観られませんでした。本公演のチケットの売れ行きはチェックしていないので詳しくは知りませんが、公演期間が1か月と短く、私が観た日は見える範囲に空席はなく、補助席まで売り出されていたので、改めてチケットを取り直すのは難しいと思います。そんな人気作品を2回観られてラッキーでしたが、これで運を使い果たしたのか、花組月組の東京公演のチケットが取れず……観たい公演が1回ずつ観られるといいのですが、うまくいかないものです。

 

※6月28日追記

 「ガイズ&ドールズ」の帝劇公演は、再び関係者にコロナウィルス陽性反応者が確認され、21、22日に続いて、26日から6日までの休演も決まりました。公演は7月9日までなので、2回観られたのはかなりラッキーだったと思います。それと同時に、今の時期につつがなく公演を行うことは本当に難しいのだと思いました。

参戦! 30thラニバ~ラルク・アン・シエル30周年記念ライブ in東京ドーム

 本日のBGMはラルク・アン・シエルのアルバム――「KISS」です。このアルバムで一番好きな「SEVENTH HEAVEN」をライブで聴いたので、久しぶりに聴きたくなりました。他には「砂時計」「ALONE EN LA VIDA」「海辺」などは好きなのですが、あとはすっ飛ばすという、好きな曲の比率が低いアルバムなので、めったに聴きません。「REAL」とか「Tierra」とか「HEART」とか「ray」とか、個人的にもっと完成度が高いと思え、聴きたいアルバムはたくさんあるので。

 

 さて、先月30thラニバことL'Arc~en~Ciel 30th L'Anniversary LIVEのフィナーレである東京ドーム公演に行ってきました。ひと月前のことで今さら感はありますが、途中まで書きかけていた記事を長野遠征記のついでにようやく書き終えたので、アップしておきます。備忘録なので。

 

 30thラニバは去年常滑公演と幕張公演に参戦しましたが、ツアーに組み込まれている代々木公演とは別に東京公演をやるからにはセットリストが異なる気がしたので、例によって見そびれるのは嫌だと思い土日の両方を申し込んだら、またまた両日当選。1回観られれば十分だったのですが、電子チケットなので気軽に譲ることもできないし、初日と二日目ではとりあえず何曲かは違う曲を演奏してくれるので、二日連チャンで参戦してきました。次のライブは5年後かもしれませんし。

 

 思ったとおり、近年稀に見る神セトリの素晴らしいライブでした。前回のライブ記事で、

「もう一度「White Feathers」が聴きたい~、「All Dead」「ガラス玉」が聴きたい~。でも無理そうだから、せめて「Lies and Truth」「fate」「いばらの涙」「Pieces」「LOVE FLIES」「叙情詩」「星空」あたり、次は是非是非お願いします!」

 と書いたのですが、なんと「Lies and Truth」「fate」「いばらの涙」「叙情詩」「星空」をやってくれました。泣くまでには至りませんでしたが、さすがに涙ぐみました。「ray」収録のお気に入り曲「Sell my Soul」や、初日参戦だった25thラニバでは聴けなかった「瞳の住人」も今回は聴けました。その他、大好きな「HEART」からの曲が多く、「虹」を筆頭に「Lies and Truth」「fate」「Shout at the Devil」、そして「Singin'in the Rain」まで披露してくれました。初日はhydeの声の調子がイマイチだったのですが、選曲の良さで帳消し。二日目は初日よりも調子がよかったので、二日連続で来た甲斐があったと思いました。

 

 ということで、ライブ自体は常滑や幕張よりも満足度が高かったのですが、このライブは直前に座席変更があり、申し込み時はすべてアリーナだったSS席が1階スタンドまで広がり、アリーナが増えたせいで、当然のことながら1階スタンドだったS席は2階スタンドまで広がり、アリーナだからSS席を申し込んだのに1階スタンド、1階スタンドだからS席を申し込んだのに2階スタンドという観客が発生することになり、ネット上で炎上し、ヤフーニュースにも取り上げられました

 

 私も影響を受けた一人で、両日ともS席を申し込み、初日は1階スタンドの無人の最後列の手前、二日目は2階スタンドの最前列でした。2階の席は最前列かつ、ほぼほぼセンターだったので視界は悪くなく、ステージまでは遠かったのですが、距離的には1階の後列でも変わらないので、予期せず2階にはなりましたが、座ったときには悪くない気がしました。初日に参加し、バックステージに移動しての演奏があることも知っていましたし。ところが、なんと東京ドームの2階スタンドの最前列は立てない席でした。ラルクのライブで立ち上がれないなんて、「SEVENTH HEAVEN」を生で聴きながら踊れないなんて、なんの拷問かと思いました。観客がやるウェーブも座ったまま手を挙げるしかないので、まったく参加した形になっていなかったと思います。コロナ対策でマスク着用、声出しNGなので、約3時間座ったまま無言……感染対策は徹底していましたが、収容人数制限がなくなって左右の席にも人が座っているので体を揺らすこともできず、かろうじて足でリズムを取りながら、ひたすら手拍子と拍手をくり返し……それでも参戦できてよかったです。

 

 ラルクさん、今回も有意義な時間をありがとうございました。座席変更騒動のSNS炎上など、昔だったらありえない、考えられないことが起こる時代ですが、それも世代をまたいで長く第一線で活動をしているからこそ経験できることで、勲章みたいなものです。またライブ開催をお待ちしています。35th前にあるといいのですが。

東京ドーム公演初日の記念チケット画像

東京ドーム公演二日目の記念チケット画像

S席チケットに付いていたメモリアルグッズ。ツアーとは違うもので、また初日と二日目で色を変えているところに、ラルクさんの気遣いを感じました

 

 
2022.5.21 セットリスト
 
1. ミライ/2. READY STEADY GO/3. New World/4. SEVENTH HEAVEN/5. Lieds and Truth/6. 抒情詩/7. X X X/8. fate/9. finale/10.  MY HEART DRAWS A DREAM/11. Driver's High/12. Pretty girl/13. STAY AWAY/14. HONEY/15. いばらの涙/16. Shout at the Devil

アンコール
1. Sell my Soul/2. LOST HEAVEN/3. 星空/4. FOREVER/5.予感/6. Blurry Eyes/7. GOOD LUCK MY WAY/8. 虹
 
2021.10.22 セットリスト
 
1. ミライ/2. READY STEADY GO/3. New World/4. SEVENTH HEAVEN/5. Lieds and Truth/6. 瞳の住人/7. X X X/8. fate/9. finale/10.  MY HEART DRAWS A DREAM/11. Driver's High/12. Pretty girl/13. STAY AWAY/14. HONEY/15. いばらの涙/16. Shout at the Devil

アンコール
1. Singin'in the Rain/2. LOST HEAVEN/3. 星空/4. FOREVER/5.予感/6. Blurry Eyes/7. GOOD LUCK MY WAY/8. 虹


長野寺社遠征~善光寺、健御名方富命彦神別神社、武井神社、湯福神社、妻科神社(付・浅草神社)

 先日仕事で浅草に行く用があったので、帰りに久しぶりに浅草神社にお参りし、授与所を覗いたら、見たことがない御守りがありました。今まで何度も来ているのですが。

浅草神社」の社名が入っている御守りの背中。その正体は……

 

 おみくじ付きの「はにわ御守り」というもので、浅草神社と埴輪の関係はわかりませんでしたが、埴輪スキーなので迷わず買いました。あとで調べたら、浅草神社の祭神である土師真中知命の祖先が、埴輪を考案し皇室の葬喪儀礼時に利用したとされていることから作られたみたいです。

浅草神社のはにわ御守り。だいたい善光寺の幸せ牛守と同じぐらいの背丈です。ちなみに、前回記事のアルクマだるまと一緒に移っている写真では大きさの差があって牛守が小さくてわかりにくかったのですが、耳に五色の紐でくっつけているのは御開帳の時に立てられる回向柱です。実物と違って木ではなく金属製ですが。

はにわ御守りのおみくじは中吉でした。

 

 さて、長野遠征の二日目は、朝9時までに善光寺に行ける時間に起きられたら御朱印をいただきに行こうと思い、起きたら6時半だったので、再び善光寺を訪れました。

 

 8時過ぎにホテルをチェックアウトし、フロントで荷物を預かってもらうと、駅前のバス乗り場へ。善光寺方面行きは駅ビルから一番遠い1番乗り場なのですが、すでにビルの出入り口付近まで列ができていたので、徒歩で行くことにしました。駅から歩いても30分はかからないため、9時前には余裕で着けそうだったので。行きは時間が惜しいので歩いたことはなかったのですが、時間に余裕がある帰りはよく駅まで歩きました。バスの時間が合わないと、所要時間は大して変わらないので。

