羽生雅の雑多話

引越してきました! 引き続きよろしくお願いします!

前代未聞の世紀の茶番~2022北京五輪フィギュアスケート女子シングル感想

 女子シングルフリーが終わりました。稀に見る外野がうるさい試合でしたが、そんな最悪の環境下でも出場した選手たちはよくやりました。メダルの結果も妥当だったと思います。

 

 実力がほとんど発揮できなかった暫定4位のカミラ・ワリエワ選手は気の毒ですが、ドーピング検査で陽性になった以上、本来ならば出場資格はないので、今大会でメダリストになれなかったのは必然の結果。何故出場を認めたのか、何故棄権させなかったのか不思議です。あんな世界中を敵に回したような状態で、いつもと同じ演技ができると15歳に対して思ったのでしょうか。思っていたのなら愚かさ極まりなく、そんな愚かな大人たちの犠牲になったワリエワ選手は明らかに被害者で、彼女が責められるのは理不尽です。ワリエワ選手は演技後に「少なくとも、これで表彰式は中止されないだろう」と言ったとのこと。選手として、血のにじむような努力の末につかんだ勝利を称えられる場である表彰式が選手にとってどんなものか価値をわかっていて、それが行われないという意味とその重大性を十分に感じていたのでしょう。多くの選手たちと同じく、表彰式でメダルを受け取ることを夢見てきた少女のごく普通の感覚だと思いますが、人並みにそのように感じている普通の感覚の少女であるワリエワ選手があの状況下で普段どおりに滑れるわけがありません。コーチ陣は何を考えているのか……自分たちの思うままに動く感情のないロボットだと思っているのでしょうか。

 

 特に彼女のメインコーチであるエテリ・トゥトベリーゼコーチの罪は重く、保護対象である年少者に将来的に後遺症が残るかもしれない薬物を与え(直接飲ませていなくても摂取を黙認していることは確実。まだ若くて知識のない選手自身はわからなくても彼女が知らないということはあり得ないでしょう)、その事実が明るみになったにもかかわらず説明責任を果たさぬまま教え子を世間から隠して批判から守ろうともせず強行出場させ、あまつさえ無理に出場させておいて自分の思いどおりに滑れなかったからといって演技後すぐに詰る――これでもかというほど酷い児童虐待の様子を世界中に晒し、さすがに恥を知れと思いました。しかも失敗した教え子を叱責するのが優先で……讃えられ祝福されるべき金メダリストになりながら、コーチに放っておかれたアンナ・シェルバコワ選手も可哀想でした。コーチや監督は厳しくて当然ですが、未成年者を導く指導者は競技の指導だけでなく、子供たちを心身ともに健やかで真っ当な大人に育てる人間育成についても責任の一端を負っているはずです。接する時間が親より長いこともあるのですから。金メダリスト増産はロシアの国家政策であり至上命令で何か国に逆らえない複雑な事情があるのかもしれませんが、ワリエワ、シェルバコワ、トゥルソワ、コストルナヤ、遡ればザギトワやメドベージェワなど、たとえ何人もの世界大会の金メダリストを生み出す手腕があっても、教え子の人間的な成長を蔑ろにする時点で、トゥトベリーゼコーチは優秀な指導者ではないと思います。

 

 金メダルのシェルバコワ選手は、ショートもフリーも見事な出来栄えでした。彼女も技術力と表現力を併せ持つ選手です。彼女の演技は手足を動かしていない時がないのではないかと思うほど振付が細かく、密度が濃くて息つく暇もありません。なのにミスもなく、一つ一つの技も美しく完成度が高い。銀メダルのアレクサンドラ・トゥルソワ選手は5度の4回転を演技に組み込み、それ自体は本当にすごかったのですが、いかんせん相変わらず全体的な完成度が低い。やはり「跳べばいいってもんじゃない」と思います。ジャンプはそれぞれ基礎点が決まっていて、当然のことながら難しい高度なジャンプほど点数が高く、それを積み重ねていけば高得点が出せる採点システムなので、トゥルソワ選手のようにジャンプ中心の戦い方があっていいとは思いますが、ジャンプで勝負するのなら、せめてジャンプの完成度は上げないと、4回転を跳び表現力もある選手には勝てません。それゆえ今までワリエワ選手に勝てず、今回もシェルバコワ選手に勝てませんでした。本人は納得がいっていないようですが、演技全体の質はどう見てもシェルバコワ選手のほうが上で、妥当な順位です。彼女と自分の演技を見比べて、それでも自分が金メダルだとトゥルソワ選手が思うのなら、フィギュアスケートの良し悪しをわかっていないので、早く誰かが教えてあげるべきです。フリーで4回転を5度跳んだけどステップアウトもあり、フリーとショートともに不完全な演技だったトゥルソワ選手より、フリーの4回転は2回でも両方ともクリーンで、フリーとショートをミスなしで終えたシェルバコワ選手のほうが金メダルにふさわしいことは、フィギュア関係者やファンならば誰もが認めるところで納得がいっていることだと思います。女子では前人未到の歴史的快挙である4回転5回の自分と4回転0回の坂本花織選手の順位の差が結局はたった一つであるという結果が何を意味しているのかを、誰かきちんとトゥルソワ選手に教えてあげてください。それが正しい指導です。

 

 ということで、銅メダルは坂本選手。おめでとう~!! 彼女もショートとフリーともにミスなしのパーフェクト演技でした。4回転もトリプルアクセルもないので、同じくミスなしのシェルバコワ選手にはかないませんでしたが。けれども、オリンピックが始まる前はロシア3強の牙城を崩すのは難しいと思っていたので、本当によかったです。ショートが終わった時点で、たとえ総合3位以内に入ってもワリエワ選手のメダルは無効になると思っていたので、総合4位になっておけば結果的には銅メダルが獲れる、だから訊かれなくてもいいことを訊かれる落ち着かない騒がしい環境だけど周囲の雑音に振り回されずに自分のスケートに集中してほしいと祈るような気持ちで応援していましたが、期待以上にやってくれました。坂本選手は、ジャンプを跳んでから着地までの幅があり、そのあとの流れもあるので、1本のジャンプでの移動距離が長く、助走、ジャンプ、着地後の流れで、同じジャンプでも他のスケーターの2倍は場所を動いていると思います。しかもスケーティングにスピードがあるから疾走感がハンパない。印象の違いを例えるなら、他の選手はモーグルだけど坂本選手はダウンヒル、他の選手は平泳ぎだけど坂本選手はクロールという感じ。どこかでもコメントしていましたが、今回はロシア勢と滑ることで、坂本選手のスケーティングの質の高さがより際立ったように思えます。暫定5位の樋口新葉選手も、転倒がありましたが、全体的にいい演技でした。繊細さより力強さが感じられるスケートで、その点坂本選手と似たタイプなので、ジャンプの質やスピード感などを比べられて少々割を食ったかもしれませんが、そんな中でも坂本選手にはできないトリプルアクセルを決めるなど、十分にらしさを発揮できていたと思います。

 

 ロシアの選手たち――とりわけトゥトベリーゼ門下の選手たちのスケートは技術的には素晴らしいのですが、年齢に応じた身体の成長など、人間に必要な何かを犠牲にし、それと引き換えに手に入れた能力のように思え、不自然で違和感をおぼえます。『北斗の拳』で寿命を縮める秘孔を突いてパワーアップしているような……。そもそもジュニアからシニアに上がった年は、体が未熟だったり成長途中だったりで、まだ十分に鍛えられていない上にフリーの時間が30秒長くなるので、後半はスタミナ切れを起こすことが多いのですが、振り返ればワリエワ選手は全然そんなことはなく、オリンピックまで全戦全勝でした。トゥルソワ選手の5度の4回転も、男子で五輪連続表彰台の実績を持つショーマですらゼエゼエしながらこなしている最高難度の構成です。シェルバコワ選手の体形はどれだけ節制しているのかという細さですし。検査で引っかかったのはワリエワ選手だけでしたが、トゥルソワ選手もシェルバコワ選手もその他の選手も、本人たちが知らぬうちに何かを飲まされているのかもしれません。今回の騒動でもまったく動揺を見せないトゥトベリーゼコーチを見ていると、確信犯で、国策を理由にそれくらいは平気でやっていそうな気がします。潔白ならば、出るところに出て、それを証明すればいいだけです。彼女の教え子たちが今後どうなるのか、どうするのかはわかりませんが、ワリエワ選手はまだ若い上に、技術力と表現力の両方を高いレベルで併せ持つ真に才能があるスケーターなので、コーチを変えて再起を果たし、次のオリンピックでメダルを獲って、北京の悪夢を払拭してほしいですね。4年後でもまだ19歳なのですから。

 

 今回の騒動は世紀の茶番で、二度とあってはならないことですが、一つだけ楽しいことがありました。かつてオリンピックの銀盤を彩った往年のスケーターたちのコメントがたくさん読めたことです。アシュリー・ワグナーキム・ヨナイリーナ・スルツカヤサラ・ヒューズ、タラ・リピンスキー、そして氷上のカルメンことカタリナ・ヴィット……リンクを去ったあとも、みんなスケートを愛していて、スケート界を見守り、後に続くスケーターたちの活躍を気にかけているのだなぁと思いました

 

※2月20日追記

 ただいまエキシビションを見終わりました。ユヅは「春よ、来い」、ネイサンはショートの名プログラム「キャラバン」のバックフリップ入りバージョン。メダリストが集まるエキシビションを見て、やはり頭一つ突き抜けていて他とは格が違うと思ったのは羽生結弦、ネイサン・チェンの男子シングルの二人と、アイスダンスのガブリエラ・パパダキス&ギョーム・ジゼロン組。特にフリーのジゼロンはまるでバレエダンサーのようで、スケートをしながらここまでバレエ的な美しい肉体表現ができるのかと驚き、目を瞠りました。「キャラバン」のネイサンもストリートダンサー的な凄さを発揮していましたが。ユヅは手の使い方が上手くなったことで音の取り方が格段に進歩し、それによって音楽表現も進化しました。今回の「春よ、来い」にもそれがよく表れていたと思います。ジャンプを跳べなくても、ジャンプが決まらなくても、ジャンプなしでも魅力的な演技ができるスケーターになりましたね。

滋賀寺社遠征&明智光秀探訪17 その2~多賀大社、十兵衛屋敷跡、十二相神社

 翌30日の日曜は、前の週に大雪が降って真っ白になった多賀大社の様子をネットで見て、山間の集落である佐目はもっと雪が深いのではないかと思い、多賀は以前訪れていて多賀大社も胡宮神社も時間をかけて見ているので、今回はパスして行ったことのない佐和山城址に行き先を変更しようかと前日まで迷っていたのですが、佐目十兵衛会発行の冊子が彦根で手に入らなかったので、当初の予定どおり佐目に行くことにしました。

