翌日は朝食後ホテルをチェックアウトして、大きな荷物は預かってもらい、京都駅8時45分発のJR線新快速に乗り、石山駅で下車。続いて、駅前から9時9分に出発する大石小学校行きのバスに乗り、佐久奈度神社へと向かいました――今年当社は御鎮座1350年なので。今月12日に記念祭が行われたばかりでした。
佐久奈度神社拝殿。当然のことながら「奉祝 令和」や「奉祝 天皇陛下御即位」の幟は前回来たときにはありませんでした。この先二度と生で見ることはないと思います。
ところで、この神社にはクレちゃんという名のシーズー犬がいまして、私が行ったときには神社の方と境内を散歩していたのですが、授与所で記念御守りの話をしているときには傍らでおとなしくしていました――神職の装束形の前掛けを付けて。前掛けに立体の腕が付いているので、前から見ると立っているように見える、なかなか手の込んだ衣装でした。
今回の旅は今行かないと見られないところを目的としていたので、移動が広範囲に渡り、京都から滋賀の大津市に行ったあとは、大阪の茨木市へと向かいました。10時11分大石小学校バス停発のバスに乗って石山駅に戻り、10時38分発の各駅停車に乗車。JR総持寺駅で下車し、徒歩で総持寺へ。
当寺は、西国三十三所草創1300年ということで、私が数年前から巡っている西国三十三観音の第22番札所であり、また、現在、天皇陛下御即位記念の特別拝観中で、今月と来月の土日にかぎり秘仏の御本尊が特別開扉するとのことなので、これは外せないと思い、行ってきました。
総持寺本堂
御本尊の千手観音様はあまり見ないタイプのお顔で、端整というよりは素朴な印象で、埴輪を思い出させる観音様。私は埴輪スキーなので、こんな観音様もいるのだと思い、ちょっと嬉しくなりました。お参り後、1300年記念特別印入りの御朱印と江戸時代の復刻御朱印をいただき、観音様ゆかりの亀の形をした陶器入りのおみくじがあったので、引いてみたら大吉でした。
神社ではないので神使ではないのですが、亀は総持寺の観音様ゆかりの生き物で、何故ゆかりかというと、開山の藤原山蔭は、幼き日に船から淀川に落ちたことがあり、そのときに救ってくれたのが大亀で、しかもその大亀は、山蔭の父である高房が観音様の縁日に助けた亀で、命を助けられた山蔭は、この仏縁に感謝して寺を建立、その寺こそが総持寺だからです。それゆえ御本尊の観音様も亀の背に乗った姿となりました。この総持寺の縁起については、「亀の報恩」という物語になって『今昔物語集』にも収録されています。
境内にある池でも多くの亀が飼われています。
暑いので亀も大変。手前の亀の甲羅は神秘的な模様で、大亀の化身ぽい感じがします。
ところで、藤原山蔭といえば、京都の吉田神社の創建者でもあります。平安時代前期の高官であり、醍醐天皇の叔父である三条右大臣藤原定方の舅という天皇家にも近しい人物で、中納言だった光孝天皇の時代に四条流庖丁式を編み出し、現在は料理の神様としても信仰を集めています。総持寺でいただいた栞によれば、当寺の御本尊造立の時も、仏師に千日間毎日違う料理で饗したとのこと。「中納言の千日料理」として知られているそうです。
そして忘れてならないのが、伊達政宗は自らを藤原山蔭の末裔としていることです。それゆえ当寺に寄せる信仰も篤かったみたいで、現在開山堂に安置されている山陰の尊像を寄進し、山陰の家紋である「桔梗」に加えて、伊達家の家紋である「竹に雀」を寺紋として賜ったとのこと。政宗サンは無類の料理好きでもあるので、先祖であり料理の神でもある山蔭を信奉する気持ちは並々ならぬものがあったのではないかと思います。
境内を一周したあと、12時30分JR総持寺発の電車で京都に戻り、1時過ぎに京都駅に到着。八条口から13時17分に出発するR'EXこと、らくなんエクスプレスに乗り、城南宮前のバス停で降りて、45分頃に城南宮に到着。