 

 8時40分過ぎに大門に着きましたが、もうすでに門前からすごい人出で、「いったい何時起きで来ているんだ? みな長野泊なのか?」と不思議に思いました。内陣参拝は翌日でも参拝券が使えると券売所のスタッフに言われたので、まずは本堂に行ってみたのですが105分待ちで、記帳の御朱印授与所も105分待ちでした。当初土曜は武水別神社か上田城にでも行こうと思っていましたが、この日の長野の天気は午後から雨で、所によっては雷という予報だったので、千曲市上田市に行くのはあきらめ、天気が崩れる前に引き上げることに決定。御朱印をいただいたあと、時間が許すかぎり長野市内の神社巡りをすることにして列に並び、3時過ぎの新幹線をスマホで手配したり、善光寺周辺の神社の情報を調べたり、ルートを検討したりしていました。

御朱印待ちの列に並んでいるあいだに撮った本堂。今回地面を入れて撮った善光寺の写真で、唯一人が外せた一枚。

 

 1時間以上の御朱印待ちは醍醐寺観音堂興福寺の南円堂で経験し、待ち時間の過ごし方は心得ていたので、神社巡りの情報収集を終えると、次は前日撮った写真の整理と補正を始め、そんなことをしていたら順番が来たので、感覚的には覚悟していたより早く御朱印をいただくことができました。並ぶのに飽きなかったというだけで、時間は確実に経っていて、10時半を過ぎていましたが。100分以上立ちっぱなしだったことを自覚したとたん、足の疲れを感じたので、神社巡りを始める前にひと休みすることに。このあとは善光寺を後にして、県立美術館の先にある健御名方富命彦神別神社に行くことにしていたので、とりあえず山門を出て左に曲がり東に向かおうとしたところ、門前にある「門前そば ももとせ」が開店していることに気づきました。長野に来たからには蕎麦も食べたかったので、混む前に食べようと思い、立ち寄ると、朝食にも昼食にも中途半端な時間帯でしたが、もうすでに混んでいて、2階の小上がりなら空いているとのこと。小上がりでも座敷でもカウンターでも何でもよかったので案内してもらい、とろろ蕎麦を食べました。

「門前そば ももとせ」のとろろそば

 

 食事後、店を出て10分ほど歩くと、健御名方富命彦神別神社に到着。平安時代に編纂された『延喜式』に掲載されている健御名方富命彦神別神社は式内社の中でも社格が高い名神大社ですが、はっきりとした所在地や後継社が不明で、候補の論社が三つあり、そのうちの一つになります。他二つは信州新町飯山市にあります。名神大社ではありますが、今は無人の、鳥居と拝殿を繋ぐ参道以外は草ぼうぼうの境内で、由緒書きの説明板も見当たらなかったため、詳細は不明。……なのですが、社名から導けば、祭神は健御名方富命彦神別神のはずです。「健御名方富命」は健御名方=タケミナカタで、オホナムチの子でソサノヲの孫。出雲の国を譲るように高天原からやってきたタケミカヅチに抵抗して挑みましたが、負けてシナノに逃れ、シナノスワ=信濃諏訪に鎮座したので、ついた神名はスワノカミ=諏訪の神という、信濃一宮の諏訪大社の祭神です。「健御名方富命彦神別神」は、ネットで調べた情報によると、健御名方富命と八坂刀売命の子とあり、『諸系譜』では健志名乃命と妻科姫命の子である武水別神の別名とされているとのこと。神名にある「彦」は息子、「神別」は子孫を意味するので、健御名方富命ことタケミナカタの息子か子孫ではある可能性は高いと思います。

健御名方富命彦神別神社の社号標。草ぼうぼうで近寄れませんでした。

健御名方富命彦神別神社の鳥居。扁額が有栖川宮幟仁親王和宮の婚約者だった熾仁親王の父)の書だったので、境内を見るととても名神大社とは思えませんでしたが、社格が高いことは偲ばれました。

拝殿

本殿

境内社の木匠祖神社。鳥居の下にかすかに見えているのが本殿。本殿は流造でしたが、こちらは神明造。

木匠祖神社の社殿の後ろにあった石碑。文面によれば、祭神は手置帆負命と彦狭智命とのこと。

境内社の千幡社。祭神は不明。

千幡社と木匠祖神社の位置関係。木匠祖神社は本殿に向かって左にあり、本殿と同じく南向きでしたが、千幡社は東向きで、善光寺を背にしています。祭神はわかりませんが、参道に向かっているので、本殿祭神の見張り役だと思います。

 

 健御名方富命彦神別神社は無人でしたが、善光寺での長い御朱印待ちのあいだにスマホで情報収集し、御朱印は武井神社でいただけることがわかっていたので、次に武井神社へと向かいました。歩いて15分ほどで到着し、参拝後、御守り授与所で健御名方富命彦神別神社と武井神社の御朱印をいただきました。境内に立っていた説明板に書かれていた由緒によると、当社の祭神は健御名方神の和魂だそうです。

武井神社の鳥居

境内にあった由緒書きの説明板

 

 武井神社を後にすると、忠霊殿の先、善光寺の北西にある湯福神社へと向かいました。大門から仲見世を通ると、いっそう人が多くなっていて、もはや善光寺に用もないのに激混みの表参道を歩くのは苦痛だったので、駒返し橋の手前で左にそれて大勧進の裏手を通っていったのですが、そちらはそちらで、駐車場に入れず動けない車で大混雑でした。渋滞の中にはツアーバスはもちろん、チャーターして社員旅行で来たみたいな大型バスも交ざっていて、日帰りか泊りかは知るすべもありませんでしたが、スケジュールどおりに旅程をこなせるのだろうかと他人事ながら心配になり、幹事とか行き先を善光寺に決めた人はきっと文句を言われるだろうなと思いました。駐車場の入口横に土産物屋があり、自販機の脇にベンチが設置されていたのでひと休みし、御開帳特別デザインのリンゴの缶ジュースを買って飲み終わると再び歩きはじめて、武井神社から30分ほどで湯福神社に到着。

湯福神社の鳥居

境内にあった由緒書き

拝殿。手前にある2本のケヤキは、明らかに古い形の鳥居です。

 

 湯福神社の現祭神は健御名方命の荒魂。こちらも無人でしたが、拝殿の柱に御朱印や授与品希望の場合の連絡先が書かれた紙が貼ってあったので、お参りを終えると電話で連絡を入れ、電話番号と一緒にあった地図を記憶し、湯福神社の宮司を兼ねる弥栄神社宮司さん宅に取りに伺いました。御朱印待ちのあいだの調べで、湯福神社と妻科神社の宮司も一緒であることはわかっていたので、二社の御朱印をいただきました。妻科神社はまだお参りをしていなかったのですが、県庁の近くなので、そちらに行ったあとに、また大勧進の向かいにある弥栄神社まで戻ってくるのは効率が悪かったので。弥栄神社から大本願の裏手を通る道を南に進み、国道406号に突き当たって右に曲がり、若松町交差点で左に曲がり、ひまわり公園の前を通って、30分ほどで妻科神社に到着。

 

 妻科神社は式内社で、宮司さん宅でいただいた由緒書きによると、現祭神は八坂刀売命――健御名方富命の妻です。しかし「古くは御長女の妻科姫命も祀られていました」と書かれているので、八坂刀売命の前は妻科姫命が祭神だったのだと思います。

妻科神社と神奈備山っぽい山

妻科神社の鳥居。拝殿までの参道が直線ではなく微妙にずれていて、しかもそれがほんの僅かな角度であることが実に意味深でした。参道を直線に作らないのは祭神が鳥居の外に出られないようにするためで、つまりそこにある社が神を封じ込めるためのものであることが多く、ということは、この参道が作られたときに祀られた祭神は祟ると畏れられた神だったと考えてほぼ間違いありません。この地で非業の死を遂げた神、後から来た神に追いやられた神などです。

拝殿前のケヤキ。本殿に向かって左の木は折れていましたが、湯福神社と同じく昔の鳥居です。

本殿

拝殿の脇にある「右大臣」という名札が付いた御神木のケヤキ。この木を避けて拝殿が作られているように思えました。神籬かもしれません。

 

