羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

京都寺社遠征 その1~本能寺、広隆寺、太秦映画村、建勲神社、平野神社

 実は12月にも京都へ行ってきました。

 

 私は伊達政宗が好きなので「戦国IXA 千万の覇者」というスマホゲームをしているのですが、ある日、私もよく舞台で見ているミュージカル俳優の加藤和樹さんが「イケメン戦国」の伊達政宗キャラクターボイスを担当していると知ったので、こちらもやりはじめました。「戦国IXA」と違って完全なる乙女ゲーですが、とりあえず待ち時間が長いときの暇つぶしにはなるので……御朱印待ちとか(笑)その「イケメン戦国」が本能寺や建勲神社を巻き込んでイベントをするというので、大いに気になり、これまでに瑞巌寺には行ったことがあっても本能寺には行ったことがなかったので、いい機会だと思い、足を運ぶことにしました。11月の遠征と一緒にできればよかったのですが、三十六歌仙絵巻展は24日までで、こちらのイベントは28日からだったので、2か月連続で出向くことになりました。

 

 12月8日の日曜までは紅葉シーズンでライトアップや特別公開も多いので、その期間は避けて、次の週の木曜の夜に伊丹に飛んで京都入りし、金曜の朝から動くことに。本能寺も建勲神社もフツーにガイドブックに載っている名所なので、土日はそれなりに混むだろうと思ったので。

 

 まずは、京都駅から市バスに乗って堀川蛸薬師バス停まで行き、やはりこれまで行ったことのなかった本能寺跡へと向かいました。織田信長ホトトギス三人衆の中では一番好きな武将なのですが、今の本能寺は信長最期の地ではなく、また旧社地はこのあたりなのですが、現在は石碑があるだけなので、どちらも興味が湧かず、そんなわけで両所とも今回が初訪問と相成りました。

 

 本能寺跡から烏丸通りに出て烏丸御池駅まで歩き、地下鉄に乗って京都市役所前駅で下車。地上に出ると、すぐにホテル本能寺があり、その脇道を通って奥に入ると、本能寺の宝物館にぶつかりました。いつのまにか境内で、目の前の宝物館や、すっ飛ばしてしまった総門も気になりましたが、まずはお参りだろうと思い、本堂へ。参拝を終えたので、次に御朱印をいただきに授与所へ行きました。

f:id:hanyu_ya:20200109010959j:plain御朱印授与所前で出迎えてくれた明智光秀サン。2020年大河ドラマの主役、ゲーム内でも人気ナンバーワンの武将です。

f:id:hanyu_ya:20200109011045j:plainもちろん織田信長サンもいました。なんせここは本能寺ですから。

 

 御朱印を待つあいだに、なんともカッコいいオフィシャルステッカーなるものを見つけたので、2枚購入。信長は好みではなかったので、光秀と森蘭丸バージョンを選びました。

 

 続いて、ここまで来たら信長公廟を無視するわけにはいかないのでお参りし、その後気になっていた大寶殿宝物館を見学。ちょうど「カエルは観ていた」という展示をしていて、本能寺の変の前夜に危険を知らせるがごとく突然鳴きはじめたと伝わる「三足の蛙」の香炉をはじめ、信長や秀吉の書状など寺宝が公開されていました。その他、展示室の外ですが、館内にはステッカーの元絵も飾られていて、大きな絵で見るといっそう迫力があり、カッコよさが5割増しでした。

f:id:hanyu_ya:20200109012023j:plain信長公廟。隣に本能寺の変で命を落とした家臣たちの供養塔があり、氏名一覧があったのですが、森兄弟の他、明らかに武士ではない黙阿弥などの名もあり、命を落としたのは武士だけじゃなかったのだと改めて思いました。信長近侍の茶坊主ならば致し方ない部分がありますが、本能寺の僧侶だとしたら気の毒なことです。黙阿弥サンといえば、「元の木阿弥」の語源となった筒井家当主の替え玉が有名ですが……。

f:id:hanyu_ya:20200109011148j:plain墨絵師・御歌頭さん描く森蘭丸。隋心院にあった、だるま商店さん描く襖絵もそうですが、寺は今でも文化醸成の中心地ですね。新しいモノに敏感です。

 

