羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

京都・奈良寺社遠征 その2~大神神社、談山神社、興福寺

  あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。

 

 ……ということで、2020年も明け、周回遅れもいいところですが、引き続き2019年の備忘録を続けます。

 

 11月3連休の二日目は、悩んだ末、奈良に行くことにし、まずは多武峰談山神社へと向かいました。当社は藤原鎌足を祭神とする神社で、神代の聖跡というわけではなく、なおかつ時間があったら寄るというような気軽に行けるところではないので、今まで行ったことがなかったのですが、2019年は鎌足の没後1350年で、ちょうど「ザ・カマタリ!」という社宝特別展が開催されていたので、行くなら「今でしょ」と思い、足を運びました。折りしも前の日に京博で藤原高光の絵を見たあとだったので、多武峰少将と呼ばれた彼の隠遁先を見ておくのもよいか――とも思いました。

 

 「談山」という社名は、鎌足中大兄皇子(のちの天智天皇)と大化の改新について談合を行ったことに由来するそうで、鎌足の死後、長男の定慧が墓をこの山に移し、十三重塔を建立して父を祀ったのが当社の起源とのこと。ということで、山の上なので、アクセスは公共の交通機関だと桜井駅からバスで約30分。しかも1~2時間に1本ぐらいしかない路線なので、この日は多武峰に行って夜までに京都に戻れればいいぐらいの気持ちで行きました。

 

 とりあえず乗ろうと思ったバスは電車からの接続がギリギリ間に合うかというところで、1本早いバスは1時間近く待ち、1本遅いバスは2時間後だったのでチャレンジしたのですが、間に合わず。紅葉シーズンなので、運よく臨時便でも出ていれば乗ろうと思っていましたが、そんな都合のいいものもなく、調べたとおり、次のバスは2時間後だったので、乗りそびれた場合の当初の予定どおり、JR線で桜井から一駅の三輪まで行き、三輪そうめんを食べることにしました。大神神社の二の鳥居の近くの店に入り、まだ空いていたので、けっこうのんびりと食事をしたのですが、11時半を過ぎると混みはじめたので店を出、それでもまだ時間があったので、大神神社にお参りすることに。

f:id:hanyu_ya:20200103230512j:plain三輪そうめんと柿の葉寿司のセット。奈良グルメのド定番。

 

 大和一宮で名神大社でもある大神神社はすこぶる重要な神社で、背後の三輪山登拝はもちろん、摂末社は何年か前にすべて巡っているので、今回は拝殿に参拝し、御朱印をいただいて終わり。御朱印は以前来たときにも頂戴しているのですが、即位記念の特別印かもしれないと思い、時間もあったので列に並んでみました――残念ながら普通でしたが。まあ、ここの祭神はアマテルではなくソサノヲの末裔で、どちらかといえば伊勢系ではなく出雲系なので、さもありなんという気分。

f:id:hanyu_ya:20200103230709j:plain大神神社拝殿

 

 ちなみに、当社の祭神は大物主大神。初代大物主はソサノヲの息子で、オホナムチ=大己貴と呼ばれたクシキネですが、その息子で、大和の国を治めたヲコヌシ=大国主こと二代大物主クシヒコは、神上がる(=亡くなる)ときにこの地を守る神となるべく三輪山の洞に入りました。それゆえ三輪山は神が坐す神奈備山として崇められ、山を御神体として祭祀が行われてきました。それが神社以前の聖地としてのそもそもの起源です。

 

 「大物主」とは役職名なので大物主大神に該当する人物は何人かいるのですが、大神神社主祭神の名は「倭大物主櫛𤭖魂命」とされています。これは、倭=ヤマトの大物主である櫛𤭖魂=クシミカタマの命=ミコトという意味の名なので、『ホツマツタヱ』に登場するクシミカタマのことになります。彼は五代大物主で、その妹であるタタライスズヒメは初代神武天皇の皇后なので、神武の義兄にあたります。

 

