羽生雅の雑多話

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フランス旅行記 その3~中世の城塞都市と「オステルリー・デュ・ペルージュ」inペルージュ

 翌14日の朝食は8時で席をお願いしていましたが、出発準備が整ったので、15分ほど早く夕食と同じブラッスリーに行きました。

 
 昨日と同じくホットミール付きのメニューを頼んだつもりでしたが、いつまで経ってもヨーグルトや卵料理が出てくる気配がないので、席に着いたときにオーダーを取りに来たスタッフに「コンチネンタル」と頼んでいたI氏に、それって普通はホットミールなしの簡易メニューではないかと訊くと、部屋にあったメニューに書かれていたのは「コンチネンタル」と「エクスプレス」だけなので、ここでは「エクスプレス」がいわゆるコンチネンタルブレックファーストで、「コンチネンタル」がイングリッシュブレックファーストのはず――などと話していたら、パンだけでお腹がいっぱいになったので、もう頼まなくていいかということになり、食事を終えました。部屋にあったメニューを確認すると、「コンチネンタル」――ホットミール付きのメニューは8時からで、それより前はおのずと「エクスプレス」になるようでした。厨房が開いていないとか、まだシェフがいないからだと思いますが、レストランホテルに泊まってそんなに早くから朝食を食べるのは急いでいる人という認識なのかもしれません。

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「ミシェル・シャブロン」の朝食~「エクスプレス」バージョン
 
 部屋に戻ると、前日はいろいろと余裕がなくて食べられなかったウェルカムフルーツが残っていたので、「フルーツや野菜が足りなければ、それを食べればいい」と言ってI氏に勧めました。量的には普段の倍以上の朝食を食べて、前日の夕食も通常より食べているのだから、私はもう十分でした。果物はプラムかと思いましたが、見覚えのあるマデイラ島で買った折りたたみナイフを取り出して、皮を剥きカットして食べはじめたI氏に訊くと、「杏」とのことでした。
 
 その後、せっかくなのでフロントに頼んで開店前のブティックを開けてもらい、店内を見させてもらいました。ミシェル・シャブランのホームメイドの物が売っていたら欲しかったのですが、仕入れ商品ばかりで、オリジナルは朝食に出たジャムぐらいしかなかったので、何も購入しませんでした。I氏が食べて気に入ったというマーマレードと、お土産用に配るマロンクリームを買ってくれたので、わざわざ鍵を開けてくれたスタッフに面目が立ちましたが。
 
 そうこうしているうちにチェックアウトタイムの11時前となったので、11室しかない建物の2階の部屋でエレベーターがないため、早めに部屋を出てスーツケースを持って階段を下り、1階のフロントでチェックアウト後、駅までタクシーを呼んでもらいました。
 
 タクシーが来ると、フロントのおねーサンが玄関の外まで出て見送ってくれ、ミシェル・シャブランを後に。タクシーはまたもや見覚えのない道を走っていましたが、前日のことがあるので気にしないでいたら、これまた全然見覚えのない駅に到着。最初は駅の反対側なのかと思いましたが、料金はいつもより5ユーロ高い30ユーロで、駅舎がどう見ても新しい……どうしても昨日と同じ駅とは思えないので、ヴァランス駅かとドライバーに確認すると、ヴァランスTGV駅だと言う。あえて「TGV gare」と言ったのに引っかかって、ヴィエンヌはヴィエンヌ駅なのにヴァランスはヴァランス・ヴィレ駅で「ヴィレ」=ヴィレッジが付いていることに思い至ると、もしやヴァランス駅は二つあるのではないかと思い、改めてヴァランス・ヴィレ駅に行きたいのだと行ったら、ドライバーも違うことに気づいて、再び走りはじめました。行き先をただ「駅」と言ったので勘違いされたようです。いや、勘違いではなく、外国からの旅行者でリヨンに行くと言えばTGV駅を利用するのが普通のようで、ただ「gare」と言われれば、ホテルのスタッフもドライバーもTGV駅と思うようでした。
 
