羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

小松原組の限界と髙橋・村元組の可能性~2021全日本フィギュア感想

 今日はクリスマスです。Merry Christmas!

 

 イブの昨夜は、高校時代からの友人と海外旅行の打ち合わせで使っている恵比寿のフレンチレストランでクリスマスディナーを食べ、丸ごとの鮑や、さくら和牛に舌鼓を打ってきました。キノコ好きなのでシーズン本番の秋は好んでフレンチを食べに行くのですが、先月は毎年行っている代々木のフレンチレストランの予約が取れず当初の予定よりひと月遅れで月初に行き、先週は仕事仲間との忘年会が中野のフレンチレストランだったので、なんと今月三度目のフレンチ(笑)。いくらなんでもエンゲル係数高すぎ~と思いますが、9月までほとんど外食をしなかったので、まあいいやと思っています。オミクロン株の足音がヒタヒタと聞こえてきて、また遠からず思うように外食ができない日が来るかもしれませんし。みんなそう思って今のうちに外で食べているのか、週末の店はどこもかしこも混んでいて、恵比寿の店も予約は取れましたが満席で、その日のテーブル席は入れ替え制とのこと。タイムリミットを気にしながらコースを食べるのも落ち着かないので、いつもは客席として使用していないカウンターに席を作ってもらい、そこだけ時間制限なしにしてもらいました。

プティフルールはサンタさんとキノコでした。クリスマスディナーならではです。

 

 ということで、クリスマスイブに気が済むまで豪勢に飲み食いしたので、クリスマス当日はおとなしく終日巣ごもり。「青天を衝け」の再放送を見、午後指定にした配送業者が異なる再配達の荷物を四つ受け取り、3時半からは例年のごとく全日本フィギュアをテレビ観戦しながら年賀状を書き、夜の女子フリー最終グループの滑走前になんとか書き終えました。元旦に届くのは今日までの投函分ですが、平日はまとまった時間が取れないので仕方がありません。

 

 女子シングルの優勝は坂本選手でしたが、今回の全日本は紀平選手が欠場のため、順当な結果。トリプルアクセルはなくても、ジャンプの質が他と違いすぎるので。元々日本人には珍しい高さと幅のあるダイナミックなジャンプを跳ぶスケーターが、自分の長所を自覚して、トリプルアクセルの習得を捨てて、その他の完成度を高めることを選び精度を上げてきたのだから、紀平選手以外は勝てません。紀平選手も坂本選手に勝つためにはトリプルアクセルの成功が絶対条件だったでしょう。つまり、足に不安を抱える今の状態では、強行出場しても五輪切符は決まらなかったので、回避は妥当な判断ということです。

 

 アイスダンスの優勝は小松原組で、大ちゃん(髙橋大輔選手)ペアは去年に続いて2位でしたが、今日のフリーダンスの得点は上だったので、実に惜しかった。リズムダンスの転倒がなければ――と思いはしますが、あんなケアレスミスをしていてはオリンピックではとても通用しない、とも思います。正直なところ、フリーダンスでも大ちゃんは時々ふらついているように見えましたが、曲を表現するのが小松原組より勝っていたと思います。小松原組は日本人スケーターによく見られる几帳面さや真面目さからくる硬さが抜けきれず、SAYURIの世界を表現しきれていないと思いました。かつてSAYURIを演じた宮原選手もそうでした。国民性ゆえにか日本人スケーターにありがちな几帳面さ真面目さからくる硬さは、丁寧さキッチリさといえば聞こえはいいのですが、言い換えれば、型にはまった面白味のなさでもあります。小塚崇彦さんや中野友加里さんのスケートがそんな感じで、それゆえ殻を破れませんでした。SAYURIとか蝶々夫人とかの題材は、スケーティング技術はもちろん重要ですが、それ以上ににじみ出る昏い色気が必須なので、基本的に恵まれた生活を送っている今の日本人に厳しい道を歩んだ彼らを表現するのは難しいというか、無理だと思います。なので、外国人が取り上げるのはいいのですが(完全に別物として見るので)、日本人は下手に手を出さないほうがいいテーマだと思います。それと、小松原組に関しては、男性が人種的にはアメリカ人で、持ち味など欧米選手と同じ土俵で戦っているため、現時点では彼らに勝てないと思うので、世界に出たときには、欧米の選手とは違う魅力で勝負している髙橋・村元組のほうが通用する可能性があるように思えます。とはいえ、全日本の結果を軽視することはできないだろうから、オリンピック代表は小松原組で世界選手権代表は髙橋・村元組、あるいは、可能ならば、オリンピック代表の個人戦は小松原組、団体戦は髙橋・村元組になればいいと思います。

 

 明日の男子フリーは生観戦です。おそらくユヅ(羽生結弦選手)の最後の全日本ですし、世界初のクワドアクセル(四回転半)が実現する世紀の一瞬に立ち会えるかもしれないので。会場はさいたまスーパーアリーナで、日帰りで行けますし。今月行われるはずだったグランプリファイナルは、ネイサン(・チェン選手)とジェイソン(・ブラウン選手)とリーザ(エリザベータ・トゥクタミシェワ選手)が出るので、チケットが当たれば大阪まで見に行くつもりでしたが、オミクロン株のせいで大会自体がなくなってしまいました。そして、渡航直前のインフルエンザ感染でキャンセルする羽目になった平昌オリンピックのリベンジを果たそうと思っていた北京オリンピック現地観戦の望みもコロナウィルスのせいで絶たれました。せめてユヅとショーマ(宇野昌磨選手)の真剣勝負――最後になるかもしれない直接対決の頂上決戦をこの目で見なければ、長年のフィギュアスケートファンとしてはやりきれません。チケットが当たって、観客を入れての大会が実施されて、本当によかったです。

 

※12月27日追記

 なんと、大ちゃんペアが世界選手権の代表に決まりました~\(◎o◎)/!

等々力渓谷→野毛大塚古墳と特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」in江戸東京博物館

 恐れていた新たなコロナウィルスの変異種が確認されてしまいました。ドイツやオーストリアも感染が再拡大し、とんでもないことになっています。日本も第6波の到来は時間の問題かもしれません。

 

 抗生物質を処方してもらって体調も改善したので、当初の予定どおり飛び石連休は奈良と高野山に遠征し、先週末は俳友と等々力渓谷に行ってきました。遠征記は長くなるので後日にまわします。

f:id:hanyu_ya:20211130002645j:plain等々力渓谷の谷沢川に架かる利剣の橋。左奥は稲荷堂で、その隣の龍の口から出ているのが不動の滝。

f:id:hanyu_ya:20211130004802j:plain不動の滝から上に登っていく参道から見る等々力不動尊の舞台

f:id:hanyu_ya:20211130002928j:plain舞台から見える紅葉その1

f:id:hanyu_ya:20211130002959j:plain舞台から見える紅葉その2

f:id:hanyu_ya:20211130003031j:plain本堂と山門の間にあるイチョウ

 

 すぐ近所なので、足を延ばして野毛大塚古墳にも寄ってきました。

f:id:hanyu_ya:20211130003124j:plain野毛大塚古墳の円墳部。陽が差している西のほうに前方部と造出部がある帆立貝式古墳です。

f:id:hanyu_ya:20211130003210j:plain円墳の頂上は舗装されていて、埋葬品についての説明タイルが嵌め込まれていました。

 

 野毛大塚古墳は5世紀初頭に造られたものらしく、古代の遺跡としてはそんなに古いものではありませんが、折りしも3週間ほど前に江戸東京博物館で特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」を見たばかりだったので、古代人の足跡は関西や東北だけでなく東京にもたくさんあるのだと改めて思いました。今は近現代的な建築物が密集する大都会で、江戸時代より前は湿地帯の未開地のような気がしていましたが。

f:id:hanyu_ya:20211130003409j:plain特別展で展示されていた縄文海進時代の奥東京湾の海岸線図

f:id:hanyu_ya:20211130003543j:plain海岸線の変化についての解説

f:id:hanyu_ya:20211130003630j:plain関東の貝塚分布図

f:id:hanyu_ya:20211130003704j:plain東京の貝塚分布図

f:id:hanyu_ya:20211130003730j:plain土偶その1「多摩ニュータウンのヴィーナス」。大英博物館土偶展でも展示されたメジャー土偶みたいです。

f:id:hanyu_ya:20211130003800j:plain土偶その2。この単純な造形で笑顔がきちんと表現できているのがスゴイです。

f:id:hanyu_ya:20211130003953j:plain土偶その3。ものすごく省略しているのに、何故か眉やら鼻の穴やらはちゃんと作られているのが不思議です。

f:id:hanyu_ya:20211130004027j:plain土偶その4。右上の77番を筆頭に、かなり個性的な面々。

f:id:hanyu_ya:20211130004119j:plain土偶その5。両面土偶

f:id:hanyu_ya:20211130004154j:plain「東京の縄文土偶100」についての解説。100体の土偶が展示されていました。

 

