昨日、学生時代に10年ほど住んでいた川越に取材の仕事で久々に行き、それを終えたあと、懐かしさに浸る間もなく天王洲アイルに向かって、寺田倉庫でやっている「DAVID BOWIE is」に行ってきました。金曜は夜9時まで開館しているので。2時間半かけて展示を観て、私が人生で出会った中で(残念ながら知り合いではありませんが)一番カッコいい男であることを再確認してきました。
デヴィッドと出会ったのは、かれこれ30余年前。小学4年のとき、埼玉県の越生という町から同じ県内の川越に家族と引っ越した私は、5年の時に担任だった先生の影響でリズム縄跳びというものを始めまして、これは音楽に合わせてやる縄跳びを使ったパフォーマンスなのですが(余談ですが、この記事を書くにあたってリズム縄跳びについてネットで調べたら、かつての担任は埼玉県なわとび協会の会長で、なわとび教育研究の第一人者になっていました)、アラベスクやジンギスカンなどの音楽に合わせて跳んだり踊ったりしていたので、ディスコミュージックに触れる機会が多く、おのずと洋楽にハマりました。それからビージーズやスタイリスティックス、カーペンターズなどをエアチェックして聴くようになり、それが高じてTOKYO FMの「ポップスベスト10」やNHK-FMの「サウンドストリート」を聴きはじめました。この番組、いま考えると、なんとも贅沢なラジオ番組でした。パーソナリティが月曜は佐野元春、火曜は坂本龍一、水曜は甲斐よしひろ、木曜は山下達郎、金曜は渋谷陽一という面々でしたから。
ということで、邦楽よりも洋楽のほうが圧倒的に好きで、当時全盛のアイドル歌謡には目もくれず、日本のミュージシャンではYMOが好きという小中学生だったので、龍一氏の回はほとんど欠かさず聴いていたのですが、そのころ戦メリこと「戦場のメリークリスマス」という映画の話で巷もラジオも盛り上がっていまして……。クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」という曲が好きだったので、同名の映画があることや、その監督である大島渚の名も知っていたところに(さすがに観てはいませんでしたが)、今度大島さんが作る新作映画の音楽を龍一氏が担当し、しかもメインの役どころで出演もすると知ったので、子供心に「これは見なければアカン」と思い、けれど戦時中の話で難しそうだったので、事前研究をしようと特集本などを買って情報を集めたら、デヴィッドに出会いまして、そのカッコよさに一目惚れしました。どちらかといえば、好みのジャンルはダンスミュージックというかディスコサウンドで、あとはチャートのベスト10に入ってくるような洋楽のヒットチューンをメインに聴いていた私は、デヴィッドのことはそれまで知らなかったのですが(その直後に発表された「レッツ・ダンス」が最大のメガヒットなので)、俳優ではなくイギリスの有名なミュージシャンだというので、さっそく彼の音楽を聴きました。ちょうど「レッツ・ダンス」のシングルが出るか出ないかという頃で、映画の宣伝も兼ねて世間でもクローズアップされるようになっていましたから。
で、アルバム「レッツ・ダンス」が発売されたわけですが、当時はCDがない時代で、聴きたい音楽はレコードを買うか借りるか、そのお金がない学生とかは、持っている人にダビングしてもらうか、ラジオでオンエアしているのをエアチェックしたカセットテープで聴くというのが普通でした。しかも小中学生なんて小遣いも少なく、せいぜいシングルレコードを買うのが関の山で、アルバムなんか年に1枚買えるかどうかという身分。けれども、ボクサーに扮したデヴィッドがカッコよくて、どうしても欲しかったので、なけなしの小遣いをはたいて買いました――それもピクチャーレコードを。このアルバムの中では「チャイナ・ガール」が好きで、歌詞も覚えてよく歌っていました。特にこの曲のミュージックビデオが大好きで……十代前半にはいささか刺激的な内容ではありましたが。とにかくデヴィッドが正統派のハンサムでカッコよかったので、親に隠れて見まくりました(笑)。アラジン・セインとかは、その時々の音楽自体は好きなのですが、ヴィジュアル的には、地がいいのに何故そのメイクとファッション……と思っていましたから。
そんなわけで、私はたのきんトリオじゃなくてデヴィッド・ボウイが好きなんだと公言していたのですが、ほとんど相手にされず(というかわかってもらえず)、けれども約1名お姉さんがファンだというクラスメイトの男子がおりまして……彼がわざわざお姉さんからレコードを借りてきて貸してくれました。それが「ゴールデン・イヤーズ」でした。これを聴いて、私の中のデヴィッド・ボウイ感が180度転換しました。「レッツ・ダンス」は彼の真髄ではないと思いました。「ゴールデン・イヤーズ」はコンピレーションアルバムでしたが、変幻自在な音楽と、その多様性に驚き、しかしそのどれもが一貫してデヴィッド・ボウイであり、それ以外の何ものでもないという凄さ。今回の展覧会でも、その点は常に意識してきたというデヴィッド本人の言葉が紹介されていましたが。