 長野県の旧国名である「信濃」は、諸国郡郷名著好字令が発せられた和銅6年(713)より前は「科野」と書いたので、科=シナの野という意味であることがわかります。シナとは、一説によれば段差のことで、高低差がある土地を表す言葉のようです。『ホツマツタヱ』には、ハニシナ=埴科、ハエシナ=波閉科、サラシナ=更科、ツマシナ=妻科というヨシナアガタノヌシ=四科県主が登場します。そして、ハニシナはアマテル=天照の胞衣を祀り、ハエシナ、サラシナ、ツマシナはアマテルの孫であるニニキネ=瓊々杵の三つ子の胞衣を祀ったと書かれています。

 

 式内社で、長野県と岐阜県にまたがる恵那山の山頂に奥宮がある恵奈神社は、『ホツマ』によれば、オオヤマスミ=大山住がアマテルの胞衣をエナガタケ=胞衣が嶽=恵那が嶽に納め、それをハニシナに祀らせたのが元々の起源です。なので、同じく式内社である波閉科神社も佐良志奈神社も妻科神社もハエシナ、サラシナ、ツマシナが三つ子の胞衣をそれぞれ祀ったのが元々の起源なのだと思います。コノハナサクヤヒメが生んだニニキネの三つ子はホノアカリ、ホノススミ、ヒコホオデミの順で生まれたので、ハエシナがホノアカリの胞衣を、サラシナがホノススミの胞衣を、ツマシナがヒコホオデミの胞衣を祀ったと思われます。タケミナカタの娘とされる妻科姫は、ツマシナが胞衣を祀った土地に関係が深かったため、「妻科」という名を与えられたのでしょう。その土地で生まれたか暮らしたか、あるいは亡くなったか葬られたのだと思います。そして死後ツマシナゆかりの妻科神社に祀られ、新たに祭神とされたのでしょう。つまり妻科神社の祭神は、ニニキネの息子(おそらくヒコホオデミ)の胞衣(御神体)→ツマシナ(最初に胞衣を祀った祭主)→妻科姫(タケミナカタの娘)→八坂刀売(タケミナカタの妻)という形で変遷したと考えられます。

 

 ところで、武井神社、湯福神社、妻科神社は善行寺三鎮守で、この三社と健御名方富命彦神別神社を合わせた四社が持ち回りで寅年と申年に御柱祭を執り行っているそうです。そして、この四社は、ほぼ善光寺の北東、南東、北西、南西に、つまり善光寺を囲むように位置しています。ということは、意図的にこの四社には善光寺を守護する役目が与えられたということでしょう。いずれの鳥居も神仏習合の神社に多い両部鳥居が建っていましたし。おそらくその時に、各社の元々の祭神がタケミナカタとその縁者に替えられたのだと思います――信濃で一番力のある国神の加護を得るために。

 

 善光寺が創建されると、その北西には当寺の開祖である本多善光の墳墓が築かれて聖地とされていましたが、そこに湯福神社を建ててタケミナカタの荒魂が祀られ、当社と善光寺を挟んで対角線上に位置する南東の地には武井神社を建てて和魂が祀られ、もともと善光寺の南西の地に存在し、神代からの聖地である妻科神社には、その社名からタケミナカタの妻である八坂刀売が祀られ、当社と善光寺を挟んで対角線上に位置する北東の地にはタケミナカタの長子である彦神別神が祀られたのだと思われます。したがって、健御名方富命彦神別神社の本社は信州新町か飯山のどちらかで、そこから善光寺如来を守らせるために勧請されたのではないかと思います。

 

 善光寺北東の健御名方富命彦神別神社は、ウィキペディアの情報などによると、明治11年(1878)までは善光寺境内にあって、「年神堂八幡宮」と称したとのこと。延文元年(1356)成立の『諏方大明神画詞』では「年神堂が諏訪大社の分座であり持統天皇5年(692)に記載のある水内神である」としていて、また、江戸時代末期の『芋井三宝記』には「年神堂八幡宮は、風祭等の存在からして御年神でなく健御名方富命彦神別神社であり、当地に善光寺如来が来たため仏式になって神名を失い、八幡宮とも誤り称されるようになった」と記しているそうです。ということは、おそらく善光寺が建てられた場所はもともと聖地であり、御名方富命か彦神別神、またはその子孫か、誰のゆかりかはわかりませんが、タケミナカタの末裔である諏訪氏の聖地を選んで建てられたのだと思います。高野山は高野御子神の聖地に立てられ、滋賀の長命寺武内宿禰の聖跡に建立された寺なので、寺院の建立にあたって神々ゆかりの聖地を選ぶことはよくあることだったのでしょう。善光寺如来がやってきたので、健御名方富命は如来の守護神として境内に祀られて年神堂八幡宮となり、彦神別神は北東の地に祀られて健御名方富命彦神別神社となり、明治の世になり年神堂八幡宮の祭神である健御名方富命が境内から北東の地に遷されると、健御名方富命彦神別神社は健御名方富命彦神別神の社でありながら、彦神別神ではなく健御名方富命が主祭神とされ、今に至っているのかもしれません。

善光寺と善行寺三鎮守および健御名方富命彦神別神社の位置関係。駅の観光案内所でもらった地図で、ピンクのマーカーで社名が囲まれているところが四社です。

 

 妻科神社の参拝を終えて、最寄りの議員会館前バス停から中心市街地循環バスの「ぐるりん号」で長野駅に戻ると、時刻はちょうど1時で、次は長野電鉄で本郷駅まで行って式内社の美和神社に行くつもりでしたが、12時57分に電車が出たばかりで、次発は1時30分だったので、とりあえず駅構内にあるスタバでコーヒーを飲むことにしました。ここで30分のロスは大きく、コーヒーを飲みながらスマホアクセス時間を調べたところ、次の電車で行くとなると、帰りの電車も30分に1本なので、3時までに長野駅に戻ってくるのが難しいと判明。天気は変わらず2~3時には雨が降り出す予報だったので、美和神社は断念し、ランチを食べて帰ることにしました。駅や周辺の人の多さを見て、駅ビル内の店は混んでいる気がしたので、ホテルの1階にあった信州の食材を使った和食レストランに行くことにし、ネットでランチタイムを確認すると2時までで、ならばオーダーストップは1時半ではないかと思ったので、御朱印待ちのあいだに予約した3時41分発の新幹線のeチケットを変更して1時間ほど早めると、急いでコーヒーを飲み終えてホテルへと向かいました。

 

 着いたのが1時20分過ぎだったからか、店内の客も引いていく頃合いで、混んでいてもカウンターなら座れるだろうと思っていたのですが、ちょうど空いた四人席のテーブルに案内してもらえ、この分だとそれほど時間もかからず料理も出てきそうだったので、刺身と牛フィレミニステーキがメインの「志もだ定食」を注文。グラスの白ワインも頼んで飲みながら食事をし、閉店ギリギリまで粘って席を立ち会計を済ませると、ホテルのロビーに続いている出口から出て、フロントに寄って預けた荷物を引き取り、再び長野駅へ。2時25分発のはくたかに乗り、これにて今回の遠征は終了です。

「茶寮 志もだ」の「志もだ定食」。とにかく今回の旅は和牛が美味しかったです。

長野寺院遠征~善光寺

 久しぶりの遠征記です。あまりに更新がないので、友人から「無事に生きているのか?」などというメールも来ましたが、相変わらず忙しく、特に変わりなく生きています。

 

 さて、先週末は善光寺に行ってきました。昔はよくお参りをしたお気に入りの寺なので、そろそろ光雲の仁王像が見たい、お戒壇巡りがしたいと思っていたのですが、思っているうちにあっという間にけっこうな年月が経ってしまいました。今年は7年ぶりの御開帳で、コロナ感染対策の外出制限もなくなったので、行くしかないだろうと思い、約9年ぶりに足を運びました。

 

 1月に彦根に行ったあと、2月は動けませんでしたが、3月は二週連続遠征で京都と出雲、4月は愛宕神社春日大社、5月は福岡&高千穂に行き、合間に花見や宝塚観劇、ラニバin東京ドーム参戦など、例のごとくバダバタしていたら、気が付けば6月。4月3日からの御開帳も今月29日までなので、参拝に向けて御開帳に関する情報収集を始めたら、善光寺のホームページに混雑情報があって、土日はとんでもない混み方をしていたので、なんとか平日に行けないかと仕事を調整し、休める金曜が10日ぐらいだったので、慌ててホテルを手配。善光寺なら日帰りで行けるのですが、せっかく長野まで出向くのなら穂高神社にも行きたいと思い、一泊二日にしました。……なのですが、土曜の天気は雨の予報で、二日前になっても変わらなかったので、松本まで足を延ばすのは断念。信濃四宮で名神大社の武水別神社か上田城、または曇りの予報の高崎で途中下車して上野一宮の貫前神社にでも行くことにしました。雨の日に上高地に行っても楽しくないので。

