羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

2023世界フィギュア感想とロシア勢不在について思うこと

 前回の記事の最後に触れましたが、昨日はさいたまスーパーアリーナ世界フィギュアアイスダンスフリーと男子シングルフリーの試合を観てきました。いつもは夕方から始まる試合の第3グループぐらいから観に行くのですが、今回は昼過ぎの12時半から始まるアイスダンスフリーの第2グループから観はじめ、最終滑走者のショーマが終わったのが夜の9時半という長丁場だったため、2回ほど会場の外に出て休憩をしました。よって全部の演技は観ていません。

25日の滑走順リスト

 

 アイスダンスはすごい試合で、かなだいこと村元哉中&髙橋大輔ペアは初めてノーミスの演技を披露してくれたのですが、その後に演技をしたペアも立て続けにシーズンベストを連発で、ミスらしいミスをしたのが、金メダルを獲ったマディソン・チョック&エヴァン・ベイツ組ぐらい。ただし、このペアは転倒で1~2点減点されても優勝は決まりだろうと確信できる圧倒的な内容でしたが。

 

 それに比べると、ショーマこと宇野昌磨選手は、男子フリーで2連覇を達成しましたが、5回挑んだ4回転ジャンプの精度が低く、ベストには程遠い出来でした。怪我の影響もあったのでしょうが。規制退場だったので、遅くなるのと混雑を避けてショーマの得点は見ずに会場を出ましたが、正直なところ、フリーは直前にほぼノーミスで演技をしたチャ・ジュンファン選手にかわされたかと思いました。ショートの貯金があるので、優勝はできるだろうと思っていましたが、帰りにスマホで確認して金メダルを獲れたことを知ったときには、ホッとしました。チョック&ベイツ組のように1~2点引かれても勝てるというような余裕はなかったので。帰宅して改めて調べると、フリーの得点は196.51で、ジュンファンとは0.12点差という僅差。「かわされたか」という感想がそれほど的外れでもなかった、ギリギリの1位でした。ショーマは今シーズン、ネイサンやユヅに対抗できる高難度のプログラムを作り、シーズンを通して滑り込んで自分のものとし、格上の二人がいないシーズンとなろうともレベルを下げるという安全策を取りませんでした。今大会も、本調子でないながらも、今シーズンやると決めた5本の4回転をダウングレードせずやり遂げました。それが最大の勝因だったと思います。

 

 まあ、一方のジュンファンも、ノーミスではありましたが、振付がない部分の手の使い方などがまだまだ甘く、言葉は悪いですが、出来の悪い羽生結弦を見ているような印象。しかも音楽が007で、「ユヅタイプのジュンファンにキムヨナの勝利の方程式を持ってきたら勝てると思ったのか、ブライアン。韓国の選手だからって、いくらなんでもそれは安直だろう」と思いました。ジュンファンのコーチで、キムヨナ、羽生結弦を育てた名伯楽のはずのブライアン・オーサー氏のらしくない稚拙な戦略のせいもあってか、ショーマに比べるとこれがチャ・ジュンファンのスケートという個性があまり感じられなかったので、金メダリストになるためにはもう少し精進が必要だと思います。ともあれ、銀メダル、おめでとう!

 

 そういう意味では、やはり群を抜いて素晴らしかったのが、ジェイソン・ブラウン選手。彼のコーチもジュンファンと同じブライアンですが、ブライアンに師事したときには、すでにジェイソンのスケートはできあがっていたので、あまり大きな影響は受けず。今回は総合5位でしたが、彼には4回転ジャンプがないので仕方がありません。それでもフリーの演技構成点は95.84で、金メダリスト宇野昌磨選手の93.38を超えて断トツの1位。バレエジャンプやスピンの時のキャッチフットのフリーレッグの脚の伸び方など誰も比較にならないほど美しすぎて、かなだいの演技に続いて泣きました。バレエのようなスケートは、もはやアートだと思います。北京五輪以降、競技活動を休止していたジェイソン。全米選手権で復帰し、世界選手権の代表権を手に入れ日本に来てくれて、現役を続けてくれて、本当にありがとう。

 

 ジェイソンの次に滑ったケヴィン・エイモズ選手もよかったです。プログラムの持つ世界観を一番表現していたのは彼でした。スケーティングも個性を発揮していましたし。スピンなど独自性の高い技が随所に見られました。技術点、演技構成点、完成度のバランスが一番取れていたのは彼の演技だったと思います。グラディエーターという役柄も彼に合っていましたし。エイモズ選手はフランスの代表なのですが、同じくフランス代表だったフィリップ・キャンデロロさんを思い出しました。彼の三銃士は、いまだに語り継がれる名プログラムだと思います。

 

 銅メダルのイリア・マリニン選手は、この大会でも4回転アクセルを見せてくれました。……なのですが、ジャンプが全体的に大きな加点を望めないクォリティだったので、4回転アクセルの練習をする前に、それぞれのジャンプの完成度を上げたほうがいいのではないかと思います。4回転アクセルは難しいわりにそれほど基礎点が高くなく、他の4回転ジャンプでも加点が付いたら簡単に超えられてしまうぐらいの点数にしかならないので。いずれにしろ、今回の出場は自己紹介のようなもので、これからの選手だと思いますが。

 

 世界選手権にロシア勢が参加していないことについて、ネットでいろいろな意見を見ますが、誰がいようといまいとメダルの価値は変わらないと思います。確かに、女子シングルはロシアが強いので、ロシア代表が参加していたら坂本選手は勝てなかったかもしれません。けれども勝てたかもしれず、それはやってみなければわからないことです。ただ、ロシア代表が国際大会に出場できない現状においては、4回転やトリプルアクセルを跳ばなくてもミスをしなければ勝てるので坂本選手は跳ばないのです。それは戦略で、ロシア勢の4回転に対抗するためトリプルアクセルにこだわり、その結果怪我をして目標としていた北京五輪出場を逃し、今も怪我と付き合いながらの演技しかできない紀平梨花選手とは実に対照的です。大技の習得を捨てて自分の長所を伸ばすことを選んだ坂本選手は、五輪に出場しただけでなく、銅メダルを獲得してオリンピックメダリストにもなりました。坂本選手は回転数の多いジャンプは跳べませんが、ロシア勢を含めた他の選手は4回転やトリプルアクセルは跳べても坂本選手のようなスピードと高さ、そして幅のあるジャンプは跳べません。跳べないから回転数の多いジャンプを跳ぶことで点数を稼ごうとしたのです。出来栄え点という形でスピードや高さ、移動幅などジャンプの質の高さで点が取れるのなら、服薬してまで身体増強しなければできない、怪我のリスクが高い技などやる必要はないと思います。今はそういう選択肢を認めたルールなのですから。この選択肢の存在は、フィギュアスケートの演技の種類の幅を広げるためにも、また、無理はしないしさせないということで選手の健康のためにも有効だと思います。昔からジャンプ偏重には不満があり、このブログでも何回か書いていますが、「跳べばいいってもんじゃない」とずっと感じていました。実際、トゥルソワ選手の演技など4回転をいくつ跳ぼうが何度観てもいいと思えなかったし。スケートの好みや演技に対する感想は人それぞれだと思いますが。

 

 自分以外の参加不参加は、選手のせいではないし、彼らにはどうにもできないことです。今までにもオリンピックイヤーの世界選手権は引退したり休養したりで、世界で一番実力があると思われる選手が不在の大会がたびたびありました。世界王者であるディフェンディングチャンピオンが怪我で翌年の出場を回避することもありました。それでもその年の世界一を決めるとされる世界選手権の金メダリストであるという事実に変わりはありません。誰々がいたらと仮定をすることは自由ですが意味のないことで、自分の力ではどうにもならない自分のこと以外の状況に恵まれるという運を味方にする点も含めて、そのたたかいの場に居合わせて一番のパフォーマンスをした人が文句なしに勝者であり、その栄誉に見合った称賛を受けるべきだと思います。

 

 ということで、改めて、坂本選手とショーマ、2連覇おめでとう! 「りくりゅう」こと三浦璃来&木原隆一ペア、初優勝&グランドスラム達成おめでとう!