 なかなかおもしろい展示でした。縄文海進時代は大宮の氷川神社あたりまで海が迫っていたことが確認できたので、それだけでも収穫でした。

石川遠征~金沢城(付・国立工芸館)

 那谷寺からの続きです。

 

 14時16分に金沢駅に到着すると、まだ体力が残っていて大丈夫そうだったので、那谷寺まで行く気力がなかったら行こうと思っていた金沢城へと向かいました。4月から週末と観光シーズンだけ特別公開されていた重要文化財が11月は28日まで毎日公開されているからです。金沢城は菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓などが一般公開されていて見学できますが、これらは平成時代に復元された建物で、江戸時代に建てられた建造物は特別公開時しか内部を見学することができません。

 

 ――ということで、駅前からバスに乗って兼六園下バス停で降り、紺屋坂、石川橋を通って石川門口から金沢城公園に入り、まずは金沢城の顔である石川門を見学。

f:id:hanyu_ya:20211128134901j:plain石川橋から見る石川門の石川櫓

f:id:hanyu_ya:20211128183007j:plain石川橋から見える石川櫓の反対側から入ります。

f:id:hanyu_ya:20211128183044j:plain石川門についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128183125j:plain石川櫓内から見る櫓門

 

 続いて鶴丸倉庫、三十間長屋へ。

f:id:hanyu_ya:20211128183245j:plain石川門から鶴丸倉庫に向かう途中、城壁越しに兼六園の方向を見たら山がきれいに見えたので、金沢城から見える山とは何山かと気になりました。

f:id:hanyu_ya:20211128184343j:plain鶴丸倉庫

f:id:hanyu_ya:20211128183459j:plain鶴丸倉庫についての説明板その1

f:id:hanyu_ya:20211128183543j:plain鶴丸倉庫についての説明板その2

f:id:hanyu_ya:20211128183627j:plain鶴丸倉庫から三十間長屋に向かう途中にある戌亥櫓跡の石垣と橋爪門続櫓(向かって右)

f:id:hanyu_ya:20211128183721j:plain石垣のアップ。同じ石垣でも角は石の積み方を変えていることが判ります。

f:id:hanyu_ya:20211128184417j:plain三十間長屋

f:id:hanyu_ya:20211128184457j:plain三十間長屋についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128184621j:plain三十間長屋の内部。長いです。当然のことながら、梁の数が尋常じゃありません。

f:id:hanyu_ya:20211128184722j:plain梁の上。何本もの梁を渡すためには、普通の工法ではダメなのだろうと思いました。

f:id:hanyu_ya:20211128185309j:plain複雑すぎて、もう何が何だか……梁なのか桁なのかわかりません(笑)。

 

 特別公開は3時半までなので、駆け込み見学者を避けて、5分前には三十間長屋を出て、来た道を引き返し、鶴の丸休憩館へと向かいました。休憩館は石川門から鶴丸倉庫に向かう途中にあるので、行きに寄ったのですが、その時にどういう順番で見学するかリーフレットを見て検討したら、特別公開が3時半までであることを知り、休憩館内にある「豆皿茶屋」は4時までだったので、まずは見学を優先し、閉店15分前のオーダーストップまでに戻ってくることにしました。3時35分に入店し、本日のお寿司をメインとした食事メニューがあったので、まだ食事もできるのかとダメ元で訊いたら、できると言うので、お寿司とお菓子の6品にコーヒーが付いた「姫皿御膳」を注文。

f:id:hanyu_ya:20211128185717j:plain鶴の丸休憩館内にある御休み処「豆皿茶屋」から見える橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓

f:id:hanyu_ya:20211128185830j:plain目にも楽しい豆皿を並べた脚付膳で出された「媛皿御膳」。元々このメニューに付いているコーヒーは普通の金沢珈琲でしたが、単品メニューに金箔入りコーヒーがあったので、差額を追加して、そちらに変更してもらいました。

 

 閉店間際なので先に会計を済ませ、帰りの新幹線は金沢発17時56分のかがやきの切符を取っていて、まだ1時間ほど余裕があったため、食べながらこの後どうするか検討。目の前に見える復元建造物の最終入館受付は4時終了で、もはや間に合わなかったので、改めて公園周辺マップを見ていたら、県立美術館の近くに「国立工芸館」という文字を発見。――と同時に、竹橋から移転することになっていたのを思い出し、移転がいつなのかおぼえていなかったのでスマホで確認したら、昨年秋に移転済みで、ちょうど開館1周年記念展を開催していることがわかったので、行ってみることに。レトロな赤レンガ倉庫が残る緑豊かな本多の森に、東京のド真ん中で見ていた明治期の洋館によく似た洋館が建っているのを見て、本当に移転したんだ――と、感慨深く思いました。防災面からも東京一極集中はいかがなものかという考えなので、今後も首都機能の地方移転が少しでも進むとよいと思っています。

f:id:hanyu_ya:20211129004252j:plainオーダーストップの直前だったからか、他に客はなく貸切状態だったので、静かな環境で加賀百万石の城を正面に眺めながら金沢の味で腹を満たす極上の時間を過ごせました。

f:id:hanyu_ya:20211128225958j:plain2020年10月に東京から金沢に移転した国立工芸館。建物は旧陸軍第九師団司令部庁舎と旧陸軍金沢偕行社を使用。

f:id:hanyu_ya:20211128230603j:plainこちらは2019年11月に撮影した旧東京国立近代美術館工芸館。建物は旧近衛師団司令部庁舎を使用。現在の名称は東京国立近代美術館分室だそうです。

 

 入館は事前予約制を取っていましたが、整理券を配っていて、予約がなくてもこの券で4時半から入れるというので、10分ほど待って入館。しかも文化の日だからか、入館料は無料でした。記念展は「《十二の鷹》と明治の工芸―万博出品時代と今日まで 変わりゆく姿」という名称で、明治26年(1893)のシカゴ万博に出品され、現在は重要文化財に指定されている鈴木長吉作の「十二の鷹」が展示の目玉でした。

 

 国立工芸館を出ると、県立美術館裏手の美術の小径を下って本多公園を経由して金沢21世紀美術館へ行き、ミュージアムショップを物色。いくつか気になる物を購入し、美術館を出たときにはけっこうギリギリな時間だったので、金沢駅行きの本数が多い香林坊バス停まで行ってバスに乗車。駅に戻り、ホテルに寄って預けた荷物を引き取ると、タカラ缶チューハイを求めていくつかの売店に寄ったのですが、残念ながら見あたらなかったので、アルコールを調達するのはあきらめて新幹線に乗車。これにて遠征終了です。

f:id:hanyu_ya:20211128225222j:plain金沢21世紀美術館ミュージアムショップで買ったパスポートカバー。PVCに葛飾北斎の「凱風快晴」がプリントされていて、富士山の部分は透明で、パスポートを入れると赤富士の絵が完成するようになっています。現在発行されている日本のパスポートはビザページに「凱風快晴」をはじめとする北斎の「富嶽三十六景」の絵があしらわれているので、なかなか洒落がきいている――とおもしろく思い、つい衝動買いしてしまいました。

石川寺院遠征~那谷寺

 11月最初の週は、火曜に仕事で金沢に行き、業者さんと夕飯を食べたので金沢に泊り、翌水曜に帰ってきました――文化の日で仕事も休みだったので。まん延防止等重点措置に続く緊急事態宣言で9月末まで県境をまたぐ移動が制限され、不特定多数に開かれている場所に一人で行くという行動は適当に判断して個人的にやっていましたが、仕事がらみで相手先を訪問するのは、その所在地の自治体の推奨状況や先方の都合もあり控えていたので、解除された10月以降は遠征続きで、とんでもなく忙しい日々を過ごしています。

 

 再びコロナウィルスが活性化すれば行きたくても行けなくなるので、今のうちに――と思い、体に鞭打って動いていますが、忙しい上に、多忙なせいで疲労が溜まり、記事を書いたり神社研究、明智研究を進めたりといったライフワーク的活動が思うようにできず、好きなことを好きなようにやるために働いて社会生活を維持している身としては、やりたいことに時間や労力が割けずイライラするため、努めてストレス解消に励んでいるのですが、ストレス解消のために何かをするにしても時間と体力が要り……ということで、結局体力がついていかず、免疫力低下で体調を崩し、半月ほど医者通いをする羽目と相成りました。