 

 10時過ぎにホテルをチェックアウトして彦根駅に行き、観光案内所近くのコインロッカーに荷物を預けると、10時35分発の近江鉄道に乗車。高宮駅で乗り換え、終点の多賀大社前駅で下車。冊子の販売所の一つが多賀観光協会だったので、駅構内の観光案内所に寄ったのですが、なんと案内所だった場所は無人のがらんとした空間になっていて、地図などのパンフレット類が置いてあるだけ。販売物など皆無でした。冊子の件だけでなく、佐目までの行き方についても確認しようと思っていたので「おいおい」と思いましたが、とりあえず多賀観光協会のホームページで唯一の公共アクセス手段として紹介されていた「愛のりタクシーたが」を電話で予約し、多賀大社の駐車場近くにある多賀観光協会へと向かいました。

 

 置いてあった周辺散策マップによると、多賀大社の駐車場は国道306号線沿いで、駅から行くと表参道である絵馬通りを神社の前を通り過ぎて終点まで行き右折したところ。「電車で来る客を完全に無視しているな」と思いましたが、コロナ禍の今は車で来る近場の参拝客のほうが圧倒的に多いような気もしたので、仕方がないとも思いました。

 

 徒歩12、3分で着き、観光案内所と多賀町のマスコットキャラクターである「たがゆいちゃん」のグッズ売り場を兼ねた建物に入って、一人だけいたスタッフのおねーサンに冊子のことを訊ねると、こちらの分も売り切れだと言うので、「佐目にはありますかね? これから行くので、まだ在庫がある販売所を教えてもらえれば寄りますが」と言うと、どこかに電話をかけて確認してくれました。電話をしながら「十兵衛屋敷跡にある十兵衛茶屋に置いておくそうです。何時頃行かれますか?」と訊かれ、「1時の愛のりタクシーで行きます」と応じ、「では、村の寄り合いで誰もいないので、料金は置いてある貯金箱に入れてください」などとやりとりをする中で、電話の相手が十兵衛会の方のように思えたので、ダメもとで「すいません、冊子の1種類はホームページでは売り切れになっていたのですが、1冊ぐらい残っていたら、そちらも売ってほしいのですが、あるか訊いてもらえないでしょうか?」と訊いたら、「探してあったら一緒に置いておくそうです」とのこと。彦根や多賀駅では肩透かしを喰らってガッカリしましたが、結果的にはラッキーでした。あと、多賀大社の愛のりタクシーの乗り場がわからなかったので、そちらも教えてもらい、心からお礼を言って案内所を出ました。若い頃は寄っている時間がもったいなかったので、まったく利用しなかった観光案内所ですが、最近は便利に使わせてもらって、本当に助かっています。

 

 絵馬通りに戻り、「一休庵」の前と教えられたタクシー乗り場を確認すると、11時半を過ぎていたので昼食を摂ることにし、観光案内所に向かっているときに前を通りかかって気になった「不二家」という店に入店。何故気になったかというと、村山たか女の住処という案内板があったからです。村山たか女といえば、井伊直弼の情人。反幕勢力の情報を送るなど安政の大獄で直弼に協力した罪で、直弼が暗殺された桜田門外の変のあと尊皇攘夷派に捕らえられて、三日三晩三条河原に晒されました。案内板によれば、彼女は多賀大社別当を務めた京都尊勝院の院主である尊賀上人と、多賀大社の境内にあった般若院の院主である藤山慈算の妹のあいだに生まれたとのことで、「不二家」の店主は母方の藤山家の子孫の方のようです。入ってみると食券を買う形式の普通の食事処だったので、近江牛かわかりませんでしたが、鍋焼きうどんの牛肉入りというメニューを選択。多賀観光協会発行のパンフレットに多賀の名産品として鍋焼きうどんが紹介されていたので。その説明によれば、遠方から多賀詣りに来る参拝者に夫婦鍋(フタとナベ)でうどんを煮込み、その中にかしわ、ねぎ、かまぼこ等々を入れ、人々をもてなしたとのこと。夫婦鍋で煮込むというのは、多賀大社の祭神がイサナギとイサナミの夫婦神であることに由来するみたいです。

不二家」の店の外に掲げられていた案内板

牛肉入り鍋焼きうどん。美味しかったので、たぶん近江牛だと思います。安土考古学博物館で食べた「近江牛のうつけうどん」の肉を思い出しましたが、やわらかい牛肉に具材の味が溶け込んだ汁がしみ込んでいて、より複雑な味わい。うどんの良し悪しは印象に残りませんでしたが、完成度の高い鍋焼きうどんでした。

 

 食事を終えると、多賀大社に参拝。式内社で旧官幣大社でもあり、『ホツマツタヱ』に登場するタガノミヤの跡なので、もちろん以前に来たことがあり、その時に隈なく見ているので、今回は拝殿と摂末社にお参りだけし、食後のコーヒー代わりに甘酒を飲むことにしました。

多賀大社境内全図

多賀大社の神橋。奥書院庭園と同じく、太閤秀吉の寄進によって造られたものなので、「太閤橋」と呼ばれています。

多賀大社拝殿。参拝客が多かったので、正面からは撮る気になれませんでした。

多賀大社本殿(鰹木しか見えませんが……)

境内にある大釜。江戸幕府が作った物で、神事に使われていたようです。

境内西側にある式内社日向神社(奥)と神明両宮。日向神社の現祭神は瓊々杵尊ことニニキネですが、ニニキネの宮はミズホノミヤ=水穂宮で、その跡は御上神社と思われるので、元々の祭神は、古くなった多賀宮を復興したウガヤフキアワセズか、ナガスネヒコの乱の時に多賀宮留守居を務めたクシミカタマだと思います。

 

 甘酒を飲み終わってもまだ時間があり、絵馬通りに近江牛専門店「千成亭」の支店があって、その隣に焼き立てを売る売店があったのを思い出したので、神社を後にして近江牛のコロッケを食べに行くことにしました。愛のりタクシーは、福井の明智神社に行くときに利用した「文殊山号」と同じく、時間が決まっていて基本的に1時間に1本で、1時間前までに予約しなければならず、よって時間変更はより遅い時間にしかできないので。前日に彦根でプレミアムコロッケを食べたので、今度は普通のコロッケを買って食べ比べてみようと思っていましたが、行ってみると、夢京橋キャッスルロードの店では注文してから時間がかかるとされていたメンチカツがすぐに用意できるというので、そちらを注文。参道を隔てたところにベンチらしきものがあったので、そこに座って食べることにしました。メンチカツにすると他の味が主張して近江牛の味が薄まるので、コロッケのほうが美味かったな、などという感想を抱きつつ味わっていると、数メートル先のタクシー乗り場にタクシーが停まっているのが目に入ったので、待たせるのは悪いと思い、急いで食べ終えて、参道を渡り店先のゴミ箱に紙を捨て、タクシー乗り場へと向かいました。まだ1時まで5分ぐらいあったのですが。

 

 またしても他に乗客はなく、途中から乗ってくる客もなく、どこにも停まらなかったので、10分ほどで上佐目停留所に到着。車を降りると、すぐに鳥居が見えたので、そちらに向かって歩き出しました。十二相神社に通じる参道でしたが、途中の左手に十兵衛屋敷跡を発見。雪に埋もれたキャラクターのパネルが出迎えてくれました。

十二相神社の鳥居。思ったとおりの残雪でしたが、通り道はきちんと雪かきがされていて、ほとんど残っていませんでした。

十兵衛屋敷跡のキャラクターパネル。向かって一番左の桔梗紋のあるパネルが明智光秀。光秀だけもっとアップで撮りたかったのですが、雪で近寄れませんでした。

十兵衛屋敷跡の十兵衛茶屋

 

 十兵衛茶屋に寄って、冊子が置いてあることと貯金箱は確認できたので、あとでゆっくり展示を見ようと思い、まずは「十兵衛くんが遊んだかもしれない」十二相神社に参拝。

十二相神社についての説明板

十二相神社。四本の杉は明らかに鳥居です。背後は小山のようだったので、古墳かもしれないと思いました。

 

 十二相神社は常駐の神職もいない小さな神社ですが、古くからの街道である国道306号線から脇に入って集落を貫くように真っすぐ伸びている参道と、山に囲まれた地形から、佐目が山間のわずかな平地にこの神社を中心にできた集落であることがわかります。現祭神は少彦名神。『ホツマツタヱ』にもスクナヒコナとして登場する神で、オホナムチの国造りを手伝ったことで知られます。しかし、この神社の分霊である岐阜県海津市の十二相神社の祭神は「天神七代地神五代」とのことなので、佐目に社を建てて祀られ、社名となっている「十二相神」も、元々は初代クニトコタチから十二代ウガヤフキアワセズに至る十二代の天神や天君だったのだと思います。

 

 スクナヒコナ主祭神になった経緯の真相は知るべくもありませんが、多賀大社でも境内社の一つである聖神社の祭神として祀られているので、オホナムチと共にタガノミヤを中心とした国土経営に寄与した神だったのでしょう。あるいは、十兵衛茶屋に貼ってあった資料にも六角氏関与の可能性が書かれていましたが、この地を治めていた六角氏が自分たちの氏神を勧請して祀ったのかもしれません。明智氏が本来土岐氏であるように、六角氏は佐々木氏で、佐々木源氏の氏神は安土の沙沙貴神社であり、沙沙貴神社主祭神は少名彦神なので、少名彦神は佐々木氏がこの地に根付いたときに十二相神社に勧請されて合祀され、佐々木氏の力が近江守護を務めるぐらい大きくなると、後から祀られた少名彦神のほうが主祭神になったのかもしれません。

 

 多賀大社末社である聖神社三宮神社と同殿で、三宮神社の祭神は四代、五代、六代の天君、摂社の日向神社は十代天君ないしは十二代天君……いずれも十二相神社で祀られている神々です。そして、佐目を通る国道306号線は鈴鹿山脈の鞍掛峠を越える山越えの古道で、七代天君イサナギ・イサナミ夫妻を祀る多賀大社と、夫妻の息子である八代天君アマテルを祀る伊勢神宮を繋ぐ道――つまり「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡にしたがって、お伊勢参りの参詣者がそのままお多賀参りに行くのなら通る最短距離で、306号線の佐目トンネルの入り口には「山越えの 伊勢人もあり 多賀祭り」という句碑もあるとのこと。その街道筋に初代から十二代までの天君を祀っていたと思われる十二相神社があるのです。果たしてこれは何を意味しているのか……。考えられるのは、十二相神社も古代の聖地の跡ではないかということです。『ホツマ』によれば、多賀大社の起源であるタガノミヤはイサナギの最後の宮、伊勢神宮の起源であるサコクシロウチノミヤはアマテルの最後の宮なので。はっきり言って、明智光秀の謎以上にミステリアスです。

