羽生雅の雑多話

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京都寺社遠征&明智光秀探訪2 その2~高台寺、知恩院、新善行寺、雲龍院

 

 2月の3連休二日目は、ホテルをチェックアウトしたあと荷物を預かってもらい、京都駅前から市バスに乗って東山安井バス停まで行き、霊屋を特別公開している高台寺へと向かいました。数えきれないくらい京都に来ていて、何度もすぐ近くまで行っていますが、高台寺を訪れるのも今回が初めてでした。

f:id:hanyu_ya:20200317092613j:plain高台寺特別公開の看板

 

 高台寺は、豊臣秀吉正室である北政所ねねが夫の菩提を弔うために建立した寺院で、霊屋はねねが実際に眠っている墓所です。今回の特別公開では内部に入ることができ、ガラス越しではありましたが、厨子内に祀られた秀吉とねねの木彫像などを近くで見ることができました。なんといっても素晴らしかったのは、須弥壇厨子に施された蒔絵装飾。あえて「高台寺蒔絵」と別格扱いで呼ばれる理由がなんとなくわかりました。単にきらびやかで派手なだけでなく、洗練された派手さなのです。そして秀吉の坐像は、高台寺の建立が慶長11年(1606)で、死後からそれほど経っていないときに妻であるねねが作らせたものなので、生前の様子を伝えているといわれています。

f:id:hanyu_ya:20200317093010j:plain内部が特別公開されていた霊屋。外側は修復中でした。

f:id:hanyu_ya:20200318091846j:plain霊屋の下にある開山堂と観月台。高台寺の庭園は小堀遠州の作で、国の史跡・名勝に指定されています。

f:id:hanyu_ya:20200317220746j:plain高台寺庭園の説明

f:id:hanyu_ya:20200317221346j:plain時雨亭(手前)と傘亭(奥)

 

 霊屋を見たあとは、人も多くなってきたので、順路どおりに進んで出口へ。次は知恩院に行く予定でしたが、11時を回っていたので、混む前に店に入って何か食べようと思い、前回京都に来たときに霊山歴史館に行くため維新の道を歩いている途中で見つけて気になっていた高山寺のカフェへと向かいました。すると、カフェと同じ建物内にある強化ホールで、奇妙な文字を発見。「アンドロイド観音」……?

 

 気になって立ち尽くしていると、そばにいたスタッフに「無料なので見ていきませんか? 写真も撮れますよ」みたいなことを言われたので、勧められるまま中に入ってアンドロイド観音とご対面。

f:id:hanyu_ya:20200317221000j:plainアンドロイド観音サマ Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

 

 1日2回法話もするとのことでしたが、せめて衣装や鬘でも身に着けていればいいのに……と思いました。質素な仏様と違って、観音様は瓔珞やら何やら身に着けているのが普通なので。複雑な構造を見せたいのかもしれませんが。けれども、時代はもうここまで進んでいるのだと思い知らされ、探幽の天井画を見たときとはまた違った意味で衝撃を受けて、隣のカフェ――高台寺茶所「スロージェットコーヒー高台寺」に入りました。

 

 こちらは基本的にカフェなので、選べるほどフードメニューはないのですが、「豚角煮と生湯葉のだし茶漬け」という京都らしいメニューがあったので、それと食後のブレンドコーヒー、待っているあいだに食前酒として飲む白のグラスワインを注文。とりあえずこの次に向かう知恩院で「明智光秀と戦国の英傑たち」の特別公開寺院巡りは終わりなので、少々のんびりしながらその後の予定を検討することにしました。

f:id:hanyu_ya:20200223113642j:plain豚角煮と生湯葉のだし茶漬けと白ワイン

f:id:hanyu_ya:20200317221828j:plainこのどんぶりの形状の工夫が素晴らしいと思いました。

f:id:hanyu_ya:20200223121814j:plainカフェの外から見える八坂の塔京都タワー。テラス席ではこれらを眺めながら飲食ができます。

 

