羽生雅の雑多話

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京都寺社遠征&明智光秀探訪6 その4~智恩寺、成相寺、籠神社

 4連休の三日目は、天橋立に行ってきました。前日に続いて一日雨の予報で、そういう天候が怪しい日はメジャーな観光地にいたほうが無難なので。歩いての移動が大変な大雨になっても、開いている土産物屋や飲食店があれば、買い物や飲食をしつつ雨宿りができます。もし近くに店の一つもない人里離れた寺や神社にいたり山道を歩いていたりしたら、間違いなく途方に暮れて、訪れた場所の印象も悪くなり、せっかくの旅が台無しになってしまいますから。

 

 天橋立は3回目で、一度目は本格的に寺社巡りをしていなかった大昔に、松島、宮島とともに日本三景の一つに数えられる特別名勝ということで訪れ、定番の股のぞきとかをしてきました。二度目は式内社巡りの一環で、丹後一宮である籠神社に参拝。縄文時代史において伊勢の神宮と同じぐらい重要な聖地の跡である奥宮の真名井神社をはじめ、摂末社を見てまわりました。三度目の今回は、西国三十三所第28番札所である成相寺が目的です。この寺は鼓ヶ岳の中腹にあり、山に登る必要があるので(登山バスがありますが)、京都駅から日帰りだった過去2回はそこまで足を延ばすことができませんでした。なので、福知山駅から行き、福知山駅に戻ればいい今回はチャンスと思いました。

f:id:hanyu_ya:20200812212925j:plain初めて天橋立に行ったときに買った,股のぞきをする弥次喜多の木彫り人形。人形部分は一刀彫っぽく、お土産にしてはよくできていて、いまだにお気に入りです。

 

 朝イチで明智光秀を祀る福知山の御霊神社を参拝したあと(といっても、時間的には9時半ごろでしたが……)、神社で買った光秀関連の本を置きに一度ホテルに寄ってから福知山駅に行き、京都丹後鉄道の改札の窓口で天橋立・伊根フリーパス1Dayを購入。自由席ならこのパスで乗れるので特急に乗るつもりでしたが、車内販売がないようなので、駅構内にあるセブンイレブンでホットコーヒーを調達してから、10時49分発の特急はしだて1号に乗りました。

 

 11時30分に天橋立駅に到着すると、丹後半島に渡るため、駅構内にある観光案内所で観光船の出航時間を訊いて地図をもらい、船乗り場へ。前回の摂末社巡りの時に、天橋立の途中にも神社があるため歩いて渡っているので(芭蕉翁の句碑もあります)、今回ショートカットをすることに抵抗はありませんでした。船の時間は11時45分と次が12時発で、観光船乗り場の目の前には日本三文殊の一つといわれる智恩寺があるので、そちらに参拝してから12時発の船に乗ることにしました。最終の観光船で丹後半島から戻ってくると社務所が閉まっている可能性があったからです。お参り後、御朱印を書いてもらっているあいだに、いつものように御守り授与所を確認すると、コレクションをしている覗き瓢箪を見つけたので買いました。

f:id:hanyu_ya:20200812213235j:plain智恩寺金閣(山門)

f:id:hanyu_ya:20200812213332j:plain智恩寺文殊堂から見る暁雲閣(鐘楼門)

 

 雨のため、ざっと境内を見たあと、観光船乗り場の待合室が狭かったので、密の中で待たずにすむように、改札が始まる時間を見計らって戻ると、12時発の船に乗車。天橋立経由で歩くと1時間以上かかりますが、約12分で対岸の一の宮桟橋に着き、国道178号を渡って籠神社へ。成相寺行きの登山バスが出る傘松公園に行くケーブルカーとリフトの乗り場は神社の境内を経由していくのが近道なので。

f:id:hanyu_ya:20200812213431j:plain籠神社鳥居

f:id:hanyu_ya:20200812213537j:plain由緒書き

f:id:hanyu_ya:20200812213628j:plain籠神社神門

 