 

 光秀が佐目の出身であるという説の根拠となっている『淡海温故録』には、光秀の二、三代前の祖とされる明智十左ヱ門が土岐成頼(土岐宗家当主で美濃守護)に背いて浪人し、六角高頼(近江守護)を頼って近江にやってきたので、高頼は「明智は土岐家の庶流で旧家であるから」と言って扶助米を与えた、と書かれています。よって食客のような待遇で迎えたのでしょう。しかし十左ヱ門が高頼に近いところではなく、佐目に居住することになったのは、高頼が彼を保護したことを人目に付かぬよう隠す必要があったか、さもなければ、故郷の美濃に近い佐目でなにがしかの役割を与えられたかのどちらかだと思います。もし後者なら、十二相神社が古代の聖跡で、佐目が中世以前から重要な土地であることがわかれば、その役割が何だったのか見えてくるかもしれません。

 

 十二相神社から十兵衛茶屋に戻ると、探して見つけてくれたのか2種類の冊子が置かれていたので、2冊分の代金を指示されたとおり貯金箱に入れたのですが、郵便ポスト形の貯金箱だったので、折りたたんだ紙幣が途中で詰まってしまいました。茶屋では手作りのストラップなどが販売されていたので、これでは後から来る人が困るだろうと思い、さらに強引に突っ込んでみたのですが、凹凸がありストレートな円柱形ではないため中で引っかかってしまい、奥に入れることも取り出すこともできず。進退窮まってしまったので、多賀観光協会に電話し、先ほど対応してもらったスタッフのおねーサンに事情を説明。すると、参道にある十兵衛会の集会所に置いておいてくれと言われたので、貯金箱を持っていき、玄関に置いておきました。

なんとか手に入れることができた『明智十兵衛光秀 謎多きルーツに迫る多賀出身説!』と『今、何故 光秀か』の2冊。佐目まで行った甲斐がありました。

 

 その後、茶屋に戻って展示を見ていたら、十兵衛会の関係者と思われる女性がやってきて、集会所の暖房を入れたので時間があったらお茶を飲みに寄ってと声をかけてくれたので、ひととおり展示されていた資料を読んだあと、集会所へと向かいました。貯金箱について説明したかったこともありますが、帰りの愛のりタクシーの時間までまだ1時間以上あったので。多賀大社停留所を13時3分に出発する愛のりタクシーの上佐目停留所着は時刻表によると13時25分で、30分ではゆっくり見られないと思ったので、14時発ではなく15時発を予約したのですが、1時10分には到着し、50分もあれば十分ゆっくり見られたので、お言葉に甘えて集会所で待たせてもらうことにしました。

キャラクターパネルの隣にあった『淡海温故録』についての説明板。こちらの前は雪かきがしてあり、すぐそばまで近寄れるようになっていたので、細かい文字も読むことができました。

茶屋に掲示されていた『淡海温故録』を取り上げた新聞記事。彦根藩筆頭家老の木俣守勝は一時光秀の家臣だったとか、興味深いことが書かれています。

茶屋に掲示されていた十二相神社についての説明。六角氏との関係について触れられています。

茶屋を出るときは晴れていて、山がとてもきれいでした。それにしても雪が深いです。こちらの看板にもこれ以上近寄れませんでした。

 

 集会所でとりとめのないことを話しながらお茶をいただいているあいだに、詰まっていた貯金箱の紙幣は道具を使って取り出してくれたので、貯金箱を茶屋に戻して集会所に戻ると、もう一人男性の方が現れて、光秀が掘ったとも伝わる「カミサン池」に案内してくれました。光秀を助け、光秀から「みつ」を賜ったが、本能寺の変後「見津」と書いて「けんつ」と読み、長らく謀反人扱いされてきた光秀との関係を隠してきたという見津家では、「この水を使うときには光秀さんに感謝しろ」と言われてきたそうで……声をかけてくれた女性も、案内してくれた男性も、どうやら今も集落に何軒か残っている見津家ゆかりの方のようでした。

カミサン池。池ではなく井戸でした。祠は最近作った物だそうですが、お地蔵さんの石像は昔からあったそうです。

 

 カミサン池から引き上げてくると、まだ3時まで10分以上あったので集会所に戻ったのですが、中に入る前に見えた停留所に車が停まっていて、派手なラッピングで見るからにタクシーだったので、玄関でお礼を言って辞去を告げると、集会所で待っていてくれた女性が「お茶を淹れ直したので、お茶菓子に出そうと思っていたのだけど……」と言って、「鬼まんじゅう。サツマイモが嫌いでなければ持っていって」と手に持っていたものを渡してくれました。「ありがとうございます。いただいていきます」と再びお礼を言って停留所に向かうと、派手なラッピングは島左近のイラストで、後で調べたら、ゲーム「戦国無双」のキャラクターのようでした。

 

 3時過ぎには多賀大社前駅に着きましたが、愛のりタクシーと同じく近江鉄道もこの時間帯は1時間に1本で、次の電車は15時27分発だったので、以前多賀に来たときに行ったことのある、駅に一番近いカフェでコーヒーを飲むことにしました。カウンター席が埋まっていて、一つずつあるソファ席とテーブル席が両方空いていたので、ソファ席に座ったのですが、その後立て続けに二人組の客が来て、最初のひと組は空いているテーブル席に座りましたが、ひと足遅かった次の二人連れはあきらめて出て行きました。前に来たときに周辺を歩きまわって駅の近くに他に店がないことは知っていたので、二人席に一人で座っていた私はなんとなく申し訳ない気持ちになり、罪滅ぼし的な気分で本日のケーキも注文。私が店に入ったときにはすでに三人全員が食べ終わっていたにもかかわらず、新しい客が来ても席を空けようとしないカウンター席の家族連れにはいささか腹が立ちましたが、文句を言えることでもないので、さっさと食べて飲んで店を出ました

 

 近江鉄道彦根駅に戻ってくると、コインロッカーの隣にある観光案内所内にある土産物屋に寄ってみたのですが、欲しいものがなかったので、ひこにゃんグッズを扱っている駅前の平和堂へ。残念ながらそちらでも欲しいものはなかったので、ひこにゃんの顔の焼き印を押したきんつばと、食料品売り場でタカラ缶チューハイを購入。帰りの新幹線は、乗り換えなしのひかりにこだわると早くて米原発16時57分で、それだと大河ドラマの開始時間に微妙に間に合わないため、米原発16時33分のこだまで名古屋まで行き、4分の乗り換え時間で17時6分発ののぞみに乗ることにしました。57分発のひかりに乗るより30分ほど早く品川駅に着けます。しかしその場合、缶チューハイを新幹線内で調達するとなると、こだまは車内販売がないため必然的に名古屋以降となり、運が悪ければまた車内販売のワゴンが来るのが遅く、静岡あたりまで飲めないということも無きにしも非ず。それは避けたかったので、事前にゲットしました。

 

 ロッカーから荷物を引き上げて、16時19分発の琵琶湖線に乗り、5分で米原駅に到着。ケーキを食べた上に、佐目でいただいた鬼まんじゅうもあったので、弁当類を買うつもりはなく、新幹線改札内のコンビニで酒のつまみになるようなスナックでも買おうと思っていたのですが、改札に行く途中に井筒屋の販売スタンドがあり、「元祖鱒寿し」を発見。以前これを求めて米原駅構内をさまよったこともある大好きな駅弁なので、とても素通りすることができなかったため、鬼まんじゅうは家に持ち帰ることにし、のぞみに乗り換えて名古屋駅を出発したあと、鱒寿しとチューハイで早めの夕食。これにて今回の遠征終了です。

 

滋賀遠征&明智光秀探訪17 その1~彦根城ライトアップ

 3連休はオミクロン株の流行と北京オリンピックもあったので、例によって完全巣ごもりでどこにも行きませんでしたが、先月末に彦根に行ってきました。11~1月の土日に彦根城が夜間特別公開をしていたので。1月は、元旦は静岡、3連休は長野の予定が入っていたため、最初から月末に予定していたのですが、3連休後あっという間にオミクロン株が流行し、芋づる式にまん延防止等重点措置対象の都道府県が増えてしまいました。滋賀県が対象になると彦根城の夜間特別公開も中止になってしまうので、隣県の岐阜県三重県京都府が次々と適用される中ビクビクしていましたが、なんとか適用されず開催が継続されたので行ってきました。

1月の3連休は年1スキーで白馬に行ってきましたが、記事が書けなかったので、ここに写真だけアップしておきます。

お馴染みの八方尾根スキー場です。近年は雪に恵まれず安比に行っていましたが、今年はよかったです。

ゲレンデから見える雪山連峰。北アルプス

北尾根ゲレンデの一本木。一日目のラストの下山途中に遭遇し、心惹かれるまま近寄ってしまいましたが、この先は上級コースだったので、疲れた足に鞭打ってカニ歩きで引き返し、迂回しました。

 

 28日金曜の5時まで仕事をして品川駅に行くと、新幹線の改札が混んでいたので、また雪の影響でダイヤ乱れかと思ったのですが、構内アナウンスによると車両点検があったようで、全体的に5~10分ほど遅れていて、予約していた19時10分発のひかりより1本早いひかりに乗れそうだったので、改札口前で急きょエクスプレス予約で変更し、5分遅れの18時10分発に乗車。買い物をする余裕はなかったので、乗車後しばらくして車内販売が来るとタカラ缶チューハイを購入。新幹線内で買えることを知ってから売っている場所を探す必要がなくなったので、本当に楽になりました。米原駅で在来線に乗り換えて彦根駅に着くのは9時前なので、夕食も車内販売で駅弁を買って済ませるつもりでしたが、席が16号車でワゴンが来るのが遅かったので、「けっこう客に捕まっているのなら売り切れかも」と思っていたら、案の定予想どおり。ミックスサンドなら残っているというので、それに新幹線車内販売オリジナルのチップスターを追加して夕飯にしました。途中で遅れを取り戻して米原駅には定刻に到着し、乗るつもりだった琵琶湖線に間に合ったので、9時10分前には彦根駅に着き、駅から歩いて8分ほどの彦根城最寄りのホテル――彦根キャッスルリゾート&スパにチェックイン。最初に予約していた19時10分発のひかりだと彦根に着くのは10時10分前で、チェックインタイム10時ギリギリだったので、在来線に1本でも乗り遅れると確実に間に合わず、施錠されてしまい電話で連絡をして入れてもらわなければならなかったので、結果オーライです。

 

