羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

京都寺社遠征 その2~鈴虫寺、松尾大社、建勲神社、半木神社

 二日目は、ホテルをチェックアウト後に地下鉄で京都駅に向かい、コインロッカーに荷物を預けて、二条城から旅を共にしているT氏と合流。京都バスで約1時間かけて終点の鈴虫寺まで行き、鈴虫の音とともに説法を聞きました。

 やたら混むお寺だとは聞いていたので、午前中の早い時間に行ったのですが、説法を聞くお寺だと思って行ったわけではなかったので、書院に案内されたときには「???」という感じでした。始まった説法の内容は常日頃から思っていることでしたが、ところどころで笑いを取られる、お話がたいへん巧い住職だったので、おもしろかったです。特に印象に残った言葉は、禅語の「結果自然成」――前回の大河ドラマでも小林薫さん演じる南渓和尚が言っていましたが。

 説法が終われば入れ替わる形式なので、書院から出て、人波に従って庭をひとまわりし、門を出て幸福地蔵菩薩を拝んで参拝終了。お寺を出るときに、拝観料を払う受付前に多くの人が並んでいましたが、門前の階段にも行列ができていて、人気ぶりに驚きました。

 鈴虫寺を後にして、徒歩で15分ほどの松尾大社へ。あまりメジャーな印象がない神社ですが、平安京の西の守りと言われる重要な神社です。現在の祭神は大山咋神市杵島姫命――大山咋神日吉大社の祭神と同じです。

 日吉大社では大山咋神とその妻である鴨玉依姫命が祀られていましたが、松尾大社では一緒に祀られているのが何故市杵島姫命なのか……。市杵島姫といえば宗像三姉妹の一人で、厳島神社の祭神であるイチキシマヒメタナコのことです。ただし、松尾大社の祭神となっている市杵島姫命には中津島姫命という別名があるので、おそらく実のところは中津島姫命というのが正しく、中津島姫=鴨玉依姫ではないかと考えています。というのも、「中」には「ただ」という読みもあり、なおかつ「島」は、島=シマ=洲=州=スという等式が成り立つので、中津島=中島=中洲=中州=タダス=糺ということになります。よって、中津島姫というのは、中州=タダスにいる姫――すなわち、鴨川の三角州で、旧河合の国である糺の森にいた姫のことではないかと思うからです。まだまだ検証が必要で、確信を得るには至っておりませんが。

 ただし、上記のように考える理由がもう一つあります。市杵島姫命松尾大社の摂社の祭神で、本社とは別に祀られているからです。

 嵐山のモンキーパークの入り口横にある櫟谷宗像神社は松尾大社の摂社で、櫟谷神社と宗像神社の二社が一殿に祀られています。祭神は奥津島姫命と市杵島姫命。現在は櫟谷神社の祭神が奥津島姫命で、宗像神社の祭神が市杵島姫命とされていますが、逆だという古書もあります。そもそも宗像三姉妹のうちの二人が祀られているというのは変な話で、『日本書紀』にはオキツシマヒメの別名がイチキシマヒメであるという記述もあり、これまた一緒くたにされているので、本来は式内社の櫟谷神社にイチキシマヒメ市杵島姫命が祀られ、のちに三姉妹が宗像神として宗像神社に祀られたのだと思います。

 松尾大社に向かう途中、月読神社の前を通ったので、寄ることに。以前に来たことがあり、御朱印もいただいているので、今回はお参りだけしました。

 月読神社は、今でこそ松尾大社の境外摂社ですが、名神大社なので、摂社といえども本社の松尾大社と同じぐらい、こちらも重要な神社です。

 現在の祭神は月読尊。月読=ツキヨミで、ツキヨミといえば、イサナギとイサナミの次男で、したがってアマテルの弟でありソサノヲの兄なのですが、元々の祭神は違って、『ホツマツタヱ』に登場するアヨミタマ――『先代旧事本紀』でいうところの月神命(つきたまのみこと)だと思います。「月神」が「月読神」と誤解され、のちに一緒くたにされて、祭神が変わってしまったのでしょう。「アヨミタマ」を漢字で表記すれば、「天夜見霊」「天夜見魂」「天夜御霊」「天夜御魂」あたりだと思うので、「天夜見霊」が「月夜見」と書かれることもあるツキヨミと混同されたのではないでしょうか。

