翌朝は6時前に起きて外を見たら真っ白で、対岸のザンクト・ゴアールスハウゼンはもちろん、こちら側のザンクト・ゴアールの町も見えませんでした。
前日の夜、部屋の窓から
当日の朝、部屋の窓から
7時からのオープンに合わせて昨夜と同じレストランでビュフェスタイルの朝食を終えたあと、散歩をしてから部屋に戻り、荷作りをしてチェックアウトをし、9時からオープンするラインフェルス城の見学に行きました。
当日朝のホテルの門
前日夕方のホテルの門
敷地内の木もこんな様子で、冬枯れという感じ。
前日夕方の同じ木
城内にある博物館が10時オープンだからか、はたまた深い霧のため何も見えないからか、泊まり客もそこそこいたのに、見学者は我々だけで、誰も来ませんでした。ホテルがあるとはいえ、基本的に別棟で、ラインフェルス城自体は廃墟ですし。季節柄緑が鮮やかで花が咲き、かつその日は雲海のような濃い霧が立ち込めていたので、N氏が「ラピュタのようだ」と言っていましたが、まさにそんな感じの非日常的な風景でした。
霧が廃墟の退廃的な雰囲気を倍増しています。
廃墟となってからの年月を感じさせる城壁
城壁の石積みの隙間に咲く花
兵どもが夢の跡
ラインフェルス城全体図
9時56分発の電車の切符を取っていたので、残念ながら博物館見学はあきらめて、9時半にはラインフェルス城を後にし、歩いてザンクト・ゴアール駅へ。フロントで訊いたら一番早いシャトルバスも10時半出発だと言うので……まあ、お城の開門が9時、博物館の開館が10時なので、それは仕方がありません。
50分には教会裏のザンクト・ゴアール駅に着き、すでにホームには思った以上の人がいたのですが、電車は遅れて到着。その日はビンゲンでICに乗り換えてハイデルベルクに行く予定で、最初からけっこう乗り換え時間がある接続だったので焦りはしませんでしたが。
ザンクト・ゴアール駅。三角屋根の右奥に、ねこ城が亡霊のように見えます。
ビンゲン・シュタット駅の手前のビンゲン中央駅で下車したあと、ICの乗り換え時間まで30分近くあったので、ライン川の川岸まで行って帰ってくることに。
エーレンフェルス城(右)とねずみ塔(左)。ビンゲンに着いたら、ザンクト・ゴアールの深い霧がまるで夢か幻でもあったかのように天気が回復していて、嘘のような晴天になっていました。
我々が乗った船と同じようなクルーズ船(ライン川の向こうはエーレンフェルス城)
10分前には駅に戻り、5分前にはホームにいましたが、乗るはずのICも遅延。ホームの電光掲示が10分遅れだの13分遅れだの小刻みに状況を知らせていたのであえて確認しませんでしたが、あとからメールをチェックしたら、DBからまたまた連絡が入っていました。
結局ハイデルベルク中央駅には定刻より30分ほど遅れて、12時半過ぎに到着。駅前は大規模な工事中で、バス乗り場がわからなかったのでインフォメーションに寄ったのですが、窓口に並んでいる列があまりにも長かったので自力で探すことにし、10分ほどウロウロしたあと、駅前通りを渡ったところにあったバス停をなんとか見つけて、バスに乗車。20分ほど乗って、ラートハウスバス停で降り、ランチを食べるために、まずは1703年創業の学生酒場、「ツム・ローテン・オクセン」へと向かいました。
ハイデルベルクに興味を持ったのは、河惣益巳さんのマンガ「ツーリング・エクスプレス」シリーズの『ハイデルベルク・クライシス』という話がきっかけだったのですが、その時に戯曲『アルト・ハイデルベルク』のことも知り、宝塚でも演じられていたので、さっそく本を読み、読み終わったら、すっかりハイデルベルクに行きたくなっていました。映画の「会議は踊る」とかも大好きだったので。
それゆえ、一番最初に『アルト・ハイデルベルク』の舞台にもなった「ツム・ローテン・オクセン」を訪れたのですが、店は閉まっていて、『地球の歩き方』によると月曜から土曜は昼も2時までやっているはずなのにおかしいなと思いながらも、仕方がないので他へ行くことに。別の候補を探すべく改めて『地球の歩き方』を広げて確認したら、10月から4月までは夜のみの営業と書かれていました。無念……。
しかしあきらめがついたので、続いて次の候補であるハイデルベルク最古のカフェ、1863年創業の「クネーゼル」に向かましたが、こちらも閉まっていて、けれども、とにかく古都ハイデルベルクに来たからには歴史のある老舗で食べたかったので、次に1705年創業のホテル、ツム・リッター・ザンクト・ゲオルクへと向かいました。途中で記念メダルの自販機を発見したので購入し、聖霊教会の前にあるホテルに入ってレセプションのおねーサンに「レストランで食事をしたいのだけど……」と言ったら、本日は貸切とのこと。もう他にあてはなく、進退窮まったので、おねーサンにお薦めの店を訊き、彼女が教えてくれた「ゴルデナー・ヘクト」という店に行くことにしました。