 帰りは総門から出て「能」の字を確認してから、再び京都市役所前駅へ。

f:id:hanyu_ya:20200109011244j:plain本能寺総門。火事に何度も見舞われたので、カタカナの「ヒ」が縦に二つ並ぶ漢字を避けて独特の「能」の字を使っていることは、よく知られるところ。

 

 地下鉄で終点の太秦天神川駅まで行き、地上に出て、すぐ近くの嵐電天神川駅から嵐山電車に乗り、太秦広隆寺駅で下車。イベントスポットである太秦映画村へ行く前に、駅前にある広隆寺に寄りました。受付で拝観料を払い、御朱印をいただいたことがなかったので頂戴し、さっそく新霊宝殿へ。この寺で建物内に入れるのはそこだけなので。

f:id:hanyu_ya:20200109011435j:plain旧霊宝殿前の紅葉

f:id:hanyu_ya:20200110003902j:plain新霊宝殿前の紅葉

 

 広隆寺といえば、なんといっても弥勒菩薩半跏思惟像――国宝第1号です。秦氏が建てた寺で藤原氏や徳川氏とは関係がないため、めったに訪ねませんが、弥勒菩薩像はやはりこの像を超えるものはないと思っています。広隆寺の新霊宝殿は、弥勒菩薩は少々遠いですが、その他は国宝・重要文化財級の仏像でもわりと近くで見られるので、ありがたいです。神護寺薬師如来も、泉涌寺楊貴妃観音も、どんどん距離が遠くなりましたから……。弥勒菩薩が常設で、基本的にいつ行ってもお姿を見られるのも嬉しいことです。

 

 広隆寺を後にし、太秦映画村に向かっていると、途中いかにも古そうな神社を発見。近くに蚕の社(木島坐天照御魂神社)がある土地柄であることを考えると、とても無視できなかったので立ち寄りました。鳥居の前に、それだけやけに新しく立派な由緒書が建てられていたので読むと、なんと式内社の大酒神社とのこと。自分のことながら、神社オタクの勘は侮れないと思いました。だてに全国津々浦々巡ってはいません。

f:id:hanyu_ya:20200109012636j:plain大酒神社鳥居

f:id:hanyu_ya:20200109012753j:plain由緒書

 

 私の神社巡りは式内社が中心ですが、それは縄文時代研究のフィールドワークの一環で、神代の聖跡を起源としている可能性が高いからです。大酒神社は式内社ではありますが、由緒書にもあるとおり、祭神は秦始皇帝、弓月王、秦酒公――つまり、大陸から渡来してこの地に根を張った秦氏の祖先です。なので、正直に言って興味がなく、あえて訪れる気はなかったので、こんな偶然でもなければお参りすることはなかったと思います。松尾大社や月読神社、蚕の社は重要スポットなので、機会があれば何度でも行きますが。

 

 太秦映画村は、花見茶屋で「イケメン戦国」のコラボメニューを出しているというので、ランチを食べに行きました。別途2,400円の入村料を払わなければならなかったので、内容のわりに高いランチになりましたが(笑)。でも、こんな機会でもなければ映画村に来ることなどないだろうと思ったので、怖いもの見たさみたいなところもあって行ってきました。当然のことながら、修学旅行で来たときとはずいぶん違っていました(いつの話……)。

f:id:hanyu_ya:20200109094835j:plainコラボメニューの光秀セット。単なるキツネそばとちまきですが、一緒に頼んだ謙信甘酒に梅干しが付いていたので、そばに入れて梅きつねそばにしました。

f:id:hanyu_ya:20200109094914j:plainかなり気合が入った店内。ここまでやるかという気もしましたが……いろいろな意味で勉強になりました。やるなら中途半端はダメ、とか。

 

 食事後、村内をぐるっと一周したあと、映画村を出て太秦広隆寺駅まで戻り、再び嵐電に乗車。帷子ノ辻駅北野線に乗り換え、終点の北野白梅町駅で下車し、市バスに乗って船岡山バス停まで行き、建勲神社へと向かいました。バス停から船岡山北参道入口までは歩いて2、3分ですが、神社は山の上にあるので、そこから登り坂になり、計10分ほどかかります。

f:id:hanyu_ya:20200109095011j:plain船岡山北参道の紅葉

 

