羽生雅の雑多話

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京都・滋賀寺社遠征 その2-1~清水寺、盧山寺

 めっきり寒くなり、日中の最高気温も10℃前後となってきました。
 
 今週から、かれこれ10年ほど前にバーバリー本店で買った、重いけれど風がなければとても暖かい分厚いツイードのショートトレンチコートを着ているのですが、その襟元に、何年か前に七支刀の特別公開を見に行ったときに石上神宮で買ってきたピンバッジを付けていまして(クリーニングに出すとき以外付けっぱなし)、それについて本日「サボテンですか」と訊かれました。慌てて「ナナツサヤ――剣です」と否定したのですが、改めてよく見ると確かにサボテンの形で、正直、これを見てズバリ七支刀ですかと指摘されるほうが驚くなと思いました。なんか寂しかったですが……。けれども、これが世間であり、典型的な日常です。御守り代わりのちょっとしたアクセサリーを目に留めてもらえただけでもありがたいと思っています。
 
 さて、京都寺社遠征の二日目は、浜大津駅から地下鉄乗り入れの京津線に乗って東山駅で降り、最寄りの東山二条のバス停から市バスに乗って清水道で下車し、清水寺へ。過去2度ほど門前まで行きながら人の多さに気力が萎えて舞台まで辿り着けずにいたので、今回は朝イチで向かいました。
 
 すでに、とても9時前とは思えない人出ではありましたが、人にぶつからずに歩けるだけまだマシだったので、入山料を払って、久しぶりに舞台まで行き、こちらも珍しい御姿である、二本の腕を上げた清水型の千手観音様にお目にかかってきました。とはいっても、御前立ではありますが。
 
 清水寺もたびたび行っていて、御開帳の時にも夜間拝観の時にも訪れたことがあるのですが、この寺は西国三十三所の16番札所なので、ただいま御朱印をいただくと、草創1300年記念の特別印が押してもらえるのです。それでお参りすることにこだわっていました。

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清水の舞台より

 

 念願の御朱印をいただくと、次にあの人混みにくじけず来られるのはいつかわからなかったので、地主神社にも参拝。しばらく見ないあいだに、すっかり世界遺産仕様になっていて、至る所に英語の説明書きがあり、カラフルで賑やかな境内になっていました。もはや神域という感じはまったくありません。
 
 舞台も修復中で、残念ながら長居したいような雰囲気ではなかったので、さっさと音羽の滝へ。ここも以前はそれほど人が並んだりしなかったのですが、現在は長い行列ができていたので、スマホをいじりながら順番を待ち、滝の水をペットボトル1本分いただいてきました。音羽の滝の水は長い柄杓を伸ばしてすくうので、ペットボトルに水を入れるのは手間で時間がかかるのですが、いつもそうさせていただいているので。
 
 やりたかったことはやったので、これにて清水寺を後にし、清水道バス停から再び市バスに乗って、河原町丸太町で下車。京都御苑の東にある盧山寺へと向かいました。基本的に、命日の一月三日と節分会の二月三日と誕生日の九月三日という年に三回しか公開されない元三大師像と御前立の鬼大師像が特別公開されていたので。
 
 途中、同志社大学が管理している創立者新島襄の旧邸があり、たまたま無料公開をしていたので、立ち寄ることに。この界隈を歩くのも初めてではなかったのですが、今までこの邸宅の存在に気づかなかったのは、それほど興味がなかったからと、公開していなかったからだと思います。

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 邸内には入れず、外から眺めるだけだったのですが、それでも明治初期の和洋折衷の邸宅のしつらえがわかっておもしろかったですね。応接間の籐家具のカウチや応接セットの置き方などは参考になりましたし。隣にある資料館も見学できたのですが、襄さん本人より妻の八重さんに関する展示物のほうが多く、大河ドラマの影響力はさすがだと、改めて思いました。新島八重は、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公です。地味だけどおもしろい話でした。私は根っからの親幕派なので。

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新島旧邸の書斎
 
 新島邸から京都御苑沿いに寺町通を上ると、盧山寺に着きます。特別拝観料を払って、さっそく大師堂に参り、元三大師像を拝観。
 
 盧山寺の開基である元三大師は第18天台座主で、比叡山中興の祖として知られる高僧です。法名は良源。正月三日が命日なので「元三大師」と呼ばれていますが、朝廷から与えられた諡号は「慈恵大師」、天台宗においては宗祖の伝教大師最澄、慈覚大師円仁、智証大師円珍に続くお大師さまで、一般的にはおみくじの創始者として知られているかと思います。
 
 本格的に神社巡りをするようになってから、仏像巡りをしていた以前ほど寺には行かなくなったのですが、寺にまったく行かないというのも旅のテーマの一つがなくなり、おもしろくないので、絞って巡ることにしました。神社も、基本的には式内社と官国幣社という基準で巡っていますし。ただし、『ホツマツタヱ』ゆかりの神社と思われるところは、その限りではありませんが。
 
