羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

京都寺社遠征~大覚寺、仁和寺、北野天満宮

 群馬で花見をした翌々週は、富山、金沢で仕事をしたあと特急サンダーバードで京都に出て、翌日に大覚寺仁和寺北野天満宮に行ってきました。大覚寺北野天満宮では3月25日から5月31日まで「両社寺の歴史と兄弟刀」という特別展を同時開催していて、仁和寺では3月20日から5月9日まで春季名宝展を開催していたからです。

f:id:hanyu_ya:20210717194951j:plain両特別展のリーフレット

 

 前夜遅くにチェックインした京都駅構内のホテルをチェックアウトすると、まずは市バスで大覚寺へ。前回訪れたときは、藤原公任が「滝の音は~」の歌に詠んだ名古曽の滝跡があることに浮かれてすっかり失念し、明智門と明智陣屋を見るのを忘れたので、今回はそちらを見てから特別展を見学。兄弟刀とは、大覚寺所蔵の薄緑(膝丸)と北野天満宮所蔵の鬼切丸(髭切)のことで、どちらも清和源氏が代々受け継いだことから兄弟刀――ということらしいです。ともに国の重要文化財の指定を受けている名刀ですが、「刀剣乱舞」の影響で、昨今より注目を集めているようです。

f:id:hanyu_ya:20210717195207j:plain亀山城から移築したと伝わる明智門。外観のみ見ることができ、残念ながら中には入れません。なので、門の奥にある明智陣屋は見られませんでした。

f:id:hanyu_ya:20210717195322j:plain明智門と枝ぶりのよい松

f:id:hanyu_ya:20210717195414j:plain大覚寺宸殿より右近の橘と勅使門

f:id:hanyu_ya:20210717195517j:plain今回五大堂でいただいた特別公開限定記念御朱印

f:id:hanyu_ya:20210717195608j:plain大覚寺バス停前にある大覚寺唯一の塔頭寺院で別格本山の覚勝院。明智光秀が周山に建立したと伝わり、今は慈眼寺に祀られている「くろみつ大雄尊」こと明智光秀坐像が作られたと思われる密厳寺の御本尊は現在こちらに遷されているそうなので、お参りをしてきました。仏像や堂内を見ることはできませんでしたが。

 

 大覚寺の次は、市バスで嵐山に出て、嵐電仁和寺へ。3月中旬に金堂と五重塔の特別公開を見に訪れ、しかも春季名宝展は毎年あるのですが、今回はリーフレットにあるように「菅原道真大宰権帥任命1120年記念」と銘打っていたので、またまた足を運びました。親王の名誉職であるため現地に赴任しない太宰帥に代わって太宰府を仕切る事実上のトップである権帥は高位高官ではありますが、道真の場合、その任命は右大臣から失脚させられた結果なので、記念というのはどうかとも思いましたが……それゆえにかえって展示内容が気になりました。仁和寺が所蔵する江戸時代に描かれた『北野天神縁起絵巻』などが展示されていましたが、私の好きな藤原時平は見つけられず。残念ながら彼に関する情報は得られなかったので、霊宝館を出ると仁和寺を後にして二王門前の「佐近」に行き、またもやフランソワ・モンタンのハーフボトルを飲みながら、3月に来たときとは違うランチコースを食べました。

 

 食事後、再び北野線に乗って北野白梅町駅まで行き、市バスに乗り換えて北野天満宮へ。特別展を見学し、もはや見慣れた感もある鬼切丸を見てから、本殿にお参り。それから、仁和寺と一緒に発行しているリーフレットがあるという情報を事前に得ていたので、御守り授与所に寄り、どこにあるのか訊くと、こちらに用意があると言うので、1部もらって引き上げました。

f:id:hanyu_ya:20210717200959j:plain北野天満宮仁和寺が発行しているリーフレット

f:id:hanyu_ya:20210717200852j:plainリーフレットの中ページ

 

 今回の京都行きは、特別展の同時開催やリーフレットの共同作成など、神社と寺が宗教の垣根を越えて協力し合う活動が興味深く、実際にどんなことをどんなふうにやっているのか気になったので、3月に2回も京都遠征をしているにもかかわらず決行しました。清和源氏の先祖である嵯峨天皇ゆかりの大覚寺嵯峨天皇の孫である光孝天皇とその息子である宇多天皇ゆかりの仁和寺宇多天皇の寛平の治を支えた菅原道真を祭神として祀る北野天満宮――由緒を考えれば宗派の違う寺よりも関係は深いので、手を携え合って然るべき、という気もします。しかしながら、いずれも古都京都でも比較的参拝客が多いと思われる大寺古刹古社で、それらが率先してこのような企画を実行していることを、たいそうおもしろく感じました。今後もこういったイベントが増えることを期待します。兄弟刀展はすでに第2弾が、7月10日から「京の夏の旅」の一環で始まっているようですが。

f:id:hanyu_ya:20210717200207j:plain膝丸と鬼切丸の限定御朱印と専用台紙。御朱印はそれぞれで授与、台紙は両方で販売していて、私は先に訪れた大覚寺で買いました。台紙だけで確か1,000円でしたが、ユニークな企画に敬意を表して購入。

f:id:hanyu_ya:20210717200248j:plain専用台紙の表面。ただいま開催中の兄弟刀展第2弾、これから開催される第3弾でも違うデザインのものが発売され、3枚の台紙を繋げると、膝丸と鬼切丸が完成するみたいです。

上州桜巡り~発知の彼岸桜、下馬の枝垂れ桜、謙信の逆さ桜

 関東も梅雨が明けたみたいですね。いよいよ夏本番で、かなり季節外れではありますが、3か月前の4月の花見の記事をアップします。

 

 今年の春の句会は、埼玉県人メンバーが車を出してくれたので、群馬に行ってきました。車の場合、日帰りだとドライバーがアルコールを飲めないため、金土の一泊二日の日程で伊香保温泉に泊まることにしました。今年は開花が早かったので渋川市街地の桜は終わっているところが多かったのですが、榛名山の中腹にある水沢観音周辺は染井吉野が満開でした。

f:id:hanyu_ya:20210717135737j:plain伊香保温泉近くにある水澤観音の桜。名物のうどんを食べたついでに寄りました。この寺の存在は知らなかったのですが、推古天皇持統天皇の勅願による開基とのこと。古刹です。

f:id:hanyu_ya:20210717135830j:plain水澤観音六角堂。3回まわすと願いが叶うそうです。

f:id:hanyu_ya:20210717135918j:plainここにもいました、鬼大師。

 

 温泉ホテルにチェックイン後、近くに伊香保神社があったのでお参りしたのですが、社務所が閉まっていて御朱印がいただけなかったので、翌朝チェックアウト後にもメンバーに付き合ってもらって参拝。二日酔いで参道の階段の昇り降りに苦しんでいたので、気の毒なことをしてしまいました。

 

 伊香保神社は上野三宮で、祭神は大己貴命少彦名命式内社であり、しかも名神大社という古社ですが、祭神がオホナムチとスクナヒコナということは、温泉の神を祀っているわけで、神代の宮跡や葬地である可能性は低いので、今まであえて訪れませんでした。ただし、伊香保神社の里宮とされ、彦火火出見命豊玉姫命、少彦名の三柱を祭神とする三宮神社は、何やら怪しい感じがします。単に温泉地に温泉の神を祀っただけの神社が名神大社になることはないと思うので。

f:id:hanyu_ya:20210717140332j:plain伊香保神社鳥居

f:id:hanyu_ya:20210717140407j:plain伊香保神社略記

f:id:hanyu_ya:20210717140444j:plain伊香保神社の拝殿と本殿

f:id:hanyu_ya:20210717141957j:plainここにもありました。芭蕉翁こと俳聖松尾芭蕉の句碑

 