 

 ということで、木曜は翌日休みにするため9時ぐらいまで仕事をする羽目になり、金曜の朝はとても早起きできず、オンライン購入後Suicaに登録するeチケットで大宮発11時29分の北陸新幹線に乗車。eチケットは変更できる点は便利なのですが、乗車券が特急券と同区間しか購入できないため、乗車駅から下車駅まで通しで買えず、また気が変わっても途中下車とかできないところが不便といえば不便。なので、ウェブで予約しても、なるべく紙の切符を取ることにしているのですが、今回は窓口に行っている時間がありませんでした。長野駅に12時47分に到着し、昼食は車内でタカラ缶チューハイを飲みながら駅弁を食べたので、駅前のホテルに寄って荷物を預かってもらうと、すぐに善光寺方面行きバス乗り場へ。善光寺大門バス停で下車し、大門から表参道を歩いたのですが、仁王門を過ぎた仲見世から回向柱待ちの列が始まっていて、平日の昼間にもかかわらず大混雑でした。

善光寺本堂と回向柱。回向柱からの紐が前立御本尊に繋がっているので、柱に触れることで如来さまと御縁を結ぶことができます。

撮影スポットからの本堂

 

 まずは拝観券がないと何も見られないので、本堂脇東向拝近くに臨時設営されている券売所の列に20分ほど並び、内陣、山門、経蔵、忠霊殿が拝観できる参拝共通券を購入。券売所のスタッフに内陣は1時間半待ちと言われたので、券売所前の仮設授与品所で御開帳限定の幸せ牛守を買うと、とりあえず並ぶ必要のない、券がなくても入れる外陣から参拝しました。とはいえ、外陣からではお参りはできても、御開帳されている前立御本尊はまったく見えないので、お姿を見たければ内陣参拝をしなければならないのですが、参拝待ちの列の最後尾を目指して東向拝から本堂の後ろをぐるりとまわり、西向拝まで来てもさらにジグザグを作っている列を見たら、すっかり並ぶ気が失せました。気温27度で、日傘がないときつい陽射しの上に、湿度も高く蒸し暑かったので。

 

 夕方になれば日帰り客が減っていくらかマシになるかと思い、内陣参拝とお戒壇巡りは後回しにし、御朱印授与所に向かいましたが、こちらも1時間半待ちの行列。ため息をつきつつも、ここに至って、持ってきた朱印帳をホテルに預けたバッグに入れっぱなしだったことに気づき、そのときちょうど最後尾の札を持つ隣の列の係員に、書き置きならこちらの団体用授与所で20分ほどの待ち時間だと教えられたので、そちらの短い列に並び直し、もともと購入するつもりでいた紙札の御開帳限定特別御朱印をいただきました。

御開帳限定の特別御朱印

 

 その後「さて、どういう順で巡ろうか」と悩んでいると、15時からの法要についての案内アナウンスがあり、法要に参加すれば、並ばずに前立御本尊を近くから見られるとのこと。別途祈願料が必要ですが、この状況では渡りに船のような気がしたので、申し込むことにしました。受付は30分前までで、集合時間まで40分ほどあったため、申し込みを終えると、比較的待ち時間の少ない経蔵へと向かいました。こちらは三人ほどが待っていただけだったので、すぐに輪蔵を回すことができました。輪蔵を回すと、中に納められている一切経をすべて読んだのと同じ功徳が得られるといわれています。

経蔵の前にある輪廻塔。円盤状の石に六字名号が刻まれているので、回すと「南無阿弥陀仏」を唱えたことになります。

 

 経蔵を出ると、本堂横の指示された集合場所へ。集合時間の2時45分になると点呼があり、西向拝から内々陣へと案内されました。御本尊の瑠璃壇の前に座り、参加者全員の祈願が終わると瑠璃壇前の戸帳が一瞬上げられるので、最前列の中央付近など座る場所がよければ内側を見ることができます。残念ながら私は見えませんでしたが、善光寺の御本尊は絶対秘仏なので、見えたとしても御本尊の御厨子だと思います。その隣に、御開帳の期間は前立御本尊が祀られています。本当に目の前まで行けて、内陣参拝とは比較にならない近さで拝むことができました。内々陣を出るときに渡された封筒に入っていた御札は御開帳特別仕様で、諸難消除の御守と御開帳限定の五色の散華も一緒に入っていたので、参加してよかったです。

御札と御守と散華。祈願料は1件につき3,000円〜。1件5,000円というところもあるので、今回は奮発して二つ祈願してもらいました。

 

 法要に参加しても入れるのは内々陣だけなので、お戒壇巡りをするためには改めて行列に並ばなければならないのですが、お戒壇巡りは御開帳期間外も可能で、普段は並ばずにできるので、今回はあきらめることにしました。最近は冬に白馬や志賀高原に行くときに寄るぐらいですが、戸隠と東山魁夷の絵が好きなので、昔はよくストレス解消に長野市を訪れたものでした。日帰り圏内なので、思い立ったらすぐに出かけられたので。そして、戸隠五社や東山魁夷館の帰りに善光寺に寄るのが常でした。なので、お戒壇巡りも何度か経験したことがあるため、1時間半も並んですることもないだろうと思いました。それに、法要のスタッフも言っていましたが、お戒壇巡りは御本尊の下にある錠前に触れて如来さまと縁を結ぶことが目的なので、回向柱を通じて結縁できるときは巡る必要はありませんし。けれども、経験したことがない人は一度はやってみるといいと思います。初めてお戒壇巡りをしたとき、24時間明かりが絶えず暗闇というものが存在しない現代において真の闇が味わえるのは、ここぐらいだと思い、えらく感動しましたから。何故なら、明かりのない世界のこと、闇の怖さ、光の尊さといったものを否応なしに考えさせられたからです。出口の光の眩しさや、それを目にしたときにおぼえる安心感は、実際に体験してこそわかります。

 

 次に、本堂より閉まるのが早いので、大勧進へと向かいました。善光寺は御本尊が日本最古の阿弥陀如来像と伝わり、創建されたのが日本仏教の宗派が分かれる前なので無宗派の寺ですが、天台宗と浄土宗によって管理運営され、天台宗の本坊が大勧進で、浄土宗の本坊が大本願になります。大勧進でも御朱印授与所の前には列ができていたので、境内の出店で手作りのリンゴジュースを1杯買って一気飲みし、ひと息入れてから列に並びました。15~20分ほど待って、大勧進限定の「牛朱印」をいただき、祀られているとは知りませんでしたが、鬼大師の御朱印もあったので、そちらも頂戴しました。そのあとゆっくりと鬼大師こと元三大師良源が祀られている護摩堂に参拝し、お参りを終えて境内を出ようとしたら、赤門近くの授与品所で、今まで見たことがない、これまでおぼえのない強烈なインパクトのダルマを発見。とても素通りできず、無視したら後悔しそうだったので購入しました。ただの奇妙なお土産だったら買わなかったのですが、護摩堂の御本尊――智証大師円珍作と伝わる不動明王像に祈祷済みであることが書かれた紙が背中に貼付された、正真正銘大勧進の授与品だったので、ついつい衝動買いしてしまいました。

大勧進限定の「牛朱印」と鬼大師の御朱印。いずれも牛型の御開帳朱印入り。「牛朱印」は「ごしゅいん」と読みます。

大勧進の授与品所で購入したアルクマだるまと、本堂脇の授与品所で購入した幸せ牛守。「牛に引かれて善光寺参り」という言葉があるように、善光寺と牛は切っても切れない関係がありますが、アルクマは地元長野県のPRキャラクターです。熊本県くまモンみたいなものですね。アルクマはリンゴの被り物を着けた歩く熊なのですが、アルクマだるまは、上にヘタが描かれて赤いダルマがリンゴに見立てられていて、アルクマのリンゴの被り物の代わりになっています。

牛守に入っていたおみくじ。幸せに導く心がけは「剛毅朴訥」だそうで……内容は悪くない中吉でした。

 

 続いて向かった忠霊殿には史料館が併設されていて、そこに展示されている高村光雲作の仁王像が大好きで、久しぶりに見るのを楽しみにしていたのですが、どこにも見あたらなかったので、どうしたのか受付スタッフに訊ねたところ、出張中で、そのスペースが今は特別展示になっていて、御開帳が終われば戻ってくるとのこと。史料館所蔵の仁王像は善光寺仁王門の仁王像の原型として制作されたもので、個人的には運慶・快慶作の仁王像に匹敵する傑作だと思っています。近代の仏像も中世の名像に劣らないと思わせてくれた貴重な作品なので、ここまで来てお目にかかれないのはかなりショックでしたが、仕方がありません。文句を言ってどうにかなるものではありませんから。

光雲の仁王像の代わりに展示されていた作品の一つ、「仁王狛犬」。小松美羽さんという現代アーティストの作品です。

仁王門の阿形。1/4サイズではありますが、この像の全身が柵越しではなく見られるのが、史料館の像なのです。残念!