 翌29日は、当初は醍醐天皇の縁日で五重塔が公開されているので醍醐寺に行こうと思っていたのですが、京都府もまん延防止等重点措置が適用されたので、機会を改めることに。とはいえ、滋賀県にももう何度も来ていて、行きたいところには大方行っているので、今回はガツガツ観光せずのんびりすることにしました。翌日は多賀にでも行こうと思っていましたが、彦根は築城四百年祭の時に訪れていて、彦根城界隈や彦根から足を伸ばせる近郊の気になるところはほとんど見ていて特に行きたいところもなかったので、チェックイン後に城見の湯から上がったあと、フロント近くの棚に置いてあったパンフレットをいくつかもらってきて、開催中のイベントなどを検討。すると、11~1月土日祝日限定で琵琶湖のサンセットクルーズというのがあり、彦根城天守の夜間特別公開の予約時間に十分間に合う時間の設定で、スマホでホームページを見たらまだ定員に空きがあったので、すぐさま予約。

 

 ――ということで、夕方から夜は出かけることになったので、ランチでゆっくりアルコールでも飲みながら近江牛を食べたいと思い、10時半にホテルを出るときにフロントでホテル内のレストランに予約を入れてもらおうとしたのですが、必要ないとのこと。「ご希望の時間にお戻りください。お待ちしています」と見送られて、ホテルから徒歩10分もかからない開国記念館へと向かいました。彦根城の御城印はいろいろあるのですが、通常版の他にひこにゃん版というのがあり、さらに、ひこにゃん版の中にも通常版と特別版があり、ひこにゃん特別版が販売されているのが開国記念館だったので。

彦根キャッスルリゾート&スパの4階エレベーター前から見える彦根城

江戸城桜田門外の変で犠牲になった15代彦根藩主、井伊直弼の歌碑

 

 開国記念館は佐和口多門櫓が復元された展示施設で、「彦根城世界遺産に」と題した特別展示中だったので、ひととおり見学すると、過去の展示図録など、受付で販売している資料の見本を置いてあるラックがあったので、物色。彦根市教育委員会文化財文化財課が発行している「近江の戦国・彦根の戦国」という、表紙に明智光秀肖像画が載っている本があったので、目的の彦根城御城印ひこにゃん特別版と一緒に購入。ひこにゃん特別版御城印も6種類あったので、受付のスタッフに「今しかない限定の絵柄とかありますか?」と訊くと、「これが特別。なくなったら終わり」とおすすめされた柄があったので、そちらを買いました。

彦根城御城印ひこにゃん特別版の金メダルバージョン。昨夏の東京オリンピックで二冠を達成した競泳女子の大橋悠依選手が彦根出身でひこにゃんのファンなので、彼女の金メダル獲得を記念して作られた限定バージョンだそうです。隣の冊子は、光秀の肖像画に心惹かれてパラパラと内容を確認したら、明智氏と浅からぬ縁がある六角氏の地元情報が載っていたので購入。

 

 続いて、近くにある重要文化財の馬屋が公開されていたので見学し、その後まだ時間があったので、表御殿の跡地に表御殿を模して建てられた彦根城博物館へ。

馬屋

馬屋にあった説明書き

彦根城博物館に展示されていた井伊の赤備え

自宅に飾ってある井伊の赤備えのフィギュアと、ひこにゃんむすび丸。武将系ゆるキャラ仲間ということで。

 

 11時20分になると博物館を出てホテルに戻り、1階のレストランへ。予約なしで大丈夫と言われましたが、念のため開店と同時に行きました。近江牛が目的だったので、近江牛鉄板焼鳳凰」で近江牛焼きしゃぶランチを食べることに。独り占めのカウンター席に座り、目の前でシェフが焼いてくれる近江牛の薄切りを、シェフの後ろの窓の向こうに見える彦根城を眺めつつスパークリングワインを飲みながら待ち、焼き立てを味わうという素晴らしい時間でした。

近江牛焼きしゃぶランチ

 

 待っているあいだに1杯、食べながら1杯飲んで、1時間ほどかけて食事をすると、再び彦根城に戻り、13時発の屋形船に乗船。天守や櫓、玄宮園、埋木舎など歴史的建造物や庭園はひととおり見ていますが、堀めぐりはまだしたことがなかったので。国宝や重要文化財、重要美術品、名勝などに指定されている歴史的に貴重な文化財を見るのが優先で、イベント的な堀めぐりとかは時間に余裕がないとできないのですが、船に乗ること自体は好きなので、大阪城松江城でも乗ったことがあります。堀めぐりの一番の魅力は堀の上からでないと見られないものが見られることで、それによって思わぬ新しい発見があったりもします。

屋形船から見る大手門橋。左上に天秤櫓が見えます。

内堀の上から眺める彦根城天守

内堀沿いにある金亀児童公園内に植えられている二季咲桜。冬(11~1月)と春(4~5月)の年2回開花する桜だそうで、ほとんど散っていましたが、まだいくつか咲いていました。説明板によると、昭和47年に友好都市の水戸市から寄贈されたとのこと。この時期に咲く珍しい桜にも驚きましたが、彦根市水戸市が友好都市であることにもっと驚きました。あとで調べたネット情報によると、天狗党の縁で水戸市と友好都市関係を結んでいた敦賀市の市長が取り持ったそうで、それまでは水戸ナンバーの車が彦根を走っていると石を投げつけられることもあったとか。

 

 今回もガイドさんがおもしろい話をしてくれて、乗客が自分一人だけだったので、相槌を打ったりマニアックな質問をしたりすると、いろいろとディープな話をしてくれました。井伊家の家臣の子孫だそうで、彦根藩鳥羽伏見の戦いで官軍側についたのは石高にかかわらず一人一票と決められた家中による多数決の結果で、藩主の直弼は被害者なのに桜田門外の変での罪を問われ、それによって彦根藩は十万石減封されたので、一橋慶喜がみんな大嫌いだったとか、先輩に井伊家の子孫がいて、高校時代の部活で「ジュース買ってこい、許す」などと言われたとか、彦根城の堀の内側に小学校中学校高校大学すべてがあり、彦根ではそれがエリートコースなどと、地元ならではの情報を教えてくれました。

 

 中でも最も興味深かったのは、彦根城関ヶ原の合戦までに破却された近くの城から材料を集めて造られた城で、天守は大津城の天守を移築したと伝わり、そして大津城は坂本城を廃城にして、その建材を利用して造られた城なので、彦根城の国宝天守明智光秀が作った天守を伝えているのかもしれない――という話。驚いて思わず目を見開き、「私もそう思います!」と力強く同意しました。

 

 一昨年来私は光秀のことを調べていますが、もちろんガイドさんはそんなことは知りません。私も、この町で光秀の名を聞くことがあるとは思っていませんでした。安土ならまだしも、光秀が彦根と縁があるという事実は、いろいろ調べていても接したことがないので。しかし実際にありえそうな、目からウロコの話に、何やら運命的なものを感じて、鳥肌をおぼえました。彦根に来ることになり、予定していなかった屋形船に乗ることになったのは、この話を聞くためだったのではないか――とすら思いました。ガイドさんが光秀のことを取り上げてくれたのが大河ドラマのおかげだとしたら、NHKサマサマです。帰って調べてみると、『井伊年譜』に「天守ハ京極家ノ大津城ノ殿守也、此殿守ハ遂ニ落不申目出度殿主ノ由、家康公上意ニ依て被移候由」という記述があることを知り、彦根城天守には坂本城の建材が残っているのかもしれないという思いをいっそう強くしました。「家康公上意ニ依て被移候由」というのは、大津城は関ヶ原合戦の折、東軍の京極高次が立てこもり、ついには降伏するが、ぎりぎりまで西軍を食い止めて、その際に天守は戦禍を免れたので、家康が「めでたい天守」だとして、大津城の廃城後に彦根城への移築を指示した――ということらしいです。

 

 約45分の堀めぐりを終えて戻ってくると、何人かの客が待っていたので、2回続けて一人客でなくてよかったと思いながら乗船場を後に。ホテル前の彦根観光センター前から出るサンセットクルーズに合わせた彦根港行きのシャトルバスの時間まで1時間半以上あり、それまでどうしようかと思いましたが、ふと思いついてスマホで場所を調べてみると、ホテルと同じ通り沿いにあることがわかったので、宮脇書店に行ってみることにしました。

 

 前半生が謎である明智光秀の出身地については六つほど候補地があるのですが、その一つが近江国の佐目で、現在の地名で言えば多賀町佐目になります。彦根市の隣町にある集落です。光秀が美濃守護の土岐氏支流の血筋であることはほぼ確実なので、それほど有力視はされていないのですが、この説の根拠となっている文献『淡海温故録』は出身地の根拠とされている文献の中でも一番古いとのこと。しかも光秀の先祖――明智氏の祖である明智頼兼の母は佐々木頼綱の娘で、つまり近江守護である六角氏の出身。文献の内容も、すべてを鵜呑みにはできませんが、登場する人物名なども含めて部分的には他の伝承と通じるところがあり無視できないので、いつか訪れたいと思っていました。『淡海温故録』で十兵衛光秀が住んでいたとされる十兵衛屋敷跡も大河ドラマを機に整備されて資料が展示されていたので、今回隣の彦根に行くのなら多賀まで足を伸ばそうと思い、佐目までのアクセス方法などを調べていると、十兵衛屋敷跡を管理している「佐目十兵衛会」が発行している冊子があることを知りました。ホームページによると、冊子を取り扱っている販売所は、佐目に3か所、多賀駅周辺に2か所、彦根市内に3か所。冊子は2種類紹介されていましたが、1種類は完売、けれども地元の佐目にはなくても彦根の本屋には残っているかもしれないと思ったので、七つの販売所で唯一の本屋である宮脇書店に出向いた次第です。

 

 ……なのですが、残念ながら2種類とも見あたらなかったので、1種類だけでも多賀か佐目で買えればよいと思い、彦根市の出版社が発行した「京近江の武将群像」と「疫神病除の護符に描かれた元三大師良源」という本を購入し、ホテルに戻ることに。荷物になるので買った本を部屋に置くと、まだ時間があったので、快慶作の阿弥陀如来像があるという井伊直孝ゆかりの圓常寺を目指したのですが、夢京橋キャッスルロードを過ぎたあたりで時間的に厳しくなったのであきらめ、近江牛の老舗「千成亭」に寄って近江牛プレミアムコロッケを食べると引き返し、彦根観光センターへ。バスの出発時間の10分ほど前に到着し待っていると、案内スタッフの人に「バス待ちのあいだに記念品がもらえるアンケートをお願いできませんか?」と言われたので、もらった紙にあるQRコードを読み込み、回答。終了画面を見せると近江鉄道オリジナルのバスガイドの制服を着たキティちゃんの根付をくれました。

 