 渋川からさらに北――沼田から猿ヶ京あたりまで足を延ばせば、彼岸桜や枝垂れ桜も満開でした。

f:id:hanyu_ya:20210717140630j:plain発知の彼岸桜その1。エドヒガンです。

f:id:hanyu_ya:20210717142047j:plain発知の彼岸桜その2。枝ぶりがカッコよすぎます。

f:id:hanyu_ya:20210717142136j:plain発知の彼岸桜その3。その2の反対側から。

f:id:hanyu_ya:20210717142227j:plain発知の彼岸桜その4。周辺の様子はこんな感じで、まさしく孤高の一本桜。おそらく田植え時期を知らせる桜だろうと案内してくれたメンバーが言っていました。苗代桜とも呼ばれているみたいです。

f:id:hanyu_ya:20210717142420j:plain天照寺の枝垂れ桜と武尊山(多分)その1。雪山は谷川岳ではないかと話していたのですが、帰って調べたら位置的に武尊山のような気がしました。

f:id:hanyu_ya:20210717142527j:plain天照寺の枝垂れ桜と武尊山(多分)その2

f:id:hanyu_ya:20210717142624j:plain天照寺の枝垂れ桜と武尊山(多分)その3

f:id:hanyu_ya:20210717142735j:plain猿ヶ京の下馬の枝垂れ桜その1。下のほうは見苦しかったのでカット。

f:id:hanyu_ya:20210717142944j:plain猿ヶ京の下馬の枝垂れ桜その2

f:id:hanyu_ya:20210717143031j:plain猿ヶ京の下馬の枝垂れ桜その3。紅桜です。

f:id:hanyu_ya:20210717143141j:plain謙信の逆さ桜その1。上杉謙信三国峠を越えて初めて関東に兵を出したとき、桜の杖を逆さにして出陣の吉凶を占うと、根付いて芽吹いたという伝説がある桜です。メンバーいわく、前に来たときははもっと大きかったとのこと。

f:id:hanyu_ya:20210717143309j:plain謙信の逆さ桜その2

f:id:hanyu_ya:20210717143422j:plain謙信の逆さ桜その3

f:id:hanyu_ya:20210717143506j:plain謙信の逆さ桜についての説明板

f:id:hanyu_ya:20210717143549j:plain逆さ桜の近くにある赤谷湖と桜

 

 ということで、コロナ禍中ではありますが、今年は昨年とは打って変わって京都と群馬で存分に桜を堪能しました。もう2年も世界で幅を利かせているコロナウィルスですが、こんな感じで適当に対応し、上手く付き合っていけばいいのだと思います。以下、句会に提出した三首です。

 

  人の世は春や昔の春ならず

    されど桜の色は変はらず

  

  上州路 白き山並み名を問ふと

    いらへはいつも谷川の峰

 

  観音の加護を思へし 失せしもの

    見つかる縁と人々の縁

 

 ちなみに三首目は、水澤観音で落としたスマホが見つかった感謝の思いを詠んだ歌です。水澤観音から金蔵寺へまわり、その後次の目的地に車で向かっているときに、車中でスマホがないことに気づき、金蔵寺の枝垂れ桜はすでに散っていて写真を撮らなかったので、最後の撮影地である水澤観音まで戻ってもらいました。まずは焼きまんじゅうを買った売店で落とし物がなかったか訊き、ないと言うので、境内の落とし物はどこに届くか訊いたところ、御守り授与所だと教えてくれたので、社務所が閉まる時間も近かったので急いで行って訊ねると届けられていて、破損など問題もなく無事に手元に戻ってきました。車を引き返して一緒に探してくれたメンバー、自分たちのことを憶えていて快く対応してくれた売店の店員サン、本堂の前で拾って授与所に届けてくれた見ず知らずの人、保管して持ち主だと認めてすぐに手渡してくれた授与所のスタッフ、すべての人に感謝感謝です。幾人もの人々の善意に恵まれたラッキーは、お参りした観音様の御加護のように思えました。うどんを食べにきたついでに寄ったので、お参りしかせず、御守り授与所は覗かなかったのですが、引き取ったときに御礼に何か買いたいと思い、物色したら、なんとコレクションをしている覗き瓢箪があったので、迷わず購入。これも観音様のお導きかと思いました。人の縁に限らず、世の中は誠に異なものです

明智光秀探訪14~旧竹林院、西教寺、慈眼堂、滋賀院門跡、坂本城址、明智塚、萬福寺ランタン

 7月12日から8月22日まで、東京都には四度目となる緊急事態宣言が発出されることになりました。神奈川県では引き続きまん延防止等重点措置が取られます。今日はたまたま日比谷で宝塚観劇の日だったのですが、明日からまた当分のあいだ都内の店ではお酒が飲めないので、終演後、幕が下りきる前に席を立ち、劇場を出て隣の帝国ホテルへ。オーダーストップの7時10分前にロビーラウンジに駆け込み入店して、シャンパーニュを飲んできました。やることに事欠かない家では基本的に飲まないので、3か月ぶりぐらいでしょうか。カヴァとかスプマンテなどのスパークリングワインなら巷の飲み屋でもわりと置いているので、外で度々飲みましたが、シャンパーニュとなるとそうはいかず、飲む機会がありませんでした。

f:id:hanyu_ya:20210711235544j:plain本日の夕食のミックスサンドとアンリオ。シャンパーニュを頼むと、おつまみとして帝国ホテルのチョコレートと、何故か柿の種が付いてきます。

 

 さて、京都で花見をした翌日は、3月31日までの会期だった「びわ湖大津・光秀大博覧会」が20日から最終日まで大感謝キャンペーンをやっていて、明智光秀が寄進した陣鐘を西教寺で特別公開していたので、坂本に行ってきました。まずは延暦寺の里坊だった旧竹林院へ。

f:id:hanyu_ya:20210710204453j:plain旧竹林院についての説明板

f:id:hanyu_ya:20210710204751j:plain旧竹林院の入口。雛人形の段飾りが飾ってありました。

f:id:hanyu_ya:20210710204848j:plain旧竹林院の1階。ここの名物となっている座卓を使ったリフレクション撮影にチャレンジしてみました。

f:id:hanyu_ya:20210710204932j:plain旧竹林院の2階その1。1階と同じ角度から、こちらもリフレクション撮影。

f:id:hanyu_ya:20210710205014j:plain旧竹林院の2階その2。明らかに額縁効果を狙った造り。

f:id:hanyu_ya:20210710205057j:plain旧竹林院の2階その3。庭園の反対側にある床の間飾り。こちらにも雛人形が飾ってありました。

f:id:hanyu_ya:20210710205135j:plain旧竹林院の2階の全景

f:id:hanyu_ya:20210710205230j:plain建物の中から見る旧竹林院の庭園。国の名勝です。

f:id:hanyu_ya:20210710205338j:plain庭園を散策すると、日吉大社の奥宮がある八王子山を借景としていることがわかります。

f:id:hanyu_ya:20210710205444j:plainご丁寧にこんな立札までありました。

 

 比叡山系の八王子山は、古代祭祀の跡である巨石が残る日吉大社御神体山で、『ホツマツタヱ』で「ヒヱの神」と呼ばれる大山咋神が鎮座する神奈備山であり、本書には比叡山はこの神が作ったと書かれています。それゆえ“ヒヱ”の神なのです。比叡=ヒヱで、ヒヱ=日枝=日吉ですから。つまり、日吉大社に祀られている大山咋神はこの地域の開拓神ということになります。

 

 ところで、私が坂本でよく食事をする芙蓉園本館は旧白毫院という元里坊の跡で、こちらの庭園も国の名勝なのですが、ここからも八王子山がよく見えます。……ということは、延暦寺の里坊の庭園は大山咋神ゆかりの神奈備山が拝めるように造られていたのかもしれません。であるのなら、天台宗の里坊というよりも、天台宗神道山岳信仰が融合した山王神道の里宮といったほうがふさわしいように思えます。

 

 旧竹林院の庭園をひと巡りしたあと、有料区域の母屋とは別の、無料開放されていた建物に立ち寄ると、日吉神社山王祭について説明するパネルが数枚展示されていました。そしてその一つに、山王祭大山咋神と鴨玉依姫神による出産と御子誕生の儀式――と書かれていたので、我が意を得たりと思い、小躍りしたい気分になりました。

f:id:hanyu_ya:20210710205922j:plain山王祭についての説明パネル

 

 日吉神社の祭神である「鴨玉依姫」は「カモのタマヨリ姫」の意味なので、下鴨神社として知られる“賀茂”御祖神社の祭神である“玉依媛”命と同一神です。彼女は、十二代天君ウガヤフキアワセズの后で、初代天皇である神武の母ですが、『ホツマ』によると、玉依=タマヨリは、当初ウガヤフキアワセズの最初の妃であるヤセヒメ=八瀬姫が子を生んで亡くなったため、遺された子――イツセ=五瀬の乳母としてウガヤフキアワセズの宮に呼ばれました。のちにウガヤフキアワセズのお手付きとなってイナイイ=稲飯を生み、その後皇后に立てられてカンヤマトイハワレヒコ=神日本磐余彦――神武を生みました。

 