 

 そんな状態ですが、文化の日はまだ比較的元気で、朝も普通に起きられ、天気もよかったので、那谷寺に行ってきました。当初は、一度那谷寺には行ったことがあるため、まだ訪れたことのないところに行きたく、今年開創700年の總持寺祖院や越前二宮の剣神社行きを検討していたのですが、調べてみると双方ともアクセスが悪く、今の体力を考えると帰ってからの祝日明けにちゃんと仕事ができる自信がなかったので、特急停車駅で金沢からの本数も多い小松駅から40分ほど路線バスに乗れば門前近くまで行ける那谷寺を選びました。業者さんには紅葉を見るにはまだ早いと言われましたが、盛りには遠くても色づきはじめてはいるだろうと思ったので。それに、那谷寺の魅力は紅葉だけではありません。以前訪れたのは20年以上前で、今は新幹線を使えば東京から日帰りも可能になりましたが、北陸新幹線開通前の当時は、首都圏から見れば陸の孤島みたいな場所。けれども、どうしても仙人が遊ぶという遊仙境を見たくて訪れました。現在は拝観料に200円をプラスすると特別拝観エリアを見学できるのですが、前回はそのエリアを見たおぼえがなかったので、紅葉がまだまだであっても特別拝観をすれば満足はできるだろうと思い、足を運ぶことにしました。

 

 ホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらうと、金沢発8時55分の北陸本線普通列車に乗車。9時31分に小松駅に着き、30分ほど待って、10時発の那谷寺行きバスに乗ると、40分で那谷寺バス停に着き、そこから徒歩5分ぐらいで那谷寺に到着。山門前の拝観受付で特別拝観付きの拝観料を払うと、まずは特別拝観エリアから見たほうがいいと案内されたので、山門をくぐって左手にある金堂へと向かいました。

f:id:hanyu_ya:20211128015939j:plain那谷寺山門

f:id:hanyu_ya:20211128125952j:plain金堂前の参道入口にある石碑。後ろの建物は普門閣という建物で、休憩所や宝物館があるのですが、コロナ感染対策で閉まっていました。以前来たときに見ているので、それほどショックではありませんでしたが……残念です。

 

 那谷寺は養老元年(717)に泰澄が開いた高野山真言宗の別格本山で、御本尊は千手観音菩薩越前国出身で「越の大徳」と呼ばれた泰澄は白山信仰の開祖として知られ、明智光秀ゆかりの寺で新田義貞墓所がある称念寺の開山でもあります。初めは岩屋寺という名称でしたが、平安時代になって西国三十三所巡礼の始祖である65代花山天皇が参詣したときに、「自分が求めた観音霊場はすべてこの山に凝縮される」との思いを込めて、西国三十三所観音の1番札所である“那”智山(青岸渡寺)と33番札所である“谷”汲山(華厳寺)から一字を取って「那谷寺」と改名したとのこと。南北朝時代に戦禍で荒廃しましたが、江戸時代になると加賀藩前田利家の子で、異母兄利長の跡を継いだ前田家三代当主――二代加賀藩主前田利常が復興し、本堂、書院、三重塔、護摩堂、鐘楼を建立。それらは現在重要文化財に指定され、書院と、国の名勝に指定されている庫裏庭園、復元造園された新庭園「琉美園」が特別拝観エリアとなっています。

 

 ということで、泰澄が開山、花山法皇が中興、前田利常が復興した1300年の歴史がある古刹ですが、一番の見所は数ある文化財ではなく、「遊仙境」と呼ばれる奇岩群だと思っています。海底噴火の跡らしいですが、岩上に稲荷社が祀られていて、石の階段があったり洞穴に石仏があったりで、単なる奇岩群ではなく、まさに仙人が遊ぶ幽境といった趣。もちろん俳聖芭蕉翁も訪れていて句碑があり、庫裏庭園とは別に、こちらも「おくのほそ道の風景地」として国の名勝に指定されています。私は若い頃は仏像を見に寺へ行くような趣味はなかったので、好きな歴史人物のゆかりだとか、歌枕をはじめとする文学や能楽の舞台だとか、景勝地の寺を選んで赴いていたのですが、中でも『奥の細道』に導かれて訪れた那谷寺、山寺、毛越寺は仙境、幽境、浄土の世界を現世に見せてくれる素晴らしい寺だと思っています。

f:id:hanyu_ya:20211128130632j:plain書院から見る庫裏庭園の紅葉

f:id:hanyu_ya:20211128130759j:plain書院内に吊るされていた駕籠。今まで数多くの駕籠を見てきましたが、下から見たおぼえはなかったので、貴重な経験でした。梅鉢紋が付いているので、前田家の遺物だと思います。

f:id:hanyu_ya:20211128131838j:plain開山堂裏の庭園は寛永年間に作庭されましたが、荒廃していたため、昭和55年(1980)に復元造園され、「琉美園」と名付けられています。

f:id:hanyu_ya:20211128131926j:plain琉美園で見られる三尊石

f:id:hanyu_ya:20211128132001j:plain三尊石についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128132049j:plain三尊石遠景

 

 琉美園から普門閣隧道を経由して特別拝観エリアを出ると金堂に至り、おみくじが目に留まったので引いてみたら大吉でした。そして特別拝観エリア入口の脇にある御朱印授与所に寄って御朱印をいただくと、いよいよ遊仙境へ。琉美園の紅葉も適度に色づいていたので、期待大でした。

f:id:hanyu_ya:20211128131509j:plain三尊石と同じ岩山にある普門閣隧道

f:id:hanyu_ya:20211128131427j:plain普門閣隧道内

f:id:hanyu_ya:20211128131350j:plain今回のおみくじ。大吉ですが、内容は必ずしもいいとは言えず、悪くはないという程度。最近大吉とはそういうものだと思っています。

f:id:hanyu_ya:20211128152041j:plain今回いただいた御朱印。感染対策で書き置きのみだったので、いろいろな種類がある中で一番華やかなものをいただいてきました。当寺の管主が遊仙境を描いた絵のようです。日付が読みにくいからと気を遣ってくれ、裏面にも参拝日を書き入れてくれました。

f:id:hanyu_ya:20211128133212j:plain実際の遊仙境。期待どおりの景観でした。

f:id:hanyu_ya:20211128133103j:plain遊仙境遠景

f:id:hanyu_ya:20211128133322j:plain遊仙境についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128133833j:plain稲荷社の鳥居と大悲閣(中央)

f:id:hanyu_ya:20211128133440j:plain稲荷社の入口。上れないようになっていました。

f:id:hanyu_ya:20211128134041j:plain大悲閣と紅葉

f:id:hanyu_ya:20211128133950j:plain前田利常によって寛永19年(1642)に再建された大悲閣はいわば拝殿で、御本尊の観音菩薩が安置された本殿にあたる岩窟がある岩に沿って岩窟の高さに合わせて作られているため、舞台造りになっています。御本尊は三十三年に一度しか御開帳されない秘仏ですが、本殿の岩窟は胎内くぐりができるので、厨子の前まで行って拝むことはできます。同じ岩窟内に中興の祖である花山法皇像も安置されていました

f:id:hanyu_ya:20211128141809j:plain大悲閣の舞台から見た遊仙境の奇岩

 

 大悲閣を出ると、大池の前を通って三重塔、楓月橋を経由して展望台、鎮守堂、芭蕉句碑、庚申塚、白山神社護摩堂、鐘楼と巡り、山門前の参道に戻ってきて参拝終了。時刻は12時過ぎで、次の小松駅行きのバスが12時58分発で1時間弱余裕があったため、昼食を摂ることにしました。しかし山門の隣にある駐車場の前にある土産物屋兼食堂は混んでいて、待っているとバスの時間に間に合いそうになかったので、近くにあるもう一軒の店に入ったのですが、私のような客が次から次へとやってきて、これなら時間もかからないだろうと思って頼んだ山かけ山菜そばが出てくるのに15分ぐらいかかりました。おろした山芋をかけてウズラの卵を落とし水煮の山菜と葱が散らしてあるだけの普通の蕎麦でしたが……。なので、10分もかけずに食べてさっさと店を出ましたが、かなり物足りなかったので、駐車場に出ていた屋台でたこ焼1パックを買い、その場で全部を平らげてからバス停へと向かいました

f:id:hanyu_ya:20211128151535j:plain寛永19年(1642)に前田利常が建立した三重塔。重要文化財です。

f:id:hanyu_ya:20211128141445j:plain展望台から見た遊仙境

f:id:hanyu_ya:20211128141607j:plain松尾芭蕉の句碑。句は「石山の 石より白し 秋の風」。御朱印にも書かれていました。

f:id:hanyu_ya:20211128154831j:plain句碑についての説明板

f:id:hanyu_ya:20211128141357j:plain護摩堂付近から見る大悲閣

 