バス停から一番近い東門から入り、まずは境内にある式内社の真幡寸神社にお参り。そもそも、この地に真幡寸神社があり、当社を中心にして平安時代以降に建てられたのが城南宮なので、はっきり言えば、こちらのほうが神社としては古くて重要。当社の祭神は真幡寸大神と品陀和気尊で、「品陀和気尊」は応神天皇のことですが、「真幡寸大神」の正体は不明――ではあるのですが、鳥取にある真幡寸神社の祭神が賀茂別雷神らしいので、真幡寸神=賀茂別雷神=ニニキネのような気がします。平安京を挟んで北にはニニキネを祀る上賀茂神社がありますし……都の北と南から山城国の開拓神が守護するという形を取ったのではないでしょうか。城南宮を南の守り神とするのは、その名残なのかもしれません。
現在は城南宮の境内摂社となっている、式内社の真幡寸神社
城南宮前殿。たしかに、令和初参りです。
その後、まだ時間があったので、久しぶりに神苑を見ることにしました。城南宮の神苑は「源氏物語 花の庭」と呼ばれ、源氏物語に出てくる植物が植えられていて、遣水などもあり、曲水の宴などが催される風情のある庭なのですが、残念ながらこの時は二つ三つのカキツバタぐらいしか咲いていなくて、ほとんど見どころがありませんでした。苑内のギャラリー水石亭で「即位の儀式」資料展という展示をやっていて、江戸時代から昭和まで、京都で行われた即位式の絵図や写真などが展示されていたので、それはまあまあ興味深かったですが。
源氏物語 花の庭。散りかけのつつじぐらいしかありませんでした。
この時期の見どころは、枝ぶりのよい松ぐらい。
ちなみに、ギャラリー名である「水石亭」というのは鳥羽付近にあったとされる藤原時平の別業と同じ名なので、「もしや……」と思い、京都から帰ってきて調べたら、やはり城南宮の敷地は時平の別業の跡のようでした。城南宮を取り囲むように造営された鳥羽殿(城南離宮)は藤原季綱から献上された地に造られたとのことなので、時平からどういう経緯で水石亭が季綱の手に渡ることになったのか、大いに気になるところです。
2時45分には城南宮を後にし、54分発のバスで京都駅へ。泉涌寺で買ったペットボトルのお茶を総持寺で飲み干し、以降一滴もドリンクを飲んでいなかったので、駅に着いたらすぐにでも何か飲みたかったのですが、スマホの電池が切れかかっていたので、急いで充電できる店を探し、駅構内のみやこみち(近鉄名店街)にあるチャオプレッソで充電できることがわかったので、店に入ってコーヒーを注文。暑くて喉が乾いていたので冷たいものを飲むつもりでしたが、冷房が効いている店内に入ったら、疲労がカフェインを要求しました。毎日何杯飲むかわからないコーヒーも、その日は朝食後に飲んだきりだったので。
飛行機が18時発だったので、16時30分京都駅発の空港行きバスに乗る予定でしたが、余裕で1本早いバスに乗れそうだったので、早めに空港に行って、一杯飲みながらたこ焼きでも食べようと思い、コーヒーを飲み終わると、ホテルに行って預けた荷物を引き取り、16時10分発のバスで伊丹空港へ。
ところが、伊丹空港も前に来たときとは様子が違っていて、アテにしていた「たこぼん」が2階からなくなり、1階に「くくる」があるだけで、しかもこちらは満席で順番待ち。どうしようかと思い、他に何かないかと空港案内を見たら、ゲートラウンジにもう1軒たこ焼き屋があるみたいだったので、早々にセキュリティチェックを受けて行ってみることにしました。すると、そこが「たこぼん」だったのですが、小さな店でたこ焼き2種とビールしかメニューがなかったので、とりあえずたこ焼き一皿を注文し、無料の水を飲みながら食べました。
お昼を食べていなかったので、それだけでは物足りなかったのですが、水だけで同じ物を食べることはとてもできなかったので、ANAの売店で缶チューハイと、串かつ「だるま」のロースカツサンドを買ってきて、ゲートラウンジで食べることにしました――たこ焼きと明石焼とかなら、まだ水やお茶だけでも食べられるのですが。
たこ焼き屋での時間を確保するため、かなり早くセキュリティチェックを受けたせいで、搭乗開始時刻まで30分以上あったので、充電しつつスマホをいじりながら、のんびりと飲み食いし、搭乗が始まると、缶チューハイを飲み干して、機内へと向かいました。
帰りの飛行機は、トランプ大統領来日の影響で空港が混んでいるとかで、なかなか羽田に着陸できませんでしたが、20分ほどの遅れですみました。今回も無事終了です。