 『ホツマ』によれば、アヨミタマはタカギのナナコ(第七子)であり、また『先代旧事本紀』によれば、月神命は壱岐県主の祖ということです。タカギは、タカギ=高木で、『古事記』に登場する高木神のこと。ということで、アヨミタマとツキヨミは明らかに別人ということになります。

 余談ですが、『延喜式』の神名帳で「葛野坐月読神社」の名称で登場する月読神社の元々の祭神がアヨミタマならば、近くの太秦にあり、同じく名神大社の「木島坐天照御魂神社」――通称「蚕の社」――の元々の祭神は、アヨミタマの兄で、タカギのヨツコ(第四子)であるアヒミタマのような気がします。『先代旧事本紀』に登場する天日神命(あまのひのかみのみこと)のことで、対馬県主の祖になります。「アヒミタマ」を漢字を表せば、「天日見霊」「天日見魂」「天日御霊」「天日御魂」あたりだと思うので、「月神」ことアヨミタマが「月読神」と一緒にされてしまったように、「天日御魂」ことアヒミタマが「天照御魂神」と一緒にされたのではないでしょうか。意図的かどうかはわかりませんが。

 磐座や神奈備山など自然を崇拝した古代祭祀の時代が遠くなり、社を建てて神を祀る神社の時代になると、アマテルやツキヨミなら記紀に登場するので知っているが、アヨミタマやアヒミタマなどという神は知らないとという人が多くなって、社格を上げるために祭神を変えたのかもしれません。木島坐天照御魂神社の現在の祭神は、天之御中主神、大国魂神、穂々出見命、鵜茅葺不合命、瓊々杵命――五柱の神を祀りながら、そこには天照大御神が入っていませんので、「天照」を名乗りながらも、天照=アマテルを祭神とする神社ではないことは明白です。また、当社はあまり類を見ない三柱鳥居があることで有名ですが、そう考えていくと、この不思議な鳥居の意味もわかってくるのかもしれません。半島系の太陽信仰の形態だという説が信憑性を増してくるような感じもします。

 渡来系氏族である秦氏は、太秦周辺を本拠地とすると、松尾大社を地主神として信奉しました。そして、秦氏が酒造りを得意としたため、松尾の神は酒造り集団が崇める醸造祖神としても信仰されるようになりました。

 その秦氏ですが、渡来系ですから、当然のことながら海を渡ってやってきました。したがって、まず経由地である対馬壱岐に根を下ろし、壱岐の神アヨミタマや対馬の神アヒミタマを信奉し、また、航海の安全を祈って、玄界灘に坐す海の神である宗像神を信仰したのではないでしょうか。つまり、月読神社のアヨミタマや木島坐天照御魂神社のアヒミタマ、櫟谷神社のイチキシマヒメ、宗像神社の宗像三女神は、秦氏が九州から勧請した神々ということです。宗像神社の祭神である宗像三姉妹の中で、イチキシマヒメだけが別に単独で祀られているのは、もしかしたら元来の祭神はイチキシマヒメではなく、イキシマヒメ=壱岐島姫だったからかもしれません。このあたりについては何の傍証もないので、今はまだ単なる思いつきで、想像の域を出ませんが。

 松尾大社に到着後、300円を払って、まずは樽みくじに挑戦。2本の矢を放って樽の中に当てる運試しですが、見事にスカ。見物していた参拝客の笑いを誘ってしまいました。参加賞として亀の御守りをいただきましたが、300円で売っている物だったので、損はありません。ちなみに、何故亀なのかというと、亀が松尾の神の神使だからです。日吉の神の猿みたいなものです。

 樽みくじとは実におもしろいもので、松尾の神をよく表していると思いました。大山咋神は『古事記』に「鳴鏑を用つ神」とあるように鏑矢を用いる神ですが、現在では醸造祖神としても信仰されているので、矢と樽というのは、いかにも象徴的です。

 樽みくじのあと、個人的には今回の旅のメインイベントである磐座登拝を申し込むため、受付に向かいました。以前来たときに境内はひととおりまわって、庭園も神像館も拝見し、御朱印もいただいているのですが、磐座登拝だけができず。何故なら、当社の磐座登拝はいかなる理由があろうとも一人ではダメで、二人以上でないと申し込めないからです。そこで今回T氏の京都旅行に便乗して、付き合ってもらったわけです。(Tさん、本当にありがとうございました!)