 ……ということは、宮に上がるときには乳母としての資格を有していたわけで、つまり母乳が出る状態――子供を生んでいたということです。その子供がミケイリで、ミケイリは『日本書記』では「三毛入野命」、『古事記』では「御毛沼命」の名で登場します。記紀や『ホツマ』では単に神武の兄として紹介され、異父兄であるとは言及されていませんが、イリ=入を名に持ち、この「入」が入り婿の「入り」と同じ意味ならば、ウガヤフキアワセズとは血が繋がらない、義理の父子であると考えてよいと思います。史書では確認できませんが、山王祭大山咋神と鴨玉依姫神による出産と御子誕生の儀式であり、さらに、ミケイリの母親がタマヨリであるのなら、ミケイリの父親はヤマクイということになります。つまり山王祭は、ウガヤフキアワセズの宮に入る前に、タマヨリがヤマクイの子であるミケイリを生んだ慶事を神事化した祭なのでしょう。ちなみに、山城の国土開拓神であるオオヤマクイですが、彼はウガヤフキアワセズの祖父であるニニキネの命を受けて、この地を拓きました。したがってニニキネと近い世代であり、タマヨリはその孫世代となります。なので、ミケイリの父親である「ヤマクイ」とは、オオヤマクイの甥であるワカヤマクイのことだと思います。

 

 旧竹林院を後にすると、日吉大社前バス停からバスに乗り、西教寺へ。受付で「びわ湖大津 光秀大博覧会」の入場チケットを買うと、大感謝キャンペーンの特典でクリアファイルと坂本城のお城カードがもらえました。まずは禅明坊光秀館を見学。3回目の訪問でしたが、やや展示品が変わっていました。大河ドラマの小道具が比較的新しい物になっていました。

f:id:hanyu_ya:20210710211030j:plain大河ドラマ麒麟がくる」で使われた小道具の温石と小箱。温石は若い頃に光秀の妻の熙子が光秀に渡した二人の思い出の品で、小箱は、熙子の死後、光秀が彼女の爪を切って入れていた入れ物です。

 

 光秀館を出ると隣の土産物売り場に寄り、買い納めとなる博覧会オリジナルの八つ橋「桔梗之華」を購入。それから特別公開をしていた明智光秀寄進の陣鐘を見学し、西教寺を拝観。おみくじの創始者である元三大師ゆかりの寺なので、例によっておみくじを引くと、今回は吉でした。

f:id:hanyu_ya:20210710211316j:plain西教寺で引いたおみくじ

 

 西教寺を出ると、再びバスに乗り、日吉大社前バス停で下車。途中、車窓から芙蓉園別館の門前にランチの案内が見えたので、本館より気軽に入れない佇まいで今まで行けなかった芙蓉園別館で昼食を摂ることに。玄関で、メニューは門前に張り出してあった湯葉重オンリーで支払いは現金のみだがいいかと訊かれましたが、手持ちもあって特に問題はなかったので入店。

f:id:hanyu_ya:20210711020930j:plain芙蓉園別館で食べた湯葉

 

 食事後、部屋から庭園に出られるようになっていたので、履き物を借りて軽く散策させてもらい、屋内に戻って支払いを済ませ店を出ると、慈眼堂経由で滋賀院門跡へ。

f:id:hanyu_ya:20210711021158j:plain慈眼堂の供養塔。向かって右から紫式部之塔、和泉式部之塔、清少納言之塔。

 

 3月末で終了する光秀博覧会の会場である西教寺と滋賀院門跡を見終わると、あとは日を改めて訪ねてもいい場所だったので、2020年度明智光秀探訪の最後を締めくくるべく、権現馬場、松馬場を下って坂本城址へ。続いて明智塚に寄り、JR比叡山坂本駅に戻りました。

f:id:hanyu_ya:20210711022059j:plain北国海道沿いの坂本城址の石碑

f:id:hanyu_ya:20210711192557j:plain坂本城址公園の石碑

f:id:hanyu_ya:20210711192722j:plain坂本城址公園の明智光秀像。よく知られている像ですが、今まで見てきた可児、亀岡に比べて、一番ビミョーなカンジ。

f:id:hanyu_ya:20210711192902j:plain坂本城址公園から見る琵琶湖

f:id:hanyu_ya:20210711192946j:plain明智

f:id:hanyu_ya:20210711193025j:plain明智塚についての説明板

 

 湖西線で京都駅に戻ってくると、利用できる公共交通機関がなかったため芙蓉園別館から比叡山坂本駅までずっと徒歩移動で足の疲れがハンパなかったので、いったんホテルに戻って30分ほど休み、5時過ぎに再び出かけて、宇治の萬福寺へと向かいました。19~21日は萬福寺ランタンが開催され、夜間参拝ができたので。6時前に黄檗駅に着き、徒歩5分ほどで萬福寺に到着。臨済宗曹洞宗と並ぶ日本三禅宗の一つである黄檗宗大本山なので、一度訪れたことがありますが、もう何年前かわからないほど大昔で、開梆ぐらいしか記憶にありませんでした。

f:id:hanyu_ya:20210711193231j:plain萬福寺全景図

f:id:hanyu_ya:20210711193309j:plain三門とライトアップ された桜

f:id:hanyu_ya:20210711193419j:plain本堂にあたる大雄寶殿

f:id:hanyu_ya:20210711193503j:plain大雄寶殿はステージになります。

f:id:hanyu_ya:20210711193759j:plain有名な開梆

f:id:hanyu_ya:20210711193923j:plain開梆についての説明板

f:id:hanyu_ya:20210711194007j:plain大雄寶殿内。見えませんが、御本尊はお釈迦様です。

f:id:hanyu_ya:20210711194143j:plain大雄寶殿内に祀られている羅怙羅尊者。釈迦十大弟子の一人で十六羅漢の一人、お釈迦様の実子だそうです。

f:id:hanyu_ya:20210711194241j:plain大雄寶殿の外に出るとすっかり暗くなっていました。

f:id:hanyu_ya:20210711194342j:plain天王殿内の韋駄天

f:id:hanyu_ya:20210711233029j:plain天王殿内の毘沙門

f:id:hanyu_ya:20210711233231j:plain天王殿内の弥勒菩薩

f:id:hanyu_ya:20210711233318j:plain天王殿前のライトアップされた参道

f:id:hanyu_ya:20210711235816j:plain売店御朱印授与所も開いていたので、金の限定朱印をいただいてきました。

 

 駅から歩いているときにパラパラと降りはじめた雨が強くなってきたので、7時15分過ぎには萬福寺を後にし、夕飯はどうしようかと思っていたら、近くに「京薬膳 萬」という店があったので、入店。「営業中」の札が掛かっていましたが、店内には客はおろか店員も見あたらず。ただし人がいる気配はするので、厨房らしき奥の部屋に向かって声をかけると店員が出てきて、まだ食事も用意できるというので、お薦めらしき「金成そば」というメニューを注文。食べているあいだに萬福寺から流れて来たらしい客が入ってきました。

f:id:hanyu_ya:20210711233416j:plain金成そば。具は、胡麻豆腐、大根おろし、山菜、豚肉、銀杏、柚子胡椒……温泉卵付きです。

 

 食事後、黄檗駅から奈良線で京都駅に戻り、8時半過ぎにホテルに着いて、日程終了です。

京都遠征~容保桜(+京都府庁旧本館)、出水の枝垂れ桜、近衛邸跡の糸桜

 1都2府などを対象とした三度目の緊急事態宣言がゴールデンウィーク前に発出されて以降、2か月以上遠出はまったくしていないのですが、なかなか記事を書く時間が取れず。月日が経ちすぎて旅先での行動もうろ覚えとなり、季節的にも今さらという感じになってしまったので、3月4月に行った遠征については、アルバム風に写真と軽い説明をアップしてすませたいと思います。

 

 3月下旬の春分の日の週末は、宝塚の大劇場公演のチケットが取れたので、ついでに京都へ行き、京都府庁旧本館を見学してきました。旧本館の中庭には「容保桜」という名の桜があり、今年は桜の開花が早かったため、もしかしたら咲いているかもしれないと思ったので。「容保桜」は京都府庁の敷地が京都守護職上屋敷跡――ということから、京都守護職だった松平容保にちなんで命名されました。ちゃんと松平家の了承を得ているそうです。残念ながら容保桜はぽつぽつとしか咲いていませんでしたが、円山公園の枝垂れ桜の孫にあたる桜がきれいに咲いていました。

f:id:hanyu_ya:20210626154957j:plain京都府庁旧本館正面

f:id:hanyu_ya:20210626155057j:plain中庭と旧本館の南棟

f:id:hanyu_ya:20210626155223j:plain中庭と旧本館の北棟

f:id:hanyu_ya:20210626155315j:plain中庭と旧本館の東棟

f:id:hanyu_ya:20210626155441j:plain円山公園の枝垂れ桜の孫桜の花

f:id:hanyu_ya:20210626160035j:plain旧本館を背景にした孫桜の花

f:id:hanyu_ya:20210626160140j:plain容保桜。満開には遠かったですが、よく見るとちらほら咲いていました。

f:id:hanyu_ya:20210626160246j:plain容保桜の説明板

f:id:hanyu_ya:20210626160331j:plain容保桜の花

f:id:hanyu_ya:20210626160409j:plain旧本館を背景にした容保桜の花

 