 そして、『古事記』で三嶋湟咋の娘、勢夜陀多良比売に通い、比売多多良伊須気余理比売を生ませたとされる美和(三輪)の大物主の話は、『ホツマツタヱ』では弟ミシマ(ミノシマ)の娘であるタマクシヒメを妻とし、タタライスズヒメをもうけたツミハの話になっています。一方『日本書紀』では、大物主ではなく事代主が三島溝橛耳神の娘である玉櫛媛に通って媛蹈鞴五十鈴媛命を生ませたとあるので、この話の主人公は大物主ではなく、大物主の代行である事代主を務めたツミハということでほぼ間違いありません。つまり、五代大物主クシミカタマの名を持ち、なおかつクシミカタマの父である事代主ツミハのエピソードを持っている大物主大神とは、クシミカタマであり、またツミハでもあるということになります。……ではあるのですが、クシヒコが入った洞の場所には、目印として真っすぐな杉が植えられたと『ホツマ』に書かれています。なので、三本杉が大神神社の神紋である以上、当社の本来の祭神はクシヒコであると考えてよいと思います。それに、クシミカタマは境外摂社である日向神社に「櫛御方命」として、ツミハは同じく境外摂社である率川阿波神社に「事代主神」として祀られています。いずれも式内社で、大神神社末社ではなく摂社であるという事実こそが、今は小さな神社の主祭神でも、櫛御方命ことクシミカタマ事代主神ことツミハが、大物主大神とゆかりの深い重要な神であることを教えてくれます。彼らの系譜を書くと次のとおり。

 

 ソサノヲ――クシキネ――クシヒコ――ミホヒコ――ツミハ――クシミカタマ

 

 その後、土日祝日しか開いていない宝物収蔵庫を見学したあと、JR線で桜井駅に戻り、駅からバスに乗って談山神社へ。終点で降りて歩き、受付で拝観料600円を払って入山。その日は年中行事のけまり祭が行われる日でしたが、11時からとのことですでに終了し、人もあまりいませんでした。受付で訊いたところ、「ザ・カマタリ!」は拝殿で開催されているというので、神廟拝所、十三重塔を経て、拝殿へと向かいました。

f:id:hanyu_ya:20200103231011j:plain談山神社境内案内図

f:id:hanyu_ya:20200103231105j:plain談山神社神廟拝所と神廟である十三重塔

f:id:hanyu_ya:20200103231154j:plain神廟拝所内に祀られていた祭神鎌足の御神像。

f:id:hanyu_ya:20200103231252j:plain神廟拝所内に飾られていた狩野重信筆の三十六歌仙扁額より藤原敦忠北野天満宮の扁額とはまた違った味わいがあります。

f:id:hanyu_ya:20200103231352j:plain鎌足の二人の息子――定慧と不比等によって建立された十三重塔。現在の塔は室町時代に再建されたものですが、木造十三重塔としては世界唯一だそうです。重要文化財

 

 拝殿入口にある授与所で御朱印をいただいたあと、靴を脱いで昇殿し、まずは本殿に参拝。それから殿内で公開されていた展示品を見てまわりました。その中に住吉如慶・具慶合筆『多武峰縁起絵巻』という作品が展示されていて、それがとても興味深かったので、御守り授与所で売っていたカラーの現代語訳版を購入。ついでに、けまり祭の時にしか売っていないという「まりびと守」というものがあったので、そちらも買いました。私が買っているのを見て、参拝客の一人が興味を持ち、手に取っていましたが、同行者に「そんなもの買ってどうするの?」とたしなめられ、断念。自分が言われたようで、つい笑いそうになりましたが、こらえつつ、ひそかに心の中で「どうもしません、単に限定品に弱いだけです」とつぶやいていました。

 

 会計を待っているあいだに、吉野の金峯山寺で買った「くまぶしくん」によく似たクマのぬいぐるみを発見。「くまたりくん」と「かがみひめ」という名で、単品購入不可だったのですが、「そりゃ夫婦なんだから、一人じゃ可哀想か」と妙に納得し、そちらも追加購入。「くまたりくん」は言わずもがな、当社の祭神である鎌足をクマのぬいぐるみ化したものですが、「かがみひめ」はどう考えても彼の妻である鏡女王に由来するもの。特にそんなことは説明されていませんでしたが……。鏡女王といえば、私の大好きな額田王のおねーサン。ここで会ったのも縁のような気がして、かさばるけど持ち帰ることにしました。

f:id:hanyu_ya:20200103231848j:plain談山神社拝殿

f:id:hanyu_ya:20200103231444j:plain談山神社本殿。大宝元年(701)に創建され、現在の建物は19世紀半ばに建て替えられたもの。重要文化財

f:id:hanyu_ya:20200103231542j:plain特別展で展示されていた『多武峰縁起絵巻』より「談合の図」。多武峰山中で大化の改新についての密談をする中大兄皇子鎌足の場面。

f:id:hanyu_ya:20200103234012j:plain「くまたりくん」と「かがみひめ」。春日大社の神紋は下がり藤ですが、談山神社の神紋は上がり藤だそうで……どちらも藤原氏の家紋ですが。