 那谷寺バス停から乗ったバスの小松駅到着予定は1時40分で、金沢行きの普通電車は小松駅発13時43分発。乗れるか微妙でしたが、バスが時間どおりに運行してくれたので、なんとかギリギリ間に合って、乗車。これを逃すと24分後の特急に乗るか、普通電車なら30分ほど待たなければなりません。切符を買っていたら確実に間に合わなかったので、自動改札になっていて助かりました。確か小松駅は5年ぐらい前はまだ有人改札だったので。金沢駅も導入が遅く、北陸新幹線が開通してもしばらくは有人改札で、何故新幹線の改札口を作るタイミングで自動改札にしなかったのか不思議に思ったものでした。(続きます)

京都寺院遠征~智積院

 10月最終週の金曜は三重と京都で仕事があり、津駅に午前10時半に行かなければならなかったのですが、早起きする自信がなかったので、大事を取って前泊することにしました。津にはあまりホテルがないので名古屋に泊ろうと思っていたのですが、金曜の夜は京都の業者と食事をする予定だったので、京都駅の近くにホテルを取っていて、違うホテルに一泊ずつして朝荷造りをするのも億劫だったので、京都に二泊することにしました。のぞみを使えば京都から名古屋までは30分なので。

 

 で、仕事とはいえ、関西往復にかかる時間と相応の労力を費やす以上、個人として得るものがないというのは空しくてストレスになるので、いつものように土曜はどこかに寄ってから帰ろうと思い、ネットで調べていたら、10月23日から31日まで智積院で夜間特別拝観が開催されているという情報をキャッチ。なので、木曜は2時半で仕事を切り上げて、品川発15時37分ののぞみに乗ると、17時44分に京都駅に着いたので、6時にはホテルにチェックインして荷物を置き、智積院へと向かいました。市バスで東山七条バス停まで行って、そこから3~4分歩き、6時半過ぎに到着。受付で拝観料を払い、夜間拝観期間中に一日限定50枚頒布という特別御朱印が書き置きで用意されていたので、そちらをいただきました。

f:id:hanyu_ya:20211111003926j:plain智積院冠木門

f:id:hanyu_ya:20211111004025j:plain特別御朱印。隣は夜間拝観参拝者にもれなく授与される疫病退散御守。

f:id:hanyu_ya:20211111004146j:plain疫病退散御守についての説明文

 

 智積院真言宗智山派の総本山で、御本尊は大日如来。元々は紀州根来寺の学問所で、根来寺豊臣秀吉によって焼き払われると、智積院の学頭は高野山、さらには京都に逃れていましたが、元和元年(1615)に徳川家康から祥雲禅寺を寄進され、五百仏山根来寺智積院として再興し、現在に至っているとのこと。ちなみに、祥雲禅寺は秀吉が夭折した愛児鶴松の菩提を弔うために建立した禅寺だそうです。よって、今回の夜間拝観では国の名勝に指定されている庭園の他、国宝や重要文化財に指定されている寺宝を見ることができたのですが、これらは祥雲禅寺から受け継いだもののようです。

 

 案内に従って、まずは拝観受付所の隣にある収蔵庫へ。智積院文化財についても詳しく把握していなかったので何があるのだろうと思って入ったら、等伯率いる長谷川一派が手がけた障壁画がありました。国宝です。祥雲禅寺の客殿を飾っていたものとのこと。金地院で猿を見るまでは、等伯の絵は北野天満宮にある弁慶ぐらいしか記憶になかったので、「最近やたらと縁があるなぁ」と思いました。長谷川等伯の絵というと思い出すのは、猿や東博にある国宝「松林図」なので、金をふんだんに使った、いかにも桃山文化的な、御用絵師っぽい絵まで描いていたとは知らず、意外でした。

 

 続いて講堂の前を通って大書院へ行き、建物の中からライトアップされた名勝庭園を鑑賞。こちらも祥雲禅寺時代に作られたもので、中国の廬山を模しているとのこと。「利休好みの庭」と呼ばれ、元々は秀吉が創建した寺院の庭なので、秀吉の茶頭だった千利休が関係しているのかもしれません。

f:id:hanyu_ya:20211111004553j:plain大書院に向かう途中の講堂(左)と庭園

f:id:hanyu_ya:20211111004653j:plain大書院の縁側から見る名勝庭園「利休好みの庭」(正面から)

f:id:hanyu_ya:20211111004753j:plain大書院の縁側から見る名勝庭園「利休好みの庭」(斜めから)

f:id:hanyu_ya:20211111004910j:plain縁側前にある手水鉢には花がきれいに生けられていました。

f:id:hanyu_ya:20211111005037j:plain庭の反対側、大書院内部にある、長谷川派の国宝襖絵を模写したレプリカ

f:id:hanyu_ya:20211111005134j:plain大書院の上座。御簾にある桔梗紋は智積院の寺紋ですが、前身である祥雲禅寺の造営奉行だった加藤清正の家紋に由来するそうです。清正の家紋といえば蛇の目紋が有名ですが、桔梗紋も使用したとのこと。まあ、清正の先祖は明智家からの養子で、つまり清正の加藤家は土岐氏に連なる血筋ですから。

f:id:hanyu_ya:20211111005323j:plain大書院の西側にある枯山水庭園

 

 大書院から渡り廊下で繋がる宸殿に渡り、今回の特別公開で一番気になっていた重要文化財――王維筆の「瀑布図」を鑑賞。この絵が公開されていると知ったときには、王維が絵を描いていて、その絵が日本に残ってるなんて思いもしなかったので、「王維って、あの王維?」と驚き、これは見てみたいと思いました。なにしろ王維といえば李白杜甫らと同じ唐代を代表する詩人で、すなわち彼が残した絵ということは、美術的にはもちろん、歴史的にも貴重な文化財ですから。

 

 ……のはずなのですが、展示物というより床の間を飾る普通の掛軸として飾られていたので、まずはその事実にビックリ。そして画風だけでなく、絵が描かれている紙も軸装もとてもそんな長い年月が経っているとは思えない保存状態で(修復されているのかもしれませんが)、実に洗練された趣の画軸でした。加えて、その部屋がなんともシュールな空間だったので、今までに味わったことのない奇妙な感覚をおぼえました。というのも、宸殿は客殿として昭和33年(1958)に造営された建物だそうで、襖絵は当時画壇の重鎮だった京都出身の堂本印象が手がけた「婦女喫茶図」――画題のとおり洋装と和装の女性がお茶をしている絵です。カラフルな人物画という近代の作らしいモダンな襖絵で彩られた部屋の床の間の掛物として、中国唐王朝時代の漢詩人で「詩仏」とも称された王維が描いた水墨画を見るのは、そのアンバラスさゆえに新鮮でもあり、たいそう摩訶不思議な気分でした。

 

 智積院宸殿の堂本印象作の襖絵というとこの「婦人喫茶図」が有名みたいですが、私は別の部屋にあった襖絵のほうが気に入りました。「婦人喫茶図」がある隣の部屋には「朝顔に鶏の図」「茄子に鶏の図」「流水に鶯の図」があり、正面の朝顔だけに色が使われていて他は墨絵なのですが、その隣の部屋の襖絵はまた金地に極彩色で描かれた「松桜柳の図」で、部屋ごとに雰囲気ががらりと変わって意外性があり、とてもおもしろかったです。特に、これぞ日本画におけるモダニズムというような極端にデフォルメされた木々が描かれた「松桜柳の図」はインパクトがある作品でしたが、それでいて寺院の客殿という典型的和室空間にそぐわないということはなく、見事に馴染んでいて、訪れた人の目を楽しませる役目を果たしていたので、堂本印象という画家に対する自分の認識が一変しました。今までは世間的な評価を素直に受け入れて近代画壇の大家の一人と思っていましたが、間違いなく優れた絵描きであると再認識しました。

 

 「松桜柳の図」の隣の部屋は「三山の間」という部屋で、国宝の等伯筆「松に黄蜀葵及菊図」の一部があるのですが、違い棚の奥に貼り付けられていたので、「なんて贅沢な使い方なのか」と内心唸ってしまいました。金地院でも等伯の絵が現役の襖として使用されているのに驚きましたが、「三山の間」の国宝はその絵の前に違い棚がある――つまり違い棚そのものや、棚の上に香炉などを置けば置いた物で絵が部分的に隠れてしまうような使い方をしているのです。これこそが障壁画の本来の在り方かもしれませんが。