 明治37年に竣工した京都府庁旧本館は、創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古のもので、重要文化財に指定されています。本館として機能したのは昭和46年までですが、現在も執務室や会議室として使われ、旧知事室や旧議場は一般公開されて、見学できるようになっています。

f:id:hanyu_ya:20210626160613j:plain旧知事室

f:id:hanyu_ya:20210626160809j:plain見学案内所から旧知事室に行く途中にある資料展示室にいた京都府広報監のまゆまろ。「広報監」……つまり京都府のPRキャラクターです。

f:id:hanyu_ya:20210626160906j:plain正庁

 

 旧議場は平成25年まで府政情報センターとして使われていましたが、竣工110周年を迎えるにあたり、明治当初の状態に修復され、平成28年に整備が終わりました。室内に在りし日の姿――情報センター時代の写真が展示されていたのですが、ほんの数年前まで図書館みたいだった部屋の様子を見ると、歴史的建造物の議場を元の姿形など見る影もない書庫に変えた人間と、苦労して限りなく元の姿形に戻した人間がいたという厳然たる事実を突きつけられ、奇妙な感覚をおぼえました。昔の物を残すことに価値を認める人もいれば、前時代の遺物など壊してしまって新しくすることに躊躇しない人もいる――そんな人間の多様性や、また時代によって変わる価値観を見せつけられ、けっして絶対的ではない人間の価値観、それどころか移ろいやすい人間の価値観というものを改めて思い知らされ、少々やるせなくなりました。人間の価値観がこれほど多様で変わりやすいものならば、これからも人は無駄な破壊と創造をくり返していくことでしょう。であるのなら、人とはなんと愚かな生き物なのか――とも思いました。

f:id:hanyu_ya:20210626161001j:plain旧議場その1。ガイドの方がいて、その説明によると、現在は講演会などで利用されているとのことでした。

f:id:hanyu_ya:20210626161223j:plain旧議場その2。窓の金具や換気システムなど、明治期の建築の工夫についても教えてくれました。

 

 役所なので5時には閉門するため、10分前には京都府庁を出ると、正門前の下立売通を東に向かって10分ほど歩けば京都御苑なので、行ってみることにしました。

f:id:hanyu_ya:20210626161438j:plain京都府庁を出るときに気が付いた、正門の近くにある京都守護職上屋敷跡の碑

 

 一番近い下立売御門から入ると、まずは満開の雪柳が出迎えてくれ、そのうち左手に人が集まる一本桜が見えてきました。出水の枝垂れ桜です。ラッキーなことに、ちょうど見頃でした。しかも青空の下、夕陽を受けた花はやや赤みがかった独特な色合いで、あまりに美しく、この出合いに心底感謝しました。花が満開で、晴れていて、夕刻で、しかも写真から外せるほど周囲に人がいないなんて好条件が揃うことは、この先あるかわからない――いや、ないだろうと思ったので。コロナ禍という非常時がもたらした偶然ですから……。まさしく、これこそ一期一会だと思いました。

f:id:hanyu_ya:20210626173344j:plain下立売御門近くの雪柳

f:id:hanyu_ya:20210626173433j:plain出水の枝垂れ桜その1

f:id:hanyu_ya:20210626173533j:plain出水の枝垂れ桜その2

f:id:hanyu_ya:20210626173634j:plain出水の枝垂れ桜その3

f:id:hanyu_ya:20210626173732j:plain出水の枝垂れ桜の花その1

f:id:hanyu_ya:20210626173807j:plain出水の枝垂れ桜の花その2

 

 出水の枝垂れ桜がとても素晴らしかったので、日が暮れて視界がきかなくなるまで時間が許すかぎり御苑内を散策することにし、糸桜を目指して、近衛邸跡へと向かいました。

f:id:hanyu_ya:20210626173959j:plain御所付近の桜の花その1。築地塀をバックにした桜の写真は、なかなか他では撮れません。

f:id:hanyu_ya:20210626174056j:plain御所付近の桜の花その2

f:id:hanyu_ya:20210626174206j:plain近衛邸跡近くの桜

f:id:hanyu_ya:20210626174246j:plain近衛邸跡の桜その1

f:id:hanyu_ya:20210626174327j:plain近衛邸跡の桜その2

f:id:hanyu_ya:20210626174420j:plain近衛邸跡の説明板

 

 近衛邸跡に続いて今出川御門、桂宮邸跡を見ると、行きは御所の西側を歩いたのですが、帰りは東側を通り、黒木の梅を経由して、丸太町通に出ました。

f:id:hanyu_ya:20210626174654j:plain御所の東側。橋本家跡付近から南を見る。御所沿いに人が一人もいない光景なんて、この先何度訪れてもないと思います。

f:id:hanyu_ya:20210626174812j:plain橋本家跡の説明板。橋本家は和宮の母親である橋本経子(勧行院)の実家で、和宮はここで生まれて育ちました。

f:id:hanyu_ya:20210626174946j:plain黒木の梅の花。ほとんど終わっていましたが、まだいくつか咲いていました。九条家にあった八重の梅です。

f:id:hanyu_ya:20210626175041j:plain黒木の梅の説明板

 

 6時半過ぎに御苑を出ると、だいぶ暗くなっていたので、切り上げてホテルに戻ることに。最寄りの丸太町駅から地下鉄に乗って京都駅に着くと、7時になるかという時刻だったので、夕飯を食べようと思い、JR京都伊勢丹の「松山閣」へ。時間が時間なのでダメもとで行きましたが、運よく店に入れたので、湯葉づくし膳を食べてホテルに戻り、日程終了です。

京都寺院遠征~仁和寺、壬生寺、方広寺

  2か月ほど明智家系図&年表作りにどっぷりハマっていたため記事を書けずにいたら、あっという間に春が終わり、もう梅雨かという季節になってしまいました(笑)。本当に季節が変わるのは早いです。

 

 今年の春は、3月中旬に仕事で京都、その翌週にはプライベートで宝塚観劇のついでに京都&坂本へ行き、4月は上旬に句会仲間と群馬へ花見、その翌々週には仕事で北陸、ついでに京都をまわって、いくつかの特別展を見てきたので、緊急事態宣言が出る直前までは2週おきぐらいに遠征をしていました。住まいがある神奈川県には今のところ宣言は出ていませんが、仕事場が東京で、関西の2府も宣言対象地域では行くところがないので、ゴールデンウィークは5月1日から9日まで仕事を休み、外出も控えて完全ステイホーム。9日間のあいだに家を出たのは、最寄りのコンビニに買い出しに行った1度きりでした。さすがに食料が尽きたので。

 

 ということで、連休中は引きこもっていたのですが、長い休みのおかげでようやく明智探訪の遠征先で買い漁りたまっていた資料を読み込むことができ、新たな情報が得られたので、明智研究は進展。ただし、それによって今までの考察の結果立てた推論は否定されて、その推論に基づいて作成してきた系図はほとんどオジャンになってしまったので、また一から書き換えることに……トホホホ。半端な状態で進めても行き詰まり結局二度手間になると思い知らされました。そんなこんなで連休後も引き続き休日は家にこもり、系図作りに没頭。とりあえず以前作成していたレベルにまで新情報を反映して書き換えたので、少しずつ遠征記を書いていきたいと思います。多分に今さら感がありますが、旅行記であり備忘録でもあるので。

 

  3月中旬に行った京都は、木曜の夜には同行の仕事仲間と、金曜の夜には取引業者と食事をすることになっていたため土曜に帰る予定にしていたので、帰る前にせっかくだからどこかに寄ろうと思い、夕方の新幹線を予約。……なのですが、前日に続いて朝からけっこうな雨降りだったので、チェックアウトタイムの30分前まで悩んだ末、仁和寺に行くことにしました。去年の夏に訪れましたが、京都市京都市観光協会がJRと組んで毎年実施している「京の冬の旅」の企画で、金堂と五重塔を特別公開していたので。「京の冬の旅」のホームページを見ると、密を避けるためか事前予約とのことだったので、スマホからネット予約で11時20分の回に申し込み、9時45分過ぎにホテルをチェックアウトし、荷物を預かってもらい出かけました。

 