 彦根駅から来るシャトルバスは、5分ほど遅れて来たので、さぞかし混んでいるのかと思いきや乗客はいなくて、観光センターから乗る客も私一人で、立派な観光バスだっただけに心が痛みました。クルーズの予約は満席に近かったのですが、みな地元や近郊の人間で、港まで自家用車で行くということなのでしょう。第6波が来ていなければ、もう少し電車利用の観光客もいたと思いますが。15分ほどで彦根港に着き、16時15分に出航。

琵琶湖の上から見る伊吹山(多分……)

夕日と多景島

多景島。今回は上陸しませんでしたが、島を一周して彦根港に戻ったので、初めて外から全貌を見ることができました。上陸したときは港側から見ただけだったので。

サンセットクルーズの船上から見る琵琶湖のサンセット。曇っていたので見えないかと思っていましたが、かろうじて見えました。

 

 17時15分に彦根港に帰着し、乗船時に観光センターでもらったものとは別のアンケートをお願いされていたので、同じ手順で回答し、下船時にスタッフにスマホの終了画面を見せると、今度はひこにゃん蛍光ペンをくれました。このサンセットクルーズは「びわ湖のうえの物語」という観光振興の取り組みの中で企画されたイベントの一つで、彦根駅彦根城彦根港を繋ぐシャトルバスは無料、クルーズ代金も500円という格安の値段でした。まだ始まったばかりの取り組みのようで、それゆえ価格を抑えて参加者を募り、アンケートを取って企画のブラッシュアップをしているようですが、彦根に来るまでこんなイベントをやっていることは知らなかったので、もう少し広く情報発信をしたほうがいいのではないかと思いました。もったいないです。

 

 再び乗客一人のシャトルバスで観光センターに戻ってくると、時刻は17時40分で、夜間特別公開の予約は19時15分開始のため、ホテルに帰ってくるのは9時前になりそうだったので、早めの夕食を摂ることにしました。ランチをしっかり食べたので、軽めでよいと思い、ホテルの隣にある「献上伊吹そば つる亀庵」で蕎麦屋飲みをすることに。屋形船のガイドさんに冬の彦根近江牛より鴨だと聞いたので、地元産かはわかりませんでしたが鴨ロースと、確実に地場ものと思われる伊吹大根の天ぷらを酒の肴に、冷酒「城下町彦根」を飲み、もり蕎麦で締めましたが、まだ余裕があったので、デザートにそば茶プリンを食べて終了。1時間ほどで店を出ると、すっかり日が暮れて、昼間よりかなり気温が下がっていたので、ホテルの部屋に寄って1枚多く着込み、彦根城天守へと向かいました。

彦根港から戻ってきたときにホテルの前から見た彦根城。レインボーカラーでライトアップされているのは佐和口多門櫓。

夕食後にホテルを出て天守に向かう途中、いろは松から見えた彦根城天守と佐和口多門櫓

佐和口多門櫓。井伊家の家紋である橘紋がライトアップで表現されていました。

妖しげな色でライトアップされた表門橋

大手門橋と天秤櫓。表門山道工事中のため表門口からは入れないので、ここから天守に登っていきます。

 

 佐和口から大手門口までは歩きだと15分ぐらいかかるとのことだったので、道に不案内で暗かったこともあり、時間に余裕を持ってホテルを出たら、7時前には大手門券売所に到着。予約時間より20分ほど早かったのですが、問題ないと言われたので、観覧料600円を支払い、隣の窓口で夜間限定販売の特別版御城印と切り絵の御城印を販売していたので購入。大手山道を登り、天秤櫓、太鼓櫓を経て、本丸に至ると、さっそくひこにゃんのパネルが出迎えてくれました。

夜間特別版御城印と切り絵の御城印

観覧券を買ったときにひこにゃんのクリアファイルをもらったのですが、これを見て15周年であることを初めて知りました。月日が経つのは本当に早いです。

 

 ライトアップされた天守の石垣には、二条城で開催された「FLOWERS BY NAKED」などを手がけたクリエイティブカンパニー、ネイキッドによるアートプロジェクト「DANDELION」のデジタルアートオブジェが展示されていて、プロジェクションマッピングなので、どんな変化をするのか立ち止まって見ていたら、スタッフのおねーサンに「スマホで簡単にタンポポの種を飛ばせるので、やってみませんか?」と声をかけられました。基本的にアナログタイプの人間なので、説明を受けても何がどうなるのかサッパリわかりませんでしたが、時間もあったのでチャレンジすることに。教えられるままスマホを操作すると、プロジェクションマッピングで映し出されているタンポポの綿毛が飛び、スマホを覗いていたおねーサンに「東京タワーに届きました」と言われたので、画面を確認すると、東京タワーでのプロジェクションマッピングの様子らしい画像が出ていました。

ライトアップされた彦根城天守ひこにゃんパネル

天守の最上階。坂本城の遺構かもしれないと思うと、ひときわ感慨深かったです。

2階から1階に降りるときの写真ですが、再建天守と違って現存天守の階段はかなり急なので、いつまでビビらずに登れるかと思いました。

石垣に「DANDELION」のデジタルアートオブジェが展示された彦根城天守

綿毛を飛ばしたあとに届いた画像

 

 この日は8時から天守前広場でひこにゃんが散歩をすることになっていたので、それまで本丸を散策することにしました。

ライトアップされた彦根城天守(南から)

ライトアップされた彦根城天守(西から)

ライトアップされた彦根城天守(北西から)

西側のアップ

ライトアップされた彦根城天守(東から)。ひこにゃん登場です。

彦根城天守ひこにゃん

デジタルアートでタンポポが描かれた石垣とひこにゃん

スタッフのおねーサンの説明を聞くひこにゃん

おねーサンの指示に従ってポーズをとるひこにゃん

 

 15分のお散歩時間が終わると帰り道も混むと思ったので、ひと足早く本丸を後にし、下山。大手門から表門橋前、佐和口、いろは松と、夜の彦根城をのんびり歩いて20分ほどでホテルに着き、その日は終了です。

帰りに見た大手門橋と天秤櫓

 

※2月16日追記

 余裕がなくて記事が書けなかった白馬スキーで撮ってきた写真をアップしました。それと、タイトルの明智光秀探訪の連番ですが、前回の比叡山&金地院は15でしたが、16は順番的には11月に行った高野山なので、今回は17になります。どうでもいいことかもしれませんが……。高野山遠征記も長くなるので記事にできていませんが、いつか書けたらいいと思っています。もはや記憶が曖昧なので、白馬のように写真をアップするだけになるかもしれませんが。

「努力は報われない」ものだけど~2022北京五輪フィギュアスケート男子シングル感想

 やりましたー、ユーマ&ショーマのダブル表彰台。銀メダルは初出場の若干18歳、鍵山優真選手、銅メダルは2大会連続台乗りの宇野昌磨選手、おめでとう!! 二人ともメダリストにふさわしい演技でした。ショーマのフリーはややミスが目立ちましたが。

 

 そして、ネイサン、4年越しの悲願の金メダル、おめでとう!!

 

 勝負において頂点に立てるのは通常一人で、それゆえ勝利の女神がネイサン・チェン選手にほほえめばユヅこと羽生結弦選手の3連覇は実現しないわけですが、平昌オリンピックのショート17位からの怒涛の追い上げを見せた5位入賞から4年――その間休むことなく走り続けて世界のトップを維持し続けたネイサンの金メダルに文句をつける人は誰もいないでしょう。まだ北京オリンピックの競技は続いていますが、おそらく彼ほど今回のオリンピックの金メダリストの中でも金メダルにふさわしく祝福されるべきアスリートはいないと思います。世界的に注目度が高い競技で、かつ選手寿命が短い競技で、前回オリンピック後の世界選手権、グランプリファイナル、国内選手権すべてにおいて負けなしの連覇、文字どおり4年間ずっと世界王者であり続けました。今回のショートとフリーの演技も別格で、点数も一人異次元でした。演技中盤の4回転ルッツを筆頭にジャンプはもちろん質、安定感ともに抜群で圧巻でしたが、ジャンプ要素が終わってからのステップがダンスナンバーのように軽快で、ネイサン本人も見るからに楽しそうにノリノリで踊っていて、本当に魅力的でした。あの表現力がユーマやショーマにはまだ足りない、これがネイサンとの差だとしみじみ思いました。

 

 この絶対王者ネイサン・チェンを生み出したのは間違いなく羽生結弦です。ユヅがいなければ存在せず、彼の見事な演技も生まれなかったでしょう。奇しくもネイサンが金メダル獲得後のインタビューでユヅについてコメントを求められたときに言っていました――「彼がスケート界にもたらしたものは永遠だ」と。まさにそのとおりで、至言だと思います。羽生結弦がスケート界にもたらしたものが確実に存在し、その功績は永遠に色褪せないものだということです。ネイサンのみならず、ユーマとショーマ、4回転を軸にしたメダリストたちの素晴らしい演技のすべてが生まれなかったでしょう。また、ユヅを目指して努力した選手たちがいたからこそ、ユヅ自身のスケートも進化しました。はっきり言って、1位だった平昌の時よりも、4位に終わった北京の時のほうが格段に上手いです。ショートは4回転サルコウがパンクして点数は伸びませんでしたが、それ以外は一番上手いと思いましたし。2回の転倒があったにもかかわらず、ネイサン、ユーマに次ぐ3位だったフリーの点数からも、ジャンプだけでなく全体的なスケーティングが評価されていることがわかります。ショーマはフリーが5位でしたが、ショートの貯金が生きました。ショートとフリー両方の成績が揃わなければメダルに届かないことは、平昌の時にネイサンが実証しています。ネイサンの優勝を心から祝福していますが、欲を言えば、ユヅが初日のショートで失速したことによりネイサンはだいぶ精神的に楽な状態で二日間滑ることができ、実力を発揮できたと思うので、最後まで一つのミスも許されない緊迫した接戦で手に汗握るような試合が見てみたかったとも思います。接戦でも同じような演技ができたかどうか――は、もはや神のみぞ知るところですが。

 

 前人未到の4回転アクセルに挑戦して、残念ながら今回も成功させられなかったユヅは試合後に言っていました――「報われない努力だったかもしれない」と。努力というものは、どれほど懸命にしようが必ずしも報われるものではないので、それを聞いたときに、「ユヅは今まで報われなかったことがなかったのか?」と思い、それはそれで今日この日まで幸せな競技生活を送れていたということではないかと思いました。正直なところ、ユヅのオリンピック2連覇は運がよかったからだと思っていますし。絶対に報われるわけではない努力が二度も一番理想的な形で報われたのだから、メチャクチャ運がよかったということです。もちろん、そもそも努力をしていなければ、報われることはないので、報われたければ相応の努力をしなければなりません。凄まじい努力をしてきたアスリートたちの中で、今回はネイサンが選ばれて運命の神様がほほえみ、ネイサンの運がよく、本来の力を発揮できる場が与えられ、彼の努力が報われることになった――ということです。

