羽生雅の雑多話

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30年変わらなかった名作を変えた愛希れいか――東宝版「エリザベート」感想

 三日ほど前、東宝版「エリザベート」を観に行ってきました。平日のマチネでしたが、愛希シシィ&井上トートの組み合わせのチケットが、そこしか取れなかったので……。ちゃぴ(愛希れいかさん)がエリザベートをやると知り、これだけはなんとかして観なくては――ということで、方々の知り合いに声をかけ、ようやく確保した一枚だったので、忙しい折で一日休むことはできませんでしたが、どうにか午前中でその日の仕事を切り上げて、帝国劇場に行ってきました。


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 いやぁ、凄かったです。期待以上、想像以上でした。躍動的で勢いがあり、動きにキレがあり、これまでの「エリザベート」では感じられなかったスピード感というものが出てきて、舞台の隅々にいる人まで存在感があり、個性が感じられ、それゆえにか多重構造的な奥行きが感じられて、メリハリがありました。久しぶりに大真面目に観ました。ここ数年は歌を聴きに行っているようなものだったので、半分目を閉じているようなときもあったのですが、今回は役者一人一人の表情も気になってオペラグラスまで使ってしまいました。今までとは違い過ぎて、東宝版「エリザベート」というより、愛希版「エリザベート」でした。ちゃぴがエリザベートを演じることで作品がこれほど変わるとは驚きでした。演出が変わったり新曲が追加されたりしても大して変わらなかった全体の印象が、劇的に変わりました。なにしろ出演者全員の演技が違いましたから……。初演から20年以上続く「エリザベート」は、もはや歌舞伎みたいなものなので、クンツェの脚本とリーヴァイの音楽が変わらなければ、誰が演じても、さほど歌が壊滅的でないかぎり満足でき、歌が良かったか悪かったかがキャストの良し悪しの判断基準でしたが、ちゃぴ版は歌だけでなく、芝居でおもしろいと感じさせてくれる出来でした。
 
 ちゃぴシシィがとにかく細かい芝居でエリザベートという人間をわかりやすく表現し、血の通った人間――物語に描かれた人間ではなく、生き生きとした人間として見せていて、観ている者が共感しやすいリアリティを帯びていました。それにつられて井上トートや平方フランツも以前より歌詞の内容を表現する芝居を丁寧にしていて、歌と芝居がリンクしていました。「愛と死のロンド」で「眼差しが突き刺さる」と歌うトートを正面から不思議そうに不躾なくらいに見つめる少女のエリザベート、「最後のダンス」でトートダンサーたちのあいだで糸の切れた人形のように翻弄されるエリザベート、「私が踊る時」でエリザベートに差し出した手を振り払われたときに見せるトートの苦しげな表情、「夜のボート」の最後で「無理よ、私には」とエリザベートに言われてガックリとうなだれるフランツの落胆ぶりとか秀逸でしたね。その他、結婚式の舞踏会でいやいや踊るゾフィーとマックスとか、なんか月組ぽい小芝居があっちこっちで展開されていて、エリザベートとトート以外もオペラで追っかけるような状態でした。脇役陣も自分たちの思うように演じて、ノリに乗って演技をしているように見えましたし。ラウシャー大司教とか気持ちがいいくらい弾けていました。美しいメロディにのせた歌詞に込められた感情を、世界観を、役者たちが歌だけでなく芝居で表現しようとしていました。今までにはあまり感じられなかったことです。
 
 「エリザベート」は全編が歌で構成され、しかもその歌がいずれも難しいので、難しい歌を音程を外さず美しく聞こえるように歌うことがまず第一の関門であり、次にその歌をどれだけ演じている役の歌として歌えるかが第二の関門であり……それゆえ、歌をこなすのが精一杯で、演技に力を割くことが難しい作品です。なので、私の友人のように、エリザベートという人間がただのわがまま娘にしか思えず不快で、芝居としてはおもしろくないという人もあり、確かに時代背景などがわかっていないと、役者たちの芝居からは内容の深さを理解するのが難しいため、その意見もわからなくはないと思っていました。けれども、私自身はミュージカルを観る前からエリザベートという人物に興味を持ち、彼女の伝記を読んでいる人間なので、時代背景がわからないという感想は持ち得ない上に、そんなことはどうでもよくなるぐらいの音楽と歌のよさがあるので、この作品を愛してきましたが。
 