 京都駅から仁和寺最寄りのバス停である御室仁和寺バス停までの所要時間は通常40分ぐらいなので1時間半あれば余裕だろうと思い、バスの時間は特に調べずに、駅構内の観光案内所に寄ったり、一日乗車券を買ったりしてから9時過ぎにバス乗り場に行ったのですが、タイミング悪く58分に出発したばかりでした。直通は1路線しかなく、しかも20分に1本なので、次は18分発。それでも1時間あれば大丈夫かと思っていましたが、二度目の緊急事態宣言解除後、明らかに人出が多くなっている京都市中は思いのほか混んでいて、コロナ禍以前の観光シーズン並みにバスが大幅に遅れたため、着いたのは10分前でした。

 

 やれやれと思いながらも、なんとか間に合いそうだったので安堵して二王門をくぐったのですが、左手にある拝観受付所は閉まっていて、受付がどこかわからず。にわかに焦り、慌てて御殿に入って訊いたところ、金堂の横とのことだったので、時間に間に合わせるのはあきらめて、できるかぎり早足で向かいました。金堂は中門を越えた先の、境内の最奥に位置するため、走ったところで到底間に合わず、それに、予約時間を過ぎると入場まで待たされることはあるみたいですが、入れないということはないと申込み時の注意書きにも書かれていたので。結局3分ほどの遅刻で仮設の入場券売り場に到着しましたが、問題なく入れ、待たされることもなく、そもそも予約なしでいきなり来ても入れるようでした。

f:id:hanyu_ya:20210522174221j:plain仁和寺の中門前から見る二王門。天気の悪さがよくわかる空模様。このとき雨は止んでいましたが。

 

 仁和寺の金堂は国宝で、御本尊の阿弥陀三尊も国宝ですが、そちらは現在霊宝館に安置されているので、今の金堂には江戸期に作られた阿弥陀三尊像が祀られています。それゆえ三尊像よりも、向かって右の脇壇に祀られていた光孝天皇像に心惹かれました――本堂に光孝天皇が祀られている寺は初めてだったので。まさしく仁和寺ならではの本堂で、改めて光孝天皇の発願によって建立された寺なのだと実感し、感慨深く思いました。光孝天皇は志半ばで崩御し、その遺志を継いで息子である宇多天皇が当寺を完成させたので、仁和寺の開基は宇多天皇ということになっていますが。

 

  58代光孝天皇は57代陽成天皇藤原基経によって若くして退位させられたことによって突然皇位が転がり込み、55歳で即位しました。母が藤原北家出身ではなかったため、それまで皇位とは縁遠かったのですが、その母の妹が基経の母で、つまり基経とは従兄弟同士の間柄であり、かつ基経の妻は光孝の同母弟の娘――すなわち姪で、血縁関係にあったからです。私が大好きな藤原時平は基経の長男ですが、彼の元服時に加冠役を務めて後見となったのが光孝で、よって時平の“時”は光孝の諱である時康からもらったのだろうと思っています。なので、光孝天皇の周辺についてもかなり調べたので、在位はわずか3年余りでしたが、私にとっては平安時代の中でもとりわけ馴染みの深い天皇です。そんなこともあって、仁和寺は思い入れのある寺なのです。

 

 とはいえ、昨年7月にも国宝の薬師如来像を見るために訪れているので、金堂に続いて五重塔の拝観を終えると、今回は霊宝館などはパスし、12時10分前だったので、昼食を摂るため、仁和寺を後にして二王門の前にある「佐近」という店に入りました。京料理×フレンチという感じの京料理屋のようで、興味が湧いたので。ランチタイムのサービスメニューがあり、それにしようと思っていたのですが、店内で改めてお品書きを見ると、フランソワ・モンタンのハーフボトルを発見。

 

 実は、当初は明智門がある金地院に行こうと思っていたのですが、アクセスを調べていたら、茶室の拝観は事前に往復ハガキでの申込みが必要であることがわかったため、今回はパスすることに。けれども「京の冬の旅」の特別公開も昨年のように絶対に見たいというところもなかったので、このあとどうするか食事をしながら検討するつもりでした。その上、木曜金曜と二日間日本酒dayが続き、そろそろ泡が飲みたいと思っていたところ、しかも店内には他に客はおらず貸切状態ったので、これはゆっくり食事をしろという神の思し召しだと思い、ハーフボトルを頼んで、料理は「桜」のコースに変更。本日のお任せ料理のコースでしたが、その日の献立は次のとおり。

 

 近江牛ローストビーフ 花山葵

 ・菜の花お浸し雲子かけ

  鰆西京焼き

  サーモンとクリームチーズ市松

 ・地鶏のスープ

 ・天然平目 本鮪 造り合わせ

 ・鯛ワイン蒸し デュクレレ風

 ・穴子と筍豆腐 木の芽餡かけ

 ・天然鯛昆布〆寿司 赤出し

 ・ピスタチオムース 抹茶わらび餅

f:id:hanyu_ya:20210522175230j:plain前菜3品

f:id:hanyu_ya:20210522175143j:plainスープ

f:id:hanyu_ya:20210522175059j:plain鯛のワイン蒸し

f:id:hanyu_ya:20210522175313j:plain〆寿司

f:id:hanyu_ya:20210522175355j:plainデセール

 

 仁和寺の門前でランチタイムにしたのは、ここからなら竜安寺北野天満宮や嵐山に行くのもアクセスがよいからでしたが、食事が終わっても行く所が決まらず、1時を過ぎると予約客らしき三人組がやってきたので、とりあえず店を出て、歩いて行ける妙心寺へと向かいました。妙心寺も今年から拝観方法が変わり、以前はガイドによる説明付きのみでしたが、個人で自由に拝観できるようになったので。ということで、府道101号線を歩いていたのですが、嵐電妙心寺駅前バス停あたりで、20分に1本の京都駅行きバスがちょうど来たので、やはりめったに見られない特別公開をしている寺院が多い東山に行こうと思い、懸命に走って、どうにか乗車。

 

 バスの中でも引き続き東山のどこへ行こうか考えていましたが、アルコールを飲んだあとに走ったせいか、いつのまにかウトウトとしてしまい、気が付いたら壬生寺道バス停の手前でした。壬生寺は「壬生狼」と呼ばれた新選組ゆかりの寺ですが、今まで行ったことがなかったので、急きょバスを降りて行ってみることに。14代江戸将軍徳川家茂と懇意だった会津藩松平容保会津藩には深い思い入れがあり、それゆえ会津藩お預かりだった新選組にも興味があって、以前から気になるところではあったので。気にはなっていたのですが、京都滞在中に壬生寺へ行く時間があるのなら黒谷の金戒光明寺へ行く人間なので、この日のように決まった予定のない時間があるときに偶然通りがかりでもしなければ、この先も行くことはないだろうと思い、この機に訪れることにしました。

f:id:hanyu_ya:20210522175750j:plain壬生寺案内図

 

 特別公開とかをやっているわけではなかったので、お参りをして御朱印をいただくと、有料区域である壬生寺歴史資料室と壬生塚を見学。壬生寺といえば重要無形民俗文化財に指定されている壬生狂言も有名なので、資料室には仏像や天皇家からの拝領品の他、狂言で使われる面などが展示されていました。壬生塚は新選組関連の遺跡で、局長だった近藤勇の胸像が一番目立っていましたが、近藤は板橋で処刑され、したがってその墓所は関東にあるので、横目に見ただけでスルー。近藤の前の局長だった芹沢鴨の墓に手を合わせてきました。新選組内の粛清により屯所で暗殺された芹沢はこの地に眠っているのだろうと思ったので。近藤も遺髪塔というのがあったので、髪は本人のものが納められているようですが。

 

 壬生塚を一巡すると、資料館入口前にある売店を物色。京都の前田珈琲とコラボした壬生寺オリジナルドリップコーヒー「誠珈琲」と、慶応幕末維新番付のビニール製ブックカバーがあったので購入し、寺を後にして壬生寺道バス停へ。途中に屯所旧跡の八木邸跡などがあり、こちらも大いに気になったのですが、前半のんびり行動しすぎたせいで時間に余裕がなくなっていたので、期間が限定されている特別公開を優先し、今回はあきらめました。

f:id:hanyu_ya:20210522184248j:plain壬生寺で買った「誠珈琲」とブックカバー。同じ東の横綱ではありますが、家茂より慶喜が上の番付なのが個人的には不満(笑)。左上は、新選組を預かっていた京都守護職の本陣があった金戒光明寺でいただいた記念札。大方丈の瓦を寄進するといただけるもので、岡崎での仕事のあと、近いので足を運びました。修復に使われる瓦の裏に願いと名前も書けます。

 