 

 彼らの努力が、目に見える最高の結果をともなって報われた、素晴らしい大会だったと思います。

会場の外にあったショーマこと宇野昌磨選手のパネル

Point of Victory~大谷翔平と坂本花織に見た、勝負の分かれ目における勝ち切る強さ

 野球のWBC優勝&フィギュアスケートの坂本花織選手の世界選手権2連覇、おめでとうございます。この二つの試合、凄いものを見せてもらいました。しびれました。事実は小説より奇なりということはわかっているつもりでしたが、「いや、実際にこんなことってあるんだ」と、改めて思い知らされ、唸りました。

 

 まずはWBC。テレビで観はじめたのは決勝戦の8回表、この回から登板したダルビッシュ選手が1点差に追いつかれてからという、本当に最後の最後だけなのですが、9回表に大谷選手に継投し、いきなりフォアボールを与えてノーアウトの同点ランナーが出て、しかも打順が下位から1番にまわり、「おいおい、大丈夫かよ」とハラハラしていたら、セカンドゴロのゲッツーで、あっという間にツーアウト、ランナー無し。そして迎えるバッターはトラウト選手という大谷選手のエンゼルスの同僚で、シーズン中には絶対に見られない貴重な対決。大谷選手は明らかにこの打者で終わるつもりだという160キロ台を交えた渾身の投球で、トラウト選手も粘りに粘ってフルカウントまで持っていき、最後は気持ちいいぐらいフルスイングの空振り三振でTHE END、これぞまさしく「翔タイム」でした。誇張ではなく息を止めて見入った手に汗握る最終回の1イニングを見たときに、この二人で決着がつくのなら、きっと双方のチームメイトも納得するのではないかと思いました。侍ジャパンは大谷選手がトラウト選手に打たれたのなら仕方がないと思うだろうし、米国チームもトラウト選手が大谷選手に抑えられたのなら仕方がないと思えるのではないかと……それぐらいの名勝負でした。また、こうも思いました。アメリカで行われる試合でスーパースターを揃えた本気の米国チームに勝って後腐れなく終わるためには、クローザーはやはりアメリカ大リーグのスーパースターである大谷翔平でなければならなかったのかもしれないと……。彼ならばアメリカのファンたちも仕方ないと思え、二人の対決を名勝負だったと思え、負けたけどいい試合だった、悪い大会ではなかったと思えるのではないでしょうか。

 

 坂本選手は、最終滑走のフリー演技の後半に入っている得点源のトリプル+トリプルのコンビネーションがパンクして、最初のジャンプが1回転フリップになったのに、続く3回転トゥループを何事もなかったかのようにクリーンに跳んでコンビネーションジャンプを成立させたのを見て、目が点になりました。パンクした後にまともなジャンプを跳べるのがまず素晴らしいのですが、それがトリプルとなると、ちょっと記憶にありません。失敗ではなく最初から1回転+3回転が予定されていたかのようで、点数もそのコンビネーションジャンプが成功したときと同等に評価され、加点も付いて5点以上稼いでいました。そしてショートとフリーの総合得点で銀メダルとの差は4点もなかったので、パンク後の3回転トゥループが跳べていなければ金メダルは獲れなかったということになり、結果的にこのジャンプが勝負を決めることになりました。

 

 おそらく勝利というものに偶然はないのだと思います。必ず勝負を決めるポイントがあり、勝てるかどうかはその一瞬にかかっているのだと思います。大谷選手のようにヴィクトリーロードに続く決定的な場面を手繰り寄せられるか、自分が主役になれる舞台を作れるか、坂本選手のように勝ち札を選ぶ判断がとっさにできるか、二人が見せた、ここが勝負の分かれ目と、見ている人も納得する決定的な瞬間を制し、乗り越えることができるか、どんなたたかいにおいても、それが勝利のポイントのような気がします。

 

 ……やばい、涙が止まらない。今、世界フィギュアの会場であるさいたまスーパーアリーナに来ていて、ショーマの演技を見る前にこの記事をアップしたかったので、製氷の時間などに昨日書きはじめた文の続きを書いていたのですが、数分前にかなだいのフリーダンス「オペラ座の怪人」を見終えました。これはちょっと言葉になりません。ついにやり遂げたノーミスの、今の力を出し切った演技……大ちゃん、素晴らしい演技を、そして偉大なる挑戦を見せてくれて、ありがとう(涙)

会場の外にあった「かなだい」こと村元哉中&髙橋大輔両選手のパネル。目標の10位には惜しくも届きませんでしたが、納得の演技だったと思います。

半分以上が自叙伝ポエムの壮大なファンサ~羽生結弦 ICE STORY 2023「GIFT」at 東京ドーム感想

 3月になりました。例年どおり一か月以上前から花粉症になっていたのですが、急に暖かくなった数日前からクシャミ、鼻水、目のかゆみが酷くなり、たいそう難儀しています。症状に波はありますが、これがゴールデンウイーク明けまで続くのですから、毎年のこととはいえ、困ったものです。

 

 さて、先月は、月初に仕事仲間と箱根の仙石原に行く予定があったのですが、当日ロマンスカー箱根湯本駅に着いたとたん具合が悪くなり、貧血で顔面蒼白、冷や汗ダラダラ。数時間経ってようやく歩けるぐらいまで回復しましたが、仙石原まではとても辿り着けそうになかったので、あきらめて一人で帰ってきました。そんなことがあったので、飛び石連休も関西に行くつもりだったのですが、中止することに。宝塚の東京公演のチケットが2公演続けて取れず、星組花組を見逃したので、平安時代が舞台の月組は絶対に見逃したくないと思い、大劇場のチケットを取っていたのですが、友人が東京公演のチケットを平日のマチネではありますが私の分も手配してくれ、大劇場のチケットもリセールに出して売れたので、予約していたホテルをキャンセル。当初の予定どおり24日の金曜は仕事を休んで4連休にし、懸命に体調維持に努め、26日に参戦してきました、東京ドーム。

会場入り口の22番ゲート上の電光掲示

 

 平昌オリンピック後の進化によって、ここ数年ようやく「頂点を極めた者にしか見えない、辿り着けない、頂のその先にあるスケート」を見せてくれるようになったユヅこと羽生結弦氏。ライバルは過去の自分という領域に達した者だけが見せられる、より洗練されたパフォーマンスにやっとなってきたなと嬉しく思っていたら、現役引退の知らせ……。残念ながら、競技生活を離れてしまえばスケーティング技術はともかくジャンプなど大技の技術は衰えていく一方なので、選手時代の演技がまだ可能なうちに生で観ておきたいと思い、一か八かでチケットの抽選を入れました。東京ドームなら近いし、東京ドームに初めてアイスリンクを作るというのも、どんなものか見てみたかったので。