ツム・リッター・ザンクト・ゲオルク。1592年に建てられた歴史的建造物「騎士の家」が現在ホテルになっています。
場所をペンでチェックしてもらった地図を見ながらアルテ橋近くにある店に辿り着くと、壁に1717年創業と書かれていて、古い店内の装飾からは魚料理が名物のように思えましたが、メニューを見ると、パスタとチキンナゲットがハンドメイドとのことだったので、そちらを注文。
「ゴルデナー・ヘクト」の外観
店からすぐのアルテ橋
アルテ橋から見るハイデルベルク城
ようやく食事にありつけ、食べ終わったときにはすでに2時半をまわっていたので、学生牢があるドイツ最古のハイデルベルク大学とか、ハイデルベルク原人が展示されているプファルツ選帝侯博物館とかにも行きたかったのですが、19時14分発のICの指定席切符を取っていて、シュトゥットガルトに戻る時間が決まっていたので、後ろ髪引かれつつも寄り道せずに、ケーブルカー乗り場へと向かいました。この町の一番の目的であるハイデルベルク城での時間が短くなるのだけは避けたかったので……。
ケーブルカーを降りて城のチケット売り場へ行くと、次の英語のガイドツアーが始まる直前だったので、急いで12ユーロでガイドツアー料金込みのチケットを買って集合場所に向かい、とりあえずそちらに参加しました。ハイデルベルク城はガイドツアーに参加しないと城内が見られないので――城内と言っても、廃墟なので、ほとんど屋外ですが。
ハイデルベルク城。右から城門塔、ルプレヒト館、図書塔、王の広間、イギリス館と続きます。
城門塔のレリーフ
ハイデルベルク城は13世紀に建てられたプファルツ選帝侯の居城で、三十年戦争やら継承戦争に巻き込まれて破壊されては修復され、また増築されてきましたが、18世紀に炎上し、その後はほぼ廃城と化したとのこと。選帝侯とは、神聖ローマ帝国の皇帝を選定する権利を持つ7人の諸侯のことで(のち8人に)、プファルツ選帝侯の地位は長らくヴィッテルスバッハ家が相続してきました。ヴィッテルスバッハ家といえば、バイエル公爵家――ひいてはバイエルン王家の家柄。つまり、オーストリア皇后エリザベートの実家の家系です。
ガイドも言っていましたが、ハイデルベルク城は破壊と建設がくり返されたことによって、ゴシック、ルネサンス、バロックなど、時代ごとの様式が混在する継ぎ接ぎ状態の城で、壊れたままの廃墟のような場所も多いのですが、それでも街から見上げると美しく見えるから不思議です。
近くで見ると、完全に廃墟です。
ガイドツアーは10人ぐらいの参加者で、ルプレヒト館から始まり、屋外に出て廃墟ぶりを堪能し、王の広間を見たあと一度外に出て、ガラスの広間塔に入り、歴代選帝侯の石像やら教会を見学して終了という感じ。約1時間のツアーでした。
ツアー終了後、ワインの大樽を見に行き、『ハイデルベルク・クライシス』で存在を知ったペルケオさんの像に挨拶。彼は宮廷お抱えの道化師なのですが、大酒飲みで知られ、この樽のワインを一人で飲み干したとも言われています。大樽の入口には、ちょっとしたテーブルと椅子が置かれたワインショップがあり、買ったワインやプレッツェルをその場で飲んだり食べたりできるようになっています。その店のメニューに、城の絵が入ったショットグラスでサーブされ、飲んだあとそのグラスを持ち帰れるというワインがあったので、いくつか選べる中から赤ワインを注いでもらい、空けたグラスはもらって帰りました。
ペルケオさん(左の切れている青い服の人)が見守るワインの大樽。ペルケオさんと同じぐらいの大きさに見えますが、樽の前にいるのは観光客です。
正面から見るペルケオさん
大樽塔を出ると雨が降ってきたので、急いでテラスへ行き、旧市街とネッカー川、アルテ橋という、おなじみのハイデルベルクの景色を眺め、そのあと薬局塔のドイツ薬事博物館へ。
テラスから見下ろす旧市街、ネッカー川、アルテ橋
春らしく、城内に植えられた花も満開できれいだったのですが、雨が本格的になってきて、足元もぐずつき、歩きまわるのもしんどくなってきたので、引き上げることにしました。
フリードリヒ館と紫のリラの花
オットーハインリヒ館と白いリラの花
オットーハインリヒ館前にあった満開の小手鞠
帰りがけにチケット売り場の隣にあるショップに寄ると、記念メダルではなく、0ユーロの額面の記念紙幣の自販機があったので、メダルはないのかとレジのおねーサンに訊くと、近くにいたもう一人のスタッフが日本語で答えてくれ、流暢な言葉に驚いて見ると日本人の方でした。記念メダルの自販機は聖霊教会の近くにあるというので、それならきっと自分が食事前に買ったところだろうと思い、運よくその場所の前を通りかかり、見つけることができた強運に感謝しました。時間がないため、改めて買いに行くことはとてもできなかったので……。食事をしようと思った2軒の店が閉まっていなければ、聖霊教会の近くに行くこともなかったと思うので、本当に偶然がもたらしたラッキーでした。