このアルバムの最後に「野生の息吹き」という曲が収録されていて、これはカバー曲で彼のオリジナルではないのですが、今でも一、二に挙げられる好きな曲です。デヴィッドの歌唱のよさが出ていて、歌詞にあるマンドリンの音色のように切ない歌に1回聴いただけでノックアウトされました。もちろんこの曲も歌詞を覚えて歌っていました。デヴィッドのように愁いを帯びたいい感じでは歌えませんでしたが。彼の代表作の一つである「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」は歌もメロディも曲全体が抒情的で切なく、かつ歌詞が生み出す世界観は日常を超えた別世界――宇宙的な空間を想像させ、対称的に「スケアリー・モンスターズ」はぐいぐい攻めてくるような、でも獰猛なだけでなくスタイリッシュで、「ファッション」はそのタイトルどおり前衛的というように、似たような曲が1曲もなく、しかもそのどれもが印象的で耳に残り口ずさめるという、いわゆる捨て曲が1曲もないアルバムなんて衝撃でした。以降、私の中でデヴィッドはカッコいいロックンローラーから、カッコいい上に才能にあふれたミュージシャンに変化しました。好きすぎて、無色透明のファイル型下敷きにはデヴィッドのシリアスムーンライトツアーのスーツ姿の雑誌写真の切り抜きを入れていましたし、教室の机の隅にはシャーペンの先で名前まで彫っていました(よい子は絶対に真似しないでください)。
高校時代にはフィンランドの子と文通をしていたのですが、デヴィッド・ボウイが好きだと書いたら、誕生日プレゼントで「ハンキー・ドリー」のミュージックテープを送ってくれました。このアルバムも素晴らしいですよね。「火星の生活」を初めて聴いたときもロックでありながらメロディアスな曲調に感動しましたし(ジャケット写真からはこんな美しい曲が入っているとは想像できませんが)、1曲目の「チェンジス」を聴いたときにもショックを受けました。それまで私が知っていた日本の歌の歌詞にこんな哲学的な要素はなかったので。「Time may change me, but I can't trace time.」――デヴィッドの英語は聴き取りやすいので、この部分、最初からちゃんと歌で耳に入ってきて、「おっしゃるとおり」としみじみ思いましたから。私への贈り物に、この名盤を選んで送ってきてくれたペンフレンドにもとても感動しました。お返しに何を贈っていいかわからず、いま思い出すと血迷っていたとしか思えないのですが、提灯を自作の取説(もちろん英語)付きで贈ったほど有頂天になっていました。
好きな曲を挙げればキリがないのですが、「野生の息吹き」と同じぐらい好きなのが「アンダー・プレッシャー」です。この二曲は楽曲のよさと歌唱のよさのバランスが秀逸だと思っています。曲が歌に負けていないし、歌が曲に負けていないという意味で。「アンダー・プレッシャー」はメロディもいいですが、デヴィッドとフレディの歌が最高です。全然違う声質によるハモリも含めて。二人とも不世出のシンガーですから。
そして、やはり外せないのが「ヒーローズ」。すごい曲です、あれも。昨夏マデイラ島に行く前にベルリンに寄りまして、目的はドイツロマン主義を代表する画家であるカスパル・フリードリッヒの絵を見ることだったのですが、ドイツ外務省の追悼ツイッターに感動して、余裕があればハンザ・スタジオに行きたいという思いもあって行き先に選びました。結局フリードリッヒの絵を求めてハンブルグまで足を延ばしたので、スタジオには行けませんでしたが。ベルリン三部作は「ヒーローズ」と「ロジャー」の二枚が好きです。「ヒーローズ」の1曲目「美女と野獣」から「V-2シュナイダー」までの怒涛のような、これぞデヴィッド・ボウイ的な流れと、「センス・オブ・ダウト」からの裏切りに近い意外性。「ロジャー」は「ゴールデン・イヤーズ」にも入っていた「レッド・セイル」と「怒りをこめてふり返れ」が大好きですし。「怒りを込めてふり返れ」はビデオもいいですよね、適度なアーティスティック感覚とカッコいいデヴィッドの融合で。展覧会で久しぶりに見たのですが、いやもう、とにかくカッコよくて……言葉になりませんでした。同じく「ロジャー」収録の「D.J.」も「ボーイズ・キープ・スウィンギング」のビデオも好きです。
