羽生雅の雑多話

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明智光秀紀行7 その2~特別展「美濃源氏土岐一族の時代」in瑞浪市陶磁資料館&特別展「土岐明智氏と妻木氏」in土岐市美濃陶磁歴史館

 月初の名古屋&岐阜遠征で明智光秀関連の資料をいくつか手に入れ、それらのおかげで作成している明智系図の修正および作成がかなり捗ったため、遠征記の続きを書く時間が取れず。そうこうするうちにシルバーウィークとなり、4連休の上にGo To トラベルキャンペーンもあったので、神社遠征と光秀探訪を兼ねて熊本遠征をしてきたのですが、前回の遠征記がまだ途中なので、こちらを仕上げてから熊本については書きたいと思います。

 

 さて、名古屋入りした次の日ですが、朝から天気が悪かったので、雨が降っても問題のないコースということで、特別展が開催されているミュージアム巡りをすることにしました。

 

 まずは瑞浪市陶磁資料館へ向かうことに。名古屋駅9時24分発の中央線快速に乗り、10時12分に瑞浪駅に到着。市民公園内にある資料館はアクセスが悪く、歩いたら30分かかるのにバスもないというところなので、駅からはタクシーを利用。車なら5分ほどで、料金は1,140円。市民公園には陶磁資料館以外に化石博物館などの施設があり、おもしろそうなら寄るつもりだったのですが、タクシーに乗っているあいだに雨が降り出して、下車するときは傘を差して外を歩きまわるのも億劫な強い雨脚。なので、他の施設はおろか、陶磁資料館の一部である登り窯の跡も屋外だったので見るのをあきらめて特別展の見学だけに絞り、運転手に頼んで40分後の11時に来てもらうことにしました。足がないのは帰りも同じなので。

 

 瑞浪市陶磁資料館では9月6日まで「美濃源氏 土岐一族の時代」という特別展が開催されていたのですが、平日の上に、台風が近づいていて、いつ大雨になってもおかしくない天候だからか、見学者は皆無。受付を含めて3人ほどいたスタッフが気の毒になりました

f:id:hanyu_ya:20200926233034j:plain特別展のポスター

f:id:hanyu_ya:20200926233131j:plain受付で図録を買ったら、うちわをいただきました。イラストは、瑞浪市ゆるキャラであるデスモくん。瑞浪市で頭骨化石が発見されたデスモスチルスのキャラクターで、市民公園内にある化石博物館や地球回廊で働いているそうです。

f:id:hanyu_ya:20200926233239j:plain陶磁資料館入口にあった明智光秀のパネル。クレジットによると、イラストを手がけたのは長野剛さんみたいですが、福知山市に負けず劣らず、こちらもやたらイケメンです。

 

 この資料館は、陶磁資料館という名称からわかるように、美濃焼の資料館で、よって登り窯跡の他、古今の美濃焼が見られ、瑞浪市出身の陶芸家で人間国宝の加藤孝造氏の作品などが展示されているのですが、普段は加藤氏の作品を展示している加藤孝造展示室が特別展示室になっていて、位牌を中心とした土岐家関連史料が展示されていました。

f:id:hanyu_ya:20200926232840j:plain善躰寺蔵の土岐頼貞位牌(正面)。戒名は「前伯州大守定林寺殿雲石孝公大居士」。

f:id:hanyu_ya:20200926232919j:plain善躰寺蔵の土岐頼貞位牌(背面)

f:id:hanyu_ya:20200926233457j:plain善躰寺蔵の土岐頼貞位牌についての解説

f:id:hanyu_ya:20200926233604j:plain開元院蔵の土岐頼貞位牌(正面)。戒名は「定林寺殿前伯州大守雲石存公大禅定門」。

f:id:hanyu_ya:20200926233650j:plain開元院蔵の土岐頼貞位牌(背面)

f:id:hanyu_ya:20200926233800j:plain開元院蔵の土岐頼貞位牌についての解説

f:id:hanyu_ya:20200926233846j:plain開元院蔵の土岐頼元位牌(正面)。戒名は「開元院殿前土岐城主執金吾一蜂道箭大居士」。

f:id:hanyu_ya:20200926233929j:plain開元院蔵の土岐頼元位牌(背面)

f:id:hanyu_ya:20200926234055j:plain開元院蔵の土岐頼元位牌についての解説

 

