羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

初のルビーロマンと18年ぶりの富士登山(付・小御嶽神社)

 9月です。ようやく朝夕は多少涼しくなってきて、だいぶ過ごしやすくなりました。

 

 やや耳の聞こえが悪いこと以外は特にコロナの後遺症もなく(そもそも後遺症かも不明)、8月は相変わらず忙しく過ごしていましたが、遠征はできず、おとなしく家と仕事場を往復していました。お盆休みに関西に行く予定を立てていたのですが、チケットを取っていた宝塚の公演が関係者陽性で休演になってしまい、8月いっぱいまで特別公開をしていた姫路城とあわせて行くつもりでしたが、病み上がり+一年で一番混んでいる時期+連日35度を下らない殺人的な猛暑の三重苦で、とても城見物だけを目的に出かける気にはなれなかったので、ホテルも飛行機もキャンセルして家に籠っていました。飛行機は半額しか戻ってこないし、ホテルは一度は泊まってみたかった念願の宝塚ホテルだったのですが……。宝塚は花組月組も東京公演のチケットが取れなかったので、ムラまで出張ることにし、ようやくリセールで大劇場の月組公演のチケットをゲットしたのですが、結局観られなくて、本当にもうガッカリです。コロナ禍による休演は仕方のないことで、誰が悪いわけでもなく、演じられないジェンヌさんたちのほうが悔しくて残念だとは思いますが。

 

 ということで、友人とフレンチに行ったことぐらいしかイベントがない夏だったので、なんかワクワク感がほしいと思い、ふと思い立って、8月の下旬にふるさと納税を申し込み、その返礼品が先週の日曜に届きました。

ルビーロマンです。比較しているのは、家にあった枝付きの干しブドウですが、1粒がメチャクチャ大きいです。2センチ以上ありました。

2房入っていました。

 

 ルビーロマンは石川県が14年かけて育成した当県限定の最高級ブドウで、今年の初競りではなんと150万円という高値がついた房(もちろん1房)もあったそうで……Σ(゚Д゚)スゴ。最初に食べた房は皮だけがきれいに剥けて、ブドウなのに歯ごたえがある、なんとも言えない食感で、それがジューシーさと溶け合って本当に美味でした。味に関しては好みだと思います。シャインマスカットとかも美味しいですし。

一緒に入っていた栞

栞の中ページ。もちろん今回届いたのは「秀ランク」です。

栞の中ページ

 

 で、ルビーロマンを堪能した週末は、金曜土曜の一泊二日で、この夏最大のイベントである富士登山に行ってきました。富士山は昔一度登ったことがあり、東京から3時間ほどで行ける場所でこれほど達成感を得られる経験ができることが素晴らしかったので、一生に一度は登るべきだと機会があれば説いていたら、登りたいと言ってくれた奇特な友人がいたので……。そして2年前にチャレンジしようと話していたのですが、コロナウィルス流行により中止し、昨年も感染流行とそれによる緊急事態宣言発出のため見送り、今年は感染の第7波到来中だけど行動制限はなしということで決行することにしました。この計画があったので、関西旅行は無理せずあきらめがついたし、コロナに感染したことも、重症化せずに済んだ上に、しばらく感染におびえなくていい抗体ができたのなら結果オーライと思えました。再感染がないとは言えませんが、今回の富士登山が原因で感染するリスクはかなり減ったはずなので……登山中にマスクをするのは厳しいので、この点は重要です。息切れするし、酸素が薄いから、マスクなんかしていたら酸欠で倒れるし、その場合、下手をすれば命にかかわりますから。

 

