羽生雅の雑多話

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兵庫寺社遠征 その2~家島神社、射楯兵主神社

 姫路城プレミアムツアーの翌日は、チェックアウトタイムが11時で朝食も付けていなかったので、起きられなければギリギリまでダラダラするつもりでしたが、思いのほか早く起きられたので、10時半にチェックアウトし、予定どおり家島に行くことにしました。瀬戸内海の大小44の島々で構成される家島諸島のメイン島です。

 

 フロントに荷物を預かってもらうと、神姫バスの駅前案内所へ行き、前日に観光案内所で教えられたバスと船の往復割引チケット「しま遊びきっぷ」を購入。10時40分発の姫路港行きバスに乗り、間に合うか微妙でしたが、乗船券を買う必要がなかったので、なんとか間に合って11時05分発の高速いえしまに乗船。家島の中心は真浦港ですが、目的は名神大社の家島神社だったので、宮港で下りることにしました。乗った船はたまたま宮港経由の真浦港行きだったので、11時36分には宮港に到着。観光案内所で港から海岸沿いに徒歩15分ほどと聞いた家島神社に向かって歩きはじめました。

家島の宮港と高速いえしまの中型船。真浦港から乗った帰りの船がこれでした。

 

 ……が、前日に続き、この日も気温28度というけっこうな暑さ。ところが降水確率が0%だったので、手荷物を少なくするため、預けた荷物に傘を入れてきてしまい、帽子もなかったので、水分だけはまめに取ろうと思い、さっそく水を飲もうとしたら、ホテルの冷蔵庫から取り出して入れたと思っていたペットボトルがバッグの中にありませんでした。「どこかで調達しないとまずいぞ」と焦りましたが、港の周囲を見まわしても店や自販機がなかったので、とりあえず神社に向かって進むことにしました。途中に食事処が1軒あるはずだったので。

家島神社に行く途中にあった海神社。神戸市に本社がある播磨国の並名神大社です。海神三神を祀っているので、海を司る神ということで分祀されたのでしょう。社も海を向いていましたし。

 

 期待どおり「割烹旅館志みず」の前の道路脇に自販機が設置されていたので、お茶と見間違えて抹茶ラテを購入し、ひと息入れると、旅館の前は海水浴場になっていて海辺に続く階段があったので、行ってみることにしました。

家島の海

清水の浜海水浴場から見る家島神社の鳥居

家島神社の鳥居と防波堤

 

 社務所神職がいるのなら12時前に着くのがいいだろうと思ったので、海水浴場を通り過ぎてからは休まず歩き、12時10分前に鳥居前に到着。

家島神社の鳥居

鳥居と社号標と万葉歌碑

社号標と灯籠

万葉歌碑

参道から見る鳥居

参道の階段。170段あるそうです。

 

 参道は、海沿いから階段を上るルートと、ホタルロードという山道ルートがあり、170段の階段を登り切ると社務所があり、右手にホタルロードから来たときの鳥居があります。

山道ルートの鳥居と社号標。左の手水舎の奥が階段&海沿いルートの参道入口。右奥は社務所のようでしたが閉まっていました。真ん中が社殿に通じる参道ですが、よく見ると右に曲がっているので社殿は見えません。

由緒書き

拝殿が見えてきましたが、参道は真っすぐではありません。果たして、いずれの神を封じ込めているのやら……。

 

 由緒書きによれば、家島神社の祭神は大己貴命、少名彦命、天満天神。大己貴命と少名彦命は、海神社と同じく播磨三大社に数えられる名神大社で播磨一宮である伊和神社の祭神なので、家島に播磨の国の神が分霊されて祀られたと考えられます。しかし当社は“家島神の社”であり、曲げられた参道から判断すると、本来の祭神は封じられた神であると思われます。天満天神は菅原道真のことなので封じられた神――正真正銘祟り神ですが、後から合祀された神なので家島神ではないでしょう。おそらく、家島の地主神が本来の祭神ではないでしょうか。

拝殿

拝殿の扁額

本殿(左から)

本殿(右から)。鰹木は4本と思われます。

 

 拝殿内に神職がいたので御朱印をいただけるか訊ねたのですが授与していないとのことなので、おみくじを引くと、来た道を戻るのはつまらないので、ホタルロード経由で真浦港を目指しました。

おみくじ。前日の凶から小吉まで運勢が回復しました。

ホタルロードから見える男鹿島と宇和島の二島。男鹿島はメチャクチャ削られているのがわかります。

清水公園の東側

清水公園の西側

 

 散策マップによると、ホタルロードの途中から遠見遊歩道という海岸沿いに出る道があったので、そこを通っていこうと思ったのですが、遊歩道の入口に着くと、その先は原生林内のただの山道で、イノシシ注意の看板が。昼は出ないと書いてありましたが、何かに遭遇してもその日の寺社詣りスタイルではとても対処できないと思ったので、あきらめて道なりに車道を歩き、途中で右折してすれ違うのもやっとの幅が狭い階段を通って海沿いに降りるルートがあったので、そちらを選択。平地が少なく斜面を宅地利用している島にはよくある細道ですが、レンタサイクルを借りると、こういう場所は通れません。幅1メートルもない路地裏みたいな階段をしばらく下っていたら鳥居が見えたので、GPSで調べたら宮浦神社でした。

