会場が暗くなると、照明が落とされた舞台に一人の金髪の男が現れ、朗読を始める。男が読みはじめたのは、新本格ミステリの幕開けといわれる綾辻行人著の『十角館の殺人』。時々噛みながらも、男は芝居っ気たっぷりに、ナレーションと登場人物数人のセリフを演じ分ける。男は和装で、手には黒手甲という独特の出で立ち――見る人が見ればその正体は判るが、彼は自らを「新本格に幕を引いた男」と紹介した。
ということで、先週6日に、日本橋三越にある三越劇場で行われた、新本格ミステリ30周年記念トーク、綾辻行人、京極夏彦、辻村深月の御三方による「30年目の『十角館』」に行ってきました。ただの鼎談なら行きませんが、今回のテーマは綾辻さんのデビュー作にして、館シリーズの記念すべき第一作目である『十角館の殺人』。辻村さんの作品は読んだことがありませんが、京夏さんの百鬼夜行シリーズの大ファンで、綾辻さんの館シリーズもコンプリートしているので、これは行かねばと思い、行ってきました。
それにしても、『十角館の殺人』から30年ですか……早いですねぇ。京夏さんが「朗読して今日初めて気が付いたんですが、角島に行った日は僕の(私の、だったかな?)誕生日なんです」と言っていて、綾辻さんが「ただの偶然です」と切り返していましたが、1986年3月26日――K大ミステリ研究会の面々が廃屋となっている十角館が存在するだけの無人島である角島に上陸したところから、この物語は始まります(プロローグ除く)。
『十角館の殺人』は文庫が出たときに買ったので、私が読んだのは26年前になります。カバーイラストに惹かれて手に取りました。推薦していた島田荘司さんの御手洗潔シリーズも大好きだったので。登場する探偵の名も“島田潔”でしたし。
それまで日本のミステリといえば、古典なら江戸川乱歩か横溝正史、以降30年前ぐらいまでは松本清張か赤川次郎という感じでした。このへんについては他の意見もあるとは思いますが。綾辻さんもトークで、『悪魔の手毬唄』の映画は何度も泣くと言っていて、たしかに市川崑監督の映画は、血みどろの探偵小説が原作であっても美しく、後に残る叙情性がありましたから、私も大いに共感したのですが、それほどに日本の探偵といえば明智小五郎か金田一耕助の二大巨頭で、裏を返せば、この二人以後、探偵らしき探偵は出ていなかったのです。
私は松本作品も赤川作品もそれなりに楽しんではいましたが、そんな中で出合った島荘さんのデビュー作『占星術殺人事件』は特に衝撃的で、この出合いがなければ、綾辻さんも京夏さんも読むことはなかったかもしれません。というか、デビューしていなかったと思います。占星術やタロットにハマっていたことがあったので、最初はタイトルに惹かれて手に取ったのですが。
タイトルといえば、昔買ったのはそんな本ばかりです。学生の頃はお金がなかったので、まずタイトルに惹かれて手に取り、帯の煽り文句や裏表紙のあらすじ、場合によってはあとがきを立ち読みしたりして、吟味に吟味を重ねて本を買っていました。なので、ほとんど駄作というものはありませんでした。本を選ぶときに売れているとかいないとかは関係なかったので、村上春樹とか吉本ばなな等の著作は読んだことがありません。興味がなかったので。又吉直樹とかもまったく読む気がしません。
話を『占星術~』に戻しますと、この作品は探偵役の稀代の変人――御手洗潔がとにかくツボにハマって、シリーズを読みまくりました。舞台が横浜の馬車道というのも洗練された雰囲気を醸し出していてよかったですね。同じ島荘さんの作品でも、吉敷シリーズはあまり惹かれませんでしたので、御手洗潔という登場人物の魅力にやられたのだと思います。京夏さんの百鬼夜行シリーズも、緻密に構築された濃密で特異な物語と、現実と非現実――いや、いろいろな精神が見せるもう一つの現実を行き来するような独特な世界観はもちろんですが、京極堂以下の個性的すぎるキャラクターたちにノックアウトされましたから。
その島荘さんの御手洗シリーズの中に『斜め屋敷の犯罪』という傑作があるのですが、これは綾辻さんの館シリーズの先駆けとなる作品だったと思います。このあとに出た綾辻さんの館シリーズは、よりゴシック的な雰囲気が漂う、クイーンやクリスティの世界観に近づいた作品だったので、『十角館~』を読んだときには、正直なところ文章がまだこなれていない感じはしましたが、日本のミステリ界にもようやくこういう雰囲気のある作品を書く新人が出てきたかと嬉しく思ったものでした。偉そうですが、本当にそう思いました。ミステリ好きなら共感できる思いではないでしょうか。特に、シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、エルキュール・ポワロ、エラリー・クイーンらの活躍を愛読してきた探偵小説好きならば。これらに親しんでいた人間は、島荘さんや綾辻さんの作品が登場するまでは、現代作家の作品では本格推理、探偵小説は読むものがないという、一種の飢餓状態に置かれていましたから。私は時刻表トリックも歴史ミステリも好きだったので、手当たり次第に乱読していましたが、『十角館~』の第一章の冒頭で登場人物の一人であるエラリイの口を借りて語られる、ミステリとはかくあるべしの論説を読んだときには、極論ではありましたが、大いに同感して頷き、胸がすく思いでした。このミステリ論の存在が、『十角館~』が私にとって特別な本である理由の一つです。