 前回は静岡側の富士宮ルートから登りましたが、今回は初心者が登りやすいとされる山梨側の吉田ルートを選択。同行の友人М氏とは登山口のある富士スバルライン五合目で待ち合わせたので、JR・富士急行直通特急の富士回遊で河口湖駅に向かっていると、高山病対策のため「標高に慣れたい」と言って早めに現地入りしているМ氏から「富士山駅からバスに乗ったほうが座れるかも」という連絡があったので、急きょ変更して二つ手前の富士山駅で下車。グッドアドバイスで、おかげで座ることができました。五合目までは1時間ほどの乗車時間なので、座れると座れないとでは大違いです。富士山駅からの乗車でも座れない乗客もいたぐらいの混み方だったので、当然のことながら河口湖駅からの乗車では座れず、それどころかバス停に並んでいた全員が乗れなくて、もう1台手配するみたいでした。途中、トイレに行くためか、バスを停めて降りて戻ってきた非常識な若者二人組がいたので、少々遅れて五合目に到着し、M氏と合流すると11時半だったので、まずは食事をしようということになり、土産物屋「富士山みはらし」の2階にある「みはらしキッチン」へ。

「みはらしキッチン」で食べた富士山ラーメン。どこが富士山かというと、海苔の絵とかまぼこの柄が富士山。

 

 食事を終えて階下に降りると、なんと雨がザーザー降りで、「いや、これは参ったね」と言いながら、金剛杖と水を買い、予報で天気が悪いことはわかっていたので、持ってきた雨具を着込んで準備をしていたら、運よくすぐに小雨になったので出発。登山口の前で検温を済ませ、富士山保全協力金を支払い、登山口へと向かいました。

検温済みの証明バンドと、協力金を納めるともらえる富士山保全協力者証の木札と富士登山アドバイスブック。

富士登山道吉田口の看板

六合目付近(多分)

 

 4時半過ぎに宿泊予定の八合目にある山小屋、太子館に到着。前回山小屋に着いたときは頭痛と寒気がひどくて(典型的高山病)、到着早々部屋の隅で寝込んでいましたが、今回は行動可能な軽い頭痛で済み、前回は全然食べられなかった山小屋の食事も体験することができました。

太子館の夕食。朝食は夕食時に菓子パンとレトルト釜メシを渡されました。

 

 コロナ対策もあって今回は個室を取ったのですが、Wi-Fiもあり、コンセントもあり、想像以上に快適な空間でした。御来光を頂上で見るためには1時ぐらいに起きなければならないので7時前には寝たのですが、思っていたより眠れて深く寝入ってしまったため、アラームをセットした1時半には起きられず二度寝して、なんとか2時に起床して出発。標高3000メートル以上、しかも夜なので、当然のことながら気温は5度あるかないかという寒さで、おまけに小雨まで降っていましたが、出ていくときには玄関にも玄関前にもけっこうな人数の登山者がたむろしていました。

3時50分頃。太子館から三つ目の山小屋、元祖室の看板。まだ真っ暗なので、看板ぐらいしか写りません。

4時40分頃。夜が明けてきました。

5時頃。見えてくると雲がすごいことが判明。

5時10分頃。左下に山小屋が見えます。このへんから登ってカーブのたびに止まって休んで日の出の状況を確認。

5時22分頃。太陽が上がろうとしています。思ったとおり、寝坊して予定より山小屋出発が遅くなったので、日の出前に頂上到達はできませんでした。

雲海と朝日を受けた山肌。北斎の赤富士の色です。

登頂は6時20分。吉田口から登ると久須志神社の前に着くのですが、残念ながら閉まっていました。前回御朱印をいただいているので、あきらめはつきましたが。

日の出からすでに1時間ほど経っているので、太陽がもうかなり上にありました。

 

 とりあえずベンチに座って朝食を摂ることにし、山小屋で渡されたときに温められていた釜メシは当然のことながら冷めていたので菓子パンだけを食べ、食事後М氏がトイレに行きたいと言うので探したのですが、見あたらず。どこかにあるはずなので下山道を案内しているガイドスタッフに訊ねたら、もう閉まっているので下山してくれとのこと。富士宮ルートの頂上にもあるので、そちらは開いているのかと訊いたら開いていると言うので、向かうことにしました。浅間神社の奥宮を通り過ぎてトイレに寄り、そこまで来れば最高峰地点である剣ヶ峰は目の前なので急斜面を登り、そのままお鉢巡りをして火口を一周。9時過ぎに久須志神社前に戻り、登山道とは異なる吉田ルートの下山道から下山。