白髭霊祠こと宮浦神社

宮浦神社の由緒書き。家島神社に行く途中にあった海神社は当社の境外末社のようです。

境内末社の竃社

本殿。鰹木は5本。家島神社より多いです。

 

 平日には島民の足として走っているコミュニティバスも土曜は午前中しか走っていないので、ひたすら真浦港に向かって歩き、25分ほどで到着。港の近くにある食事処も2時には閉まるとの情報を得ていたので、1時半にはラストオーダーだろうと思い、一番最初に発見した「料理旅館おかべ」に入店。すでに客は一人もおらず店じまいの準備に入っている様子でしたが、予約がないけど食事ができるか訊くと「どうぞ」と言われたので、カウンターに座り、これなら閉店間際でも確実にできそうな、お任せの内容で、おすすめメニューである「家島海の幸セット」を頼むことに。この日の内容を確認すると、お造り中心とのことで、暑い中2時間ほど歩いてきて疲れてもいたので、当然のことながらレモンチューハイも注文。お茶と間違えて抹茶ラテを買ってしまったので、よけいに喉が渇いていました。

料理旅館おかべの「家島海の幸セット」。この日のメインは鯛のお造りで、引き締まった歯ごたえのある身が美味しく、魚の種類は不明ですが、煮つけもタタキも食べられて、写真には写っていませんが、このあとフライも出てきて、すべてが魚の味がしっかりしていて、島の味を堪能しました。

 

 バスの案内所でもらったリーフレットによると要予約の店が多いとのことで、時間的に余裕があったら食事をするつもりだったので予約は入れられず、したがって食べられたらラッキーぐらいの気持ちでいたのですが、ガッツリと海の幸を味わうことができ、大満足で食事を終えると、ランチタイムが終わる2時に店を出て真浦港へ。上陸したのが宮港で、場所がわからなかったため、まずは乗り場を確認すると、次の姫路港行きの船の出発時間は14時30分だったので、近くにあるはずの真浦神社に行くことにしました。案内板を見ると、「どんがめっさん」という名所がすぐのようだったので、そちらに寄ってから神社へと向かいました。

「どんがめっさん」

「どんがめっさん」についての説明

真浦神社

真浦神社についての説明板

本殿。鰹木は宮浦神社と同じく5本。

 

 説明板によれば、当社は「家島の神の摂社」で、明治期に真浦神社と改称される前は荒神社と呼ばれていたとのこと。……ということは、家島の地主神である本来の家島神とは、こちらの荒神だったと思われます。荒ぶる神だからこそ封じる必要があったのでしょう。説明板には、当社の祭神は奥津彦神と奥津姫神とも書かれていましたが、これは荒神三宝荒神と混同され、三宝荒神は竃の神なので、同じく竃の神である奥津彦神と奥津姫神に比定されたからだと考えられます。つまり、本来の祭神ではないはずです。

 

 では、本来の荒神の正体は――というと、これこそ家島神だったのではないでしょうか。島に本土の播磨の国神が勧請されたことにより、島の地主神である家島神は本社から摂社の祭神に格下げされて荒神社に祀られたのだと思います。もっと穿った見方をすれば、家島が播磨国支配下に入ったときに、島の地主神である家島神は播磨人に祟るかもしれない荒神となり、その神を封じ込めるために播磨の国神の分霊が島に呼ばれ、その結果祭神が交代し、家島神社の本社には大己貴命と少名彦命が祀られ、摂社に荒神として家島神が祀られることになったのではないでしょうか。宮浦神社には境内末社として竃社がありましたが、おそらくそれは竃社の祭神が元々は奥津彦神と奥津姫神ではなく荒神だからで、比叡山の僧である覚円が比叡山に近い近江高島白髭神社から猿田彦神を勧請し当社を建てると、土地の地主神である家島神も一緒に祀った名残なのだと思います。あるいは、宮浦神社の鰹木が真浦神社と同じく家島神社より多い5本であることから考えると、家島神という荒神を祀った名残である竃社が最初は宮浦神社の主祭神で、猿田彦神末社の祭神であったのが、逆転したのかもしれません。家島神社で家島神が大己貴命主祭神の立場を取って代わられたように。

 

