群馬で花見をした翌々週は、富山、金沢で仕事をしたあと特急サンダーバードで京都に出て、翌日に大覚寺、仁和寺、北野天満宮に行ってきました。大覚寺と北野天満宮では3月25日から5月31日まで「両社寺の歴史と兄弟刀」という特別展を同時開催していて、仁和寺では3月20日から5月9日まで春季名宝展を開催していたからです。
両特別展のリーフレット
前夜遅くにチェックインした京都駅構内のホテルをチェックアウトすると、まずは市バスで大覚寺へ。前回訪れたときは、藤原公任が「滝の音は~」の歌に詠んだ名古曽の滝跡があることに浮かれてすっかり失念し、明智門と明智陣屋を見るのを忘れたので、今回はそちらを見てから特別展を見学。兄弟刀とは、大覚寺所蔵の薄緑(膝丸)と北野天満宮所蔵の鬼切丸(髭切)のことで、どちらも清和源氏が代々受け継いだことから兄弟刀――ということらしいです。ともに国の重要文化財の指定を受けている名刀ですが、「刀剣乱舞」の影響で、昨今より注目を集めているようです。
亀山城から移築したと伝わる明智門。外観のみ見ることができ、残念ながら中には入れません。なので、門の奥にある明智陣屋は見られませんでした。
明智門と枝ぶりのよい松
大覚寺宸殿より右近の橘と勅使門
今回五大堂でいただいた特別公開限定記念御朱印
大覚寺バス停前にある大覚寺唯一の塔頭寺院で別格本山の覚勝院。明智光秀が周山に建立したと伝わり、今は慈眼寺に祀られている「くろみつ大雄尊」こと明智光秀坐像が作られたと思われる密厳寺の御本尊は現在こちらに遷されているそうなので、お参りをしてきました。仏像や堂内を見ることはできませんでしたが。
大覚寺の次は、市バスで嵐山に出て、嵐電で仁和寺へ。3月中旬に金堂と五重塔の特別公開を見に訪れ、しかも春季名宝展は毎年あるのですが、今回はリーフレットにあるように「菅原道真公大宰権帥任命1120年記念」と銘打っていたので、またまた足を運びました。親王の名誉職であるため現地に赴任しない太宰帥に代わって太宰府を仕切る事実上のトップである権帥は高位高官ではありますが、道真の場合、その任命は右大臣から失脚させられた結果なので、記念というのはどうかとも思いましたが……それゆえにかえって展示内容が気になりました。仁和寺が所蔵する江戸時代に描かれた『北野天神縁起絵巻』などが展示されていましたが、私の好きな藤原時平は見つけられず。残念ながら彼に関する情報は得られなかったので、霊宝館を出ると仁和寺を後にして二王門前の「佐近」に行き、またもやフランソワ・モンタンのハーフボトルを飲みながら、3月に来たときとは違うランチコースを食べました。
食事後、再び北野線に乗って北野白梅町駅まで行き、市バスに乗り換えて北野天満宮へ。特別展を見学し、もはや見慣れた感もある鬼切丸を見てから、本殿にお参り。それから、仁和寺と一緒に発行しているリーフレットがあるという情報を事前に得ていたので、御守り授与所に寄り、どこにあるのか訊くと、こちらに用意があると言うので、1部もらって引き上げました。
リーフレットの中ページ
今回の京都行きは、特別展の同時開催やリーフレットの共同作成など、神社と寺が宗教の垣根を越えて協力し合う活動が興味深く、実際にどんなことをどんなふうにやっているのか気になったので、3月に2回も京都遠征をしているにもかかわらず決行しました。清和源氏の先祖である嵯峨天皇ゆかりの大覚寺、嵯峨天皇の孫である光孝天皇とその息子である宇多天皇ゆかりの仁和寺、宇多天皇の寛平の治を支えた菅原道真を祭神として祀る北野天満宮――由緒を考えれば宗派の違う寺よりも関係は深いので、手を携え合って然るべき、という気もします。しかしながら、いずれも古都京都でも比較的参拝客が多いと思われる大寺古刹古社で、それらが率先してこのような企画を実行していることを、たいそうおもしろく感じました。今後もこういったイベントが増えることを期待します。兄弟刀展はすでに第2弾が、7月10日から「京の夏の旅」の一環で始まっているようですが。
膝丸と鬼切丸の限定御朱印と専用台紙。御朱印はそれぞれで授与、台紙は両方で販売していて、私は先に訪れた大覚寺で買いました。台紙だけで確か1,000円でしたが、ユニークな企画に敬意を表して購入。
専用台紙の表面。ただいま開催中の兄弟刀展第2弾、これから開催される第3弾でも違うデザインのものが発売され、3枚の台紙を繋げると、膝丸と鬼切丸が完成するみたいです。