台風です。
16日金曜の4時で仕事を終えると、羽田発18時のANA便で岡山に飛び、18日の岡山発19時のJAL便で帰ってくる予定でしたが、キャンセルしてエクスプレス予約で新幹線の指定席を取り直し、昼過ぎののぞみで帰ってきました。岡山発着便は19日は欠航が決まっているのでキャンセル料がかからないのですが、18日の便は昼過ぎの時点ではまだ終日運行予定のままだったので、半額しか戻ってきません(T_T)。エクスプレス予約のように発券前ならいくらでも変更できる予約システムに慣れてしまうと、本当に飛行機は不便だと思いました。以前吉野に行ったときにも、関西空港から帰る予定でしたが台風のため特典航空券をキャンセルして、自腹を切って新幹線で帰ったことがあります。エアーチケットが変更できないのは先割とかの割引価格で買っているからなのですが、基本的に新幹線を使うより運賃が高ければ飛行機を選ぶことはないので、飛行機を選んだ時点でおのずと変更不可となります。まあ、旅先で足止めを喰らい、予定の日に帰って来られないよりはマシですし、早く引き上げても岡山来訪の目的は果たせので、いいのですが。
7月1日~9月30日まで岡山デスティネーションキャンペーン(略してDC)をやっていて、岡山DCの特別企画で、「吉備津神社の正式参拝と境内案内・鳴釜神事」というのがあったので、「これは行くしかない!」と思い、即申し込みました。キャンペーンは3か月間やっているのですが、吉備津神社のこの企画は各月2日、計6日しか設定日がなく、しかも各月とも月曜1日と日曜1日で、よって都合がつくのは最終日の9月18日の日曜だけだったので、7月上旬にはシルバーウィーク前半の岡山遠征を計画。富士登山の一週間後でしたが、問題ないだろうと思っていました。
ところが、出発前日になっても筋肉痛が治らず階段の昇り降りに苦しみ、おまけに大型台風も襲来するというので、先月断念した関西に続いてまたまた挫けそうになりましたが、18日の鳴釜神事は屋内だし、17日はどうにか天気がもちそうだったので、気力を奮い立たせて出かけることにしました。……なのですが、出端をくじかれるように、行きのANA便は、使用機ではなく乗務員の都合がつかないという聞いたことのない理由で20分のディレイ。岡山駅行きのリムジンバスは待っていてくれましたが、駅近くのホテルに落ち着いたのは8時半過ぎだったので、その日は駅構内のコンビニでタカラ缶チューハイを買って部屋で飲んで終わりです。
翌日は、9月25日まで土日祝日にかぎり「吉備ロマン無料循環バス」というのが走っていたので、9時発の便に乗車。このバスは岡山駅を起点に吉備津彦神社、吉備津神社、造山古墳、備中国分寺、最上稲荷などの見所を巡回してくれる素晴らしいバスで、このバスの存在があり、天気もなんとかなりそうだったので、岡山行きを決行しました。以前岡山を訪れたときには、こんな便利な交通手段はなく、吉備津彦神社から吉備津神社へ行くのもひと苦労でしたから。こちらもDCの企画なので、この機を逃すと効率よく吉備路を巡る機会が今度はいつ訪れるかわかりません。
……とは言いつつも、今回の目的ははっきりしていて、吉備津神社の鳴釜神事と鬼ノ城だったので、他は余裕があれば寄る――という感じでした。式内社巡りをしているので、名神大社の吉備津神社は昔お参りをしたことがあるのですが、鬼ノ城は高田崇史さんのQEDシリーズの『鬼の城伝説』という本を読んでから興味を持ったので行ったことがなく、いつか行きたいと思っていたのですが、アクセスが難しい場所で、なかなか実現できませんでした。しかし岡山DCの企画で、9月25日までの土日祝日はバスで行くことができるので、またしても「行くしかないでしょ」と思い、足を運ぶことにしました。