そして、綾辻さんをきっかけに新本格ミステリ作家と呼ばれる人たちが次々にデビューし文壇を席巻する中で、次なる衝撃が、京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズでした。私の最初の出会いは『魍魎の匣』で、タイトルといい、カバーデザインといい、文庫化前で新書判のノベルスでしたが、手に取らずにはいられませんでした。お金がないので文庫しか買わない(買えない)人間だったのですが……。そして、のちに弁当箱ともレンガとも呼ばれるようになった分厚い本を、ほとんど一気に読了しました。新刊の出版をあれほど待ちわびた日々もありませんでしたね。
そして、綾辻さんをきっかけに新本格ミステリ作家と呼ばれる人たちが次々にデビューし文壇を席巻する中で、次なる衝撃が、京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズでした。私の最初の出会いは『魍魎の匣』で、タイトルといい、カバーデザインといい、文庫化前で新書判のノベルスでしたが、手に取らずにはいられませんでした。お金がないので文庫しか買わない(買えない)人間だったのですが……。そして、のちに弁当箱ともレンガとも呼ばれるようになった分厚い本を、ほとんど一気に読了しました。新刊の出版をあれほど待ちわびた日々もありませんでしたね。
京夏さんの百鬼夜行シリーズは駄作がまったくありません。シリーズの中では駄作であっても、それすら他の作品に比べれば全然駄作ではありませんから。特に『魍魎の匣』から『塗仏の宴』までの質の高さはあり得ない――一人の作家が書けるものではないと思いました。しかし当時の京夏さんは、あの質を保ちつつ、あの文章量の作品をほぼ一年間隔で出版していたのですから、まったくもって驚異的です。はっきり言って、人間技ではありません。京極夏彦とは何者なのだと怖ろしさすら感じたことがありました。昔はカバーの著者近影も怪しげでしたし。ちなみに、著者近影に関しては、今回のトークで「今はそんな格好しているけど、昔は著者近影がGLAYのテルに似ているとか言われていたよね」と綾辻さんが話を振ると、「あれは著者近影じゃなくて、ただのスナップ写真です。『狂骨~』が出るまで覆面作家だったんですから」と京夏さんは暴露していました。
編集部持ち込みでデビューした京夏さんをきっかけに、メフィスト賞というミステリを中心とした広義のエンターテインメントの文学新人賞ができたので、受賞作家の作品をはじめ、あれこれと読みましたが、京夏さんの百鬼夜行シリーズ、島荘さんの御手洗シリーズ、綾辻さんの館シリーズの衝撃を越えるものはありませんでしたね。第二回受賞者の清涼院流水さんのJDCシリーズは、スケールの大きさが好きで持っていますが。第一回受賞者の森博嗣さんの受賞作でありデビュー作の『すべてがFになる』はおもしろかったので犀川&萌絵シリーズは読みましたが、この第一作目が一番よかったです。
とはいえ、下記のミステリ作品については、上記の三シリーズに勝るとも劣らない傑作だと思っています。
中井英夫『虚無への供物』
久生十蘭『顎十郎捕物帳』
この四作は、いずれも何年経っても飽きず、何度読んでもおもしろいです。そうです。真におもしろいミステリは、物語としておもしろいものなので、犯人やトリック、展開がわかっていても楽しめるのです。ケータイやスマホを持ってから、神社関連の資料を読むのが精一杯で、めっきり娯楽小説などの読書の時間が減りましたが、今年の秋はいくつか読み返すか、あるいは、新しいおもしろい作品に出合いたいですね。
新しい作品といえば、このトークショーのはじめに、京夏さんが「講演とかトークとか妖怪のことでしか呼ばれないから何しゃべっていいかわからなくて困る」というようなことを言っていたのですが、綾辻さんが「そんなことないでしょ。このあいだ新宿のアニメイトで話したじゃない。妖怪とは関係ないこと」みたいなことを言っていたので、「何故にアニメイト?」と不思議に思いながら家に帰ってから調べたら、お二人が『文豪ストレイドッグス』というマンガのスピンアウト作品のキャラクターになっていることが判明しましたので、こちらも追々読んでみたいと思います。ミステリと関係があるのかはわかりませんが。
会場では、このトークショー当日に発売された『十角館の殺人』の限定愛蔵版が販売されていたので、つい買ってしまいました。文庫版の7倍のお値段でしたが。まあ、いいです。作者直筆サイン入りで、「私の『十角館』」と題した33人の作家の方々の寄せ書きがまとめられたブックレットも付いていたので。『姑獲鳥の夏』のハードカバーが出たときも、ノベルスを持っているのに買ってしまいましたし。『姑獲鳥~』のノベルスはデビュー作だったので、京夏さんのこだわりである、文章はページをまたがないという特徴が多分唯一ない本だったのですが、ハードカバーになったときにはそれが直されていましたので、どこをどう直したか気になったから買ったのですが…残念ながら、今もってすり合わせできていません。読んでいると普通に読みたくなってしまうので。それだけの力がある作品です。