 ヴァランスTGV駅は新横浜駅新大阪駅みたいなもので、ヴァランス・ヴィレ駅とは違う駅であり、歩ける距離にはありません。あとで地図を見たら、ヴァランス・ヴィレ駅からグルノーブル方面に行く在来線で一駅行ったところでした。何回か乗っているリヨンやマルセイユへ行く線とは違う路線なので、見覚えがなかったのです。その日の我々の行き先は「フランスで最も美しい村」の一つとして知られるペルージュで、リヨンを経由するためTGVでもよかったのですが、TGVの時間がわからない上に、なおかつリヨンからペルージュへ行く直行電車は2時間に1本で、その電車に合わせてヴィレ駅から12時29分発のリヨン・パールデュー行きに乗ることにしていたので、急いでヴィレ駅に行ってもらいました。
 
 電車の時間を確認して飛ばしてくれたので12時には着いて、料金は51ユーロのところをまけてもらって50ユーロ。倍の値段を支払う羽目になりましたが、自分たちの落ち度なので、フロントのおねーサンもドライバーのおにーサンも責められません。まさしく、ちゃんと調べろ、曖昧なことは言うなという学習代で、いい教訓になりました。
 
 駅の窓口に行くとけっこう混んでいて並びましたが、なんとか間に合って切符を買い、予定どおりの電車に乗車。リヨン・パールデュー駅に13時40分に着いて、有料トイレに寄ったあと、14時12分発のアンベリュー・アン・ビュジェイ行きに乗り、約30分でメクシミュー・ペルージュ駅に着きました。
 
 ヴィエンヌやヴァランスの駅前における経験から予想はしていましたが、タクシー乗り場はあっても、タクシーはおらず。メクシミュー・ペルージュ駅はペルージュ村の最寄り駅ですが、村は丘の上にあり、駅そのものは麓のメクシミュー町にあります。わりと都会だったヴァランスと違って田舎町の駅で、駅前には店もなく車も少なく、待っていてもタクシーは来なさそうな上に連絡先もなかったので、とりあえず歩いていき、町の中心地を通るので、そこで拾えたら拾うかということになりました――『地球の歩き方』によれば、駅から村までは約2キロ、徒歩20分とのことだったので。
 
 サン・ヴァリエ駅のように駅舎が閉まっていたら困るので、開いているときに買っておこうということで、翌日のリヨンまでの切符を購入。帰るときに判明したのですが、この駅の駅舎はアンベリュー・アン・ビュジェイ行きが停まるホーム側にあるのですが、反対側のリヨン行きが停まるホームに渡る手段が駅構内にはなく、いったんリヨン方面のホームに行ってしまうと、線路を挟んで向かい側のホームに隣接する駅舎に行く手段が見える範囲にはありません。帰りにホテルの人に駅まで送ってもらったときに、「リヨン方面か?」と訊かれると同時に「切符は持っているか?」と確認されたのですが、そういうことかと納得しました。詳しくはよくわかりませんが、ICカード対応みたいな機械はあったので、地元民はそれでチェックして乗車するのだと思います。
 
 観光で街歩きをしていれば1時間ぐらいはあっという間に経ってしまうので、20分ぐらいなら歩けない距離ではないのですが、目指す村は丘の上で、したがって途中から登り坂になり、スーツケースを引っ張りながら砂利道の歩道を歩くとなれば、まあ無言になります。
 
 話す気力もないため、それぞれのペースで黙って歩いていると、「フランスで最も美しい村」の看板を発見。村の入口のようで、観光客もちらほらいて、右に車が通れない急な坂道があり、左に学校があるらしい車道があって、迷わず左を選んだら、住宅地で、学校は見つかっても中世の街の面影はまったくなく、途中で案内板があったので確認すると、目的地である城壁は反対側で、このへんはハイキングルートのようでした。
 
 案内板を撮影し、そこにあった地図に従って住宅地を抜けて田舎道を歩いていると、右手にペルージュの城壁の全体像が眺められました。道に迷った結果ですが、この場所に来ないと見られない風景なので、疲労は大きいが、迷ったのも悪くなかったとI氏と話していました。