仁王門の吽形

 

 忠霊殿から本堂の近くに戻ってくると、内陣参拝の列はまだ長蛇でしたが、回向柱待ちの列は短くなっていたので、回向柱に触れて如来さまと結縁。あとは山門登楼が残っていて、こちらは8時まで開いているのでライトアップしてから登るのもいいかと思っていましたが、時計を見ると時刻は4時過ぎで、3時間ほど歩きまわって疲れもピークに達し、暗くなるまでブラブラするのもしんどかったので、日没を待たずに登ることにしました。以前は下から見上げるように鳩字の額を間近で見ることができたりしましたが、今回は通路が決められていて自由に動けなかったので、一周して、さっさと降りてきました。

山門から見る本堂と回向柱

 

 山門を出ると、共通券でできることはお戒壇巡り以外すべて終えたので、長野駅に戻ることにし、バス停を目指して表参道を歩いていたら、左手に、門を入るとギャラリーになっている宿坊を見つけました。どこか見覚えのある気がしたので入ってみると、自宅の玄関に飾っているほおずきの照明飾りを買った店でした。その時は宿坊という認識はなく、ギャラリー風の雑貨屋だと思っていたのですが、実は白蓮坊という宿坊の一角で、当坊の限定御朱印が目的で店に入ってくる人もいました。店内には天然石やトンボ玉のアクセサリーの他、作家作品の万華鏡などが置いてあって、以前もそれに興味を引かれて入店したことを思い出しました。今回も気になる万華鏡をいくつか覗いていると、店のスタッフが声をかけてくれ、ショーケースの中にあった明らかに量産品とは違う作品も出して見せてくれました

「ギャルリ蓮」がある白蓮坊

白蓮坊の限定御朱印。月替わりで、絵が毎月異なるそうです。こちらは6月バージョンで、5月バージョンは仁王像でした。

 

 次々と現れる素敵な映像に驚かされて、しかも万華鏡によってそれぞれ違う美しさを見せてくれるので感嘆の声をもらして喜んでいると、「これも見て、これも見て」と、店頭に出していない一点物の作品も次々と出してくれました。その中に、今まで見たことがないオイルタイプの万華鏡があって、その映像は、美しいのはもちろんですが、繊細で品があり、物語性まで感じられる、まさしく芸術の域に達した作品でした。これは高いだろうと思って値札を見たら、案の定いい値段でしたが、こんな作品には望んでもそうそう出合えるものではない、これぞ一期一会で、善光寺如来が結んだ御縁と思ったので、意を決して購入。万華鏡が好きで、機会があれば作品展を見て、アーティストが作る万華鏡がけっして安いものではないことは知っているので、作品の質からすれば妥当な価格だと納得できましたし、作品を購入することで、こういう素晴らしい物を生み出せる才能のあるクリエイターを微力ながらも応援できたらいいと思いました。

今回買った細井厚子さん作の万華鏡。「月とちょうちんあんこう」という作品名で、作家の手作りだという焼き物の本体に月とあんこうの絵が手描き絵付で施されています。隣は昔買ったほおずきの照明飾り。

ほおずきの照明飾りは、スイッチをを入れると、ライトが仕込まれた本物のほおずきが光ります。これを初めて見たときも驚きで、即買いでした。

 

 人混みと蒸し暑さで、ライトアップがどうでもよくなるぐらい疲れていましたが、アルクマだるまのように愉快な物や、万華鏡のように美しい物に出合えたのも、この日この地に導いてくれた善光寺如来のおかげなので、忙しいなか来た甲斐があったと、バスに乗るときには歩き疲れた足の痛みも軽くなり、すっかり楽しい気分に戻っていました。

 

 長野駅に戻ると、5時半になろうかという時刻だったので、店が混み始める前にと思い、1月の白馬スキーの帰りに寄って気に入った、駅ビル内の食事処「長寿日本一長野県長寿食堂」で夕食を摂ることにしました。前に来たときにはなかったのですが、今回は大好きな和牛のメニューがあったので、そちらを注文。15分ほどかかると言われましたが、あとはもうホテルに行くだけで、出発時刻が決まった電車に乗るわけでもなかったので、のんびりと柚子サワーを飲みながら待つことに。食事後、ホテルにチェックインし、日程終了です。

「長野県長寿食堂」の「信州プレミアム牛ひつまぶし定食」。和牛ならではの美味しさで、肉の量も多く、食べた気になるボリュームだったので、大満足でした。

 

※6月14日追記

 昨日たまたま昔一緒に善光寺詣でをしたことのある友人からメールが来て、御開帳前に善光寺に行って、お戒壇巡りをしたが、以前のように真っ暗ではなく、照明がついていて、ガッカリしたとのこと。確かにそのほうが危なくはないですが……これも時代でしょうか。こんなところにまで配慮が行き届いて至れり尽くせりだと、人間の危機感や注意力もいっそう低下するばかりだと思いますが。

前代未聞の世紀の茶番~2022北京五輪フィギュアスケート女子シングル感想

 女子シングルフリーが終わりました。稀に見る外野がうるさい試合でしたが、そんな最悪の環境下でも出場した選手たちはよくやりました。メダルの結果も妥当だったと思います。

 

 実力がほとんど発揮できなかった暫定4位のカミラ・ワリエワ選手は気の毒ですが、ドーピング検査で陽性になった以上、本来ならば出場資格はないので、今大会でメダリストになれなかったのは必然の結果。何故出場を認めたのか、何故棄権させなかったのか不思議です。あんな世界中を敵に回したような状態で、いつもと同じ演技ができると15歳に対して思ったのでしょうか。思っていたのなら愚かさ極まりなく、そんな愚かな大人たちの犠牲になったワリエワ選手は明らかに被害者で、彼女が責められるのは理不尽です。ワリエワ選手は演技後に「少なくとも、これで表彰式は中止されないだろう」と言ったとのこと。選手として、血のにじむような努力の末につかんだ勝利を称えられる場である表彰式が選手にとってどんなものか価値をわかっていて、それが行われないという意味とその重大性を十分に感じていたのでしょう。多くの選手たちと同じく、表彰式でメダルを受け取ることを夢見てきた少女のごく普通の感覚だと思いますが、人並みにそのように感じている普通の感覚の少女であるワリエワ選手があの状況下で普段どおりに滑れるわけがありません。コーチ陣は何を考えているのか……自分たちの思うままに動く感情のないロボットだと思っているのでしょうか。

 

 特に彼女のメインコーチであるエテリ・トゥトベリーゼコーチの罪は重く、保護対象である年少者に将来的に後遺症が残るかもしれない薬物を与え(直接飲ませていなくても摂取を黙認していることは確実。まだ若くて知識のない選手自身はわからなくても彼女が知らないということはありえないでしょう)、その事実が明るみになったにもかかわらず説明責任を果たさぬまま教え子を世間から隠して批判から守ろうともせず強行出場させ、あまつさえ無理に出場させておいて自分の思いどおりに滑れなかったからといって演技後すぐに詰る――これでもかというほど酷い児童虐待の様子を世界中に晒し、さすがに恥を知れと思いました。しかも失敗した教え子を叱責するのが優先で……讃えられ祝福されるべき金メダリストになりながら、コーチに放っておかれたアンナ・シェルバコワ選手も可哀想でした。コーチや監督は厳しくて当然ですが、未成年者を導く指導者は競技の指導だけでなく、子供たちを心身ともに健やかで真っ当な大人に育てる人間育成についても責任の一端を負っているはずです。接する時間が親より長いこともあるのですから。金メダリスト増産はロシアの国家政策であり至上命令で何か国に逆らえない複雑な事情があるのかもしれませんが、ワリエワ、シェルバコワ、トゥルソワ、コストルナヤ、遡ればザギトワやメドベージェワなど、たとえ何人もの世界大会の金メダリストを生み出す手腕があっても、教え子の人間的な成長を蔑ろにする時点で、トゥトベリーゼコーチは優秀な指導者ではないと思います。

 