デヴィッドの曲はメロディが美しく、主旋律以外のイントロや間奏もカッコよくて強いインパクトがあり、時に主旋律以上にその曲の象徴となっている作品も少なくありません。「ヒーローズ」や「アンダー・プレッシャー」のイントロもそうですね。アレンジも多彩で、楽器の選び方、その音の使い方、すべてが非凡でした。そして、その曲の世界観を表現する様々なジャンルの言葉を駆使した歌詞と幅広い歌い方。独特の声で、歌詞も明瞭に歌うので、サビの部分とかが英語でも聴き取れて、詩がすっと入ってくるのです。「I will be king. And you, will be queen. ~we can be Heroes, just for one day」とか。私は所詮日本人の人並みに毛が生えた程度の英語力なので、歌詞カードを見たら聴いて覚えていた言葉が実は違っていたということもよくありましたが(ちなみに、彼の「can」の発音は明らかに「キャン」ではなく「カン」で、やはりイギリス人だなぁと思ったものでした)。デヴィッドの声は、知らない曲を聴いてもデヴィッドとわかる唯一無二のものなので、ティン・マシーン以降はあえて情報を追ったりはしませんでしたが、ラジオなどで聴き覚えのない彼の声の曲を耳にすると、「おや、新譜が出たのかな」と思って、新譜発売の情報を知らなくても、ほとんど発売からいくらも経たないうちにCDを買っていました。
ライブにはサウンド+ヴィジョンツアーとリアリティツアーの2回行きました。どちらも泣きましたね。特に「アンダー・プレッシャー」を演奏してくれた後者は、ぶるぶる震えていました。フレディ亡きあと、生で聴けるとは思わなかったので。
ティン・マシーン結成の時は、ご多分に漏れず「何故に」という思いで撃沈し、少々距離を置きましたが、「アウトサイド」発表時にリアルタイムファンに復帰。その後のアルバムも期待を裏切らないクオリティだと思っています。中でも「アワーズ」「ヒーザン」「リアリティ」が好きですね。「アワーズ」は、ロックというよりも上質なポップスアルバムで、疾走感のある一枚。「ホワッツ・リアリー・ハプニング?」「プリティ・シングス・アー・ゴーイング・トゥ・ヘル」が好きです。そして、なんといってもこのアルバムはジャケットが素晴らしい。特に髪を下したデヴィッドが(若い!)。「ヒーザン」は、いよいよ始まるという感じがする1曲目「サンデー」から最後のアルバムタイトル曲「ヒーザン」までまったく隙のない流れで、「スロー・バーン」が大好きです。この曲の「Slow Burn~」と震える声を長く続かせるデヴィッドの歌がたまりません。「リアリティ」は、1曲目の「ニュー・キラー・スター」からやはり最後までフルスロットルの飛ばし方。「ヒーザン」と「リアリティ」はたたみかけるような構成で、初めて聴いたとき、キャッチーなイントロばかりで、次の曲がかかるたびに「凄い」を連発し、呻いていました。そんなミュージシャン、他にいません。
でも、この三枚の秀作を凌ぐのが、「★(ブラックスター)」です。死の直前に発表され、ラストオリジナルアルバムとなった本作は、曲や歌のよさは相変わらずですが、それを表現するために選択されている音やその使い方がより洗練されています。まさにデヴィッド・ボウイの集大成と言ってよいものでした。“次”はないことがわかっていたから、いま自分が持っているものをすべて注ぎ込み、出し切ったかのような出来栄え。デヴィッドのことですから、もう少し寿命があれば、また別の新しいものを得て、違うものを見せてくれたかもしれませんが。
今回展覧会を見て、私が何故かくも彼に魅了されたのか、よくわかりました。興味の範囲が広くて、本当に多趣味なんですよ、私と同じく。それと、自分の価値観に絶対的な自信を持っていて、何事もそれを基準にして表現する点が似ていると思いました。私がよいと思っていることが他の人にもあてはまるとはまったく思っていませんが、その反対もしかり。所詮違う人間なのだから、他の人間の価値観が私にあてはまるわけもなく、結局のところ私自身には私がよいと思っていることしかしっくりこないわけですから――誰が何て思おうと。そんな考え方や、その考え方に基づく生き方を体現してくれた人でした。
デヴィッドはあらゆるジャンルにアンテナを張り、新しいものを吸収することに貪欲で、積極的に自分のものにしていきました。そうして取り入れられた多種多様な知識や情報、経験が彼の中で化学反応を起こして再形成され、今までにない新たな形でアウトプットされる――それがデヴィッド・ボウイのアートワークでした。音楽にしろ、パフォーマンスにしろ、映像にしろ。そこに人々は共感をおぼえたのではないでしょうか。