 その他、真浦神社と宮浦神社の両方に蛭子大神を祭神とする境内社の恵美酒社があったことも興味深かったです。西宮神社の記事でも書きましたが、えびす神は面倒くさく、恵美酒=えびす=蛭子=ヒルコ=ヒヨルコ=淡島=スクナヒコナという関係性が成り立つ、実に複雑な神です。よって、播磨一宮の伊和神社から分霊されて家島神社に祀られたのは大己貴命だけで、スクナヒコナ=少名彦命は真浦神社と宮浦神社の蛭子大神と同一神であり、家島諸島の隣に位置し、えびす神の生誕地である淡路島の信仰の影響を受けて祀られた可能性もあります。また、蛭子=ヒルコ=昼子=和歌姫=天照大御神でもあるので、宮浦神社で天照皇大神が祭神とされているのは、境内末社である恵美酒社の蛭子大神が転化して本社に合祀されたからかもしれません。一緒に祀られている底筒男神は境外末社である海神社の祭神がやはり本社に合祀されたのでしょう。真浦神社の三社宮は播磨国総社からの分霊とのことですが、宮浦神社に天照皇大神と底筒男神が祀られていたから総社から神明社の天照皇大神と住吉社の底筒男神が勧請され、家島神社の現祭神が大己貴命だから金刀比羅宮大己貴神も勧請されたのだと思われます。厳密に言えば、金刀比羅神とは大己貴=オホナムチのことではなく、オホナムチの孫のことですが……。宮浦神社の祭神の中で武甕槌神だけが他では祀られていなかったので由来の想像がつきませんでしたが、あとは辻褄が合って理に適っていたので、やはり神社研究はフィールドワークが大事だと思いました。

 

 出航10分前に真浦港に戻ると、すでに列ができていたので並び、高速いえしまの中型船に乗車。行きの船より大きくデッキも広かったので、船室から出て瀬戸内海と浮かぶ島々を見ながら家島を後にしました。

船から見た家島神社の鳥居

家島神社の鳥居と島々

右から男鹿島、宇和島、太島、鞍掛島(多分)

男鹿島の全景

帰りの船から振り返って見た家島

 

 3時に姫路港に着くと、15時05分発の姫路駅行きバスに乗り、20分ほどで駅前に到着。それから姫路城方面に行く乗り場に移動すると、ちょうど書写山ロープウェイ行きのバスがいたので乗り、姫路城大手門前バス停で下車し、そこから徒歩3分ほどの射楯兵主神社へ。式内社なので、最初に姫路城を訪れたときに一度訪れたことがあるため、時間があったら寄ることにしていました。

神門。播磨国総社で姫路城の鎮守でもあるので立派です。

境内案内図

 

 当社の祭神は射楯大神こと五十猛神と兵主大神こと大国主神。どちらもソサノヲの子で、五十猛神紀伊一宮の伊太祁曽神社主祭神大国主神出雲大社主祭神でもあります。紀伊はソサノヲの生国で、出雲は終焉の地で鎮座地ですから。この大国主神大己貴命のことなので播磨一宮の伊和神社の祭神でもあり、すなわち家島神社の現祭神でもあります(厳密に言えば、大国主神とは大己貴命の子ですが)。ということは、紀伊から淡路島→家島→姫路→宍粟(伊和神社)を通って、伯耆国日本海に出て出雲に至るルートがあったのではないかと考えられます。

本殿。二間社流造です。

播磨国総社の鳥居。この奥に播磨国16郡の神が祀られ、国司はこちらを参拝すれば、現地に出向かなくても16郡の神を参拝したことになりました。

鹿島神社と琴平社(左)。真浦神社の末社である金刀比羅宮はこちらからの勧請。

戸隠社と神明社(左)。真浦神社の末社である神明社はこちらからの勧請。

富姫を祀る長壁神社。最初は姫路城がある姫山に祀られていましたが、姫路城築城のため総社の境内に遷されました。しかし城主の池田輝政が病に罹ったときに富姫の祟りという噂が立ったので、輝政が改めて天守に祀りました。それゆえ姫路城天守と総社にあるそうです。

 

 参拝して御朱印をいただき、境内をひと巡りして射楯兵主神社を後にすると、近くに大きな鳥居があったので、姫路神社かと思って行ってみたのですが、護国神社で、興味がなかったためスルーし、最寄りのバス停にちょうど姫路駅行きのバスが来たので乗車。

射楯兵主神社から護国神社に向かう途中にあった城見台公園から見る姫路城。どこから見ても絵になる城です。

 

 姫路駅前に着くと、ホテルに寄って荷物を引き取ってから駅に戻って特急券を発券し、駅構内のコンビニで例によってタカラ缶チューハイを調達。昼食が豪勢だったので駅弁は少々重いと思いながら、ツマミを求めて駅ビル内をふらついていたら、フードコートみたいなところに「姫路玉子焼き」という看板があったので、ピンと来てテイクアウト。いわゆる明石焼で、大好物なのでラッキーと思っていたのですが、荷物が多い状態で、だし汁のパックが斜めってこぼれないように真っすぐ持って歩くのはけっこう大変で、たこ焼にしておけばよかったと思いました。

 

 5時過ぎののぞみに乗車し、これにて遠征終了です。