 再び市バスに乗ると、東山七条方面に1路線では行けなかったので、四条大宮バス停で乗り換えて、馬町バス停で下車。時刻は3時半になろうかというところで、特別公開の受付時間は4時までなので、二つは行けず、智積院方広寺のどちらに行くか悩みましたが、方広寺に行くことにしました。方広寺で見たいのは鐘だけだったので、非公開の建物を何か所か見られるのなら智積院かと思っていたのですが、改めて確認すると、コロナ禍の影響で智積院の特別公開は予定より縮小されて宸殿のみとなり、そうなると見所は堂本印象の襖絵ぐらいなので、ならば鐘だけが目的でも方広寺に行ったほうがよいと判断。なんといっても豊臣家滅亡の引き金となったもので、歴史を動かした存在ですから。それゆえ非常に歴史的価値が高い貴重なものなのですが、普段は鐘楼の外からしか見られないため興味が持てなくて、今まで訪れたことがありませんでした。しかし今回の特別公開では鐘楼の中から鐘を見られるとのことだったので、見に行くことにしました。

 

 バス停から10分ほど歩くと、方広寺の境内に到着。問題なく入れましたが、どうやら裏口のようでした。今回は本堂、大黒堂、鐘楼が公開され、まずは本堂と大黒堂を見学。方広寺豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって京都に大仏を祀るために創建した寺で、東大寺の3倍の規模という大仏殿があったそうです。しかし創建翌年の文禄5年(1596)の慶長伏見大地震で大仏は倒壊。その後何回か再建と焼失がくり返されましたが、現在では遺物が残るのみとなり、大仏殿の欄間に施されていた左甚五郎作の龍の彫刻などが展示されていました。

 

 建物を出ると、続いて一番の目的である鐘楼へ。何人かの見物客がいましたが、少し待ってその団体をやり過ごせば、その後は一人二人の個人客とゆったり見ることができました。時間をかけて見ていると人が捌けて一人になるときもあったので、ガイドの方も丁寧に説明してくれ、鐘の内側に見える淀殿の幽霊も懐中電灯で照らして見せてくれました。言われればそう見えないこともないという、月に住むウサギのような感じでしたが。

f:id:hanyu_ya:20210522184944j:plain方広寺梵鐘その1。高さ4.2、外径2.8メートルの巨大な釣鐘で、東大寺知恩院と並んで「日本三大名鐘」の一つに数えられています。重さが82トン強あるというので、それを支えている鐘楼のほうに驚き、その仕組みをガイドの方に訊いたのですが、「組み方が特殊な工法」との答えで……つまり不明ということでしょう。

f:id:hanyu_ya:20210522185152j:plain方広寺梵鐘その2。厚みは27センチあるそうです。

f:id:hanyu_ya:20210522185300j:plain方広寺梵鐘その3。大坂の陣のきっかけとなった「国家安康」「君臣豊楽」の銘文。現在はわかりやすいように印が付けられているのでそこだけ目立っていますが、実物を見れば、梵鐘全体に刻まれた長い銘文の中のほんの一部であることがわかります。つまり、当時の徳川方がいかに目を皿のようにして豊臣家に戦を仕掛ける口実を探していたか、実によくわかります。

 

 鐘楼の建築方法も梵鐘の鋳造方法も、ちょっと想像できない、現代では考えられない高度な技術で、この鐘を作らせたのは秀吉の息子の秀頼ですが、豊臣家というか、太閤秀吉の威光――豊臣秀吉という人間の凄さを改めて見せつけられたような気がしました。こんなに高い技術を持つ職人たちを集められるのですから。はっきり言って、秀吉は好きではないのですが、傑物だとは思っています。客観的に考えれば、三英傑の中で一番凄いのは秀吉のようにも思えます。何しろ一兵も持たない身一つの農民だか足軽だかから天下人まで成り上がったのですから。けれども、古来「出る杭は打たれる」という考え方が一般的な民族社会であり、村八分や五人組制度が広く根付き、アメリカのようにサクセスストーリー的な思想や文化が浸透しなかった日本では、秩序を乱す急激な出世は世間の反感を買い、納得できない、受け入れられない、祝福できない人が多いため、残念ながらめでたい末路を辿れず、否応なしに巻き添えとなる周囲の人間も不幸にしているように思えます。秀吉しかり、道真しかり。だから彼らの人生に――そんな人生を選んで歩んだ彼らの人柄にあまりいい印象を持てないのかもしれません。

 

 鐘楼を出ると、仮設の授与所でミニファイル付きの限定御朱印を購入し、帰りは表門から出て、博物館三十三間堂前バス停からバスに乗り、京都駅に戻りました。時間が経ちすぎていて、メモも残っていないので、その後の行動はおぼえていませんが、例によってタカラ缶チューハイを買って新幹線に乗り帰ったのだと思います。

f:id:hanyu_ya:20210522190033j:plain限定御朱印とミニファイル

f:id:hanyu_ya:20210522190132j:plain表門にあった特別公開の看板

宝塚メモ~礼真琴と星組の「ロミオとジュリエット」に足りなかったもの

 日曜に宝塚星組公演「ロミオとジュリエット」を観てきました。私の好きな三大ミュージカルの一つで、宝塚での再演は2013年以来8年ぶり、しかも歌ウマトップスターのこっちゃん(礼真琴さん)主演とあっては絶対に見逃せなかったので、先月の雪組に続き再び宝塚まで遠征してきました。

f:id:hanyu_ya:20210324232407j:plain大劇場内の壁に飾られた、こっちゃんのポートレート(中央)

 

 やはり何度観ても名作だと思う完成度の高い作品です。原作はシェイクスピアなので、ストーリーに破綻がなく、起承転結は完璧。ミュージカルになっても間延びするような箇所は一切なく、場面場面がオーバーラップするような演出もあって、たたみかけるように展開していきます。けれども、スピード感があるからといって話がすっ飛んで訳が分からないということもありません。始まりから終わりまでの流れがカンペキです。そして何より、すべての楽曲が文句なしに素晴らしい。単にメロディが美しいだけでなく、耳馴染みがよく、どの曲もおぼえやすいのです。こんなミュージカルは他に「エリザベート」と「オペラ座の怪人」しかなく、その中でもロック調なのは「ロミジュリ」だけ。なので、本当に唯一無二のミュージカルだと思っています。あくまで個人の感想ですが。

 

 ということで、とにかく大好きな作品なのですが、私は月組公演を観てハマり、まさお(龍真咲さん)主演バージョンを2回、みりお(明日海りおさん)主演バージョンを1回観て、さらにDVDとCDを買い、CDを聴きまくって、ここ数年も変わらずにお気に入りとして聴いているので、まさお主演バージョンが基準。そのせいで、今回の公演も時折ついつい比較してしまい、多少物足りなく感じるところがあったので、観劇後すぐに月組のCDを聴きたくなり、帰ってきて聴き直しました。とはいえ、前回の星組再演よりはよかったと思います。星組の再演はまったく印象に残っていないので……「夢咲ねねのジュリエットは苦しいな」と思ったことぐらいしかおぼえていません。ロミオとジュリエットはもちろん、ティボルト、マーキューシオ、ベンヴォーリオ、ロレンス神父、乳母、キャピュレット夫妻、モンタギュー夫妻、ヴェローナ大公、パリス伯爵という、ソロやデュエットがある主要キャストのすべてがそれなりに歌えなければいい舞台にならない、実にハードルの高い演目で、その反面、だからこそトップスターや二番手以外にも見せ場があり活躍できる素晴らしい演目でもあるのですが、記憶にないということは、前回公演はその高いハードルをクリアするものではなかったのでしょう――何分おぼえていないので断言はできませんが。

 

 今回の星組は及第点だと思いますが、足りなかったものを端的に言えばドラマ性で、月組のほうが圧倒的にドラマティックでした。「芝居の月組」なので芝居も表現豊かですが、歌もドラマティック。そもそもトップスターのまさおが「まさお節」と言われたクセのある芝居がかった歌い方ですし。「僕は怖い」なんて、まさにまさお節炸裂で、「そう、友よ聞いてくれ~♪ 僕は見えるんだ~♪ 無頼と放蕩に明け暮れたその先に~♪ 待ち受ける何かは~♪」の「待ち受ける」とか、「君が爪弾くギターの音色~♪」の「君が爪弾く」とかのフレーズがやたら印象的です。一方、こっちゃんが歌うこの歌は、上手いのですが、まさおに比べるとあっさりしているなと思いました。月組の場合、他の組子もみんながみんな特別に上手いというわけではないのですが、かつての月組トップスターのウタコさん(剣幸さん)のように、芝居の歌としての表現に長けているのです。歌いながら芝居をしているというか、歌である前にまずメロディにのせたセリフであることを意識しているというか……。だから歌としてはやや粗雑な発声になったとしても、それも味のように思えて気になりません。ちゃぴ(愛希れいかさん)ジュリエットとかマギー(星条海斗さん)ベンヴォーリオとか、歌う前の芝居が熱いので、歌も勢い余ってという印象で、あくまで芝居の延長という感じ。それに比べて今回の星組は、こっちゃんをはじめ大事に丁寧に歌いすぎていて、歌を歌いこなすこと、上手く歌うことがまず重要という感じが強く、芝居っ気が薄いように思えました。まあ、一人でも歌が下手だなと思うところがあると、観る者はそこで不必要な引っかかりをおぼえてしまい、舞台全体が台無しになる作品なので、慎重にならざるを得ないとは思いますが。