9時発の循環バスは右回りの第1便で、5分前に駅西口の発着所へ行くとほぼ満員で、後から乗ってきた人は補助席に座るという混みよう。18日19日の運行は台風のため中止が決まっていたことも影響していたのかもしれません。吉備津神社、造山古墳、備中国分寺でほとんどの人が降りて、目的地のサンロード吉備路に着く頃には乗客も半分ぐらいでしたが。左回りのバスもあるので、人がガクンと減ったのは、ここから先の発着所が目的の場合は岡山駅から逆回りに乗ったほうが早いせいもあったと思います。鬼ノ城に行くためにはサンロード吉備路で「鬼ノ城バス」に乗り換えるのですが、こちらは無料ではないため、サンロード吉備路内の売店でバスチケットを購入しなければなりません。2,000円と少々お高い金額でしたが、売店で使える1,000円のクーポンが付いているので、実質的には1,000円でした。昼休みの時間帯以外は9時から4時まで30分間隔で運行していたので、次の10時30分発の便に乗り、20分ほどで鬼ノ城駐車場に到着。
岡山は、岡山空港が岡山“桃太郎”空港と名乗っているほど桃太郎伝説が息づく土地ですが、その御伽話のもとになったといわれているのが、吉備津神社と吉備津彦神社の祭神である大吉備津彦命こと彦五十狭芹彦命と温羅の伝承です。7代孝霊天皇の皇子だった彦五十狭芹彦命は、大和の大王家が全国平定に向けてまだ支配下にない地方に差し向けた四道将軍の一人で、西道に派遣されて吉備を平定したので「吉備津彦」と称されました。そのとき皇子に討たれたとされるのが温羅です。温羅は百済の皇子とも伝わり、大陸渡来の技術を吉備の民に伝えて吉備で一大勢力を築いていました。それが大和の大王家にはおもしろくない上に脅威だったのでしょう。温羅は討伐され、歴史は勝者のものなので、その後の伝承では人々に悪さをしていたため退治された鬼であると貶められて、桃太郎伝説の一端を形作りました。切られた温羅の首は吉備津彦の宮の御釜殿の下に埋葬されましたが、いつまでも唸り声を上げ続けるので、吉備津彦が困っていると温羅が夢に現れて、わが妻に奉祀させれば吉凶を告げようと言ったので神事が始まり、これが今に続く鳴釜神事となりました。そして、吉備津彦に征伐された温羅が拠点としていたと伝わるのが、鬼ノ城です。
鬼城山ビジターセンターに併設された駐車場まではバスで行けましたが、その先は徒歩なので、まずは情報を得ようと思い、ビジターセンターを見学。パネル展示の写真を見ると、どう見ても城跡は山の上で、鬼ノ城は標高約400メートルの鬼城山の山上に築かれた山城で城壁の全周は約2.8キロとのことなので、「しまった、これは城見物ではなく登山だ」と思いましたが、後の祭り。吉備津神社の正式参拝があったので、山登り向けのトレッキングシューズではなく、思いきりタウン仕様のコンフォートブーツでしたが、せっかく来たし、帰りのバスは約2時間半後の13時30分発なので、無理せずゆっくりと登ることにしました。西門の盾の図柄だという鬼ノ城オリジナルグッズの手ぬぐいが販売されていたので、記念に購入すると、登山開始。
鬼城山の看板
「桃太郎伝説」の生まれたまち、おかやまについてのパネル。鬼ノ城、吉備津神社、吉備津彦神社の他、吉備の大王ゆかりと思われる古墳群が紹介されています。
上から見た鬼ノ城全景のパネル。赤い点線部分が城壁ですが、城内面積はおよそ30ヘクタール(東京ドームの約6.4倍)あるそうです。
鬼ノ城の概容についてのパネル
四つの城門についての解説パネル
学習広場から見る鬼城山と、復元された鬼ノ城西門
ズームするとこんな感じ
西門の正面。屋根の下に並んでいるのは盾で、ちょうど真ん中に位置している顔の絵が手ぬぐいの柄に採用されていました。
西門と城壁
南門(横から)
南門(正面から)
南門についての解説
鬼ノ城からの眺めその1。柵などがない自然な感じで好感が持てたのですが、それゆえにかなり自己責任なコースで、雨が降ってきたら危ないと思いました。
鬼ノ城からの眺めその2
城山に残る礎石群
岩に彫られた仏像
近寄ると千手観音でした。
分岐点にある案内図
東門(右から)
東門(左から)。下に見えるのが血吸川か?