 

 ひと口に「努力が報われる」といっても、「報われた」と思える形はいろいろあり、人によって理想の形は違うのではないかとも思います。メダル獲得という誰の目にも見える形の報われ方は広く価値観を共有できるのでわかりやすいですが、それ以外の報われ方もあると思います。努力は必ずしも報われるものではありませんが、経験で無駄なことは一つもないと思っています。たとえ苦しく嫌な辛い経験でも無駄にはならない、些細なことでも積み重ねた経験は血肉のように自らの力、目に見えぬ財産になっていると幾度も思い知らされてきました。経験が生かされたときに「あの時の努力が報われた」「このためにあのとき努力したのだ」と思えることもあると思います。それがいつになるのか、思えるときが必ず来るのかはわかりませんが。他人から見れば十分に報われているのに、それに気づかず自覚することなく人生を終えることもあるでしょうし。

 

 私自身は、オリンピックを2連覇し引退してもおかしくないユヅが史上初の4回転アクセル成功という目標を掲げることで競技に対するモチベーションを保って現役を続け、そのおかげでさらにスケートを進化させて、ようやく長らく彼に求めていた「頂に辿り着いた者にしか見せられないスケート」を見せてくれるようになったので、平昌五輪後のユヅの努力は十分に意味があったと思っています。また、それによってスケート界全体のレベルも上がり、競技が活性化して魅力が増したのですから、ユヅの努力は本人が今は報われたと思えなくても、スケートに関わる大多数の人間はその価値を認めているものだと思います。なので、4Aが成功してもしなくても、ユヅの挑戦とその挑戦に至るまでの努力の価値は変わらないと思っています。ネイサンが言うように「永遠」に――。とはいえ、記憶やらリスペクトやら人間の心や感情に起因し依存するものは曖昧なので、とりあえず公式戦で初めて認定されてよかったです。努力の結晶――頑張った事実が記録されて、確実に歴史に残りますから。

 

 今まで現役を続けてくれてありがとう、ユヅ。あなたが頑張ってくれたおかげで、あなたと、あなたを目指して切磋琢磨してきた選手たちの素晴らしいパフォーマンスをたくさん見ることができました。長年第一線で酷使してきた足はボロボロのはずなので、これ以上望むのは酷だと思ってはいるのですが、少しでも長く現役フィギュアスケーター羽生結弦のさらなる高みへの挑戦と真剣勝負から生まれる「頂点を極めた者にしか見えない、辿り着けない、頂のその先にあるスケート」が見られるよう、心底願っています

 

※追記

 スノーボード男子ハーフパイプで2大会連続銀メダルの平野歩夢選手がついに金メダル獲得。おめでとう!! 不可解なジャッジに対する怒りと、その理不尽さに屈しない反骨精神、そして自分にしかできない大技を成功させているというプライドがにじみ出た渾身のランに感動してネット上の記事を読み漁っていたら、ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル銀メダルのパトリック・チャン氏のインタビュー記事を発見。ちょっと感動したので、コメントを抜粋して載せておきます。

 
ユヅルが平昌で二度目の金メダルを手にするのを目にしたときに、思いがけない感動がわいてきたんです。実を言うとソチオリンピックでは、まだそれほど経験のない新人に負けてしまったという忸怩たる思いをなかなか拭い去ることができなかった。でもユヅルがソチから見せた成長ぶりと、彼の歩んできたオリンピック2連覇への道のりを目にしたとき、この素晴らしい物語の中に自分も参加できたことを誇りに思いました。ソチオリンピックの結果はなるべくしてなったのだ、と自分を納得させることができた。これほどの選手だったのだから、自分が負けたのは仕方のないことだったのだということを、ユヅルが平昌で証明してくれたのです」(『NumberWeb』2/10配信記事より)
 
 当時の絶対王者としてソチオリンピックに挑んだパトリック。私は大ちゃん(髙橋大輔選手)を応援していましたが、金メダルはパトリックが獲るだろう、世界選手権3連覇の偉業を成し遂げ、今回のネイサンと同じく出場選手の中でも過去4年間のあいだ突出した実績を残してきたパトリックに獲らせたいと思っていました。この記事の中で「フリー演技が終わったときは、人生で最大の失望を感じた」とも語っているので、本人はもちろん誰もが考えていなかった想定外の結果は彼の心に大きな爪痕を残し、「なかなか拭い去ることができなかった」ため、ソチでは努力が報われなかったという悲しい思いを長らく引きずることになったのかもしれません。けれども、4年後に同じオリンピックという舞台でユヅを目にして、彼の金メダル獲得に感動し、オリンピック2連覇王者の物語に自分が参加できたことを誇りに思えたパトリックは、過去の結果に納得し、結果とともにそこに至るまでの過程を肯定し受け入れ、現在のスケート界の進化に繋がったのなら自分の努力はけっして無駄ではなかったとようやく認めることができ、ついに「報われた」のではないでしょうか。
 

上野雪景色~上野東照宮&特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」in国立科学博物館

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

 年末年始は大晦日から元旦にかけて親元に顔を出しただけで、あとは巣ごもり、明智家系譜&年表づくりに明け暮れていました。というのも、休みの前半に突然天啓のように意外な可能性に思い至ったからです。この説がありえるのか、大掃除もロクにせず検証に没頭したので、結局遠征記は手付かずのまま仕事始めを迎えることと相成りました(検証は続行中)。感覚的にはあっという間でしたが、同じ姿勢でPCに向かっている時間が長かったせいか、ここ数日腰が痛くて困っています。3連休は年1のスキーなのに(笑)。

 

 さて、昨日の東京は何年ぶりかの大雪でした――が、現在国立科学博物館で開催されている特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」の入場予約を入れていたので、上野に行ってきました。会期が12日までで、この日を逃すと行けなかったので。10月14日から始まった特別展で、10月以降はバタバタしていて都合がつく日がわからなかったので、3か月もやっていれば会期中のどこかで行けるだろうと思い、とりあえず前売券を買っておいて、最初の予約を12月の20日過ぎに入れたのですが、年内は忙しくて行けそうもなく、数日前にキャンセル。改めて日時指定の予約を取り直し、土日と年末年始休暇は避けたかったので、それを外したら1月6日しかありませんでした。

 

 ならばついでに初詣にでも行こうかと思い、明治神宮日枝神社神田神社など近場の神社を調べていたら、最寄りの上野東照宮に数量限定のお正月の御朱印、そしてなんとパンダ印なるものが押された御朱印が期間限定で授与されていると知ったので、上野東照宮に行くことに。東照宮主祭神東照神君こと徳川家康なので、改まってお願いしたいこともなかったのですが……。予報どおり雪が降りはじめて、お参りは日を改めようかとも思ったのですが、平日でこの悪天候ならば、いつも混んでいる韻松亭も予約なしで入れるのではないかと思い、また雪なら雪で上野公園界隈は雪景色も風情があり、雪の少ない東京ではねらってもそうは見られないものなので、当初の予定どおり昼で仕事を切り上げて、上野へと向かいました。

 

 上野駅に着いて、いよいよ本降りになってきた雪の中、まずは韻松亭に行ってみると、思ったとおりすぐに入れ、「花籠膳 雪」と、寒かったので晴耕雨読のお湯割りを注文。

f:id:hanyu_ya:20220106235644j:plain雪の韻松亭横山大観がオーナーだったこともある明治8年創業の老舗

f:id:hanyu_ya:20220106235718j:plainランチメニューの「花籠膳 雪」。焼酎を飲んでいたので、ご飯と汁椀はあとで持ってきてもらうことにしました。

f:id:hanyu_ya:20220107003614j:plain会計の前にあった鏡餅。伊勢エビがぴったり似合う大きさの鏡餅を手に届く至近距離で目にすることも少なくなったので、「鏡餅って元来こうだったよなぁ」と感慨深く思い、支払い時に撮っていいか訊いて承諾いただき撮影させてもらいました。

 

 1時間ほどかけて食事を終えると、上野東照宮に参拝。御札授与所で目当ての御朱印をいただいたあと、拝観料を払って透塀の中に入り、キンキンキラキラの社殿を間近で見てきました。

f:id:hanyu_ya:20220107000024j:plain透塀越しの拝殿。重要文化財。慶長4年(1651)に三代江戸将軍家光が造営。2013年に修復を終えたばかりなので金ピカです。

f:id:hanyu_ya:20220107000054j:plain雪の拝殿(右から)

f:id:hanyu_ya:20220107000125j:plain雪の拝殿(左から)

f:id:hanyu_ya:20220107000201j:plain雪の本殿(脇から)

f:id:hanyu_ya:20220107000234j:plain数量限定のお正月御朱印。拝殿と牡丹の絵が入った華やかな御朱印です。今の季節はぼたん苑が開園しています。

f:id:hanyu_ya:20220107000559j:plain御朱印についての説明。右から「天海僧正東照神君藤堂高虎」だそうです。

f:id:hanyu_ya:20220107000625j:plainぼたん苑入口にあった牡丹。雪をかぶっていてよくわかりませんが、「今猩々」とのこと。

f:id:hanyu_ya:20220107000708j:plain期間限定のパンダ押印入り御朱印。日光や久能山の他にも東照宮は全国至る所にありますが、パンダ印が押せるのは上野だけでしょう。しかも双子パンダです。芸が細かい!

f:id:hanyu_ya:20220107000811j:plain参道から見る旧寛永寺五重塔雪景色の正面バージョン

f:id:hanyu_ya:20220107000910j:plain参道から見る旧寛永寺五重塔雪景色の斜めバージョン

 

 東照宮を後にすると、来た道を少々戻り、初詣は神社にしたかったので行きには通り過ぎた清水観音堂に参拝。朱印帳を持ってこなかったので紙で御朱印をいただき、授与所に元三大師みくじがあったので引いたら吉でしたが、内容はよかったです。

f:id:hanyu_ya:20220107001024j:plain雪の清水観音堂。寛永8年(1631)に天海が京都の清水寺に倣って建立したので、不忍池が眺められる舞台が作られています。広重の「上野清水堂不忍ノ池」には春の桜が描かれていますが、冬の雪もいい感じで、「浅草金龍山」と足して二で割ったような景色でした。

f:id:hanyu_ya:20220107001055j:plain韻松亭に行く前に通り過ぎたときに撮ったバージョン。真ん中の月の松がまだわかりやすかったです。2時間ぐらいの差ですが、雪の量が全然違いました

 