 神社には改めて後で寄るつもりでしたが、境内を横切らせてもらいながら素通りするのも気が引けたので、お参りだけをして乗り場に行き、登山バスの時間が迫っていて、発車が15分おきのケーブルカーだと間に合わないので、小雨が降っていましたがリフトで登りました。

f:id:hanyu_ya:20200812213730j:plainケーブル・リフトの傘松駅から見る天橋立

 

 事前に調べたところ、登山バスは30分に1本の間隔だったので、12時半発に乗ろうと思っていたのですが、バス乗り場の横にある乗車券売り場に行くと、12~14時は1時間に1本で、次は13時発とのこと。仕方がないので、1dayパスを見せて割引料金で乗車券を買い、ついでに入山料も払ったあと、30分ほど傘松公園で時間をつぶすことにしました。

f:id:hanyu_ya:20200812213852j:plain傘松公園から見る天橋立。看板の左右にいるのは……

f:id:hanyu_ya:20200812213934j:plain傘松公園のマスコットキャラクター「かさぼう」です。キャラクター紹介によると、股のぞきがうまくできず、毎日練習している努力家だそうで……(笑)。前に傘松公園に来たときにはまだいなくて、出合ったのは弥次さん喜多さんの木彫り人形ぐらいでしたが、時代は変わりました。

 

 土産物を見たり売店で買ったものを食べたりしていると1時5分前になったので、乗車券売り場の隣にある乗り場へ行き、バスに乗車。1時に出発し、7分ほどで成相寺に到着しました。

 

 成相寺は、慶雲元年(704)に文武天皇勅願寺とされた、聖観世音菩薩を御本尊とする古刹。いただいた栞によると、開山は真応上人、または聖徳太子とも伝わり、梵天国王の姫が姿を変えたという御本尊は美人観音として有名で、小野小町も信仰したとのことです。残念ながら今回は御開帳期間ではないため、御姿を見ることはできませんでしたが。

 

 お参り後、御朱印授与所で1300年記念特別印入りの御朱印をいただくと、こちらにも覗き瓢箪が売っていたので購入。その時に、バスでも一緒だった4人ほどの外国人参拝客が御守りを見ていたのですが、何故この時期にいて何故この寺にいるのか、少々不思議でした。出入国は制限されているし、国内に長期滞在中だとしても、成相寺に来るという選択はマニアックすぎるように思えたので。天橋立に来たついでだとしても、智恩寺のように簡単に立ち寄れる寺ではありません。有料の登山バスに乗るか、歩きなら30分ほど山道を登らなければならないので、この寺に行こうという目的意識がなければ辿り着けない場所です。

 

 それはともかくとして、御本尊や内陣を拝観できるときは1時間ぐらいかかりますが、本堂にお参りをして、待ち時間なしで御朱印をいただくだけなら、30分もあれば終わります。ということで、次の傘松公園行きのバスの出発時間である14時10分まで30分以上あったので、境内を散策しながら、二つ目のバス停がある山門まで歩くことにしました。

f:id:hanyu_ya:20200812214410j:plain成相寺山門。バスはこの先まで行くので、行きは通り過ぎて、帰りに山門まで下りてきて、山門前のバス停から乗りました。

f:id:hanyu_ya:20200812214506j:plain山門の扁額下の虎

f:id:hanyu_ya:20200812214553j:plain山門前にあった成相寺についての説明板

f:id:hanyu_ya:20200812214633j:plain成相寺五重塔。平成10年(1998)に完成した新しい建物ですが、鎌倉時代の建築様式を再現した木造の塔だそうです。

f:id:hanyu_ya:20200812214725j:plain弁天山展望台から見る天橋立

f:id:hanyu_ya:20200812214806j:plain天橋立と「弁天山展望台よりの展望図」

f:id:hanyu_ya:20200813224206j:plain弁天山から下るときに見える五重塔

f:id:hanyu_ya:20200812215024j:plain本堂から少し下に降りたところにある建物に咲いていた花。漆喰塀と塀瓦、紫の花の組み合わせの美しさに思わず足を止めました。

 