 

 で、めでたく当選したので行ってきたのですが、はっきり言って、かなり退屈なショーでした。半分以上ユヅが自分で自分のスケート人生を語るポエムだったので。過去のプログラム演技➡演技時間以上のポエム➡演技➡ポエムのくり返しで、「アイスショーを見に来たつもりだったけど、ファンの集いに参加しちゃったよ、トホホホ」という感じ。私は羽生結弦ではなく羽生結弦のスケートが好きなので、「こんなにポエムを聞かされてもなぁ」と思ってしまいました。五輪2連覇を達成した人です。並々ならぬ努力をし、その陰で人一倍苦しんだであろうことは、ここで改めて語られなくても容易に想像がつきますから。そんな思いも、スケートに込めて氷上でなら存分に表現してくれてかまわないのですが、言葉で滔々と語られてもな……朗読が上手いプロの役者でもイケボというわけでもないし。まあ、スケーターの出演者が羽生結弦一人だけで、ユヅが滑り続けられるのが、せいぜいプログラム1本+αなので、こういう構成になるのも当然かとなかば納得しながらも、「この調子で何時までやるのだろう」と頻繁に時計を見、会場は暗いしポエムの内容も暗いので、気が付くと頭がカクンと下がっていて拍手や歓声でハッとして顔を上げる、の連続。起きているときは遠いリンクを見つめながら、自然といろいろ考えてしまいました――「『氷艶』のほうが断然おもしろくて、コスパもよく、エンターテインメントとして完成度が高かったな」等々。

 

 披露された演技はほとんど過去に試合で使っていたプログラムで、ユヅらしいといえば実にユヅらしいのですが、もはや競技ではないのに一切妥協せず、試合と同様にクワドもアクセルもやっていました。ショーでは珍しいそれらの高難度ジャンプを見られたのはとても嬉しかったのですが、心配したとおり、ベストの状態は長続きせず、第二部で演じた「オペラ座の怪人」ではジャンプをミスっていて、明らかに疲れているように見えました。羽生結弦が手を抜けない人間であり、フルスロットルの前半を考えれば、時間とともに疲労が募ってきて後半はクオリティダウンすることは十分事前に予想でき、それを見越してあらかじめ対処はできるはずなので、「これはオペラやバレエ公演並みのお金を取るエンターテインメントのショー構成としてはどうなんだろう」と思いました。一人でやり遂げることは素晴らしいことですが、ここまで大がかりで、多くのスタッフの力を借り、これだけの観客を動員するからには、もう少し完成度の高いショーを見せてほしかったです。ショーの半分以上がスケートとはほぼ関係のない映像を流しながらのポエム朗読の上、整氷休憩が40分というのは、アイススケートのショーとしてはあまりに密度が薄すぎて、高いチケット代に見合っていないと感じました。これぐらいの金額を取らないと、東京ドームに氷は張れないのだろうとは思いましたが。

 

 また、今回演技を続けて見たことによって、羽生結弦の演技はどれもほとんど同じであるとも感じました。リンクが遠かったせいもあるかと思いますが、たとえスタンドA席からの観戦であっても、各スケーターが滑るスケートの違いや演技のテイストの違いはわかります。けれども、ユヅの演技は音楽が異なるだけで、基本的に同じで、見せ場が高難度ジャンプとイーグルとハイドロ、それと恵まれた体形を活かしたルックスの美しさを見せつける演技。なので、彼の演技が好きな人は何を見ても気に入るだろうけど、私は「ノッテ・ステラータ」が終わったところで気が済んだというか、規制退場に引っかかって足止めを食らうくらいなら「あとはもういいや」という気になったので、混雑を避けてひと足早く退場しました。そして家に帰るなり衝動に駆られて、髙橋大輔氏の「道化師」「道」「ブルース・フォー・クルック」 「eye」「オペラ座の怪人」「スワンレイク」の動画を立て続けに視聴。リアルタイムでテレビか生で観戦しているし、今までに何度もYouTubeなどにアップされている動画を再生して見ている演技ですが、今見ても見入ってしまい、やはり私にとってのベストスケーターは今も大ちゃんだと再認識しました。今は見入るぐらいで済んでいますが、リアルタイム観戦の時は手汗をかいていたり、身震いしていましたから――バンクーバー五輪の「道」とか、世界フィギュアの「ブルース」とか、全日本の「道化師」とか。

 

 ということで、私にとっては、熱烈なファンでもないのにファンミーティングに参加してしまったような、場違いなところに来てしまった感のある少々座りの悪い微妙なアイスショーではありましたが、後ろの席は何語かわからない外国人でしたし、前の席はシニアの女性4人組で「感激しちゃって涙出る~」とか言っていたので、感動した人もきっとたくさんいるのだと思います。多様な国籍、年代を問わない人々を惹きつけ、感動を与えることができる羽生結弦というスケーターは間違いなく稀有な存在であり、文句なく凄いし、尊敬に値すると思っていることは紛れもない事実です。今回のショーも、これはこれで、新たにいくつかの発見があった貴重な経験だったので、結果的には行けてよかったと思っています

 

※3月4日追記

 平日は時間がないので、たいてい一週間分の新聞を週末にまとめて読むのですが(それゆえ遠征があると、ものすごい溜まる)、「オペラ座の怪人劇団四季ロングラン・キャスト」を聴きながら3月2日の朝日新聞を読んでいたら、「GIFT」についての全面記事(羽生結弦氏と黒柳徹子氏の5段広告含む)がありました。それによると「約3時間にわたるショーで貫いたテーマが「ひとり」と「夢」」だそうで、「自分の歩みを物語風に描いた」前半と「リアルに自分を掘り下げた」後半に分けられていたそうです

 

 その記事の中に、「フィギュアスケートの中に『羽生結弦』という新しいジャンルのエンターテインメントを作れた。これからどう進化させていけばいいのかという思いは正直ある」という文があり、カッコ書きだったのでユヅ本人のコメントだとすれば、言い得て妙だと思いました。確かに、「羽生結弦」は今やエンターテインメントの一ジャンルで、それゆえ彼は、「羽生結弦」というエンターテインメントが観客の期待を裏切らないためにはどう進化していけばいいのだろうと考えているのでしょう。そこに他のフィギュアスケーターの存在はありません。競技選手を終えたあとのスケーターたちのセカンドキャリアの可能性を模索して『氷艶』を試みた大ちゃんとは真逆の方向性だと思いました。競技人生後のスケーターの“セカンドキャリアの模索”という意味では共通項があるかもしれませんが。まあ、仕方がないです。ユヅがやっているのは「羽生結弦」というジャンルのエンターテインメントなので……。それは今までにない新しいジャンルであり、かつ他の誰にもできないジャンルなのだから、支持してくれる人がいるかぎりその道を邁進していけばいいと思います。

高橋幸宏氏の訃報に寄せて

 本日のBGMは、YMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ―」です。

 