 今回展示されていた土岐頼貞と土岐頼元の位牌を所蔵する開元院は頼元によって創建されたそうですが、解説にあるとおり、「頼元」という名は土岐家諸系図には登場しません。……なのですが、図録の解説によると、曹洞宗の僧伝である寛保2年(1742)に出版された『日本洞上聯灯録』には「州守金吾源頼元 土岐氏」という記述があるそうで、今回一緒に展示されていた「月泉性印頂相図」の賛にも「土岐城主頼元」という文言があります。そして、その賛によれば、この図が描かれたのは文明8年(1476)とのこと。

 

 ところで、「州守金吾」の「州守」とは国守のことで、頼貞の戒名にある「伯州」のように具体的な国名がない以上美濃の国守のことだと思いますが(頼貞は伯耆守だったので「伯州大守」)、当時美濃守だったのは土岐宗家の当主である土岐成頼です。また「金吾」とは衛門府唐名ですが、成頼の官職である左京大夫唐名は京兆尹なので、したがって成頼が「金吾」と呼ばれることはありません。ということは、つまり、州守の土岐頼元と美濃守の土岐成頼は別人ということになります。しかしそれならば、美濃守と衛門尉(あるいは衛門佐)の官職名を名乗り、土岐城主だという土岐頼元とはいったい何者なのか……、明智系図にどう係わってくるのか……興味は尽きませんが、情報も考察時間も足りず、結論を出すにはしばしかかりそうなので、残念でなりません。

 

 それはともかくとして、正体が明らかになれば、明智光秀の出自の謎に迫る大きなヒントになりそうな新たな人物の情報を得て、少ない展示ながらも来た甲斐があったと機嫌をよくして資料館を出ると、すでにタクシーが待っていたので乗車。美濃土岐氏発祥の地といわれる瑞浪市には、氏祖の土岐光衡が構えた館の跡と伝わる一日市場館跡や土岐明智氏の祖といわれる土岐頼貞の墓があるので、タクシーで近くの八幡神社まで行ってもらって寄るつもりでしたが、短い移動時間のあいだにもますます雨がひどくなってきたので、寄り道はあきらめて、瑞浪駅に戻ってもらいました。

 

 次の目的地は土岐市美濃陶磁歴史館なので、電車でひと駅だったのですが、瑞浪駅に着くと、大雨の影響で中央線が止まっていました。名古屋~高蔵寺間で1時間に60ミリの雨量が計測され、規定値を超えたため運転を見合わせているとのことだったので、ならば区間外の隣駅には行けるのではないかと思い、また、ホームにはすでに当駅始発の次発電車も入線していたので、改札を入ったのですが、下り電車は来るのに上り電車は一向に来なくて、運行再開予定もアナウンスされず。なんで下りは来て上りは来ないのか駅員に訊ねると、名古屋駅に行けない電車が名古屋方面の各駅に止まっているため、雨がそれほどでもない区間も上りは動けないとのこと。多治見駅明智駅に行くバスはあっても土岐市駅行きはなく、かといって首都圏とは違い、隣駅といえども土岐市駅までは電車で6分とやや距離があるので、タクシーを使うという選択にも踏み切れず。仕方がないので、待機している始発電車の車両内や中津川方面から来る一番早い快速電車が入線するはずのホームを行ったり来たりしながら、待つこと約1時間40分。12時45分過ぎに快速電車が来て、1時前にようやく土岐市駅に到着。その時には雨はほとんど止んでいました。

 

 昼をだいぶ過ぎていたので、昼食に地元の名物でも食べたいと思ったのですが、駅周辺には目ぼしいところがなかったので、とりあえず陶磁歴史館へと向かいました。駅から歩いて10分ほどなのですが、行ってみると、そこからさらに5、6分歩いたところに織部の里公園というのがあるようなので、公園ならば何かあるのではないかと思い、歴史館前を通り過ぎて足を延ばしてみましたが、食事ができるようなところは見あたらず。足元が悪い中を歩き回るのもいい加減疲れたので、戻って特別展を見ることにしました。

