羽生雅の雑多話

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紅葉狩りに来ていたらしいゴジラに出会った大山詣

 仙台日帰り旅の翌日は、紅葉狩りがてら、念願の大山詣りに行ってきました。


 大山には式内社大山阿夫利神社があり、しかも数年前に両親が行ってきたという話を聞かされたときに「神社巡りをしていると言うが、おまえはまだ行ってないのか、神奈川県人なのに」と言われまして、神社巡りが趣味でもない二人に後れを取った感じがして、いわれのない敗北感をおぼえて以来ずっと行きたかったところなのですが、丹沢山系に属する標高1252メートルの山で、登拝といえどもまともな登山になるので、気軽に行けずにいました。――だったのですが、6月に京都で松尾山登拝に付き合ってくれたTさんが登ってもいいと言ってくれたので、今回も付き合ってもらいました。

 小田急電鉄が発行している丹沢・大山フリーパスを買い、神奈川県人なので、新宿から来たTさんとロマンスカー内で合流し、伊勢原駅で下車。大山ケーブル駅へ行くバスの乗り場は、平日なのにすでにかなりの列を成していて、臨時便も出ているほどの盛況さ。30分近く乗るので、立ち乗り&すし詰めの1本は見送って、6分後のバスで座って行くことに。

 終点でバスを降りて、15分ほど「こま参道」と呼ばれる参道を登り、大山ケーブル駅でケーブルカーに乗車。この大山ケーブルカーはその前身が1931年に開業した、80年以上の歴史があるケーブルカーです。一昨年車両が一新され、昨年のグッドデザイン賞を受賞したお洒落な車両になりました。

 大山寺駅で下車し、まずは大山寺へ。このお寺は、天平勝宝七年(755)――孝謙女帝の時代に奈良の東大寺の開基である良弁僧正が開山。不動明王が御本尊で、現在の御本尊像は鎌倉時代に作られたもので鉄製、ゆえに「鉄不動(くろがねふどう)」と呼ばれています。国宝です。普段は月に3回の御開帳ですが、もみじ祭りの期間中ということで御開帳されていたので、400円を納めて内陣を拝観し、目の前で拝見。黒い胴体に見開かれた丸い眼が印象的なお像でした。今まで見たことのない類の不動明王像でしたね。

 お参りをして御朱印をいただいたあと、お決まりのかわらけ投げに挑戦。またもや的の輪とは全然違うあさっての方向に飛びましたが、かわらけに災厄を託して投げて落とすことに意味があるので、問題なし。大山寺駅から歩いてくると通らないのですが、麓の参道から続く本堂前の階段の左右は、色づいたもみじで真っ赤でした。もみじ祭りの間はここがライトアップされるので、また帰りに寄ることにして大山寺駅に戻り、再びケーブルカーに乗って、阿夫利神社駅へ。

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大山寺付近の紅葉。見事な赤です。

 ケーブルカーを降りて、徒歩で大山阿夫利神社下社に行き、参拝。もみじ祭りと菊まつりが同時に開催されていたので賑やかで、拝殿前には所狭しと奉納された菊が展示され、境内にはテントが設置されて、もみじ汁が1杯100円で振る舞われていました。

 お参り後、いつものようにペットボトルの中身を飲み干して御神水をいただき、御朱印をいただくために授与所へ。実はこのとき大山では、11月17日公開の新作アニメ映画「GODZILLA 怪獣惑星」とタイアップした「GODZILLA攻略キャンペーン」なる企画をやっておりまして。我々の日程は紅葉のライトアップに合わせて先に決まっていて、大山に行くにあたっていろいろ調べたら偶然そんなイベントをやっていることがわかったのですが。その一環で、ゴジラオリジナル朱印帳というのが500冊限定発売されるというので、それを買うつもりで朱印帳を持っていかなかったら、残念ながら売り切れで入手できず。仕方がないので、久しぶりに紙でいただいてきました。フリーパスを持っていると各日先着100名がもらえるという福守りはいただけたのですけどね。きっと、ふだん御朱印を頂戴していない人も買ったのでしょう。

 山の中腹にある下社でも標高700メートル近くはあるので、南を見れば太平洋が見え、そして江の島もよく見えました。この山に神社がある理由がわかり、「なるほど」とニヤニヤしてしまいました。大山は丹沢山系の端にあり、しかも独立峰なので、間違いなく江の島から見ても判るでしょう。つまり、大山からは江の島が見え、江の島からは大山が判る――地図も何もない古代には両方とも重要なランドマークだったわけです。

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中央のやや右、海上にあるのが江の島。街があろうとなかろうと関係がない位置関係なので、古代でも同じように見えたと思います。