 

 さらに驚いたのが、この部屋の利用者。智山派の三つの大本山貫主が来山したときに滞在する部屋なので「三山の間」という名称のようですが、“三つの大本山”とは新勝寺平間寺薬王院……。いずれも関東の人間にはお馴染みの、お寺に興味がなくても知っている名刹――毎年初詣参拝客数トップ3にランクインする成田山と川崎大師、そしてミシュランガイド掲載の高尾山です。「えー、この有名どころが全部智山派!?」という感じでした。真言宗天台宗以上に宗派が細かく分かれていて、宗祖空海が開いた東寺と高野山を筆頭に、醍醐寺仁和寺大覚寺泉涌寺、勧修寺、随心院信貴山長谷寺などが各派の本山として名を連ねています。どの寺も好きなので二度三度、所によってはそれ以上訪れているのですが、その本山の中に智積院が入っているとはつゆ知らず、京博の斜向かいという、他の本山に抜きん出てアクセスの良い場所にありながら、今回が初訪問。まだまだ知らないこと、驚かされることがたくさんあります。

 

 王維の掛軸もこのたび16年ぶりの公開で、次はいつ見られるかわからなかったので、宸殿を二巡すると、本坊、講堂をまわって大書院玄関に戻り、靴を履いて屋外に出て拝観終了。時刻は8時になろうかというところで、宿坊の智積院会館は食事だけの利用も可能なのですが、オーダーストップが8時で微妙に間に合わなかったので、そちらで精進料理を食べるのはあきらめて、智積院を後にしました。

f:id:hanyu_ya:20211111010722j:plain大書院から講堂に向かう回廊にあった釣鐘

f:id:hanyu_ya:20211111010826j:plain講堂から見る唐門近くの紅葉。隣に高浜虚子の句碑があります。

 

 いつもは新幹線改札口に近い八条口のほうにホテルを取るのですが、今回はたまたま京都タワーの近くにしていたので、途中で夕飯を食べようと思い、七条通を歩いて戻ることにしました。京博沿いにメニューが鰻雑炊のみの「わらじや」という創業400年になろうかという老舗があり、雰囲気も古色を帯びていて、お気に入りの店なのですが、残念ながら閉まっていたので、ホテルに向かってあてもなく歩いていたら、「鴨川製麺所」という店を発見。このところ疲労が溜まっているせいか胃腸の調子が良くなく、食欲はあっても消化不良気味で、その日も精進料理か雑炊ぐらいしか食べる気がしなかったので、蕎麦うどんでもいいかと思いつつ近づいていったら、「京都自家製抹茶うどん」という看板の文言が目に入り、俄然食べてみたくなって入店。気になるメニューがいろいろありましたが、量は食べられず、かつ湯葉好きなので、生湯葉うどんを注文しました。

f:id:hanyu_ya:20211111011233j:plain「鴨川製麺所」の生湯葉うどん。いかにも抹茶が練り込まれていそうな緑色を帯びた麺でした。七味を入れ過ぎたせいか、抹茶の味はわかりませんでしたが。

 

 店を出ると、忙しい朝に窓口や券売機に並ぶため早めにチェックアウトをするのは嫌だったので、駅に寄って翌日の切符を買ってからホテルに戻り、翌金曜は三重と京都で仕事をし、土曜は静岡の親元に寄ってから夕方家に帰り、遠征終了です。

f:id:hanyu_ya:20211112000835j:plain静岡駅構内のキオスクで見つけた「はにわぷりん」。一瞬登呂遺跡関連のお土産かと思いましたが、堺名物だそうで、スポット的に期間限定で販売されていたようです。埴輪スキーにとっては埴輪っぽい焼物の容器に入っていることが重要で、静岡土産とか大阪土産とかはどうでもいいことなので、迷わず購入

 

※11月13日追記

 王維は盛唐時代の詩人ですが、智積院リーフレットを読み直したら「『瀑布図』は13世紀宋時代に描かれ」と書かれていました。唐の時代は618~907年、宋の時代は960~1279年。王維は出典によって生没年は異なりますが、李白杜甫と同時代に活躍しているので8世紀の人間です。したがって13世紀に絵を描くことはできません。……どういうことなのかわからず、少々混乱しています。

京都・滋賀寺院遠征&明智光秀探訪15~延暦寺、金地院

 今年もあと2か月を切りました。コロナ禍で人間が停滞を余儀なくされていても、月日は否応なしに矢のように疾く過ぎていきます。そのスピードにはとてもついていけませんが、時が流れているのに何の変化もなく流れる前と変わらない――いい悪いはともかく、何の経験値も積まれていないというのは精神的にすわりが悪くイライラする人間なので、2回目のワクチン接種が終わって2週間以上経過したシルバーウィーク後半から遠征を再開し、10月に入るとさらに移動&活動を本格化。その他、年に3回ぐらいは顔を出していたフレンチレストランに10か月ぶりに行ってボランジェのボトルを空けたり、7月以来の宝塚観劇をしたりと、以前と同じように忙しく過ごしています。

 

 で、はや半月前のことになりますが、先月の16日はラルク・アン・シエルの30周年記念ライブが常滑であったので、その日は京都に泊まり、翌日曜は比叡山に行ってきました。今年は開山である伝教大師最澄の1200年遠忌にあたる年ということで、9月12日から戒壇院と東堂が特別公開され、10月1日からは国宝館で「戦国と比叡~信長の焼き討ちから比叡復興へ~」という特別展が開催されているからです。毎月23日が明智光秀ゆかりの愛宕神社の縁日なので、念願の愛宕詣でをするつもりで当初は22~24日に京都遠征を考えていましたが、22日はまたラルクの幕張公演に行くことになったので、遠征を前倒しにしました。縁日は今後も毎月あるので愛宕詣では延期できますが、特別公開&特別展は期間が限られているため、行けるときに行っておいたほうがいいと思ったので。この御時世、何があるかわかりませんから……(第6波到来とか)。

 

 ライブの開演時刻は17時だったので、その前にもどこか神社に寄れたらと思っていましたが、10月以降は仕事も忙しく、木曜の時点でそんな気力も体力もすっかりなくなっていたので、金曜の夜に名古屋入りする予定を土曜出発に変更。当日は朝早く起きることもできず、結局家を出たのは10時半過ぎでした。品川発12時7分ののぞみに乗り、1時半過ぎに名古屋駅に到着。名鉄線に乗る前に大きな荷物を手放したかったので空きロッカーを探しましたが、見あたらず。京都や大阪で昼過ぎに空きロッカーを見つけるのが難しいことはわかっていましたが、名古屋では記憶になく、しかもコロナ禍で最近は旅行者が少なかったので預けられないことはなかったのですが、やはり人出が増えたということなのでしょう。

 

 仕方がないので、荷物を持ったまま14時過ぎの中部国際空港行き特急電車に乗り、14時40分に終点に到着。ライブ会場の愛知スカイエキスポ(愛知県国際展示場)は駅から徒歩5分ほどの所でしたが、家を出る前に食事をしたきりだったので、まずは遅い昼食兼早い夕食を摂るため、セントレアへ寄ることに。4階のレストラン街に宮きしめんの店が入っていたので、そこを目指したのですが、行ってみると満席で待機組もいたので、あきらめて、すぐに入れる店を探し、「牛まぶしや」という店に入店。名古屋めしの好物を食べるつもりで新幹線ではスタバのコーヒーを飲んだだけだったので、ハイボールを飲みつつ「知多牛まぶし御膳」というメニューを食べました。私の名古屋めしの好物は、きしめんとひつまぶし(ウナギ)なので、今回もそのどちらかを食べるつもりでいたのですが、知多牛というのは今まで聞いたことがなく知らなかったので、知多半島でないと食べる機会がない稀少食材なのではないかと思い、予定を変更してこちらを注文。ブランド和牛は今までに出合った近江牛鳥取和牛オレイン55、前沢牛などが忘れられないぐらい素晴らしく美味だったので、地元で食べる機会があれば極力食べるようにしています。……なのですが、はっきり言って、知多牛は普通に美味しい牛肉で、あまり印象には残りませんでした。

「牛まぶしや」の知多牛まぶし御膳

 