 YMOの三人のメンバーの一人である高橋幸宏さんが1月11日に亡くなりました。以前の記事でも触れましたが、小中学生時代、日本の歌謡曲には目もくれず洋楽を聴きまくっていた私は、日本のミュージシャンで新譜が出るたびに聴いていたのはYMOぐらいだったので、また一時代が終わってしまった……という感じ。特に、幸宏さん作の一世を風靡した名曲「ライディーン」は聴くだけでなく高校時代には踊りまくった思い出深い曲なので、悲しいというよりも、自分を構成している一部分を剥ぎ取られたかのようで、脱力感が大きく、少々腑抜けた状態です。

 

 YMOが解散するとき、「散開コンサート」というのを日本武道館でやったのですが、母親同伴で入口まで行きました(笑)。当時は埼玉の川越に住んでいて、子供が夜に一人でそんな遠いところに行ったらダメと親に止められたのですが、どうしても観たくて、その頃は方法もわからなかったのでチケットも取っていなかったのですが、当日券とかあるかもしれないと泣きついて、根負けした母親が一緒に行く条件で許してもらったのです。ところが、そのコンサートはチャリティーライブで、観客は招待客のみとのこと。よって、当日券の販売はおろか、あの頃たくさんいたダフ屋の一人もいなかったので、漏れ聞こえてくる音を背にしつつ母親に慰められながら九段下の坂道を帰りました。幸宏さんの訃報を聞いて、「そんなこともあったよなぁ」と久しぶりに思い出しました。そんな貴重な思い出があるミュージシャンもYMOぐらいです。

 

 YMOはファーストアルバムの「イエロー・マジック・オーケストラ」も、解散近くの「浮気なぼくら」や「サーヴィス」もいいのですが、そのあいだに発表された「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ―」「増殖」「BGM」「テクノデリック」の4アルバムが素晴らしいと思っています。「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ―」は「ライディーン」だけでなく、タイトル曲の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ―」も幸宏さんの名曲だし、教授(坂本龍一氏)の名曲「テクノポリス」「ビハインド・ザ・マスク」も入っている大傑作です。「増殖」は「ナイス・エイジ」。幸宏さんと教授の共作ですが、YMOで1番好きな曲かもしれません。この曲はとにかく幸宏さんのボーカルがいい。「BGM」は1番好きなアルバムで、「バレエ」「千のナイフ」「キュー」「ユーティー」が好きですが、全体の流れがよくて隙がない。「テクノデリック」は「灯」と「KEY」、「階段」や「京城音楽」も好きです

 

 YMOも、後にも先にも類がない唯一無二のバンドだと思います。散開コンサートには行けませんでしたが、リアルタイムで彼らの音楽活動に接することができたのは幸運で、紛れもなく財産の一つです。確実に、その後の音楽世界を広げてくれましたから

 

 幸宏さん、今でも聴きたいと思う曲をたくさん残してくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りします

 

 そしてたまたまですが、教授、誕生日おめでとう。先日のNHKのように、時々でも演奏が聴けると嬉しいですが、お体を大事にしてください。

岐阜寺社遠征~白川八幡神社、明善寺in白川郷

 先々週の木曜金曜に輪島と金沢で仕事があり、土曜に帰ることにしていたので、帰る前に白川郷に行ってきました。当初はまだ行ったことがない越前二宮の剣神社か、10月1日にオープンした一乗谷朝倉氏遺跡博物館にでも行こうかと考えていたのですが、そこまで自分で移動するのが面倒くさくなり、とはいえ、もはや金沢や富山で見たいものもなかったので、さてどうしようかと思っていたら、金沢駅発着の白川郷日帰りバスツアーというのがあったので、そちらに参加してきました。

輪島の白米千枚田。世界農業遺産です。もう稲刈りが終わっていました。

千枚田の隣にある道の駅「千枚田ポケットパーク」から見える七ツ島

輪島寿司処「伸福」の地物にぎり

 

 時間に縛りがあり自由に動けないので、海外旅行も含めてツアーにはあまり参加しないのですが、昨年公共の交通機関ではどうにも効率よくまわるのが難しい出羽三山に行くために利用し、思っていたよりも満足できたのでその後も利用するようになり、5月にも有田&久留米での仕事ついでに博多駅発着の高千穂バスツアーに参加しました。アクセスが悪いところは公共交通機関を乗り継いで行けたとしても本数が少なく、結局は電車やバスの時間に合わせなければならないので、自由時間がある程度設定されているツアーならば、滞在時間はそんなに変わらないように思えました。

 

 しかも、ここ数年はコロナ対策でバスが密にならないように定員も少なめで、参加者もほとんどが一人か二人参加。なので、今のところ車内でうるさく喋ったり集合時間に遅れたりする困った客に遭遇することもなく、その意味でも快適に利用できていました。しかし水際対策が緩和され、全国旅行支援が始まった今後は、外国人も含めて旅行者が増えるので、そうもいかなくなる気がし、ならば、ツアーの参加者も少ない今のうちに、人出が多くなりそうな世界遺産に行っておくかと思い、参加。白川郷世界遺産なので一度行ってみたかったのですが、特にこれが見たいというものがあるわけではないので、なかなか腰が上がらなかったのですが、今までの経験により、遠征しているときに歩きまわるのが困難な気温ではなく、嵐の襲来もなく雨風の心配もない好天という条件は、望んでも揃わないことは身に沁みてわかっていて無駄にしたくなかったので、今回いい機会だと思い、訪れることにしました。

 

 ということで、9時過ぎにホテルをチェックアウトして荷物を預かっておらうと、20分に金沢駅西口の集合場所に行き、9時30分に出発。カリフォルニアからの参加者がいたので、ネクタイを締めたサラリーマンのような男性の添乗員が日本語に続いて英語でガイドをしてくれました。途中で1回トイレ休憩があり、10時45分に白川郷荻町城跡展望台に到着。

荻町城跡にある世界遺産の碑

天守閣展望台からの風景

寄るとこんな感じ。

 

 11時過ぎに展望台から下って「いろり」という店に到着すると、いったん解散して12時45分に再集合し、その店で昼食だったので、まずは添乗員サンに教えられた、どぶろくと栃の実のジェラートを食べに行きました。昼食の前後だとボリューム的に厳しいと思ったので。そのあと、事前リサーチでちょうど例大祭であることを知ったので、白川八幡神社へと向かいました。

 

 白川八幡神社例大祭は「どぶろく祭り」として知られる白川郷の秋の風物詩で、五穀豊穣、郷の平和などを祈願して、神社の酒蔵で独特の製法で醸造されたどぶろくが神に捧げられ、参拝者にも振る舞われます。コロナ禍で規模を縮小し、民俗芸能の奉納などの主要行事は中止となったみたいですが、どぶろくは振る舞われていたので、参拝後、拝殿で「例大祭」の文字が入った御朱印をいただくと、特設テントで記念盃を購入し、どぶろくをいただいてきました。多少酸味が強かったのですが飲みやすく、とはいえアルコール度数は14度ほどあり、空きっ腹にはきくはずなので、先に栃の実、どぶろく、和栗のジェラート3種盛りを食べておいてよかったです。安心して、勧められたお代わりも飲み干してきました。

和田家からの道

神田家

稲刈りの終わった田と明善寺庫裡

白川八幡神社拝殿

白川八幡神社の釈迦堂。見事な茅葺き屋根です。

釈迦堂の仏像

釈迦堂についての説明

どぶろく祭の記念盃と例大祭御朱印

 