 食事後、ねねの道を北に向かって歩き、円山公園を通って知恩院に到着。知恩院を訪れたのも初めてだったのですが、山門の巨大さに度肝を抜かれました。知恩院のパンフレットによると、2代江戸将軍徳川秀忠が建立したものだそうです。将軍家の威信をかけて作ったのでしょう。目の前に続く男坂も信じられない傾斜で、年を取って今より足腰が弱くなったらとてもお参りには来られないと思いました(帰りに女坂があることに気づきましたが……)。境内に入ると、これまた巨大な御影堂がお出迎え。こちらは秀忠の息子である、3代江戸将軍徳川家光が建立したものとのこと。華やかさはなく、純粋に質量だけで人を圧倒する建物に、徳川将軍家の方針のようなものを見たような気がしました。質実剛健というか、名より実を重視するといったような……。

f:id:hanyu_ya:20200223122841j:plainねねの道の途中にある料亭「高台寺和久傳」の梅

f:id:hanyu_ya:20200317222145j:plain知恩院の山門。中央に掲げられている「華頂山」の扁額の大きさは畳2畳以上あるそうです。

f:id:hanyu_ya:20200317222258j:plain御影堂。間口45メートルあるそうです。

 

 知恩院は浄土宗の総本山で、開祖法然墓所があり、法然を御本尊とする寺院。現在の伽藍が整えられたのは江戸時代に入ってからで、浄土宗徒だった初代江戸将軍徳川家康が永代菩提所とし、寺地を拡大して諸堂を造営したそうです。ということで、明智光秀織田信長豊臣秀吉に続く戦国武将、徳川家康ゆかりの寺として今回特別公開がされていました。

 

 思いがけずとんでもない規模の寺だったので、混みはじめる前に御朱印をいただいておいたほうがよいと思い、まずは御朱印授与所へ。それから特別公開の入口へと向かいました。今回公開されていたのは大方丈、小方丈、方丈庭園。方丈も大小二つありました。知恩院の特別公開は新型コロナウィルスの影響で、3月5日からは中止となってしまったので、早めに行っておいてよかったです。

f:id:hanyu_ya:20200317222522j:plain知恩院特別公開の看板

f:id:hanyu_ya:20200317222613j:plain唐門近くにある仏足石

f:id:hanyu_ya:20200317222712j:plain方丈庭園にある家光手植えの松

f:id:hanyu_ya:20200317222801j:plain方丈庭園から見る大方丈

f:id:hanyu_ya:20200317222909j:plain大方丈の説明

f:id:hanyu_ya:20200317223028j:plain小方丈の説明

 

 特別公開を見終わったあとは、阿弥陀堂にお参り。その後、大鐘楼を見て、境内を出る前に売店「泰平亭」に立ち寄ったら、おもしろいものを見つけたので、つい衝動買いしてしまいました。

f:id:hanyu_ya:20200317223148j:plainなんと「光る知恩院のお茶」です!

 

 知恩院は「知恩院のお茶」というオリジナルブランドのペットボトルのお茶を発売しているのですが、その形を模したライトです(笑)。プラスチック製のキーホルダーですが、ライトの電源は単4電池3本で電池交換ができ、しかもLEDという、なかなかのスグレモノ。裏に取説が書いてある台紙に「非常時に役立つ」と書いてあるので、防災バッグにでも入れておこうかと思います。

 

 計6か所の特別公開を見終わり、2枚目のスタンプラリーのシートがコンプリートしたので、知恩院の和順会館内にある「カフェ かりん」に寄りました。記念品との引き換えだけでなく、指定の接待場所でドリンクや菓子などをいただくこともできたので。特に店内が混んでいたわけではないのですが、テーブル席に座って無料コーヒーだけを飲むのもどうかと思ったので、ケーキを頼んで一服しました。

f:id:hanyu_ya:20200223141226j:plainスタンプラリーシートと引き換えでいただいたコーヒーと別途注文したケーキ

 

 知恩院のあとは結局泉涌寺に行くことにしました。山内の3か所で「京の御大礼 雅の御所文化」というテーマで特別公開をしていたので。知恩院前バス停から市バスに乗って泉涌寺道バス停で下車し、泉涌寺の霊明殿と御座所の特別公開は以前に見ていたので、まだ訪れたことのない塔頭寺院から行くことにしました。

 