 食事後、まだ時間があったので空きロッカーを探してターミナル内をうろつき、出発ロビー階で見つけて重い荷物から解放されると、4時過ぎにセントレアを出て、愛知スカイエキスポへと向かいました。ライブはほぼ時間どおりに始まり、終演後は席ごとに時間差で退場させる規制退場なので、ラストの曲の前の曲の演奏中に席を立ち、会場を後にしました。規制退場でもそれなりに密にはなるし、帰りの電車は混むし、ラストナンバーは想像がついていて、それほど聴きたい曲でもなかったので。

 

 セントレアに行ってロッカーから荷物を引き上げると、19時22分発の新可児行き準急電車に乗れたので、乗車中にエクスプレス予約で名古屋発20時33分ののぞみを予約。定刻どおり20時10分に名古屋駅に到着し、20分ほど余裕があったのでタカラ缶チューハイを調達するため売店に寄ったら、昨年恵那で買った中津川の和菓子屋――松月堂の栗きんとんを見つけたので購入。新幹線に乗車後、京都まで30分ほどの時間でしたが、栗きんとんをつまみにひと缶を空けました。21時6分に京都駅に着くと、八条口近くのホテルにチェックインして、この日は終了です。

 

 明けて翌朝は9時過ぎにチェックアウトをして、荷物をホテルのロッカーに入れたあと、駅の反対側のバス乗り場へ。9時30分発の比叡山ドライブバスに乗り、10時45分に比叡山バスセンターに到着。前回は釈迦堂の特別公開の時に訪れたのですが、その時も秋で、麓より4度ほど低い気温にブルブル震えていた記憶があったので、家を出るときは25度ぐらいでしたが、折りたたみできる薄いコットンコートを羽織って出ました。愛知の気温も26度ぐらいだったので、土曜は終日手荷物でしたが、時折雨がぱらつく日曜の比叡山では必須でした。それでもバスを降りたときはやや寒いくらいでしたが、境内は広大な上に山地なので坂や階段が多く、必然的にたくさん歩くので、歩いていたらちょうどよい加減になりました。

 

 バス停の前にある売店の隣にあるチケット売り場で巡拝セット券を購入すると、まずは最寄りの国宝殿へ。ここで開催されている特別展では、元亀2年(1571)9月12日に行われた比叡山焼き討ちの十日前に書かれた明智光秀の書状や、坂本の滋賀院で見た物とはまた別の、慈眼大師天海所用と伝わる具足など、たいへん興味深い資料を見ることができました。明智光秀関連の展示は昨年見まくりましたが、まだ初めて見る物があって、嬉しくてたまりませんでした。撮影は禁止でしたが、図録が販売されていて、400部限定と書かれていたので即購入。正直なところ、にわか雨の天気で、かさばるサイズの本を持って境内を歩きまわるのは気が進まなかったのですが、帰りに寄ることにして万が一売り切れていたら超ショックですから。図録には光秀書状の釈文も載っていたので、買いそびれたらダメージ大です。何故なら、この書状は個人蔵のため、おそらくネットで調べても出てこず、今度はいつ見られるかわからなかったので。今年は比叡山焼き討ちから450年という特別な年だから所蔵者も出展してくれたのだと思います。焼き討ちと同じ9月12日には『比叡山仏教文化シンポジウム「比叡山焼き討ちから450年の時を経て···」~織田信長公・明智光秀公の末裔をお迎えしての特別対談~』というイベントが開催され、織田信長明智光秀両者の末裔と延暦寺の僧侶による対談も実現していましたし。こういう機会は逃すべからず、です。

特別拝観の看板

特別展の看板

特別展の図録

 

 国宝殿を出ると、次は特別公開をしている法華総持院東塔へ。まだ新しい建物だったので、チケット売り場でもらったパンフレットを読むと、最澄が国を護り人々の安寧を祈るために全国6か所に計画した宝塔――「六所宝塔」の一つであり要となる総塔だが、長らく途絶えていて、昭和55年(1980)に約400年ぶりに再建されたとのこと。帰ってさらに調べてみたら、東塔が失われたのは元亀の法難が原因であることがわかりました。つまり織田軍による焼き討ちによって焼失し再建された塔を焼き討ちから450年という節目の年である今年公開しているわけで……延暦寺もなかなか皮肉のきいたシャレたことをする、と思いました。

 

 東塔近くの御朱印授与所で特別御朱印をいただいて、東塔の隣にある阿弥陀堂にお参りすると、続いて阿弥陀堂の坂下に位置する戒壇院へ。こちらも元亀の法難で焼失しましたが、僧侶に戒を授ける「授戒」の場で、すなわち最澄の教えの担い手を世に送り出すという重要な役割のある堂だからか、延宝6年(1678)には再建されました。ということで、300年以上前の江戸時代前期の建物なので、重要文化財に指定されています。ただし堂内の釈迦牟尼仏は昭和62年(1987)に新調された像で、西村公朝仏師の作とのこと。公朝師は絵が巧みで、昔仕事で師の直筆仏画とかを扱っていたので、仏画師ではなく仏師だったのだと改めて思いました。ちなみに、戒壇院は天長4年(827)の創建以来一般に公開されることはなく、今回が初めてだそうです。パンフレットによると、授戒は燈明と蝋燭の灯りだけに照らされた堂内で行われるそうなので、おそらくその状態を再現したのであろう、暗くて神秘的な空間を体験することができました。

東塔

戒壇

東塔と戒壇院の特別御朱印。特別拝観期間中のみ授与されます。

 

 戒壇院を出ると、今回の比叡山詣での目的はすべて果たし、時刻も11時半を過ぎていたので、昼食を摂ることにしました。ケーブルで坂本へ下りて芙蓉園本館にでも行こうかと思いましたが、前に来たときには混んでいて入店を断念した延暦寺会館へ行ってみることにしました。宿坊ですが、宿泊客ではなくても利用できる食事処があり、以前と違って時間も早く参拝客も少ないため、入れるのではないかと思ったので。思ったとおり、少ないというか、ガラガラでした。ひと組の客しかいなかったので、琵琶湖がよく見える窓際の席に案内してもらえ、数量限定の精進料理「比叡御膳」も問題なく注文できました。

窓から見えた琵琶湖。真ん中の木の先にある山は三上山。近江富士と呼ばれるだけあり、すぐにわかります。

比叡御膳。精進料理です。

 

 食事をしているあいだに、この後どうするか検討したのですが決まらなかったので、とりあえず食後のコーヒーでも飲みながら考えようと思い、1階のカフェ「れいほう」に寄ったら「梵字ラテ」というメニューがあって、自分の守り本尊の梵字を選べたので、そちらを頼んでみました。

キリークの「梵字ラテ」。安土で飲んだ織田木瓜紋ラテを思い出しました。抹茶ラテもありましたが、食後のコーヒーなのでカフェラテを選択。

 

 東塔以外のエリア――西塔や横川に行くことも考えましたが、前回隈なく見ていて、紅葉にはまだ早く、雨が降ったり止んだりで、歩きまわるのに適した天候でもなかったので、結局京都市中に戻って帰ることにし、京都駅行きドライブバスの出発時刻までまだ時間があったので、根本中堂に参拝。比叡山延暦寺の本堂にあたる根本中堂は現在「平成の大改修」中で味気ない素屋根に覆われていますが、お参りはでき、かろうじて不滅の法灯も見ることができます。それだけでなく、今ならではの仮設のステージが作られていて、工事途中の屋根などが見られ、アプリをダウンロードして所々にある立て看板のARマーカーを読み込むと、その場所の工事後がスマホで見られるというようなこともやっていました。アンドロイド観音を見た高山寺や御歌頭作の墨絵を見た本能寺でも思ったことですが、メジャーで由緒もあるお寺ほど文化の最先端を行っています。歴史的に見ても寺とは元来そういう場所なので、まあ当然といえば当然のような気もしますが。天台宗の総本山である延暦寺も例外ではなく、つくづく「攻めているなぁ」と思いました。海外からの観光客も多く、元々広く教えを知らしめることが前提にあるため、世界を基準としたグローバルな視野で活動を考えているからかもしれません。

根本中堂の石碑と遠忌の立札

萬拝堂の隣の無料休憩所にいた伊達政宗サン。比叡山が『戦国BASARA』とコラボしてスタンプラリーをやっていました。本当に攻めています。

根本中堂の素屋根内の様子。壁画絵師、木村英輝さん画のタペストリーが掛かっていました。モチーフは、不滅の法灯に導かれて躍動する生物だそうです。

撮影許可エリアのステージから見た根本中堂の屋根

 