吉田から富士宮へ向かうときに見えるお釜――火口です。

富士宮ルートの頂上にある浅間神社奥宮も閉まっていました。

富士宮のほうは下界が見えました。緑が深いので樹海かもしれません。

逆光で読めませんが、「日本最高峰富士山剣ヶ峰」の碑。ここが3776メートル地点です。

三角点の碑

剣ヶ峰から見るお釜

溶岩と青空

富士宮から吉田に戻るときに見えた下界

山梨県側に近づくにつれ雲が増えました。

吉田ルート下山道。雲に向かって進みます。

下山道の途中まで植物はなく、しみじみ火山であることを感じます。

 

 吉田ルートの下山道は登山道とは別になっていて山小屋がなく、登山道にある山小屋に寄れないこともないのですが、道を逸れてある程度登らなくてはならないため、とても寄る気になれず無視したら、八合目を過ぎたあたりから足が痛んでまっすぐ歩けなくなったので、休んでおけばよかったと後悔しました。下りのほうが登りより足にくることはわかっていたのですが、今回は予想以上でした。私の歩くペースが途端にガクンと落ちてノロノロになったのでM氏が終始前を歩き、そのМ氏がスキーのターンみたいな斜め歩きをしていたので真似てみたらなんとか痛みを堪えることができ、ヘロヘロの状態で七合目公衆トイレに到着。寄らなくてもよかったのですが、まだまだ先は長く、何があるかわからないので、入っておくことにしました。有料で料金は200円でしたが、同じ200円でも、ここに比べると、登りの時に借りた太子館や東洋館のトイレは相当きれいだったと思いました。公衆だから仕方がありませんが。頂上トイレは私は入らなかったのでわかりませんが、同じようなものかもしれません。それでもきちんと管理されているのでありがたいことです。今シーズンの山じまいは10日でギリギリの登山だったのですが、そのせいか登山道が渋滞することもなく自分のペースで登れて、どこのトイレも待たずに入れるぐらいの登山者数だったので、よかったです。家を出るときの気温も26度ぐらいで、山に行く服装もそれほど苦ではなかったですし。頂上の神社が閉まっていたのだけは残念でしたが。

 

 どうにか斜め歩きで凌いで2時前にスバルライン五合目に到着。途中、水でこまめに水分補給をしつつ、たまに男梅キャンディーで塩分補給をし、プロテインバーでエネルギー補給をしましたが、朝食のパンを食べてから7時間ほど経っていて、お腹が減ってガッツリ米を食べたかったので、「五合園レストハウス」で中華丼を食べ、ついでにハイボールを1杯飲んでようやく生き返りました。しばらく歩きたくない気分でしたが、やや復活したので、私が来る前に寄ったというМ氏と別れて小御嶽神社に参拝。京極夏彦サンの「絡新婦の理」を読んで以来訪れたかった神社で、ようやく念願が叶いました。社殿は昭和50年に建てられたものなので見所はありませんでしたが、8本の鰹木と折れ曲がった参道を確認できたのは収穫だったと思います。新しくしても、重要な部分はちゃんと受け継がれているのだと思いました。

御嶽神社の鳥居。土産物屋に挟まれて所在なさげな感じでしたが、よく見ると参道が曲がっていて、通り道を塞がなければならない祟り神を祀っていることがわかります。

境内案内図

 

 当社の現祭神は磐長姫命、桜大刀自命、苔虫命。筆頭祭神である磐長姫命は「ホツマツタヱ」に登場するイワナガのことで、「ホツマ」ではヤマタノオロチの生まれ変わりとされています。ヤマタノオロチの正体は天君であるアマテルに反旗を翻した妃のコマスヒメで、アシツヒメの姉に生まれ変わり、アマテルの孫であるニニキネに取り入ろうとしましたが、容姿が醜かったために忌避されてしまいました。そして、自分に代わって召されたアシツヒメが懐妊したため、妬んで妹の腹の子は天孫の子ではないと讒言し、それを真に受けたニニキネに本当に自分の子かと疑われたため、アシツヒメは身籠っている子が天神の胤である証を立てるべく、「神の子なら無事に生まれるはず」と、産屋にみずから火を放って出産しました。炎の中から無事に三つ子が生まれて母親も無事だったことで、彼女が生んだ子は神の子であると認められ、アシツヒメが出産した日から花が絶えなかったので「コノハナサクヤヒメ」と呼ばれるようになり、三つ子を乳母に任せず自分で乳を与えて育てたため「コヤスカミ」の神名が与えられ、ヰツアサマミネの洞に入って神上がったので「アサマノカミ」と呼ばれた――とのことです

