羽生雅の雑多話

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奈良寺社遠征~春日大社、興福寺、奈良国立博物館

 本日は、今月中頃にやっていた伊勢丹新宿店のフランス展で、ジュラフロール ビオのコンテという、たいそう美味なチーズを買ったので、数年前にマデイラ島で買ってきたマデイラワインとともに味わいつつ、遅ればせながら奈良寺社遠征の記事を書くことに。記事をダラダラ書くのも、美味い酒やつまみをのんびり味わうのも、連休でなければできません。
 
 ということで、先週は仕事で富山、金沢、京都をまわる機会があったので、少々足を延ばして、ついでに奈良へと行ってきました。今年は春日大社の創建1250年で、奈良国立博物館でも610日まで創建1250年記念特別展「春日大社のすべて」をやっているので、来月か再来月あたりに行こうとは思っていたのですが、日程を決めようと奈良界隈のイベントを調べていたら、14日から春日大社の桂昌殿で鹿島立御鉾の特別公開をやっていて、それが24日までだったので、前倒しして行ってきました。
 
 今年は桜が早かったので、うまくすれば藤もそろそろ咲いているのではないかと思い、桂昌殿に行く前に春日大社神苑の萬葉植物園に寄ったら、ちょうど見頃でした。例年より10日ほど早いそうです。当日も真夏日という暑さでしたし。
 
 式内社であり、かつ藤原氏の氏社でもある春日大社には何度も行っていますが、藤の開花時の当社は魅力が五割増しなので、この季節に奈良市内に来たときには特別公開などのイベントがなくても行くことにしています。それぐらいここの藤園は見事です。さすが藤を家紋とする藤原氏の神社です。もちろん春日大社の社紋も藤です。
 
 萬葉植物園の藤園は、規模はそれほど大きくありませんが種類が多く、初めて見たときの感動は今でも忘れられません。見れば必ず満足することがわかっているので、今回も奈良に着いたら一番に向かいました。時間が遅くなるにつれて人が多くなるので。普通はまずお参りをするので、お昼前に行けばまだ比較的空いています。
 
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「岡山一歳」

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「昭和紅藤」

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「八重黒龍

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「長崎一歳」

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藤と花菖蒲の競演
 
 藤を堪能したあとは本殿にお参りし、1250年記念の御朱印をいただいて、桂昌殿へ。桂昌殿は五代江戸将軍徳川綱吉の生母である桂昌院が天下泰平の祈祷所として寄進した建物です。春日大社には何度も来ていますが、桂昌殿は通常非公開なので、立ち入るのは今回が初めてでした。
 
 こちらに展示されていた鹿島立御鉾は、鹿島神宮にいる鹿島神が春日の地に呼ばれてやってきたときに随行していたお伴――中臣時風と秀行が持っていたとされる鉾で、創建時から伝わる春日大社の秘宝で、もちろん普段は非公開。この特別公開を知ったときは、「うわっ、鹿島立御鉾ってまだ残っているんだ」と驚き、即これは見なければアカンと思いました。
 
 鹿島神とは言わずと知れたタケミカヅチで、祭神名は武甕槌命。彼が出雲平定の時に使ったとされる布都御魂剣(石上神宮祭神)は剣と言いつつも鉾だったとされ、つまり鉾こそが鹿島神ゆかりの武具なわけです。お伴の物とはいえ、鹿島から来た神様と一緒に来た鉾です。実際に目にしたときには感動しました。伝承が歴史になった瞬間です。この鉾を見ながら、何故藤原氏タケミカヅチを鹿島からわざわざ奈良に招来し、氏族を守る第一の神として祀ったのかと考えていましたが、展示を見ていくうちに、わかったような気がしました。
 
 藤原氏は、のちの天智天皇こと中大兄皇子とともに大化の改新を実行した藤原鎌足を祖とする氏族で、その前身は中臣氏。中臣氏の氏祖は春日大社の第三殿の祭神である天児屋根命ことコヤネとされています。そして、『ホツマツタヱ』ではコヤネの神名がカスガノカミ=春日神となっています。よって春日神とは本来コヤネのことであり、「春日大社のすべて」の図録にも春日大社の地は春日大社が創建される前から神域であったとあるように、この地にはもともと春日神が祀られていたと考えられます。しかし、新しく台頭した氏族である藤原氏には、コヤネよりもタケミカヅチの神威が必要だったのだろうと思われます。何故なら、タケミカヅチは出雲平定を成し遂げた武神だからです。天孫という正しき国の持ち主に国を譲らせた神だからです。つまり、政治を私物化していた蘇我氏から天皇家(当時は大王家)に実権を取り戻した氏祖鎌足の行為をタケミカヅチの国譲りと重ねて正当化したかったのだと思います。我々こそ悪者を成敗し天皇家に尽くした忠臣だと、その象徴としてタケミカヅチを奉じて大化の改新における氏祖および自分たち氏族の功績をアピールしたかったのではないでしょうか。
 
 中臣氏の祖はコヤネとされていますが、その嫡子であるオシクモの母はタケミカヅチの娘ですから、タケミカヅチが中臣氏の祖であるというのは間違いではありません。彼女が第四殿の祭神――比売神です。彼女とコヤネの子であるオシクモは天押雲根命の祭神名で若宮に祀られています。みな藤原氏の祖ということになります。
 