 ミイラ展は4時からの予約だったので、3時40分に科博に行くと、入場は15分前からとのことで、5分ほど待つことに。係員に「入場するまでに3か所でQRコードを提示するのでご用意を」と言われたのですが、寒さのせいかスマホの電池の消耗が激しく、そのとき3%だったので、待っているあいだ気が気ではありませんでした。入るときには1%になっていて、どこかで電源を借りなければならないかとドキドキしましたが、なんとか3回クリアできました。

 

 予約制のわりに会場内は混んでいて、はっきり言って密でした。人が通れる通路を確保するためにスタッフが会場内を頻繁に行き来するほどで、これで人数制限しているのかという状態。会期終了間際とはいえ、こんな有り様では感染対策にならず、事前予約制を取っている意味がないと思いました。子供連れも多く、「そういや、まだ冬休みか」と、今さらながら思い出し、子供にはかなわないし、子供にこそ博物館の展示は見てほしいので、ざっと見て20分ほどで出てきました。じっくり見るような環境ではなかったこともありますが、展示品を前にしてもそれほど興味が湧かず、すっ飛ばすことに躊躇もなかったので。

 

 では何故わざわざこんな雪の日に見に来たのかと思ったのですが、展示品を見に来たというよりも、現在の研究でこんなことまでわかるようになったのだということを知るために来たのだと思いました。展示されていた発掘品は過去に見た物と変わりばえしませんが、技術の進歩によって研究成果はその頃より格段に上がっているので。今どういう研究が可能になっていて、この研究によってどういうことが判明したのか、また今後知り得るのか、それを知れたのは収穫だと思いました。言うなれば、可能性の確認――といったところでしょうか。

 

 科博は好きなので、いつもは常設展にも寄るのですが、今回は寒さで気力がなく、雪で交通機関が乱れる前に――とも思ったので、5時前には博物館を出て帰宅。帰ったら上野よりも小降りだったので、玄関前の雪かきをしました。

「青天を衝け」総評~長寿を全うした一人の実業家を通して、いつの時代も人間の本質は変わらないことを示したドラマ

 昨日に続いて本日も終日巣ごもり、全日本フィギュア男子フリーを観に行ったため本放送を見そびれたNHK大河ドラマ「青天を衝け」の再放送を見ました。遠征で1回見逃しましたが、昨年の「麒麟がくる」に続いて、初回から最終回まで完走でき、終盤は家にいれば土曜の再放送も見るくらいだったので、ドラマとしてはおもしろい、「麒麟がくる」に劣らぬ秀作だったと思います。約1年間楽しませてもらった満足のいく作品だったので、先週駆け込みで飛鳥山の「渋沢×北区青天を衝け大河ドラマ館」に行ってきました。会場の北区飛鳥山博物館は何度か訪れたことがあり、館内の一角ならばそれほど大きな展示室ではないことは想像できたので、「フィスト・オブ・ノーススター」のソワレを観に行くため仕事を3時で切り上げた22日水曜に、日比谷に行く前に寄り道。会期は最終回の本放送が放映される26日日曜までなので、これ以上遅くなって閉館日近くになれば混むだろうと思ったので。

会場の北区飛鳥山博物館の入口。4時過ぎに行きましたが、この日はまだ空いていました。最終日はチケット売り場に行列ができたようでしたが。

館内に再現されていたパリ万博の日本ブース

 

 とにかく主役の吉沢亮クンの演技が全編にわたって素晴らしかったと思います。吉沢クンの存在を知ったのは、およそ2年半前。ドイツ城めぐり旅行記の記事でちょっと触れましたが、たまたま何年か前に飛行機で「銀魂」の映画を観て、どこかキレ気味の沖田総悟役を好演していたので、その数か月後に大河の主役が決まったと知ったときには驚きましたが、ジャニーズアイドルが主役をできるのだから演技的には問題ないだろうと思っていました。さすがに当初は、まさか91歳まで一人で演じきるとは思いませんでしたが。けれど、途中で年相応の俳優に交代しても吉沢“栄一”の印象が強すぎて、吉沢老け役以上の違和感があり、視聴者も急にはうまく感情移入できず、慣れるのに時間がかかったと思うので、回数が限られている以上あれでよかったのではないでしょうか。

大河ドラマ館のチケット売り場でもらった吉沢“栄一”のハガキ

北区の大河ドラマ館オリジナル企画の「なりきり1万円札」。自分の写真で作れるデジタル体験コーナーですが、「麒麟がくる」の時に同じような「なれルンです」で甲冑写真を撮って、あまりの似合わなさに後悔したので、スタッフに勧められても断ると、「では、吉沢さんの1万円札のお写真を」と、わざわざ展示の前まで案内してくれたので、撮らせていただきました。

 

 ただし、「麒麟がくる」のように考えさせられることはなく、舞台となった時代や登場人物を改めて調べてみようという気も起らず、「渋沢栄一って、やっぱりすごいな、以上。」という感じではありました。深谷大河ドラマ館までは足を延ばす気にならなかったのは、それゆえです。専門は異なりますが、大学時代は日本史専攻だったので、渋沢栄一についてはもちろん知っていて、今さらその偉大な事績に驚かされることはありませんでしたし、ドラマの中で取り上げられたエピソードも世に明らかになっている事柄以上のことはなく、通常とは異なる視点の幕府側から見た開国~大政奉還戊辰戦争明治維新という歴史も、昔さんざん深掘りして、もはや気が済んでいるので。栄一のやったことや生き方がすごいのは伝わってきましたが、栄一が何故あれほどの情熱を持ち続けていられ、その情熱に従って行動できたのかが最後まで不思議で、91歳の生涯を見終えても疑問のままでした。物語的には両親の育て方や従兄弟の影響という答えなのでしょうか……だとしたら、あまり説得力がありませんが。豪農出身で生まれたときから生きるに困らず、家族親族に愛され、経済的にも愛情的にも恵まれていて、どうしてあれほどあきらめない不屈の精神や旺盛な行動の原動力が生まれたのか、さっぱりわかりません。ナゾです。物語の中でそれらしきことが何か提示されれば、「なるほど」と思ったり、「いや違う、こうではないか」とおのずと思考を巡らせたかもしれませんが、特になかったので、「以上。」で「青天を衝け」は終了です。

 

 その点、唯一生き方に一つの答えを出していたのは徳川慶喜の描き方で、いささか美化されすぎているような気もしましたが、良心的に見れば、あのような解釈もアリかもしれない――と受け入れることはできました。徳川十四代将軍徳川家茂を研究してきたので、今回脚本家の大森美香さんが造形した慶喜の人物像には手放しで賛同はできませんが、草彅“慶喜”は実に天晴れで、あれぞまさしく快演。個人的には「ミッドナイトスワン」の凪沙以上にハマリ役だと思いました。「輝きが過ぎる」とか「光を消して余生を送ってきた」という言葉は、かつて誰よりも輝いていた国民的アイドルSMAPの一員であり、その身分を外圧によって失い、理不尽に表舞台での活躍の場を奪われた剛だからこそ芝居のセリフを超えた真実味を帯びていて、腑に落ちたような気がします。いま思えば、トップアイドル→トップ武士(将軍)と置き換えれば、境遇が重なりますし。キャスティングした人はそのへんを意識していたのかもしれません。また、自分を演出し見せることに長けたトップアイドルだったからか、セリフがない場面での所作が随所で光り、たびたび目を瞠りました。最後のシーンの、自伝に付箋を貼る手つきの美しさなどは、いかにも貴人らしく、身震いしましたし。美しく端整に、かつおもしろく、印象深く――アイドルとして俳優として長年積み上げてきた草彅剛の経験が至る所で生かされていたと思います。若い頃はSMAPの中でも人気がなく、ライブのMCでもリーダーの中居クンや人気者のキムタクやシンゴに遠慮して一歩後ろに引いていました。そんな時代から見てきて、韓国語をおぼえて韓国単独デビューを果たしたチョナン・カンとしての活動をはじめ、数々の努力の過程を知っているので、ここまで辿り着いてくれて、本当に感無量です。本編で渋沢栄一徳川慶喜に抱く敬愛の念には、吉沢亮の草彅剛に対するそれが確実に重なっていて、まさに演技を超えた表現になっていたと思います。

大河ドラマ館にあった草彅“慶喜”のパネル

 

 「青天を衝け」は、授業でほとんど触れられない元幕臣で農家出身の実業家――渋沢栄一の功績並びに、授業でほとんどが教えられる明治の元勲――生き残った維新の英雄たちの功罪を再認識させました。大倉孝二さん演じる大隈重信が大正時代に二度目の内閣総理大臣職を引き受けたことを80近くにもなって何をやっているんだと栄一に責められたときに「維新の尻拭いをやっている!」と応酬したセリフはとりわけ象徴的でした。幕末から明治、大正、昭和の戦前までの時代の変遷をわかりやすく見せてくれ、今の時代も人間そのものは徳川幕府の時代と大して変わっていないことを教えてくれました。それだけでも十分に意味がある上に、テレビドラマというエンターテインメントとしても、出演陣の熱の入った芝居を筆頭に、去年に続くコロナ禍でロケなども制限があったにもかかわらず映像なども総じて質が高かったので、拍手喝采の出来だったと思います。

 

 来たる2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は小栗旬クンが主役。吉沢クンと共演した「銀魂」の主役――坂田銀時役もさすがのクオリティでしたが、そもそも彼は稀代の演出家、蜷川幸雄に目をかけられた、藤原竜也クンと共に蜷川ファミリーを代表する役者。「銀魂」以前から舞台俳優としていい仕事をしていたので注目し、主演した「時計じかけのオレンジ」なども生の舞台を観に行きました。なので「ついに小栗旬来たー!」というのが正直な感想。今度は大河ドラマ館も鎌倉で、鎌倉なら何回でも行けるお気に入りの観光地なので、鶴岡八幡宮や江の島詣でがてら訪れたいと思います――ドラマがおもしろいことが大前提ですが。期待しています、三谷さん!