東門についての解説
城内の山道その1。時折小雨がパラついていて、ぬかるんだら悲惨な目に遭うことが容易に想像できたので、のんびり歩くわけにはいきませんでした。
城内の山道その2。それほど高低差がないハイキングコースですが、たまに金剛杖が欲しくなる段差もありました。分岐路はいくつかありましたが、迂回路ではありません。
鬼ノ城からの眺めその3。左に見えるのは屏風折れの石垣
屏風折れの石垣付近にあった鬼ノ城についての説明板
屏風折れの石垣の上
屏風折れの石垣の上から見る鬼城山頂上方面
屏風折れの石垣から北門に向かう途中にあった「温羅旧跡」の石碑
北門
北門についての説明
城壁を一周して戻り、上から見下ろす西門
西門から見える山。何山かはわかりません。
鬼ノ城は温羅の城といわれていますが、孝霊天皇の皇子である彦五十狭芹彦命が活躍したのは紀元前で、鬼ノ城は発掘調査から7世紀後半の建造――おそらく白村江の戦い(663年)で負けて防衛のために造られたと考えられています。したがって温羅の城というより、温羅の城跡を利用して新たに造られた城なのだと思います。
その後の鬼ノ城についてのパネル
11時過ぎに歩きはじめて12時40分には登り口に戻ってきましたが、ドライバーが昼休みを取るためか、12時発の次は13時30分まで鬼ノ城バスの運行がなく、出発時刻まで40分以上あったので、ビジターセンターの無料休憩室にあった自販機で缶コーヒーを買って一服すると、休憩室は風が通らず暑かったので、駐車場のベンチに座って待つことにしました。10分前には新たな客を乗せてきたバスが到着したので乗車して待ち、定刻どおりに出発。20分ほどでサンロード吉備路に着き、建物内にあるカフェのランチタイムが2時までだったので急いで入店。ランチメニューはカレーとミートソースの二択でしたが、ランチバイキングをやっているレストランは13時で受付終了だったので仕方がありません。
ベーカリーカフェ「クルール」の雑穀米カレーとサラダ&ドリンクのセット
次の循環バスの出発時刻が右回りは14時15分、左回りは21分だったので、カレーセットを10分ほどで食べ終えると売店に寄り、クーポンを使ってお土産を買い、すでに来ていたバスに乗車。次の目的地は吉備津彦神社で、右回りも左回りも停まるのでどちらでもよかったのですが、乗ったのは21分発の左回りでした。40分ほどで吉備津彦神社に到着し、バスを降りて社殿の方向に歩いていたら、ついに雨が降りはじめました。降ったり止んだり、止んだかと思ったら突然雨脚が強くなったりの、たいそう気まぐれな雨でしたが。
循環バスの中から見た鬼ノ城バス。鬼のラッピングです。
吉備津彦神社の鳥居と社号標。狛犬は備前焼だそうです。後ろの山は神奈備山の吉備の中山。
本殿と同じく元禄10年(1697)に造営された随神門
境内案内図
吉備津彦神社は備前一宮ですが、吉備の国の総鎮守は吉備津神社で、大化の改新後に強大な吉備の国は力を削ぐために分割されて備前、備中、備後の三国になり、吉備津神社は備中一宮となったため、備前国と備後国には新たに吉備津彦を祀る祭祀の場が必要になりました。そこで分霊されて備前国の吉備津彦神の社として整えられたのが吉備津彦神社です。よって吉備津神社と同じく大吉備津彦こと彦五十狭芹彦命を主祭神とし、その墳墓であるとされている吉備の中山の麓に築かれました。ということで、旧社格でいうと、本社である吉備津神社は官幣中社、その分霊である吉備津彦神社は国幣小社になります。
拝殿、祭文殿、本殿。本殿は岡山藩主の池田光政が造営し元禄期に完成したものですが、それ以外は昭和11年(1936)に再建されたものだそうです。
本殿(右から)。美しいです。
本殿(左から)。美しいです。
本殿についての説明
本殿背後の吉備の中山にある稲荷神社に続く参道の鳥居と温羅神社。温羅神社の社殿は小さいですが、本殿より奥――本殿の左斜め後ろに位置し、本殿より鰹木が多いです。実に意味深です。
藤原成親供養塔下古墳。吉備の中山にある石室です。
古墳についての説明
参拝後、御守り授与所に寄ると、御朱印は書き置きのみで、通常版は以前いただいたので、夏至の日の日の出祭限定という御朱印をいただきました。今年の夏至は6月21日なのでだいぶ経っていますが、限定版の上に、9月17日の日付が手書きで入っていたので、よしとしました。ちなみに、何故夏至の日に吉備津彦神社で日の出祭りが行われるかというと、当社が夏至に太陽を真正面から迎えるように鎮座しているからだそうです。それゆえ「朝日の宮」とも称されているとのこと。