 

 また、イワナガは岩のように不動である永遠の命の象徴で、彼女を拒否したためニニキネを祖とする天神(天つ神、天君と同じ)の子孫は永遠の命ではなくなったという話もあります。小御嶽は富士山の原型の山で、神社でいただいた由緒書きによると、小御嶽と古富士という二つの山が土台になり、その間で噴火がくり返されて今の形になったとのこと。おそらく、苔むす岩のように不動の山だったときにはイワナガが祀られていて、噴火して今の形になると、炎の中で新しい命を生み出したアサマノカミ=浅間神ことコノハナサクヤヒメが山の神として祀られたのだと思います。それが富士の神が浅間の神であり、富士山頂に富士神社ではなく浅間神社が祀られている理由なのでしょう。不動であった山が不動ではなくなり火を噴いて形を変えたから、山に祀られる神も永久不変の象徴である神から炎と生命誕生を象徴する神に変わったのです。つまり、富士山の原型である小御嶽に祀られている小御嶽神社は、元祖富士山の古い信仰を守っている貴重な神社といえます

 

 桜大刀自命と苔虫命は、あまり見ることのない珍しい祭神ですが、伊勢神宮内宮の第一の摂社である朝熊神社の祭神です。当社は摂社ではありますが別宮に準じた扱いを受ける格式の高さで、内宮の別宮に祀られている祭神の正体は神宮内宮の主祭神である天照大御神ことアマテルの弟であるツキヨミや后妃であるセオリツヒメやハヤアキツヒメなので、朝熊神社に祀られている桜大刀自命と苔虫命の正体もアマテルの近親である可能性が高いです。ちなみに、小御嶽神社の由緒では桜大刀自命の正体を木花開耶姫命コノハナサクヤヒメとし、朝熊神社の苔虫命は磐長姫命イワナガヒメともいわれています。「苔虫」は「苔むす」の訛った形とも考えられるので、あながち的外れな説ではないかもしれません。

江戸中期に編纂された『和漢三才図会』で大社クラスとされる8本の鰹木。浅間神の総本社である富士山本宮浅間大社は5本……果たしてこの意味は

御嶽神社の切り絵の御朱印。ありがたいことにクリアファイル入りだったので、リュックの中で折れずに済みました。

 

 お参りをして御朱印と由緒書きをいただくと神社を後にし、バスの時間まで10分ほどあったので、こけももソフトクリームを買ってバス停に行くとМ氏がいたので、同じバスで河口湖駅まで行き、中央線の途中まで一緒なので、帰りは各駅停車で帰りました。これにて富士登山遠征終了です

 

※9月28日追記

 先日しまい込んでいた18年前の金剛杖を見たら山小屋の焼印が地味で、今はかなりバラエティ豊かになっていることがわかっておもしろかったので、並べて撮った写真をアップしておきます。向かって左が今年の、右が18年前の杖です。焼印は18年前は一つ200円でしたが、現在は一つで300円か、二つで500円。山を登ってきて山小屋に到達し、ひと息入れがてら焼印を押してもらうのですが、それが増えていくのを見ると、ここまで来た者だけが手にできる証なので、なんか妙に嬉しかったです。

山小屋「花小屋」の焼印は不動明王

山小屋「鎌岩館」の焼印はアマビエ

山小屋「鳥居荘」の焼印は鳥居

宿泊した山小屋「太子館」の焼印はわりとシンプル。一番上は頂上で押してもらうためにあけておいたのですが、今回は売店がしまっていて、もらえませんでした。

押すところがなくなったら裏側に押します。にじんでいるのは、押し方が悪いのではなく、杖が雨で濡れていたせいです。

日のみこはどこの山小屋だったか……おぼえていません。