 続いて浄土真宗の寺である明善寺に行き、庫裏と本堂を見学。およそ200年前――江戸時代末期に建てられた明善寺の庫裏は五階建て合掌造りとして最大のものだそうです。

明善寺の茅葺きの鐘楼。奥は本堂。

鐘楼についての説明板

庫裏の中から見える隣の合掌造り

庫裏の中から見える本堂の茅葺き屋根

庫裏の屋根裏。庫裏は郷土館になっていて、昔の道具が展示されています。いただいたパンフレットによると、蚕の飼育場だったそうで、柱が黒いのは、焚火の煙によって、欅や檜が漆塗りのような光沢を放っているとのことです。

見学の最後に居間の囲炉裏でくつろげます。白木が焚火の煙で黒くなるほど生活の中で囲炉裏を使うことによって建物が燻され住居の耐久性が高まったそうですが、囲炉裏を使う機会が減ったことにより、40~50年に一度だった茅葺きの葺き替えの周期も短くなっているそうです。

 

 明善寺を出ると12時半だったので、庄川沿いの秋葉神社に寄ってから、メイン通りではなく本覚寺の前の道を通って「いろり」へと向かいました。

秋葉神社から「いろり」に向かう途上の合掌造りその1

秋葉神社から「いろり」に向かう途上の合掌造りその2

秋葉神社から「いろり」に向かう途上にあった石碑

こんなのもいました。赤いボディと黒地に白抜き文字の名前のインパクトが強すぎて、思わず立ち止まってガン見してしまいました。「ひだっち」……いったい何者? シッポがあるから猫? 知らなかったので後で調べたら、飛騨高山PRキャラクターのようです。そういえば、白川郷は高山と同じ飛騨地方でした。昔の飛騨国ですね。

 

 再集合時間の5分前に着きましたが、添乗員は見あたらず、どうしたものかと思っているとドライバーが店内に案内してくれ、食事会場に入ると、ほとんどのツアー参加者はすでに食事を始めていました。そんなに見るところがなかったのかと思いましたが、添乗員に合掌造りはどれも同じだから内部を見るのは一つでいいと言われたので一つだけ見学し、あとは添乗員おすすめのビュースポットに行って写真を撮るぐらいなら大してかからず、買い物もしないのなら時間も余るかと思いました。

「いろり」の昼食。鍋は飛騨牛の朴葉味噌焼きです。

 

 1時10分過ぎに食事を終えて、食事処に隣接する土産物屋でどぶろく羊羹と添乗員おすすめの紫蘇もなかを買い、出発まで15分ほどあったのでメイン通り界隈をぷらぷら歩いていると、豆菓子専門店の豆吉本舗があったので、白川郷店限定の飛騨どぶろく豆と飛騨栃の実豆、それとレジ前に中津川の新杵堂の栗きんとんがあったので購入。「石川県から来たけど、そういや白川郷って岐阜県だったな」と改めて思いました。県が違えども金沢市のほうが岐阜市より断然近いですが。

食後の散策で出合った合掌造りとススキ

 

 出発時刻の5分前にバスに戻ると、今度は自分が最後で、席に着くなり、全員が揃ったということで、予定より5分早い1時25分に出発。途中で富山県福光町にある「ささら屋」の本店に寄り、白エビせんべい2枚の手焼き体験を経て、予定より10分早い15時10分に金沢駅に到着しました。渋滞にハマったりして駅に着くのが遅くなっても焦らないように、帰りの新幹線は16時48分発のかがやきにし、まだ1時間以上時間があったので長町あたりに行ってもよかったのですが、スマホの電池が4%ぐらいしかなく、途中で電池切れとなり、写真を撮るのも決済をするのもできなくなりそうだったので、あきらめてネットで駅近くでコンセントがあるカフェを探し、ヒットしたハイアットハウスのラウンジで一服することに。充電しながらコーヒーでも飲もうと思っていましたが、店に行ってみるとスパークリングがあったので、そちらを注文。どぶろくを飲んだせいで、昼食の時にはアルコールを飲む気になれず、お茶だけで済ませたので、ちょうどいい感じでした。節電のため控えていたネット検索やメールのチェック、写真の整理などをしながら1時間ほど過ごし、16時20分に店を出て、駅構内のホテルに寄って荷物を引き取ったあと、もうアルコールはいらなかったので、スタバでコーヒーを購入。30分過ぎに改札を入ると、金沢が始発のため、すでに車両が入線していたので乗車。これにて遠征終了です。

ハイアットハウス金沢のHバー。初めて行きましたが、静かでよかったです。

 

兵庫寺社遠征 その2~家島神社、射楯兵主神社

 姫路城プレミアムツアーの翌日は、チェックアウトタイムが11時で朝食も付けていなかったので、起きられなければギリギリまでダラダラするつもりでしたが、思いのほか早く起きられたので、10時半にチェックアウトし、予定どおり家島に行くことにしました。瀬戸内海の大小44の島々で構成される家島諸島のメイン島です。

 

 フロントに荷物を預かってもらうと、神姫バスの駅前案内所へ行き、前日に観光案内所で教えられたバスと船の往復割引チケット「しま遊びきっぷ」を購入。10時40分発の姫路港行きバスに乗り、間に合うか微妙でしたが、乗船券を買う必要がなかったので、なんとか間に合って11時05分発の高速いえしまに乗船。家島の中心は真浦港ですが、目的は名神大社の家島神社だったので、宮港で下りることにしました。乗った船はたまたま宮港経由の真浦港行きだったので、11時36分には宮港に到着。観光案内所で港から海岸沿いに徒歩15分ほどと聞いた家島神社に向かって歩きはじめました。

家島の宮港と高速いえしまの中型船。真浦港から乗った帰りの船がこれでした。

 

 ……が、前日に続き、この日も気温28度というけっこうな暑さ。ところが降水確率が0%だったので、手荷物を少なくするため、預けた荷物に傘を入れてきてしまい、帽子もなかったので、水分だけはまめに取ろうと思い、さっそく水を飲もうとしたら、ホテルの冷蔵庫から取り出して入れたと思っていたペットボトルがバッグの中にありませんでした。「どこかで調達しないとまずいぞ」と焦りましたが、港の周囲を見まわしても店や自販機がなかったので、とりあえず神社に向かって進むことにしました。途中に食事処が1軒あるはずだったので。

家島神社に行く途中にあった海神社。神戸市に本社がある播磨国の並名神大社です。海神三神を祀っているので、海を司る神ということで分祀されたのでしょう。社も海を向いていましたし。

 

 期待どおり「割烹旅館志みず」の前の道路脇に自販機が設置されていたので、お茶と見間違えて抹茶ラテを購入し、ひと息入れると、旅館の前は海水浴場になっていて海辺に続く階段があったので、行ってみることにしました。

家島の海

清水の浜海水浴場から見る家島神社の鳥居

家島神社の鳥居と防波堤

 

 社務所神職がいるのなら12時前に着くのがいいだろうと思ったので、海水浴場を通り過ぎてからは休まず歩き、12時10分前に鳥居前に到着。

家島神社の鳥居

鳥居と社号標と万葉歌碑

社号標と灯籠

万葉歌碑

参道から見る鳥居

参道の階段。170段あるそうです。

 

 参道は、海沿いから階段を上るルートと、ホタルロードという山道ルートがあり、170段の階段を登り切ると社務所があり、右手にホタルロードから来たときの鳥居があります。