 船岡山には、応仁の乱の時に西軍の陣となった船岡山城が建設され、それゆえこのあたり一帯は「西陣」と呼ばれるようになったそうです。ということで、現在国の史跡にも指定されていますが、『枕草子』にも地名が出てくるので、それ以前から都人にとって特別な場所だったと思われます。また、現在は建勲神社の摂社ですが、平安京建都時に玄武大神を祀ったことが起源である船岡妙見社も存在します。よっておそらく神代の神に関わる山城国の聖地の一つだったのではないかと思います。下鴨神社がある糺の森のような。

 

 京都は盆地であり、京都タワーのような高層建造物などない古代においては近くに他にランドマークになりうる場所がありません。そんな中にあって船岡山は、鴨川と賀茂川が出合う糺の森に匹敵するほどわかりやすい地形であり、宮を造るにしろ墓を造って祭祀を行うにしろ、これほど最適なところはないと思います。『徒然草』には鳥辺野と並ぶ都の代表的な葬送の地と書かれていることを思い合わせると、古代に神上がって神となった何者かの葬地だからこそ、のちの世でも葬送の地とされてきたのではないかという気もします。確認不足で考察にもなっていない、あくまで想像ですが。

f:id:hanyu_ya:20200109213242j:plain船岡山公園から見える東山連峰。左が比叡山で右が大文字山。これだけ展望がよい場所が放っておかれたはずがないので、古代に宮が築かれ、それがのちに祭祀が行われる聖地となり、聖地が葬送の地になり、葬送の地だから特にその後は何も建てられなかったのが、応仁の乱に至って聖地だろうが葬地だろうがかまっていられなくなり、見晴らしがよく軍事的拠点にふさわしい地に船岡山城が建てられたというところではないでしょうか。寺社仏閣も容赦なく被害に遭った時代なので。

 

 船岡山公園から建勲神社に行き、参拝後、前回来たときには、へし切長谷部の特別朱印しかいただかなかったので、今回は建勲神社御朱印をいただきました。

f:id:hanyu_ya:20200109192805j:plain山城国船岡山建勲神社境内図。

f:id:hanyu_ya:20200110003759j:plain紅葉に目もくれず、そっぽを向く狛犬。織田木瓜紋にふさわしい潔さを感じます。

f:id:hanyu_ya:20200109192915j:plain建勲神社では、またまた信長サンが出迎えてくれました。当社の御祭神です。

 

 その日は嵐山の花灯路の初日で、夜には嵐山に行くつもりだったので、北野白梅町駅から嵐電に乗るため、船岡山バス停に戻り、バスに乗車。けれども花灯路の点灯や夜間特別拝観は5時からで、このまま行ってもまだ時間的に早く、かつ観光客で激混みの嵐山で時間をつぶすのは気が進まなかったので、急きょ思い立ってわら天神前バス停で下車し、平野神社に寄ることにしました。

 

 平野神社式内社で、それも名神大社なので、もちろん過去に訪れていますが、前に来たときは桜の季節だったので、全然印象が違いました。桜が神紋なので、昔から桜の木が多く奉納植樹され、平安期から桜の名所として名高く、現在は60種400本に及ぶそうですが、今は花もなく人もなく(十月桜がちらほら咲いていましたが……)、しかも拝殿は台風21号の被害を受けて倒壊……悲しすぎました。

f:id:hanyu_ya:20200109193125j:plain平野神社拝殿

 

 とりあえず参拝して御朱印をいただくと、以前ひととおり境内は巡って摂末社なども全部チェックしていたので、再びバスに乗って北野白梅町へと向かいました。北野白梅町バス停で降りて、北野白梅町駅から嵐電に乗り、帷子ノ辻駅で嵐山行きの電車に乗り換え、終点の嵐山駅で下車。平野神社を予定より早く切り上げたので、4時には到着しました。定刻通りの運行なら、それぐらいに着くことはわかっていたので、電車に乗っているあいだ、さて5時までどうしようかと悩み、スマホでいろいろと検索していたら、11月に若冲の最初期の彩色画作品が発見されたことで話題となった福田美術館が渡月橋からそう遠くないところにあるとわかったので、そちらに行ってみることにしました。

f:id:hanyu_ya:20200109193451j:plain嵐山駅には森蘭丸サンがいました。本能寺の蘭丸と違いすぎ(笑)。