 まずは「京の冬の旅」初公開の新善光寺へ。「都の人々が信州善行寺本尊と近くで縁を結べるように」という後嵯峨天皇の勅願で創建されたため「新善行寺」と名付けられたそうで、よって御本尊は善光寺の本尊を模して鋳造された阿弥陀如来像です。というわけで、皇室ゆかりの品々が寺宝としていろいろと伝わっているのですが、中でも見ごたえがあったのが、大方丈の襖絵。幕府御用絵師である木挽町狩野派3代目、狩野周信が玄宗皇帝と楊貴妃、白楽天などの唐人を描いた作品ですが、保存状態が素晴らしく、周信が描いた当時とほぼ変わらぬであろう絵を堪能することができました。

f:id:hanyu_ya:20200317233928j:plain新善行寺特別公開の看板

f:id:hanyu_ya:20200317234004j:plain大方丈前の庭

 

 新善行寺では大方丈の出口の手前に喫茶室が設けられていて、お寺にしては珍しく洋菓子とコーヒーのセットメニューがあり、洋菓子は焼き上がりに金箔をのせたパウンドケーキだったので、またまた一服することにしました。6人席の空いている椅子に座ってコーヒーとお茶菓子が出てくるのを待っていると、お寺の方が相席して、一緒にお茶を飲みながらお寺にまつわる興味深い話をしてくれました。新善行寺は長らく非公開でしたが、次代のことを考えて数年前に期間限定で初公開に踏み切り今回の公開の依頼にも応じたとか、それゆえ寺宝の保存状態が良く、襖絵などは普段はしまってあるとか等々。他の席で飲食していた客も興味をそそられたのか集まってきて、瞬く間に6人席は満員になり、時間もなかったので、話の途中でしたが失礼して、新善行寺を出ました。

f:id:hanyu_ya:20200317234129j:plain金箔押しのプレートでいただいた金箔パウンドケーキとチョコクッキー、コーヒーのセット。見た目が金色の仏様のように眩しくてありがたい感じがしたので、「これは食べなきゃアカン」と思いました。

 

 予定になかったコーヒーブレイクで新善行寺での滞在時間が長引いたため、次の雲龍院に着いたのは受付終了ギリギリでした。雲龍院は他所より受付が30分長く、16時30分まで入れたので助かりました。

f:id:hanyu_ya:20200317234321j:plain雲龍院特別公開の看板

f:id:hanyu_ya:20200317234407j:plain山門を入ってすぐに早咲きの桜に出合いました。

f:id:hanyu_ya:20200223161707j:plain河津桜の花です。

 

 雲龍院は北朝後光厳天皇によって創建された、泉涌寺の別格本山。霊明殿は孝明天皇和宮たちの援助を受けて建立されたそうです。

f:id:hanyu_ya:20200317234809j:plain霊明殿の説明

f:id:hanyu_ya:20200317234911j:plain霊明殿前にある15代江戸将軍・徳川慶喜寄進の石灯籠

 

 その他、大石内蔵助の書という意外なものもありましたが、寺宝よりも部屋のつくりなどの建物が印象的なお寺でした。

f:id:hanyu_ya:20200317235123j:plain大石内蔵助の書。かつて雲龍院には大きな池があり、内蔵助が「龍淵」と名付けたそうです。

f:id:hanyu_ya:20200317235307j:plain蓮華の間

f:id:hanyu_ya:20200317235407j:plain書院・悟之間の「迷いの窓」

f:id:hanyu_ya:20200317235452j:plain書院・悟之間の「悟りの窓」

f:id:hanyu_ya:20200317235540j:plain本堂・龍華殿の廊下から見えた最初に出合った河津桜

f:id:hanyu_ya:20200317235612j:plain帰りがけに撮った夕暮れの河津桜

 

 走り大黒天という珍しい像もあって見どころが多かったので、閉門時間の5時まで粘って雲龍院を後にし、京都駅に戻るため泉涌寺道バス停へ。バス停に着くと、前日の北野天満宮前バス停と同じく行列ができていたので、京都駅行きバスの本数が増える博物館三十三間堂前バス停まで歩くことにました。

 

 駅に戻ったあと、ホテルに預けていた荷物を引き取り、指定席を取っていた新幹線の時間まで余裕があったので551蓬莱の列に並び、豚まんと甘酢団子を購入。その後いつものように、みやこみちの「ハーベス」でタカラ缶チューハイを買って改札口へ。6時48分発ののぞみに乗車し、これにて第2回明智光秀探訪及および寺院遠征終了です。