山道ルートの鳥居と社号標。左の手水舎の奥が階段&海沿いルートの参道入口。右奥は社務所のようでしたが閉まっていました。真ん中が社殿に通じる参道ですが、よく見ると右に曲がっているので社殿は見えません。

由緒書き

拝殿が見えてきましたが、参道は真っすぐではありません。果たして、いずれの神を封じ込めているのやら……。

 

 由緒書きによれば、家島神社の祭神は大己貴命、少名彦命、天満天神。大己貴命と少名彦命は、海神社と同じく播磨三大社に数えられる名神大社で播磨一宮である伊和神社の祭神なので、家島に播磨の国の神が分霊されて祀られたと考えられます。しかし当社は“家島神の社”であり、曲げられた参道から判断すると、本来の祭神は封じられた神であると思われます。天満天神は菅原道真のことなので封じられた神――正真正銘祟り神ですが、後から合祀された神なので家島神ではないでしょう。おそらく、家島の地主神が本来の祭神ではないでしょうか。

拝殿

拝殿の扁額

本殿(左から)

本殿(右から)。鰹木は4本と思われます。

 

 拝殿内に神職がいたので御朱印をいただけるか訊ねたのですが授与していないとのことなので、おみくじを引くと、来た道を戻るのはつまらないので、ホタルロード経由で真浦港を目指しました。

おみくじ。前日の凶から小吉まで運勢が回復しました。

ホタルロードから見える男鹿島と宇和島の二島。男鹿島はメチャクチャ削られているのがわかります。

清水公園の東側

清水公園の西側

 

 散策マップによると、ホタルロードの途中から遠見遊歩道という海岸沿いに出る道があったので、そこを通っていこうと思ったのですが、遊歩道の入口に着くと、その先は原生林内のただの山道で、イノシシ注意の看板が。昼は出ないと書いてありましたが、何かに遭遇してもその日の寺社詣りスタイルではとても対処できないと思ったので、あきらめて道なりに車道を歩き、途中で右折してすれ違うのもやっとの幅が狭い階段を通って海沿いに降りるルートがあったので、そちらを選択。平地が少なく斜面を宅地利用している島にはよくある細道ですが、レンタサイクルを借りると、こういう場所は通れません。幅1メートルもない路地裏みたいな階段をしばらく下っていたら鳥居が見えたので、GPSで調べたら宮浦神社でした。

白髭霊祠こと宮浦神社

宮浦神社の由緒書き。家島神社に行く途中にあった海神社は当社の境外末社のようです。

境内末社の竃社

本殿。鰹木は5本。家島神社より多いです。

 

 平日には島民の足として走っているコミュニティバスも土曜は午前中しか走っていないので、ひたすら真浦港に向かって歩き、25分ほどで到着。港の近くにある食事処も2時には閉まるとの情報を得ていたので、1時半にはラストオーダーだろうと思い、一番最初に発見した「料理旅館おかべ」に入店。すでに客は一人もおらず店じまいの準備に入っている様子でしたが、予約がないけど食事ができるか訊くと「どうぞ」と言われたので、カウンターに座り、これなら閉店間際でも確実にできそうな、お任せの内容で、おすすめメニューである「家島海の幸セット」を頼むことに。この日の内容を確認すると、お造り中心とのことで、暑い中2時間ほど歩いてきて疲れてもいたので、当然のことながらレモンチューハイも注文。お茶と間違えて抹茶ラテを買ってしまったので、よけいに喉が渇いていました。

料理旅館おかべの「家島海の幸セット」。この日のメインは鯛のお造りで、引き締まった歯ごたえのある身が美味しく、魚の種類は不明ですが、煮つけもタタキも食べられて、写真には写っていませんが、このあとフライも出てきて、すべてが魚の味がしっかりしていて、島の味を堪能しました。

 

 バスの案内所でもらったリーフレットによると要予約の店が多いとのことで、時間的に余裕があったら食事をするつもりだったので予約は入れられず、したがって食べられたらラッキーぐらいの気持ちでいたのですが、ガッツリと海の幸を味わうことができ、大満足で食事を終えると、ランチタイムが終わる2時に店を出て真浦港へ。上陸したのが宮港で、場所がわからなかったため、まずは乗り場を確認すると、次の姫路港行きの船の出発時間は14時30分だったので、近くにあるはずの真浦神社に行くことにしました。案内板を見ると、「どんがめっさん」という名所がすぐのようだったので、そちらに寄ってから神社へと向かいました。

「どんがめっさん」

「どんがめっさん」についての説明

真浦神社

真浦神社についての説明板

本殿。鰹木は宮浦神社と同じく5本。

 

 説明板によれば、当社は「家島の神の摂社」で、明治期に真浦神社と改称される前は荒神社と呼ばれていたとのこと。……ということは、家島の地主神である本来の家島神とは、こちらの荒神だったと思われます。荒ぶる神だからこそ封じる必要があったのでしょう。説明板には、当社の祭神は奥津彦神と奥津姫神とも書かれていましたが、これは荒神三宝荒神と混同され、三宝荒神は竃の神なので、同じく竃の神である奥津彦神と奥津姫神に比定されたからだと考えられます。つまり、本来の祭神ではないはずです。

 

 では、本来の荒神の正体は――というと、これこそ家島神だったのではないでしょうか。島に本土の播磨の国神が勧請されたことにより、島の地主神である家島神は本社から摂社の祭神に格下げされて荒神社に祀られたのだと思います。もっと穿った見方をすれば、家島が播磨国支配下に入ったときに、島の地主神である家島神は播磨人に祟るかもしれない荒神となり、その神を封じ込めるために播磨の国神の分霊が島に呼ばれ、その結果祭神が交代し、家島神社の本社には大己貴命と少名彦命が祀られ、摂社に荒神として家島神が祀られることになったのではないでしょうか。宮浦神社には境内末社として竃社がありましたが、おそらくそれは竃社の祭神が元々は奥津彦神と奥津姫神ではなく荒神だからで、比叡山の僧である覚円が比叡山に近い近江高島白髭神社から猿田彦神を勧請し当社を建てると、土地の地主神である家島神も一緒に祀った名残なのだと思います。あるいは、宮浦神社の鰹木が真浦神社と同じく家島神社より多い5本であることから考えると、家島神という荒神を祀った名残である竃社が最初は宮浦神社の主祭神で、猿田彦神末社の祭神であったのが、逆転したのかもしれません。家島神社で家島神が大己貴命主祭神の立場を取って代わられたように。

 