 演出家のイケコこと小池修一郎さんもそのあたりを気にしたのか、再演を重ねるたびに歌ではないセリフを増やし、それによって確かに辻褄が合うようになり、登場人物の行動の理由など内容がわかりやすくはなりましたが、私にはそれがかえってこの作品を汚しているように思えました。余計なセリフが入ることで、歌が次から次へと押し寄せてくるような感じが薄れたので。また、そのセリフが多分に説明的な感じがして、蛇足のように思えたので。「エリザベート」という作品が持っていた怒涛のような流れが消えて、作品のところどころで不要な引っかかりをおぼえるようになり、そんなこともあって次第に芝居には期待しないようになって、どうでもよくなり、いつからか歌を聴くのがこの作品を観る目的になりました。ただし、歌が目的なので、歌を気持ちよく聴くのを邪魔する違和感のある芝居はさらに許せなくなり、歌に不安のあるキャスト、芝居に不満のあるキャストは観なくなって、ついには再演があっても観ない年というのも生まれたわけです。
 
 近年はそんな感じでしたが、今回の公演で、イケコの努力がついに実を結んだようにも思えました。芝居で内容をわかりやすく見せ、脚本の魅力を伝え、歌だけではない、芝居の力で観客を引き込む「エリザベート」の実現。ちゃぴのサヨナラ公演だった宝塚月組の「エリザベート」で手ごたえをつかみ、今回の東宝版で完成したように思えました。宝塚ではトップスターであるたまきち(珠城りょうさん)がトートをやらないわけにはいかないので、ちゃぴがエリザベートを好演しても、作品としての完成度の高さはおのずと限界がありましたが、今の東宝版でトートを演じているのはミュージカル界のプリンスと呼ばれる井上芳雄です。
 
 井上クンも解き放たれたように伸び伸びとやっているように感じられました。先月半ばに花ちゃん(花總まりさん)とのコンビで観たときは、声量も含めた歌の技量が一人だけ異次元で、みんなとバランスを取るように加減をしているというか抑えているようにも見え、同じく抜群の声量を誇るかなめ(涼風真世さん)ゾフィーがいることでなんとか浮かずにすんでいるように思えました。けれども、今回は実力者である成河ルキーニの存在も功を奏して、遠慮なく己の力を出しているように見え、久しぶりに本領発揮した井上芳雄を見たような気がします。成河クンやちゃぴに呑まれないように、ミュージカル界の第一人者として負けたくないという気概すら感じられました。

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7月3日マチネのキャスト表

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6月13日ソワレのキャスト表
 
 役者たちが演技内容を濃くすれば必然的に細かい動きが多くなりますが、作品の質を高めるためには、その動き自体にキレが求められ、そういった点も重視されていたように思えます。というのも、今回はトートダンサーの質が高く、先月観たときは、やたらトートダンサーだけ動きが激しくて、しかもキレキレで違和感がありましたが、今回観て、ちゃぴの演技に合わせたことがよくわかりました。京本ルドルフのダンスなんかもトートダンサーたちに合わせたキレ味だったので、さぞかし大変だったと思います。フランツに随う衛兵たちもキビキビと踊っていて、初めて彼らに目が行きましたし、放浪するエリザベートに随う侍女たちも、「ついていくだけで身がもたない~」と歌いつつ同じダンスを踊りながら、よく見ると、各人が疲労ぶりを表す細かい演技をしていましたし。ミルクの場面も、先月は迫力がなくて物足りない感じでしたが、今回は一人一人がミルクを歌い出す前に全身で悲しみを表現していたので、それが皇后への怒りに変わった彼らの感情が歌からも伝わってきました。
 