夏至の日の日の出祭の限定御朱印。「世界平和」「疫病退散」の文字に心惹かれて、こちらを頂戴してきました。
ところで、彦五十狭芹彦命は“大”吉備津彦命といわれるように、「吉備津彦」と呼ばれる人物は二人いて、もう一人は稚武吉備津彦命といい、大吉備津彦命の異母弟になります。兄とともに吉備平定に尽力し、豪族吉備氏の祖は大吉備津彦命ではなく稚武吉備津彦命ともいわれています。彼は吉備津神社と吉備津彦神社に相殿神として祀られていますが、吉備津彦神社では筆頭相殿神なので、吉備津神社が大吉備津彦命の吉備津宮の跡であることから考えると、吉備津彦神社のほうは稚武吉備津彦ゆかりの聖地が選ばれているのではないかと思っていました。けれども、今回夏至の日の日の出祭という神事が存在することを知ったので、分霊にあたって、吉備の中山の麓で夏至に太陽が通る道が選ばれた――というのが、真実に近いように思えます。
境内をひととおり巡ると時刻は4時前で、岡山駅行きの循環バスの時間まで20分以上あり、門前の「桃太郎茶房」がまだ営業しているようだったので、一服することにしました。緑茶甘酒と、テイクアウトで赤姫もちとたかきび団子を注文したのですが、餅は時間が経つと固くなるというのですぐに食べることにし、団子だけを包んでもらいました。しかし、受け取った団子も温められていて冷めたら固くなりそうで、通常の団子よりも小粒だったので、その場で平らげることにしました。
「桃太郎茶房」のたかきび団子
26分発の右回りのバスを待っているあいだにまた雨が強くなってきて、私は傘を持っていたので差して発着所で待っていたのですが、屋根がないため、少し離れた木の下でバス待ちをしている人がいました。バスが来たので発着所にやってきたのですが、逆方向へ行く30分発の左回りのバスで、「3連休で道が混んで渋滞しているから、もう少しかかると思うよ。傘がないなら貸すよ。返さなくていいから」と、運転手がバスのトランクを開けてビニール傘を取り出し、渡していました。返さなくていいと言われても処分はしづらいよなぁと考えていたら、案の定受け取った人が「営業所に返せばいいでしょうか」などと訊いていて、もう一人のバス待ち客は「私は持っているので」と断っていたので、賢明だと思いました。バスが遠ざかったあとも傘を差さなかったので、本当に傘を持っているのかは不明でしたが、雨に濡れている人がいて返却不要の傘があったら貸そうとするのはごく自然な行為で、その運転手の好意を断るのなら一番角が立たない妥当な返答だと思ったので。傘を借りなかった人は、参拝だけでなく明らかに吉備の中山などの古墳めぐりを想定した山登りスタイルだったので、雨は予想の範囲内で、多少濡れても問題のない格好をしてきたのだろうとも思いましたが。
20分ほど遅れてバスが到着し、岡山駅には5時20分頃に到着。翌日は、台風のせいで無料循環バスの運行が中止になったので、8時36分発の吉備線で吉備津駅まで行って吉備津神社に向かい、昼過ぎに岡山駅に戻ってきて13時33分発ののぞみで神奈川に帰る予定で時間がなさそうだったので、今のうちに土産物を物色しようと思い、ある店に入ったら、驚きの出会いがありました。
デニムのイコちゃん。岡山は国産デニムの代表的な産地ですが、こんなものまであるとは知りませんでした。
デニムのイコちゃんの後ろ姿。ジーンズを穿いているのではなく、体全体がデニムパンツ化していて、おしりにオレンジステッチ入りのバックポケットが付いています。
シャインマスカットのチューハイとシャインマスカットきび団子を持ってレジに行ったら、レジ前に黒い物体がいて、「なんかカモノハシのイコちゃんみたいな形だな」と思って、支払いを済ませて店を出ようとしたら、近くの商品棚にいくつか並んでいて、売り物だったのかと思って手に取って見ると、なんとブラックデニム製のイコちゃんのぬいぐるみで、しかもエドウィンのライセンス商品。JRのキャラクターでは一番好きなのがイコちゃんで、ホテルグランヴィア大阪の「ICOCAルーム」にも泊ったことがある人間なので、「これは買うしかない」と思い、それぞれ縫製にクセがあり、一つ一つ微妙に違うので、念入りに見比べて購入。夕食は駅ビルの中で食べようと思っていましたが、荷物が増えたので店に寄るのが億劫になり、駅弁を買ってホテルの部屋で食べることにし、この日は終了です。