 

 それと、月組バージョンはハーモニーがいいのが特徴。声質や歌い方がバラエティに富んでいるので、合唱したときの声の違いが明らかで、おもしろいようにハモります。じゅんこさん(英真なおきさん)のロレンス神父と美穂圭子さんの乳母は歌ウマの男役と娘役のデュエットなので言うまでもありませんが、このとき就任したばかりの新トップコンビだったまさおロミオとちゃぴジュリエットのハモリもいい。上手いとか下手とか以前に、まさおの歌もちゃぴの歌も大げさなくらい抑揚のある、存在感がある歌なので。

 

 高低差がある男役と娘役のハモリだけでなく、娘役同士、男役同士のハモリもよいのが、月組バージョンの特筆すべきところでもあります。今は宝塚ホテルの支配人である元月組組長のすーちゃんこと憧花ゆりのさんのキャピュレット夫人と、花瀬みずかさんのモンタギュー夫人の娘役同士のデュエットも素晴らしく、花瀬さんの正統派アルトの声にすーちゃんの個性的で独特な声がスパイスのようにきいている、本当に素敵なデュエット。特に花瀬さんはデュエット曲「憎しみ」の出だしである「あなた~たちの~♪」と、エンディング前の「罪びと」の出だしである「息子は帰ら~ない♪ どんなに嘆いても~♪」がすごくよくて、後者はイントロのリズムが始まると、続く歌がわかっていても泣けてきます。この月組の二人に比べると、今回同じ役を演じた娘役さんは歌にも声にも特徴がなく、二人の差もなくて、裏声に変わる高音の出し方もそっくりだったので、歌い手が変わっても変化に乏しく、デュエットの妙味がまったく感じられませんでした。一人一人はそこそこ歌えていましたが。

 

 男役同士は、月組の場合、まさおロミオとマギーベンヴォーリオ、みやるり(美弥るりかさん)マーキューシオのモンタギュー三人組も三者三様の声質なので、一緒に歌っても声が重ならず聴いていて心地よいです。深くて潤いのあるまさおの声、よく通る少々ビブラート気味のマギーの声、男役の中でも低めで一番男らしい(麗しい容姿に反して)みやるりの声……「世界の王」も「街に噂が」も大好きです。特に「街に噂が」はバックコーラス風のハーモーニーが聴きごたえ十分。まさおロミオとじゅんこロレンスの「愛の為に」もいいし。みやるりマーキューシオは、みりおティボルトと歌う「決闘」から「マーキューシオの死」も出色。みやるりの低音はいかにも喧嘩っ早いやんちゃ者らしく、みりおは歌声も役柄と同じく御曹司らしい上から目線のタカビーな貴公子然としていて、この同期デュエットも最高。マーキューシオの「奴は俺を昔から~♪」からの盛り上がりは特にスゴイです。つまり、それぞれの役の性格というか人柄が歌を聴いているだけで伝わってくるのです。その点が今回の星組には足りませんでした。歌そのものはほとんどがソツなく歌えていました。ベニー(紅ゆずるさん)がトップの頃を思えば、組全体の歌が進化していると思います。けれども、ディナーショーやガラコンサートならこれでいいかもしれないが……というレベルで、芝居を伴う歌“劇”としては物足りなかったです。ミュージカル化されて歌がプラスされているとはいえ、古今東西の人間の普遍的なテーマを描いて突きつけるシェイクスピア劇であることに変わりはなく、ロミジュリも単純明快ですが奥が深い物語なので。

 

 歌でも演技でもソツのないパフォーマンスというものは、プロとしてまず手始めに目指すべき目標で、初歩の初歩というか、ほんの第一段階にすぎません。ソツなくこなしているだけでは、観ているほうもおもしろくないものです。こっちゃんはダンス、歌、芝居と三拍子そろった実力者ですが、このあたりを今後の伸びしろと捉えて、組子と共にこれからも精進していってもらいたいですね。どこか昔のだいもん(望海風斗さん)と重なります。だいもんも三拍子そろった優等生でしたが、チギ(早霧せいなさん)やさき(彩風咲奈さん)に比べると個性が乏しく、こっちゃんと違って貫禄や安定感といったものはトップになる前からあったので舞台上で存在感がないということはなかったのですが、観劇後はあまり印象に残らない感じでした。けれども、トップになってからも成長し続けてその殻を破り、今では誰もが認める現宝塚随一のパフォーマーになりました。こっちゃんも現状で満足しなければ、十分その域に至れると思います。

 

 そんなこんなで全体的に物足りなくはあったのですが、今回の公演が一番よかったという役もありました。愛月ひかるさんが演じた「死」です。セリフがない役ですが、メリハリのあるしなやかな体の動きがもたらす見た目のインパクトや目力がすごくて、存在感がハンパなかった。ロミオより見ていたような気がします。自然と目に入ってくるので(笑)。こっちゃんロミオがいささか幼すぎて、「女たちは僕のことを追いかけてくる何もしなくても~♪」というほどモテモテの青年には見えなかったので、余計に「死」のほうに目が行っていたかもしれません。

 

 愛月さんの他には、乳母役の有沙瞳さんも頑張っていたと思います。伸びやかな声質で声量もありド迫力の美穂さんの歌には及びませんが、「やっぱり乳母役は美穂さんでなければ」とは思わなかったので。娘役トップスター候補だと思っていましたが……いつのまにか貫禄がついちゃいましたね。

 

 今回は演出としてイケコ(小池修一郎さん)と共に稲葉太地さんの名があったので、所々よりわかりやすく変化しているのは稲葉演出のせいかと思いましたが、明らかに説明的で、流れの勢いを殺している感じがして、演者に観る者を作品世界に引き込む力があれば不要なものというか、東宝版「エリザベート」でちゃぴ主演に至るまでに行われた改変と同じく蛇足のように思えました。

 

 以上、「ロミジュリ」愛が深すぎていろいろと書きましたが、印象が薄くてまったく記憶にない2013年星組公演に比べれば、本公演のほうが断然好みです。役作りが幼くはありましたが、2013年に主演したチエ(柚希礼音さん)よりもこっちゃんのほうがはるかにロミオは適役だと思いますし。ただ、優等生のこっちゃんが率いる現星組のカラーが出た、優等生的なロミジュリでしたね。それゆえ、その枠を超えた愛月さんのパフォーマンスが光って見えたのでしょう。この公演も役替わりがあり、今回観なかったAパターンでは愛月さんがティボルトを演じているので、もう一度東京で、今度はAパターンを観たいですね――愛月ティボルトは絶対にハマリ役だと思うので。残念ながらチケットが取れる気はしませんが。雪組の東京公演は平日のマチネがなんとか手配できました。来月、最後のだいきほを堪能してきます。

f:id:hanyu_ya:20210324005456j:plain大劇場で買ってきたお土産。荷物になるので開演前から終演まで買うかどうか悩みましたが購入しました。

f:id:hanyu_ya:20210324005533j:plainなんと大劇場限定販売のロミジュリ特別パッケージの「萩の月」6個入りです(笑)。東北に行ったら必ず買ってくる大好物なので、見つけた以上買わずに帰ることはできませんでした。こっちゃんがCMキャラクターをつとめています。

宝塚メモ~上田久美子と望海風斗による化学反応というか相乗効果がもたらした驚きのシンフォニー

 現在日比谷の東京宝塚劇場ではミュージカル「fff-フォルティッシッシモ-〜歓喜に歌え!〜」とレビュー「シルクロード~盗賊と宝石~」を上演中ですが、本公演は雪組トップスターのだいもんこと望海風斗さんのサヨナラ公演で、絶対に見逃したくなかったので、先月1日に宝塚まで遠征して観てきました。東京公演のチケットは激戦で、まったく取れる気がしなかったので……。だいもん率いる雪組は「ファントム」以後チケットが以前にも増して取りにくくなり、前作の「ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)」はチケットが手に入らなくて観られず、前々作の「壬生義士伝」は劇場まで行ったけどチケットを入れておいた財布を忘れて観られずという信じられないヘマをやらかして観劇できなかったので、久しぶりの雪組公演でした。

 