 第二殿の祭神である経津主命ことフツヌシは、『ホツマ』によれば、その神名はカトリカミ=香取神――つまり香取神宮の祭神です。藤原氏の直系の祖ではありませんが、彼の妹がコヤネの母なので、コヤネの伯父にあたります。タケミカヅチの出雲平定に同行した神で、そののち九代天君オシホミミを左右で共に支えた盟友でもあります。そんな仲なので、タケミカヅチは一人娘の婿にコヤネを迎えられないかとフツヌシに相談したりもしています。フツヌシはこの縁組を歓迎して妹に取り次ぎ、コヤネとタケミカヅチの娘はめでたく結婚、二人のあいだにはオシクモが生まれ、彼らの子孫が中臣氏を名乗るようになり、さらには藤原氏へと続いていくわけです。
 
 桂昌殿には臨時売店が設けられていて、御造替奉祝公式記念品として発売されたという「すがちゃん」が可愛かったので、つい購入。春日神の神使である白鹿をモチーフにした春日大社のマスコットだそうです。

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春日大社のマスコット、白鹿の「すがちゃん」。売店のおねーサンがしてくれた説明によると、背中の模様が一つハート型になっているのが特徴だそうで……芸が細かすぎて笑えます。
 
 桂昌殿を出たあとは国宝殿へ向かい、隣の売店で藤のソフトクリームを食べてから、御造替記念事業の一環で一昨年リニューアルオープンした国宝殿で開催中の御創建1250年記念「聖域御本殿を飾る美術」展を鑑賞。こちらはあまり見るべきものがなかったので、さらっとまわり、まだ時間があったので、本殿に戻って受付で500円を払い、特別参拝へ。特別参拝も何度もしているので時間がなければ行くつもりはなかったのですが、藤の季節は御蓋山遙拝所周辺の山藤がとてもきれいなので、誘惑に負けました。山藤と朱色の社殿のコントラストが美しく、まさしく春日大社ならではの景観。こればかりは萬葉植物園でも味わえず、特別参拝ならではの特権です。

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本殿への入口である南門。ここも鹿のテリトリーです。なんせ神使ですから。

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東回廊越しに見る山藤

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雲一つない青空に映える中門と山藤。藤が咲く季節の快晴の日にだけ見られる贅沢な光景です。

 本殿を後にし、次の目的地である興福寺に向かうつもりで、春日大社本殿前バス停に行ったら、行列の上にバスが時間どおりに来ないので、あきらめて徒歩で向かうことに。ならば、腹ごなしをしないともたないと思い、萬葉植物園の入口近くにある茶屋に寄って、月替わりネタの万葉粥を食べてから出発。
 
 この日はまだ4月の半ば過ぎなのに25度を超える気温だったので、興福寺に着いたときにはヘトヘトでしたが、閉門時間も迫っていたので、とりあえず特別公開をしている北円堂へ。
 
 ここの御本尊で国宝に指定されている弥勒菩薩は運慶晩年の作で、今回改めて見たら、本当に典型的な運慶作品だなと思いました。その斜め後ろにある無著菩薩と世親菩薩も運慶作。この三像については、作者が誰か知らなくても見れば運慶じゃないかと思わせる雰囲気があります。特に、弥勒菩薩は正面からではなく、斜め左から見たときにそれを感じました。このあと国立博物館で快慶作品を見たので、作風の違いが明らかでしたね。
 
 しばらく後ろや横からじっくり眺めて、お堂の中に配置された本来あるべき仏像の姿を堪能。残念ながら、阿修羅は国宝館に納まってしまったので。
 
 お堂の中を何周かして北円堂を出たあとは、南円堂近くの売店に寄って、500ミリリットルのペットボトルを買い、がぶ飲み。ひと息入れて、最後の目的地である奈良国立博物館へと向かいました。
 
 金曜と土曜は7時まで開館しているので、ゆっくりと鑑賞。特別展「春日大社のすべて」では、展示品に道長やら実資やら見知った名前がバシバシ出てきて感激。タケミカヅチやコヤネと藤原道長藤原実資の名が同時に見られるのが春日大社の凄いところだなと思いました。藤原氏の邸宅には必ずあったという春日曼荼羅にはかなりの頻度で興福寺が一緒に描かれていて、そういえば春日大社藤原氏の氏社で興福寺藤原氏の氏寺かと今さらながら再認識し、鎌足から始まって権勢第一の氏族にのし上がった藤原氏という氏族の力をまざまざと見せつけられたような気がしました。
 
 特別展を見終わり、図録を購入したあとは、なら仏像館を見学。仏像館は時間があったから寄っただけで何が目的でもなかったのですが、私が一番好きな十二神将像である室生寺十二神将の2体――珊底羅大将迷企羅大将がいたのでビックリ。間近で見られて嬉しかったのですが、他の10体と離されていることに何やら複雑な気もしました。
 
 6時前には奈良博を引き上げて、予定より早い6時発の近鉄特急に乗り、京都へ。到着後、新幹線の時間まで1時間ほどあったので、JR京都伊勢丹のレストラン街にある湯葉料理屋「松山閣」に寄って、いつも頼む湯葉桶膳と、何回も来ているけど今回初めて見た利き酒セットを注文。何種類かの中から、いつも飲んでいる「玉乃光」と「英勲」、それと、あまり馴染みのない「桃の滴」というのを選びました。やはり「玉乃光」が一番美味かったですね。
 
 お店はすんなり入れましたが、次第に混んできてわりと時間がかかったので、新幹線の時間を告げて途中から急いでもらい、御飯とデザートはほぼ同時に出してもらって、なんとか間に合って乗車。お土産類はすでに金沢で購入し、買う必要がなかったのもラッキーでした。無事に予定どおり帰京し、日程終了です。