 大山阿夫利神社の祭神は大山祇大神。『ホツマツタヱ』では「オオヤマズミ」、または「オオヤマヅミ」、あるいは単に「ヤマズミ」や「ヤマヅミ」などの表記で登場します。前にも書きましたが、これは文字がない時代の音を文字で表したときに起こるバグのようなものなので、すべて同じ人物のこととしてもよいのですが、「ヤマズミ」を漢字で表せば「山住」なので、意味としては山の管理者で、個人名ではないため、複数の人物ということも十分にありえます。とはいえ、オオヤマズミといえば大概は、アマテル=天照のキサキ=后であるセオリツ姫の父のことになります。

 ――ではあるのですが、私は当社祭神の大山祇大神は、アマテルの舅のオオヤマズミではなく、その孫にあたるカグヤマツミだと思っています。何故なら彼は、ヱノシマカミ=江の島神ことヱツノシマヒメタキコ=江津之島姫湍子の夫だからです。

 これも以前に書きましたが、アマテルの三つ子の娘――オキツシマヒメタケコ、ヱツノシマヒメタキコ、イチキシマヒメタナコは、それぞれ竹生島の都久夫須麻(竹生島)神社、江の島の江島神社、宮島の伊都伎島(厳島)神社の元々の祭神です。それぞれの島は彼女たちが葬られた場所で、亡くなって神となった(=神上がった)彼女たちを祀る祭事が行われるようになって、のちにその地に神社が建てられたのでしょう。タケコはアマテルの弟ソサノヲの息子であるオホナムチことクシキネの妻、タナコは同じくアマテルの弟ツキヨミの息子であるイブキドヌシの妻、そしてタキコはアマテルの義兄(后の兄)オオヤマカグツミの息子であるカグヤマツミの妻でした。

 下社の隣に、大山祇大神の娘である此花咲耶姫と磐長姫を祭神とする摂社の浅間社があるのですが、カグヤマツミとタキコ夫妻のあいだに生まれたのが、イワナガ=磐長と、のちにニニキネの后となり、コノハナサクヤヒメ=木花咲耶姫と呼ばれるようになったアシツヒメ=葦津姫です。このことからも、大山に祀られている大山祇大神カグヤマツミであることが判ります。

 『ホツマ』によれば、コノハナサクヤヒメの神名は「アサマノカミ」。これを漢字で表せば「浅間の神」なので、彼女は浅間山に葬られたのだと思います。なのに何故浅間の神が富士の神とされているかというと、富士山が噴火したからです。噴火自体を抑えるために――また噴火による被害を最小限に抑えるために、みずから放った火の中で無事に出産を果たし、火を制したコノハナサクヤヒメを祀って、彼女の加護を願ったのです。

 それまで富士の神はイワナガでした。富士=フジ=不死であり、イワナガこそが不老長生の神だからです。ニニキネは花のように華やかだけど短命なアシツだけを選んだので、以後天君の血筋は寿命が尽きることになったと言われています。富士山は噴火をくり返して今の形になりました。今の形になる前にこの地にあった山が小御嶽で、その頂上は現在の富士山五合目にあたりますが、そこにある小御嶽神社磐長姫命――すなわちイワナガを祭神としているのは、イワナガこそが元々の、噴火して今の形になる前の原初の富士山の神だったからなのでしょう。

 天君の孫の寵愛を受けて、その結果身籠った妹を妬んだイワナガは、母と共にニニキネのもとを訪れて、一夜の契りで孕むはずがないと訴えました。『ホツマ』によれば、イワナガはヤマタノオロチと化したコマスヒメハヤコの生まれ変わりとのこと。ハヤコはカグヤマツミの妻であるタキコの母なので、ここで言うイワナガの母とはタキコのことで、つまりコマスヒメは転生して孫に生まれ変わったということでしょう。そして、アシツを貶めるときに母も一緒だったということは、二人の娘のうちイワナガだけがタキコの血を引く子なのかもしれません。

 母娘の讒言を真に受けたニニキネは、アシツの腹の子は自分の子ではないと思い、孕んだアシツを連れてアマテルに妊娠を報告するため伊勢に向かう途中でしたが、身重の彼女を置き去りにして一人で帰ってしまいました。アシツは彼を追って松坂まで来ましたが、そこで堰き止められてしまったのでシロコまで戻り、「曽祖父(オオヤマズミ)ゆかりの木である桜に心があるならば、私が生むときに、生まれる子が天君の種なら咲け、他の男の種なら枯れろ」と言霊に託して桜の木を植え、親元に戻りました。そして出産にあたってニニキネの子であることを証明するために、産屋に火を放ったのです。真実、天君の血を引く子ならば無事に生まれて、自分も無事であるはずだと宣言して――。