 で、感想ですが、いやもう、すごかったです、「fff」。何がすごいって、熱量がハンパなかった。開演10分で「何じゃこりゃ、宝塚まで来た甲斐があった!」と思い、観終わったときには、それなりによかったと思ったブロードウェイミュージカルをもとにした宙組公演が同じ宝塚の舞台とは思えないほど衝撃を受けていました。「宝塚もここまでできるんだ」という嬉しいショックです。ウエクミこと上田久美子さんの斬新な演出も、だいもんの強烈なパフォーマンスも、やってやろう、挑んでやろう、今までを越えてやろう、見たことがないものを見せてやろうという気概にあふれていました。

 

 ストーリーは取り立てて事件的なエピソードのない、ほぼ歴史どおりにベートーヴェンの一生を綴ったもので、彼がその生涯の中で出会った人間や出来事によって味わうことになった数々の苦悩や葛藤の果てに見い出した歓喜は、運命のすべてを受け入れるということだった――というような内容でした。多分に精神的抽象的観念的なテーマでしたが、終始徹底してそのテーマに沿って進むので、筋は通っていて破綻はありません。けれども、本当にとても難しい作品だと思いました。ある意味ものすごく哲学的なので、最後の歓喜の部分に観ている人が納得する説得力を持たせるためには、そこに至るまでベートーヴェンが辿ってきた具体的な過程とその折々の内面的な心情とその移り変わりをいかにわかりやすく描き出し表現するかが重要。例えればシェイクスピア劇に近い感じで、それに宝塚歌劇に求められる歌って踊るレビュー的な要素と華やかさを取り入れて見せなければならないのですから。そんな冒険的な作品を創ったウエクミさんも天晴れですが、その作品の主人公を演じきっただいもんも見事でした。ウエクミさんもだいもんが主役だから書いた、書けた作品だと思います。彼女の大劇場デビュー作である「星逢一夜」は雪組公演で、だいもんの技量は十分にわかっていたと思いますし。トップスターとして真ん中に立てるビジュアルと華、5組のトップスターで随一の歌唱力、花組で培ったダンス力、そしてシェイクスピアが演じられる演技力と存在感……これらを兼ね備えただいもんがいたからこそ生まれた作品だったと思います。しばらく再演は望めないでしょう。

f:id:hanyu_ya:20210314214826j:plain大劇場内の壁に飾られた、だいもんのポートレート(中央)

 

 「オーシャンズ11」のベネディクト役から注目しはじめただいもん。この公演でトップスターの蘭とむ(蘭寿とむさん)に次ぐ二番手になったかと思いきや、当時すでに月組の準トップだった同期のみりお(明日海りおさん)が同じ花組に異動してきて、一時期番手が下がり不遇な時もありましたが、その後雪組に異動してからは、よい二番手&トップスター時代だったのではないかと思います。みりおよりトップになるのは遅かったですが、確実にみりおより作品にも相手役にも恵まれましたから。みりおは相手役である花組娘役トップスターが3度替わり、コンビとしてがっぷり四つ組むということができなかったように思いますが、だいもんとコンビを組んだ雪組娘役トップスターの真彩希帆さんは、だいもんと同時にトップに就任し、今回添い遂げ退団で一緒に卒業。だいもんの歌唱力を活かすために選ばれた歌ウマさんで、「ファントム」など、この二人だからこそ興行的にも大成功した演目もありました。今回の「fff」もその一つだと思います。本公演で真彩さんが演じたのは人間ではなく、擬人化された“運命”でしたが、澄んだきれいな歌声が人ならぬ存在の雰囲気を醸し出し、“運命”として常にベートーヴェンに寄り添いつつ時に言い争い、次第に馴染んでいく様子には、コンビとしての熟成度を感じました。サヨナラ公演はコロナ禍に見舞われましたが、それでも作品に恵まれ、最後まで相手役に恵まれ、二人ともよいタカラジェンヌ人生だったのではないでしょうか。

 

 さあ、次のトップはいよいよさき(彩風咲奈さん)です。93期生の首席で、研3で新人公演主役を務めた逸材。下級生の頃から抜擢されて、一度の組替えもなく、一度も路線を外れず、雪組のトップになることを約束されて雪組で育てられた雪組の御曹司。あまりに早く抜擢され、黙っていても役が付くので、恵まれすぎているせいか、一時は成長が見られない時期もありました。しかし壮一帆早霧せいな、望海風斗という、その時々の5組の中にあって一番芸達者なトップスターたちを見て育ち、さらに彩凪翔という強力なライバルを与えられて切磋琢磨した結果、ひと皮もふた皮も剥けて、飛躍的な成長を遂げました。最初に驚いたのがチギ(早霧せいなさん)のサヨナラ公演の徳三郎役で、次は「ファントム」のキャリエール役。私が知らないだけで、もっとあったかもしれません。今回演じたナポレオン役も、現実のナポレオンとベートーヴェンが思い描くナポレオンのどちらも演じるという、実像と想像の産物を行き来する難しい役柄でしたが、まったく問題なくこなしていました。実像の時はナポレオンが持っていただろうカリスマ性や存在感をいかんなく発揮し、想像の産物の時はだいもんベートーヴェンと真っ向から対峙する役で、熱量豊富なだいもん相手にまったく引けを取りませんでしたから。元来さきの演技にはインパクトがあり、「ひかりふる路」のダントン役の時にも、だいもんロベスピエールを食ってしまいそうな勢いでしたが、最近はキャリエールのような抑えた役も巧くなり違和感がなく板についてきたので、メリハリがあってとてもよいと思います。だいもんがここまで吹っ切れた芝居ができるようになったのは、さきのおかげだと思います。以前は無難すぎて、安定感はあるけれど少々面白味に欠けるという面が無きにしも非ず――という感じだったので。

 

 最後に、トップコンビと共にこの公演で退団するナギショー(彩凪翔さん)について触れておきたいと思います。雪組における彼女の功績は本当に大きいと思っています。彼女の存在は彩風咲奈を成長させ、その結果、望海風斗をも成長させました。

 

 絶対的なトップスター候補である彩風咲奈が1学年下にいて、彼女を奮起させ花開かせるために、彼女の闘争心を刺激する存在としてナギショーは爆上げされているように見えたので、本人はそれをどう感じているのだろうと思っていたことがありました――逆にこの機を利用してトップ候補に躍り出てやると思っているのだろうか等々……。余計なお世話ですし、杞憂だったかもしれませんが。そんなことが感じられてから、さきと共に注目して見るようになりました。以降、眼福という、男装の麗人を目で愉しむのが男役をメインとする宝塚の大きな楽しみの一つですが、私にとって雪組でその役割を担っていたのがナギショーでした。昔から雪組はどちらかというとビジュアル重視というよりは安定感のある実力派気質の組で、それゆえ一方では地味だとか華がないといわれることもありました。その華の部分を長らく背負っていたのがナギショーだったと思います。和洋問わず何のコスチュームを着ても美しく、しかも品のある美しさで、実に見甲斐がありました。みりおもカレー(柚香光さん)も綺麗ですが、ナギショーの美しさからは理知的なものを感じます。それゆえ今回演じたゲーテも、ナギショーだったから詩人という芸術家の身分がストンときました。しかも芸術家であると同時に政治家でもあるという、クリエイティブで情熱的な面と怜悧で理性的な面を併せ持つ二面性のある人間としてベートーヴェンを諭す言葉にも説得力を感じました。ショーでは、端整な黒燕尾姿もこれで見納めかと思うとうるっときて、チャイニーズマフィアの彩彩コンビのダンスでは二人のこれまでが思い出され泣けてしまいました。ショーで泣けたのは、まさお(龍真咲さん)とみりおのデュエダン以来ですね。

 

 ちなみに、ショーの音楽は菅野よう子さんが担当。菅野さんといえば、私の好きなSMAPの「gift」の作曲者なので、公演前から大いに気になっていたのですが、いい音楽すぎて、最初のうちは音楽ばかりに気を取られて、だいもん他雪組生のパフォーマンスに集中できなかったので、BGMとしてはいかがなものかと思いました。けれども、次第に溶け合っていき、途中からは音楽が特徴的で適度に主張しているおかげで、ダンスなどのジェンヌたちの動きがその音に合わせて振り付けられていること――ちゃんと合っていることがよくわかっておもしろく、音楽と身体の動きのハーモニーのようなものが感じられたので、よかったです。

 

 次は星組。「エリザベート」の次に好きな「ロミオとジュリエット」なので、こちらも絶対に見逃したくないと思い、再び宝塚まで行くことにしました。今月下旬の遠征なので、31日までの会期で、20日から大感謝キャンペーンが始まるびわ湖大津光秀大博覧会にでも寄ってこようかと思っています。