 金メダルのシェルバコワ選手は、ショートもフリーも見事な出来栄えでした。彼女も技術力と表現力を併せ持つ選手です。彼女の演技は手足を動かしていない時がないのではないかと思うほど振付が細かく、密度が濃くて息つく暇もありません。なのにミスもなく、一つ一つの技も美しく完成度が高い。銀メダルのアレクサンドラ・トゥルソワ選手は5度の4回転を演技に組み込み、それ自体は本当にすごかったのですが、いかんせん相変わらず全体的な完成度が低い。やはり「跳べばいいってもんじゃない」と思います。ジャンプはそれぞれ基礎点が決まっていて、当然のことながら難しい高度なジャンプほど点数が高く、それを積み重ねていけば高得点が出せる採点システムなので、トゥルソワ選手のようにジャンプ中心の戦い方があっていいとは思いますが、ジャンプで勝負するのなら、せめてジャンプの完成度は上げないと、4回転を跳び表現力もある選手には勝てません。それゆえ今までワリエワ選手に勝てず、今回もシェルバコワ選手に勝てませんでした。本人は納得がいっていないようですが、演技全体の質はどう見てもシェルバコワ選手のほうが上で、妥当な順位です。彼女と自分の演技を見比べて、それでも自分が金メダルだとトゥルソワ選手が思うのなら、フィギュアスケートの良し悪しをわかっていないので、早く誰かが教えてあげるべきです。フリーで4回転を5度跳んだけどステップアウトもあり、フリーとショートともに不完全な演技だったトゥルソワ選手より、フリーの4回転は2回でも両方ともクリーンで、フリーとショートをミスなしで終えたシェルバコワ選手のほうが金メダルにふさわしいことは、フィギュア関係者やファンならば誰もが認めるところで納得がいっていることだと思います。女子では前人未到の歴史的快挙である4回転5回の自分と4回転0回の坂本花織選手の順位の差が結局はたった一つであるという結果が何を意味しているのかを、誰かきちんとトゥルソワ選手に教えてあげてください。それが正しい指導です。

 

 ということで、銅メダルは坂本選手。おめでとう~!! 彼女もショートとフリーともにミスなしのパーフェクト演技でした。4回転もトリプルアクセルもないので、同じくミスなしのシェルバコワ選手にはかないませんでしたが。けれども、オリンピックが始まる前はロシア3強の牙城を崩すのは難しいと思っていたので、本当によかったです。ショートが終わった時点で、たとえ総合3位以内に入ってもワリエワ選手のメダルは無効になると思っていたので、総合4位になっておけば結果的には銅メダルが獲れる、だから訊かれなくてもいいことを訊かれる落ち着かない騒がしい環境だけど周囲の雑音に振り回されずに自分のスケートに集中してほしいと祈るような気持ちで応援していましたが、期待以上にやってくれました。坂本選手は、ジャンプを跳んでから着地までの幅があり、そのあとの流れもあるので、1本のジャンプでの移動距離が長く、助走、ジャンプ、着地後の流れで、同じジャンプでも他のスケーターの2倍は場所を動いていると思います。しかもスケーティングにスピードがあるから疾走感がハンパない。印象の違いを例えるなら、他の選手はモーグルだけど坂本選手はダウンヒル、他の選手は平泳ぎだけど坂本選手はクロールという感じ。どこかでもコメントしていましたが、今回はロシア勢と滑ることで、坂本選手のスケーティングの質の高さがより際立ったように思えます。暫定5位の樋口新葉選手も、転倒がありましたが、全体的にいい演技でした。繊細さより力強さが感じられるスケートで、その点坂本選手と似たタイプなので、ジャンプの質やスピード感などを比べられて少々割を食ったかもしれませんが、そんな中でも坂本選手にはできないトリプルアクセルを決めるなど、十分にらしさを発揮できていたと思います。

 

 ロシアの選手たち――とりわけトゥトベリーゼ門下の選手たちのスケートは技術的には素晴らしいのですが、年齢に応じた身体の成長など、人間に必要な何かを犠牲にし、それと引き換えに手に入れた能力のように思え、不自然で違和感をおぼえます。『北斗の拳』で寿命を縮める秘孔を突いてパワーアップしているような……。そもそもジュニアからシニアに上がった年は、体が未熟だったり成長途中だったりで、まだ十分に鍛えられていない上にフリーの時間が30秒長くなるので、後半はスタミナ切れを起こすことが多いのですが、振り返ればワリエワ選手は全然そんなことはなく、オリンピックまで全戦全勝でした。トゥルソワ選手の5度の4回転も、男子で五輪連続表彰台の実績を持つショーマですらゼエゼエしながらこなしている最高難度の構成です。シェルバコワ選手の体形はどれだけ節制しているのかという細さですし。検査で引っかかったのはワリエワ選手だけでしたが、トゥルソワ選手もシェルバコワ選手もその他の選手も、本人たちが知らぬうちに何かを飲まされているのかもしれません。今回の騒動でもまったく動揺を見せないトゥトベリーゼコーチを見ていると、確信犯で、国策を理由にそれくらいは平気でやっていそうな気がします。潔白ならば、出るところに出て、それを証明すればいいだけです。彼女の教え子たちが今後どうなるのか、どうするのかはわかりませんが、ワリエワ選手はまだ若い上に、技術力と表現力の両方を高いレベルで併せ持つ真に才能があるスケーターなので、コーチを変えて再起を果たし、次のオリンピックでメダルを獲って、北京の悪夢を払拭してほしいですね。4年後でもまだ19歳なのですから。

 

 今回の騒動は世紀の茶番で、二度とあってはならないことですが、一つだけ楽しいことがありました。かつてオリンピックの銀盤を彩った往年のスケーターたちのコメントがたくさん読めたことです。アシュリー・ワグナーキム・ヨナイリーナ・スルツカヤサラ・ヒューズ、タラ・リピンスキー、そして氷上のカルメンことカタリナ・ヴィット……リンクを去ったあとも、みんなスケートを愛していて、スケート界を見守り、後に続くスケーターたちの活躍を気にかけているのだなぁと思いました

 

※2月20日追記

 ただいまエキシビションを見終わりました。ユヅは「春よ、来い」、ネイサンはショートの名プログラム「キャラバン」のバックフリップ入りバージョン。メダリストが集まるエキシビションを見て、やはり頭一つ突き抜けていて他とは格が違うと思ったのは羽生結弦、ネイサン・チェンの男子シングルの二人と、アイスダンスのガブリエラ・パパダキス&ギョーム・ジゼロン組。特にフリーのジゼロンはまるでバレエダンサーのようで、スケートをしながらここまでバレエ的な美しい肉体表現ができるのかと驚き、目を瞠りました。「キャラバン」のネイサンもストリートダンサー的な凄さを発揮していましたが。ユヅは手の使い方が上手くなったことで音の取り方が格段に進歩し、それによって音楽表現も進化しました。今回の「春よ、来い」にもそれがよく表れていたと思います。ジャンプを跳べなくても、ジャンプが決まらなくても、ジャンプなしでも魅力的な演技ができるスケーターになりましたね。

滋賀寺社遠征&明智光秀探訪17~多賀大社、十兵衛屋敷跡、十二相神社

 翌30日の日曜は、前の週に大雪が降って真っ白になった多賀大社の様子をネットで見て、山間の集落である佐目はもっと雪が深いのではないかと思い、多賀は以前訪れていて多賀大社も胡宮神社も時間をかけて見ているので、今回はパスして行ったことのない佐和山城址に行き先を変更しようかと前日まで迷っていたのですが、佐目十兵衛会発行の冊子が彦根で手に入らなかったので、当初の予定どおり佐目に行くことにしました。

 

 10時過ぎにホテルをチェックアウトして彦根駅に行き、観光案内所近くのコインロッカーに荷物を預けると、10時35分発の近江鉄道に乗車。高宮駅で乗り換え、終点の多賀大社前駅で下車。冊子の販売所の一つが多賀観光協会だったので、駅構内の観光案内所に寄ったのですが、なんと案内所だった場所は無人のがらんとした空間になっていて、地図などのパンフレット類が置いてあるだけ。販売物など皆無でした。冊子の件だけでなく、佐目までの行き方についても確認しようと思っていたので「おいおい」と思いましたが、とりあえず多賀観光協会のホームページで唯一の公共アクセス手段として紹介されていた「愛のりタクシーたが」を電話で予約し、多賀大社の駐車場近くにある多賀観光協会へと向かいました。

 

 置いてあった周辺散策マップによると、多賀大社の駐車場は国道306号線沿いで、駅から行くと表参道である絵馬通りを神社の前を通り過ぎて終点まで行き右折したところ。「電車で来る客を完全に無視しているな」と思いましたが、コロナ禍の今は車で来る近場の参拝客のほうが圧倒的に多いような気もしたので、仕方がないとも思いました。

 