ケーブルカーで旧市街に降りてくると、乗り場の斜向かいにもバス停があったので、行って路線図を確認したら、ここにも駅行きのバスが停まることがわかったため、ラートハウスのバス停には戻らず、そこでバスを待つことにし、数分後に来たバスに乗って駅へと向かいました。
行きと違って街の中心を通らないバスルートだったので、思っていたよりも早く駅に着き、1本早いシュトゥットガルト行きのICに乗れるタイミングだったので、持っている切符で乗れるかインフォメーションで訊いたところ、指定席なので変更はできないとのこと。
結局1時間ほど待つことになったので、翌日の切符でも買っておこうということになり、窓口で番号札を取って順番待ちをすることに。待っている人数が多く、けっこう時間がかかりそうだったので、N氏にその場にいてもらって、私はコーヒーを買いに行ったのですが、戻ると、切符の所在が不明であることが判明。私はインフォメーションで乗変について訊ねたときにN氏に預けたのでN氏が持っているのかと思ったと言うと、さてはインフォメーションに置いてきたのでは――ということで、N氏が慌てて確認に行きましたが、見つからなかったとのこと。窓口の順番が来ましたが、もはや新しい切符を買うどころではなく、これから乗る予定の電車の切符を再発行してもらえないか交渉する羽目になりました。
オンライン予約の切符だったので、予約番号がわかればもう一度プリントアウトし再発行できるというようなことを言われましたが、DBに登録してあるメルアドぐらいしかわからず、けれども所在不明の切符と同時に日本で予約した切符が手元にあったので、その予約番号から私の購入履歴がわかるのでは――などというニュアンスのやりとりを、私よりまともな英語が話せるN氏にしてもらっていたら、経緯は不明ですが切符が見つかり、呆れた顔で「その紙で乗れる」と言われたので、急いでホームへと向かいました。列車はほとんど日本で事前予約し、そのためホームプリントの切符が何枚もあったので、その中に紛れ込んでいたようです。トホホホ……。
ギリギリ間に合って予約したICに乗ることができ、予定どおり定刻の19時54分にシュトゥットガルト駅に到着。ホテルに行く前に駅の窓口に寄り、ハイデルベルク駅で買いそびれたヘッヒンゲンまでの切符を購入後、1日半ぶりのアム・シュロスガルテンに行き、預かってもらっていた大きな荷物を引き取って、再びチェックイン。
荷物を部屋に置いたあと、8時半を過ぎていたので、とりあえず食事に行こうということになったのですが、シュトゥットガルトでも雨が降っていたので、ホテルの1階にあるセラーを兼ねたワインカフェで済ませることに。予約はないけど、ホテルの宿泊客で食事がしたいと言うと、比較的広めの席に案内してくれました。
レストランではなくカフェなので、美味しいドイツワインが飲めればいいと思っていましたが、なんとここにもシーズンメニューでホワイトアスパラガスがあったので、アスパラガススープとボイルドアスパラガスを注文。そして、ゼクトのロゼがグラスでサーブしてもらえたので、それを頼みました。
我々が来たときには店内はガラガラで、ホールスタッフも二人しかいなくて、でもそれで十分という感じでしたが、雨のせいもあるのか、だんだんと混みはじめて、ついには満席になりました。こうなると若いおにーサン二人では到底手が回らず、なかなか料理がきませんでしたが、このあとは上の階の部屋に戻って寝るだけなので、気長に待つことに。早々に1杯目のゼクトを飲み干し、追加を頼もうにも、声をかける隙すらなかったのは残念でしたが。けれど、暇そうに突っ立っていたり、馴染み客としゃべってばかりいるよりはマシです。よく働いているのですが、傍で見ていても明らかに仕事が追いついていなくて、完全にキャパオーバー。我々のテーブルを担当してくれたのは人柄のよいおにーサンだったので、何やら気の毒にも思え、文句を言わずに、手持無沙汰なままN氏と話をしつつ、根気よくアスパラが出てくるのを待ちました。
これで料理がまずかったら散々ですが、美味しかったので、まったくノープロブレム。ボイルドアスパラは、ラインフェルス城で食べたものよりも固めの茹で加減でしたが、けっして固いというわけではなく、歯ごたえが楽しめる感じで、私はよりアスパラらしさが残っているこちらのほうが好みでした。
この日のボイルドアスパラガスのディッシュ。付け合わせがこれだけあり、他にスープと、おかわり自由のパンもあったので、これで十分です。
ということで、なんとか9時過ぎにアスパラガス料理にもありつけ、これにて日程終了です。