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ル・ぺアージュの村落よりペルージュ城砦。暗雲がまるで上空から襲いかかるようなドラマティックな風景で、私の大好きなエル・グレコの「トレド風景」を思い出しました。
 
 しばらくして左に曲がる前に歩いていた車道に出たので、メクシミューとは反対方向に数十メートルほど歩いて今度は右に曲がり、他に歩いている人など誰もいない、城壁に向かう急斜面を登りきると、何軒かの店とツーリストインフォメーションがありました。その日宿泊予定のホテル「オステルリー・デュ・ペルージュ」は城壁内の中心にある広場の前にあったので、何回か迷いながらも坂道をさらに登って城門を越えると、その先はロードス島の旧市街より石が大きい石畳になり、だましだまし転がしていたスーツケースのキャスターがいよいよ機能しなくなったので、荷物を持ち上げて進みました。いったい何の苦行かと思いました。
 
 ようやくレストランを併設する「オステルリー・デュ・ペルージュ」がやっているテイクアウトのガレット屋が見えたので、歩くのはやめて、私が荷物の番をし、I氏が近くにあるはずのホテルを探しに行きました。しかし見つけられたのはレストランだけだと言って帰ってきたので、「レストランで訊いてみたら?」と言って、また行かせました。そうしたら今度はユニフォームを着た女性と一緒に戻ってきました。受付はレストランだが、ホテルは別棟とのことで、これから案内してくれるとのことでした。

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「オステルリー・デュ・ペルージュ」のホテル棟。向かって左にある扉から入っていきます。
 
 私が荷物の番をしていた通り沿いにある古めかしい建物の、プライベート扱いになっている閉ざされた木製扉の閂のような鍵を女性が開けると、建物の入口が現れて、入るとすぐに石造りの螺旋階段があり、2階に上るとラウンジ、その奥に客室がありました。

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個室に行く前にあるラウンジ。壊れたピアノなどもありました。
 
 もはやヘトヘトだったので、到着した時点ではさして感慨もなかったのですが、次第に落ち着いてくると、古くて博物館所蔵品級の調度品がそのまま生かされて使われている素晴らしい部屋に、感動もひとしおでした。アンティークはガラスケースに納めて眺めるのも悪くはありませんが、使ってこそよさがわかり、真の価値がわかると思っているので。いいものほど使わないともったいないです。

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裏庭より。建物の一番左側の窓が、今回泊まった部屋の窓になります。

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裏庭のテラスのベンチより城壁外を望む。
 
 室内のビロード張りの椅子や裏庭のテラスのベンチで少し休んでから外に出かけて、城壁内を散策。城壁内は直径200メートルほどの大きさなので、スーツケースなどの大荷物がなければ、すぐに一周できます。インフォメーションで20セントで買った日本語リーフレットによると、ペルージュはイタリアのペルージャから来たガリア人の一団により拓かれた町で、有事の際にルグドゥム(現在のリヨン)に危険を知らせるための塔が建設され、12世紀に城砦が築かれたとのこと。14世紀から16世紀のあいだはサヴォイア公国とドーフィネ公国が奪い合い、その後はフランスとサヴォイア公国(ペルージュの日本語リーフレットでは「サヴォア公国」)のあいだで争われましたが、1601年にフランスの領土となり、現在に至るそうです。サヴォイア公国はのちにイタリア王国の一部になったので、どちらかといえばペルージャから入植してきたローマ帝国ガリア植民地時代から長らくイタリア的な色合いが濃い町だったのだと思います――人も文化も。
 
 フランス領となったあとは織物業で栄えましたが、産業革命により激変。人々は鉄道が通った便利な丘の下の町メクシミューに移り、ペルージュは住む人もまばらとなり、20世紀初頭には人口がわずか8人というところまで落ち込み、人々が捨てた古い街並みだけが残されて、それも手入れがされないため、時とともに崩壊の危機にさらされました。しかし、1911年に至って保存委員会が設立され、町の修復にあたり、歴史的建造物の認定を受けて保護されるようになり復活、近年は「フランスの最も美しい村」にも認定されて、リヨンから日帰りで行ける人気の観光地となっています。
 