 徒歩12、3分で着き、観光案内所と多賀町のマスコットキャラクターである「たがゆいちゃん」のグッズ売り場を兼ねた建物に入って、一人だけいたスタッフのおねーサンに冊子のことを訊ねると、こちらの分も売り切れだと言うので、「佐目にはありますかね? これから行くので、まだ在庫がある販売所を教えてもらえれば寄りますが」と言うと、どこかに電話をかけて確認してくれました。電話をしながら「十兵衛屋敷跡にある十兵衛茶屋に置いておくそうです。何時頃行かれますか?」と訊かれ、「1時の愛のりタクシーで行きます」と応じ、「では、村の寄り合いで誰もいないので、料金は置いてある貯金箱に入れてください」などとやりとりをする中で、電話の相手が十兵衛会の方のように思えたので、ダメもとで「すいません、冊子の1種類はホームページでは売り切れになっていたのですが、1冊ぐらい残っていたら、そちらも売ってほしいのですが、あるか訊いてもらえないでしょうか?」と訊いたら、「探してあったら一緒に置いておくそうです」とのこと。彦根や多賀駅では肩透かしを喰らってガッカリしましたが、結果的にはラッキーでした。あと、多賀大社の愛のりタクシーの乗り場がわからなかったので、そちらも教えてもらい、心からお礼を言って案内所を出ました。若い頃は寄っている時間がもったいなかったので、まったく利用しなかった観光案内所ですが、最近は便利に使わせてもらって、本当に助かっています。

 

 絵馬通りに戻り、「一休庵」の前と教えられたタクシー乗り場を確認すると、11時半を過ぎていたので昼食を摂ることにし、観光案内所に向かっているときに前を通りかかって気になった「不二家」という店に入店。何故気になったかというと、村山たか女の住処という案内板があったからです。村山たか女といえば、井伊直弼の情人。反幕勢力の情報を送るなど安政の大獄で直弼に協力した罪で、直弼が暗殺された桜田門外の変のあと尊皇攘夷派に捕らえられて、三日三晩三条河原に晒されました。案内板によれば、彼女は多賀大社別当を務めた京都尊勝院の院主である尊賀上人と、多賀大社の境内にあった般若院の院主である藤山慈算の妹のあいだに生まれたとのことで、「不二家」の店主は母方の藤山家の子孫の方のようです。入ってみると食券を買う形式の普通の食事処だったので、近江牛かわかりませんでしたが、鍋焼きうどんの牛肉入りというメニューを選択。多賀観光協会発行のパンフレットに多賀の名産品として鍋焼きうどんが紹介されていたので。その説明によれば、遠方から多賀詣りに来る参拝者に夫婦鍋(フタとナベ)でうどんを煮込み、その中にかしわ、ねぎ、かまぼこ等々を入れ、人々をもてなしたとのこと。夫婦鍋で煮込むというのは、多賀大社の祭神がイサナギとイサナミの夫婦神であることに由来するみたいです。

不二家」の店の外に掲げられていた案内板

牛肉入り鍋焼きうどん。美味しかったので、たぶん近江牛だと思います。安土考古学博物館で食べた「近江牛のうつけうどん」の肉を思い出しましたが、やわらかい牛肉に具材の味が溶け込んだ汁がしみ込んでいて、より複雑な味わい。うどんの良し悪しは印象に残りませんでしたが、完成度の高い鍋焼きうどんでした。

 

 食事を終えると、多賀大社に参拝。式内社で旧官幣大社でもあり、『ホツマツタヱ』に登場するタガノミヤの跡なので、もちろん以前に来たことがあり、その時に隈なく見ているので、今回は拝殿と摂末社にお参りだけし、食後のコーヒー代わりに甘酒を飲むことにしました。

多賀大社境内全図

多賀大社の神橋。奥書院庭園と同じく、太閤秀吉の寄進によって造られたものなので、「太閤橋」と呼ばれています。

多賀大社拝殿。参拝客が多かったので、正面からは撮る気になれませんでした。

多賀大社本殿(鰹木しか見えませんが……)

境内にある大釜。江戸幕府が作った物で、神事に使われていたようです。

境内西側にある式内社日向神社(奥)と神明両宮。日向神社の現祭神は瓊々杵尊ことニニキネですが、ニニキネの宮はミズホノミヤ=水穂宮で、その跡は御上神社と思われるので、元々の祭神は、古くなった多賀宮を復興したウガヤフキアワセズか、ナガスネヒコの乱の時に多賀宮留守居を務めたクシミカタマだと思います。

 

 甘酒を飲み終わってもまだ時間があり、絵馬通りに近江牛専門店「千成亭」の支店があって、その隣に焼き立てを売る売店があったのを思い出したので、神社を後にして近江牛のコロッケを食べに行くことにしました。愛のりタクシーは、福井の明智神社に行くときに利用した「文殊山号」と同じく、時間が決まっていて基本的に1時間に1本で、1時間前までに予約しなければならず、よって時間変更はより遅い時間にしかできないので。前日に彦根でプレミアムコロッケを食べたので、今度は普通のコロッケを買って食べ比べてみようと思っていましたが、行ってみると、夢京橋キャッスルロードの店では注文してから時間がかかるとされていたメンチカツがすぐに用意できるというので、そちらを注文。参道を隔てたところにベンチらしきものがあったので、そこに座って食べることにしました。メンチカツにすると他の味が主張して近江牛の味が薄まるので、コロッケのほうが美味かったな、などという感想を抱きつつ味わっていると、数メートル先のタクシー乗り場にタクシーが停まっているのが目に入ったので、待たせるのは悪いと思い、急いで食べ終えて、参道を渡り店先のゴミ箱に紙を捨て、タクシー乗り場へと向かいました。まだ1時まで5分ぐらいあったのですが。

 

 またしても他に乗客はなく、途中から乗ってくる客もなく、どこにも停まらなかったので、10分ほどで上佐目停留所に到着。車を降りると、すぐに鳥居が見えたので、そちらに向かって歩き出しました。十二相神社に通じる参道でしたが、途中の左手に十兵衛屋敷跡を発見。雪に埋もれたキャラクターのパネルが出迎えてくれました。

十二相神社の鳥居。思ったとおりの残雪でしたが、通り道はきちんと雪かきがされていて、ほとんど残っていませんでした。

十兵衛屋敷跡のキャラクターパネル。向かって一番左の桔梗紋のあるパネルが明智光秀。光秀だけもっとアップで撮りたかったのですが、雪で近寄れませんでした。

十兵衛屋敷跡の十兵衛茶屋

 

 十兵衛茶屋に寄って、冊子が置いてあることと貯金箱は確認できたので、あとでゆっくり展示を見ようと思い、まずは「十兵衛くんが遊んだかもしれない」十二相神社に参拝。

十二相神社についての説明板

十二相神社。四本の杉は明らかに鳥居です。背後は小山のようだったので、古墳かもしれないと思いました。

 

 十二相神社は常駐の神職もいない小さな神社ですが、古くからの街道である国道306号線から脇に入って集落を貫くように真っすぐ伸びている参道と、山に囲まれた地形から、佐目が山間のわずかな平地にこの神社を中心にできた集落であることがわかります。現祭神は少彦名神。『ホツマツタヱ』にもスクナヒコナとして登場する神で、オホナムチの国造りを手伝ったことで知られます。しかし、この神社の分霊である岐阜県海津市の十二相神社の祭神は「天神七代地神五代」とのことなので、佐目に社を建てて祀られ、社名となっている「十二相神」も、元々は初代クニトコタチから十二代ウガヤフキアワセズに至る十二代の天神や天君だったのだと思います。

 

 スクナヒコナ主祭神になった経緯の真相は知るべくもありませんが、多賀大社でも境内社の一つである聖神社の祭神として祀られているので、オホナムチと共にタガノミヤを中心とした国土経営に寄与した神だったのでしょう。あるいは、十兵衛茶屋に貼ってあった資料にも六角氏関与の可能性が書かれていましたが、この地を治めていた六角氏が自分たちの氏神を勧請して祀ったのかもしれません。明智氏が本来土岐氏であるように、六角氏は佐々木氏で、佐々木源氏の氏神は安土の沙沙貴神社であり、沙沙貴神社主祭神は少名彦神なので、少名彦神は佐々木氏がこの地に根付いたときに十二相神社に勧請されて合祀され、佐々木氏の力が近江守護を務めるぐらい大きくなると、後から祀られた少名彦神のほうが主祭神になったのかもしれません。

 