 その他、真浦神社と宮浦神社の両方に蛭子大神を祭神とする境内社の恵美酒社があったことも興味深かったです。西宮神社の記事でも書きましたが、えびす神は面倒くさく、恵美酒=えびす=蛭子=ヒルコ=ヒヨルコ=淡島=スクナヒコナという関係性が成り立つ、実に複雑な神です。よって、播磨一宮の伊和神社から分霊されて家島神社に祀られたのは大己貴命だけで、スクナヒコナ=少名彦命は真浦神社と宮浦神社の蛭子大神と同一神であり、家島諸島の隣に位置し、えびす神の生誕地である淡路島の信仰の影響を受けて祀られた可能性もあります。また、蛭子=ヒルコ=昼子=和歌姫=天照大御神でもあるので、宮浦神社で天照皇大神が祭神とされているのは、境内末社である恵美酒社の蛭子大神が転化して本社に合祀されたからかもしれません。一緒に祀られている底筒男神は境外末社である海神社の祭神がやはり本社に合祀されたのでしょう。真浦神社の三社宮は播磨国総社からの分霊とのことですが、宮浦神社に天照皇大神と底筒男神が祀られていたから総社から神明社の天照皇大神と住吉社の底筒男神が勧請され、家島神社の現祭神が大己貴命だから金刀比羅宮大己貴神も勧請されたのだと思われます。厳密に言えば、金刀比羅神とは大己貴=オホナムチのことではなく、オホナムチの孫のことですが……。宮浦神社の祭神の中で武甕槌神だけが他では祀られていなかったので由来の想像がつきませんでしたが、あとは辻褄が合って理に適っていたので、やはり神社研究はフィールドワークが大事だと思いました。

 

 出航10分前に真浦港に戻ると、すでに列ができていたので並び、高速いえしまの中型船に乗車。行きの船より大きくデッキも広かったので、船室から出て瀬戸内海と浮かぶ島々を見ながら家島を後にしました。

船から見た家島神社の鳥居

家島神社の鳥居と島々

右から男鹿島、宇和島、太島、鞍掛島(多分)

男鹿島の全景

帰りの船から振り返って見た家島

 

 3時に姫路港に着くと、15時05分発の姫路駅行きバスに乗り、20分ほどで駅前に到着。それから姫路城方面に行く乗り場に移動すると、ちょうど書写山ロープウェイ行きのバスがいたので乗り、姫路城大手門前バス停で下車し、そこから徒歩3分ほどの射楯兵主神社へ。式内社なので、最初に姫路城を訪れたときに一度訪れたことがあるため、時間があったら寄ることにしていました。

神門。播磨国総社で姫路城の鎮守でもあるので立派です。

境内案内図

 

 当社の祭神は射楯大神こと五十猛神と兵主大神こと大国主神。どちらもソサノヲの子で、五十猛神紀伊一宮の伊太祁曽神社主祭神大国主神出雲大社主祭神でもあります。紀伊はソサノヲの生国で、出雲は終焉の地で鎮座地ですから。この大国主神大己貴命のことなので播磨一宮の伊和神社の祭神でもあり、すなわち家島神社の現祭神でもあります(厳密に言えば、大国主神とは大己貴命の子ですが)。ということは、紀伊から淡路島→家島→姫路→宍粟(伊和神社)を通って、伯耆国日本海に出て出雲に至るルートがあったのではないかと考えられます。

本殿。二間社流造です。

播磨国総社の鳥居。この奥に播磨国16郡の神が祀られ、国司はこちらを参拝すれば、現地に出向かなくても16郡の神を参拝したことになりました。

鹿島神社と琴平社(左)。真浦神社の末社である金刀比羅宮はこちらからの勧請。

戸隠社と神明社(左)。真浦神社の末社である神明社はこちらからの勧請。

富姫を祀る長壁神社。最初は姫路城がある姫山に祀られていましたが、姫路城築城のため総社の境内に遷されました。しかし城主の池田輝政が病に罹ったときに富姫の祟りという噂が立ったので、輝政が改めて天守に祀りました。それゆえ姫路城天守と総社にあるそうです。

 

 参拝して御朱印をいただき、境内をひと巡りして射楯兵主神社を後にすると、近くに大きな鳥居があったので、姫路神社かと思って行ってみたのですが、護国神社で、興味がなかったためスルーし、最寄りのバス停にちょうど姫路駅行きのバスが来たので乗車。

射楯兵主神社から護国神社に向かう途中にあった城見台公園から見る姫路城。どこから見ても絵になる城です。

 

 姫路駅前に着くと、ホテルに寄って荷物を引き取ってから駅に戻って特急券を発券し、駅構内のコンビニで例によってタカラ缶チューハイを調達。昼食が豪勢だったので駅弁は少々重いと思いながら、ツマミを求めて駅ビル内をふらついていたら、フードコートみたいなところに「姫路玉子焼き」という看板があったので、ピンと来てテイクアウト。いわゆる明石焼で、大好物なのでラッキーと思っていたのですが、荷物が多い状態で、だし汁のパックが斜めってこぼれないように真っすぐ持って歩くのはけっこう大変で、たこ焼にしておけばよかったと思いました。

 

 5時過ぎののぞみに乗車し、これにて遠征終了です。

兵庫寺社遠征 その1~円教寺

 昨日一昨日と輪島と金沢で仕事だったので、今日は白川郷に行き、8時過ぎに帰ってきました。白川郷の記事はそのうち書きますが、まずは3連休に書きかけて途中で終わっている兵庫遠征記をこの土日で仕上げたいと思います。

 

 さて、姫路城を見たあと、プレミアムナイトツアーまで時間があったので、西国三十三所第27番札所である円教寺に行ってきました。草創1300年記念行事を機に西国三十三所巡りもしているので、次に姫路を訪れたときには必ず円教寺まで足を延ばさなければならない、それも記念行事が終わる2023年3月までには――と思っていたところに姫路城の特別公開があったので姫路行きに固執していたのですが、今年の夏はとんでもなく暑く、姫路城だけならまだしも、高低差があり広い書写山の境内を歩いてまわるのは相当厳しいだろうと思ったので、お盆休みの姫路遠征は断念した次第です。

 

 で、9月に仕切り直したわけですが、まだ日中は28度ぐらいあったので快適とは言えず、しかし歩くのが苦というほどの気温ではないので、当初の予定どおり奥の院まで行くつもりで大手門前バス停へと向かいました。書写山ロープウェイ行きのバスは1時間に3本で、次は姫路駅前発が12時35分だったので、その2、3分後のはずでしたが、バス停の前に鱧や牡蠣を食べさせる魅力的な店があり、客もひと組いるだけで席も空いていたので、急きょ昼食を摂ることに。店の前の看板にあった鱧の蒲焼き丼を食べるつもりでしたが、席に着いてメニューを見せてもらうと、気になるものが他にもたくさんあり、ちょうど暑くて喉も渇いていたので、レモンサワーを頼み、すべて単品でつまむことにしました。プレミアムナイトツアーにはコース料理が付いていましたし。

鱧の蒲焼き風。養殖鱧についての説明も一緒に出てきました。

蒸し牡蠣。あまりに美味だったので、焼き牡蠣も頼んでしまいました。

マアジのハンバーグ

食事をした「はりかい」。大手前通り沿いの店なので、席によっては姫路城を見ながら一杯飲めます。私は人通りを避けて、家老屋敷跡公園に近いほうの席で、大通りを見ながら飲んでいましたが。

 

 どれもこれも好みの味だったので、レモンサワーをお代わりし、すこぶる上機嫌で店を後にしました。結局最初乗るつもりだったバスより2本遅いバスに乗り、30分ほどで書写山ロープウェイバス停に到着。姫路城に行く前に姫路駅構内にある観光案内所に寄り、そこで教えてもらったバスとロープウェイのセット券を駅前のバス案内所で買っていたので、直接乗り場に行ったのですが、15分ごとの運行で、ちょうど行ったばかりで次の出発まで10分ほどあったので、外にあったトイレに寄ることに。外観が銭湯の玄関風で中も広い、姫路城より入りやすいトイレでした。姫路城ではトイレに入らなかったので、中の様子は比較できませんが。