 なので、ここ数年寺に関しては、平安以前に建立された古刹を主に訪ねています。この時代に寺が建てられた場所は、寺が建てられる前から聖地であった可能性が高いからです。比叡山しかり、高野山しかり。去年から草創1300年記念にかこつけて西国三十三所を巡っているのも、それが大きな理由です。
 
 また、その延長線上で、人物的に興味があった元三大師を祀る寺を巡ることにしました。慈覚大師はゆかりの寺が多く、関東や東北の名刹といわれるところは、ほとんどが彼の開山・再興・中興であり、キリがないので……。東京では浅草寺目黒不動尊、松島の瑞巌寺、山形の立石寺、平泉の中尊寺毛越寺、水沢の黒石寺、下北半島の恐山まで、津々浦々全部行きましたが、すべてが慈覚大師ゆかりの寺でした。そんなことは一切知らずに行って、「ここも慈覚大師。いったい何者!?」と何度胸中で叫んだことか……。私は公共の交通機関をフル活用して行きましたが、彼は完全なる徒歩ですから。この人と芭蕉の健脚ぶりには、尊敬を通り越して呆れかえります。信念の成せる業だとすれば、人間の底力とは本当に凄いものだと思います。アッパレ、円仁。
 
 慈覚大師は史実としての足跡をあちこちに残しているスーパー行脚僧ですが、元三大師という人は現実とも思えない伝説に彩られたSF的なスーパースターで、いうなれば、安倍晴明のような人です。お坊さんか陰陽師かの違いで、二人とも人外の絶大な法力を操ったとされています。良源は眉目秀麗だったようで、宮中に参内すると女官たちが騒いだので鬼の姿になって諌めたとか、霊験を発現する時には鬼の姿になり鬼神並みの力を発揮して疫病神を追い払ったかいう言い伝えがあります。その時の姿を表したものが二本の角を持つ角大師とも鬼大師とも呼ばれる像です。その特異な姿は御札にされ、魔除けの護符とされてきました。今もゆかりの寺では例外なく授与されています。元三大師の御朱印をいただくと鬼大師の印も一緒に押されることが多く、その絵の違いを見比べるのが、楽しみの一つでもあります。
 
 ということで、近場の深大寺を皮切りに、日吉大社境内にある走井元三大師堂などを参拝。中でも廬山寺は元三大師のゆかりというだけでなく、紫式部の邸宅跡ともいわれる平安時代の重要な史跡だったので、もちろん以前に訪れたことがあったのですが、大師堂に入るのは今回が初めてで、行くまで知らなかったのですが、御本尊の大師像のほか明智光秀の念持仏が祀られていたので驚きました。織田信長比叡山焼き討ちの際に、同じ天台系ということで盧山寺も被害を受けそうになりましたが、正親町天皇が光秀を通して止めるように訴えたことで難を逃れたそうで、その縁で奉納されたとのことです。厨子ではなく組木の木枠の中にいるお地蔵様で、普通の厨子に納まっているよりもありがたい感じがしましたね。
 
 ちなみに、盧山寺が紫式部の邸宅跡であるという説は、平安時代を専門とする歴史学者の角田文先生の考証を根拠としているのですが、この角田先生は私が学生時代に一番お世話になった研究者です。直接師事したわけではありませんが、私が大学生の頃までに出されていた著作で手にできた物は全部読み、貧乏学生で本自体を買うことはできなかったので(専門書は高いですし)、その大半をコピーして自分で簡易製本し、論文や小説執筆の資料とさせていただきました。1994年に平安遷都1200年を記念して、先生の監修で発行された『平安時代史事典』は全3冊を合計した厚みが20㎝ぐらいある大事典で、値段も5万円ぐらいしましたが、「大学生の時にこういうものがあったら」と待ち望んでいた、まさしく平安時代史研究の集大成といえるものだったので、薄給ではありましたが、とりあえず社会人になって自分で稼いでいたので、それこそ清水の舞台から飛び降りるつもりで出版と同時に即買いし、ボロボロになるまで使わせていただきました。そのとき、本に5万円も出す人間がいるのだと、自分のことながら思いましたが、今でもまったく購入したことを悔いていない、バイブルみたいなものです。
 
 大師堂から本堂に移り、今年重要文化財に指定された御本尊の阿弥陀三尊像を拝観したあと、御朱印授与所で角田先生の紫式部関連の著作が簡単な小冊子にまとめられて販売されていたので買ってきました。さすが紫式部の邸宅跡。『紫式部の居宅』と『紫式部 その生涯と遺薫』という冊子で、実をいえば『紫式部の居宅』のほうは持っているのですが、前述したとおりコピーなので(しかも相当古い)、これ幸いと入手。石山寺でもお寺発行の源氏物語の関連書籍を買いましたし……そんな冊子や本が家には山ほどあります。事典ほどに資料として使いこなせていませんが。
 
 盧山寺の次は下鴨神社へ向かいました。(続きます)