 

 拝殿を後にし、途中すっ飛ばした権殿横にある境内社を見に行くと、鎌足墓所があるという御破裂山に登る山道があったのですが、鬱蒼として見るからに険しそうだったので、あきらめました。縄文時代の聖跡だったら根性で行ったと思いますが、予定外の買い物で手荷物も多くなっていたので……。

 

 ――ということで、境内で見るべきものは見たので、バス停へと向かうことに。バスの時間が合わなかったら、神社の前にある多武峰観光ホテルでお茶でも飲もうと思いましたが、急げば2時28分発に乗れそうだったので、参道のお土産屋も無視して小走りで直行しました。間に合って、3時過ぎに桜井駅に到着。時間的にもう一か所ぐらい行けそうだったので、とりあえずJR線に乗って京都方面に向かいつつスマホで検討し、興福寺に行くことにしました。前の年にも行っているのですが、なんと南円堂が特別公開されていることがわかったので。

 

 興福寺の南円堂は、草創1300年記念ということで、私が近年寺巡りをしている西国三十三所の第9番札所なのですが、基本的に毎年10月17日しか開扉しないという、遠方に住む者には非常に拝観が難しい札所で、阿修羅を見にたびたび興福寺を訪れている私ですら一度も御本尊にお目にかかったことはありませんでした。なにしろ10月17日に奈良にいなければ見られないのですから……もちろん曜日関係なく、です。それが今回北円堂とともに20日ほど特別公開されたのですから、これはもう行くしかありません。

 

 南円堂の御本尊は不空羂索観音で、康慶一門が手がけた坐像は国宝です。御顔の端整さ、光背の繊細さはいかにも慶派という感じで、威圧感のある像でした。御本尊をはじめ堂内の仏像は鎌倉時代に制作されたものですが、南円堂は嵯峨天皇の時代に藤原冬嗣が父内麻呂追善のために建立した建造物。もちろん建て替えられて、現在は4度目の建物だそうです。ちなみに、冬嗣は鎌足の五世孫で、時平の曽祖父でもあります。

 

 北円堂は2018年の特別公開の時にじっくり見たので、今回はさらっと一周して終わり、堂を出てすぐに長い行列を成していた御朱印授与所の列に並びました。列の長さからかなり時間がかかるだろうと覚悟はしていましたが、拝観時間が終わっても、日が暮れて境内が夜闇に包まれても順番はこず、結局2時間待ち。私はそのあと特に予定もなく、京都のホテルに戻ればいいだけで、スマホをいじりながら待ち時間をつぶしていたのでよかったのですが、そんな時間的余裕がある人ばかりではないはずで、前に並んでいた年配のご夫婦なんか何度も娘さんらしき人から、まだかまだかという催促の電話がかかってきていました。奥サンが電話を受けるたびに一緒に並んでいる旦那サンに報告するので内容がわかってしまったのですが……。みんなよく粘ると心底感心する一方で、何やら一抹の怖さも感じました。恐るべし、御朱印ブーム。

 

 6時半ごろになんとか1300年記念の特別印入りの御朱印をゲット。興福寺に着いてから3時間以上立ちっぱなしで、さすがに疲労感もハンパなかったので、近鉄奈良駅からは確実に座れて乗り換えもない特急で京都に帰ることにしました。とにかく疲れていたのでアルコールを飲みたかったのですが、特急だと京都までの所要時間が30分強で、のんびり飲めないので、ホテルの部屋でゆっくり飲むことにし、京都駅到着後、駅構内のみやこみちでタカラ缶チューハイを買って、駅前のホテルに帰着。これにて日程終了です。