 

 今回の遠征の一番の目的はこの特別展――「光秀の源流 土岐明智氏と妻木氏」で、沼田に行っても見られなかった土岐家文書が見られるということで、6月末に沼田に行って帰ってきてから、ずっと訪れたいと思っていました。けれども、7月に入ってから岐阜や名古屋では新型コロナウィルス感染者が増えて独自の緊急事態宣言が発せられて県外者は行きにくくなってしまったので、会期中に宣言が解除されて行けるかヒヤヒヤしていましたが、間に合って本当によかったと思いました。瑞浪市の陶磁資料館と同じく、こちらにも見学者は他にいませんでしたが、とてもよい展示でした。見たいけれども簡単には見られない物が見られることの喜びを実感しました。人がいなくてゆっくり見られるのはとても嬉しいのですが、こんなに関係者の気合いが伝わってくるよい展示を見る人がいないというのは、何とももったいなく、とても残念な気がしました。誰もいなかったのは、その日たまたまかもしれませんが。

f:id:hanyu_ya:20200926234828j:plain玄関前にあった特別展の看板

f:id:hanyu_ya:20200926234907j:plain麒麟が描かれた美濃焼の破片

f:id:hanyu_ya:20200926235002j:plain美濃焼に描かれた麒麟についての解説。美濃焼関連の資料は撮影可能でした。

 

 40分ほど展示を見たあと、図録を購入して歴史館を後にし、土岐市駅に戻って、ダイヤ乱れで遅れていた14時23分発の快速電車に乗車。まだ時間も早く、隣の多治見駅で降りてバスに乗れば、今回の特別展の展示品の所蔵元である祟禅寺や妻木城跡にも行けることがわかっていたので、電車内でこれから行って帰ってこられるかバスの時刻表とにらめっこして検討していたのですが、細かい字を見ていたらなんだか頭が痛くなってきて、こんな体調で歩き回るのが前提の、しかも雨上がりで確実に足場が悪いと思われる未舗装の城址に行っても仕方がないだろうと思ったので、予定を変更し、この日は切り上げることにしました。瑞浪駅で中央線の運転再開を待っているあいだに、当然のことながら快速電車が入線する名古屋方面行きホームは混んできてベンチが埋まっていたので、違うホームに停まっていた始発電車の車両内にいたのですが、人口密度が低く冷房が効きすぎていて寒かったので(それで行ったり来たりしていた)、風邪を引いた可能性があり、次の日に備え、ホテルに戻って休んだほうがいいような気がしたので。

 

 わりと頭痛持ちなので、頭痛薬とアレルギーの薬はいつも持ち歩いているため、とりあえずそれを飲み、多治見駅で降りるのはやめて名古屋駅まで戻ることにしたのですが、薬の影響か知らぬうちに眠ってしまい、気が付くと千草駅で、ホームに「住よし」があるのが目に入ったので、慌てて下車。「住よし」は新幹線ホームの店に時間があれば寄るお気に入りの立ち食いきしめん屋で、いつもけっこう混んでいる人気店なのですが、3時過ぎという中途半端な時間だからか、客も一人しかいなくて空いていたので、食べ損ねていた昼食を摂ることにしました。

 

 山菜きしめんを食べて店を出たあとに来た上り電車に乗って名古屋駅に戻ってくると4時前で、薬と睡眠と食事のおかげで頭痛もすっかり治っていましたが、この時間からどこかの施設に行っても閉館時間ギリギリで見学時間がなく、また神社に行っても社務所が閉まる時間に間に合うかどうかという微妙なところだったので、ホテルの部屋でアルコールを飲みながら手に入れた2冊の図録を読むことにしました。ということで、コンビニでいつものタカラ缶チューハイをゲットし、きしめんを食べたばかりだったので、名鉄百貨店の地下食品売り場で、つまみ兼軽い夕食代わりを吟味し、シューマイセットを購入。4時半過ぎにホテルに戻り、日程終了です。