 時間どおりに来たバスに乗って傘松公園に戻り、雨も上がっていたので帰りもリフトで山を下りました。下りはリフトに乗りながら眼下に天橋立が眺められるので、最高に気持ちがよかったです。

f:id:hanyu_ya:20200812215208j:plainケーブル・リフトから見下ろす天橋立

 

 麓の府中駅に到着すると、まずは奥宮の真名井神社へと向かいました。縄文時代史的に重要なのは、ここにある磐座なので。『ホツマツタヱ』によると、八代天君であるアマテル=天照は、遺言で自分の死後の鎮座地を祖父トヨケ=豊受(アマテルの母イサナミの父で「トヨウケ」とも呼ばれる)が鎮座するアサヒミヤ=朝日宮としましたが、のちに生前の宮があり縁の深い伊勢にトヨケ共々遷座させられました。それが現在の伊勢の内宮と外宮であり、内宮祭神の天照大御神がアマテルで、下宮祭神の豊受大御神がトヨケです。それゆえ元伊勢と呼ばれるのです。トヨケは、記紀でいえば、『古事記』に「“豊由宇気”神」という名で登場する神のことで、神産巣日命の父であり、高木神の祖父になります。

 

 そのトヨケが神上がるために入った洞の上に建てられたアサヒミヤを起源とするのがここ真名井神社で、籠神社のほうは、トヨケが死ぬ前まで政務を執っていたミヤツノミヤ=宮津の宮を起源とする神社と思われます。二神が伊勢に遷座したあとは、トヨケより四代ほどのちのニニキネの時代に兄であるホノススミと共に宮津を統治していた彦火火出見命ことホオデミを主祭神とし、「吉佐宮」という呼称が「籠宮」に改められました。そして養老3年(719)に、丹後国造の時代から祭主を務めてきた海部氏の海部直愛志が、始祖である彦火明命を祭神に迎えて主祭神とし、豊受大神天照大神相殿神として祀り、彦火火出見命は別宮に祀りました。それゆえ現在の主祭神は彦火明命なのです。

 

 以上のように、磐座の中でも祭神の正体と詳しい起源がわかっている数少ない磐座なので、久しぶりに見るのを楽しみにしていたのですが、なんと拝殿脇に柵が設けられていて近寄れず。前回訪れたときには、こんな無粋なものはなかったのですが……。しかも神域は一切撮影禁止になっていて、念のため新たにできていた授与所の巫女サンに確認しましたが、柵の前にある説明板すらダメだと言われました。「いろいろな人が居りますので……」と言っていましたが、本当にガッカリでした。授与所も立派すぎて、古代から変わらぬ静かな深い森の中という奥宮の神域では浮いていて、異質な感じが否めませんでしたし。神護寺薬師如来立像、泉涌寺楊貴妃観音像もいつのまにか遠くなりました。世の中にいろいろな人がいるのはそのとおりで、訪れる人を選ぶことはできないので仕方がないことかもしれませんが、このように悲しいことが避けられずに今後も増えるようなら、やはり気になるところにはさっさと行っておくべきだと改めて思いました。

 

 参拝後、真名井神社の授与所で御朱印はいただけないので、籠神社に行って本宮と奥宮の御朱印をいただき、やはり前回来たときにはなかった茶房「かむながら」という店があったので寄ってみると、古代米を売っていたので、お土産に購入。会計のあいだに店内を見渡すと、客が一人もいなかったので、ついでに一服することにしました。

 

 カフェラテを飲んだあと一の宮桟橋へ行き、観光船で天橋立桟橋に戻ると4時前で、あとはもう福知山に戻るだけなので、一杯飲みながら食事をすることにしました。しかし時間が中途半端だったせいか、来たときには開いていた店がほとんど閉まっていたので、智恩寺門前で天橋立名物「智恵の餅」を売る四軒茶屋の一つ、元禄3年(1690)創業の「ちとせ茶屋」で蕎麦を食べることにしました。場所柄、福知山では味わえない海の幸が食べたかったのですが。

f:id:hanyu_ya:20200812215805j:plain蕎麦を食べる前に頼んだ「ちょい飲みせっと」

f:id:hanyu_ya:20200812215853j:plain「はも天ざるセット」。大好きな鱧が食べられたので、結果オーライです。

 