 多賀大社末社である聖神社三宮神社と同殿で、三宮神社の祭神は四代、五代、六代の天君、摂社の日向神社は十代天君ないしは十二代天君……いずれも十二相神社で祀られている神々です。そして、佐目を通る国道306号線は鈴鹿山脈の鞍掛峠を越える山越えの古道で、七代天君イサナギ・イサナミ夫妻を祀る多賀大社と、夫妻の息子である八代天君アマテルを祀る伊勢神宮を繋ぐ道――つまり「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡にしたがって、お伊勢参りの参詣者がそのままお多賀参りに行くのなら通る最短距離で、306号線の佐目トンネルの入り口には「山越えの 伊勢人もあり 多賀祭り」という句碑もあるとのこと。その街道筋に初代から十二代までの天君を祀っていたと思われる十二相神社があるのです。果たしてこれは何を意味しているのか……。考えられるのは、十二相神社も古代の聖地の跡ではないかということです。『ホツマ』によれば、多賀大社の起源であるタガノミヤはイサナギの最後の宮、伊勢神宮の起源であるサコクシロウチノミヤはアマテルの最後の宮なので。はっきり言って、明智光秀の謎以上にミステリアスです。

 

 光秀が佐目の出身であるという説の根拠となっている『淡海温故録』には、光秀の二、三代前の祖とされる明智十左ヱ門が土岐成頼(土岐宗家当主で美濃守護)に背いて浪人し、六角高頼(近江守護)を頼って近江にやってきたので、高頼は「明智は土岐家の庶流で旧家であるから」と言って扶助米を与えた、と書かれています。よって食客のような待遇で迎えたのでしょう。しかし十左ヱ門が高頼に近いところではなく、佐目に居住することになったのは、高頼が彼を保護したことを人目に付かぬよう隠す必要があったか、さもなければ、故郷の美濃に近い佐目でなにがしかの役割を与えられたかのどちらかだと思います。もし後者なら、十二相神社が古代の聖跡で、佐目が中世以前から重要な土地であることがわかれば、その役割が何だったのか見えてくるかもしれません。

 

 十二相神社から十兵衛茶屋に戻ると、探して見つけてくれたのか2種類の冊子が置かれていたので、2冊分の代金を指示されたとおり貯金箱に入れたのですが、郵便ポスト形の貯金箱だったので、折りたたんだ紙幣が途中で詰まってしまいました。茶屋では手作りのストラップなどが販売されていたので、これでは後から来る人が困るだろうと思い、さらに強引に突っ込んでみたのですが、凹凸がありストレートな円柱形ではないため中で引っかかってしまい、奥に入れることも取り出すこともできず。進退窮まってしまったので、多賀観光協会に電話し、先ほど対応してもらったスタッフのおねーサンに事情を説明。すると、参道にある十兵衛会の集会所に置いておいてくれと言われたので、貯金箱を持っていき、玄関に置いておきました。

なんとか手に入れることができた『明智十兵衛光秀 謎多きルーツに迫る多賀出身説!』と『今、何故 光秀か』の2冊。佐目まで行った甲斐がありました。

 

 その後、茶屋に戻って展示を見ていたら、十兵衛会の関係者と思われる女性がやってきて、集会所の暖房を入れたので時間があったらお茶を飲みに寄ってと声をかけてくれたので、ひととおり展示されていた資料を読んだあと、集会所へと向かいました。貯金箱について説明したかったこともありますが、帰りの愛のりタクシーの時間までまだ1時間以上あったので。多賀大社停留所を13時3分に出発する愛のりタクシーの上佐目停留所着は時刻表によると13時25分で、30分ではゆっくり見られないと思ったので、14時発ではなく15時発を予約したのですが、1時10分には到着し、50分もあれば十分ゆっくり見られたので、お言葉に甘えて集会所で待たせてもらうことにしました。

キャラクターパネルの隣にあった『淡海温故録』についての説明板。こちらの前は雪かきがしてあり、すぐそばまで近寄れるようになっていたので、細かい文字も読むことができました。

茶屋に掲示されていた『淡海温故録』を取り上げた新聞記事。彦根藩筆頭家老の木俣守勝は一時光秀の家臣だったとか、興味深いことが書かれています。

茶屋に掲示されていた十二相神社についての説明。六角氏との関係について触れられています。

茶屋を出るときは晴れていて、山がとてもきれいでした。それにしても雪が深いです。こちらの看板にもこれ以上近寄れませんでした。

 

 集会所でとりとめのないことを話しながらお茶をいただいているあいだに、詰まっていた貯金箱の紙幣は道具を使って取り出してくれたので、貯金箱を茶屋に戻して集会所に戻ると、もう一人男性の方が現れて、光秀が掘ったとも伝わる「カミサン池」に案内してくれました。光秀を助け、光秀から「みつ」を賜ったが、本能寺の変後「見津」と書いて「けんつ」と読み、長らく謀反人扱いされてきた光秀との関係を隠してきたという見津家では、「この水を使うときには光秀さんに感謝しろ」と言われてきたそうで……声をかけてくれた女性も、案内してくれた男性も、どうやら今も集落に何軒か残っている見津家ゆかりの方のようでした。

カミサン池。池ではなく井戸でした。祠は最近作った物だそうですが、お地蔵さんの石像は昔からあったそうです。

 

 カミサン池から引き上げてくると、まだ3時まで10分以上あったので集会所に戻ったのですが、中に入る前に見えた停留所に車が停まっていて、派手なラッピングで見るからにタクシーだったので、玄関でお礼を言って辞去を告げると、集会所で待っていてくれた女性が「お茶を淹れ直したので、お茶菓子に出そうと思っていたのだけど……」と言って、「鬼まんじゅう。サツマイモが嫌いでなければ持っていって」と手に持っていたものを渡してくれました。「ありがとうございます。いただいていきます」と再びお礼を言って停留所に向かうと、派手なラッピングは島左近のイラストで、後で調べたら、ゲーム「戦国無双」のキャラクターのようでした。

 

 3時過ぎには多賀大社前駅に着きましたが、愛のりタクシーと同じく近江鉄道もこの時間帯は1時間に1本で、次の電車は15時27分発だったので、以前多賀に来たときに行ったことのある、駅に一番近いカフェでコーヒーを飲むことにしました。カウンター席が埋まっていて、一つずつあるソファ席とテーブル席が両方空いていたので、ソファ席に座ったのですが、その後立て続けに二人組の客が来て、最初のひと組は空いているテーブル席に座りましたが、ひと足遅かった次の二人連れはあきらめて出て行きました。前に来たときに周辺を歩きまわって駅の近くに他に店がないことは知っていたので、二人席に一人で座っていた私はなんとなく申し訳ない気持ちになり、罪滅ぼし的な気分で本日のケーキも注文。私が店に入ったときにはすでに三人全員が食べ終わっていたにもかかわらず、新しい客が来ても席を空けようとしないカウンター席の家族連れにはいささか腹が立ちましたが、文句を言えることでもないので、さっさと食べて飲んで店を出ました

 

 近江鉄道彦根駅に戻ってくると、コインロッカーの隣にある観光案内所内にある土産物屋に寄ってみたのですが、欲しいものがなかったので、ひこにゃんグッズを扱っている駅前の平和堂へ。残念ながらそちらでも欲しいものはなかったので、ひこにゃんの顔の焼き印を押したきんつばと、食料品売り場でタカラ缶チューハイを購入。帰りの新幹線は、乗り換えなしのひかりにこだわると早くて米原発16時57分で、それだと大河ドラマの開始時間に微妙に間に合わないため、米原発16時33分のこだまで名古屋まで行き、4分の乗り換え時間で17時6分発ののぞみに乗ることにしました。57分発のひかりに乗るより30分ほど早く品川駅に着けます。しかしその場合、缶チューハイを新幹線内で調達するとなると、こだまは車内販売がないため必然的に名古屋以降となり、運が悪ければまた車内販売のワゴンが来るのが遅く、静岡あたりまで飲めないということも無きにしも非ず。それは避けたかったので、事前にゲットしました。

 

 ロッカーから荷物を引き上げて、16時19分発の琵琶湖線に乗り、5分で米原駅に到着。ケーキを食べた上に、佐目でいただいた鬼まんじゅうもあったので、弁当類を買うつもりはなく、新幹線改札内のコンビニで酒のつまみになるようなスナックでも買おうと思っていたのですが、改札に行く途中に井筒屋の販売スタンドがあり、「元祖鱒寿し」を発見。以前これを求めて米原駅構内をさまよったこともある大好きな駅弁なので、とても素通りすることができなかったため、鬼まんじゅうは家に持ち帰ることにし、のぞみに乗り換えて名古屋駅を出発したあと、鱒寿しとチューハイで早めの夕食。これにて今回の遠征終了です。