 ただし、この周囲の変化は、一路シシィ&山祐トートに代表される今までの東宝エリザベートの型で完成形を極めた花總シシィとは微妙にずれが生じて、先月観たかぎりでは、彼女の演技の質とはフィットしていないので、そこは少し気の毒な感じがしました。それでも、愛希れいかによって、固定化し停滞していた作品がひと皮むけたのは明らかなので、大いに歓迎する変化であり、進化であることは間違いありません。初演でルドルフ役を務めてミュージカル界に彗星のようにデビューし、今や人気実力ともに第一人者となった井上クンの待望の、満を持してのトート役就任だけでは変わらなかった作品がここまで変わったのですから……。井上クンはミュージカル界を代表する歌ウマですが、歌を歌わないストレートプレイでも客を呼べる芝居力も併せ持つ役者です。それでも、オリジナルメンバーゆえにか、すでに完成された作品の殻を破ることは一人ではできなかったのかもしれません。
 
 芝居があまりに素晴らしかったので、だんだんちゃぴの歌が心配になり、ドキドキしはじめて、こんなことも長らく経験のないことだったので、ビックリしました。というのも、いくら芝居が良くても「エリザベート」という作品の真髄は歌にあるため、歌が悪ければせっかくの芝居も台無しになってしまうので……。しかし「私だけに」を問題なく歌ったあとは、その不安も解消され、幕間で一緒に観劇していた友人に「凄い、凄い」を連発していました。そういえば、ちゃぴはお披露目公演の、やはり歌の力が問われるロミジュリのジュリエット役も、研4という若さの新トップでありながらまったく問題がなかったことを、今さらながら思い出しました。私が大好きな「私が踊る時」も「魂の自由」も気持ちよく聴かせてもらいつつ、眼でも楽しませてもらいました。
 
 公演が終わったとき、これは文句なしにスタンディングオベーションだろうと思いました。先月はイープラスの貸切公演で終演後に花ちゃんシシィと井上トートの舞台挨拶があったのですが、特に感慨もなかったので見ずに帰った私でしたが、今回はカーテンコールに応えてちゃぴと井上クン二人が再登場したときに立ち上がって思いきり拍手をしてきました。公演中の場面ごとの拍手の大きさも回数も近年稀に見るものでしたし。観客は8割方リピーターだと思うので、ちゃぴが凄いことをやってのけたことがわかっているのだと思います。もう一度観たいですが、残念ながらすでに全公演売切で、チケットを入手できそうにないので、この日のキャストでDVDが出たら買うつもりです。
 
 ということで、ちゃぴ版はモブに至るまで躍動感にあふれた舞台で、その反面、バタバタとして下手をすれば舞台が浮足立って見えてもおかしくなかったのですが、そこはウタコ(剣幸さん)ゾフィーがしっかりと引き締めていました。さすがは芝居の月組の元トップスター。かなめも月組トップスターですが、歌ウマのかなめやタータン(香寿たつきさん)だと、躍動感に拍車をかけて舞台をより盛り上げる方向には働きますが、引き締める――緊張感を高めるという要素は薄れると思います。ウタコさんは上記の二人に比べると歌が上手いという印象はありませんが、歌が下手だという印象も抱かれない人だと思います。というのも、芝居の一つとしての歌の技術が際立って勝っているので……この人は歌で芝居ができる人だと改めて思い知らされました。たとえ音程的に苦しくても、“歌う”を“演じる”に変化させて、破綻なく歌をこなしてしまうのです。「歌いこなす」ではなく、「歌をこなす」です。ミュージカルの歌だから可能であり、また演技の一環であるミュージカルの歌はこうでなくてはならないとも思います。ちなみに、ナーちゃん(大浦みずきさん)と同期のウタコさんは、私が初めて観た宝塚の舞台で主演を務めていた人。今にして思えば、最初が彼女のようなトップスターとしての華と芝居心のあるジェンヌさんだったからこそ、私は宝塚にハマったのかもしれません。ナーちゃん亡き今もこのような活躍を見せてくれて、本当に嬉しいかぎりです。