 ちなみに「フランスの最も美しい村」というのは、クオリティの高い遺産が多く残る田舎の小さな村の歴史遺産の価値の向上、歴史遺産の保護、そして観光に関連した経済活動の促進を目的に1982年に設立されたフランスの最も美しい村協会によって定められた村のことで、下記の基準のもと、現在150余の村が認定されています。

・人口が2000人以下で、都市化されていない地域であること
・歴史的建造物、自然遺産を含む保護地区を最低2か所以上保有していること
協会が定める基準での歴史的遺産を有すること
・歴史的遺産の活用、開発、宣伝、イベント企画などを積極的に行う具体的事案があること
 
 途中で名物のガレットを食べたりしながら、のんびりと歩いて村を一周し終わったので、あとは博物館でも見ようかと思ったら、30分後には閉館だったため、見学は次の日にまわし、店が閉まる前に気のきいた土産物でも探すかということで、インフォメーション近くにあったハーブショップに行って物色しました。オイルの他、薬用のハーブがいろいろ売っていて、ホットワインを作るときに赤ワインに混ぜるスパイスみたいなものがあったので、試飲させてもらったのですが、普通に赤ワインをそのまま飲んだほうが美味しいだろうという味だったので、無難な石鹸などを買いました。

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石畳と石造りの建物の街。マルタ島のイムディーナの路地を思い出しました。イムディーナもペルージュと同じく丘の上に築かれた中世の城塞都市で、ヴァレッタの前に首都だったこともありましたが、現在は人口300人ほどの落ち着いた静かな町で、「静寂の街」という異名があります。

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花で飾られた枯れ井戸
 
 そうこうするうちに日が暮れてきたのでホテルに戻り、7時の夕食の予約に合わせて10分前に部屋を出て、広場の前にあるレストランへ行き、まずは受付へ。部屋にあったホテルガイドにタクシーの依頼は12時間前までにするように書かれていたので、夕食の前に頼むことにしました。来た道をまた歩いて駅まで行くつもりは到底なかったので……。翌日は13時16分発のリヨン・パールデュー行きに乗る予定だったので、12時半に来てもらうように頼むと、送ってくれるとのこと。12時がチェックアウトなので、それまでには部屋を出て、12時半にレストランの受付に来てくれとのことでした。

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村の中心、菩提樹広場から見る「オステルリー・デュ・ペルージュ」のレストラン。

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レストランの正面玄関。中に入っていくと、カウンター兼ホテルの受付があります。

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レストランの中。誰もいませんが、暗くなったら、こちらの席は全部埋まりました。
 
 店内は時間が早いせいか、客はまだ誰もいませんでしたが、受付のおじサンに案内されて、遠慮なくテーブルに着きました。いつものようにグラスでシャンパーニュを頼み、前日と同じく前菜1品、メイン1品、デセールのムニュを注文。郷土料理色が強く、「ラ・ピラミッド」や「ミシェル・シャブラン」に比べるとかなり素朴な感じでしたが、味は何の問題もなく、前菜には山盛りのサラダが出てきて、ここ数日の野菜不足を補うことができました。I氏はホームメイドのリエットに感激していました。メインは魚料理で何だったか忘れましたが、デセールは名物のガレットで、トッピングが選べたので、噛まずに食べられるということでフルーツシャーベットにし、コーヒーで終了。量は多くてもわりとヘルシーだったので食い倒れるというほどではありませんでしたが、食べ過ぎには変わりないので、城壁内を半周して部屋に帰りました。賑やかな観光客がはけて静まり返った夜の石造りの街は妖しく、昼間とはまた違った魅力がありました。どちらも味わえるのが泊まり客の特権です。

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デセールのガレット。フルーツシャーベットはカシスとフランボワーズとアプリコットの3種。

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城門下に浮かぶ月