 この時にニニキネが帰った祖父アマテルの宮跡である伊勢神宮がある伊勢市の北に位置する鈴鹿市に、大化の改新の立役者で藤原氏の祖である鎌足の息子、藤原不比等の創建と伝わり、1200年以上の歴史があると言われている子安観音寺という古刹があるのですが、そこに「不断桜」という名の桜の木があります。一年中花が絶えないと言われ、それゆえ「不断」なのです。そして、当寺の山号は「白子山」――白子=シロコです。さらに、アシツのまたの神名は「コヤスノカミ(子安の神)」――よって、この場所こそが、子どもを生んだときから花が絶えなかったゆえにニニキネから「コノハナサクヤヒメ」という名を賜った、子安の神ことアシツが桜の木を植えたという場所でしょう。だからこそ、この地に“白子”山“子安”観音寺が建てられたのです。おそらく、不比等が寺を建てる以前から、この地にゆかりのあるコノハナサクヤヒメが祀られていた聖跡だったのかもしれません。

 さて、境内を一巡したあと、もみじ汁で軽く腹ごしらえをし、本社登拝に挑みました。中腹からなので、大神神社三輪山春日大社春日山程度を想像していたのですが……ナメてました。岩木山や繖山よりはマシでしたが。山なので寒さ対策で普通のブーツとダウンコートという格好だったのですが、みなさんポールなどを用意した本格的なトレッキング仕様。当然のことながら途中で暑くなり、コートを脱いで丸めて持って、なんとか頂上まで辿り着きましたが。

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 本社にお参り後、売店のベンチで甘酒を飲んで一服し、記念に通行手形の形をした登山證を購入して下山。行きと同じ道を通るのはおもしろくないので、帰りは見晴台経由で下りました。

 見晴台から下社の途中に二重の滝があり、その横に摂社の二重社があるのですが、この社の裏に巨石があったので、小さな神社でしたが、ここも古代祭祀の跡なのかもしれません。二重社の祭神は高おかみ神――貴船神社の祭神と同じです。つまり、ミツハメ=罔象女ということです。

 2時過ぎに下社に戻ってきて、さすがに疲れた上にもみじ汁と甘酒、それとTさんからもらったショートブレットぐらいしか口に入れていなかったので、遅い昼食を摂るために参集殿へ。ここの名物で「大山きのこカレー」というメニューがあるのですが、キャンペーン特別仕様でゴジラバージョンになっていたので、注文してみることに。出てきたのは、円錐形に盛られた御飯が大中小三つ並んでいて、海苔を巻いてゴジラの背びれに見立てるというカレーでした。海苔は自分で巻くのですが、全然上手く巻けず、まったくゴジラに見えませんでした。

 空腹が満たされたあと、下社の御朱印授与所に行って本社の御朱印をいただき、版画にチャレンジするコーナーがあったので試しにやってみたのですが、こちらも全然上手くいかず、早々にあきらめて下山。まだ時間があったので、ケーブルカーではなく、女坂を歩いて下ることにしました。

 紅葉をライトアップするので大山寺に寄り、しばらく境内をふらふらしていたのですが、まだ時間が早くて、しばらくは点灯しそうもなかったので、一度大山ケーブル駅まで下りて、またケーブルカーで上がってくることにしました。しかしそのとき、奇妙なものに出会いました。午前中に来たときにはいなかったのですが。

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かわらけの残骸の近くによく見ると……

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ゴジラがいました。紅葉につられて出てきたらしいです(笑)。

 なんと、かわらけ投げの的の輪の横にゴジラが出現。言葉にしがたいというか、すぐには言葉が出ないシュールな光景でした。「よくやる」と思いつつも、「ここまでやられたら、なんかスカッとする」とも思いました。寺社仏閣も変わったなとしみじみ思いましたが、「罰当たりな」などと不動明王大山祇大神も怒らないと思います。慈悲深い神様仏様ですから、みんながおもしろがって喜んでくれれば、それでいいのだと思います。

 左右を真っ赤な紅葉に覆われた本堂前の階段を下りて、再び女坂を下り、七不思議を見ながら歩いていくと、大山ケーブル駅の手前で季節外れの桜を発見。

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 駅に到着すると、周辺でライトアップが始まっていたので、次に出発するケーブルカーに乗車して、再び大山寺駅へ。フリーパスはこういうときに便利です。

 大山寺に着いたときはまだけっこう明るかったのですが、照明は点いていて、十分に楽しめました。暗くなりきる前のほうが美しいことは神護寺で経験していたので。

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大山寺から撮影。下にいる人たちを避けたら、意図せずマグリットの「光の帝国」に通じるような写真になり、あの絵はあり得ない光景ではないのだと思いました。

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大山寺本堂前階段脇の灯篭とライトアップされた紅葉。

 暗くなったところで大山寺駅に戻り、ケーブルカーで下山。大山名物の豆腐料理の代わりに、こま参道で売っていたテイクアウトの豆腐メンチを食べ、明治5年創業の老舗佃煮屋「大津屋」できゃらぶきと山うどをお土産に買って、伊勢原駅行きのバスに乗車。これにて日程終了です。(Tさん、今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。)