 根本中堂のあとは、星峰稲荷、文殊楼、大黒堂と巡り、鐘楼で鐘を撞いて大講堂へ。大講堂から出てくると、次を見に行く余裕はなかったので、バス停へと向かいました。バス停には出発時刻の20分前には着きましたが、すでにバス待ちの列ができていたので、バス停前の売店胡麻豆腐を買ったら列に並び、14時11分発のバスに乗車。行きは自分の他ひと組の乗客だけでしたが、帰りはほとんどの座席が埋まっていました。

 

 バスを待っているあいだに降ったり止んだりしていた雨が本格的に降り出し、乗車中は傘なしでは歩けない本降りとなったので、引き上げてよかったと思いつつ、エクスプレス予約で新幹線の予約を1時間ほど早めて4時台にすると、京都駅は終点で1時間半ぐらいかかり寝過ごす恐れがなかったため、安心してウトウト。気が付けば三条京阪の手前で、外を見ると雨も上がって晴れていたので、このまま帰るのは惜しくなり、慌てて降車ボタンを押し、下車。東西線に乗って蹴上駅で降り、かねてから行きたかった、明智門のある金地院へと向かいました。

 

 駅から徒歩5、6分ほどで到着し、山門を入ってすぐの受付に特別拝観の案内があり、当日でも申し込み可能とのことだったので、特別拝観券を購入。特別拝観エリアはガイドツアーによる見学で、次の開始時刻は10分後の15時30分から。拝観時間は5時までで、受付は4時半までなので、時間的にその日の最後のツアーと思われ、なんてラッキーなんだと思いました。事前予約客が少なければ当日申し込みで拝観できることはネットの情報で知っていましたが、時間が決まっているガイドツアーとはつゆ知らず。10分の待ち時間で最終ツアーに参加できたのだから幸運です。

金地院の山門

 

 受付でいただいた栞によると、金地院は臨済宗南禅寺派の寺院で、応永年間(1394~1428)に大業和尚が4代室町将軍足利義持の帰依を得て京都北山に開創し、慶長年間の初めに崇伝和尚が移転して南禅寺塔頭となり今に至るそうです。それゆえ崇伝和尚は「“金地院”崇伝」と呼ばれ、徳川家康に近侍し、比叡山南光坊に住していた天海と共に参謀として活躍したので「黒衣の宰相」とも呼ばれました。金地院にある明智門は、天正10年(1582)に明智光秀が母の菩提を弔うため黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したもので、明治元年(1868)に金地院に移されたとのこと。それより前には伏見城から移築された唐門があり、現在重要文化財に指定されている金地院の方丈も慶長16年(1611)に崇伝が徳川家光から賜った伏見城の殿舎を移建したものだそうなので、南禅寺塔頭としての金地院は伏見城の遺構を再利用して建立された寺院なのでしょう。

 

 唐門の玉突き移築については大徳寺の遠征記でも少し触れましたが、改めて説明すると、豊臣秀吉を祭神とする豊国神社は、豊臣家を滅ぼした徳川家康によって廃絶となり江戸期には廃れていましたが、維新で家康が開府した徳川幕府が瓦解すると明治天皇の意向で再建されることになり、その際に金地院に移建されていた伏見城の唐門が移築されました。そのため金地院は代わりの唐門を大徳寺から購入、それが明智門です。そして大徳寺明智門があった場所に三門(山門)西側にあった門を方丈前に移建。これが現在方丈前にある国宝の唐門で、秀吉の聚楽第の遺構とのことです。伏見城の築城主は秀吉なので、その唐門の移転先が秀吉を祀る豊国神社であるのは理に適っていてよくわかりますが、その後釜が大徳寺明智門であるのは何故なのか……、家康の参謀だった崇伝の金地院の唐門に、同じく家康の参謀だった天海と同一人物説がある明智光秀建立の唐門が選ばれたのは単なる偶然なのか……実に意味深です。

明智門と方丈

正面から明智

明智門についての説明板

 

 念願の明智門を見て、ガイドツアーの集合場所である方丈へ行くと、まずは金地院に寄ったため乗れなくなった4時過ぎの新幹線をエクスプレス予約で6時台に変更。そして不思議な形の石がある目の前の庭園を興味深く見ていたら、10分なんてあっという間に経過して、建物の中からガイドさんが登場。方丈には二組の先客がいましたが、特別拝観はしないようで、ガイドツアーの参加者は私一人だけでした。特別拝観エリアに入る前に庭園についての説明を受けたのですが、小堀遠州の作で、鶴と亀に見立てた庭石があるので「鶴亀の庭」といい、国の特別名勝とのこと。名勝ではなく特別名勝は全国に36しかなく、近年行った所だと日本三景天橋立とか、日本三名園兼六園とか、世界遺産の二条城や醍醐寺とか、特別史跡でもある一乗谷などが挙げられますが、南禅寺塔頭である金地院にそれらに比肩する名庭園があるなんて知らずに来たので驚きでした。

鶴亀の庭。向かって右に、無数の松葉を羽毛に見立てた松の木で折りたたんだ羽を、細長い石で嘴を表した鶴がいて、左には、赤茶けた大きな石と黒みがかった小さな石で甲羅と手足が表現された亀がいます。いったい小堀遠州って何者なのでしょうかね? 茶人かと思っていましたが、夢窓疎石なみの庭づくりのプロです。二人とも正真正銘のマルチタレントですね。

方丈から見る鶴亀の庭

 

 特別拝観エリアに入ると、すぐ右手に鍵付きのロッカーがあり、手荷物をすべて預けてから案内がスタート。明智門が目的だったので金地院の文化財については詳しく把握しておらず、特別拝観も京都三名席の一つである遠州設計の茶室「八窓席」が見られるというので参加したのですが、予期せず大好きな等伯の猿に遭遇し、ビックリ仰天。重要文化財に指定されている長谷川等伯猿猴捉月図と老松図が描かれた襖があり、「いやぁ~、この猿、ここにおったんかい」と思わず声に出したくなるほど驚いて、しばらく襖の前でウロウロし、右から左からまじまじと見てしまいました。隔てるガラスやアクリル板、竹の結界などもなく、そのうえ襖として本来の形で見られたので感無量。国宝や重要文化財となっている襖絵は、保存のために実物は外されて宝物館などの別所に保管、あるいは展示され、それらがあった部屋には複製や別物が置かれていることが多いので。襖を襖として見ることができると、絵師が狙った効果を実際に確認することができます。等伯の猿も、座って見るときと立ったときでは猿と視線の合い方が明らかに変わったので感動しました。等伯の他、狩野探幽、尚信らが描いた襖も今なおちゃんと襖として機能していて、しかも残っている状態もよいので、部屋という空間で求められた襖絵の役割のようなものを当時とほぼ同じ感覚で確かめることができ、本当に嬉しくてゾクゾクし、何故今までこんな文化財の宝庫に来る機会がなかったのかと思いました。金地院のことを単に南禅寺の数ある塔頭の一つとしか思っていなかったからなのですが……。遅ればせながら貴重な文化財に触れることができ、当院を訪れるきっかけとなってくれた明智光秀に心から感謝しました。

 

 金地院には東照宮もあるのですが、栞によると、崇伝は家康の遺髪と念持仏を賜ったそうなので、それらを御神体として東照神君徳川家康)を祀っているのかもしれません。本殿とともに重要文化財に指定されている拝殿の三十六歌仙絵額は土佐光起によるもので、よく見えませんでしたが天井の鳴龍は探幽の作だそうです。探幽は幕府御用絵師で、光起は宮中御用絵師、いずれも時代を代表する一流の絵師です。妙心寺の「雲龍図」や二条城の「松に鷹図」を描いた探幽も好きですが、私は平安貴族スキー、源氏物語スキーなので、光起の源氏絵が大好きで、学生の頃から複製色紙などを買っていました。神社の拝殿に三十六歌仙絵が掲げられていることはよくありますが、大和絵の大家である光起筆の歌仙絵などという貴重な物は初代江戸将軍徳川家康墓所である日光東照宮にしか存在しないと思っていたので、またまたビックリ。日光東照宮や上野の寛永寺を創建した天海のほうが有名かもしれませんが、天海に劣らぬ崇伝の政治力――探幽、光起、遠州など天下に轟く一流どころに仕事をさせることのできる権勢の凄さを改めて思い知らされました。

東照宮に向かう途中にある苔庭の飛び石

東照宮に続く参道

金地院東照宮

東照公遺訓。久しぶりに見ました。「不自由を常と思へば不足なし」……実に奥が深いです。これほど令和を生きる現代人に刺さる言葉もないように思えます。

金地院東照宮についての説明板

 