飛鳥山公園のお土産売り場の壁にあしらわれていた北区観光協会のオリジナルキャラクター。慶喜とか北区に関係あるのか?と思いましたが、本人とは別物と思い、深く気にしないことにしました。渋沢栄一も肖像写真と違いすぎますし。

五輪銀と世界ランク1位でも手の届かない異次元の領域に入った五輪王者・羽生結弦のスケート〜2021全日本フィギュア感想

 昨日が仕事納めで、今日からようやく待ちに待った長期休暇です。この休暇中になんとかまだ記事にできていない仙台&出羽三山と奈良&高野山の遠征記をアップできればと思っています。9月と11月のことなので、もはや備忘録みたいなものですが。

 

 さて、日曜はさいたまスーパーアリーナで全日本フィギュア男子シングルフリーの試合を観てきました。心から来てよかった、観られてよかった、この会場にいることができた幸運を感謝したいと思った素晴らしい戦いでした。羽生、宇野、鍵山、三浦、友野までの1~5位はいずれの選手も文句なしにスタンディングオベーション、13番滑走のフリー8位総合9位の壷井達也選手にも立ち上がって拍手を送ってきました。

26日の滑走順リスト

 

 壷井選手はショート12位で第3グループの1番手だったのですが、ほぼノーミスの演技で、第2グループと第3グループのあいだにはこれほど大きな差があるのだという格の違いを見せてくれました。そして同グループの5番手、17番滑走は2019ジュニアグランプリファイナル金メダリストの佐藤駿選手。後半のジャンプでミスが続いて総合7位でしたが、冒頭の4回転ルッツで、世界大会ゴールドメダルホルダーのレベルの高さを見せつけてくれました。あまりの出来栄えのよさに、加点が気になって帰ってからプロトコルを確認したら、思ったとおり4.44も付いていて、単独ジャンプで16点という驚異的な数字をたたき出していました。4回転アクセルが実現していない今、4回転ルッツは最高難度です。しかも佐藤選手はまだ17歳。末恐ろしいです。「第3グループでこんなすごい4回転跳んでいるけど、最終グループどうなの? 大丈夫?」と思っていたら、続く友野一希選手もクリーンな3回のクワドと、氷上のアーティストとして知られるミーシャ・ジー振付の密度の濃い「ラ・ラ・ランド」を軽快に踊ってくれ、今季グランプリシリーズロシア大会3位の実力をいかんなく発揮。まだ上位6人を残した時点でこんな状況だったので、「このあとの表彰台争いは、これ以上のどんな演技を見せてくれるのか」と、ゾクゾクするようなワクワク感でいっぱいでした。最終グループでも全日本ジュニアチャンピオン、弱冠16歳の三浦佳生選手がそれまでとは段違いの勢いを感じさせるスピード感のある会心の「ポエタ」を見せてくれ、端正な山本草太選手の演技を挟んで、いよいよSPトップ3が登場。タイプが違う3選手がそれぞれに異なる持ち味を見せて、存分に魅せてくれました。

 

 まずは鍵山優真選手。テレビで観ていると、線が細いというか貧弱な感じで、上手さより迫力のなさのほうが気になり、同世代では佐藤選手や三浦選手のスケートのほうが好みだったのですが、初めて生で観て、柔らかなスケーティングに驚きました。テレビ観戦ではまったく伝わってこなかったので……単に見る目がないだけかもしれませんが。軽くショックを受けて、思わず「うわ、なんじゃこりゃ」という声が出そうになり、マスクの下でモゴモゴしてしまいました。全然力みが感じられないというか……ちょっとここ近年では記憶にないタイプ。かなり過去に遡れば、私をフィギュアの世界に引き込んだスコット・ハミルトンに通じるような気もしました。何分はるか昔のことで、彼のスケートもうろおぼえではありますが……。それでいて4回転は失敗しそうにないというか、ふわりとやさしい動きの中に確たる安定感があり――いやはや、現世界ランク1位は伊達ではありません。やはり生で観るのは違うと改めて思いました。大人になりきっていない18歳の今だから可能なスケーティングかもしれないので、これから体も技術も成長していく中でどう変化していくのか、大いに楽しみです。

 

 続いての滑走は、ショーマこと宇野昌磨選手。打って変わって気迫あふれる力のこもった演技でした。途切れるところがなく、息継ぎする暇がない、ひと息つけるところがない濃密なプログラムを懸命に、渾身の力で滑っていました。観ているほうもつい力が入ってしまい、終わったときには一緒になって疲れて息切れしているような感じ。なので、しいて難を言えば、もう少し余裕のなさが表われなくなるといいと思いました。今は見るからにいっぱいいっぱいという印象ですから。

 

 そしてトリは、ユヅこと羽生結弦選手。手に汗握るようなショーマの熱演後でしたが、リンクに出ると一瞬で空気を変え、会場内に静けさをもたらしました。こんなことができるようになったのかと感心していると、にわかに胸がドキドキしてきました。ユヅが勝てるかどうか心配しているのではなく、どんな演技を見せてくれるのか、期待で緊張しはじめたのです。

 

 このブログでもわりとしつこく書いてきましたが、私は長らくユヅの演技に物足りなさを感じていました。技術的には問題がなく試合で勝てても、手や腕を含めた体全体の使い方に不満があり、王者ならもう少し細やかに隅々まで気をつかって、もっと表現面を向上させてほしいと願い、注文を付けてきました。しかし平昌オリンピック後は、五輪2連覇王者というアマチュアスポーツ選手の頂点を極めながら彼はその立場に甘んじず、新たな目標を掲げて、それに向かって努力を続けてさらに上手くなり、ショーマからタイトルを奪還した去年の全日本あたりから、私が彼に求めてきた、高い技術と豊かな表現を融合させた、スポーツであり芸術でもある究極のパフォーマンス――「頂点を極めた者にしか辿り着けない頂のその先のスケート」を見せてくれるようになったので、今回も元々期待しかなかったのですが(勝ち負けに関しては、ユヅが勝ってもショーマが勝っても、どちらでもよかったので)、フィギュア観戦で緊張をおぼえるのは初めてだったので、けっこうビックリしました。

 

 世界初のクワドアクセルは成功しませんでしたが、最初に大技にチャレンジして体力気力を大幅に消耗しながらも、けっして勝負を放棄せず、4Aのあとは他を寄せ付けない、8か月ぶりの公式戦とは思えない、最後まで集中力の切れない完成度の高い演技を披露してくれました。完成度が高いだけでなく、とにかく内容が濃い。ショート4位フリー12位で総合8位の山本選手なんかはジャンプを跳ぶ前に何でそんなに進路を見るかなと思うぐらい助走が長いのですが、ユヅやショーマはその間にいくつかの振りをこなします。ショーマの場合は、たとえポージング時間が1秒であっても、とりあえず多くの振りを入れるといった感じで、まだまだ頑張って入れていますという雰囲気があって、やや慌ただしさが拭えないのですが、今のユヅは、一連の動作の一つとして流れるようにジャンプの前後に振りを入れてきます。それが今の二人の差かもしれません。たまたま印象に残っている山本選手を例に挙げましたが、他の選手も同様で、ユヅとショーマが特別なのです。殿こと織田信成さんも「そっからなんで跳べるの~」とツイッターでつぶやいていたので、日本代表として国際大会で活躍したプロスケーターレベルでも、準備や助走なしでは4回転や3回転アクセルなどの高難度ジャンプは跳べないのが普通なのだと思います。

 

 そして、ユヅとショーマは手が遊んでいる時がなくなりました。足が器用にせわしくなく動いているのに、手や腕などの動きが鈍かったり指先など隅々まで神経が行き届いていないのは、やはりアンバランスで、上半身が物足りなく見え、必然的に演技全体の完成度が低く見えます。純粋にスケーティング技術で競うコンパルソリーなら足の使い方が上手ければよかったかもしれませんが、ショートプログラムとフリープログラムでは技術力の他に表現力も求められます――現に両方の点数が別々に出ますし。そして表現力が評価されるのは足だけではないのです。二人のプログラムは4分間で演技をしていない時がなくなり、その結果、ジャンプやスピンといったエレメンツの構成だけでなく、全体的により密度の濃い演技になっていました。実際、ユヅの演技中には息が詰まって、「なるほど、息づまるって、こういうことか」と今さらながら実感しましたし。知らず知らず呼吸するのを忘れて息を止めていたのですね。

 

 2度のオリンピックを経て、頂点を極めた者しか辿り着けないその先の世界に進み、そんな己を自覚して(オリンピック3連覇の権利を有するのは自分しかいないという発言に、頂点を極めた者としての自覚を感じました)、羽化したようにさらなる進化を遂げたユヅと違って、ショーマは初五輪後はしばらく低迷し、ステファンに師事するようになってようやく以前のレベル――世界大会でメダル争いができるところまで復活。今季は伸び悩んでいたスケート自体も総合的に上手くなり、今大会の演技は全日本チャンピオンになってもおかしくない出来栄えでした。事実、2年前まで4連覇していたときよりも上だったと思います。ここ数年で最高といってよい、あれほど素晴らしいパフォーマンスをしても優勝できなかったので、羽生結弦という規格外と同じ土俵で戦わなければならないショーマの不運が少々気の毒になりましたが、そもそもユヅがいなければ、ショーマもここまで成長できなかったはずなので、まさに禍福は糾える縄の如しといった感じで(喩えがビミョーかもしれませんが)、運命の神様は容赦ないな~と思いました。しばらく勝てないかもしれませんが、それでも志を高く持って、挫けないでほしいですね。

 

 全日本フィギュアのシングルの試合は24人が出場し、まともに全部を観戦すると4時間以上かかるので、仕事帰りに行ってちょうどいい最終グループの手前――第3グループぐらいから観はじめることが多いのですが、今回は日曜で、しかも受付前に行列ができているとニュースで報じられていたので早めに行き、思っていたよりも時間がかからず入場できて試合開始に間に合ったため、1番滑走から観戦しました。全日本の場合、上位は世界大会メダリストクラスの実力者ですが、下位は予選である地方大会を勝ち上がってきた選手で、正直なところ大学の部活動レベルもいて、前回までは見ていられず、第1、第2グループの時間帯は席を立って、長丁場を凌ぐため売店や会場外の店で腹ごしらえをしていました。しかし今回は見ごたえがあったので、初めて最初から最後まで観ました。通路から遠い席で、頻繁に出にくいという理由もありましたが。途中1度だけトイレに行き、混みそうな整氷時間を避けて第2グループの6分間練習時を選びましたが、それなりに混んでいて開始までに戻ってこられなかったので、7番滑走の大島光翔選手だけは観られなかったのですが、それ以外の23人の演技を観て、日本の男子は確実にレベルが上がっていると思いました。3年連続表彰台のあと2年連続4位で、平昌オリンピックの代表でもあった田中刑事選手も、今大会のフリーは第3グループで、最終的にも11位というトップ10を逃す厳しい結果。けれど、今回の演技の出来と今の実力ではそれも納得で、妥当な順位です。田中選手自身も引き際だと感じたようですし。ともあれ、若手の台頭を感じた大会でした。早くも4年後が楽しみです。

大会のパンフレット。女子シングルの紀平梨花選手とペアの三浦璃来と木原龍一の両選手は欠場でした。男子は表紙の三人が表彰台に乗りましたが、女子は台乗りを果たしたのは向かって一番左の坂本花織選手だけ。どういう基準で表紙のメンバーを選んでいるのでしょうね。パンフ巻頭のスケ連会長のあいさつ文でグランプリファイナルが中止になったことが触れられていたので、パンフの制作は12月中旬ぐらいだったと思うのですが……。