 食事後、天橋立駅16時59分発の特急たんごリレー6号に乗り、17時43分に福知山駅に到着。これにて、この日は終了です。

 

 翌日の最終日は、9時20分にチェックアウトをしてホテルを出ると、この連休で初めての晴れでした。気温も、この中で歩きまわるのはキツいなという暑さだったので、昨日一昨日ではなく、帰る日に雨が降っていないのはラッキーと思いました。大きな荷物を持って移動しながら傘を差さずにすむので。

 

 福知山駅に行き、おそらく今度も車内販売がないだろうと思ったので、前日と同じく駅構内のセブンイレブンでホットコーヒーを買ってから、9時50分発の特急こうのとり10号に乗車。11時に宝塚駅に到着し、キャリーバッグを改札最寄りのコインロッカーに入れると、宝塚大劇場へと向かいました。

 

 昼食後に観劇を終えて4時過ぎに劇場を出ると、来たときにはパラつく程度だった雨が本降りに。劇場内にもロッカーはあるのですが、駅に荷物を預けてきてよかったと思いました。予約より1本早い新幹線に間に合いそうでしたが、早めても1、2本というところだったので、新大阪駅より空いている宝塚駅の窓口に寄って、エクスプレス予約で取った17時57分発のぞみの特急券を発券してもらい、荷物をロッカーから取り出して、16時38分発の宝塚線に乗車。

 

 乗り換えなしで17時20分に新大阪駅に到着し、30分以上待ち時間があったので、551蓬莱の列に並び、豚まんとシューマイを買ってから新幹線改札に向かったのですが、行ってもみると、何故かたいそうな人だかりでした。どうやら静岡県内の大雨で運行を中止していたようで、2時間ほどで再開したようですが、ダイヤは大幅に乱れ、何本かは運休になっていました。

 

 私が乗る予定だったのぞみ244号は運休ではなかったのですが、電光掲示板を見ると1時間10分遅れの表示。ならば次に出るのぞみの自由席で帰るかと思い、発車ホームへ行ったのですが、すでに順番待ちの列がすごくて、とても座れそうになかったので、即あきらめました。さすがに大阪から東京まで立って帰る気はなかったので。

 

 仕方がないので、アルコールでも飲みながら指定席を取った電車を待つかと思い直し、タカラ缶チューハイを買って、244号が発車するホームへ移動。ベンチに座ってプルタブを開けたところで、ふと自由席車両の3号車のほうに目をやると、遠目ながらまだ列が短い気がしたので、これなら座れるかもしれないと思い、開けたばかりのタカラ缶チューハイを蓬莱551の紙袋にしまって急いで席を立ち、列に並びました。今回ラッキーだったのは、乗車駅が京都駅ではなく新大阪駅で、始発駅だったことです。運よく3列シートの窓際をゲットし、定刻17時15分より1時間遅れで出発したのぞみ242号で東京へ。当然のことながら、コロナ禍で最近は空いている新幹線も、この日は京都駅で満席となり、立っている人もいて、この旅で一番密な状態でした。

 

 で、順調に走行していたのですが、突然車内に警報が鳴り響きました。自分が操作していた分も含めて、スマホの警報が一斉に鳴ったようで、あれは家で聞いても突然でビビるのに、乗客が持つスマホが一斉に鳴ったのですから、音も大きくてビックリしました。時刻は19時21分、場所は浜松駅を過ぎたあたり。いったい何だったんだと思っていたら、20分ぐらいして静岡駅の手前で止まり、その後ちょっと移動して静岡駅で停車。それから激しい雷雨のため1時間ほどまったく動かず、ようやく運転再開して品川駅に着いたのは10時でした。密状態で、飲食するときしかマスクを外せない車内に4時間近く閉じ込められて、ハンパない疲労感でしたが、まだ電車で自宅の最寄り駅まで帰ることができ、家までの道は雨が降っていなかったのが、せめてもの救いでした。まあ、大抵のことは、終わりよければすべてよし、です。