 崇伝を祀る開山堂をまわって境内を一周すると時刻は4時半前、あと数分で受付も閉まる頃合いで、見渡せば他に拝観している人も見あたらず、自分がいなくなれば門も閉められるのだろうと思い、一巡したのに境内をフラフラしているのは申し訳ない気がしたので、急いで金地院を出ました。

金地院の山門にあった特別拝観についての案内。等伯の猿と光起の三十六歌仙絵を見たことで、昔見た悲田院にあった光起作の猿を思い出し、また見たくなりました。

 

 蹴上駅から地下鉄に乗り、烏丸御池経由で京都駅に戻ると、まずは券売機で新幹線の特急券を発券。その後、荷物を引き取りにホテルへ行き、少々時間があったので、ホテルのラウンジで宿泊客専用サービスの無料コーヒーを飲みつつ荷物整理をしてから、改札口へ。そして、いつものタカラ缶チューハイ近江牛弁当を改札内売店で調達すると、18時13分ののぞみに乗車。これにて遠征終了です。天海や崇伝のことはまったく意識していなかったので、本当に偶然なのですが、家康のブレーンだった二人の「黒衣の宰相」それぞれにゆかりの深い寺を同日に訪ねることと相成りました。光秀サンが結ぶ縁は奇縁としか言いようがありません。

 

 以下余談ですが、私はビクトリノックスのスイスアーミーナイフ――いわゆる十徳ナイフを長年愛用していて、ハサミが便利なので小型の物は毎日持ち歩き、ワインオープナーが付いている普通サイズは旅行に持っていくことにしています。過去ホテルや旅館で何度も借りた経験があるので。小型の物があれば用が足りる日帰り旅行と、荷物を預けない飛行機を使った旅行は取り上げられてしまうので持っていきませんが……一度アメリカの入国審査で引っかかり、プレゼントでもらったお気に入りを没収された悲しい経験もありますし。ということで、もちろん最近の遠征にも欠かさず持っていったのですが、そのビクトリノックスの十徳ナイフで、なんと墨絵師の御歌頭さんが書き下ろした明智光秀の絵をあしらったデザインがあると知ったので、どうしても欲しくなり、先週末銀座に出たついでに買ってきました。明智光秀+御歌頭の墨絵+ビクトリノックスですよ。こんな組み合わせ、いったい誰が考えたのか、スイス人ではないですよね? ビクトリノックス・ジャパンの社員? 信長はわかるけど何故光秀?……いろいろと疑問は尽きませんが、自分にとってスルーできない代物であることは確かなので、店で実物を見せてもらい、即決で購入。個人的には間違いなく頻繁に使うものですし。

ビクトリノックス戦国墨絵コレクションの十徳ナイフ、明智光秀バージョン。織田信長バージョンもあります。

桔梗紋があしらわれた裏面。商品に付いていた栞には「明智桔梗の家紋は現代人である我々が見ても非常に美しいデザインである。己の心にまっすぐな方に贈る明智仕様」と書かれていましたが……「我々」っていったい誰? ちなみに隣の迷彩柄は、アメリカで取り上げられたあと買い直して、今まで愛用してきた物です。こちらより光秀バージョンはやや薄いと思ったら、写っているノコギリが付いていませんでした。ほとんど使わないツールなので、なくても不便はありませんが。

やはり只者ではないネイサン・チェン~フィギュアGPシリーズ第2戦スケートカナダ感想

 金曜は仕事で三重と京都に行き、京都の業者さんと夕飯を食べたので京都に泊り、翌土曜に帰ってきたのですが、ついでに両親の家に寄ってきました。年末年始には顔を出しているのですが、再びコロナウィルスの感染が広まり第6波が到来して昨年のように緊急事態宣言が発出されれば行けなくなるので。親に会うのは昨年の正月以来で、大学在学中に当時川越にあった実家を出ましたが、その後出身地である静岡県に戻った親元に盆暮れ正月には顔を出していたので、1年以上会わずにいたのは人生で初めて。ありがたいことに二人とも元気でしたが、想像以上に老け込んでいた外見に、確実に過ぎた1年10か月という時の流れを感じました。

 

 自宅だからか両親はマスクをしていませんでしたが、私はマスク無しでの会話は怖いので、飲食のとき以外は着用。そんな状態で泊まるのは気をつかい、面倒くさくて嫌だったので、昼食を御馳走になったあと3時間ほどの滞在で6時過ぎには帰宅し、「ブラタモリ」に続いて、スケートカナダのショートをテレビ観戦。北京オリンピック出場が有力視されている日本選手――羽生結弦選手、宇野昌磨選手、鍵山優真選手、紀平梨花選手などは出ていませんでしたが、世界王者のネイサン・チェン選手と私の大好きなジェイソン・ブラウン選手、リーザことエリザベータ・トゥクタミシェワ選手、アリョーナ・コストルナヤ選手が揃い踏みだったので、十分に見ごたえがありました。

 

 ネイサン、ジェイソン、リーザは自分のスケートが確立していて、その自分のスケートを突きつめたパフォーマンスは、洗練されているというか研ぎ澄まされていて、本当に素晴らしいです。はっきり言って格が違います。ネイサンのキレと柔軟性、ジェイソンの表現力と独創性、リーザのインパクトと力強さと色気――現在彼らに匹敵する存在感のあるスケートが可能な日本のスケーターはユヅだけですね。

 

 それにしても圧巻でしたね~、本日のネイサンのフリー。彼の不敗神話に終止符が打たれたというニュースで、フィギュアスケートのグランプリシリーズが開幕したことを知ったのですが、前回のアメリカ大会はまさかの3位。しかし一週間で立て直し、今回300点超えで優勝、あっさりとファイナル進出を決めました。先週地元で平昌オリンピック以来の敗北を喫し、今週は必ずや全力で勝ちに来るだろうと思ったので、ユヅとの直接対決の時と同じぐらいいい演技を見せてくれるはずと期待していましたが、その期待を裏切らない出来栄えでした。「ネイサン、オリンピック大丈夫か?」の声を封じ込める圧倒的な、やはり世界王者というか格が違うパフォーマンスでしたね。ジェイソンのフリーはショートに比べると出来がイマイチでしたが、この人の演技はジャンプを失敗しても見ることができてよかったと思える、他の誰も真似できない演技なので、見られるだけで満足。

 

 そしてリーザのフリー……言うことありません。女子シングルで優勝したのはフリーで4回転3本を成功させた新星ワリエワ選手でしたが、リーザの演技を見に来た、リーザがベストだと思った観客はたくさんいたと思います。強弱のメリハリがあり、演技の中で静と動が絶え間なく明確に入れ替わるリーザの演技。すべてのジャンプを跳び終わってラストに向かうときに、さらにスピードを上げて複雑なステップを踏んで盛り上げていく構成は驚きでした。腕や手の動きの美しさが秀逸で、5本の指を一番美しく見せられるスケーターではないでしょうか。手だけがよく動いて美しいとなるとそれはそれで違和感がありますが、脚の動き、腰の動き、体全体が魅せるように動いて、スケート靴を履いてダンスを踊っていると思うのはリーザだけですね。

 

 ワリエワ選手は素晴らしかったのですが、跳ぶ4回転がすべてタノジャンプだったのでデジャヴ感があり、手を挙げればいいというものではないと思った、ザギトワ選手が出てくる前のメドベージェワ選手を思い出しました。けれども、ジャンプが突出しているトゥルソワ選手よりは全体的にバランスが取れているような気がします。同じように4回転を跳ぶ技術と表現力を併せ持つ世界女王シェルバコワ選手との直接対決を見てみたいと思いました。

 

 今大会に出場した日本選手は、女子は奮闘していましたが、男子は残念な感じでした。ただし女子に関しては、宮原知子選手にやや強さが加わったのが三原舞衣選手で、三原選手にさらなる力強さが加わったのが紀平梨花選手という印象を抱きました。彼女たちとは魅力が異なる樋口新葉選手や坂本花織選手などパワフル系は、そのタイプの究極の進化形がリーザだと思うので、リーザの域に達しないと今期の国際大会の表彰台は難しいと思いました。リーザですら2位にはなれても1位は難しいのですから。最強ロシア勢の一角を崩せるのは、もはや日本女子では紀平選手ぐらいでしょうか。もっとも、紀平選手もメダル争いをするためには、万全の状態であることが絶対条件ですが。グランプリファイナル出場は逃しても、全日本で結果を出して、文句なしに北京オリンピックの代表に選ばれるように、今は耐えて治療に専念し、最後に悔いの残らないオリンピックシーズンにしてほしいですね。