 受付を済ませ、小忌衣と竹製の金剛杖をお借りして、念願の松尾山に入山。雨上がりで蒸し暑いわ、虫は多いわで難儀でしたが、20分ほどで見晴らしの良い展望地点に着きました。東に比叡山が見え、その方向に樽のようなものが設置されていました。かわらけ投げの的で、樽に入ると心願が叶うらしい「心願盃投げ」です。もちろん200円を払ってチャレンジしましたが、5枚も投げたのに、例によって全部スカ。T氏は2枚を最上段の樽に入れていました。スゴイです。

 展望地点から10分ほどで鳥居に着き、さらに5分ほど登って、磐座前に到着。近寄れなかったので確かめられませんでしたが、岩の下あたりが怪しいと思いました。うろ覚えですが、熊野速玉大社の元宮である神倉神社の御神体、ゴトビキ岩を横から見ると、下のほうが浸食されているというか削られたような状態で隙間があり、雨露がしのげるようになっていて、そこで祭祀が行われたように思えました。熊野市にある鬼の城を小さくしたようなイメージです。松尾山の磐座もそんな古代祭祀の跡のような感じがしました。

 そんなことを考えながら下山しましたが、暑くて途中から何も考えられなくなり、麓に下りてきたときには汗ダラダラの不快指数マックスだったので、お借りしたものを受付で返してすぐに楼門を出たところにある「団ぷ鈴」という茶店に向かい、ひと息入れました。お昼を過ぎていたので、昼食をとることにして、蕎麦と酒公杯という松尾大社ゆかりの冷酒を注文し、デザートにみたらし団子を食べたら、なんとか生き返りました。

 「団ぷ鈴」を出ると、向かい側に、お気に入りの京漬物屋である「もり」のお店がありましたので、覗いてみることに。ゆず大根はここの物が一番好きです。――なのですが、松尾大社店にはこの店限定というタケノコの酒粕漬けと酒かす大根というのがあり、試食したらおいしかったので、今回はこちらを購入。それと、朔日だったので、おついたち参り限定のきゅうりの漬物があったので、それも1本買いました。

 三つの漬物で荷物が重くなりましたが、まだ帰りの新幹線まで時間があったので、続いて船岡山建勲神社へ。当社の祭神は織田信長で、縄文・弥生史には関係がないため、前日は寄らなかったのですが、ネットで調べたら、へし切長谷部の特別朱印というものがあり、欲しくなったので、また紫野へ行ってきました。

 建勲神社明治2年に建てられた新しい神社ですが、船岡山自体は『枕草子』にも登場する名所で、信長が祀られる前から船岡妙見社がありました。なので、山があった以上、船岡妙見社が建てられる以前にも何かがあったはずだと思い、境内を見てまわったのですが、残念ながらヒントになりそうなものはありませんでした。

 その後、市バスで府立植物園に行き、園内にある半木神社へ。当社は上賀茂神社の境外末社なので、上賀茂神社摂末社を巡ったときに行こうとしたのですが、当時はどうやって行くのかわからず、結局行けずにいたところ、このたびネット情報で入園料を払って植物園に入らないと行けないことが判明しましたので、ようやく行ってきました。

 当社の祭神は天太玉命。『ホツマ』によれば、太玉=フトタマは、ニニキネではなく、その兄であるクシタマホノアカリの側近なので、別雷神=ワケツチカミことニニキネを祭神とする上賀茂神社とはいったいどういう関係なのかと思っていたら、秦氏がこの土地に入ってきた後に阿波から勧請した神社とのこと。納得してお参りし、日程終了です。

 植物園を後にして、地下鉄で京都駅に出るために北大路駅まで歩く途中、「ジェラート・ベネ工房」という気になるお店があったので、立ち寄ってみました。何も知らずに入ったのですが、名物らしき抹茶ジェラートはたいそう高級なアイスだったので、一番安いマドレーヌを買い、食べながら鴨川を渡って駅まで行き、駅近くのスタバで別行動だったT氏と合流。コーヒーを飲んで一服したあと、地下鉄で京都駅に出て、ロッカーに預けた荷物を回収し、駅構内でタカラ缶チューハイ551蓬莱の豚まんを買って、今回も無事に帰京しました。