何故なら、自分の中にもある既存の概念では説明できないものは、それゆえに確固たる形を得られず、確かにあるのに存在すら認められない――そんな漠然としたものを、デヴィッドは様々なペルソナを生み出し、それを通して具現化し見せてくれました。今までにない価値観でしか価値を測れないものは長らく社会では否定されてきましたが、デヴィッドは曖昧なものであっても曖昧なまま存在を認め、境界線上にあるものも境界のどちらかに振り分けることなく、そのまま肯定しました。男であるとか女であるとか大人であるとか子供であるとかいう属性より、らしさというか、個を尊重して、とても大切にしていたと思います。あなたはミュージシャンなのか俳優なのかと訊かれても、あなたの音楽はロックなのか環境音楽なのかと訊かれても、どちらにしても自分はデヴィッド・ボウイであり、それ以外の何者でもない、それらを分けて、どちらかに決めつけることに意味はないと思っていたのではないでしょうか。多様性とボーダー上にある曖昧なものを享受し、それらの価値を位置付けた人だったと思います。移りゆくという不確かさや変容を愛し、とりわけ自らに関しては、とどまること、不変であることを頑なに拒否していたと思います。
そんな考え方や物の見方、物事に対する姿勢、すべてが好きでした。展覧会ではデヴィッドの作品作りにかかわった人たちが、ジャンルを超えて何人も紹介されていましたが、彼らは、デヴィッドと一緒に仕事をできたことが、その仕事で得られた対価以上のものだったと感じているように思えました。かかわった人にそう思ってもらえるような人間でありたいですね。
彼の前に道はなく、けれども彼の後には大きな道ができて、今もたくさんの人が歩いています。彼がいなければ、今のマドンナはなかったでしょう。マイケルの一連の傑作ミュージックビデオも生まれなかったかもしれません。私がラルクを好きなのも明らかにデヴィッドの影響でしょう。メロディアスな曲と世界観のある歌詞、hydeというヴォーカルの唯一無二の声を生かした歌と、彼の秀でたヴィジュアルとその演出の仕方という、デヴィッドに共通する点に惹かれているのだと思います。
それにしても、死ぬ二日前に半世紀に及ぶ長いキャリアの最高傑作を発表するなんて、いったい何なんでしょう。あり得ませんよ。死期が迫っているのを知りながら病を押して制作した「★」は明らかにファンへのプレゼントです。見返りは何も求めていません。それが生み出す名声もビッグマネーも。クリエイティブな作業であるアルバム制作は、確実にデヴィッドの命を削ったと思います。もしアルバムを制作していなかったら、病人にふさわしい療養生活を送っていたら、寿命はもう少し延びていたかもしれません。でも彼はそれを選びませんでした。最後の歌に込められ、何度も彼の声でくり返されたメッセージは「I can't give everything away」でした。やると決めたことを最後までやり遂げて、自分ができるのはここまで、やれることはやったので、あとはそれぞれが感じるように感じてくれればいい、評価は聞く必要ないとでも言うように、立つ鳥跡を濁さず去っていきました。
去年1月、ビリヤードで終わった白馬スキーから帰った翌日にデヴィッドの死を知りました。とてつもない喪失感で、何をする気も起こらず、旅先から帰ってきた後でよかった、仕事のない休日でよかったと心底思いました。一つの時代が確実に終わったと思いました。マイケル・ジャクソンなど時代の寵児たちが次々とこの世を去る中で、一時代の終焉は感じていましたが、このときは特に、私の中で、人の一生において中核を成す人生のハイライトである中年期というか、一般に言う現役時代のようなものが終わり、これからはアフター現役時代という高年期、いや、もしさほど寿命が残っていないのなら晩年と呼ばれる余生のような時代に入っていくのだろうなと、かなり寂しい気持ちになりました。
ありがとう、デヴィッド。
本当に長いあいだいい夢を見せてもらいました。この世界のありように疑問を投げかけ、抗い、懊悩し続けながらも、次第に寄り添って受け入れていくあなたを見て、この世界における可能性や希望も見せてもらいました。あなたが私たちに見せてくれた数々のアートワークだけでなく、地味派手にかかわらず“カッコいい”を貫いたスタイルをはじめ、思想、社会とのかかわり方、生き方、死に方、すべてがあざやかでした。本当に見事な生きざまでした。あなたの死はとても悲しかったけど、それすら見事で、最後の瞬間まであなたのファンでよかったと思える死にざまでした。これからもあなたは私のベストミュージシャン、いやスターであり続けるでしょう。
My eternal superstar, David Bowie
Rest in peace.
I wish, with many thanks and lots of love.
(「DAVID BOWIE is」より、自称デイヴおじさん)
※追記
本日ようやくラルクの25周年記念ライブのチケットが当たりました。4/8に参戦します。