書写山山内図

 

 14時発のロープウェイに乗り、下車して道なりに歩いて入山受付に着くと、入山料は500円でしたが、別途500円の特別志納金を納めると観音堂の摩尼殿までシャトルバスで連れていってくれるそうなので、計1,000円を納め、すでに待っていたマイクロバスに乗車。奥の院まで行くので極力体力を温存したく、文明の利器の力を借りることにしました。入山受付から摩尼殿までは歩くと25分ぐらいで登り坂。500円で登山を省略して楽ができ、20分を短縮できるのなら安いものです。時間も体力も限りがあるものなので。

 

 円教寺は「西の比叡山」とも呼ばれる天台宗の別格本山で、比叡山伯耆大山と並ぶ三大道場の一つです。標高371メートルの書写山の山上に広がる境内は東谷、中谷、西谷に区分され、西国三十三所札所の中でも最大規模を誇るとのこと。映画やドラマのロケ地としてもよく使われ、トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」などもこちらで撮影されました。実際に羽柴秀吉の中国攻めにあたっては境内に陣がしかれたそうなので、これ以上ないロケ地だと思います。開山は性空上人で、上人が康保3年(966)に入山し、西谷に庵を結んだことが当寺の起源。入山受付でもらったパンフレットによれば、摩尼殿の本尊は如意輪観音で、御本尊の像は上人が根のある生木の幹に彫ったものだそうです。現在年に1回公開しているのは、この像を模して昭和時代に造られた像らしいですが。

摩尼殿。独特の舞台造りです。

円教寺の案内図

摩尼殿からの景色その1

摩尼殿からの景色その2

久しぶりに凶を引きました。「万事我たのみにおもふものにうらぎりせらるるかたちなり」……つい最近思いあたることがあり、かなり凹みました。おみくじ、侮れず。

 

 観音様にお参り後、御朱印をいただくと、性空上人が悟りを開いたという白山神社に行こうとしたのですが、山道で険しかったので途中で断念し、三つの堂へ。三つの堂とは大講堂、食堂、常行堂のことで、いずれも国の重要文化財です。大講堂の裏山には白山神社に通じる道があり、この山道はまだ歩けたので、白山神社まで行って同じルートで戻ってきました。靴などの装備がしっかりしていれば、摩尼殿の横から白山神社を経由して大講堂の裏に抜けられ、同じ山道を引き返すようなつまらないことをせずに済んだのですが、仕方がありません。夕食がレストランでコース料理なので、山登りスタイルというわけにはいきませんでした。

白山神社

白山神社についての説明板

白山神社の隣にあった末社。本社も末社も山の中にあります。

 

 白山神社の説明板によると、性空上人の入山以前からこの地には素戔嗚尊を祀る堂があり、その起源は神代に素戔嗚尊が一宿したからとのこと。ゆえにこの山を「素戔の杣」と呼び、書写山の名はそれに由来するといわれているそうです。つまり、素戔の杣=スサノソマ=ソサノソマ=ソサノヤマ=ショシャノヤマ=書写山と転化したということなのでしょう。素戔嗚=スサノオ=ソサノヲなので、スサ=ソサの転化はよく見られますが、ソサ=ショシャならば、かなり訛った転化です。ともあれ、性空上人はソサノヲゆかりの地であることを知っていて、それゆえに他でもないこの山を修行の場に選んだことはまず間違いないと思うので、古刹が存在する地にはやはりそこが選ばれた理由があり、古代の神々の聖地である可能性が高いことが今回も認められました。比叡山はヒヱノカミ=比叡神=日枝神=日吉神ことヤマクイの聖地であり、高野山はタカノカミ=高野神ことイブキドヌシの聖地、西国三十三所の札所である長命寺観音正寺には磐座があるので、こちらも神代の聖地であり、中山寺にも古墳があったので古墳時代の聖地です。

 

 三つの堂の食堂内は宝物館で、仏像や鬼瓦などの寺宝が展示されていて、無料で自由に拝観できるようになっていました。

大講堂。左は食堂。

食堂。圧巻の建物でした。

食堂2階から見る大講堂

食堂2階から見る大講堂と本多家墓所

円教寺の年譜。今年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」ですが、元暦元年(1184)には、源頼朝が平家追討祈願のため梶原景時畠山重忠らを遣わし不断経を読ませたそうです。

食堂の前にある本多家墓所。姫路城オーディオガイドに登場した本多忠刻と宮本三木之助の墓もここにあります。

本多家墓所についての説明板

奥の院の開山堂(左奥)と不動堂(右)。開山堂も国の重要文化財です。

奥の院の開山堂と護法堂(右の二つ)と護法堂拝殿(左手前)。両護法堂も護法堂拝殿も国の重要文化財です。

 

 奥の院から金剛堂、榊原家墓所、鐘楼、松平家墓所などを見て、再び摩尼殿の下まで来ると、バスは往復乗れるのですが、時間的に余裕があったので、帰りは歩くことにしました。摩尼殿前にある端月茶屋の脇道を通り、十妙院、金輪院、壽量院などの塔頭を横目に見つつ、仁王門、入山受付を通り抜けてロープウェイ乗り場へ。

十妙院の説明板。赤松満祐ゆかりの寺院が残っていて、それが西国三十三所札所の塔頭で建物が重要文化財だなんて、少々驚きました。六代室町将軍である足利義教を暗殺した人物なので……。非は義教にあり、満祐は被害者ということで、ゆかりの寺院が維持されて残ったのでしょうか。

仁王門

東坂から見える景色

入山受付の近くにある看板。行きは気づきませんでした。

 

 入山受付の近くにあった看板の説明によると、書写山和泉式部と縁が深く、一条天皇中宮藤原彰子性空上人の教えを受けたくて書写山を訪れたときに、上人は権力者と関わりたくなくて居留守を使って面会を回避したので、中宮は失望して山を下りようとしましたが、側仕えの女房であった和泉式部が上人に歌を届け、その歌に感銘した上人は、中宮のために仏の道を説いた――とのことです。そのとき上人に送られた歌が「冥きより 冥き道にぞ入りにける 遥かに照らせ山の端の月」。恋多き女性で恋歌の秀作が多い和泉式部ですが、この歌の作者だからこそ間違いなく名歌人だと私が認める和泉式部の最高傑作です。この歌を贈られた性空上人が折れて中宮に面会したというのが実に現実的で、上人の心境がよくわかります。上人は橘氏の出身で出家前は都の貴族だったそうなので、文化的素養があり、歌の心を汲み取ることができる人物だったのでしょう。

和泉式部の歌の逸話を伝える看板。『拾遺和歌集』の詞書には「性空上人のもとによみてつかはしける」とあるだけで、場所も、性空上人が何者かもわからなかったので、大好きな歌ですが、書写山が関係しているとは今の今までまったく知りませんでした。

 

 1300年記念特別印入り御朱印をいただき、ソサノヲの聖地であることが確認でき、赤松満祐や和泉式部の意外なエピソードを知り、たいそう実のある参詣だったと大満足で、16時15分発のロープウェイに乗車。35分発の姫路駅北口行きバスに乗り、好古園前バス停で降りて、プレミアムナイトツアーの集合場所である姫路城迎賓館へと向かいました。